「高知ファンクラブ」 の連載記事集1

「高知ファンクラブ」に投稿された、続きもの・連載記事を集めているブログです。

金ちゃん工房・・・2012カレンダー 1月 お正月(元日)

2012-02-14 | 金ちゃんの手づくり木工品コーナー

金ちゃん工房・・・2012カレンダー 1月 お正月(元日)

 

 

金ちゃんの手づくり木工品コーナー 目次

カテゴリーから連続画像で見ることができます) 

情報がてんこもり  高知ファンクラブへ   記事一覧はこちらから


金ちゃん工房・・・2012カレンダー 2月 鬼も一緒に豆をまく

2012-02-14 | 金ちゃんの手づくり木工品コーナー

金ちゃん工房・・・2012カレンダー 2月 鬼も一緒に豆をまく

 

 

金ちゃんの手づくり木工品コーナー 目次

カテゴリーから連続画像で見ることができます) 

情報がてんこもり  高知ファンクラブへ   記事一覧はこちらから


金ちゃん工房・・・2012カレンダー 4月 ”春だよ”全員集合

2012-02-14 | 金ちゃんの手づくり木工品コーナー

金ちゃん工房・・・2012カレンダー 4月 ”春だよ”全員集合

 

 

金ちゃんの手づくり木工品コーナー 目次

カテゴリーから連続画像で見ることができます) 

情報がてんこもり  高知ファンクラブへ   記事一覧はこちらから


金ちゃん工房・・・2012カレンダー 9月 タヌキー家のお月見

2012-02-14 | 金ちゃんの手づくり木工品コーナー

金ちゃん工房・・・2012カレンダー 9月 タヌキー家のお月見

 

 

金ちゃんの手づくり木工品コーナー 目次

カテゴリーから連続画像で見ることができます) 

情報がてんこもり  高知ファンクラブへ   記事一覧はこちらから


沢村昭洋さん沖縄通信・・・沖縄の湧水を歩く (その11)

2012-02-07 | 沢村さんの沖縄通信

沢村昭洋さん沖縄通信・・・沖縄の湧水を歩く (その11)

恩納村恩納区の湧水

「琉歌の里」で売り出している恩納村(オンナソン)のなかでも、番所(役所)があった恩納区を歩いた。琉歌の二大歌人の一人、恩納ナビーの生誕の地の碑があるそばに、石造りの湧水「カンジャガー」があった。
 古くから恩納区の人々の生活に欠かせない井泉である。産井(ウブガー)として利用されたという。 

産井は、産湯に使う水を汲む井戸のことをいう。沖縄では、井戸水は、産湯から始まり死に水に至るまで人々の暮らしと深く結びついている。 

琉球王府の時代から、正月の村拝みのときは、村の有志が揃ってヌン(神女)殿内(ドゥンチ)、マータンカー、赤平家とともに、この井泉のカンジャガーを拝む習わしがいまも続いているという。いずれも、祈願の対象になるような由緒ある場所なのだろう。


カンジャガーは鉄柵で囲われている。中を見るときれいな水を湛えていた。いまは使われないが、そのままでは危ないので鉄柵で囲っているのだろう。


那覇市の小禄方面の湧水


字小禄の樋川


 那覇空港に近い那覇市南部の小禄(オロク)地区。1954年に那覇市に合併されるまでは、小禄村だった。いくつかの地域から成り立っている。その中でも、字小禄は、昔は番所(役所)もあった小禄の中心地である。歩いて回ると、昔からの風景が残る。
 小高い山の上に森口公園がある。上がって行くと広場に出た。なんと、そこはやたら御嶽(ウタキ、拝所)がたくさんある。多いのは門中(ムンチュウ、男系の血縁集団)の拝所だ。「東門(アガリジョウ)門中」、「沢岻(タクシ)門中」などの小さい拝所が点在している。「思い門中」という、変わった碑もある。




森口公園を降りてきた。
 地域の案内図を見ると、ヒージャーがあるはずだ。でも地元の人に尋ねても、どうしても分からなかった。


小禄を通った機会に、もう一度、探してみようと、地図にある場所に車で行った。すると、道路わきにひっそりと碑が立っていた(上左)。ヒーザーガー跡(後原=クシバル=ヒージャー小)という。
 小禄の村ガー(共同井戸)の一つである。いまは樋から水は出ていない(上右)。でも最近までけっこう水が出ていたという。樋の左横に小さな拝所がある。


沢村さんの沖縄通信 目次

カテゴリーから連続画像で見ることができます) 


沢村昭洋さん沖縄通信・・・沖縄の湧水を歩く (その10)

2012-02-07 | 沢村さんの沖縄通信

沢村昭洋さん沖縄通信・・・沖縄の湧水を歩く (その10)



与那原町の親川
かつては沖縄北部から生活物資などを運ぶ「山原(ヤンバル)船」が着く港町として、にぎわった与那原(ヨナバル)町の中心地を歩いた。戦前は軽便鉄道も走っていた。昔からの商店街は、狭い通りで、やたら一方通行が多い。でも、街のあちこちに、古くからの拝所などあり、民俗を知るのには面白い。
 首里に近い与那原は、琉球王朝の時代、国王が聖地・久高島の参詣や王府の神女の最高位だった聞得大君(キコエオオキミ)の即位式である御新下り(オアラオリ)の際、首里を出て通るのが与那原だった。それで由緒ある拝所がある。また与那原は、伝統ある大綱曳きが有名である。大綱曳資料館もある。
                    
資料館のそばに「親川(ウェエガア)」があった。天地開闢(カイビャク)の昔、天降りした天女が出産の産場としたという神話に発して、国王、聞得大君が首里を出て最初の拝所とし、休憩の用水を献じた所と伝えられる。 一見すると井泉には見えない。立派な拝所の建物である。中に何を祀っているのか、のぞいてみると、まさしく水の湧き出る「カー」だった。


川と書いても、大和で言う川ではなく井戸である。住民にとって水は命である。ここは井戸そのものが、もう拝所になっているようだ。井戸にこんな立派な建物があるのは初めてだ。それだけ、由緒があり、人々の篤い信仰の対象なのだろう。聞得大君は、この親川の水に中指を浸し、額をなでることで、霊力を獲得する「お水撫」の儀礼がされたと伝えられている。




中城城址の井戸

世界遺産に登録されている沖縄各地のグスク(城)を歩くと、見事な石積みの城壁がそびえる城址には、必ずいくつもの拝所とともに井泉がある。井泉がなければ、戦えないからだ。それにしても、どこの城跡も小高い山上にあるのに、湧水がある。不思議なほどである。かつて琉球に来たアメリカのペリー艦隊の一行も訪れたことで知られる中城(ナカグスク)城跡(右)には、二か所の井戸があった。



写真の大井戸(ウフグヮー)は、この階段を下りた低い位置にある。グスク自体が、標高約160㍍の高地にあるのに、よく湧水があるものだと感心する。

                   大井戸は、頂上からいえば少し下がった場所になる。だから高いところに降った雨が、ここで湧水となって出てくるのだろう。
 もう一つ夫婦井戸(ミートゥガー)という井戸もあり、城内に2つの井戸を確保していた。戦のことを考えれば、城内での水源の確保は必須の要件だったのだろう。

 

沢村さんの沖縄通信 目次

カテゴリーから連続画像で見ることができます)