猫じじいのブログ

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Go To キャンペーンで新型コロナ感染が急増しても景気は回復しない

2020-12-04 22:50:36 | 経済と政治

日本政府は、新型コロナ感染者の急増にもかかわらず、「Go Toキャンペーン」をやめようとしなかった。メディアも、経済との両立のため、「Go Toキャンペーン」そのものを非難してはいけないかのようにふるまった。おかしくないか。

キャンペーンをしてわざわざ人混みを作る必要はない。しかも、観光業と飲食業だけが経済ではない。農業、製造業、流通業が経済の骨幹ではないか。日本政府はおかしくないか。メディアもおかしくないか。

この日本政府の新型コロナ対策のおかしさは、この間の自民党政権の経済政策の無策さを表わしている。安倍政権には、観光振興しか、日本の成長戦略がなかったのだ。株価の高騰は金余りに加え政府資金や日銀資金で買い支えているからだ。そして、菅義偉は、安倍晋三の影響力をそぐため、「桜」疑惑の追及を行いながら、いっぽうで安倍政権の無策さぶりを引き継いでいる。

考えてみれば、新型コロナの流行の前に、世界的に不況が広がっていた。この不況は富みの集中が原因である。富の集中は、今日の経済体制では、市場の需要を縮小し、不況を生む。

その理由は簡単である。20世紀以降の経済は、大量生産・大量消費に支えられているからだ。富が金持ちに集中しても、買うのはヨットかスーパーカーか個人ジェットである。大量生産・大量消費の経済体制に、金持ちは貢献できないのである。

産業資本が生産設備に投資するのは、大量消費の市場があるからである。テレビや携帯が売れなければ困るのである。産業資本が投資しなければ、金融資本も金融先がなくなる。そうなると、金融資本は、金融商品をつくって小金持ちに売り出し、金融ギャンブル業になり下がるか、政府の借金、国債を買って、細かく分けて小金持ちに売るしかない。

2000年前後、外資系コンピューター会社にいた私は、アメリカ経済の勝ち組は金融ギャンブル業であるのを目撃した。しかし、リーマン・ショックは、それが無理筋であることを明らかにした。大量生産・大量消費の維持に、金融ギャンブルは何も貢献しなかった。金融ギャンブルは経済の波及効果がなかったからだ。

アメリカの産業資本は、その間、企業をグローバル化し、新興国に大量生産の設備を作り、労働者を雇い、大量消費の市場を作り出そうとした。しかし、それは、国内の労働者を貧しくし、アメリカ国内の大量消費の市場を縮小させた。貧しい労働者は中央政府の不信を強め、国民の分断、トランピズムを引き起こした。

日本経済も世界経済も、その再生は、富の再分配を行い、大量生産される商品の消費市場を作ることである。「Go To キャンペーン」で経済が再生できるというのは幻想である。


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