「高知ファンクラブ」 の連載記事集1

「高知ファンクラブ」に投稿された、続きもの・連載記事を集めているブログです。

金ちゃん工房・・・2011 木の「おひなさま」②糸ノコ作品 ・・糸ノコで作る「ひな飾り」

2011-03-17 | 金ちゃんの手づくり木工品コーナー

 

②糸ノコ作品 ・・糸ノコで作る「ひな飾り」

○糸ノコで作る「お雛様」の壁掛け

スギの板に糸ノコで切り抜き、絵の具で色付けして玄関などの壁にかけてみてはどうですか?。
ほか作品も 小学校の木工教室の見本です。

 

 

以上小枝などで作る「お雛様」を紹介しましたが、その他にもいろいろ小枝作品があります。ぜひ,見に来て下さい。
 小枝作品は、暖かくて手触りも良く、小枝などは簡単に手に入るしなんと言っても修理が簡単です。
皆さんも、小枝でいろいろな作品を作ってみてはどうですか?
 今年は、2011・国際森林年です。森に感謝しながら、私なりに森の恵みを大切にしながら木工に取り組んで行きたいと思います。

 

高知市宇津野20-172
金ちゃん工房
  088-822-2540

 

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金ちゃん工房・・・2011 木の「おひなさま」②糸ノコ作品 ・・糸ノコで作る「ひな飾り」

2011-03-17 | 金ちゃんの手づくり木工品コーナー

②糸ノコ作品 ・・糸ノコで作る「ひな飾り」

○糸ノコで作る「ひな飾り」

今回はじめて、お内裏様や飾り物を糸ノコで作ってみました。
小枝で作る雛もいいですが、糸ノコで作る雛飾りもいいですね。

 

この「ひな飾り」は、飾り終えた後、収納し持ち運びが出来るよう、カバン収納にしました。

  ○糸ノコと小枝で作る「ひな飾り」

 

小枝と糸ノコを合体させたらどうなるかと思い、今回作成してみました。

 

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金ちゃん工房・・・2011 木の「おひなさま」②糸ノコ作品 ・・糸ノコで作る「吊し飾り」

2011-03-17 | 金ちゃんの手づくり木工品コーナー

金ちゃん工房・・・2011 木の「おひなさま」②糸ノコ作品 ・・糸ノコで作る「吊し飾り」

 

②糸ノコ作品


  ○糸ノコで作る「吊し飾り」

この吊し飾りは「キリ」の木を糸ノコで切り抜いて作りました。
子や孫の初節句を待ちわびながら一針一針縫っていく親心の気持ちを重ねながらつくりました。

雛の吊し飾りの風習
   雛の吊し飾りの風習は、江戸時代後期の頃を発端に稲取地区(静岡県伊豆地方)の雛節句のお祝いの一環で、当地区に住む先人達により、稲取地区のみに手作りの愛の形として地域に土着し、稲取地区だけに限定し和み深く懐かしい地元の女性の和裁細工として粛々と平成の現在まで受け継がれてきました。
  
  雛の和細工さげ物の風習は、九州地区では「さげもん」、山形県酒田地区では「笠福」、静岡県伊豆稲取地区では「雛の吊し飾り」と呼ばれており、この3カ所のみが歴史的な伝承の由来や雛細工の文献等、吊し飾りの資料が現存します。
 
雛の吊し飾りの由来
  稲取地区での古老の話によると、江戸時代においては雛飾りを購入できるような裕福な家庭は希で、せめて雛飾りの代わりに愛する子供や孫のために手作りの雛飾りで初節句を祝おうという、切ない親心から生まれたのが稲取の雛の吊し飾りの発祥の由来と伝えられているそうです。

吊し飾り細工物
   吊し飾りの細工としていろいろな物を吊し、子や孫の初節句を待ちわびながら、一針一針縫っていく親心はいつの次代も変わらない物なのかもしれませんね。
 
  ○細工物の代表的な物
  「猿っ子」......さる(去る)にかけて厄介、災いが去るという意味
  「 柿 」......柿には滋養があり栄養もある「柿赤くなれば医者青くなる」というたとえ
  「 桃 」......桃には邪気を除くというたとえ
  「 巾着 」......総てのお金が我が娘のもとに集まって幸せが舞い込むようにとの親心のたとえ
  「うさぎ」......赤い目のうさぎは、病気を退治する力があったと信じられている
  「座布団」......「這えば立て、立てば歩め」の親心のたとえ
  「唐辛子」......可愛い娘に悪い虫が付かないようにとの願いが込められている

 

 

 

 

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金ちゃん工房・・・2011 木の「おひなさま」①小枝の作品 ・・・小枝で作る「やじろべーのひな人形」

2011-03-17 | 金ちゃんの手づくり木工品コーナー

木の「おひなさま」

雛人形の歴史
   ひな人形の歴史は、古代中国から伝わった「上巳(じょうし)の節句」の風習と、平安時代の貴族女児の「ひいなあそび」とが融合して生まれたようです。
 
   室町時代頃からは、ひとがたに似た人形を作って飾る習慣が生まれ、さらに江戸時代に入ると女性たちが「ひな人形」を飾って楽しく遊ぶ一日となり、後には誕生した女児の初節句を祝う日となったそうです。
 
   現在ひな人形は、七段一五人飾りなど、豪華な金襴衣裳の人形に唐草模様の道具を組み合わせたものなど何十万円もする「ひな人形」があります。


木で作る「ひな人形」
   私は森にたずさわって40年以上になります。森にはいろいろな種類の木が生育しています。
 
   この時期になると、毎年「木のひな人形」作りをしています。
 
   いままでに製作してきた「ひな人形」は ①小枝で作る「お雛様」や「立雛」「やじろべー雛」等があります。
   今年は②糸ノコを使った「おひな様」や「雛の吊し飾り」を製作しましたので紹介します。


 
①小枝の作品

○小枝で作る「やじろべーのひな人形」

この作品は、お店ではあまり見かけないひな人形です。
 風に吹かれてゆらりゆらりと揺れるお内裏様とドングリのバランス、台には、表面に光沢のあるサクラの枝を使っています。私の作品の中でも一番のお気に入りの作品です。

 

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金ちゃん工房・・・2011 木の「おひなさま」①小枝の作品 ・・小枝で作る「立雛」

2011-03-17 | 金ちゃんの手づくり木工品コーナー

木の「おひなさま」

雛人形の歴史


   ひな人形の歴史は、古代中国から伝わった「上巳(じょうし)の節句」の風習と、平安時代の貴族女児の「ひいなあそび」とが融合して生まれたようです。
 
   室町時代頃からは、ひとがたに似た人形を作って飾る習慣が生まれ、さらに江戸時代に入ると女性たちが「ひな人形」を飾って楽しく遊ぶ一日となり、後には誕生した女児の初節句を祝う日となったそうです。
 
   現在ひな人形は、七段一五人飾りなど、豪華な金襴衣裳の人形に唐草模様の道具を組み合わせたものなど何十万円もする「ひな人形」があります。


木で作る「ひな人形」


   私は森にたずさわって40年以上になります。森にはいろいろな種類の木が生育しています。
 
   この時期になると、毎年「木のひな人形」作りをしています。
 
   いままでに製作してきた「ひな人形」は ①小枝で作る「お雛様」や「立雛」「やじろべー雛」等があります。
   今年は②糸ノコを使った「おひな様」や「雛の吊し飾り」を製作しましたので紹介します。


 
①小枝の作品


 ○小枝で作る「立雛」

この作品も、主に「サクラ」の木を使っています。
                                     左の作品は、「エンジュ」の木の上にお内裏様が立っており、後方に紅梅を配置しシンプルにまとめてみました。

もう一つの作品も、「立雛」ですが、後方に白梅を配置し豪華にしてみました。

 

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金ちゃん工房・・・2011 木の「おひなさま」①小枝の作品 ・・小枝で作る「ひな人形」

2011-03-17 | 金ちゃんの手づくり木工品コーナー

木の「おひなさま」

雛人形の歴史
   ひな人形の歴史は、古代中国から伝わった「上巳(じょうし)の節句」の風習と、平安時代の貴族女児の「ひいなあそび」とが融合して生まれたようです。
 
   室町時代頃からは、ひとがたに似た人形を作って飾る習慣が生まれ、さらに江戸時代に入ると女性たちが「ひな人形」を飾って楽しく遊ぶ一日となり、後には誕生した女児の初節句を祝う日となったそうです。
 
   現在ひな人形は、七段一五人飾りなど、豪華な金襴衣裳の人形に唐草模様の道具を組み合わせたものなど何十万円もする「ひな人形」があります。


木で作る「ひな人形」
   私は森にたずさわって40年以上になります。森にはいろいろな種類の木が生育しています。
 
   この時期になると、毎年「木のひな人形」作りをしています。
 
   いままでに製作してきた「ひな人形」は ①小枝で作る「お雛様」や「立雛」「やじろべー雛」等があります。
   今年は②糸ノコを使った「おひな様」や「雛の吊し飾り」を製作しましたので紹介します。


 
①小枝の作品
  ○小枝で作る「ひな人形」


 この作品は、主に「サクラ」の枝で作りました。
 お内裏様の左右には、紅白の梅の木(サクラ)のみきを大きく花もたくさん付け豪華にしてみました。

   
 この作品も主に「サクラ」の小枝で作っています。
 お内裏様と、前には、三人官女、左右に梅の花と橘を配置しました。

 

この作品は、南国市立久礼田小学校5年生の森林教室や介良小学校の祭りの中で、木工教室の見本にした「小さなお雛様」です。 


    
この作品は、南国市立久礼田小学校5年生の森林教室や介良小学校の祭りの中で、木工教室の見本にした「小さなお雛様」です。

 

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金ちゃん工房 てんとう虫と花で綴る歳時記・・・3月 梅

2011-03-17 | 金ちゃんの手づくり木工品コーナー

金ちゃん工房 てんとう虫と花で綴る歳時記・・・3月 梅 

2011-111.jpg   

 

 

 

 

2011-112.jpg

 

 

                           3月 梅

 

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三郎さんの昔話 目次

2011-03-17 | 三郎さんの昔話

三郎さんの昔話 目次

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三郎さんの昔話・・・作者紹介

三郎さんの昔話・・・
三郎さんの昔話・・・
三郎さんの昔話・・・
三郎さんの昔話・・・
三郎さんの昔話・・・雷の子
三郎さんの昔話・・・もの言う地蔵さん
三郎さんの昔話・・・地獄の門(二)
三郎さんの昔話・・・地獄の門(一
三郎さんの昔話・・・家伝の名灸

三郎さんの昔話・・・嫁とり
三郎さんの昔話・・・はんこ(印鑑)
三郎さんの昔話・・・大蛇と万次
三郎さんの昔話・・・侍小平太
三郎さんの昔話・・・古狐おさん(二)
三郎さんの昔話・・・古狐おさん(一)
三郎さんの昔話・・・一つおぼえ
三郎さんの昔話・・・プップー兵太
三郎さんの昔話・・・立ちんぽ(いたどり)
三郎さんの昔話・・・浮姫物語(夢のお伽ばなし)
三郎さんの昔話・・・富美子
三郎さんの昔話・・・刀と数元さん
三郎さんの昔話・・・誕生(父)
三郎さんの昔話・・・誰が偉い
三郎さんの昔話・・・祖父母の思いで
三郎さんの昔話・・・昔の歌
三郎さんの昔話・・・数元さん(父)
三郎さんの昔話・・・神、神の談話
三郎さんの昔話・・・失敗と不注意
三郎さんの昔話・・・奇妙なお呪い
三郎さんの昔話・・・間引き
三郎さんの昔話・・・怪つり(かいつり)
三郎さんの昔話・・・安堵
三郎さんの昔話・・・めしと汁
三郎さんの昔話・・・みみず
三郎さんの昔話・・・へそ(臍)
三郎さんの昔話・・・にぎりは怖い
三郎さんの昔話・・・スッポン
三郎さんの昔話・・・お好さん
三郎さんの昔話・・・おどけた話
三郎さんの昔話・・・えぇこと金儲け
三郎さんの昔話・・・いかもの食い
三郎さんの昔話・・・はしょうぶ
三郎さんの昔話・・・のがま(野鎌)
三郎さんの昔話・・・昇天(母と子の問答)
三郎さんの昔話・・・氏より育ち
三郎さんの昔話・・・かぼちゃの子
三郎さんの昔話・・・言葉のあや
三郎さんの昔話・・・川入り(身投げ)
三郎さんの昔話・・・消防演習
三郎さんの昔話・・・田 役
三郎さんの昔話・・・霊が舞う
三郎さんの昔話・・・怒るおやじ
三郎さんの昔話・・・鉄砲鍛冶の忍術使い
三郎さんの昔話・・・三倉神社と投げ子
三郎さんの昔話・・・半蔵さんの話
三郎さんの昔話・・・栗本半蔵
三郎さんの昔話・・・士族かたぎ(堅気)
三郎さんの昔話・・・こっくりさん
三郎さんの昔話・・・代参詣で(三宮)
三郎さんの昔話・・・やっこさん(はやり仏)
三郎さんの昔話・・・霊 魂
三郎さんの昔話・・・飛行機
三郎さんの昔話・・・いさかい(争い、喧嘩)
三郎さんの昔話・・・遊 女
三郎さんの昔話・・・ちょんがり
三郎さんの昔話・・・野中兼山の昔話
三郎さんの昔話・・・幽霊の絵話
三郎さんの昔話・・・だれやの一杯
三郎さんの昔話・・・野の田の鍛冶屋(二)
三郎さんの昔話・・・野の田の鍛冶屋(一)
三郎さんの昔話・・・田舎の王様さん
三郎さんの昔話・・・怖い落雷
三郎さんの昔話・・・一言三文なり
三郎さんの昔話・・・狐の嫁入り
三郎さんの昔話・・・気ちがい
三郎さんの昔話・・・産 火
三郎さんの昔話・・・よばい(夜這い)
三郎さんの昔話・・・狼と猪
三郎さんの昔話・・・卯ヱ門さん 余談
三郎さんの昔話・・・卯ヱ門さんと狼(二)
三郎さんの昔話・・・卯ヱ門さんと狼(一)
三郎さんの昔話・・・豪傑卯ヱ門さん

三郎さんの昔話・・・怖い(首吊り)
三郎さんの昔話・・・火 玉
三郎さんの昔話・・・怖いこと、昔も今も
三郎さんの昔話・・・天狗とおまん
三郎さんの昔話・・・おかみ(神)さん
三郎さんの昔話・・・小吉と小鳩
三郎さんの昔話・・・山姥
三郎さんの昔話・・・嫁かつぎ
三郎さんの昔話・・・犬神の話し
三郎さんの昔話・・・犬神付き
三郎さんの昔話・・・花嫁おばけ
三郎さんの昔話・・・大六と弁当

三郎さんの昔話・・・作者紹介


三郎さんの昔話 目次

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「高知ファンクラブ」での 連載もの 


三郎さんの昔話・・・雷の子

2011-03-17 | 三郎さんの昔話

                                                 雷の子

 ある村里から隣村へ越すに小高い小山は峠の山道である。
村里から少し離れた峠に近い道ぶちに小屋が一軒あり、そこに住む住人は三十五才になる喜助とゆうきこり(薪を切ったり炭木を焼く山師)と二十八才になる好とゆう若い夫婦が仲良くひっそりと暮らしていたが、夫婦になって十年も日がたつに子供がなく子宝を望んでいたがなかなかに出来なかった。

梅雨明けも近いある日のこと、おなか大きい夫人の旅人がこの峠道を歩いていた。
この時、天にわかに掻き曇り大つぶの雨がざわさわと降りだし遠くに雷をまじえて雨は降り止まず、旅の夫人は何処か雨やどりをと見回すと道端に小屋がある、駆け寄って雨やどりを願うと、家にいた好か「えらいさだちじゃのぅ、ここへ腰を下ろし、やまして行き」と言いながら番茶を入れてくれた。夫人は頭をさげ番茶を静かに飲んでいた、その時、雷が近づいて来たのか、すぐ近くの空でゴロゴローをドドンドンと小屋を揺るがし、家から少し離れた杉の大木に落雷した。

その雷鳴の大きかったこと、好も旅の夫人も身震いした。
その雷鳴の異常なショックに腹太の夫人が急に腹が痛みだした臨月の陣痛である。
好はあわてて夫人をむしろ敷の座敷に入れ腹をさすったり介抱する。
その内に喜助が帰って来た、この様子を見て「どうしたがぞ」と好は「大変じゃ旅人が雨やどりに寄ったら、さっきの大雷で腹が急に痛うなって子ができゆうが」、「そりゃおうごとじゃ」、
「早ぅ湯を沸かしちょいて」と喜助は「おう」と答えて竈へ、産婦はウンウンと息んではハァハァと息を吐いては又息むが母体が衰弱しているのと難産で夜になって子どもがやっと産まれた。

産まれた子どもは丸々と太ったりりしい男の子であった。
母親は衰弱に難産の苦痛で出血が止まらず弱り息もたえだえで、枕もとで見守ってくれている喜助と好に「この子のてて親は真面目で丈夫な働き者でしたが、この子を身籠もって間もなく、ふとしたはやり病で急死しました。亭主には身寄りがなく、窮して私は遠縁を頼って行く途中でした。図らずもお宅にご迷惑をお掛けし色々とお世話になりました。
ほんとうに有り難うございます。私の体はもうつきました、お見かけするにお家にはお子さんがいない、この子の親になってお育て下さい、私は野辺からこの子が立派な人になるよう見守っております。」と言って息絶えた。

喜助、好の夫婦は子どもを授かった嬉しさと、この母親の不幸を哀れみ、翌日に落雷のあまった大杉のそばの近くに穴を掘り仮埋葬し子どもの守り神として山石を立てた。
子どもの名前は落雷に驚き産まれた子じゃきに雷太と名付けて育てることにした。

 さて、産まれだちの赤子を育てるのは大変、玄米をいって粉にひき湯でまぜて乳糖をつくって飲ませたり、村里に乳飲子の母をたずねて、もらい乳して、一生懸命だいじにしてふとらした。
夫婦の愛情とかわいがりで、すくすくと元気に育つ、喜助はきこりの生で、山うさぎやきじ小鳥など輪差を掛けて捕獲する技を心得ていて、うさぎや鳥など捕ってきては雷太に食べさした。

十年程たつと雷太は並の子どもよりも身体はぐんと大きく力強く優しいえい子どもになり、父親の薪切りや炭焼きの手伝いもし、薪や炭も背負うたり担って山裾の里の家々を回って売り歩き、父母の手助けをよくする孝行者の元気な怪童であり、里の人々から褒められ噂されていました。それから三年の月日がたった、雷太十三才になった、身体は大人よりもずんと大きく筋肉たくましく、父母の仕事の手伝いも良くできて、喜助、好の渡世もよくなった。

その年の秋のこと隣の町に大相撲の興行があり、親子三人で見物に出かけて、もの珍しく見入っていたら、里から見にきていた人々から雷太の怪童に相撲を取らしてみたらと話がもち上がり、興行師に話したら、よしと言うことで、雷太をすすめて土俵に上げた、下っぱの弟子から組んだが、雷太はぴらぴらと四、五人投げ飛ばしたりぶち付けた。
観衆の手が鳴り歓声が上がった。これを見ていた相撲の親方が、この子は見込みがあると、相撲の取り組みが終えると、親方が喜助ら夫婦を呼び止めて相談に係った。喜助夫婦はこの子は家の手伝いをする大切なえい子じゃけと断ったが、親方はこの子は見込みがある三、四年仕込んだら立派な相撲取りになる。

そしたら親孝行をさすけ、少しの辛抱じゃと言いくるめられ喜助夫婦も雷太が出世できるなら、自分等はまだ若い五、六年は元気で働けると腹を決めて、相撲の親方に預けることにした。
 それから五年の歳月が過ぎた。村里に毎年やって来る薬売りの噂によると、今、江戸で雷伝と言う強い相撲取りがいて負けを知らずの大人気じゃとのこと。

その後の雷太は弟子入りしてからは技子名も雷伝と名乗り、熱心に稽古に励み、持ち前の体躯と腕力を活かして相撲に取り組み負けることなく大関に出世し、賞金や花(祝儀)を稼ぎ大金を里山の父母に送り付けてきた。喜助と好はその金で家も新築し、次々の送金で孝行息子の雷太に感謝し、健在を祈りつつ、老後を気楽に過ごすことができた、と。

◎関取 雷伝為ヱ門の伝説、人助けは他人のためだけでない。

 

 

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