猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

プレディみかこの『ザ・レフト』『ワイルドサイドをほっつき歩け』

2020-07-07 15:33:00 | 思想


『花の命はノー・フューチャー』(筑摩文庫)を読んで、プレディみかこが大酒のみと知ってから、ちょっと興ざめして、しばらく彼女の本を読んでいなかった。

それが、ここ数日、妻の手もとにある本を読んで、『ザ・レフト─UK左翼セレブ列伝』(Pヴァイン)と『ワイルドサイドをほっつき歩け ――ハマータウンのおっさんたち』(筑摩書房)だが、ふたたび、彼女の視点の面白さにつかまった。

外国の人びとは、いま、何を考えているか、日本にいると、なかなか聞こえてこない。聞こえてくるのは、上流、中流の人びとのタテマエである。上流や中流のヒトは普通のヒトではない。

彼女の本は、視点が「下から」にあり、ブリテン島の普通のヒトの声が聞こえる気がする。カズオ・イシグロは、イギリス社会に同化し上流階級の忠実な しもべに なろうとしていて、保守性が鼻につく。
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私はもともとキリスト教のことを知らなかった。知識は、日本語訳聖書と高校のときの世界史の教科書からであった。高校の教科書によれば、「宗教革命」という項目で、カトリックが悪で、プロテスタントが進歩派となる。

『ザ・レフト』で、「ダニー・ボイル 神父になりたかった映画監督」という章を読んで、カトリックの神父も「お説教(speech)」をするのだとはじめて知った。「お説教」はプロテスタントだけと思いこんでいた。

映画監督ダニー・ボイルは、2012年のロンドン・オリンピックの開会式のショーを総合演出した。みかこは、ボイルの開会式ショーに、イギリス人ならわかるメッセージがあるという。ショーのなかで、NHSやGOSHという文字と共に、病院で働くひとびとと患者を見せているのは、福祉国家イギリスを世界に向かって誇っているのだという。その福祉国家を守ろうと訴えているという。

NHSは “National Health Service”のことで、国民への無料医療サービスである。労働党政権が1948年に始めた福祉政策の象徴である。2010年に発足した保守党政権はこれを縮小しようとしていたときであり、それに対する抗議のメッセージでもあると言う。GOSHは“Great Ormond Street Hospital”のロゴで、NHSを担う病院の1つである。

私は、オリンピックに興味がなく、ロンドン・オリンピックなんて見ていない。どちらかというと国旗を上げや国歌を歌うオリンピックなんてやめた方が良いという立場なので、こんなことがあったとは知らなかった。
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『ワイルドサイドをほっつき歩け』は、イギリスが国民投票でEU離脱を決めた2016年以降の、みかこのまわりの人々の日常を描いている。NHSなどの「ゆりかごから墓場まで」の福祉政策に固執する60代の「おっさんたち」の物語である。保守党政権に逆らうから「おっさんたち」は左翼である。

ところが、みかこはEU離脱に反対なのに、これらの60代の「おっさんたち」には2016年6月23日の国民投票で、EU離脱に賛成したものが多いと言う。EUがイギリスからお金を奪っているから、福祉政策が切り捨てられるとか、EUから移民が流れてくるから、イギリスの労働慣習が壊されるとか、の被害者意識が彼らにある。もちろん、事実のところもあるが、EUからの移民労働者を排除するという点で、自分たち(自国)第一主義である。

いっぽう、若者はグローバリズム、競争、効率、能力主義を支持すると、みかこは言う。彼らは「おっさんたち」の福祉への郷愁を怠け者のたわごととしか見ていない。

左翼の原点はやはり福祉にある。困っているもの、苦しんでいるものを助けるのが社会である。グローバリズムは、文化と文化の衝突によって何かが生まれることをいう。「おっさんたち」は、自分たちの価値観を主張するのでよい。若者たちも、競争、効率、能力主義が自分たちをより貧困に押し込めることに、いずれ気づく。

労働党は、移民を含めた「福祉」を訴えるのでよい。国際競争に「負けた」のは「福祉」政策のためでない。労働者の貧困化を各国が競って進めても意味がない。ますます、景気が落ち込む。国際的な貧困化競争をしなくても、国の経済を維持できる政治を行わないといけない。

ところで、60代になった「ハマータウンのおっさんたち」は、だんだん飲まなくなったようだ。私は、60歳になったとき、お酒をやめた。お酒は お金がかかる。自由のために、私はお金をつかわないことにした。そうすれば、お金のために、信条をまげることもない。私も、70代の頑固でケチな「ハマータウンのおっさん」である。

[補遺]
日本ではプロテスタント系の知識人が主流になったため、ルター派やカルヴァン派が「進歩的」という記述になった。そして、マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の主張を真に受ける人々がいる。

バートランド・ラッセルの『西洋哲学史』(みすず書房)を60代で読んで、カトリックもプロテスタントも同じ穴のムジナで、どっちもどっちと書いているのに腰がぬけた。

深井智明の『神学の起源』(教文社)を読んで、プロテスタントが南ヨーロッパに対する北ヨーロッパの文化的反乱とするのを読み、ラッセルもそう考えているのだと気づいた。

エーリック・フロムの『自由からの逃走』(東京創元社)を読むと、カルヴァン派には、人は生まれながらにして、神に愛されるもの、愛されないものがあるという信条がある。ドグマ『予定説』である。勤勉なものは生まれながらにして勤勉で神に愛されている証拠とされる。これが格差肯定、能力主義、そして、ナチスをドイツに生んだ背景であると、フロムは考える。

競争や効率や能力を肯定すると人間は孤独になり、転落におびえるしかない。差別を肯定するようになってしまう。仲間と連帯することがなくなる。

ユダヤ人のジークムント・フロイトがイギリスに亡命するのを助けたのは、オーストリアのカトリック教会である。これも知ってびっくりしたことである。


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