「高知ファンクラブ」 の連載記事集1

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三郎さんの昔話・・・代参詣で(三宮)

2010-11-25 | 三郎さんの昔話

代参詣で(三宮)

 昔は今のように生活も医学も総てが進んでいなく、暮らしは総体に貧しかった。そのせいでか、誰か病気になって病が重くなると、しかたなくお医者さんにも掛かって毎日往診を受け、薬も貰って飲むが良くならん。しだいに病気がつのって危篤状態になる。さあ、いかん、みんなで三宮社に代参参りをして治してもらわにゃいかん、と神詣でとなる。
 与助は弟もんで家督もなく、その日稼ぎで女房に子供三人の五人暮らし。貧しいが真面目でよう働き、でも評判が良く皆に好かれていたが、雨降りの日の仕事で濡れて無理したのが元で風邪をひき、それがこじれて肺炎になった。さあたいへん、女房も精一杯の看病をし、親戚の者も駆け付け近所の婦人らも手伝って世話をする。
 病人の小部屋に七輪に火をおこし、洗面器で湯を煮立ててコンニャクを熱いほどに蒸したのを手拭きで巻き、胸を蒸し、取り替えては蒸してシップする。湯気を部屋中に充満して肺炎のしんどさ(呼吸困難)を和らげて、皆で夜も寝ずに病人の看病するが、病はつのるばかりで、今日か明日かの危篤状態となる。
 隣近所の人が入れ代わり見に来る。与助はこじゃんと悪いが、「ありゃええ男で、まだ子やらいじゃけ、死んだら困る。早よう代参まいりせにゃいかん」と分立ちが言いだすと、口づてで近所から地区中に伝わる。「そりゃ」と各戸から必ず誰か一人は代参詣でに参加する。
 先だつ世話人が与助の年と「えと」を確かめて、与助のいっちょうらの羽織りとお撰米を風呂敷に包みさげて、近所の人と氏神様へ向かうと、地区中の老若男女に子供までぞろぞろと続く。
 氏神様の神前に与助の羽織りを供え、お撰米を上げて、「三十七才、ねの年の男、与助の病が重い、どうぞお助けください」と祈願し、続く人々に与助の年とえとを知らせてお参りしてもらう。
 氏神様が済むと下ゆ(兼山堀)道を西へ回って一本松の灯明台、琴平宮様に氏神様と同様にみんなで祈願して、次は広い公園通りを東へ、寺坂の上のお伊勢宮様に代参祈願をする。お伊勢様には氏神の宮司さんが居て、祈願ののりとをあげて拝み、お札をくれる。それを世話人が持ち帰る。一般の代参者はお伊勢様のお参りがすむと、めんめに帰宅する。
 世話人は持参した物を返し、戴いてきたお札を病人の天井に張って、「三宮社様に地区の人みんなで病気が良うなるようにとお参りしてきたけ、与助は治るけ、こじゃんと世話をしちゃれよ」と家族をあしらって帰る。
 その後与助の病気は、皆の手厚い看護と、地区総出の代参詣でのかいあってか、次第に良くなって全快した。
 地区に危篤の病人ができると、地区総出で三宮社への代参詣でをする。その病人が回復しても、当人は格別にお礼回りやお返しもすることはなかったが、地区内の誰か病気で危篤じゃいうたら、代参にこぞってみんな参加した。それがみんな言わず語らずのならわしだった。
 田舎の町本山で、重病人ができると地区総出の代参詣では、戦前までずっと続いていた。なにか事あると、おんばもそうけも、好きも嫌いも一決して事に当たった良き時代。

◎昔の貧しい時代には、事のない軽い患いではお医者には行かなかった。それで病がこじれることがあったろう。
 当時は医師も少なく、良い薬、ペニシリンもなかった。昔ながらの療法や手薬などで対処していた。
 風邪がこくれて肺炎になると大変で、栗の木の虫(虫食いの木の中、小指ほどの幼虫)を煎じて飲ましたり、熱いコンニャクで胸を蒸してシップするとか、湯気をたてて呼吸をやわらげるなど、いろいろと手をつくした。
 かなわぬ時の神頼み 人の祈るは願いごと

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