宇野重規の『民主主義とは何か』(講談社現代新書)のなかに、「執行権(行政権)」という言葉がでてくる。執行権とは、立法権が定めた法律などを個別の対象に執行する「権力」のことである。3権独立というときの立法権、司法権と並び立つ権力である。
宇野は、「執行権」というものに世の中の注目があたっていず、その権力が肥大化しているという。
実際、菅義偉は、首相になったらなんでもできると思っている。新型コロナ対策で、客に酒を提供する飲食店を、法律ではなく、金融機関や酒販売店を通じて圧力をかけようとした。世論の反発を受け、それは立ち消えになり、西村康稔大臣の勇み足ということになった。同じとき、新型コロナ対策として、高速道路の料金を一時的に1000円値上げした。どうして、菅内閣の一存でこれができるのだろうか。
「法令」という言葉がある。国会が制定する「法律」、地方自治体の議会が制定する「条例」に加えて、「執行権」の発する「命令」を合わせて「法令」という。執行権は、人々にこうしろ、ああしろと命令する権力をもっている。
執行権のもっている権力は巨大のものがある。「国民主権」「民主主義」と言いながら、「執行権」を通じて、一部の人びとが国民を支配できるのである。「代議制」とならび、問題を抱えている。
「執行権」というものを解体し、政府を国民のサービス機関にしないといけない。そのためには、3つの要点があると思う。
1つめは、行政組織自身を徹底的に民主的な組織に改編することである。上意下達ではなく、下から意思で動く組織にすることである。
2つめは、1つめと関連するが、地域のサービスに対応し分割した組織にすることである。中央は専門性の高い研究組織にし、地方の組織に情報を提供する。中央の組織は地方の組織に命令するのではなく、地方の組織へのサービス機関である。
3つめは、国民が行政組織の公正を監視できるよう、情報開示に応じることである。安倍政権が2013年に成立させた「特定秘密の保護に関する法律」を破棄することである。
「国益」とか「国家機密」とかいうものは、肥大化し強権化した政府を隠すもので、「国益」「国家機密」というものは存在しない。
「執行権」の対象となっている教育、警察、税務にとくに、改編が必要である。国民へのサービス機関が教科書検定を検定するのはオカシイ。保護者と教育担当者が協議して教材を選択するので十分である。全国の警察から機動隊を編成し、沖縄のデモを取り締まったり、首都防衛をはかるのはオカシイ。警察はアメリカのように住民が雇っている番人であるべきである。税務を政治的恫喝に使うのはオカシイ。ふるさと納税制度をやめ、地方交付税制度を透明化すべきだろう。