猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

上野千鶴子の入学式祝辞、弱者が強者になるのではなく

2019-04-15 11:04:00 | 思想


4月12日の東京大学学部入学式での上野千鶴子の祝辞がテレビで話題になっている。しかし、祝辞の「性差別」だけに焦点があたらならないように願いたい。

新入生は、受験勉強ばかりして、ちょっと「自己中」になっているのでは、という心配から、上野駅千鶴子は、わかりやすい、入試における「性差別」の問題からしゃべったのである。

祝辞の後半部に、彼女のだいじな主張があるのだ。
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《世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにも がんばれないひと、がんばりすぎて 心と体をこわした ひとたちがいます。がんばる前から、「しょせん おまえなんか」「どうせ わたしなんて」とがんばる意欲をくじかれる ひとたちもいます。》
《あなたたちの がんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。》
《強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。》
《フェミニズムは けっして女も男のように ふるまいたいとか、弱者が強者になりたい という思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。》
* * * * *
彼女は、決して、女性に、自分自身のために、総理大臣になれ、社長になれ、と言っているのではない。安倍晋三の「働きかた改革」とは異なるのだ。

放送大学で はじめて彼女の講義を聞いたとき、記憶に残った話に、なぜ、日本だけが、戦後、女性の社会進出が遅れたかの分析がある。

今回の祝辞でも出てきたが、戦後も親たちが、自分の娘が 社会と戦うより、いいところの坊ちゃんと結婚し、お手伝いさんに かしずかれて暮らすことを望んだから、とする分析である。日本の親の多くが、過去の身分差別社会を否定せず、性を這い上がりの手段に利用せよ、と考えていたからである。

媚びて這い上がるなんて、普通ありえない話である。シンデレラ願望である。私の知っている女親の多くは、スーパーやコンビニのレジで、時間給で、働いている。社会進出とは、普通の人にとって、時間を切り売りする労働者になることである。社会変革の意識こそ、だいじなのだ。

夏目漱石の小説を読んでいても、つまらない女しか出てこない。単に恋の駆け引きに、主人公の男が翻弄されるだけだ。自分たちの生きている世界について考えない、理想をもたない、女はつまらない。

そして、女と男とは対等なのが良い。対等なことから生まれる愛がすばらしい。

上野千鶴子も、次の祝辞では、「女と男が愛をはぐくむには」から、始めるのが面白い、と思う。


上野千鶴子の入学式祝辞の原文:
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html


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