猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

受験する生徒の内申書を中学校は高校に送る必要があるのか

2022-03-07 22:36:02 | 教育を考える

3日前、朝日新聞の耕論は『内申書と「態度」の評価』であった。3人の論者とも内申書は要らない、子どものこころを抑え込むだけであると論じていた。

内申書に学業成績だけでなく、生徒の態度の評価が書かれるというのを、私は知らなかった。確かに、子どもを受けいれる高校側とすれば、面倒な子どもを受けいれるのは嫌だろう。内申書にこの子は先生の言うことを聞かない、と書いてあれば、高校側も二の足を踏むだろう。しかし、書かれていることは、本当に信頼に値するものだろうか。

私はNPOで不登校の子どもたちや個別級にいる「発達障害」の子どもたちのこころのケアと学習を担当している。これらの子どもたちには成績自体が中学校でつかないので、横浜市では、内申書に学業成績がつかず、普通の公立高校には、事実上、進学できない。お金があれば、私立高校にいく。お金がなければ、希望者の少ない、公立の定時制にいく。

幸いなことに、私のNPOから定時制に進学した子どもたちは、みんな勉強が好きになって、楽しい高校生活を送っている。定時制高校の先生が熱心に教えてくれるからのようだ。昔と違い、必要な単位が取れれば、3年で卒業でき、さらに大学に進学できる。

3人の論者と同じく、私も内申書はいらないと思う。高校側は内申書がなくても、入試と面接で選抜できる。内申書がなければ、不登校や個別級の生徒が、普通の公立高校に進学できる。

平川理恵が指摘するように、もともと、生徒の人格を忙しい先生が評価できるはずがない。そんな内申書の記述を高校側は信用するのだろうか。じっさいには、先生と生徒の保護者と高校との間に疑心暗鬼が生まれるだけではないか。公立高校側が内申書で選抜をしない、内申書を受け取らないと宣言すれば良いのではないか。

内申書をなくせば、塩崎義明の言うように、中学の先生の負担を減らせる。内申書は、先生が生徒を無理やり従わすための暴力であると指摘する。生徒にも先生にもよいことはない。

試験の成績だけで入学選抜を行うのが人道的でないなら、柳沢幸雄が言うように、内申書ではなく、推薦状を高校に送るのでも良いのではないか。推薦状は、内申書と違い、本人も中を読める。また、平川理恵が言うように、本人が高校側に自己アピールをするのでも良い。入学希望の本人がなかを読めない内申書って、薄気味悪い。

中学校は、入学が決まってから、高校側にその子に必要と思うケアを申し送れば、いいだけと思う。みんなが満足する落としどころではないか。



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