「高知ファンクラブ」 の連載記事集1

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三郎さんの昔話・・・野の田の鍛冶屋(一)

2010-11-25 | 三郎さんの昔話

野の田の鍛冶屋(一)

 野の田の鍛冶屋の正義さんは、まっことよう働く働きもんじゃ。
 朝も早ようから午前二時三時から、弟子の重利を相手に、近所の人が寝静まっちゅう夜中の静けさを破って、チンカン、チンカン、トンと威勢のいい鎚音を、近所一杯にひびかせる。
 寝入りを覚まされて調子のいいチンカン、チンカン、チンカン、トンの金打つ音は、歯切れが良うて何時ともなしにチンカン、チンカン、トンと大人寝つけの子守歌となる。
 冬の鍛冶屋は子供らにとって学校の行き帰り、遊びの間に暖をとるに恰好の場であった。
 松炭を小さく角切りにし、それで大きな火を起こし、その火の中に鍬に打つ鉄を突っ込んで大きなふいごを、横座の穴に腿から下を入れ腰を掛けた師匠が竿きせるで煙草をスッパスッパと吸いながら、左手でふいご棒をスゥーと引きズゥーと押すと、ふいごの風穴がパクッと小さな音がして、炭火がボォーボォーといこる。
 離れて見ていても暖かい。そのうちに鉄が真っ赤に焼けると、師匠は四十センチ程の金挟みで焼けた鉄を挟んで金床(鉄を鍛える台)の上に乗せ、右手の小鎚でここ打てとチンと打つ。
 弟子は右足を前に腰を少しかがめて大きな鎚で、師匠の打った後をカンと打つ。火花がパッと散る。
 チンカン、チンカン、チンカンと調子良く十回あまり続いて、師匠が金床をトンと打つと、弟子の向こう打ちが打つのをやめる。
 冷めた打ち掛けの鉄を火の中に突っ込む。ふいごを吹いて鉄を焼く。
 そしてまた、チンカン、チンカン、チンカン、トンと鉄の鍛えを何回も何回も繰り返して、やがて立派な鍬が汗と共に出来上がる。
 鍛冶屋の師匠の正義さんはええ職人で鍬打ちも上手、蹄鉄打ちも上手で仕事が手に余って働きづめ、一緒にやる弟子の重利さんもしょうたまらんぜよのう。
 蹄鉄打つ日は決めていたのかはっきりとは知らないが、日によっては駄馬が押し掛けてヒヒン、ヒヒンと鳴き合うて、蹄鉄打ちが忙しかった。
 蹄鉄打ちは六畳程の低い板座の上に馬を乗せ、手綱を両方に引いて馬をつなぎ、師匠が左すね立てで馬の足を曲げてその上に乗せ、分厚い小鎌で馬の爪を削ってならす。
 前もって作った蹄鉄を合わしてみて、その上で焼いて打ち直し、冷え切らない金靴を馬の爪に当てる。ジューと煙をあげてくする。その爪焼けの臭いこと。
 煙をブゥーブゥーと吹きながら、爪と金靴の合い具合を見ては、鉄を打ち直してちょうどに合ってから本打ちになり、頭から先細りの蹄鉄釘を、爪に金靴を添えて釘を六、七本打ち、釘の先が爪の外に出た少しの分を折り曲げて、荒い鑢(やすり)でジャージャーとこすって一足出来上がり。馬一頭の蹄鉄打ちは一時間余りかかる。
 馬によっては暴れるのもあり、柵の中に入れて縛りつけてやっと金靴を打つ厄介な馬もいた。
 この鍛冶屋の正義さんは子供も多かったが、なにせよう働いた。休みいうたら盆正月に神祭、ふいご様、それに子供が出来た一週間は休むが、その他の日々は降っても照っても、朝も暗い内から日の暮れる晩までチンカン、トンカン、チンカン、トンカンと野の田に鍛冶屋の鎚音の聞こえぬ日はないという程、よく働くえい人じゃったが、働き過ぎで風邪が元で火がはいって熱出て肺炎になり、短い患いでちょっこり死んだ。
 働き盛りで年は四十二歳の若さで、ふた親に嫁はん、小さい子供六人も残して。
 嶺北東西に知れた上手な鍛冶屋、正義さんの鍬打つチンカン、トンカン、チンカン、トンと威勢のいい鎚音、野の田の鍛冶屋の火が消えて、近所隣の寂しいこと。

注・・「野の田」は本山町内の一部の小字。

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