羽迫博己さんの町屋あれこれ・・・田野町~清岡道之助生家
清岡道之助生家
武市瑞山の土佐勤皇党に参加、元治元年
(1864)瑞山の釈放と藩論の統一を求める
嘆願書を藩庁に提出して、野根山に屯集したが、
包囲され阿波で捕えられ、一回の裁きもなく
同年9月5日奈半利川原で処刑された。
時に齢32歳。
妻は浜口雄幸首相の叔母にあたる。
清岡道之助生家
武市瑞山の土佐勤皇党に参加、元治元年
(1864)瑞山の釈放と藩論の統一を求める
嘆願書を藩庁に提出して、野根山に屯集したが、
包囲され阿波で捕えられ、一回の裁きもなく
同年9月5日奈半利川原で処刑された。
時に齢32歳。
妻は浜口雄幸首相の叔母にあたる。
長法寺と臥竜梅
寺の境内にある紅梅の臥竜梅は、樹齢
推定300年以上。
黒竜伏臥の状を呈し、そのたくましい姿に定評
が在り、全国でも五本の指に数えられます。
早春の3月上旬の開花の時は、伽藍に映え、
その眺めは見事です。
濱の鶴酒造~浜川商店
濱之鶴は、創業明治36年初代濱川金太郎が
浜辺に飛来した二羽の丹頂鶴に出会ったことに
由来する。
以来酒造りに邁進すること約百年。
飲み手の立場と蔵の独自性を考え、
不断の努力をしてまいります。
福田寺と二十三士の墓
清岡道之助ら土佐勤皇党二十三士の殉節地で
ある二十三士公園から国道を渡った福田寺には、
道之助の妻静女が建てた彼らの墓があり、明治に
なって功績が称えられ、今も若くして散った志士を
惜しむ声が聞かれます。
寺には、彼らの遺品である陣羽織や陣笠なども
大切に保存されています。
~旧岡家(西の岡)~
岡御殿を間近に控えた旧家であり、長く製材や廻船を業
とする豪商の家であった。
岡御殿は元々岡家の分家であったものが昭和初期、浜川氏
に譲渡され、その後、町の所有となったが古くは「西の岡」と
呼ばれ「脇本陣」として随勤の重臣などの宿泊に当てられた
家柄である。
岡 御殿~県 指定文化財
藩政時代の岡家は米屋と号し、田野五人衆に名を連ねる廻船業の豪商でした。藩の財政に寄与し、独特札、名字帯刀後免などの特権が与えられています。本陣として1844年に建てられた現在の建物は書院造りで、当時の建築様式を知る貴重な史跡。藩主の座である上段の間、近侍の間、廻廊や溜りの間、湯殿なども保存。現在は田野町の所有で近年大規模に修復され、美しくよみがえった内部が見学できるようになり、蔵にも貴重な資料が保存されています。縁側に座り、庭を眺めていると、当時の華やかさが偲ばれてきます。
青龍姥目樫
左一本(尾)中三本(身体)
右一本(頭の大きさ、開口)
このウバメガシは五本ジグザグに
配して、蛇行した一つの青龍を
型どり、平庭全体に植え、風水の
東の青龍を表現しています。