羽迫さんの町屋あれこれ・・・佐川の花見~その3 牧野公園
牧野公園
日本桜百選に選ばれた、高知では最も伝統ある
桜どころです。
毎年、花見シーズンには、沢山の人たちが訪れ、
多彩なイベントで、町全体が賑わいます。
虚空蔵山頂上は、足摺岬から室戸岬までを一望し、
北は四国山地の山並みを目前に控える眺望の
素晴らしいところです。
中腹には白水の滝、わんぱく広場もあります。
出来れば、桜の時期をお奨めいたします。
~機会を作って是非一度お越しください~
お花見の町 佐川
石灰岩質に富んだ多様な地質を持つ佐川町。
その豊かな地質はこの地に多様な植生を育み、
佐川近隣にしか自生しない植物をもたらしました。
牧野富太郎博士は、この豊かな地質、豊かな
植生から花を見つめ、そして文教の町としての
土壌に育まれ、やがて日本を代表する
植物分類学者となったのです。
佐川の植生と牧野博士の足跡をたどりに、
~佐川にぜひ一度おいでください。~
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羽迫さんの町屋あれこれ・・・佐川の花見~その2 乗台寺庭園
18~乗台寺庭園 「ひさご園」
今から四百年前、佐川城主深尾公 二代目重忠の発願に
より造園された庭園です。
池泉回遊式の庭園で、うら山(吉祥山)を借景としており、
植物の宝庫でもあります。
イチョウとタラヨの巨木をはじめ、佐川サイシン・
バイカオーレン・ジュンサイ・水ニラ・コウホネ・スイレン・
ツツジ・カシ・センプク・フーラン・セッコク・エビネラン・
ギボシ・アワモリショー・モミジ・カエデ・ケヤキ・
シャクナゲ等、自生しています。
尚、書院から観ると、季節の風情を感じられます。
また、カワセミ・サギ等野鳥も多く、自然が残っています。
宗派は真言宗智山派で、約六百五十年前にこの地に
建立されました。
深尾公の祈願寺であり、本尊は不動王明。
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羽迫さんの町屋あれこれ・・・佐川の花見~その1 青源寺庭園
11~青源寺庭園 「鶴亀園」
江戸初期の寺創建時に築庭。
禅寺の風格をもった簡素な庭園で、書院廊下から、
現在は本堂前に移築されているが、元庭園内にあった
茶室に向かう露地の飛び石と石組みで構成された前庭
と、山側南端の空滝石組みから池への庭との相対が、
この庭園の趣きとなっている。
植栽は山科面から、もみじ・椿・つつじ・石楠花・さつきで
点綴され、前庭には四基の石灯籠が配された
枯淡な庭園である。
昭和10年に文部省の指定名勝に、昭和三十一年より
県指定名園に移行している。土佐三名園の一つである。
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羽迫さんの町屋あれこれ・・・佐川の地質~その4
33~佐川ナウマンカルスト
とエドモンド・ナウマン
「鳥の巣石灰岩」を定義し世界に知らしめた
ドイツ人エドモンド・ナウマンの来町を記念して、
同町唐岩に分布するカルスト地形を佐川町が
整備し、「佐川・ナウマンカルスト」と命名し、
その功績を称えることとした。
過去・現在・未来の時間を超越した物質の
無限性と変化を当地に表現したものである。
小規模ながら石灰岩が雨水によって侵食された
カルスト地形を観察することができる。
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羽迫さんの町屋あれこれ・・・佐川の地質~その3
31~鳥の巣石灰岩
わが国の地質学発展の基礎を築いたエドムント・ナウマン
によって、明治18年(1885)、佐川町「鳥の巣」周辺に
分布する石灰岩を「鳥の巣石灰岩」と定義したことから
佐川を世界に発信し、今尚、研究者・観光客を惹き付けて
止まない。
暗灰色をした礁性の石灰岩で、サンゴ類・二枚貝・巻貝・
ウニ類などの化石を多産する地層です。
また泥質物を多量に含むため、ハンマーで叩くと石油臭を
発することでも有名です。
ごつごつした岩と特異な地層から、地元に石への畏敬と
信仰心を育んでいます。
さらには、牧野博士の幼少時、植生への興味・関心を
深く脳裏に刷り込んだのも、当地の地層とその植生と
思われます。
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羽迫さんの町屋あれこれ・・・佐川の地質~その2
32~不動ガ岩屋洞窟遺跡
と聖獄の鳥の巣石灰岩
縄文時代草創期(12,000~10,000年前)の高知県の
代表的な遺跡である。(国指定の埋蔵文化財遺跡)
旧石器時代から縄文時代に移る頃の住居跡で、石灰岩
帯の鳥ノ巣石灰岩脈に属する佐川町西町にある聖獄の
中腹の南斜面に、洞窟は開口している。
洞内に不動尊像が祀られていることから、
不動ガ岩屋と呼ばれている。
主な出土遺物は、旧石器時代終末の特徴とされる、
草創期の細隆線文土器片、有舌尖頭器(石器)など
日本で最も古い時代の土器とが発見された。
その他タカラガイ、いもがい等の垂飾品等も
多く見つかっている。
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羽迫さんの町屋あれこれ・・・佐川の地質~その1
30~佐川地質館
世界的に注目されている佐川盆地の特異性をはじめ
高知県内の地形とか地質についての展示説明。
著名なナウマン博士並びに小林博士の佐川での活動記録。
国内外の化石コレクションや動く恐竜
「ティラノザウルス」、プレート運動を解説する動く
大陸装置「プレート・テクトニクス」などが展示されており、
「地質・化石の佐川」ならではのミュージアムとして、
地球の生命の歴史を学ぶことが出来ます。
~壮大な地球の宝物を見に来ませんか~
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羽迫さんの町屋あれこれ・・・佐川の町並み~その4
17~西谷退三旧邸
本名は竹村源兵衛で、住居と書斎である。
西谷退三は昭和17年からペンネームに使い活躍す。
家は薬種問屋でその長男に生れた。
札幌農学校で日本植物学会の草分け、三好学博士から
セルボーンの植物誌の講義を受け傾注。
翻訳の仕事に生涯を捧げている。
訳書「セルボーンの植物誌」は死後、
友人の森下雨村により出版された。
19~名教館の玄関
安永元年(1772)佐川藩主、深尾氏が土居邸内に家塾
として、「名教館」を創設、のちに藩校として士分の教育に
資した。1830年東元町に広大な校舎を建設、以来幕末
まで数多くの人材を育成し、佐川郡の文運を高めた。
明治2年、版籍奉還により「佐川小学校」と改名し、
中本町に佐川尋常小学校としての校舎の建築、
玄関を移設した。
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羽迫さんの町屋あれこれ・・・佐川の町並み~その3
9~竹村分家(マル久呉服店)
分家の初代は、安右衛門守信で安政6年(1777)に
本家より分家する。
当初は質屋を営み、次第に発展して呉服商となる。
三代目安七守本のころ、土佐国西部では唯一の
絹織物商として繁盛した。
この安七が店舗と住居を別棟として
連続させた家を新築している。
10~五段鉢巻の蔵
司牡丹酒造の本社の西隣りの漆喰壁の蔵。
その壁には、五段もの鉢巻がある。
水切り瓦も大変多く、下のなまこ壁も見事に残っている。
11~臨済宗妙心寺派「青源寺」
開山したのは慶長8年(1603)。
掛川・長蓮寺の高僧だった丈林宗規が、戦国大名、
山内一豊や重臣である深尾重良と交わりが深く、
静観の地 佐川を好んで青源寺を開いた。
深尾家の菩提寺となる。
この高僧は特に天皇が許す僧衣に紫の衣があり、
紫衣僧(しえそう)として人々から尊敬されている。
青源寺は代々紫衣僧の高僧、名僧を輩出している。
12~青山(せいざん)文庫
幕末の勤皇志士から、伯爵に登りつめた田中光顕が蒐集し、寄贈した志士の墨書や史書を展示している。
領主深尾家に関るものや、河田小龍のもの、西谷の蔵書、坂本龍馬の手紙なども残っている。
13~酒ギャラリー「ほてい」
昭和初期、浜口家「野菊」から譲り受け、料亭を経営。
骨薫貿易商「布袋商会」を京都で営んでいた竹村仁作は
「布袋さん」と呼ばれていたため、料亭もいつしか「ほてい」
となったそうで、人々の集まる場所でもありました。
料亭とはいえ、対象客は文人墨客の集う司牡丹の社交
クラブの様なもので、土佐の酒文化の発信基地でした。
14~佐川町 鳥瞰図
佐川町上町の東の入口に立つ看板。
ここから、西に約300mが「酒造の道コース」です。
さらに、「地質探訪コース」、「桜花見コース」、
「歴史・文教探訪コース」と広がって行きます。
~空を飛ぶ鳥になって~
15~土居八枝生家
佐川深尾家家臣、林 繁の次女。
上野の音楽学校に入学、本科に進んだ年に、
詩人の土居晩翠と結婚する。
八枝は著書「仙台の方言」、「土佐の方言」、
「随筆」を出版している。
16~西谷の清水
西谷地区。金峰神社西麓に沿って流れ、春日川に注ぐ
西谷の川の上流にある。
清水の傍らには、芭蕉句碑が苔むして佇んでいる。
「むすぶより 早や歯にひびく 清水哉」