羽迫博己さんの、土佐人の銅像・・・飛翔の像
飛翔の像
文久2年3月、高知城下をあとにした坂本龍馬と沢村惣之丞
(関雄之助)の脱藩ルートは、梼原の宮野々関から
九十九曲峠を越え、城川町土居を経て、宇和島・長浜
方面から、長州へ渡ったとされている。
~新しい脱藩ルートの確認~
宮野々関~韮ヶ峠~野村町~河辺村~五十崎町~
大洲~長浜~長州
平成9年4月、龍馬と惣之丞、道案内をした那須俊平の
群像建立計画が持ち上がり実現した。
除 幕: 平成10年7月16日
題 字: 飛翔の像
規 模: 本体~2,35 ㍍、台座~2,3 ㍍
総高~4,65 ㍍
事業費: 1163万円
顕彰碑
新しい時代の予感が28歳の龍馬の心をとらえた。
脱藩という大罪を犯して、大望のために土佐を捨て、
河辺村榎ヶ峠に至ったのは、文久2年3月26日。
近代日本の誕生に命を賭けた龍馬の旅は、
ここ河辺村から始まった。
この坂本龍馬脱藩の道は、平成8月11月1日に文化庁
の「歴史の道百選」に選定された。
私たち河辺村民は、この道を文化遺産として大切に
保管することを誓い、ここに龍馬、総之丞、俊平の
顕彰碑「飛翔の像」を建立する。