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へんろ道高知ファンクラブ

四国八十八箇所へんろ道等が、世界遺産として登録されるように、多くの団体等と連携して実現を図る。

栄ちゃんの四国霊場巡り・・・42霊場 仏木寺(ぶつもくじ)

2011年11月23日 | 徳島・愛媛・香川のお寺と道

栄ちゃんの四国霊場巡り・・・42霊場 仏木寺(ぶつもくじ)

 

 (四国42霊場 仏木寺(ぶつもくじ)09/11/27)

 

 

 

 

 

 

 

 

 (四国42霊場 仏木寺(ぶつもくじ)09/11/27)

 

出典:四国ネット・・・42霊場 仏木寺(ぶつもくじ)

仁王門があり、石段を登ると鐘楼、左の奥まったところに本堂、大師堂がある。本堂左手にはかつての通夜堂がある。

 縁起によれば、大同二年、この地を巡錫していた大師は、牛をひいていた老翁に出会いすすめられるままにこの牛にのった。すると近くの楠の杖に一つの宝珠がかかっているのを発見した。

この宝珠は大師が唐におられるとき、有縁の地を選ばれるようにと、三鈷とともに東へ向けて投げた宝珠であった。大師はこの地こそ霊地と直感し、楠で大日如来を刻み、その尊像のマユの間に宝珠を納めて本尊とし、堂宇を建立して一 山仏木寺とした。

その後牛馬安全の守り仏むして信仰をあつめた。宗尊親王の護持仏や西園寺氏の祈祷ならびに菩提所となったこともあり、慶安以降は藩主の保護によって伽藍は再建された。 

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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・41霊場 龍光寺(りゅうこうじ)

2011年11月23日 | 徳島・愛媛・香川のお寺と道

栄ちゃんの四国霊場巡り・・・41霊場 龍光寺(りゅうこうじ)

 

 (四国41霊場 龍光寺(りゅうこうじ)09/11/27)

 

 

 

 (四国41霊場 龍光寺(りゅうこうじ)09/11/27)

 

 

出典:四国ネット・・・41霊場 龍光寺(りゅうこうじ)

 南伊予路をたどる。山の傾斜は急で海へせり出し、海面はおだやかで大小の島が浮び美しい。宇和島から約十㌔ほどで三間平野に出る。寺は三間平野を見下す小高い山の上にあり、山上に諸堂が建ち並んでいる。

縁起によれば、大同二年二月初午の日、弘法大師がこの地へ巡錫すると、白髪の老翁に導かれた。そこで大師はこの地が霊場であることを悟り、その尊像を刻み、堂宇を建てて安置し、稲荷山龍光寺と号し、四国霊場の総鎮守とされた。

 その後人々から稲荷寺として信仰され、明治の廃仏毀釈で旧本堂は稲荷社となり、これまで稲荷の本地仏であった十一面観世音が本尊となった。


 いまも参道入口に鳥居があり、正面石段を登りつめたところが稲荷社で、本堂は参道途中の左手に、大師堂は右手にある。地元の人からは「三間の稲荷さん」と親しまれ、商売繁昌や開運出世を願う人が多いという。 

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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・40霊場 観自在寺(かんじざいじ)

2011年11月23日 | 徳島・愛媛・香川のお寺と道

栄ちゃんの四国霊場巡り・・・40霊場 観自在寺(かんじざいじ) 

 (四国40霊場 観自在寺(かんじざいじ)09/11/27)

 

 

 

 

 (四国40霊場 観自在寺(かんじざいじ)09/11/27)

 

出典:四国ネット・・・40霊場 観自在寺(かんじざいじ)

一本松、城辺から昔青蓮院の荘園だったという御荘の町へ。平城はこの町中にあり、観自在寺がある。
 大同二年、平城天皇の勅願所として弘法大師によって開創され、後に平城天皇は落髪し弘仁十二年には弘法大師から潅頂を授けられた。大師は一木に本尊薬師如来、脇仏阿弥陀如来、十一面観世音の三体を刻まれ、残りの霊木で舟形の南無阿弥陀仏の名号を刻まれた。この宝判は、大師が諸人の病根を除くことを祈願したものといわれ、現在もこの宝判でおかげをうけた人が多く、唖や盲目や心臓病が治ったという。昔は七堂伽藍が整い、四十八坊の末寺を有したが、その後火災で灰燼に帰し、延宝六年(一六七八)に再建されたが、昭和三十四年の失火で本堂が焼失し、現存の本堂はその後の建立。平城天皇の御陵に五輪塔があり「春の夜の籠人ゆかし堂のすみ」と記した芭蕉の句碑がある。 

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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・39霊場  延光寺(えんこうじ)

2011年11月23日 | 携帯からの記事

栄ちゃんの四国霊場巡り・・・39霊場  延光寺(えんこうじ)

 (四国39霊場  延光寺(えんこうじ)09/10/19) 

 (四国39霊場  延光寺(えんこうじ)09/10/19) 

 

 

 

 

 

 (四国39霊場  延光寺(えんこうじ)09/10/19) 

出典:四国ネット・・・39霊場  延光寺(えんこうじ)

 時代の流れで昔風の遍路宿がなくなってゆくが、いまなを旧来の姿をとどめているのが若松屋。洗濯したてのきれいなカバーをつけた夜具を廊下に積み、遍路とみれば声をかける。若松屋は三代もつづく遍路宿で、主人の小林等さんが気持よく接待してくれる。
 寺の山門を入れば、本堂、大師堂がある。 神亀元年(七二四)聖武天皇の勅命で行基菩薩が薬師如来を刻み本尊として安置し、堂塔を建立したのがはじまりという。
 延暦十四年(七九五)には弘法大師がしばらく留まり、桓武天皇の勅願所として再興し、脇仏を安置して堂塔を整備し、霊水を湧かせて宝医水と名づけられた。一方、境内の池に棲んでいた赤亀が竜宮から鐘を背負ってきたと伝える鐘には延喜十一年(九一一)の年号が刻まれ、国の重要文化財になっている。納経朱印も亀。
 十六ヵ所の修行の霊場を打ち終え、これから裏関所の観自荘寺へとたどることになる。 
 

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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・38場 金剛福寺(こんごうふくじ)

2011年10月27日 | 第38番 金 剛 福 寺

栄ちゃんの四国霊場巡り・・・38場 金剛福寺(こんごうふくじ)

 (四国38場 金剛福寺(こんごうふくじ)  09/10/19)

 

 

 

 

 

 

 

 

出典:四国ネット・・・38場 金剛福寺(こんごうふくじ)

岩本寺から足摺岬へはへんろ道の中でもっとも長く、約百十㌔、歩いて三泊四日ほどかかる。

土佐の京都といわれる中村より四万十川を渡り、伊豆田峠を越え下ノ加江より以布利へ、ここから土佐清水を経て海沿いに窪津、稲荷崎、足摺岬へ。岬の突端に近づくと急激に海へ迫る。アコウや天然のツバキ林を抜ければ、十二万平方㍍の広大な境内に本堂をはじめ諸堂が点在する。

 弘仁年間に弘法大師はこの地を巡錫して千手観世音を感得し、日本の最南端に位置することから観世音の理想の世界(補陀洛法界)の地として朝廷へ奏聞し、嵯峨天皇より「補陀洛東門」の勅額を賜り、弘仁十三年、伽藍を建立し、千手観世音を安置した。(山号を蹉跎山に改めたのは金峰上人が住職のとき天魔を蹉跎して退かせたからという)

 岬の突端に立つと、紺青の海原が無限にひろがる。ここには弘法大師の七不思議の伝説がいまなお生きつづけている。

  

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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・37霊場 岩本寺(いわもとじ) 

2011年10月20日 | 携帯からの記事

栄ちゃんの四国霊場巡り・・・37霊場 岩本寺(いわもとじ)

 

 

 

 

 

 

出典:四国ネット・・・37霊場 岩本寺(いわもとじ)

 かつては福円満寺といい、行基菩薩の開基で、聖武天皇の勅を奉じ、仁井田明神のかたわらに建立された。仁王経の七福即生の文にもとづいて、天の七星をかたどつてさらに六ヵ寺を建てて、仁井田七福寺とも称した。

弘仁のころ、弘法大師が巡錫し、五社、五ヵ寺を増築し、本地仏のご本尊である不動明王、観世音菩薩、阿弥陀如来、薬師如来、地蔵菩薩の五体を安置し、自ら星供秘法を修し、藤井寺五徳智院と号された。

中世のころ兵火で焼失し、ときの釈長僧都が再興し、寺名を岩本坊(寺)に改めた。明治に入り廃寺となるが、同二十二年に再興されている。本堂には五体の本尊が安置され、なかでも観世音菩薩は、昔貧しい狩人の願いをきき入れて長者にさせたことから「福観音」とよばれ、その時狩人の身代りになった地蔵菩薩を「矢負の地蔵」とよんで信仰されている。

七不思議の伝説もある。窪川は三つの峠を越えた高原(海抜三百二十㍍)の町。寺は町の奥まった所にある。

 

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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・36霊場 青龍寺(しょうりゅうじ) 

2011年10月19日 | 第36番 青  龍  寺

栄ちゃんの四国霊場巡り・・・36霊場 青龍寺(しょうりゅうじ) 

(四国36霊場 青龍寺(しょうりゅうじ)  09/09/16)

 

 

(四国36霊場 青龍寺(しょうりゅうじ)  09/09/16)

(四国36霊場 青龍寺(しょうりゅうじ)  09/09/16)

 

 

 

 

 

(四国36霊場 青龍寺(しょうりゅうじ)  09/09/16)

 

出典:四国ネット・・・36霊場 青龍寺(しょうりゅうじ)

宇佐の渡し(龍ノ渡シ)は、弘法大師が八人の供を残し、その子孫がこの渡しを近年まで守りつづけてきた。しかし宇佐大橋が開通してこの渡しはなくなった。

 昔の遍路はいくつもの川や海を越えたが、その多くは渡し舟を利用した。ところが橋がかかり、海岸線に道路が開通するにおよんで渡し舟は姿を消してゆくのである。

弘法大師は中国留学中、青龍寺の恵果阿闍梨について学ばれたが、帰国にあたって師の恩に報いるために有縁の勝地を選ばれるようにと、明州から東に向かって独鈷杵を投げられた。独鈷杵は東方に飛び、やがてこの地の山上にある松に止まった。

帰国した大師はこの地へ巡錫して独鈷杵を感得し、弘仁六年(八一五)嵯峨天皇に奏聞して一宇を建て、自刻の浪切不動を安置し、恩師を慕って寺名を青龍寺とした。仁王門を入ると滝があり、行場になっている。百二十段余りの石段を登りつめたところが本堂。海上安全を祈る漁民の多くの絵馬が納められている。 

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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・35霊場 清滝寺(きよたきじ)

2011年04月16日 | 第35番 清  滝  寺

栄ちゃんの四国霊場巡り・・・35霊場 清滝寺(きよたきじ) 

 

(四国35霊場 清滝寺(きよたきじ) 09/09/16)

 

(四国35霊場 清滝寺(きよたきじ) 09/09/16)

 

 

(四国35霊場 清滝寺(きよたきじ) 09/09/16)

 

 

(四国35霊場 清滝寺(きよたきじ) 09/09/16)

 

 

出典:四国ネット・・・四国35霊場 清滝寺(きよたきじ)

土佐の町から西へ向うと前方に山々が立ちはだかる。
 山麓の農家には土佐の手漉和紙の原料楮がみられ、急坂を約八百㍍ほど登った山(海抜四百㍍)の中腹に清滝寺がある。

この境内の一角に「いらずの山」と称し、誰人も近づかない所がある。そこに弘法大師の十大弟子に数えられる真如の建てた逆修の塔がある。真如は入唐後さらにインドへの求道の旅をつづけ、途中不慮の死を遂げた。

おい茂った樹木の中に、真如の熱烈な魂は今なお生きつづけている。縁起によれば、養老七年(七二三)行基菩薩がご本尊薬師如来を刻み、寺を開別し、景山密院繹木寺とした。

弘仁年間に弘法大師が巡錫し、山中で一七日の間修法され、満願の日に金剛杖で前の壇を突くと清水が湧き出て鏡のような池になった。そこで医王山鏡池院清滝寺に改め、霊場としたという。

 おかげをうけた人の感謝の奉納額、松葉杖、ギプスなどが本堂に奉納されている。

 

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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・34霊場 種間寺(たねまじ) 

2011年04月16日 | 第34番 種  間  寺

栄ちゃんの四国霊場巡り・・・34霊場 種間寺(たねまじ) 

(四国34霊場 種間寺(たねまじ) 09/09/16)

(四国34霊場 種間寺(たねまじ) 09/09/16)

(四国34霊場 種間寺(たねまじ) 09/09/16)

(四国34霊場 種間寺(たねまじ) 09/09/16)

(四国34霊場 種間寺(たねまじ) 09/09/16) 

出典:四国ネット・・・四国34霊場 種間寺(たねまじ)

吾南平野の米とそ莱どころで知られるだけに、田園の用水に沿ってへんろ通がつけられている。田園の中に地蔵堂、本坊、持仏堂、大師堂、観音堂、本堂があり、それに相対して石仏が並ぶ。観光客とは無縁なだけに静かな札所。

 敏達天皇の六年(五七七)四天王寺造営のために来日した百済の仏師寺匠が、帰国の途中、暴風雨におそわれて避難しようと秋山の郷に寄港した。そして海上安全を祈って刻んだのが薬師如来で、本尾山の頂きに安置された。やがて弘法大師がこの地へ巡錫し、薬師如来をご本尊として寺を開創され、中国から持ち帰った五穀の種子をまかれた。種間寺の寺名はこれに由来する。

ご本尊は安産の薬師として信仰され、妊婦は柄杓を持参して祈願する。寺ではその柄杓の底を抜き、三日の間ご本尊に祈祷してお札とともにかえし、それを妊婦は床の間にまつり、安産すれば柄杓を寺へ納めるという。

 

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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・33霊場 雪蹊寺(せっけいじ) 

2011年03月27日 | 第33番 雪  蹊  寺

栄ちゃんの四国霊場巡り・・・33霊場 雪蹊寺(せっけいじ) 

    (四国33霊場 雪蹊寺(せっけいじ)  09/09/16)

    (四国33霊場 雪蹊寺(せっけいじ)  09/09/16)

    (四国33霊場 雪蹊寺(せっけいじ)  09/09/16)

    (四国33霊場 雪蹊寺(せっけいじ)  09/09/16)

    (四国33霊場 雪蹊寺(せっけいじ)  09/09/16)

    (四国33霊場 雪蹊寺(せっけいじ)  09/09/16)

 

 

出典:四国ネット・・・四国33霊場 雪蹊寺(せっけいじ)

昔の遍路は種崎から長浜へ船で渡ったが、今は浦戸大橋ができて便利になった。長浜は長曽我部元親の城下町としてひらけたところで、町を抜けると秦神社があり、祭神に元親の像がまつられている。この神社の隣りに雪蹊寺がある。

延暦年間に弘法大師によって開創され、当初少林山高福寺と称し、その後運慶、湛慶のゆかりで慶運寺に改めた。石柱の門を入れば観音堂、鐘楼、大師堂、本堂がある。

ご本尊は薬師如来。脇他は日光・月光菩薩、いずれも運慶晩年の作。毘沙門天と脇仏の吉祥天女、善賦師童子は運慶の子湛慶の作。寺歴をたどると後に寺は荒廃し、月峰和尚が元親に依頼されて寺を再興し、元親の死後その菩提寺となり、元親の法号にちなみ、雪蹊寺となった。

明治以後は大玄和尚が再興された。三島龍沢寺の今はなき山本玄峰師は、若い頃失明に近い眼病にかかり、その回復を祈願し素足で七回目の遍路中、大玄和尚と出会い「心眼をひらけ」の一言で出家したという。

 

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