極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

巡礼の明日(あさ)

2013年04月24日 | 時事書評

 






 

 

 

 

  彼は部屋に帰ると、フィンランド行きの支度をした。とにかく手を動かしていれば、考え事
 をしないで済む。とはいえ、それほど多くの荷物があるわけではない。数日分の着替え、洗雨
 具を入れるポーチ、飛行機の中で読むための何冊かの本、水着とゴーグルヘそれらはどこに行
 くにも彼の鞄の中にある)、折りたたみ傘、その程度だ。そっくり全部機内持ち込みのショル
 ダーバッグに収まってしまう。カメラさえ持だなかった。写真が何の役に立つだろう? 彼が
 求めているのは生身の人間であり、生の言葉なのだ。

  旅行の支度を終えたあと、久しぶりにリストの『巡礼の年』のレコードを取り出した,ラザ
  ール・ベルマンの演奏する三枚組のLP。十五年前に灰田が残していったものだ。彼はほとん
 どそのレコードを聴くためだけに、まだ旧式のレコード・プレーヤーを所有していた。一枚目
 の盤をターンテーーブルに載せ、二面に針を落とした。

  第一年の「スイス」。彼はソファに腰を下ろし、目を閉じて、音楽に耳を傾けた。『ルーマ

 ル・デュ・ペイ』はその曲集の八番目の曲だが、レコードでは二面の冒頭になっている。彼は
 多くの場合その曲から聴き始め、第二年「イタリア」の四曲目『ペトラルカのソネット第四七
 番』まで聴く。そこでレコードの面が終わり、針が自動的に上がる。

 『ル・マル・デュ・ペイ』。その静かなメランコリックな曲は、彼の心を包んでいる不定型な
 哀しみに、少しずつ輪郭を賦与していくことになる。まるで空中に潜む透明な生き物の表面に、
 無数の細かい花粉が付着し、その全体の形状が眼前に静かに浮かび上がっていくみたいに。今
 回のそれはやがて沙羅のかたちをとっていた。ミントグリーンの半袖ワンピースを着た沙羅。
 胸の疼きが再び蘇ってきた。激しい痛みではない。あくまで激しい痛みの記憶だ。

  しかたないじゃないか、とつくるは自分に言い聞かせる。もともと空っぽであったものが、

 再び空っぽになっただけだ。誰に苦情を申し立てられるだろう? みんなが彼のところにやっ
 てきて、彼がどれくらい空っぼであるかを確認し、それを確認し終えるとどこかに去って行く。
 あとには空っぽの、あるいはより空っぽになった多岐つくるが再び一人で残される。それだけ
 のことではないか。

  それでも人々は時としてささやかな記念品を後に残していく。灰田が残していったのは、こ
 の『巡礼の年』の箱入りのレコードだ。彼はおそらく意図してそれをつくるの部屋に置いてい

 ったのだろう。決して単純に忘れていったわけではない。そしてつくるはその音楽を愛した。
 その音楽は阪田に繋がっていたし、シロにも繋がっていた。それはいわば、散り散りになった
 三人の人間をひとつに結びつける血脈だった。優いほど細い血脈だが、そこにはまだ赤い生き
 た血が流れている。音楽の力がそれを可能にしているのだ。彼はその音楽を聴くたびに、とり
 わけ『ル・マル・デュ・ペイ』のトラックに耳を傾けるたびに、二人のことを鮮やかに思い出
 すことになる。時には彼らが今も自分のすぐそばにいて、密やかに呼吸しているようにも感じ
 られる。

  彼らは二人とも、ある時点でつくるの人生から去って行った。その理由も告げず、どこまで
 も唐突に。いや、去っていったというのではない。彼を切り捨て、置き去りにしたという方が
 近いだろう。それは言うまでもなくつくるの心を傷つけたし、その優勝は今でも残っている。
 でも結局のところ、真の意味で傷を負っていたのは、あるいは損なわれたのは、多崎つくるよ
 りはむしろそのニ人の方だったのではないか。つくるは最近になってそう考えるようになった。
 おれは内容のない空しい人間かもしれない、とつくるは思う。しかしこうして中身を欠いて
 いればこそ、たとえ一時的であれ、そこに居場所を見いだしてくれた人々もいたのだ。夜に活
 動する孤独な鳥が、どこかの無人の屋根裏に、昼間の安全な休息場所を求めるように。鳥たち
 はおそらくその空っぽの、薄暗く静まりかえった空間を好ましいものとしたのだ。とすれば、
 つくるは自分が空虚であることをむしろ喜ぶべきなのかもしれない。

 『ペトラルカのソネット第四七番』の最後の音が空中に消え、レコードが終了し、針が自動的
 に上がり、アームが水平に動いてアームレストに戻った。それから彼は同じ面の冒頭にもう一
 度針を下ろした。針がレコードの溝を静かにトレースし、ラサール・ベルマンが演奏を繰り返
 した。どこまでも繊細に、美しく。
  二度続けてその面を聴いてから、つくるはパジャマに着替えてベッドに入った。そして枕元
 の明かりを消し、自分か心に抱え込んでいるのがただの深い哀しみであって、重い嫉妬の轍で
 ないことにあらためて感謝した。それは間違いなく彼から眠りを奪ってしまうはずのものだっ
 た、
  やがて眠りが訪れ、彼を包み込んでいった。ほんの数秒ではあるけれど、その懐かしい柔ら

 かさを全身に感じることができた。それもつくるがその夜、感謝した数少ないものごとのひと
 つだった。
  眠りの中で、彼は夜の鳥の声を聞いた、


               村上春樹 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』
                               
                                                                      PP.243-246

 

 

地球上の生命の元となるアミノ酸は宇宙で作られたという説を補強する有力な証拠を、地球から約
5500光
年(9.46×5500ペタメートル)も離れた「猫の手星雲」など九つの星雲で検出したと国立天
文台などのチームが発表。アミノ酸には光学異性体の「左きき」「右きき」の旋光タイプがあり、
地球上の生命を構成するアミノ酸の大半は「左きき」。南アフリカに設置された赤外線望遠鏡で、
猫の手星雲などを観測したところ、螺旋を描いて進む「円偏光」の特殊な光を検出。この光に照ら
されると、アミノ酸などの分子は「左きき」「右きき」の一方に偏る性質がある(下図クリック)。

地球上でアミノ酸が作られたとすれば、「右型」と「左型」がほぼ同量できたはずだが、左型が大
半という現実に合わない。このため、円偏光の照射により宇宙で生じた「左型」のアミノ酸が隕石
に付着し太古の地球に飛来、生命の起源となったとの説があるが、今回の発見でこの説が有力にな
るというのだから不思議なものだ。なぜって?幾つ歳を重ねても分からないないものが減らない。
それどころか増える一方だから、いつになったら「人生」が語れるのだろうか?。そして、「明日
」を語れるというのだろうか?無限遠点に向けた螺旋運動の行き先は「どっち」と。



そうかとおもえば、この地上では、体のさまざまな組織になるiPS細胞を使って、筋肉が次第に
衰えていく病
気=「筋ジストロフィー」の病態の一部を再現することに、京都大学の研究グループ
が世界で初めて成功し
ましたという新聞が届く。この研究グループは、三好型と呼ばれる「筋ジス
トロフィー」の患者からiPS細胞を作り出し、MyoDという特殊な遺伝子を入れることで、筋
肉の細胞の一種、骨格筋細胞に変えることに成功したという。筋ジストロフィーはこの骨格筋細胞
が壊れやすくなることで発症する。iPS細胞から作り出した骨格筋細胞も同じように壊れやすく
なったということで、病態の一部を世界で初めて再現できたと表明。この病気の骨格筋細胞に新薬
の候補となる物質を投与すれば、病気を治す効果があるかどうか短期間に確認できるので、筋ジス
トロフィーは現在有効な治療法のない中で、新薬の開発につながればと期待されている。

 

  

そうかと思えば、尖閣諸島(沖縄県石垣市)北方海域における中国海軍艦艇による海上自衛隊護衛
艦へのレーダー照射が、中国共産党中央の指示によるものだったことが23日、分かった。複数の

日中関係筋が明らかにしたという、物騒な新聞も届いている。それによると党中央から威嚇手段の
検討を指示された中央軍事委員会が、レーダー照射に加え、「火砲指向」も提示。党中央はいずれ
も実施を許可していた。海自側は、レーダーに続き火砲も向けられれば中国側の攻撃意図を認定せ
ざるを得ず、一触即発の事態となる恐れもあったというのだ。現代中国国家がどちらに向かうのか
については、既にこのブログで掲載していきたことだから屋上屋は重ねず、『デジタル・ケイジア
ン宣言
』のブログの再記載しておこう。

 

「共産党は今では一致して彼ら大衆に対立し、その独占された暴力を用いて反対行動を鎮圧し、農
民を土地から追い出し、民主化要求だけでなく分配
の公正というささやかな要求の高まりをも抑圧
する姿勢をはっきりと固めているからである。こう結
論することができるだろう。中国は明らかに
新自由主義化と階級権力の再構築の方向に向かって進ん
できた。たしかに、そこには「はっきりと
した中国的特色
」が見られる。しかしながら、中国で権威
主義体制が強化され、ナショナリズムヘ
の訴えが頻繁になされ、帝国主義的傾向が一定復活してきて
いることから、中国が、まったく違っ
た方向からではあるが、今日アメリカで強力に席巻している新
保守主義的潮流との合流に向かいつ
つあるのではないか、と。これは未来にとってあまり良い兆しで
はない」(デヴィット・ ハーヴェ
イ著 『新自由主義』より引用)
                           

※ 参考@筆者『新自由主義論 Ⅰ』


さて、村上春樹の新作(『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』)が届き、さっそく気に
入ったところを
速読した。たまには小説をじっくりと読んでみるシリーズとしてこのブログに感想
をランダムに掲載していこうと思う。 

 



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