12月15日夜、イスラエル軍はハマスに人質となっていたイスラエル人の3人を誤って殺したと発表した。射殺された遺体はイスラエル領に運び込んで確認した結果、10月7日のハマス襲撃でガザに連れ去らわれたイスラエル人と分かった。
イスラエル軍は、すでに、ガザの地下トンネルに海水を注ぎ込んでいるから、今回の件は、人質のイスラエル人を見える所で殺すか、見えない所で殺すかの違いにすぎない。
ロイター通信やCNNによると、この3人は、イスラエル軍が銃撃したとき、白旗を掲げていたという。いま、ガザ市街戦では、白旗を掲げていても射殺するのが、あたりまえになっているようだ。
銃撃で2人が即座に射殺されたが、1人が建物に逃げ込みヘブライ語で助けを求めた。それで、上官ははじめて銃撃停止を命じたが、すでに遅く、ふたたび銃撃があり、その1人も射殺されたという。
イスラエル軍は、市街戦では敵が民間人の服装をしているから仕方がないと釈明している。戦闘員と民間人が識別できないのは、市街戦でいつも起きることである。市街戦に持ち込むこと自体、無差別空爆と同じく、間違っている。
また、今回の件で、遺体をイスラエル領に運び込んで、民間人か、ハマスの戦闘員か、ハマスの幹部か、ほかのイスラム聖戦の兵士か、確認していることがわかる。ハマスのメンバーをどれだけ殺せたかを確認するためだ。ハマスを壊滅するためには、民間人を何人殺してもかまわないというイスラエルの立場がにじみ出ている。
遺体だけでなく、降伏したパレスチナ人もイスラエル領に連れ去り、尋問している。人権が守られているか、私は疑う。
イスラエル政府は、イスラエル軍を感情のもたない冷酷な殺害マシンとして考えているのだろう。しかし、人間は感情をもっている。戦場に駆り出された兵士は、恐怖から誰かれを考えず、発砲してしまう。また、人を殺していくうちに、自分の中にあったモラルがはじけていく。
12月15日の読売新聞オンラインにつぎの記事がのった。
「イスラエル兵が(ガザの)商店の棚にある商品を周囲に投げつけ、棚を倒した。同僚の兵士からは笑い声が上がった。軍には予備役が多く、若い兵士らがふざけ半分で撮影した映像や画像をX(旧ツイッター)に投稿している。」
また、ヨルダン川西岸でも、イスラエル兵が、占領したモスク(イスラム教礼拝所)でユダヤの祭りの歌「ハヌカ」を歌ってXに投稿している。
イスラエルは軍事的に勝っているが、内側から腐り始めている。イスラエルは国際的支持を失いつつある。
日本人も、イスラエルのあやまちを「他山の石」として、増税してまでの軍備増強路線をただちに放棄すべきである。軍事路線に良いことはない。負ければ負けで惨めだが、勝てば勝てばで傲慢になってみんなの嫌われ者になる。