「高知ファンクラブ」 の連載記事集1

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三郎さんの昔話・・・めしと汁

2010-11-26 | 三郎さんの昔話

めしと汁

 経済大国になって、今は豊かな食生活の時代。いたる所にスーパーがあり、食品は店に溢れて豊満そのもので、食べたいものはいつでも食べ尽くして、特にこれを食べたいと思うものがなくなった。
 それに専業主婦も減って共働きの家庭が多くなり、今夜はレストランで御馳走食べてこうと、気軽に家族が出掛ける結構な時代になった今頃、昔の貧しい食生活の恥じさらしを少し書いてみた。
 昔、小学一年生に上がるのは数え年八才(満七才)であったが、年づよ(早生まれ、満六才)で行く者もあった。
 私は年づよの方で小学生になったので、分がたたなかったので、朝の食事や準備に母が一、二年はいろいろと世話をやいてくれて事欠がなかったが、三年生になってからは毎日遅刻で、一時間目の修身は済み、二時間目の算数のしまい頃か三時間目で、その授業中立ちらかされた。まことに恥ずかしいこと。
 なぜ学校に遅れたか。その理由は父の仕事(田畑、山林の仲介業、骨董品売買、金の貸し借りの仲立)の関係で、主に昼から夜にかけての用事で、毎晩夜ざれをこいて朝は十時過ぎにならんと起きん。母も遅い帰りを待ったり、伽をして共にするので朝は遅かった。
 まくら時計も無い。ふた親は起こしてくれんので一人で起きて、冷飯に昨夜の食べ残りのおかずをさがして食って、やっと学校へ行ったら遅刻の始末。四年生になると少し分が立ちだして遅刻がやまった。
青年期になって報徳読本(二宮尊徳)を読んで感銘した。なかでも「めしと汁、木綿着物は身を助く、其の餘は我をせむるのみなり」。これだけは是非とも嫁さん貰うたら実行すると決めた。
 私が家内を貰ったとき、次の弟は職人奉公に出て居なかったが、三、四番目の弟は小学生で、下の弟は学校前で、小さな家に七人の大家族。貧乏家に嫁に来た家内は大難儀、三種の神器の無い時代、炊事(かまどに薪をくべて火吹竹ブウブウ吹いてご飯炊き、七輪に炭をうちわでパコパコあおいで茶沸かし、お汁たき)、洗濯は衣類に石鹸つけてたらいに洗い板でゴシゴシ。
 朝は早うから朝食の準備して、弟らを起こし食べさし学校にやる。長男ができると背なにおんぶして、やりつめてくれた。家内はほんとによくやってくれた。
 家内が来てからの朝食には、毎朝かかさず、めしに汁(豆腐の味噌汁)で、弟等は私の小さい時のような苦労が無くなった。
 私が家内を貰って五十余年間、正月の朝のおぞうに以外は年から年中、ひと朝もかがすことなく味噌汁を食べる。この習慣は弟等と四人の子供らにひとりでに伝授されて、北村家の朝食はどこも味噌汁である。

◎とっと前の話、アメリカ人がオリンピックで日本人の活躍に驚嘆し、「日本人は牛肉も食わんのに、何を食ってあんなに元気ながと不思議で研究したら、たまるか大豆の味噌に大豆の豆腐で味噌汁食いよる。ありゃ日本の牛肉じゃ」とびっくりしたわ。

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