「高知ファンクラブ」 の連載記事集1

「高知ファンクラブ」に投稿された、続きもの・連載記事を集めているブログです。

三郎さんの昔話・・・はしょうぶ

2010-11-26 | 三郎さんの昔話

はしょうぶ

 この名称を聞くと、一般には五月の男節句に目出て使用する細長く青い葉っぱの葉菖蒲で、お節句には額に鉢巻き、手首を括ったり、菖蒲湯につかって縁起を目出たことを思い出しますが、ここにかかげた「はしょうぶ」は、六、七十年も昔の病気のことです。
 今の道は、大道からえご道に至るまでコンクリ舗装されて、石ころ一つ見当たらず土の道を踏むことはありませんが、昔の道路(広くて三~四メートル)や小路は総て土の道でした。
 土の道は台風や大雨にあうと、堅い道路でも土は流され、埋もれていたガンコな石が所々にあたまを持ち上げて、突き出ていて、気をつけて歩いていても、つい蹴つまげることが多々ありました。
 小学三年の頃、父の使いで町へ買物に「急いで行ってこい」の一声で小走りに走って、町の道路で突き出た石に蹴つまづいて、パンとかやった。「あいた」と言いながら立ち起きて、打った足を見たら、右足の臑の血はかすれて血が滲み、かがとの少し上が石の角で突いたのか、小さい穴が開いて血が出ていた。
 ちょうど通りあわせた中年の婦人が「がいにかやったねえ、たまるか、足から血が出よる」と言いながら塵紙を出してくれ、「これで少し押さえちょったら、血がとまるけ」と。「おおきに」と礼を言って、言われたとおり塵紙で傷口を押さえていたら、やっと血がとまったので、ビッコを引きながら使いの用をすまし、家に帰った。
 父の言うこと。「そそっかしいけ、転ぶんじゃ。気をつけえ」と言ってから、怪我した足を見て、「こたあない、よもぎを噛んで貼っちょけ」と。そのとおりにして放っておいたら、たまるか足が腫れだして、二日ほどで腰から下が丸々と腫れ歩けず、学校へも行けなくなった。
 これを見た父は、「こりゃおおごとじゃ、はしょうぶじゃ、遅れたら足を切り捨てにゃいかんけ、早よう、たでにゃいかん」言うたち、さっぱりわからん。どうするかと思うていたら、「亀(亀於、母の名)、早よう七輪で火を起こしてバケツで湯を沸かせ」と言いとばして、父は隣の杉垣の杉柴を切り取ってきてバケツに入れ、竈の灰をふたにぎり程入れて掻き混ぜて、「よし、ちょうどじゃ」と七輪と、たでるバケツを縁のはなに据えて、「これへ腫れた足をつばけ(入れて)て、たでえ」と。
 縁に腰掛け足を入れて言うとおりにしていたら、湯が沸いてきて「熱いー」と叫ぶと、「亀、火を細めちゃれ、少々熱うても辛抱してつばけちょれ」。
  がまんしてつばけていたら、一時間ほどたってから腫れた足の毛穴から、白い糸のようになって膿が紐になって出るわ、出るわ。半日で腫れ足が半分に細った。
 翌日も前日と同じように杉柴と灰を取り替えて足をつばけて、一日中たでたら、夕方になって膿は出なくなり、腫れは引いて元通りの足になった。
 転んで怪我して、はしょうぶ菌が入って、二日で腫れて膿み、杉柴と灰で二日たでて、こっとり治った。五日目にはビッコを引きながら学校に行けました。
 昔、はしょうぶ菌は土中にいた恐ろしい黴菌で、つい怪我してその菌が手足の傷口に入るとすぐに腫れて腐るので、早く切り捨てなかったら、菌が体内に回り、死んだ人があるとのことです。
 七十余年も前、私の右足のきりぶしの右上に、はしょうぶ菌が入った傷痕が、指でおしたほどの禿げ痕が残っています。それにしても、昔の人達の経験や手薬療法の偉大な伝達に恐れ入る次第です。
 「はしょうぶ」とは「破傷風」のことです。

三郎さんの昔話 目次

情報がてんこもり  高知ファンクラブへ



最新の画像もっと見る

コメントを投稿