極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

デジタルなケインズ

2013年04月15日 | 時事書評

 

 


今朝は4時起きになってしまい、仕方がなくいつもの作業に入ったのはよいのだが、息子の自転車がパ
ンクだというので、急遽、職場まで送り届けたのはいいのだが、それからが事件? が起きた。カーキ
ーを受け取るの忘れてしまい、停車しエンジンを切った途端クルマのエンジンをリスタート出来なくな
った。慌てて、パーキングランプを点滅させ、そこから全速力で元来た場所に戻りキーを受け取り帰っ
てきたものの、喉はからから足は筋肉痛が走り、一時的な気管支炎のような咳き込みが始まり、ベンザ
ブロックLを二錠服用し、暫く休息し、中断させていた作業を再開させた。そうこうしたら彼女が帰っ
てきて、スタンドが故障した自転車を使えるようにしてくれというので、手探りで修理する(いつもの
ことだが、熟練ということにはほど遠い生活を送ってきたが、これからも生涯現役で素人仕事をやり抜
こう!?)。疲れで視界がぼやけていたのがわかったのか、彼女が回転寿司の徳兵衛にいこうというこ
とになり、大トロ、メカジキと鮮魚丼をいただき帰ってきたが、偉いもので、視界のぼやけが消えてい
た。いや本当に!。さて、「デジタルケインズ」の草稿も最終段階に。早く切り上げてしまわないと忙
しないことこの上ない。
 

 

 


 

 【新たな飛躍に向けて-新自由主義からデジタル・ケイジアンへの道】

    

1.タブーと経路依存性
2.複雑系と経路依存性
3.複雑系と計量経済学
4.ケインズ経済学の現在化
5.新自由主義からデジタル・ケイジアン

    

【新自由主義とオールタナティブ】

【新自由主義批判】

さて、ポストフォーディズムとして登場した新自由主義の歴史的背景を俯瞰し、その批判的展望につい
て考察
してきたが、ここではその要約を整理・整頓してみる。

まず、『新自由主義-その歴史的展開と現在』の第7章でデヴィッド・ハーヴェイは、1935年の年頭
書演説フランクリン・ルーズベルト大統領を引用し、国家と市民社会が果たすべき最優先の義務は、

困や飢餓の根絶にその力を活用しその資源を振り向けることであり、生活の保障を与え、大規模な災害
や生
活の紆余曲折から保護し、ちゃんとした住宅を保障することである。欠乏からの自由(未来の政治的ビジ
ンに据えた四つの基本的自由:欠乏からの自由のほか、言論の自由、信仰の自由、恐怖からの自由)な
どの幅広い自由概念は、ブッシュ大統領の政治レトリックの中核に据えられた実に狭溢(きょうあい)
な新自由主義的自由とは対照的であり、ブッシュのそれは、国家が私企業への規制をやめ、社会福祉か
ら手を引き、市場の自由と市場倫理をよりいっそう普遍化すること、「ただ自由企業を擁護するだけの
もの」へと堕落-マルクスの自由についての基準と、アダム・スミスが『道徳感情論』の中で述べてい
る自由の基準にして、新自由主義化か惨僣たる大失敗-させたものだったとし、また、新自由主義的な
命題や処方隻の有効性に対する不満の表われは、支配層の政策グループ内部にさえ見出せ、かつては新
自由主義に熱中していた人々(エコノミストのジェフリー・サックス、ジョセフ・スティグリッツ、ポ
ール・クルーグマン)や実際に関与していた人々(ジョージ・ソロス)が、今では批判派に転じ、ある
種の修正ケインズ主義への回帰やグローバルな諸問題の解決策あるいは制度的アプローチ(グローバル
統治に対するよりまともな規制のシステムから、投資家の向こう見ずな投機をより厳重に監督するなど
が含まれる)を提唱し、グローバル統治の改革は、単なる主張にとどまらず大きな見取り図が示されて

いるほどだと述べている。

しかしなながら、これらのもたらした弊害に対抗するには、新自由主義が立脚し新自由主義化のプロセ
スがその強化に大いに貢献してきた根本的な権力基盤に挑戦することなしには実現することはできず、
国家が福祉給付から手を引いていく過程を逆転させるだけではなく、金融資本の圧倒的権力と対峙-ケ
インズは、配当や利子に寄生して暮らす「金利生活者」を軽蔑し、彼が言うところの「金利生活者の安
楽死」を経済的公正を実現と資本主義の周期的恐慌回避の必要条件とみなした、1945年以後に構築され
たケインズ主義的妥協と「埋め込まれた自由主義」の目標を一定実現する役割を果たし-新自由主義時
代の到来には、金利生活者の役割が賛美され、金持ちの税金は軽減され、賃金や給与よりも配当や投機
利益
の方が優先され、途方もない規模の金融危機が解き放たれ、国から国へと伝わり、雇用と生涯機会の破滅
的な影響をもたらしたとし、貧困の根絶といった目標を実現する唯一の道は、金融権力と対決し、これ
まで構築さ
れてきた階級的特権を撤廃していくことであるのだが、そのような大国が現われる徴候はど
こにも見られないと述べる一方で、ケインズ主義への回帰は、ブッシユ政権は累進的に増大する財政赤
字を延々と未来に先送りすることを是認する姿勢をとることで、すべての人々にきわめて困難な問題を
突きつけたが、伝統的なケインズ主義の処方箋とは対照的に、この再分配法は貧困層や中産階級を犠牲
にして、一般株主(年金基金を含む)を犠牲にして、大企業とその裕福な最高経営責任者(CEO)、
金融・法律アドバイザーの収奪に機能、あるいは新自由主義理論とそのレトリックが何よりも、エリー
ト階級の権力の維持・再建・回復に帰着する諸実践の隠蔽機能としてきた。よれ故にオルタナティブの
探求は、現実をしっかりと踏まえつつも、この階級権力と市場倫理が定義する準拠枠の外部に向かうべ
きだとする。

さらに、新自由主義化か国内の経済と政治に引き起こす諸矛盾は、金融危機を経ることなしに封じ込め
ることはできないとし、局地的には損害を出したが世界的には対処可能であることがわかったが、この
危機に対処できるかどうかは、新自由主義の理論から事実上離れるかどうかにかかり、グローバル経済
の二つの主
要推進国(アメリカと中国)の財政赤字の膨張は、新自由主義の資本蓄積の将来保障の指針として
役立たずか、困難さとを示す徴候でありえても、エリート階級の権力の回復ないし輩出を支えるための
レトリックとして引き続き利用され、収入や富の不平等が1929年の大恐慌直前のレベルにまで接近し、
経済的不均衡が構造的危機をもたらす慢性的なものとなるが、この蓄積体制が平和的に解消されること
はなく、「埋め込まれた自由主義」の胎内から生まれた新自由主義は、カール・マルクスの「暴力はつ
ねに歴史の助産婦である」という言葉通り、アメリカでは権威主義的な新保守主義やティー・パーティ
という反納税的共和主義が台頭し、アメリカの支配エリートの側の国際秩序と国内秩序の再構築の動向
を憂慮する。

これに対し、(1)本源的蓄積の古典的な形態(土地からの農村住民の強制排除)に対する抵抗(2)
国家があらゆる
社会的義務(国民に対する監視と警察による取り締まりを除いて)を乱暴に放棄することに対す
る抵抗、(3)文化・歴史・環境への破壊行為に対する抵抗、(4)国家と同盟した現代の金融資本が仕掛ける「資
産収奪的」なデフレおよびインフレに対する抵抗などの多様な運動の有機的な結びつきを見出し、極度
に不安定
でますます深刻になる地理的不均等発展する資本蓄積過程のダイナミズムを追跡分析し、国家
間の競争をつう
じ新自由主義化の拡張による地理的不均等発展を債務ではなく資産へと転化させよと、
あるいは支配階級エリートの分割統治政策に対し地域権力の自己決定権を再構築する運動をオルタナテ
ィブとしてデヴィッド・ハーヴェイは提起する。

そして、「万人の利益になる」というレトリックと「一握りのエリート階級の利益になる」という現実
とのあいだのギャップが、かなり目に見える形で広がっており、市場は競争的で公正であるという理念
は、企業と金融の権力の途方もない独占化、集中、国際化により否定され、各国内でも(中国、ロシア、
インド、南アフリカなど)、国際的にも、階級間・地域間の不平等が拡大し、新自由主義世界が完成す
る途上での「過渡的」なものであると言ってごまかすことができぬほど深刻な政治的諸問題を生じさせ
ており、新自由主義が、支配階級の権力回復プロジェクトの偽装レトリックが暴かれるほど、平等主義
的な政治的要求を唱え、経済的公正、フェアトレード、より豊かな経済保障を追求する民衆運動が復活
していく基礎が築かれていくとし、人間としてのわれわれの地位に本来備わっている諸権利に加えて、
平等な生涯機会の権利、政治的結社と「よき」統治の権利、直接的生産者による生産管理の権利、人身
の不可侵性や尊厳に対する権利、報復のおそれなしに批判する権利、健康で文化的な生活環境に対する
権利、共同所有の資源を集団的に管理する権利、空間を生産する権利、異なった存在でいられる非新自
由主
義的諸権利の提起には、こうしたオルタナティブな諸権利を内包しうるような社会的プロセスとは
いかなるものであるかを明確化することが必要であると述べている。

新自由主義と日本】 

これを受け、『新自由主義-その歴史的展開と現在』の翻訳者である渡辺治は、本著の第8章「本の新
自由主義の帰結と矛盾」でハーヴェイの問題提起は多岐にわたっているとしながら、日本の新自由主義
とオルタナティブ政策を次のように述べている。

日本では新自由主義改革がヨーロッパ各国の新自由主義の帰結と比べて、はるかに深刻な社会統合の解
体と社会の分裂をもたらした。社会への打撃がはるかに大きく、これは福祉国家を経てその再編のなか
で生まれたものではなく、〈開発主義国家〉を経て、その再編によって生まれたという特殊性に求めら
れるとし、〈開発主義
国家〉の社会保障や所得再分配は福祉国家のそれに比べてはるかに脆弱であり、分立
的であり非制度的なものでもあった。それだけに、日本では労働者階級やその家族は新自由主義の破壊
的な影響をもろに
受ける。そのことは、日本では新自由主義に対抗する社会運動や思想が自動的に成長
に結びつかず、むしろ、新自由主義の破壊的結果の大きさに比べ、対抗運動の盛り上がりや対抗構想の
具体化は遅れている。ヨーロッパ福祉国家の場合には、新自由主義に対して常に、オルタナティブな福
祉国家経験があるが、日本では福祉国家経験は自治体レベルを除いてなく、新自由主義へのオルタナテ
ィブは自民党抵抗勢力により主張されている公共事業投資の利益誘導型政治しかあらわれていない。こ
れでは、旧来型の福祉国家の構想以上に、グローバリゼーションと新自由主義の前では対抗軸たりえな
いと結論付け、こうした対抗軸を考えるうえで、ハーヴェイのいう権利論の両義性を参考にし、日本の
近代主義のイデオロギー的影響力が新自由主義への同意調達機能を果たし、このような近代主義と人権
論は、新自由主義には親和的である反面、それが新自由主義の実践と衝突した場合には、力を発揮し反
新自由主義運動に合流する可能性があるとして注目に値すると主張している。

なお、「新自由主義に対抗する新福祉国家構想の必要性を訴える」(長野県教職員組合主催記念講演
で、渡辺治は民主党が2007年小沢代表の時に、違う政党かと思うようなマニュフェストを発表し構造改
路線を批判。国民の生活が第一というスローガンのもとに作られていたが、2009年鳩山代表の時のマ
ニュフェストは、構造改革反対がもっと鮮明になり、後期高齢者医療制度廃止、労働者派遣法抜本改正
どが明記され、構造改革は企業を太らせたが、リストラ、非正規労働者の増加、ネットカフェ難民、
子どもの貧困など、社会や子どもたちを壊した。2008年~2009年の、反貧困・反構造改革の二つの運動
民主党を変えた年越し派遣村も民主党に大きな圧力をかけた経緯を織り交ぜながら、多くの国民が、
自民党も民主党を拒否し、構造改革でもない利益誘導政治でもない、新しい福祉国家の道を、財源問題
も含めて対案として示す必要があるとし、新しい福祉国家の道をめざす柱は、①憲法25条に基づく社会
障の全体像と社会保障の強化、②大企業の法人税を引き上げ、消費税増税に頼らない安定財源の確保、
③大企業本位でない経済成長政策、④福祉国家型の真の地方自治、⑤日米安保体制のない日本の安全と
アジアの平和―憲法9条を
生かすといった従来の護憲左派連合の延長線にある政策を提示している。

 

【グローバル経済危機とケインズ】

金融工学と融合した英米流金融資本主義がもたらした、グローバル経済危機は、この15年間に、金融の
グローバル化(globalization)と証券化(securitization)という 2つの進展に表わされ、経済環境
の大きな転換期に発生した。経済のグローバル化は、効率的市場理論を奉じるシカゴ学派の古典派経済
学が、サムエルソンの新古典派総合ケインズ主義に取って代わり台頭してきた1970年代に始まり、政府
の介入のない自由な競争市場こそが最も効率的であるとの主張をもとに、各国に対し貿易や直接投資な
どのあらゆる市場での規制の緩和・撤廃や自由化を要求し実現させる。1970年代に、ブレトン・ウッズ
体制の固定為替相場制を変動為替相場制に切り替えさせたのもかれらであり、金融の分野でも、国内的
には、大不況直後制定された、銀行と証券の分離を規定したグラスースティーガル法のなし崩し的な撤

廃が椎し進められ、1999年には同法は完全に骨抜きにされ、クリントン政権が米国をものづくり大国か
ら金融覇権国家に転身させる決断をした時期と一致し、対外的には、米国金融機関の自由な活動を可能
にするような各国金融市場の開放を実現し、その結果、米国金融機関が自らの組成した優良・不良の住
宅ローン債権等を束ねて担保とする証券を発行するビジネスを大々的に行なうようになった(ポール・
デヴィッドソン著 小山庄三・渡辺良夫訳『ケインズ・ソリューション-グローバル経済繁栄の途』)。

またエルゴード性の公理を前提としている金融工学の発展が、債務担保証券(CDO)やクレジット・デ
フオルト・スワップ(CDS)などの金融派生商品の開発をつうじ、金融の証券化の一層のする。そのうえ
格付会社は、担保に一部不良貸付債権を含む、この金融派生商品全体を優良と格付けし進展を後押した
ため、投資家は安心してこの派生商品に投資。自由貿易のもとで、オイルマネーなど特定の国々に偏っ
た貿易上の黒字資金がそれらの派生商品への投資に向う。米国金融機関は、これら派生商品を内外の投
資家に販売することで、融資金の早期回収・高収益を上げる。


その結果がどうなったは周知のごとく。2004年ごろになって米国で住宅ブームが終息し、住宅価格が
げ止まり下落するに及び、ローン返済資力に乏しく、返済原資を主として住宅の値上がり益に期待して
いた
住宅ローンや、借入当初1~2年は低い金利ながらその後急上昇するような返済条件となっている住宅ロ
ーンなどが、次第に債務不履行に陥り始め、金融派生商品を、担保として背後で支える原住宅ローンそ
のものの一部が回収不能に陥いる。金融派生商品全体の資産価値の健全性の不信が、派生商
品からの投
資家離れが加速し、派生商品の信頼すべきマーケットメーカー不在が拍車をかけ、投げ売り価格以外では容易
に換金されず暴落し、この商品を購入していた全世界の投資家、借入金で購入していたヘッジファンドをはと
した関係金融機関も、多額の損失を被り資金繰りも悪化。債務不履行保険のCDSを大
量販売した保険会
社も、債務不履行の増加で予想外の多額損失を被り、グローバルな実体経済に深刻な打
撃に与える。こ
れが、たんなる米国の金融機関の不良貸しが、グローバルな金融・経済危機へ至った
メカニズムだった
と説明し、第1に、21世紀版のグラスースティーガル法の制定、第2に、国際決済システム
の改革を挙
げる。後者の制度設計あるいは構造改革はすでにトービン税(国際連帯税)として提示されているが、
有り体に申せば、金融取引から経済秩序著しく不安定に陥れる反社会的行為の監視制度の(デヴィッド・
ハーヴェイらの分析によると修正ケイジアン的)再設計の提示ということに他ならず、加えて、米国の
ような覇権国家が、中心通貨国の特権を利用して毎年大幅な経常赤字を出すことにより
、ただひとり「
無償の恩典(free lunch)」を享受してきたやり方に制約を加え、国際協調を前提とした極めて大局的
見地に立ったシステムをも意味している。

そのことを踏まえ、そもそもケインズの誤用の核心とは-ケインズ革命の幕開けを予告した「生産の
幣理論」と題する論文で、ケインズは古典派理論が 物々交換経済ないし実物交換経済のパラダイに基
づいているのに対し、ケインズの目指す分析対象が古典派とは異なる原則と目的に基づいて組
織された
「貨幣経済」にあることを強調する。貨幣経済では貨幣が枢要な要因となっており、貨幣は経済主体

動機や意思決定に影響を及ぼす。こうした貨幣経済思想は、当然のことながら、『一般理論』に引き継
がれ
『一般理論』の序文や第1章で、古典派理論の基礎となっている前提が現実の世界と大きく乖離し、実際の
幣経済の分析にとって不適切であり、貨幣が「本質的かつ独特な仕方で経済機構に入り込む」貨幣経
済の理論は、貨幣が形式上存在してはいるが
中立的な要因であるにすぎない実物交換経済とは、根本的
に異る-という点だ。デヴィッドソンはケインズの流動性選好説を(新)古典派の効率的市場理論に対
する対抗軸として捉える。

ケインズの貨幣の捉え方は、古典派理論が貨幣を瞬時に行なわれる交換プロセスに配流するのに対して、
貨幣を「現在と将来を結ぶ連鎖」(『一般理論』P.293)として生産および投資プロセスに組み込むとい
うもので、貨幣経済において、企業家は不確実性に立ち向かって現在の貨幣を資本資産に投資し、時間
をつうじ資本資産が現在の貨幣額よりも大きな将来の貨幣額の流れを生み出すかどうかを推測する。こ
うし
た企業家の投資決意やファイナンスは、不確実性から切り離して論じることができないし、不確実
性に対処す
るための流動性選好と不可分に結びついている
、と。する点にあり、流動性選好説を『一般
理論』第17章で展開
された自己利子率理論に沿って、貨幣から実物耐久財までを含む「貨幣的均衡分析」
へ拡張され貨幣理論と資
本蓄積理論との統合されるという。





【ケインズとデジタル革命】

ところが、貨幣経済において、企業家は不確実性に立ち向かって現在の貨幣を資本資産に投資し、時間
をつうじ資本資産が現在の貨幣額よりも大きな将来の貨幣額の流れを生み出すかどうか
推測するこうし
た企業家の投資決意やファイナンスは、不確実性から切り離して論じることができないし、不確実性に
対処するための
流動性選好と不可分に結びついている
というの前提-大きな将来の貨幣額の流れが作れると
いう見通しが著し疎外-されている時代であることにわたし(たち)は気づくのである。これが前述し
たグローバル経済危機のトリガーともなった“レバジッジ(梃子)”的金融手法のごとく、情報通信に代表される科
学技術の著しい伸長-いわゆる、『デジタル革命』をレバレッジとした経済的現象-グローバルに、と
りわけ日
本をトップランナーとした輸出通商型諸国の前に立ちはだかるのである。

 


デジタル革命(『デジタル革命渦論』(参照@環境工学研究所 WEEF)とは、半導体技術を産業をコ
アとした産業革命によりもたらされたグローバル規模の文明文化総体の変革-通常、産業革命(Indust-
rial Revolution)
は、18世紀から19世紀にかけて起こった工場制機械工業の導入による産業の変革と、
それに伴う社会構造の変革のことである。市民革命とともに近代の幕開けを告げる出来事とされるが、
近年では産業革命に代わり「工業化」という見方をする事が多い。ただし
イギリスの事例については、従
来の社会的変化に加え、最初の工業化であることと世界史的意義を踏まえ、現在でも産業革命という用
語が工業革命として流布している-のことをさす。また、このデジタル革命の特徴(=6つの基本特性)
の詳細については、『デジタル革命の基本特性』(参照@環境工学研究所 WEEF)を参照願うとして、とりわけこ
の革命の第4の基本特性であるデフレーションについて要点を述べる。

 

                                                            この項つづく 

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