極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

クライーバーンとオカハシ・パワー

2013年02月28日 | デジタル革命渦論

 

 



 

国際的に著名な米国人ピアニストのバン・クライバーン氏が27日、テキサス州フォートワースの
自宅で死去(享年78
歳)。ルイジアナ州生まれ。3歳でピアノを始め、10代には国内のコンクー
ルで連勝した。冷戦さなかの1958年にモスクワで開催された第1回チャイコフスキー国際コンクー
ルに23歳で参加して優勝、一躍国際的な名声を得る。この優勝を記念して62年からフォートワース
で原則4年に1度、バン・クライバーン国際ピアノコンクールが開催されてきた。2009年のコンク
ールで全盲のピアニスト、辻井伸行が日本人として初優勝する。10年間ほどのコンサート休止期間
を経た87年、ソ連のゴルバチョフ書記長(当時)による歴史的訪米の際にホワイトハウスで行われ
た夕食会で復帰演奏し、ゴルバチョフ氏を感激させたという。03年、米文民最高位の大統領自由勲
章を受章。04年にはロシアのプーチン大統領から友好勲章を授与されていた。



このように、音楽の本姓は国境というボーダフルなものをボーダレスなものに変えてしまう力があ
ることを、またそれは個人のパワーが寄進・推進するものであること再確認させてくれたのが「ク
ライバーン・パワー」だ。

          

もうひとつの人間力(ヒューマン・パワー)の紹介。2011年9月の歴史的豪雨を全国を襲った記憶は
新しい。わけても紀州を熊野の被害の爪痕はいまだに深く残っているが、そんななかで、岡橋清元
(きよちか)氏の考案した森林道はその被害を最小限とどめることでその工法の優位性を実証する
こととなる。その奈良は吉野の人工林では、2010年より作業道開設を始め、間引いた木(間伐木)を
集め(集材)、必要な長さに切り、トラックの運搬道を建設する工法が全国展開の様相をみせている。
それは吉野林業地での作業道作設の先駆けした清光林業株式会社会長のパワーによるものだという。
その作業道開設には(1)念入りな下調べ(踏査)から始まる。ヒカゲノカズラやアセビが生える
箇所は地盤が固い
と言われ、作業道を開設するのに好ましい環境だ。(2)つぎに、踏査したコース
を油圧ショベルで掘り進
め、途中で不都合が出た際にでもルート変更が出来るように、踏査箇所を
先に伐採すること(先行
伐採)は行わない。(3)粗道が出来次第、仕上げ作業を行い、最後に砕
いた岩片(バラス)を敷い
て完成させる。この工法の特徴は(1)間伐材を利用し、山手側にこれ
を杭にし地肩崩れを防止し
(2)水はけを良くするため作業運搬同道に埋設間伐材間に排水用トレン
チゴムを直交するように埋設するというもので、完成した作業道は森林に出来るだけ負荷をかけず、
道幅を2.5メートル(最小限の重機やトラックが通れる幅)にしているのが特徴だ。作業道を維持に
考えなければいけないのが「水」。川の水や雨水とどのように共存利用するのかがこの工法のノウ
ハウ(know-how;企業・事業技術)。  

 

 

【有機エレクトロニクスに鬼の金棒】

世界で初めて、高分子太陽電池の劣化の原因を解明したという。これは2年前川崎市でセミナー受
講したもある筑波大学の丸本一弘グループの研究成果で(えぇ~っと、どこかにその報告資料をサ
イトアップした記憶があるが)、アンペアー・エレクトロン(孤独な電子?)を検出して、有機化
合物中のフリーラジカルの検出する分光法を使い、太陽電池素子中の電荷キャリアの動態を解析し
ようとすもの。例えば、トラップされた電荷キャリアの形成と蓄積が太陽電池素子内の電場分布に
影響を与え、変換効率などの太陽電池特性を低下させるため変換効率や太陽電池の耐久性の向上に
欠かせない。この解析の研究は従来、熱刺激電流、光電子分光、インピーダンス分光などの手法を
用いていたものの、太陽電池素子の全体の平均値、マクロ量の測定法であるため、太陽電池内の内
部状態を分子レベルのミクロレベルな測定はできなかった(「森を見て、木をみない」という喩え
がいいか?)。ようするに、具体的な素子形成しする積層構造欠陥がどの分子層にあって、効率や
耐久性を得られないのかを特定する方法が、試行錯誤で場当たり的に素子を測定するしかなく太陽
電池の高効率化の妨げとなっていたのが、この成果の出現で太陽電池だけでなく有機EL、有機ダ
イオードなどの応用分野の技術開発のバック・アップとなり、喉から手が出るほど欲しい測定機だ
った。



この先の影響についての予言はさけておくが、無機結晶・化合物系エレクトロニクスのシリコン系
太陽電池の耐久性や堅牢性あるいは大容量レベルの発電には不向き。このため(1)可撓性(2)
意匠性(3)廉価の点で優位であるため広範な生活・居住空間での市場展開が飛躍するものと予想
される。これはなかなか面白いニースだった。

 

 

                     

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カスタニヤッチオなむしの知らせ

2013年02月27日 | 日々草々

 

 

 

 

  

      「虫のしらせがあるんです……私は奇妙な、暗い
      予感に苛まれているんです。なんだかまるで愛する人の
      死が待ち受けているような」
      「先生はご結婚なさっているんですか? 家族はおありなんですか?」
      「一人もいませんよ。私には一人の友達すら
      おりません。ねえ奥さん、あなたは虫のしらせというものを信じますか?」
      「ええ、そりゃ信じてますとも」


         "I have a foreboding ... i'm opppressed by a strange, dark foreboding.
         
As though the loss of a loved one awaited me."
         "Are you married, Doctor? You have a family?"
         "Not a soul. I'm alone, I haven't even any friends.
         Tell me, madam, do you believe in forebodings?"

         "Oh, yes, I do."

      

                 アントン・チェーホフ 『むしの知らせ』(「無限運動」より)
                       レイモンド・カーヴァー 『滝への新しい小径』 
                                      村上春樹 訳 “Foreboding” 

 

 





材料:クリの粉 500g、砂糖 80g、干しブドウ 60g、松の実 40g、ローズマリー、バター、パ
   ン粉、オリーブ油、塩、(ウイキョウの種)

カスタニャツチオは古くからある,素朴でこのうえなく愛らしいケーキ。イタリアにはたくさんの
作り方があるが、それらは細かな部分が違っている程度である。最近では、これを作るようなこと
はますます少なくなり、路上の屋台で見かけることも少なくなってきたとか。しかし、これは食い
しん坊の食べ物で、精のつく食べ物。さまざまな作り方のうち、どこでも作り方の根拠としている
のはトスカーナ地方の、フィレンツエの作り方であるように思われる。それではその作り方(いつ
ものように四人前)。クリの粉、砂糖、塩ひとつまみ、オリーブ油で練り粉を作るが、オリーブ油
を加減して、柔らかくて腰のある練り粉にするため、その間にかき混ぜるのを中断せず、冷たい水
を入れてのばす(水は1リットルほど必要)。

   Castagnaccio


この半流動状の練り粉を,なるべく平たいパイ皿またはタルト型に移して料理する。というのも、
伝統的にカスタニャツチオは薄っぺらなものだからである。決してこれを強制するものではなく、
好みによっては、高さを高くしてもよい。ただし、その時にはもっと柔らかいものができあがる。
つぎに、皿にバターを塗ったあと、パン粉をまき、その中に冷水に溶いた溶き粉を入れ、上にロー
ズマリーの葉、あらかじめぬるま湯でもどしておいた干しブドウ、そして松の実をふりかけ、もう
一度上にオリーブ油をふりかけ、オーブンに入れて、強火で45分から1時間程度焼く。カスタニャ
ツチオがだいたい乾いたらできあがり。人肌でも,冷たくても食べられる。ローズマリーの代わり
に、ウイキョウの種を使ってもよい。


特開2012-033572

【符号の説明】100…太陽電池、110…光吸収半導体層、120…電子側エネルギー選択性コ
ンタクト層、121…第1障壁層、122…半導体量子構造、123…第2障壁層、140…電子
側電極半導体層、160…表面電極。


昨夜のホットキャリー型量子ドット太陽電池のつづき。どうも大雑把な提案で、ダメモト特許では
ないか
という疑問が尾を引き、流れを追って調べてみて、下表の技術報告の「世の中で50%以上の
高い変換効率が期待されている多重励起子生成太陽電池およびホットキャリア太陽電池の限界変換
効率を計算する新しいモデルを構築した。現実的には除去できないエネルギー散逸過程の影響は深
刻であり、これらの方式により、既存の太陽電池と競合することは極めて難しいと言わざるを得な
い。」との要約のように屋根置きなどの環境条件では使えないというものだが。著作者が寄稿掲載
後に特許公開している意味を巡って、こちらの憶測では結論がつかないので、直接ご本人とコンタ
クトを取るしかないかなぁ~といことで残件扱いにする。



チェーホフのむしの知らせをテーマに考えてみようと映画「ロメオとジュリエット」とフィレンツ
エ風カスタニャツチオと繋げたものの、その先が展開できない。まして、ダメモト特許か否かとい
うことの予感が当たるかどうかは、ずっと先になりそうだしと、そんな取り留めないことを考えて
いたら、彼女が来て「空気清浄機」を今度、見に行きましょうという。こちらは量子ドットならぬ
北京粒子状物質はピー・エム25の話。彼女曰わく、空気清浄機がなければあなたは死ぬというの
だ。これは半分冗談でないと考えていて、前々から、(職業環境から)肺ガンか肺炎で僕は死ぬん
ダ!?と彼女に公言していたのだから、以外と虫の知らせかも。天罰でも難題、それも誰も解けな
いような難題でもなんでも構わないから、掛かって来なさい!どうせたかが知れた余命だ。




 

 

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ホットキャリアなグリーン国債

2013年02月26日 | 新自給自足時代

 

 

 

 

【非攻 ひとりを殺せば死刑、他国を侵せば大手柄】

 

 人ひとりを殺せば、不義であるとして、必ず死刑に処せられる。もし、この論理にしたがう
とすれぼ、人を十人殺したときには、不義を十回犯したのであるから、十回死刑に処すべきで
ある。百人を殺せば、百回死刑に処すべきである。こういう犯罪については、天下の君子は、
いずれもこれを非難し、不義と認める。ところが、他国侵略という大きな不義については非難
しようとしない。それどころか、かえってこれを「義」とみなしている。
かれらは、侵略行為が不義であるという道理をわきまえていないのだ。それなればこそ、戦
争の事蹟を書きたてて後世に伝え残そうとするのである。もし、不義であることをわきまえて
いれば、戦争の事蹟を書きたてて、後世に伝え残そうとするはずがない。
たとえば、ここに、ひとつひとつの黒は見分けても、黒一色に塗りつぶしたものを「白」と言
い張る男がいるとしよう。この男は、白と黒との区別をわきまえぬ人間である。少量の苦味は
嘗め分けても、大量に苦味を嘗めて、「甘い」と言い張る男がいるとしよう。この男は、甘味
と苦味との区別をわきまえぬ人間である。 
 同様に、小さな不義については非難しながら、他国侵略という大きな不義については非難し
ようとせず、かえってこれを「義」とみなす者、これは、義と不義との区別をわきまえぬ男で
はないか。
 これがいまの君子である。かれらは義と不義との区別をあいまいにしているのだ。

※ 勲章の意味  映画「殺人狂時代」で、チャップリン扮するところの殺人業者(ムッシュ・
  ベルドオ)が裁判長に向かっていう。「なるほど、わたしは七人の女を殺した。生活のた
  めに…。だが、戦争で百万の人間を殺したものは、罰せられない。勲章をも、英雄と呼ば
  れる。何故です、何故です?」チャップリンが展開した論理は、まさに墨子が「非攻編」
  で訴えたもの。小さな不義については非難するが、戦争という大きな不義については非難
  しようとせず、かえってこれ賛美する「君子」の不合理性、こういう「君子」が幅をきか
  している限り、墨子の論理は、永に有効性をもちつづけるのである。

 

 

               殺一人謂之不義、必有一死罪矣。
              若以此説柱、殺十人十重不義、必有
              十死罪矣。殺百人百重不義、必有百
              死罪矣。当此天下之君子、皆知面非
              之、謂之不義。今至大為不義攻国、
              則弗知非、従而誉之、胴之義。情不
              知其不義也。故書其言以遺後世。若
              知其不義也、夫奚説書其不義以遺後
              世哉。
               今有人於此、少見黒目黒、多見黒
              曰白、則必以此人為不知白黒之弁矣。
              少嘗苦曰苦、多嘗苦曰甘、則必以此
              人為不知甘苦之弁矣。今小為非則知
              而非之、大為非攻国、則不知非。従
              而誉之、謂之義。此可謂知義与不義
              之弁乎。是以知天下之君子、弁義与
              不義之乱也。

 

一人を殺さばこれを不義と用い、必ず一死罪あり。もしこの説をもって柱かば、十人を殺さば
不義を十重す、必ず十死罪あらん。百人を殺さば不義を百重す、必ず百死罪あらん。かくのご
ときは天下の君子、みな知りてこれを非とし、これを不義と謂う。いま大いに不義をなし、国
を攻むるに至りては、すなわち非とするを知らず、従いてこれを誉め、これを義と謂う。まこ
とにその不義を知らざるなり。故にその言を書してもって後世に遺す。もしその不義を知らぱ
それなんの説ありてその不義を書し、もって後世に遺さんや。いまここに人あり、少しく黒を
見て黒と即いヽ多く黒を見て白と曰わば、必ずこの人をもって白黒の弁を知らずとなさん。少
しく苦を即めて苦しと曰い、多く苦を官めて甘しと曰わば、必ずこの人をもって甘苦の弁を知
らずとなさん。いま少しく非をなさば知りてこれを非とし、大いに非をなして国を攻むれば、
非とするを知らず。従いてこれを誉めて、これを義と謂う。これ義と不義との弁を知ると謂う
べきか。ここをもって天下の君子の、義と不義とを弁ずるの乱るるを知るなり。



《解説》「墨子」の中には、独特の構成をもったものが十編ある。それは1つの細か上・中・
下から成り、それぞれ言い回しが多少違うだけで諭旨は全く同じなのだ。つまり同内容のもの
が三つずつ収録されている(「非儒編」は上・下の二編)。これは「墨子」が弟子たちの手
によって成ったものであり、かれの死後、三派に分かれた墨家によってそれぞれに伝えられた
ためといわれる。「非攻細」も上・中・下という構成で、ここに訳出しだのは「非攻・上」だ
が、この編だけは形式、内容ともややおもむきを変えている。他の編のように、「子墨子曰わ
く……」ではじま問答体ではなく、冒頭から墨子の著という体裁をとっている。あるいは、こ
の編だけは、墨子自身が書いたのかもしれない。事実、この編は、そういう推測が許されるほ
どの迫力をもっている。                 

参考までに「非攻・中編」の内容を要約しておこう。為政者は人民の幸福を目的として国を治め
るべきであるのに、人民の用を奪い、人民の利を廃して戦争を起こす支配者が多い。かれらの
戦争目的は何かといえば、戦勝を誇り、他国を奪って利益を得ることなのだ。だが、戦勝を誇
ることなどは、どんな実利ももたらさない。他国を奪って利益を得たとしても、失うものはそ
れ以上に大きい。多くの費用と多くの生命が失われるからだ。戦争を起こすのは、多くの場合
強国である。これらの国は、広大な土地をもちながら、なお他国の土地を侵している。その結
果、多くの人民を殺し、苦しめている。人民の利益をそこなうことが、どうして正しい道とい
えよう。ところが、好戦的な者はこんなことをいう。-今日、楚・呉・斉・晋は大いに栄えて
いるが、
               
これらの国の祖先がはじめて諸侯に封ぜられたときは、その領地はわずかに数百里四方、人民
も数十万にすぎなかった。ところが戦争を収ねて他国の領地をとり、他国の人民を併せたため
に、今は数千―四方の領地と、数百万人の人民をもつようになった。これは戦争によって得た
利益ではないか、と。だが、たとえそれらの国が利益を得たとしても、決してそれは正しい道
ではない。それらの国が利益を得たために、どれほど多くの国が悲惨な目にあったことか。医
者が人の病いをなおす場合を考えてみよ。薬を病人にあたえても、数人の者だけに効いて、他
の多くの者には効かなければ、その薬はよい薬とはいえないではないか。医者の使命は、万人
の病いをなおすことである。少数の者にしか効かない薬を調合することは、医者としての本分
にもとることである。むかしから今まで、多くの国が亡んだ。それらの国々はみな戦争によっ
て亡んだのである。大国は力ずくで小国を圧迫する。そのために小国は亡びる。菖が斉と越と
の間にはさまって亡び、陳・蔡が越と呉との間にはさまって亡んだのはそのためである。大国
であっても亡びる。呉は越を属国にして一時覇者となったが、その後、越に亡ぼされてしまっ
た。どれもこれも戦争が亡国を招いたのである。武力を特んで国をいつまでも保つことはでき
ない。昔、晋に六人の将軍がいた。そのひとりである智伯は、領地の広大さと人民の多きとを
特んで、諸侯に対抗して覇分もI珀の君主となろうと考えた。それには武力によるのが最上の
策であると考え、まず中行氏を攻めてその領地を奪い、さらに苗氏を攻めてこれを破り、つい
で趙襄子を晋陽に囲んだ。そのとき、それまで智伯にくみしていた韓・聊爾氏は、趙氏が亡ぼ
されたら、やがて、自分たちも同じ運命に見舞われるのではないかと考えた。そこでかれらは
ひそかに趙氏と内通し三方から智伯を攻め、ついにこれを亡ぼしてしまった。「君子は水に鏡
みずして、人に鏡みる」ということわざがある。水に顔を映してみれば、顔の形がわかるだけ
だが、人を鏡とすれば、吉凶を知ることができる。戦争によって利益が得られると思う者は、
智伯のことを鎗とすべきだ。

※ 墨子の「非戦」はいつの時代の国家権力者達にとって危険思想として映るに違いない。

 

 

【大好評、愛媛のみかんぶり】

愛媛県と回転ずしチェーン「くら寿司」が協力し、同県宇和島市産の養殖ブリ「みかんぶり」
を使った商品を開発、6日から全国のくら寿司の店舗で販売を始めたが、これが好評だという。
5日には石橋寛久宇和島市長、くら寿司を運営する「くらコーポレーション」の田中邦彦社長
らが、みかんぶりのおいしさをアピールしていた。愛媛県は、養殖漁業では全国1位の生産額
を誇り、県産の養殖魚を「愛育フィッシュ」と名付けている。みかんぶりは、養殖ブリに「い
よかん」の皮の成分を混ぜた餌を与えて育てることで、独特の香りと味を出した特産品。ブリ
特有の臭みがまったくないだけでなく、切り身にした後も色落ちが少ないといった特色がある
があるというが、柑橘系の爽やかな食感がブリは子供たちにも好評だとテレビで伝えていた。
これは。「産業技術の融合」「漁業の高度化」の好例だ。、



※ 特開2011-177170
※ 特開2003-299445 養魚用飼料

 

 

  


【第七章 自由の展望】

デヴィッド・ハーヴェイは新自由主義の総括にあたって、この章の冒頭で、フランクリン・ル
ーズベルト大統領は、一九三五年の年頭教書演説を引き合いにだし、新自由主義化か惨僣たる
大失敗であるとみなされることは間違いないと総括する。その理由を、ルーズベルトの構想は
ヒューマニズム思想の連綿と続く系譜にはっきりと位置づけられるものである。たとえばカー
ル・マルクスも空腹は自由を生み出さないという恐ろしくラディカルな見解を抱いていた。彼
は「自由の王国は、実際、窮乏と外的合目的性とによって規定された労働がなくなるところで
はじめてはじまる」と述べ、念を押すように、自由はそれゆえ「本来の物質的生産の領域の彼
岸にある」とつけ加えているとし、マルクスは、われわれは自然との物質代謝の関係、あるい
は人間相互の社会的諸関係からはけっして自由にはなれないが、少なくとも人類の個体的・類
的潜在力の自由な探求が現実の可能性になるような社会秩序の建設を目指すことはできるとい
うことを、十分に理解していた。マルクスの自由についての基準と、アダム・スミスが『道徳
感情論』の中で述べている自由の基準を比較する。


  フランクリン・ルーズベルト大統領は、一九三五年の年頭教書演説の中で、一九三〇

  年代の大不況の経 済的・社会的諸問題は、市場の行きすぎた自由に起因するという見
  解を明快に述べた。曰く、アメリカ人は「行きすぎた利益により蓄財することで、法
  外な私的権力をつくりあげるという発想をきっぱりやめなければならない」。貧しき
  人は自由人ではない。いずれの場所においても--‐と彼は論じる---社会的公正は彼方
  にある理想ではなく、明確な目標になった。国家と市民社会が果たすべき最優先の義
  務は、貧困や飢餓の根絶にその力を活用しその資源を振り向けることであり、生活の
  保障を与え、大規模な災害や生活の紆余曲折から保護し、ちゃんとした住宅を保障す
  ることである。欠乏からの自由は、後に〔一九四一年〕彼が未来の政治的ビジョンに
  据えた四つの基本的自由の一つである。こうした幅広い自由概念は、ブッシュ大統領
  の政治レトリックの中核に据えられた実に挟溢な新自由主義的自由とは対照的である。
  ブッシュはこう論じる。われわれが抱えるさまざまな問題に対する唯一の対処法は、
  国家が私企業への規制をやめ、社会福祉から手を引き、市場の自由と市場倫理をより
  いっそう普遍化することである、と。このように、「ただ自由企業を擁護するだけの
  もの」へと新自由主義的な堕落を遂げた自由の概念は、カール・ポランニーの指摘に
  よれば「所得・余暇・安全を高める必要がない人にとっては自由の充足を意味するが
  財産所有者の権力からの避難場所を手に入れるために民主的な権利を利用せんとむな
  しい試みをするかもしれない人にとっては、ほんのわずかの自由しか意味」しない。


           デヴィッド・ハーヴェイ 渡辺 治 監訳「第七章 自由の展望」 
                 (『新自由主義-その歴史的展開と現在 』より)


そのことはまた、新自由主義的な命題や処方隻の有効性に対する不満として、支配層の政策グ
ループ
内部にもあらわれてくる。かつては新自由主義に熱中していた人々、ジェフリー・サッ
クスやジョセフ・ス
ティグリッツ、ポール・クルーグマンや実際に関与していた人々、たとえ
ばジョージ・ソロスが、今では批
判派に転じ、ある種の修正ケインズ主義への回帰(わたしの
考えに近いのかも知れない!要調査)
やグローバルな諸問題の解決策としてのより「制度
的」
なアプローチ、グローバル統治に対するよりまともな規制のシステムから、投資家の向こう見
ずな投機をより厳重に監督することにいたるまでありとあらゆるものがそこに含まれる)を提
唱するにまでいたっている。最近では、グローバル統治の改革については、単なる主張にとど
まらず大きな見取り図が示されている。グローバル統治の基礎としてのコスモポリタン的倫理
(一人を傷つけることは万人を傷つけることだ」)への学術的・制度的関心が再び起こってお
り、過度に単純化された普遍主義であるという点で問題があるとはいえ、まったく利点がない
わけでもないが、非識字の根絶という二〇〇〇年のミレニアム・サミットで189カ国の首脳公
約は、新自由主義世界ではほとんどすべての国で国民総生産に占める公教育の割合が実質的か
つ持続的に低下しているという状況のもとでは虚しく響くと批判する。


※参考:国際関係論における倫理 : その系譜、理論的視角、問題、池田丈佑、国際公共政策
    研究. 10(2) P.59-P.75、2006-03

 

  この種の目標は、新自由主義が立脚し新自由主義化のプロセスがその強化に大いに貢
  献してきた根本的な権力基盤に挑戦することなしには実現することはできない。これ
  は、国家が福祉給付から手を引いていく過程を逆転させるだけではなく、金融資本の
  圧倒的権力と対峙
することをも意味する。ケインズは、配当や利子に寄生して暮らす
  「金利生活者」を軽蔑し、彼が言うところの「金利生活者の安楽死」を、一定の経済
  的公正を実現するためだけではなく、資本主義につきものの周期的恐慌による破壊を
  回避するための必要条件とみなした。一九四五年以後に構築されたケインズ主義的妥
  協と「埋め込まれた自由主義」の長所は、こうした目標を一定実現する役割を果たし
  たことである。それとは対照的に、新自由主義化の時代が到来すると、金利生活者の
  役割は賛美され、金持ちの税金は軽減され、賃金や給与よりも配当や投機による利益
  の方が優先され、地理的に封じ込められていたとはいえ途方もない規模の金融危機が
  解き放たれ、国から国へと伝わって雇用とライフチャンスに破滅的な影響をもたらし
  ている。〔貧困の根絶といった〕敬虔な目標を実現する唯一の道は、金融権力と対決
  し、これまで構築されてきた階級的特権を撤廃していくことである。だが、そんなこ
  とをする大国が現われる徴候はどこにも見られない。

  一方でケインズ主義への回帰に関しては、私が以前に指摘したように、ブッシユ政権
  は累進的に増大する財政赤字を延々と未来に先送りすることを是認する姿勢をとるこ
  とで、すべての人々にきわめて困難な問題を突きつけた。しかしながら、伝統的なケ
  インズ主義の処方箋とは対照的に、この場合の再分配とは、貧困層や中産階級を犠牲
  にして、さらには一般株主(年金基金を含む)と言うまでもなく将来世代を犠牲にし
  て、大企業とその裕福な最高経営責任者(CEO)、金融・法律アドバイザーがたっ
  ぷり儲けるというものである。伝統的ケインズ主義がこのように改ざんされ、転倒さ
  せられうるという事実もけっしてわれわれを驚かせはしない。というのも、これまで
  も見てきたように、新自由主義理論とそのレトリック(とりわけ自由と解放に間する
  政治的レトリック)が何よりも、エリート階級の権力の維持・再建・回復に帰着する
  諸実践を覆い隠すものとして機能してきたことを示す証拠がたっぷり存在するからだ。
  だからこそオルタナティブの探求は、われわれの置かれた時間と場所の現実をしっか
  りと踏まえつつも、この階級権力と市場倫理が定義する準拠枠の外部に向かうべきな
  のだ。そしてこの現実は、新自由主義秩序そのものの中心部に重大な危機の可能性が
  存在することを示している。

            デヴィッド・ハーヴェイ 渡辺 治 監訳「第七章 自由の展望」 
                 (『新自由主義-その歴史的展開と現在 』より)


金融危機が起こると、国民経済全体が強力な金融権力による略奪のえじきとなるが、その金融
危機を特徴づけるは一般に慢性的な経済的不均衡であると指摘し。その典型的な徴候を(1)
国内の財政赤字が膨れ上がって制御不能になっていること、(2)国際収支危機、(3)通貨
価値の急激な下落、(4)不動産市場および金融市場における国内資産価値の乱高下、(5)
インフレの昂進、(6)賃金の下落をともなう失業率の上昇、(7)資本逃避であると指摘し
現在のアメリカは、これらの主要な七つの指標の中で最初の三つのスコアの高さが際立ち、四
つ目に関しても深刻な懸念があり。現在の「雇用なき景気回復」と賃金の停滞は、六つ目の問
題が頭をもたげはじめたという(※2007年の出版までの分析での)。アメリカ以外の国々でこ
れだけの指標があてはまれば、ほぽ間違いなくIMFの介入が必要だとされるだろう(IMFのエコ
ノミストたちは、連邦準備制度理事会の前議長ボルカーと現議長グリーンスパンと同じく、日
をそろえて、アメリカの経済的不均衡がグローバルな安定性を脅かしているとの不満を表明し
た)。だが、IMFを支配しているのはアメリカなのだから、これはまさにアメリカが自分で自
分を規律づけることを意味し、グローバル市場はこの規律づけを行ない、それはどのような影
響を及ぽすのかこれは重大な問題であると。

 

   「拡大再生産にもとづく蓄積」と呼ぶものを中心とした運動が存在し、そこにおいて
  は、賃労働の搾取や社会的賃金を決定づける諸条件が中心的な諸問題であった。他方
  では、「略奪による蓄積」に反対するさまざまな運動が存在する。これらの運動に含
  まれるのは、(1)本源的蓄積の古典的な形態(たとえば土地からの農村住民の強制
  排除)に対する抵抗、(2)国家があらゆる社会的義務(国民に対する監視と警察に
  よる取り締まりを除いて)を乱暴に放棄することに対する抵抗、(3)文化・歴史・
  環境への破壊行為に対する抵抗、(4)国家と同盟した現代の金融資本が仕掛ける「
  資産収奪的」なデフレおよびインフレに対する抵抗などである。こうした多様な運動
  の間にある有機的な結びつきを見出すことが、差し追った理論的・実践的課題である。
  しかし、それが可能となるのは、われわれの分析が明らかにしてきたように、極度に
  不安定でますます深刻になる地理的不均等発展によって特徴づけられる資本蓄積過程
  のダイナミズムを追跡することによってのみである。そして、この不均等性は、第四
  章で論じたように、国家間の競争をつうじて新自由主義化の拡張を大いに促進する。
  階級政治を再活性化させる上での課題の一つは、この地理的不均等発展を債務ではな
  く資産へと転じることだ。支配階級エリートの分割統治政策に対しては、地域権力の
  自己決定権を再構築することに共感をよせる左翼の連合政策で立ち向かわなければな
  らない。(中略)市場は競争的で公正であるという理念は、企業と金融の権力の途方
  もない独占化、集中、国際化という事実によってますます否定されている。各国内で
  も(中国、ロシア、インド、南アフリカなど)、国際的にも、階級間・地域間の不平
  等が驚くほど拡大したことは、新自由主義世界が完成する途上での「過渡的」なもの
  であると言ってごまかすことがもはやできないほどの深刻な政治的諸問題を生じさせ
  ている。新自由主義が、支配階級の権力回復という(成功した)プロジェクトを偽装
  するための(失敗した)空想的レトリックであることが認識されればされるほど、平
  等主義的な政治的要求を唱え、経済的公正、フェアトレード、より豊かな経済保障を
  追求する民衆運動が復活していく基礎が築かれていく。


            デヴィッド・ハーヴェイ 渡辺 治 監訳「第七章 自由の展望」 
                 (『新自由主義-その歴史的展開と現在 』より)


このように、ハーヴェイらは分析を通じ、この最終節「オルタナティブに向けて」で、生活を
構築する支配的プロセスたる終わりなき資本蓄積に対する批判は、新自由主義の根拠となり逆
にそれを根拠にもする特殊な諸権利-個人的な私的所有に対する権利や利潤原理-に対する批
判を当然ともなう人間としてのわれわれの地位に本来備わっている諸権利に加えて、平等なラ
イフチャンスの権利、政治的結社と「よき」統治の権利、直接的生産者による生産管理の権利
人身の不可侵性や尊厳に対する権利、報復のおそれなしに批判する権利、健康で文化的な生
環境に対する権利、共同所有の資源を集団的に管理する権利、空間を生産する権利、異なった

存在でいられる権利、など(新自由主義によって神聖なものとされる諸権利とは異なった諸権
利)のオルタナティブな諸権利を内包しうるようなオルタナティブな社会的プロセスとはいか
なるものであるかを明確化し、新自由主義が説く自由よりもはるかに崇高な自由の展望が存在
し、新保守主義のもとで可能となるよりもはるかに有意義な統治システムは存在すること、そ
して、そうした自由を獲得し、そうした統治システムを構築するべきなのだとむすぶ。

                                   この項つづく 


 



【ホットキャリアなグリーン国債】


昨夜も掲載したが、ここのところの新規考案の申請が凄まじい勢いだ。今日を目を通したのは
量子閉じこめ効果により量子エネルギー順位が離散化し、ホットキャリア(運動エネルギーが
高揚した電子:ホット・エレクトロンとも呼ぶ)が熱になるまでの緩和時間中にキャリアを取
り出す、ホットキャリア型の太陽電池の基本構成とその包括的な製造方法の提案(トヨタ社)
だ。4つある量子ドット太陽電池のなかで、セル変換効率が66%と飛び抜けて高い方式だ。
そのメカニズムは、キャリア発生部の大きさを20nm以下にすると、ホットキャリアの移動
距離を10nm以下にすることが可能になり、ホットキャリアの移動距離を従来のホットキャ
リア型太陽電池よりも大幅に短縮することができる。ホットキャリアの移動距離を低減するこ
とにより、エネルギー損失を低減することが可能になるので、光電変換効率を高めることが可
能になるというものなのだが、詳しくは、上下のをクリックして読んでください。時間もない
ので、そこで思いついたのは、人間社会もこうなんだなぁ~というもので、社会的環境条件で
人間力の大小は決まると、アベノミクスの成長戦略の成果の可否もこのホットキャリアな量子
ドット太陽電池からなにがしかのヒントがあるねという思いがした。つまるところ政府による
インセンティブがなにがしか適切に整えられたならば飛躍可能だと。それが、特区構想のよう
なもでもいいし、環境国債(グリーン国債)に包含される「高性能太陽電池普及政策」のよう
な形であっても良いわけだ。あっと、これは「未来国債」としてブログ掲載したっけ?

 

 【符号の説明】
11、21…p層 12、17…混合pn材料層 12a、31…p型半導体材料 12b、32…n型半導体材料
13、23…n層 14…裏面電極(第1電極) 15…表面電極(第2電極) 16…キャリア生成粒子(キ
ャリア生成物質) 16x、18x、22x、30x…キャリア発生部 16y、18y、22y、30y…キャリア選択移
動部 16ya、18ya、22ya、30ya…第1障壁層 16yb、18yb、22yb、30yb…量子井戸層 16yc、
18yc、22yc、30yc…第2障壁層 18…キャリア生成細線(キャリア生成物質) 22…キャリア生成膜
24…積層体 30…キャリア生成物質 100、110、200…太陽電池

それだけじゃない。肝心のオールソーラシステム(ASS計画)のコア製造プロセス及び装置構
想もなんとなく最終段階に入ってきたような確信が、頭上に舞い降りたような感じ。つまり、
それは、もうヘロヘロの状態になっていることの裏返しなのだが、今夜はこの辺で。

 

 

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ガーリックが効いた量子ドット

2013年02月25日 | ネオコンバーテック

 

 

 

いよいよということで、『ニンニクの科学』に取りかかり始める。上図は改訂版だが、初版をどこで
買ったのか記憶にないが、何れ研究にということで本棚に残しておいたもを取り出し「ニンニクの歴
史」から読み出して初日を終える。そもそも、ニンニクの歴史は古いが、他の医薬品と同様に食品と
毒物の間で生まれてきた。ニンニクは毒物との境界で医薬品としての位置を安定させ、生ニンニクの
抗菌・殺菌作用、殺虫作用を医薬品として利用してきたが、その反面、食品としても重要な位置を占
めるようになり、栄養があり嗜好性もあり、安全性が高いことでクリアーする。具体的に食品のなか
でも最も栄養価が高く、種々のビタミン類を豊富に含み、さらに不安定成分アリシンが殺菌作用が、
アリシンの分解物にクサイ臭いのほかに美味と香りの成分が発見され、嗜好品としても広く利用され
るようになる。毒作用の主成分もアリシンの処理方法も見つかり安全性が確保される。一方、ニンニ
クはアリシンの生成を除外しても薬効があり、その薬効は緩和で、連続摂取することで慢性疾患に有
効であり、養生・養命(慢性疾患や老化の予防)にも有効であることが分かってきた。現在、この分
野で医薬品と食品の激しく競合している。

ニンニクの大量栽培が可能になり、安価で簡単に手に入るようになったがものの長期保存ができず生
薬の品質安定が難しく、医薬品の商品化ができずにいた。最近、加工法によって有効成分が異なるた
めに薬効も変化することが分かった。そのため古代エジプトの『エルベスパピルス』に記されていた。
『エルベスパピルス』のニンニクの入った8処方だけでも、疾病に応じて他の生薬と一緒にすり漬し
たニンニクを家鴨の油で煮て飲んだり、ビールやワインと混ぜて飲んだり、蜂蜜と混ぜたり、鱗茎の
まま煮たり漬けたりして使用していたのだ。このことは、にんにくとたまねぎ(玉葱)の抗がん作用
があると、米国ガン研究協会(2007.2.26Karen Sollins,MS,RD,CDN)による報告がなされている。

それによると、イタリアとスイスの人々が日常食べているたまねぎとニンニクの量によってグループ
分けし、疫学的調査を行った結果、多くニンニクを食べているグループは、“ほんの少しか食べない
人々”や“まったく食べないグループと比較し、10~88%、ガン発生率が少なかったという。比較さ

れたガンの種類は、食道ガン、口腔ガン、咽喉ガン、結腸ガン、乳ガン、前立腺ガン、腎臓ガンを含
み、例えば、たまねぎを大量に摂っている人々は、たまねぎを全く食べない人々に比べ、結腸ガンが
56%、乳ガンが25%低い。また、35,000人以上の女性を対象としたアイオワの研究結果では、1週間
に1片のニンニクを食べたグループは1ヶ月に1片もしくは全く食べない人々に比べて、結腸ガンに
なるリスクが32%低いという結果も出ている。さらに、1週間に4~5片のニンニクを食べると結腸
ガンになるリスクが31%低くなるという。また、胃ガンに対しては、521,000人のヨーロッパ人を対象
とした、大さじ一杯の刻みたまねぎか3片のニンニクを毎日食べ続け、6年半後に“胃の下部のガン”
の発生が30%低かったという結果が報告されている(もっとも、ニンニクが効いたのか玉葱か効いた
のかの判定はつかず)。

今日のところは、それ以上の詳しいデータ、資料を検索できなかったので確度はもうひとつだが、新
規考案の二つの資料から深掘りしてみた。1つめは「特開2011-254755|ニンニクエキス含有物質の
製造方法」。従来より、ニンニクは栄養価が高く、健康増進・滋養強壮とし食されてきたが、ニンニ
クの摂食するとしばらく後まで特有の刺激臭-生ニンニク中のアリイン(無臭成分)が、ニンニク中
の酵素アリナーゼにより変化し、アリシン(有臭成分)が生じ起こるが、生ニンニクをすり潰すと、
アリインから数10万ppm以上のアリシンが生成され、強烈な刺激臭を発する。このアリシンを取り除
く-ニンニク抽出液に活性炭を加えて、アリシンを除去-することで対応しているが、アリシンは水
に溶解し、油性物質を吸着する活性炭を用いても、効率的な除去が難しい上、アリシンの回収活性炭
の産業廃棄物処理の悪臭が問題となる。さらに、生ニンニクを粉砕し、水蒸気蒸留することでガーリ
ックオイルを回収しよとしても、その回収量は0.2~0.5%と効率が悪るくコストアップの要因とな
ため、ニンニク臭を備えたニンニクエキスが製造でき、ニンニク臭を備えた製品などを提供できる、
下図のプロセスが提案されている(実施例がないので効果については?)。




また、「特開2009-298742 生活習慣病改善剤」は、日本人の死因の第一位が心筋梗塞、脳梗塞など
心血管疾患で、心血管疾患の主要な原因が、肥満、糖尿病、高脂血症、および高血圧を重複する
メタボリッ
クシンドロームが要因とされ、予防方法や治療方法の確立が課題となっている。メタボリ
ックシンドロームは、内臓脂肪の蓄積によりインスリン抵抗性(耐糖能異常)、動脈硬化惹起
性リポ
蛋白異常、血圧高値を合併するとされる。WHOおよびNECP(米国)は、2002年、健康対策としメタボ
リックシンドローム重視方針を打ち出している。
飽食と運動不足の過栄養を原因とした内臓脂肪(腹腔
内脂肪)が蓄積すると、脂肪細胞に生理活性物質や、アディポサイトカインの異常分泌をきたし、糖・脂質代
異常、高血圧、さらには心血管疾患を惹起する。ここで、アディポネクチン(別名Acrp30)は、抗
糖尿病および抗動脈硬化作用を有する善玉アディポサイトカインで、アディポネクチンは、脂肪組織
特異的に発現する遺伝子apM1の産物で、224のアミノ酸からなる分泌タンパク質で、
微量でも全長ア
ディポネクチンよりも高い活性を示す。また、血中アディポネクチン量は、肥満、インスリン抵抗性
Ⅱ型糖尿病で低下しインスリン抵抗性が改善され
、体重制御薬剤になると考えられる。さらに、5’-AMP
性化プロテインキナーゼ(AMPK)の活性化は、脂質代謝促進、糖質代謝及び脂肪蓄積抑制等エネルギー代
謝活性化、肥満や糖尿病等の生活習慣病の予防・改善に寄与すると考えられていて、ニンニクエキス、醗酵
黒ニンニクエキス、ゴボウエキス、西洋カボチャ種子エキス、キウイ種子エキス、ギャバエキス、カッコンエキス、
チンピエキス、オウバクエキス、オウゴンエキス、アガリクスエキス、ガラナエキスなどの植物エキスから選択し
5’-AMP活性化プロテインキナーゼ(AMPK)を活性化させるる生活習慣病改善剤をつくる。




これらは1つの事例研究にすぎないのだが、この作業の意図として、ニンニクの有効成分を如何に安
定し取り出すか、あるいは如何に取り出した成分を食品として加工するかにあり、最終的には、例え
ば小麦粉と加工ニンニク粉を任意の比率に混合し(勿論、単独でも良い)、製麺・製パンなどの加工
食品材料「食べるニンニク」として普及させていくことにある。おっと、これも新規考案のタネだっ
た。

 

【量子ドット太陽電池製造プロセス考】 

現在急速に建設普及されているメガソーラーの事業化のポイントは、買い取り価格の安定化と耐久性
とアフターケアーに焦点になると考えていたが、次世代型メガソーラの開発スピードが急速に上がっ
ていくと考えている。そのなかでも10~300ナノメータサイズのシリコン系薄ナノワイヤーやナノド
ット薄膜型プレ・量子ドット太陽電池が先行する。その根拠は、ナノテクノロジー急速な進歩により
電極等界面の表面積の極大化が進むからだ。ナノメーターレベルの微細化が進むと面積拡大だけでは
なく、光起電力の向上や内部抵抗が低下し、変換効率続伸する。変換効率を上げる方法としては、長
波長(あるいは短波長)側の取り込みが可能なワイドレンジ化や波長変化フィルムなどが考えられる
が、種々の観点から実用化が難しいと思われる。

 
例えば 「2013-030805|単粒子膜エッチングマスクを有する表面微細凹凸構造体形成基板の製法」の
ように、有機溶剤などのシリコン系球形単粒子分散液を調製する工程と、単粒子と有機溶剤と非親和
性の液体収容槽中の液体面に滴下して単粒子分散液膜を形成する工程、有機溶剤などの分散媒を揮発
させ単粒子が2次元に最密充填配列している単粒子膜を形成する工程、単粒子膜を基板面に移し取る
工程で構成し、太陽光発電基板面のサブ波長反射防止微細構造のような反射防止微細凹凸構造の形成
に好適な単粒子膜エッチングマスクを有する基板の製造方法で、
溶剤中に粒子が分散した分散液を水
槽内の液面に滴下し、その後溶剤を揮発させることにより、粒子が精度よく2次元に最密充填した単
粒子層を形成でき、この単粒子層を太陽光発電用の半導体基板のような基板上に移し取り、高精度に
配列した単粒子膜のエッチングマスクを基板上に形成し、この基板面をエッチングマスクを通してエ
ッチングすることで、太陽光発電用の半導体基板に求められる光学理論に基づく高度に制御された反
射防止サブ波長微細凹凸構造を基板面に形成する。この方法を用いると、従来法と比較して、(1)
1.8倍短絡電流が大きくなり、(2)エッチングだけをウエット(水酸化カリウム)に換えて比較し
ても、1.4倍短絡電流が大きくなったという。



また、下図は、p型及びn型シリコンの間にi型アモルファスシリコンのナノメートルレベルの微粒
子とナノメートルレベルの薄膜層とを交互に成形成層して単位面積あたりのpn接合中間部面積を大
幅に増加させる。これにより生成キャリアの電子と正孔の対がより多く発生して分極化が促進されよ
り多くの起電力が得られることから、単位面積当たりの起電力を大幅に向上して、高効率の太陽電池
を提供する。また、小型化によるコスト低減とフレキシブルな形状の実現を図ることで、多用途への
応用が図られる高効率の太陽電池の新規考案だ。



【符号の説明】

1a、1b、1c 太陽電池 11、18、21、29、32、40 保護ガラス 12、22、28、
33、39 透明電極層 13、23、34 n型アモルファスシリコン 14 i型アモルファスシ
リコン15、26、37 i型シリコン微粒子 16 p型アモルファスシリコン 17 電極基材 
24、35 酸化チタン他ハイブリッド層 25、36 i型シリコン薄膜層 27、38 p型シリ
コン層 31 集光層


この考案の特徴は、(1)n型薄膜シリコン、及びi型シリコン及びp型薄膜シリコンによる3層構
造セルを有する太陽電池で、中心のi型シリコンを、ナノメーターレベルの微粒子層と、ナノメート
ルレベルの厚さのi型薄膜シリコン層とを5~10層交互に積層し、(2)i型薄膜シリコンの最上
層にナノメーターレベルの光感受性基材を薄膜状あるいは微粒子で少なくとも1層積層し、(3)受
光面となるn型薄膜シリコン層側の受光ガラス面に球状のマイクロメータレベルからナノメーターレ
ベルのクリスタル、ガラス及び石英ガラスを充填させ、これらを光拡散材として一体的に組み合わせ
た層に形成にある。ただし、この考案は原理的ことが書かれてあるだけで、実施例の詳細が書かれて
いない(=詳細な実現手段)ため製造プロセスの開発が重要となる。このため、ナノドット、ナノワ
イヤー、ナノチューブ形成手段として、前述のようなLB (Langmuir-Blodgett、ラングミュア-ブロジェ
ット)法や下図の放電プラズマ焼結法(SPS)や、レーザー誘起ドット転写法(LIFT)など近年この方
面の研究開発が激化している。このこのでの知財蓄積が重要になることは間違いない。





ここで語るべきだろう。持続可能な社会の実現に向けての「オール・ソーラ・システム」は実現可能
だし、また、それは急がなければならない人類の宿命を負っているのだと。



【今日のウオッチング ロビなど】   

 




昨日は、母の見舞いと、ジムへ雪が降る中、出かけたが、帰りに本屋に立ち寄ったついでに、「ロビ」を衝動買
いし帰ってきた。それで?それだけだが、馬鹿なことをしたと思っている。

 

 

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セロリラブな想い

2013年02月23日 | 創作料理

 

 

 
【ゼロリとセロリアックのイタリアン】

何故かセロリが好きで、好んで食べててきた。ところが、根セロリを口にすることはなかった。
前々から、栽培し拡販できないものか、一品一村の目玉にできないものかと考えたことがあった
が、これ以外にもいろいろ考えるものがありそれっきりになっている。さて、なじみのセロリに
は、ビタミンA、ビタミンC、カルシウム、鉄分、マグネシウムなどのミネラルを含み、強壮、
整腸、鎮静などに効果があり、食物繊維も豊富で、便秘の解消やコレステロールを下げる作用も
期待でき、セロリ特有の香りに含まれている精油成分が、口の中をさっぱりさせ、油っこい料理
のつけ合わせに向き、生で食べると食欲増進効果や精神安定、頭痛にも効果があるとされる。茎
の部分には肝機能を高める成分を含んでいるので、二日酔いで頭痛がする時に食べると効果があ
るというがそれを試した経験はない。





ところで、根セロリは、フランスでセロリラブ。和名はカブラミツバ、英語でセロリアックとい
われているが、セロリの仲間だがセロリの根ではなく、根だけを食べることができる別品種。名
前どおりセロリに似た味と香りがする。見かけの悪さに反比例してセロリよりも繊細な味深い。
セロリが苦手な人にも合うのではないだろうか。それというのも、過熱するとまろやかな香りが
増すのでフレンチ、イタリアンの名脇役で、サラダ、煮込み料理に。マヨネーズやドレッシング
との相性がよく、フランスではリンゴとのサラダが好まれ、料理の付け合わせにされる。細切り
にしてバターで炒めたり、ゆでて裏ごししてマッシュポテトのようにしたりするなど、多彩なア
レン
ジが楽しめる。根部分を食用にするが、水分、蛋白質、ともに茎セロリよりも含有量が少な
茎セロリ同様、整腸、利尿作用があるとされる。原産地や栽培起源は明確ではなくヨーロッパ
は17世紀に栽培法の記録が残っているものの、日本での記録から明治初年に導入されたとみら
る。秋に収穫され貯蔵もできるが、日本では長野、大阪の泉南市がこのセロリアックの産地だ
たがそれは戦前までのことまでらしい。さて、その栽培は難しいとされ量産研究開発はこれか
らだろ
うが、わたしは近い将来大化けして日本から世界に輸出するようになるだろうと思ってい
る。

  Sedani gratinati con la besciamella       

 Sedani rapa in salsa

それでは、セロリと根セロリのイタリアンの二品をこしらえてみよう。まず1つめは、セロリの
グラタン。キャセロール鍋に水をたっぷり注ぎ、塩ひとつまみを加えて火にかけ、沸騰させる。
セロリは茎の固い繊維を除いてから入れ、ひと煮立ちさせるまでさっとゆでて、取り出し、水気
をよく切って縦半分に切り分ける。浅鍋にセロリがひたひたにかぶる程度にブイョンを注いで火
にかけ、セロリを入れ、柔らかくなるまで煮るが,水分が蒸発しすぎるようであればブイヨンま
たは湯をたして調整。そうしてから浅鍋を火からおろし、別の浅鍋に油を塗り、よく水切りをし
たセロリを並べ、ベシャメルソースを表面全体を覆うようにかけ、パン粉をふりかけ、オーブン
に数分間入れてグラタンにする。

二品目は、根セロリのソース。根セロリを洗って皮をむき、5mmほどの厚さに切り、少量の塩を
入れたたっぶりの湯を沸騰させて15分間ゆでる。その間に80gのバターを浅鍋で熱して、薄く切
ったタマネギを加える。タマネギがしんなりして色が変わってきたら、残りのバターを加え、バ
ターが溶けたら小麦粉を入れ、よくかき混ぜてとろみのあるソースを作る。このソースにすでに
熱しおいたブイョンを加えてかき混ぜ、塩、コショウで味付けする。ここに根セロリを入れ、ブ
イヨンが煮詰まって濃いめのソースができるまで、さらに15分ほど煮る。一方、自家製のパンの
薄切り6枚を焼いておき、各自のスープ皿に入れて、その上に根セロリをのせ、さらにソースを
かけて冷めないうちに食卓に供す。     



 

 

第六章 審判を受ける新自由主義

二〇〇一年から始まった世界的な景気後退の時期に世界経済を支えてきたのはアメリカと中国の
二国で、その二国こそは。新自由主義のルールが支配していると思われている両国だが、事実は
違って、ケインズ主義国家のように振る舞っていたのだとハーヴェイは次のようにう指摘する。

  アメリカは、その軍国主義と消費主義を膨大な財政赤字によって賄い、他方の中国は、
  銀行に不良債権を抱えながら、国債で資金を調達して、インフラと固定費本に莫大な投
  資を行なっていた。むろん筋金入りの新自由主義者は、景気後退は新自由主義化か不十
  分ないし不完全であることの証拠であると主張するだろうし、その際、国際通貨基金(
  IMF)による一連の活動と、ワシントンの高給取りのロビイスト集団が自分たちの特殊
  利益のためにアメリカの予算編成過程をいつもねじ曲げていることを、その証拠として
  提示することができるかもしれない。しかし彼らの主張は証明不可能であり、彼らはそ
  う主張する際、著名な経済理論家たちの長年の先例にならっているにすぎない。この種
  の経済理論家たちは、すべての人が自分たちの教科書の教えに従って行動してくれさえ
  すれば万事うまくいくのだ、と論じるのである。

  しかしこのパラドクスについてはもっ
と不吉な解釈がある。新自由主義化は、誤った理
  論に夢中になっ た一例にすぎないとい
う主張(エコノミストのスティグリッツには失
  礼ながら)や、偽りのユートピアを無分
別に追求している一事例にすぎないという主張
  (保守的な政治哲学者ジョン・グレイに
は失礼ながら)を放棄するならば-そうしなけ
  ればならないと私は信じているのだが--
残るのは、一方で資本主義を維持することと、
  他方で支配階級の権力を回復ないし再構
築することとのあいだに一定の緊張関係が存在
  するという事実である。この二つの目標
があからさまに矛盾する地点に達するならば、
  現在のブツシユ政権がどちらの側に傾き
つつあるのかは、それが企業と金持ちのための
  減税を熱心に追求していることを考えれ
ば、疑問の余地はない。さらに、自らの無謀な
  経済政策を一要因としてグローバルな金
融危機が起こった暁には、アメリカ政府は自国
  民に福祉を提供するいかなる義務もかなぐり捨
て、社会的騒乱を鎮圧しグローバルな規
  律を強要するために必要となる軍事力と警察力だけ
は増強し続けるようになるだろう。
  今後五年間に深刻な金融危機が起きる可能性が高いとい
うポール・ボルカーのような人
  々の警告に注意深く耳を傾けるならば資本家階級内部で
より穏健な声が広まるかもしれ
  ない。しかし、これが意味しているのはせいぜい、過去三〇年
間にわたって資本家階級
  の上層に蓄積されてきた特権や権力をいくらか元の水準に戻すと
いうことであろう。

 
       デヴィッド・ハーヴェイ 渡辺 治 監訳「第六章 審判を受ける新自由主義」 
                  (『新自由主義-その歴史的展開と現在 』より)


そこで「新自由主義化のバランスシート」で彼は下図グラフを提示し、実際の成果はまったくみ
じめなもので、世界全体の成長率は、1960年代には、3.5
%程度、波乱の1970年代でも2.4%に落
ち、つづく1980年代と1990年代の成長率は、1.4%と1.1%であり(2000年以降はかろうじて1%
程度)と、新自由主義化が全世界の成長促進に概ね失敗していると-とりわけ、旧ソ連諸国や新
自由主義の「ショック療法」に従った中欧諸国の場合、損害は破局的であったとまで酷評?する。

補足すれば、毎度のことのようになるが、イギリスとスウェーデンの比較だが、「限定された新
自由主義化」の路線のスウェーデンは、長期にわたる新自由主義化を経験したイギリスとでは。
スウェーデンが、一人当たりの国民所得は高く、インフレ率は低く、他国との経常収支は良好で、
競争上の地位やビジネス環境の指標もすべてで優り、QOL(生活の質)の指標も高い(平均寿
命は、イギリスの世界第29位に比べて、スェーデンは世界第3位
。貧困率は、スウェーデンが6.2
%に対して、イギリスは15.7%である。他方、スウェーデンの人口の最も豊かな10%は、最も貧
しい10%の6.2倍の収入に対し、イギリスではその数字は13.6倍で、
非識字率はスウェーデンの方
が低く、階層移動性はスウェーデンの方が高いことを指摘しする。

 

それにも拘わらず、新自由主義化が「唯一の選択肢」で、非常にうまくいっていると思い込んで
いる人が多い理由として、(1)地理的不均等発展の度合いがより激しくて不安定なため目移り
し冷静な評価ができない。(2)実際のプロセスは、上層階級にフォーカシングすれば大成功を
収めたことであり、支配エリートに階級権力を回復させた(裏側で不平等の拡大)という二つの
理由を挙げ、そのために下層階級の状況が悪化に対する理由付けは、競争力がないから、あるい
は個人的・文化的・政治的な不手際からだという自己責任に押しつけつつ、ダーウィン主義的な
解釈のベールに隠しているのだとする。


  もちろん、新自由主義化のもとで経済の重心が何度もめざましく移り変わっており、そ
  れによって見かけ上は途方もないダイナミズムがもたらされている。金融と金融サービ
  スが台頭
したのと平行して、金融企業の収益構造が著しく変化し(図6-2)、大企業
  (たとえばゼネラルモーターズ)がこの二つの機能を融合させる傾向が生じた。これら
    の部門の雇用は著しく拡大した。
しかし、これがどれだけ生産的であったのかという肝
  心の問題がある。金融事業の大部分は、結局のところ〔生産への投資に向かうのではな
  く〕金融それ自身の中をぐるぐる回っているにすぎない。投機的な利益が絶え間なく追
  求され、それが得られるかぎり、あらゆるパターンの権力移動が生じるだろう。金融と
  指揮機能の集中するいわゆる世界都市は、こうした活動を遂行するための高層の摩天楼
  や何百万平方フィートものオフィス空間を備えた富と特権の華々しい島になった。この
  摩天楼の中では、フロア間の取引が莫大な架空の富を生んでいる。さらに、投機的な都
  市不動産市場が資本蓄積の主要な原動力となった。マンハッタン、東京、ロンドン、パ
  リフランクフルト、香港、そして今では上海の、急速に発展する高層ビル群は、驚嘆す
  べき眺めである。




  これにともなって起こったのが、情報技術の途方もない爆発的発展である。1970年前後
    におけるこの分野への投資は、製造業と物的インフラのそれぞれへの投資額の25%であ
    った。しかし、2000年には、ITが全投資の約45%を占め、他方、製造業や物的インフ
  ラヘの投資の割合は相対的に低下した。1990年代においては、これは新たな情報経
済の
  出現を告げ知らせるものであると考えられていた。しかしそれは実際には、生産とイ

  フラ整備から市場主導の金融化---それこそ新自由主義化の特質だったのだが---に
よっ
  て必要とされる領域へと技術が変容していく途上における不幸な先入観にすぎなか
った。
  情報技術は、新自由主義にとって特別重要な技術である。投機活動にとっても、
また市
  場契約数を短期間で最大化する上でも、それは生産の改良よりもはるかに有用で
ある。
  興味深いことに、利益を上げた主な生産部門は、新興の文化産業(映画、ビデオ、テレ
  ビゲーム、音楽、広告、絵画展)であった。それはITをイノベーションや新製品のマ
  ーケティングの基盤として利用する。これらの新部門をとりまく誇大宣伝は、基本的な
  物的・社会的インフラヘの投資の失敗から注意をそらした。以上のすべてにともなった
  のが、「グローバリゼーション」に関する誇大宣伝であり、これまでとはまるで異なる
  完全に続合されたグローバル経済が構築されつつあるかのような主張がそれである。

        デヴィッド・ハーヴェイ 渡辺 治 監訳「第六章 審判を受ける新自由主義」 
                  (『新自由主義-その歴史的展開と現在 』より)


背景の黄色や傍線の箇所が議論の肝となるところで、富裕層や成り上がりのエリート層などの消
費行動や投機行動の経路依存性(特性)により社会経済活動にバイアスをかけ歪められてしまう
ことに異論はないし「情報技術の途方もない爆発的発展」がこの場合コンピュータ仕掛けの投機
に金融工学が大きくかかわりあったことも記憶に新しいく、これがもたらす社会的脅威(リスク
)に対する警戒を怠ったこともサブプライムローン問題に対する米国議会のグリーンスパンなど
の関係者の証言で明らかにされている。これがまるっきり意図的になされたとするなら倫理問題
として裁かなければならなし(誰が?どんな罪として?どのような方法で?)ならないし、そう
ではなく、予想の域を超えた問題(必然性の予測不可能性=不自由)ならその解明と対策を打ち
出さなければならないはずだ。そのことは、さらに「情報技術の途方もない爆発的発展」がこの
グローバル社会に与える影響の大きさをどの程度に見積かの議論は避けて通れないことも明白だ
(喩えてみれば、プルトニウムの取り扱いのように)。

そのことを踏まえつつ、ハーヴェイは「グローバリゼーション」に関する誇大宣伝であり、これ
までとはまるで異なる完全に続合されたグローバル経済が構築されつつあるかのような主張がそ
れである。しかしながら、新自由主義化の主たる実績は、富と収入を生んだことではなく再分配
したことであった。これを実現する基本的なメカニズムについては、私は別の機会に「略奪によ
る蓄積」という表題で説明したことがある。この言葉が意味しているのは、マルクスが資本主義
勃興期における「原始的」ないし「本源的」と呼んだ蓄積行為の継続と拡大である」と指摘し、
資本の収奪法として(1)私有化と商品化(2)金融化(3)危機管理とその操作(4)国家に
よる再分配の四つをあげつつ、(1)あらゆるものの商品化(2)環境の悪化(3)権利の両義
性について解釈・解説した上で、マルクス主義者の風貌をしてみせて次のようにむすぶ。


  哲学的議論によって、この新自由主義的な権利体制が不正だと説得することは、私には
  できそうもない。しかし、この権利体制への反論はきわめてシンプルだ。それを受け入
  れることは、それによる社会的・エコロジー的・政治的帰結がどのようなものであろう
  とも、終わりなき資本蓄積と経済成長という体制のもとで生きる他に道はないと認める
  ことである。逆に、終わりなき資本蓄積が含意するのは、新自由主義的な権利体制が暴
  力によって(チリやイラクのように)、帝国主義的実践によって(WTO、IMF、世界銀行
  など)、あるいは必要とあらば本源的蓄積(中国やロシアのように)を通じて、地理的
  に世界中に拡大しなければならないということである。どんな手段を講じてでも、私的
  所有権という不可譲の権利と利潤原理とが普遍的に確立されるだろう。これこそ、ブッ
  シュが、アメリカは自由の領域を世界中に広げることに専心すると言った時に意味して
  いたことなのである。しかし、われわれに利用できる権利はこれだけではない。国連憲
  章に述べられている自由主義的な権利概念の中にさえ、言論と表現の自由、教育と経済
  保障の権利、組合を組織する権利などの派生的権利が存在する。これらの権利を執行す
  るならば、新自由主義に対する重大な挑戦を提起することになろう。これらの派生的権
  利を根本的権利とし、基本的な私的所有権や利潤原理を派生的なものにすることができ
  れば、政治や経済の実践において大きな意義をもつ革命を実現することができるだろう。
  さらに、われわれが依拠することのできるまったく異なった権利概念も存在する-たと
  えば、地球の公共財を平等に享受する権利や、基本的な食料保障を享受する権利である。
  同等な権利と権利とのあいだでは、力がことを決する」。適切な権利概念をめぐる、さ
  らには自由そのものの概念をめぐる政治闘争こそが、オルタナティブを探求する中で舞
  台の中心に進み出ることになるだろう

        デヴィッド・ハーヴェイ 渡辺 治 監訳「第六章 審判を受ける新自由主義」 
                  (『新自由主義-その歴史的展開と現在 』より)


細かなことをいえば「民営化」や「民間化」が「私有化」と結びつけられそのこと自体が抑圧に
直結する、あるいは結果として予定調和されているという解釈には異論があり、また、グローバ
ル化という収奪プロセス(新自由主義的手法)に服従しつつも、格差拡大する必然性に対する異
議申し立て運動(政治闘争)の必要性を説くことには基本線、賛同できるものの、社会的事象と
政治的事象の混同あるいは峻別に対する洞察に物足りなさが残る。

                                    この項つづく



※この本に掲載、引用・出典されている資料(図、グラフ、表)についても時間があれば精査し
 たいのだが、如何せん読み終えてからの課題としたい。
  


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温泉立国賛歌

2013年02月22日 | 開発企画

 

 

 

 

 

【温泉立国賛歌】

いま、世界の各国のメガソーラーマップに関して編集作業に入っているのだが、太陽電池の研究
開発をしていた最終年度の2008年当時から比べ、国内の出荷量は、リーマンショックがあった
にもかかわらず翌年の2009年は約3倍、10年は5倍、そして東日本震災前の11年は7倍(それ以
のデータはわからない)、次々と建設予定や建設事案が入りマップの書き換えが大変な昨今の
態だ。その意味で言えば実際の建設に関わっているわけでないが『デジタル革命渦論』を踏ま
未来を見るわたしにとっては、してやったりという達成の喜びに包まれた確信に、次の一手の
石(→オール・ソーラ・システム計画作成と量子ドット型太陽電池の普及計画作成)になお一
の情熱(アクション)へと駆け立てられているという情況だ。

だからというわけなのかわからないが、太陽光発電の余りの突出に、風力その他のソフトエネル
ギー(再生可能エネルギー)推進キャンペーンが動き出しているようだ。その1つの現れとして、
地熱発電に関する話題が今日の大分別府の「湯けむり発電」((株)ターボブレード)のテレビ
紹介がある。この「湯けむり発電」は、まず温泉の熱水で1つのタービンを回し、さらに蒸気も
使って2つ目のタービンを回転。この2系統の回転の力で1つのモーターを回して電気を作る。
熱水と蒸気に分け、効率よく温泉のエネルギーを活用することで、より大きな電力が生み出せる
よう工夫し、(1)使用する温泉熱水の温度が、既存地熱発電とバイナリー温泉発電の中間帯を
使用
する。(2)蒸気と熱水のエネルギーの両方をタービンが使用するので、温泉井戸から取れ
る発電量を他方式(既存地熱、バイナリー発電)より多く出来る。(3)タービンと発電機だけ
で構成されるので、非常にシンプルな発電装置である。(4)これまでは捨てられていた温泉の
蒸気エネルギーと熱水エネルギーを利用出来る。(5)熱い温泉温度を発電をしながら適切な温
泉温度に下げることが出来る。という優れた特徴をもつという(上下図をクリック)。
 



 


それが1つ、同じように、二年前にニュースされた秋田県仙北市の玉川温泉の温泉水からレアアース
(希土類)の採取に成功したと秋田大学工学資源学部の研究グループ紹介が2つめにあった。

それによると温泉水からレアアースを採取する方法は、(1)強酸性の温泉水を採取する。(2)
温泉水に水酸化ナトリウムを加えて中和状態にする(3)温泉水に含まれている鉄やアルミニウ
ムにレアアースを付着、沈殿分離する、あるいは下図のような抽出剤で分離する方法が提案され
ている。秋田大学工学資源学部の柴山教授は「他の温泉(強酸性)でも同様に採取できる可能性
が高く、海底などにあるレアアースの分離にも転用できる。因みに、玉川温泉については採取で
きる量が少ないため、商業ベースに乗せるのは難しい」という条件がつくが、玉川温泉では年間
520キログラムのレアアース(希土類)が回収可能だという。ところで、この大学では、電子基
盤から有価金属・物質の回収-いわゆる都市鉱山-プロセスシステム開発もおこなっているとい
うのを具体的知ることになった。

 

※ 「高選択性レアメタル抽出剤」の技術開発に関する共同研究の提案

 




それが2つめで、最後に「温泉トラフグ」の紹介が民放(どこのチャンネルだったけ?)でさ
れていた。このブログでもちょっと真剣に特集考察した時期があった、温泉を使って内陸部での
養殖だ。で、温泉だが、地下水が湧出する間に熱で温められたり、岩石などに含まれる化学成分
溶け出して混ざったりしたものをさすが、そこで、例のシェールガスのことが頭で温泉とクロ
スした。簡単に言うと、海水あるいは淡水を自動調整混合しパイプで汲み上げ、よく環境影響
事前調査した上で自律的に注入を制御し熱床付近に注入し過熱(熱だけなら、バイナリー発電の
ように媒体に液化二酸化炭素と水でタービン・ダイナモを回転させれば良い)、これを湯けむり
発電システムに供給し、ドレン水の水質・水温を自動調整し、フグ・平目・海老・貝などの養殖
用水として使用する。それだけでなく、冬場は野菜や果実の温室栽培用温調水としても使えるし、
融雪温水としても使えそうだ(量とコストと制御が面倒?)。それでも、2つめのレアアースは
源泉の濃度・密度関係するので決め手に欠けるが、岩盤探索自立掘削ロボット・モール(もぐら
の意)を開発し長期に探索させる手しかないかな。できればロボット本体で必要な岩盤地質環境
分析できるようにする。勿論、掘削坑はロボット帰路用なので残しておき、優先の通信ケーブル
あるいは動力用の電気ないしは圧空ケーブルを通せるように確保しておく。金鉱を一発当てれば
開発費なんて霧散してしまうし、このロボットは海洋・海底、宇宙の惑星(月・火星)の地殻調
査に役立つはず。この研究は秋田大学にやってもらいたいね。これは越権でなく提案だが。

※ このロボットモールは、新しい地殻探査と、新しい地殻掘削技術を兼ねている。




これは壮大な新温泉システムだ。大規模な地熱利用時代の幕開けの予告映画のようなものだが、
地下化石は勿論、メタンハイドレード、シェールガスもそれぞれ異なるが、環境影響事前評価と
いう手続きとセットが大前提であることは言うまでもない。その意味では、日本列島は温泉立国
であるとともに、地熱利用の開発の成果如何では世界一資源立国(=知財立国)に踊り出ること
も夢ではない。今夜は「温泉立国日本の賛歌」ということで、この辺で。

 

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チェーホフとロリンズのカクテルで

2013年02月21日 | 日々草々

 

 

 

 


 

 

 

              父親の部屋の前を通り過ぎるときに、彼はその戸口にちらりと目をやった。
       エヴグラフ・イワーノウィッチは、服も着替えず、ベッドにも
       入らず、窓際に立って、窓ガラスをこつこつと指で叩いていた。
       「お父さん。僕はもう行きます」と息子は言った。
       「そうか……金は丸テーブルの上に置いてあるからな」父親は後ろを
       振り向きもせずにそう返事した。
       使用人が彼を馬車で駅まで送るあいだ、冷たい嫌な雨が
       ずっと降っていた……草の葉はいつもより暗く見えた。

 

          As he passed his father's room, he glanced in at the door. Yevgraf Ivanovitch,
          who had not taken off his clothes or gone to bed, was standing by the window,
          drumming on the panes. 
           "Good-bye; I am going," said his son.
           
"Good-bye... the money is on the round table... " his father answered, without
          turning round. 
           cold, hateful rain was falling as the labourer drove him to the station. 
                          The sunflowers were drooping their heads still lower, and the grass seemed 
                          darker than
ever. 


 

                    
                アントン・チェーホフ 『朝の五時に』(「重苦しい人々」より)
                                           レイモンド・カーヴァー 『滝への新しい小径』
 
                       村上春樹 訳 “Five o'clock in the morning”  

 

  

 

モダンジャズはハード・バップの大御所ソニー・ロリンズは1930年9月7日、ニューヨーク生まれる。
近くに大物C・ホーキンスが住んでいた縁で、彼に憧れテナー・サックスを吹き始め、十九歳でプロ
デビュー、F・ナヴァロを初めとする多くのバッパーと共演する。五五年C・ブラウンとの出会いは
後の彼に多大な影響を残したという。プレスティッジ、ブルーノート、コンテンポラリー、リヴァー
サイド
のレーベルに吹込む。ところで彼は二度引退しているが復帰を果たしている。ジャズ界の悩め
る巨人と称されるゆえんかる。奏法は常にロリンズ・スタイルでひたすら自己のアイデンティティを
追い求める求道家のオリエンタルな風貌を見せるが作風は、繊細で大らかだ。後期のロリンズを嫌う
も多いというが今夜は後期の『リール・ライフ』からチョイスする。七〇年代ロリンズの脇を固めた
増尾とクランショウにもう一本ギターが加わりツインギターとした。ドラムはロリンズ・ファンのジ
ャックである。カリプソからバラード、アグレッシブなもの、独奏曲まですべて揃っている。



  

   

 

  Filetti di sogliolaconsalsa all'uovo

   Filetti di sogliola all'arancia

   Filetti di sogliola ai funghi


フランスでは「魚の女王」と呼ばれるほどの舌ビラメ。これを使って今夜は、イタリア料理をソニー・
ロリンズたちのの演奏を聴きながら頂こう。勿論、お酒は「白い金麦」だ。まず、舌ビラメの卵ソー
ス和え(Filetti di sogliolaconsalsa all'uovo)。舌ビラメの切り身に小麦粉をまぶしバターで丁寧に
焼く。小さいボールに卵黄とマルサラ酒100cc、塩、コショウ少々を入れて、混ぜ合わせソースを作る。
このソースを舌ビラメにかなり火が通った頃にかけさらに少し煮続けて頂く。次は、舌ビラメのオレ
ンジソース和え(Filetti di sogliola all'arancia)。浅鍋にバターを熱し、舌ビラメを入れる。少し焼き
色がついたら、大さじ4杯のオレンジの絞り汁をかけ,さらにその上におろしたオレンジ・ビールと、
ナッツメッグひとつまみもふりかける。そのまま煮続けて、鍋の底が乾いてきたらオレンジとレモン
の汁をふりかけて仕上げる。最後に塩で味を整える。バイオレーションにソースには生クリームを加
えても良い。最後は、舌ビラメのキノコソース和え(Filetti di sogliola ai funghi
)。最初にバターとタ
マネギのみじん切りを浅鍋に入れて熱し、次に細かく切ったキノコを加え数分炒め、
さらに塩、コシ
ョウ少々とパセリのみじん切りひとつかみを入れる。その中に舌ビラメの切り身を入
れ、ブイヨンを
ふりかけながら煮ていく(ブイョンは魚、野菜、または肉の軽いブイヨンのいずれで
も良く、味を変
化させることはない)。多少煮たところで、発泡性ワインをひとふりしてアルコール
分を蒸発させる。
魚が煮上がったら鍋から取り出し、皿に盛る。煮
汁のほうは、さらに火にかけたままで、バター少々
と小麦粉をあら
かじめよく混ぜ合わせて加え、濃度をつける。このソースを魚にかける。発泡性ワイ
ンのかわりに白ワインを使ってもいいだろう。



テレビでは、奈良の女児殺害死刑囚に刑が執行されたことが報じられている。落涙やまず。

                                   


  

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パーシャル・インフレーション

2013年02月20日 | 時事書評

 

 


【パーシャル・インフレーション】

被災地では建設資材の値上がりが目立つという。東日本大震災の被災地で復旧・復興工事に使う建設資
材が足りなくなり、価格がはね上がっている。建物や道路をつくるのに必要な生コンクリートなどは、
地域によって震災前より3~4割上がっている。被災地では建設作業員も足りなくなっており、資材高
騰と人手不足が重なって、復興がさらに遅れるおそれがあり、なかでも仙台は今年2月の1立方メート
ル単価が震災前より43%高い1万1550円となるという。この背景の1つに、復興工事のほかにマ
ンション建設が同時に進んで供給力が切迫しているからだとも解説されている。因みに、沿岸部も亘理
が39%高い1万5200円、宮古(岩手県)が35%高い1万7300円になっているという。これ
は予期できたことだ。このことにより(1)復旧復興工事の遅延、(2)建築・土木工事の物価高騰、
(3)
手抜き工事などの品質劣化のこの三点を防止して復旧・復興することは最先進国・日本の最重要
課題だ。
このことは被災者地域住民だけでなく、世界が注視していることでもある

 デジタル朝日

【ラストホープ? ラストスパート?】

昨夜はフジテレビの『ラストホープ』を余裕をもって観た?ストーリーは相葉雅紀扮する医師をコアと
し 先端医療の現場で繰り広げられる、命の物語高度先端医療センターに、年齢も専門も異なる6人の
医師が集結。町医者出身の卓巳らが技術と知恵を合わせて、懸命に命を救う方法と医師の役割を模索し
ていくというものだが、このドラマの脚本(浜田秀哉)の完全小説化したものが扶桑社がら出版されて
もいるという(未読)。いろいろな課題を背負い作業する身には、このラストホープ、最後の望みとい
うタイトルは意味深にこころに響くものだが(その中身にはこのブログに埋め込まれている)、このよ
うに最先端医療現場はそれを触発する格好の場面になっているとねと腑に落とした。

ところで、ニューヨーク・タイムズは、オバマ政権が人間の脳の機能の全容解明に向け、政府と民間に
よる10年がかりの共同研究プロジェクトを計画したとのこと。人の全遺伝情報を解読した国際プロジェ
クトに並ぶ包括的な研究となる見通しで、計画は3月に発表されるという。そこで、プロジェクトは「
脳活動マップ」計画と銘打たれ、膨大な数の脳神経の機能を探り、人の認知や行動、感情に関するより
深い知見を得ることを目指す。パーキンソン病やアルツハイマー病の解明のほか、さまざまな精神疾患
で新たな治療法の発見が期待されるほか人工知能の開発促進に道を開く可能性があるという。政治的な
思惑や意図はさておき、「癌の根絶」への道が見えている中、いままた「脳機能の全貌解明」の道もな
されようというのだから、今世紀半ばには、現在抱えている疾病の全域的解決がなされるかの勢いを感
じている。
   

【二本の蛇足】

ところで、最近の脳科学の成果では脳の記憶や活動容量の議論に終止符(休止符?)が打たれ、活動量
の限界点から活動モードの有り様に議論が移っているようだ。これについはまた場所を変えて考えてみ
たい。また、癌撲滅への道には、医食同源からかねてから計画していたニンニクの科学というとてもク
サイ分野について特集考察しようと、これがラストスパート?!という意気込みで取り組む。

 

 


【第四章 地理的不均等発展】 

自由という言葉はまことに不思議な響きをもって人々のこころを虜にし心地よく届く、が。その意味は
千差万別であり、政治舞台で闊歩するその「自由」とは「不自由」の顔をもつシャムの双生児、これは
俗説だから結合双生児であるが、あるいは業欲の鵺(ヌエ)あることにひとびとはやがて気づき興醒め
るのであるとわかりやすく、デヴィッド・ハーヴェイは前章の「新自由主義国家」を分析してみせた。
この章では、その実体を「資本と労働」的側面の人文地理学として分析する。いわく「一九七〇年以降
に新自由主義化か世界中に広がっていく様子を描いたムービングマップを作成しようとしても困難だろ
う。そもそも、多くの国が新自由主義への転換を実行したといっても、その大半は部分的なものであっ
た。あちらの国では労働市場により大きなフレキシビリティを導入し、こちらの国では金融活動の規制
を緩和してマネタリズムを受け入れ、別の国では国有部門の民営化を進めるといった具合だ。さまざま
な危機(たとえばソ連の崩壊)をきっかけとして全面的な変動があった後には、新自由主義の不快な面
が明らかになるにつれて、ゆるやかな逆転が起こりうるだろう。加えて、上層階級が自分たちの権力を
回復ないし確立しようと闘っていたとしても、政権の担い手が変わったり、また、影響力を行使するた
めの種々の機関があちらこちらで強化されたり弱体化したりするにつれて、あらゆる種類の紆余曲折が
起きるだろう。したがって、何らかのムービングマップを作成したとしたら、それはつねに、地理的不
均等発展の目まぐるしい変化を示すことだろう。こうした動きを追跡することは、各地域での転換がど
のようにより一般的な動向と関連しているかを理解するのに必要である」と。


  イギリスとアメリカが新自由主義化を先導してきたのは明らかである。だが、どちらの国も、
  新自由主義への転換が問題なしに進んだわけではない。サッチャーは公営住宅や公益事業を民
  営化したが、無償の国民医療制度や公教育といった中核的公共サービスはほぼ手つかずのまま
  であった。一九六〇年代のアメリカにおける「ケインズ主義的妥協」は、ヨーロッパの社会民
  主主義諸国の成果にはほど遠いものだった。したがって、レーガンヘの反対もあまり戦闘的な
  ものではなかった。いずれにせよレーガンは冷戦に夢中だった。彼は、アメリカ南・西部にお
  ける自分の支持基盤たる選挙多数派の特殊利害のために、赤字国債で資金を賄われた軍拡競争
  (「軍事ケインズ主義」)を開始
した。こうしたことは新自由主義理論とは明らかに一致しな

  いのだが、連邦政府の増大する財政赤字は、福祉プログラムを骨抜きにするという新自由主義
  的目標の安易な目実にはなったのである。病にかかった経済を治療するというあらゆる美辞麗
  句にもかかわらず、イギリスもアメリカも一九八〇年代に高度な経済的パフォーマンスを実現
  したわけではないし、このことは、新自由主義が資本家の願望をかなえるものではなかったこ
  とを示唆していた。たしかにインフレは抑えられ金利は下がったが、これは高い失業率(レー
  ガン時代のアメリカで平均七・五%、サッチャーのイギリスで平均二〇%以上)という犠牲を
  払って得られたものであった。公的福祉とインフラ整備への支出削減は、多くの人々の生活の
  質を落とした。こうしたことの結果として、一九八〇年代初頭には、強制的な新自由主義化の

  第一波がラテンアメリカを襲ったが、その帰結はたいていの場合、経済的停滞と政治的混乱と
  いう、まるまる「失われた10年」であった。 実際のところ、一九八〇年代にグローバル経
  済における競争の推進力となったのは、日本であり、東アジアの「タイガー・エコノミー」で
  あり、西ドイツであった。これらの諸国が全面的な新自由主義改革を経ることもなく経済的に

  成功を収めたのだから、新自由主義化か経済停滞に対する有効な処方漉として世界で進行した
  のだと主張するのは難しい。たしかに、これらの国の中央銀行は総じて、マネタリスト的方針
  に従っていた(西ドイツの連邦銀行がとりわけ熱心に追求したのは、インフレと闘うことであ
  った)。また、貿易障壁の段階的縮小は競争圧力を生み、新自由主義におおむね抵抗してきた
  国であっても、「忍び寄る新自由主義化」と呼ばれる目に見えぬ過程が進行していた。たとえ
  ば、ヨーロッパ連合(EU)の内部機構に広範に新自由主義的な制度的枠組みを設けた一九九
  一年のマーストリヒト条約は、イギリスなど新自由主義改革に取り組んできた国からの圧力が
  なければ不可能であっただろう。しかし、西ドイツ国内では、労働組合は引きつづき強力であ
  ったし、社会的保護のシステムは機能していたし、賃金は比較的高水準を維持していた。こう
  した状況が技術革新を刺激したことから、西ドイツは一九八〇年代の国際競争で優位な立場を
  保持することができた(ただしそれは技術誘発型の失業をも引き起こした)。輸出主導型の成
  長のおかげで、同国は世界のりーダーとして前面に躍りでた。日本では、自立した組合運動が
  弱体であるか存在せず、労働搾取率も高かったが、技術革新への政府の積極的な投資と、企業
  と銀行との緊密な関係(西ドイツでも適切だと証明された仕組み)のおかげで、イギリスとア
  メリカのシェアを大きく食う形で一九八〇年代に驚くほどの輸出主導型成長を果たすことがで
  きた。このように、これらの国での成長は新自由主義化に依拠したものではなかった。もっと
  も、グローバルな貿易と市場のより大きな開放があったおかげで、日本、西ドイツ、アジアの
  「虎」が、激化する国際競争の中でも輸出主導型のサクセスストーリーをより容易に演じるこ
  とができたのだというように、新自由主義化を浅薄な意味で解すのなら話は別だが。一九八〇
  年代末までは、強力な新自由主義路線をとっていた国々は依然として経済的困難にあった。そ
  れゆえ、西ドイツとアジアの蓄積「体制」こそが模倣すべきものであると結論づけるのは難し
  くなかった。したがって、多くのヨーロッパ諸国は新自由主義改革に抵抗し、西ドイツ・モデ
  ルを受け入れた。アジアでは日本モデルが、まずは「四人組」(韓国、台湾、香港、シンガポ
  ール)によって、その次に、タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピンによって広く模倣
  された。かしながら、西ドイツと日本のモデルは、階級権力の回復を推進するものではなかっ
  た。一九八〇年代をつうじて、イギリスやとりわけアメリカで見られた社会的不平等の拡大は、
  〔西ドイツと日本の場合には〕食い止められていた。アメリカとイギリスでは成長率は低く、
  労働者の生活水準は大きく下がったが、上層階級の生活は上昇しはじめていた。たとえば、ア
  メリカにおける最高経営責任者(CEO)の報酬は、ヨーロッパにおける同種の地位にいる者
  たちの羨望の的になりつつあった。イギリスでは、新たに形成された一群の金融企業が巨大な
  富を蓄積しはじめていた。最上位のエリート集団に階級権力を回復させることがなすべき課題
  だとすれば、新自由主義こそまさにその答えだった。それゆえ、ある国が新自由主義化に突き
  進むかどうかは、階級的力関係(西ドイツやスウェーデンの強力な組合組織は新自由主義化を
  一定抑えた)と資本家階級の国家依存度(これは台湾や韓国では非常に強いに左右されたので
  ある。


                デヴィッド・ハーヴェイ 渡辺 治 監訳「第四章 不均等発展」 
                    (『新自由主義-その歴史的展開と現在 』より)


その世界展開は様々な様相を見せ、多くの新興国では開発主義国家独裁として、ロシア・中国は一国社会
主義国家独裁として、あるいはスウェーデンのように社会民主福祉主義国家としての差異を見せなが展開
するのだが、四つの決定的な要因で階級権力を変容させ回復させる手段が、一九八〇年代に徐々に不均等
に整えられ、一九九〇年代に強化されたと分析する。その四つとは、(1)一九七〇年代を起点とする金
融自由化への転換が一九九〇年代に加速した。(2)資本の地理的移動性が増大した。(3)
クリントン
権時代に完成した「ウォールストリートー財務省-IMF」複合体の構造調整プログラムの強制に成功
した。(4)マネ
タリズムと新自由主義の新経済理論の世界的波及だと、デヴィッド・ハーヴェイと指摘
する。ここで(1)(2)は直接的なデジタル技術の適用貢献が、あるいは(3)(4)は間接的に寄与
していることが計量的表現はとれないものの背景要因としていることをここで加筆強調しておきたい。

 

  韓国は一九五〇~五三年の朝鮮戦争から生まれた。同国は当初、経済的・地政学的な緊張地域に
  位置する荒廃した国であった。経済的転機となったのはおおむね、朴正煕将軍が政権に就いた一
  九六一年の軍事クーデターの頃だとされている。一人あたりの国民所得は、一九六〇年に百ドル
  未満だったのが、今や一万二〇〇〇ドル以上に達している。この驚くべき経済的成果は、開発主
  義国家であったからこそ可能となった絶好の事例としてしばしば取り上げられている。しかし、
  韓国には当初から二つの地政学的利点があった。第一に、この国は冷戦の最前線に位置していた
  がゆえに、アメリカは積極的に軍事的・経済的支援を-とりわけ最初の時期には-行なう姿勢に
  あった。しかし第ニに、あまり明らかになってないことだが、日本との旧植民地関係は韓国に多
  様な利益をもたらした。たとえば、日本の経済的・軍事的祖織戦略に通じることができたこと(
  朴は日本の陸軍士官学校で訓練を受けていた)や、外国市場に進出するにあたって日本の積極的
  支援を受けられたことなどである。(中略)
日本がアメリカ市場に自国の半製品を再輸出するた
  めの海外拠点として韓国の産業資本家を利用するようになったからである。日本との合弁事業が
  盛んになった。韓国企業はこれらの事業を利用して、技術力を身につけ、外国市場での経験を培
  った。(中略)一九八〇年代中頃までに、財閥は「その権力と影響力を行使し、政府の規模な規
  制機関の解体に向けた系統的な取り組みに着手し、着実に成功を収めていった」。韓国の資本家
  階級は、国際貿易で安定した地位を確立したことや独自に信用を獲得することが可能になったこ
  とをふまえて、もはや政府に依存しなくなり、彼ら独特の新自由主義化を指向しはじめた。


  この独特の新自由主義化は、政府による規制的統制の撤廃を求める一万で、自分たちの特権に関
  しては保護を継続するというものであった。たしかに銀行は民営化されたが、財閥指導部と国家
  とを結びつけていた閉鎖的でしばしば腐敗をともなった権力の癒着はあまりに緊密で、その解体
  はきわめて困難であることがわかった。それゆえ、韓国の民営化された各銀行は結局、融資にあ
    たって、何らかの健全な投資理由からだけでなく、政治的なえこひいきにももとづいていた。韓
  国ビジネス界も貿易関係と資本移動の自由化を要求し(これは一九八六年のウルグアイ・ラウン
  ドで国外からも強制されていた)、かくして余剰資本を自由に海外投資できるようになった(図
  4-4参照)。韓国資本は、安くてより従順な労働力を利用した海外現地生産を追求した。その
  結果、東アジアと東南アジアの大部分ばかりか、ラテンアメリカや南アフリカにまで達する、韓
  国人所有の下請ネットワークを通じて、劣悪な労働慣行の輸出が始まった。一九八五年に円高に
  なると、日本は、タイ、インドネシア、マレーシアなどで、低コストの海外現地生産に切り替え
  た。このことは、世界市場への中国の参入とあいまって、域内競争を激化させた。中国は、低付
  加価値生産部門(たとえば繊維製品部門)で韓国(およびアジア地域の他国)にまず挑戦したが、
  まもなく付加価値度の序列を昇っていった。韓国側の対抗策は、直接投資をつうじて生産工程を
  中国に移転することであった。


                デヴィッド・ハーヴェイ 渡辺 治 監訳「第四章 不均等発展」 
                     (『新自由主義-その歴史的展開と現在 』より)

このように縷々分析した上で、二つの教訓を引き出す。(1)韓国がその最も過酷な経験から学んだこと
は、自分たちの金融破綻の際にアメリカ合衆国はその偏狭な自己利益を追求することの方を選ぶというこ
と。(2)アメリカは今では、もっぱらウォールストリートと金融資本の言葉でその自己利益を定義して
いた。実際、「ウォールストリートー財務省-IMF」複合体が韓国に対して行なったことは、一九七〇
年代中頃に投資銀行家がニューヨーク市の再現であったが、韓国経済の自律的に回復させ、ウォールスト
リートの金庫へ剰余金を還流させることに成功したものの外国資本が入り込んでくると、財閥勢力は粉砕
再編され、韓国資本は国家とグローバル市場の均衡状態に置かれ、国内の階級構造が流動的で、経済格差
の進行(それはとりわけ女性に悪影響をもたらす)、労働運動や地域社会運動の弾圧などを迂回し、韓国
内外の階級権力の蓄積が進行すると予測する。


   
西側世界で一九七〇年代に資本の権力が民主的な形で最も脅かされたのは、おそらくスウェーデ
  ンであろう。一九三〇年代以降、社会民主党によって統治されていたスウェーデンの階級的力関
  係は、強力な中央集権的労働組合を中心にずっと安定した状態を保っていた。この労働組合は、
  賃率、付加給付、労働条件などをめぐって、同国の資本家階級と直接に団体交渉を行なってきた。
  政治的には、スウェーデン型福祉国家は、累進課税を実施し行き届いた福祉サービスの給付を通
  じて所得の不平等と貧困を削減する「再分配型社会主義」という理念を中核として構築されてき
  た。資本家階級は少数ではあったが、きわめて強力だった。他の社会民主主義国家や経済統制国
  家とは異なり、スウェーデンは、交通運輸部門と公益事業部門は別として、経済の管制高地の国
    有化を控えてきた。多くの中小企業が存在していた一方で、ごく少数の大企業ファミリーが不釣
  合いに多量の生産手段を所有していた。(中略)一九七〇年代中頃から、スウェーデン雇用者連
  盟は(明らかにアメリカの雇用者団体を見習って)その構成員を増やし、巨額の活動資金を動か
  すようになった。そして、プロパガンダ活動を開始し、行きすぎた規制に反対し、経済の自由化、
   課税負担の軽減、行きすぎた福祉国家政策(彼らの見方によればそれこそが不景気の原因であっ
  た)を後退させることなどを訴えた。しかし、一九七六年、中道右派の保守党が、三〇年代以降
  初めて社会民主党に代わって政権に就いても、雇用者側の提案にもとづいて行動することができ
  なかった。(中略)
新自由主義への本格的転換が始まったのは、一九九一年に保守党政権が成立
  してからのことであるが、こうした方向性はすでに、経済停滞からの活路を見出すようますます
  強く迫られていた社会民主党の手で部分的には準備されていた。新自由主義的政策目標が社会民
  主党によって部分的にであれ実施に移されたことは、SNSの分析が説得力のあるものとして受
  け入れられたことを示唆している。(中略)
九九四年に社会民主党が政権を奪回しても、「
  全雇用や公正な所得分配よりも、財政赤字削減、インフレ抑制、均衡財政」といった新自由主義
  的プログラムの方が「マクロ経済政策の基軸になった」。年金や福祉給付の民営化は不可避だと
  認められた。ブライスはこのことを「経路依存性」の一例として解釈している。すなわち、何ら
  かの意思決定へと至るある特定の論理が、支配的な思想によって拍車をかけられ、他のいっさい
  の可能性を押し流しているのである。「埋め込まれた自由主義」は侵食された。だが、完全に解
  体されたわけではなかった。スウェーデン市民は、いまだ自国の福祉制度に強い愛着を抱いてい
  た。不平等は確かに広がったが、アメリカやイギリスで見られるほどではなかった。貧困水準は
  低いままだし、社会的給付の水準は高く維持されていた。スウェーデンの事態は「限定された新
  自由主義化」と呼びうるものであり、同国における種々の社会的指標がおおむね高い水準に維持
  されていることはその表われである。


                デヴィッド・ハーヴェイ 渡辺 治 監訳「第四章 不均等発展」 
                     (『新自由主義-その歴史的展開と現在 』より)

 

 以上、デヴィッド・ハーヴェイ世界地理的な不均等発展は、新自由主義の国内の発展力学と国外の諸力と
の複雑な相互作用、しかし、かってのようなあからさまな植民地主義(帝国主義)と異なり外国勢力が新
自由主義的再編を意のままに操っているのを目にすることもなく、軍事技術のステルス攻撃、遠隔操作型
無人飛行ロボット攻撃に喩えられるような隠微な攻撃に変化させながら、強力な国家、強固な市場、法的
諸機関の活動により新自由主義は機能を果たしている。しかし、その結果が予期したもの-
高付加価値産
業を引きつけるような堅実な社会的諸制度やインフラ整備だけでなく、投機熱も、証券投資を目的とした
資本をたやすく引き寄せてしまうというリスク-
不均等な新自由主義化の流れにあるが、社会的不平等の
拡大、緊縮政策の寒風や周辺化の進行というリスクにさらされ、それとは真逆な富や権力が資本主義の上
層部に集中させてきている。新自由主義理論の真髄の一つは、自立、自由、選択、権利などの聞こえのい
い言葉に満ちた善意の仮面を提供しつつ、各国の階級権力とグローバル資本主義の主要金融国の「回復と
再構築」の過程の悲
惨な現実を隠蔽し続けていると指摘しむすぶ。

※ 福祉国家再編分析におけるアイデア・利益・制度(二)制度変化の政治学的分析に向けて加藤雅俊
  
The Hokkaido Law Review, 62(2): 1-48、2011-07-27

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革命的技術時代のスクーリング法

2013年02月18日 | 環境学・環境思想

 



  

【はじめて命を知った十三歳の頃】

日本の教育界やスポーツ界でのいじめ、体罰、セクハラ、パワハラ実態に対する軌道修正の方向性が
やっと見えてきている。自分の息子たちをみていると歯がゆくムズムズする程、精神年齢発達の遅延
を感じ親として見守ってきた。『未生』という言葉をはじめて知ったのは二十歳になったころ、吉本
隆明の著書の中だった(著書名はうろ覚えだが彼の著書のなかに希少だが散りばめられ
ているはずだ)。
めざましい科学技術進歩で幾何級数的に膨れあがった情報のなかで、どれだけ抽出
摂取しているのか
比較できないが、「年齢×24時間×360日」というのは等しくあるのだから、たかが
知れているように
も思えるが、それでも「命知らず」から命を知った瞬間から大きく考え方が変わっていったの
は、明
確な線は引けないが-例えば、小学4年生に交通事故に遭っているがそれも引き金ねになっている-
中学1年生のころだろう。そのように、最大の関心事が「如
何に生きるか」と変わって行くが、具体
に教育制度への懐疑に向ったのはその表れだろうと思っている。いわいる、ス
クーリング(=篩い分
け)という差別化という技術への懐疑ないしは、無自覚な異議申し立てであった。
これは数年後に全
国を席捲することになる学園紛争のアランばりいえば‘パッション’(≠アクション)へと、
あるい
は、桑田昭三らが導入した“学力偏差値”の相対化技法への肯定へと繋がって行く。もっとも、
これ
は米国の心理学者ターマン、ソーダイクらの生み出した「教育測定運動」などのがベースにあり、そ
までの権威主義的な絶対評価主義的な日本の教育土壌にはなじみが薄かった。



なにが言いたいのか?例えば、定員十人の枠組みの中の学生十三名仮にひしめき三名を抱えるだけの
キャパがない場合のスクリーング技法が問われているわけで、ビジネス界(市場社会)ではこれが、
資本
による“選択と集中”として常態化しているのだが(因みに、最近のテレビドラマ『メイド・イ
ン・
ジャパン』は格好の教科書的コンテントだろう)、体育会系でいえば、前近代的な絶対権威主義
的な「しば
き倒し篩い落し技法」が採用され、人文会系では「ネチ・ネチと突き回し篩落とし技法」
が外的環境・
状況的にしばしば採用されるわけで、国内の景気動向や政府・自治体の緊縮予算、財政・
経理主義
主導の下ではより強い方向にバイアスがかかるというわけだ。根本的な対処法は、この教育
環境シス
テムの改革が本道なのだが、いまのところ、そこまで-剣道での用語でいうところの‘大上
段の構え’に
なって取り組まれていないと思う。結論をいそうごう。十三歳当時の決意「如何に生き
というるべきか」は、「
あらゆる手法を用いても乗り超えていく、‘共に生き・共に育む道’」への
覚悟(試練)の自覚以外
にこの‘上段の構え’ はない。そして、補助的に「肩肘張ることに疲れたな
ら‘絶対化’→‘相対化’す
る技法」も便宜的(世俗的)に使う知恵をつけておけと、これがわたし
(たち)の革命的技術時代
の唯一の教育法なのだと、今回の騒動を看ていてそう思った。

SHIKEN: JALT Testing & Evaluation SIG Newsletter. 14 (2) October 2010 (p. 6-10)

 

 


【環境にやさしい高効率な熱電発電】 

北陸先端科学技術大学院大学(JAIST)のマテリアルサイエンス研究科の末國晃一郎助教らのグループ
は、銅と硫黄を多く含む鉱物のテトラへドライトが、400 ℃付近で高い熱電変換性能を示すことを発
見し、この複雑な結晶構造と銅原子の異常大振幅原子振動に起因する超熱伝導率物質であることを証
明した。諄いが、電発電とは、固体素子を用いて、熱(温度差)エネルギーを電気エネルギーに変換
する技術。膨大なの未利用廃熱の有効活用できる熱電発電は注目を集め、自動車や工場の高温排気中
の中温廃熱(300~500 ℃)の回収・利用が求められ、本温度領域で有望視される熱電材料は鉛など
の有害元素を多量に含有するため実用化の大きな障壁となっている。JAISTの研究グループは、自然
界に存在する硫化鉱物のテトラへドライトとほぼ同じ組成をもつ材料を人工的に合成し、室温付近に
比較的高い熱電変換性能を示すことを日本応用物理学会報告していたが、これを産総研と共同で、テ
トラへドライトの母体Cu12Sb4S13の銅をわずかにニッケル置換した材料が、実用中温領域である400
℃付近で高い無次元熱電性能指数 ZT = 0.7(変換効率7%相当)を示すことを発見。この値は、既存

の p型鉛フリー硫化物の中で最も高い値。テトラへドライトは亜鉛と鉄を置換した材料でも高い熱電
変換性能をしめすことが分かっていた。テトラへドライトの高い熱電変換性能は、シリカガラスの半
分程度という超低格子熱伝導率に起因する理由の証明に大型放射光施設SPring-8の放射光を用いた粉
末X線回折実験を行い、CuS3三角形の中心に位置する銅原子が、三角形面に垂直な方向にゆっくりと
大振幅振動していることを発見する(銅の異常大振幅原子振動が、硬いCu-Ni-Sb-Sネットワークを伝
搬する熱を阻害することで、低い熱伝導率を実現したと推測)。

また、同上の熱電変換物質を使った素子モジュール構造の新規考案もなされているの参考に記載する
(下図参照)。それによると、放熱基板とケースの間に熱電素子を挿入した熱電発電モジュールの特
徴として、このケース蓋体は、金属板を、吸熱面部と放熱基板との間の側壁部分、また放熱基板に対
向するフランジ部との一体成型部の中間部を屈曲することで、放熱と吸熱面部、フランジ部を圧縮す
る。このような形にすることで下端を放熱基板に密着した熱電発電モジュール構造を(1)簡略化し
(2)製造コスト低減し(3)熱負荷を吸収し(4)高寿命化を図るという。これによりまたひとつ、
持続可
能社会の環境キーテクノロジーの廃熱電利用モジュールの情報がこの‘極東極楽’の日本から
世界に向け発
信されたことを意味する。

 

 【符号の説明】 1 放熱基板 2 回路パターン 3 熱電素子 4 金属連結板 5 絶縁板 6 熱導入板 7 蓋体
 8 吸熱面部 9 枠体部 10 フランジ部 11 ビード部

 

 

 

 【第三章 新自由主義国家】

新自由主義理論における国家の役割はかなり容易に定義できる。これに対して、新自由主義化の実践
の方は、理論が提示する枠組みとはかなりかけ離れた形で進んできた。そのうえ、この三〇年間、国
家の諸機関・諸権力・諸機能がかなり混乱した変遷をとげ地理的に不均等に発展してきたことは、新
自由主義国家が不安定で矛盾した政治形態であることを示唆している。


  新自由主義国家は理論的には、強固な私的所有権や法の支配、自由に機能する市場や自由貿
  易の諸制度を重視している。これらは、個人の自由を保障するのに必要不可欠なものとみな
  されている社会的諸制度である。その法的枠組みは、市場における法的人格同士の自由な交
  渉による契約上の義務にもとづいている。行動・表現・選択の自由という個人の権利や契約
  の不可侵性は保護されなければならない。したがって国家は、全力をあげてこれらの自由を
  守るために、それが独占している暴力装置を用いなければならない。ひいては、ビジネス集
  団や企業(法的には個人とみなされている)がこうした自由市場と自由貿易の制度的枠内で
  活動する自由も、根本的に善だとみなされている。民間企業や企業家のイニシアチブは、技
  術革新を引き起こし富を創出する上で決定的なものだとみなされている。技術革新を促進す
  るために、たとえば特許制度を通じて知的所有権が保護される。生産性が持続的に向上すれ
  ば、高い生活水準がすべての人にもたらされることになっている。新自由主義理論において
  は、「上げ潮は船をみな持ち上げる」とか、〔上層から下層へと富が〕「したたり落ちる」
  と想定されており、一国内であろうと世界規模であろうと、自由市場と自由貿易を通じてこ
  そ最も確実に貧困を根絶することができるのだと考えられている。


  新自由主義者がとりわけ熱心に追求しているのは、さまざまな資産を私有化することである
  明確な私的所有権が存在しないこと-多くの発展途上国ではよく見られることだ-は、経済
  発展と人間の福祉の改善とに対する制度的障壁の中で最大のものの一つだとみなされている。
  土地の囲い込みと私的所有権の確立は、いわゆる「共有地の悲劇」(土地や水といった共有
  資源を個々人が無責任に過剰利用する傾向)を避ける最良の方策だとされている。かつては
  国家の手で運営ないし規制されていた諸部門は、私的所有の圏誠に引き渡され、規制は緩和
  されなければならない(あらゆる国家干渉からの自由)。競争-個人間、企業間の競争、ま
  た何らかの地域的単位(都市、地域、国、地域集団)間の競争―は最大の美徳だと考えられ
  ている。もちろん、市場競争の基本ルールはきっちり遵守されなければならない。そうした
  ルールが明確に定められていないとか、所有権があいまいな場合には、国家はその権力を行
  使し、市場システムを押しつけるか、このシステムそのものをつくり出さなければならない
  (たとえば汚染物質排出権の市場取引)。競争と結びついた民営化と規制緩和は、官僚的形
  式主義を排し、効率と生産性を引き上げ、品質を改善し、負担を軽減する-安価な商品・サ
  ービスによって直接的に、税負担の軽減によって間接的に-とされている。新自由主義国家
  は、グローバル市場の中で他国と並ぶ一個の単位として、競争上の地位改善につながるよう
  な国内再編と新たな社会的諸制度を継続的に追求しなければならない。

                     -中 略-

  だが、新自由主義派の理論家たちは民主主義に対して根深い不信を抱いている。多数決原理
  による統治は、個人の諸権利や憲法で保障された自由にとって潜在的脅威だとみなされてい
  る。民主主義はぜいたく品とみなされ、政治的安定を保障する強力な中産階級の存在と結び
  ついた適度な豊かさのもとでのみ実行できるとされている。したがって、新自由主義者は、
  専門家やエリートによる統治を支持する傾向にある。民主主義や議会による意思決定よりも、
  行政命令や司法判断による統治の方がずっと好ましい。新自由主義者は中央銀行などの主要
  機関を民主的な圧力から守ろうとする。法の支配や立憲体制の厳格な解釈を軸にすえる新自
  由主義理論の前提では、紛争や対立は法廷で調停すべしということになる。いかなる問題で
  あれ、その解決策や救済策は、法制度を通じて個々人によって追求されなければならない。

                                          -中 略-

      新自由主義国家に問する一般理論の内部でも、いくつかあいまいな論点や対立点が存在し
   ている。第一に、独占権力をどのように解釈するかという問題がある。競争はしばしば独
   占ないし寡占をもたらす。というのも、より強い企業がより弱い企業を駆逐するからであ
   る。ほとんどの新自由主義理論家の考えによれば、こうしたことは、競争相手の参入を実
   質的に阻むものが何もない-この条件はしばしば実現しがたく、したがって国家が助力し
   なければならない
-かぎり、とくに問題はなく、むしろ効率を最大化すると言われている。

   いわゆる「自然独占」の場合はそれよりも難しい。電力供給網ガス・パイプライン、上下
   水道システム、さらにはワシントンーボストン間の鉄道路線などが、それぞれ複数で競合
   しあっても無意味だろう。こうした分野では、供給・アクセス・価格設定上の国家規制は
   不可避である。部分的な規制緩和は可能かもしれないが(たとえば、競合する複数の業者
   に、同じ電線に電力を供給することや同一路線に列車を走らせることを認めるなど)、実
   際には、二〇〇二年のカリフォルニア州の電力危機がはっきりと示したように、暴利目的
   で乱用されたり、イギリスの民営化された鉄道の状況が証明したように、どうしようもな
   い混乱と無秩序が発生する可能性も十分にある。

    第二の大きな争点は「市場の失敗」に問する問題である。市場の失敗が起きるのは、個
      や企業が自分たちの責任を市場の外部にはじき出し-専門用語で言えば「外部化」し、自
      分たちにかかってくるコストのすべてを払おうとはしない場合である。その古典的事例が
      環境汚染である。そのさい、個人や企業は廃棄物処理費用を免れようと、環境のことなど
      一顧だにせずに有害廃棄物を投棄する。その結果、豊かな生態系は損なわれるか破壊され
   るだろう。職場で危険物質や身体的危険にさらされれば人間の健康が破壊されるし、その
   職場から健康な労働者層が激減する場合さえあるかもしれない。新自由主義者たちがこう
   した問題の存在を認めると、ある者は一定の譲歩をして限定的な国家介入に賛成するが、
   他の者たちは、何か治療しようとすればほとんど確実に病よりも悪い結果をもたらすのだ
   から何もしない方がよいと主張する。それでも、何らかの介入が行なわれるべきだとした
   ら、それは市場メカニズム(たとえば、課税、インセンティブ、汚染物質排出権の市場取
   引など)を通じてなされるべきということに、大方の新自由主義者は一致する。「競争の
   失敗」に対しても同じようなアプローチが選択される。契約関係、二次契約関係が増える
   につれて、取引コストも増大する。一例だけ挙げれば、巨大な通貨投機機構が登場すれば、
   それは投機的利益を得る上でますます決定的なものになると同時に、ますますコストのか
   かるものになるだろう。また別の問題も起こりうる。たとえば、ある地域で競合関係にあ
   る病院が、めったに使われることのない同じ精密機械をいっせいに購入したために、総コ
   ストが上昇してしまうような場合だ。この場合、国家による計画、規制、強制的調整を通
   じてコストの抑制をはかるべきだという意見が有力なのだが、ここでも新自由主義者はこ
   うした介入に根深い不信を抱いている

   通常、市場の活動主体はみな同一の情報にアクセスできると想定されている。自己利益に
   もとづいて合理的な経済的決定を下す諸個人の能力を妨げるような、権力や情報の非対称
   性は存在しないということが想定されている。だが、実際にはこのような条件はめったに
   ないし、むしろ、情報や権力の非対称性にもとづくいくつかの重要な結果が生じている。
   他人よりも情報や権力を多く持っている行為主体にとっては、その利点を利用して、いっ
   そう大きな情報と権力を獲得することさえ容易にできる。知的所有権(特許権)の確立は、
   さらなる「レントの追求」を促す。特許権をもつ者はその独占権力を用いて、独占価格を
   設定するか、非常に高額の代金が支払われないかぎり技術移転を妨害しようとする。それ
   ゆえ国家が対抗措置をとらないかぎり、非対称的な権力関係は減少するどころか、時とと
   もにますます増大する傾向にある。完全な情報や対等な競争環境といった新自由主義の想
   定は、無邪気なユートピアであるか、富の集中とその結果としての階級権力の回復を意図
   的にごまかしているかのどちらかである。

   新自由主義理論は技術革新を、新しい製品、新しい生産方法、新しい組織形態の追求に駆
   りたてる競争の強制力にゆだねる。しかし、この推進力は企業家の常識にあまりに深く埋
   め込まれているために、物神崇拝の対象にさえなっている。どんな問題にも技術的解決策
   があるというわけだ。企業ばかりでなく国家機構(とりわけ軍隊)の中にもこの考えが定
   着するにつれて、技術革新の強固な自立化傾向が生じ、それは安定性を損ないうるだけで
   なく、場合によっては逆効果にさえなりかねない。技術革新を専門とする部門がこれまで
   市場になかった新製品とその新しい使い方を編み出すような場合(たとえば新薬が生産さ
   れ、そのために新しい病気もでっち上げられる)、技術の発展が暴走する可能性がある。
   そのうえ、有能な新参者が技術革新を動員して、支配的な社会的諸関係や諸制度を掘りく
   ずすこともある。彼らはその活動を通じて、自分たちの金儲けに有利になるよう常識さえ
   もつくりかえるかもしれない。このように、技術の発展力学、不安定性、社会的連帯の解
   体、環境悪化、脱工業化、時間・空間関係の急激な変化、投機的バブルなどといったこと
   と、危機を醸成する資本主義内部の一般的傾向とのあいだには、密接なつながりがある。





   最後に、新自由主義の内部には、検討を要する基本的な政治問題がいくつかある。一方に
   おける魅力的だが疎外をももたらす所有的個人主義と、他方における有意義な集団生活を
   求める欲求との間には矛盾が存在している。個人には選択の自由があるとされているにも
   かかわらず、各個人は、弱い自発的集団(たとえば慈善団体)は別にしても強力な集団的
   機関(たとえば労働組合)の建設は選択しないものだと想定されている。ましてや、国家
   を用いて市場に介入したり市場を廃絶しようとするような政党の創設を選択することは絶
   対にないことになっている。新自由主義者はその最も恐れる対象-ファシズム、共産主義
   社会主義、権威主義的ポピュリズム、そして多数決さえj-から身を守るため、民主主義
   的統治に厳しい制限を課さなければならず、逆に重要な決定を下すさいには非民主的で閉
   鎖的な機関(連邦準備制度やIMF)を頼りにする。このことから、国家が介入主義的ではな
   いと想定されている世界で、極端な国家介入やエリートと「専門家」による統治がなされ
   るという逆説が生まれる。それは、長老賢者の会議がすべての重要決定を命ずるとされて
   いるフランシス・ベーコンのユートピア物語『ニュー・アトランティス』(一六二六年初
   版)を彷彿とさせる。したがって、集団的介入を追求する社会運動に直面するや、新自由
   主義国家は-時に抑圧的に-介入することを余儀なくされ、こうして自ら掲げたはずの自
   由そのものを否定してしまう。だが、こうした状況下で新自由主義国家は秘密兵器を動員
   することができる。国際競争とグローバリゼーションがそれだ。両者は個々の国家の内部
   で、新自由主義的な政策目標に反対する運動を抑制するのに用いることができる。それが
   うまくいかなければ、国家は説得やプロパガンダに訴えなければならないし、必要とあら
   ば新自由主義への反対を弾圧するために露骨な暴力や警察力に訴えなければならなくなる。
   これはまさにポランニーが恐れた事態だ。すなわち、自由主義の-ひいては新自由主義の
   -ユートピア計画は、結局は権威主義に頼らなければ維持されえない。少数者の自由のた
   めに、大衆の自由は制限されるだろう。

 
            デヴィッド・ハーヴェイ 渡辺 治 監訳「第三章 新自由主義国家」 
                   (『新自由主義-その歴史的展開と現在 』より)

 

このように長々と引用してしまったのは、デヴィッド・ハーヴェイの説得力の魅力のためであり、余
りにもこの日本組み込まれた“新自由主義的社会現象”の近似例の豊富さのためだ。そして、彼は、
新自由主義化か進行する時代に新自由主義国家の全般的特徴を描き出すことは困難だが、それには特
別な理由が二つあるとし「第一に、それらの国家が新自由主義理論の公式教義から系統的に逸脱して
いることが、ただちに明らかとなるからである。ただし、すでに述べた内在的な諸矛盾にそのすべて
の原因があるわけではない。第二に、新自由主義化の発展力学はきわめて強力であり、時間と場所に
よって実に多種多様な適応形態を強制してきたからである。こうした不安定かつ変化しやすい歴史的
構図から、典型的な新自由主義国家の像を構成しようとするのは、愚かな試みに見えるかもしれない。
にもかかわらず、特殊に新自由主義的な国家という概念に一定の意味を持たせるような議論の一般的
脈絡を描き出すことは有益だと思われる」とし次のように指摘する。


  階級権力を回復しようとする強力な動きは、新自由主義の理論を実践の上で歪曲し、いくつ
  か
の点ではそれを覆しさえする。それはとりわけ次の二つの次元で見られる。その第一の次
  元は、
資本主義的事業のために「良好なビジネス環境ないし投資環境」をつくる必要性から
  生じる。
政治的安定や法の十全な尊重、法の公正な適用といった、一見「階級的に中立」と
  考えられるい
くつかの条件がある一方で、明らかに偏向した条件も存在する。とりわけ労働
  や環境を単な
る商品として扱うことからこうした偏向が生じる。典型的な新自由主義国家は、
  紛争が起こる
と、労働者の集団的権利(および彼らの生活の質)や環境の再生能力よりも良
  好なビジネス環
境をつくることを優先させるだろう。また偏向の第二の次元が起こってくる
  のは次のような理
由からである。紛争の際、新自由主義国家がたいてい、住民の福利や環境
  の質よりも、金融シ
ステムの保全や金融機関の支払い能力を優先させることである。国家の
  実践は実に多岐にわた
り、時にまったくばらばらで、絶えず変動していることから、こうし
  た系統的な偏向は必ずし
も容易に判別できるわけではない。しかも、プラグマティックでご
  都合主義的な思惑が重要な
役割を演じることも少なくない。たとえば、ブッシユ大統領は自
  由市場と自由貿易を信奉してい
るにもかかわらず、鉄鋼業が盛んなオハイオ州での選挙戦の
  勝利を確かなものにしようと、
鉄鋼関税を設定した。ちなみに、選挙結果は思惑どおりとな
  った。国内の不満を和らげるため
に、国外からの輸入数量制限が恣意的に設けられる。ヨー
  ロッパ諸国は、社会的理由、政治的
理由、はては美学的理由からあらゆるものの自由貿易を
  主張しているのに、自国の農業は保護
している。特定の業界(たとえば武器取引)の利益を
  推進するために特別の国家介入がなされたり、中東のような地政学的に重要な地域では、政
  治的なつながりと影響力を獲得するために、信用の供与が恣意的に各国に拡大されていく。
  以上の理由からして、新自由主義の正統理論に常に忠実な原理主義的な新自由主義国家論者
  に出くわしたとしたらまったく驚くべきことだろう。

                                      『同上』

次に、デヴィッド・ハーヴェイは新自由主義国家像の5つの特徴を指摘する。(1)新自由主義国家
市場機能のお膳立てに期待し、グローバル政治で一個の競争単位とし、市民の忠誠心の確保問題が
起こり、これが政策目標と深く対立する。(2)
市場論理貫徹の権威主義は、個人的自由と簡単には
あいいれない。個人と個人とのあいだにあるような対称性が企業と個人との権力関係では、自分の健
康状態は自分の選択と責任だと主張するのと、非効率で高度に官僚化した巨大保険会社への法外な保
険料の支払いという矛盾-正統性と同意の維持になおいっそう難しい綱渡りとなる。(3)
金融シス
テム機能の保全が、儲け本位の無責任な個人的な投機によるさまざまな金融スキャンダル、慢性的な
不安定が生み出されるが、公的介入をめぐり深刻な問題が残されてきため、危機回避のために再規制
を求める動きが活発になっている。(4)
競争こそ最も立派な美徳にあるにもかかわらず、現実は、
少数の集権的かつ多国籍企業の寡占・独占的でトランスナショナルな権力の強化が進行する。(5)
一般市民レベルの市場自由化信仰と商品化が安直に席巻し、社会的連帯が破壊され、社会という考え
方そのものさえ解体され、社会秩序の真空化起き、反社会的行動を規制することも著しく困難になり、

その結果、民主主義諸国には無力感と不安感が漂い、新手のポピュリスト政治家が台頭し容易に暴動
に転化しかねない新しい経済体制段階にある、という。

 

また、この章の終わりで、新保守主義(ネオコン)との違いが書かれている。「原則的に新自由主義
理論は、たとえ強い国家という考えを支持するものであっても、国民には好意的ではない。新自由主
義が繁栄するには、「埋め込まれた自由主義」のもとで国家と国民とを結びつけていた影の緒を切断
しなければならなかった。(中略)新自由主義国家が存続するには、ある種のナショナリズムが必要
なのである。新自由主義国家は、世界市場における競争主体になることを強いられ、また、できるか
ぎり最高のビジネス環境を確立しようとして、ナショナリズムを動員する。有利な地位をめざすグロ
ーバルな闘争の中で、競争はつかの間の勝者と敗者をつくり出すが、このこと自体が国民的誇りやナ
ショナル・アイデンティティ追求の源泉となりうる。国際スポーツ競技でのナショナリズムはその表
われである。(中略)たしかに、新自由主義がある種のナショナリズムと戯れる危険性はあるのだが
獰猛な新保守主義がナショナルな道徳的目標を抱き込むことの方がはるかに危険である。(中略)新
自由主義の諸矛盾に対する解決策であるように見えたものが、逆にそれ自身が問題をはらんだものへ
と容易に転化するこれらの権力が、競争するだけでなくおそらくは激しく争いあいさえするナショナ
リズムヘと堕落する危険性を浮かび上がらせている。避けがたい過程が進行しているのだとしても、
それは、国民性の相違なるものに帰せられる永遠の真理から生じているのではなく、新保守主義的転
換から生じている。したがって破滅的な結果を避けるためには、新自由主義の諸矛盾に対する新保守
主義的回答を拒否しなければならない。しかしながら、そのためには、何らかのオルタナティブが存
在していなければならない」と警戒してこの章をむすんでいる。

 

  

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ロシア隕石の窓

2013年02月16日 | 環境工学システム論

 

 


【ロシア隕石の衝撃】

ロシア・ウラル地方のチェリャビンスク州付近に15日朝に落下した隕石罹災のニュースが一日中報道され
ていた。現地からの映像や住民の証言などから、そのすさまじい衝撃力と地元の混乱ぶりが伝わり大変な
驚きをもってことの成り行きを看ていた。地元報道によると、午前9時20分ごろに飛来した隕石の破片は
数百キロの範囲に散らばり、爆発の際の衝撃はすさまじく、多数の建物のガラスや扉が吹き飛ばされ、一
瞬のうちに数百人が負傷。衝撃波で転倒した人も多数にのぼったという。病院では衝撃波による窓硝子で
傷ついた被害者の治療でごったがやしている光景-足やほおなどを切った人たちの治療が映し出されてた。
米国の宇宙局(NASA)は、ロシアに落下した隕石の大気圏突入前の大きさは直径17メートル、重さ
は1万トンだったという。大気圏突入時の空気の振動を観測する空振計のデータ収集が進んだため、再計
算し第一報の直径15メートル、重さ7千トンより大きいものなっている。また、大気圏に突入しばらば
らに分解されるまでの時間は32.秒だったという。


これらは、地球近傍小惑星と呼ばれているもので、地球に接近する軌道を持つ天体(地球近傍天体、NEO
(Near Earth Object))のうち小惑星のみを意味するが、英語ではNEAs(Near Earth Asteroid) と呼ばれること
もある。NASAでは地球に接近するために監視が必要とされるものは約8500個とされる。軌道計算では、
これらの小天体は今後少なくとも、百年間は地球に衝突する恐れはないとしている。だからというわけで
はないが原子力発電での使用済み燃料の減衰に要する年数が数万年というから数百回はその恐れがあるわ
けだから、昨夜の続きになるが、即刻にも原子力発電政策の見直しの実行の有無が喫緊の課題というわけ
だろう。これは天からの警告として考えた方が良いようだ。エネルギー問題あるじゃないかとということ
になるが、これも解決済みなのだから安心して良いと考えていのだが。ところで、NASAは1km以上の全
ての地球近傍天体をリストに載せる議会命令を公布している。この大きさ、それ以上の大きさのNEOは、
地球に衝突すると地球単位の重大な災害を引き起こすものを対象とする。2009年6月までに千個以上の危険
性があるというのだ。勿論、未確認の地球近傍天体も多数あると見られている。米国、EUや他の国は現在、
地球近傍天体のためにスペースガードという捜索プロジェクトで捜索を続けている。なお、従来あまり調
査されていなかった、黄道面から大きく離れた領域を含む全天をより効率的に観測するために、ハワイに
専用の望遠鏡を設置するパンスターズ計画が進められている

   

 


【建築法の改定 防犯・減災ガラスの普及】



ロシアの隕石落下の惨事を目の当たりにして、また別のことをわたしは考えていた。窓硝子が割れても飛
散しなければ良いわけだから、自動車のフロント硝子のようなものに強度・靱性を強化する法整備を喫緊
に実施すべきだと。このことは、防災・減災だけでなく防犯ということもあり、少々コストが掛かるが、
それこそ、生活品質向上政策を推進すればよいのではないかと思いつく。この程度であれば過剰品質では
ないだろうから簡単にできそうだ。これは規制強化ではあるが、これは国民の「安全・安心」に繋がり、
「必然性の意識化=自由」(フリードリッヒ・エンゲルス)に繋がり、これが「ロシア隕石の窓」のいわ
れなのだと。

 

  

 

 

【第二章 同意の形成】


            富を得る鍵が、国がどのように領土を獲得して、所有し、搾取するかである、
         世界から、国または企業がどのように知識を蓄積して、共有し、収穫するかである、
                                   世界へと、移行している。

                          ウォルター・リストン(元シティバンク会長)


今夜は米国と英国がどのようにして、新自由主義が、それが誰によって実現してきたのかをデヴィッド・
ハーヴェイから学ぶこととする。


  一九七九年以後の、通例サッチャーとレーガンに帰せられる新自由主義革命は、民主主義的な手
  段によって達成されなければならなかった。この大規模な転換を引き起こすためには、選挙に勝
  利するための、かなり広範囲にわたる民衆の政治的な同意を事前に形成することが必要であった。
  一般にこの同意の根拠となるのが、アントニオ・グラムシのいう「常識」(それは「共通に持た
  れる感覚」と定義される)である。常識は地域的ないし国民的な伝統にしばしば深く根ざした文
  化的社会化の長期的な慣行の中から形成される。それは、その時々の問題に批判的に関与するこ
  とで形成される「良識」とは異なる。それゆえ常識は、文化的な偏見が存在する場合には真の問
  題を大きく見誤らせ、不明瞭にし、偽装させることがある。神や国への信仰、あるいは女性の社
  会的地位についての考え方といった文化的・伝統的価値観や、共産主義者・移民・異邦人・「他
  者」への怖れといったものが、他の現実を隠蔽するために動員される。政治的スローガンは曖昧
  なレトリックを凝らすことで、特定の戦略を覆い隠すことができる。「自由」という言葉は、ア
  メリカ人の常識的理解の中であまりにも広く共鳴を受けるので、それは「大衆への扉を開くため
  のエリートたちの押しボタン」になってしまい、ほとんどあらゆるものを正当化する。

                      -中 略-

  個人の自由を根源的なものとして重視する新自由主義のレトリックは、国家権力の獲得による社
  会的公正を追求する社会勢力の隊列の中から、リバタリアニズム(自由至上主義)、アイデンテ
  ィティ・ポリティクス、多文化主義、さらにはナルシスト的な消費主義を分裂させる力をもつ。
  たとえば、運動の政治的担い手たちは、個人的自由を希求し、特定のアイデンティティの完全な
  承認とその表明を求めているが、以前からよく知られているように、そうした願望を妨げること
  なく、社会的公正を達成するのに政治行動上必要な集団的規律を確立することは、アメリカ左翼
  の内部では非常に難しいことであった。新自由主義そのものはこうした分化をつくり出しはしな
  かったが、それをたやすく利用することができたし、場合によっては助長することさえできた。

                      -中 略-

  新自由主義化にとって政治的にも経済的にも必要だったのは、差異化された消費主義と個人的リ
  バタリアニズムの新自由主義的ポピュリズム文化を市場ベースで構築することであった。このこ
  とはまさに、新自由主義が、長年舞台の袖に潜んでいて今日まさに文化の領域でも知の領域でも
  支配的潮流として全面開花している「ポストモダニズム」と呼ばれる文化的推進力と少なからぬ
  親和性があることをはっきりと示している。以上が、大企業と階級エリートたちが一九八〇年代
  に巧妙に取り組み始めた挑戦課題だった。

                      -中 略-

   (米国での)資本蓄積危機と階級権力の危機という二重の危機に対する一つの対応策は、一九
  七〇年代における都市闘争の真っ只中で生じた。ニューヨーク市の財政危機は象徴的な事例であ
  った。資本主義の再編と脱工業化はニューヨーク市の経済的基盤を何年にもわたって侵食し、急
  速な郊外化は都市中心部の大半の貧困化という現象を後に残した。その結果が、周辺化された住
  民による社会的騒乱の爆発であり、これは一九六〇年代における「都市危機」として知られるよ
  うになる現象へとつながっていった(同じような問題がアメリカの数多くの都市で噴出した)。
  公務員の雇用を拡大し公的福祉を拡充すること-これは部分的には連邦政府による気前のよい補
  助金によって促進されたが解決策になると思われた。ところが財政的な困難に直面したニクソン
  大統領は一九七〇年代初頭にあっさりと都市危機の終結を宣言した。これは都市住民の多くにと
  って寝耳に水であったが、連邦政府からの補助金が削減される合図であった。景気後退の速度が
  増すとともに、ニューヨーク市の歳入と歳出のギャップ(それはすでに長年にわたる浪費的な借
  入によって大きなものであった)が拡大した。当初、金融機関はこのギャップを埋める貸付を行
  なう姿勢を示していたが、一九七五年、シティバンクのウォルター・リストン率いる投資銀行家
  の強力な一団がやってきて、債務の返済繰り延べを拒否し、市を事実上の倒産に追い込んだ。そ
  の後、救済措置がとられたが、そこには、市の予算管理を引き継ぐ新しい諸機関の設立が含まれ
  ていた。新しい諸機関は債権者〔市債の保有者〕への返済を優先させるために、市の税収に対す

  る第一請求権を債権者に与えた。その残りが市の提供する不可欠なサービスに用いられた。その
  結果、市の強力な自治体労組の要求が抑えこまれ、賃金が凍結され、公務員の雇用と社会福祉(
  教育、公衆衛生、交通サービス)が削減され、受益者負担が導入された(初めてニューヨーク市
  立大学に授業料が導入された)。最も屈辱的だったのは、自治体労組が自分たちの年金基金を市
  債に投資しなければならなくなったことである。こうして組合は自分たちの要求を穏健化させる
  か、さもなくば市が破産して自分たちの年金基金を失う危険性に直面することになった。これは
  民主的に選挙された自治体であるニューヨーク市に対する金融機関のクーデターに等しいものだ
  った。そしてそれはあらゆる点で先のチリにおける軍事クーデターと同じ効果をもった。財政危
  機のさなかに富が上層階級に再分配された。ゼーヴィンはこう論じている。ニューヨーク市の財
  政危機は、「所得、富、権力の逆進的な再分配と一体となった新しいインフレ抑制戦略」のきっ 
  かけだった。それは「新たな戦争におけるおそらく決定的な戦闘の前哨戦」であり、その目的は
  「ニューヨーク市で起こっていることはよそでも起こりうるし、いくつかのケースでは実際に起
  こるだろうということを見せつけること」であった。

                      -中 略-          

  だがニューヨークの投資銀行家たちは市から立ち去りはしなかった。ニューヨークを自分たちの

  目的に合致したものにつくり変える機会をつかんだからである。「良好なビジネス環境」をつく
  ることが最優先された。これは、資本主義企業に助成金と税制上のインセンティブを保証すると
  ともに公共の資源をビジネスに最適なインフラ(とくに電気通信関係)をつくるために利用する
  ということを意味した。企業向け福祉が国民向け福祉に取って代わった。市の中枢機関が文化的
  中心地や観光名所としてのニューヨーク市のイメージを売り込むのに動員された(有名なロゴ「
  INY」が考案されたのもこの頃である)。支配エリートは、あらゆる傾向の多様なコスモポ
  リタン的風潮に文化的領域を開くことを、時に文句を言いながらも支持した。自我やセクシュア
  リティやアイデンティティをナルシスト的に探求することは、ブルジョア都市文化のライトモチ
  ーフになった。市の強力な文化機関によって推進された芸術の自由や芸術的放縦は、事実上、文
  化の新自由主義化をもたらした。レム・コールハースの印象的な言葉を使えば「錯乱のニューヨ
  ーク」は、民主主義的ニューヨークの集団的記憶をかき消したのである。市のエりIトたちは-
  悶着がなかったわけではないが-ライフスタイルの多様性(性的嗜好やジェンダーに関わるもの
  も含む)とますます増進する消費者の個性的な選択(たとえば文化生産の分野でのそれ)を受け
  入れた。ニューヨークはポストモダン文化と知的実験の中心地になった。その間、投資銀行家た
  ちは、金融活動、法律やメディアなどに関わる二次的サービス(当時起こりつつあった金融化に
  よってかなり活性化した)、多様化された消費主義などを軸に市の経済を再建した(富裕層の流
  人による都市の「中産階級化」と地域「再生」はめざましい経済効果をともなった)。市政府は、
  社会民主主義的どころか経営主義的でさえなくなり、ますます企業主義的なものにされていった。
  資本投資をめぐる都市間競争は、市の行政を官民パートナーシップによる都市統治へと変貌させ
  た。市の事業はますますドアの内側で協議されるようになり、地方自治における民主主義と代表
  制の内実は衰退していった


このように、刺激に富んだ例を挙げいかにして米国で新自由主義の国民的合意形成されてきたを語り、そ

うして彼は「新自由主義への転換を支えるために動員された経済思想は、マネタリズム(フリードマン)、
合理的期待形成論(ロバート・ルーカス)、公共選択理論(ジェームズ・ブキャナンとゴードン・クロッ
ク)、そして、あまり評価されないがけっして影響力が小さくないアーサーこフッファーの「サプライサ
イド」理論をないまぜにした思想であった。ラッファーは何と、減税によるインセンティブ効果が経済活
動を活性化させ自動的に税収を増大させるとさえ主張した(レーガンはこの理論に夢中になった)。これ
らの諸議論のうちでより広く受け入れられた共通項は、政府の介入は解決よりもむしろ問題を生じさせる
ということ「安定した通貨政策プラス高所得階層への思い切った減税」は、適正に展開された企業活動に
インセンティブを与えることによって「より健全な経済を生み出す」というものであった。『ウォールス
トリート・ジャーナル』を筆頭にビジネス紙誌がこうした思想をとりあげ、新自由主義はすべての経済的
病理を解決する上で不可欠であると公然と唱えるようになった。これらの思想を広範に流布させる役割を
果たしたのは、シンクタンクの基に支援されたジョージ・ギルダーのような旺盛な執筆者たちであり、ス
タンフォードやハーバードなどの有名一流大学で設立された経営学大学院であった」とむすぶ。さて、次
に「イギリスにおける同意の形成はかなり異なった形で生じた。〔アメリカの〕カンザス州で起こったこ
とは、〔イギリスの〕ヨークシャーで起こったこととはきわめて異なっていた。まず文化的・政治的伝統
が非常に異なっていた。イギリスでは道徳的多数派に動員されるキリスト教右派は、言及に値しない程度
しかいない。大企業が公然と政治行動を支援することはあまりなく(政党への献金もわずかだった)、そ
の代わり、政府、学術界、司法、高級官僚(当時においてはいぜん独立の伝統を保持していた)を産業・
金融界のリーダーたちと長年結びつけてきた階級的・特権的ネットワークを通じて影響力を行使すること
が選択された。政治的状況もまた根本的に異なっていた」という特徴をもつ英国の「合意形成」過程を学
んでみよう。


  第二次世界大戦後にイギリスで形成された福祉国家は、万人のお気に召すものであったわけでは
  ない。高級紙『フィナンシャル・タイムズ』を筆頭にメディアを通じて強力な批判意見が流布さ
  れ、メディアは金融界にしだいに従属していった。個人主義と自由は、国家機構の窮屈な官僚主
  義的愚劣さや強圧的な労働組合勢力と対立するものとして描き出された。こうした批判はイギリ
  スでは一九六〇年代に広まり、一九七〇年代の経済停滞の先行き不透明な時代になると、ますま
  す激しくなった。当時人々は、イギリスがコーポラティズム国家、陰影な凡庸におおいつくされ
  た国」になるのを怖れたのである。ハイエクに代表される思想的潮流は有力な反対勢力を形成し、
  大学の内部で支持者を獲得し、さらに重要なことには、一九五五年創設の経済問題研究所(IE
  A)の活動を支配した。この機関の出身者としては、後にマ-ガレット・サッチャーの主席顧問
  となるキースジョゼフかおり、彼は一九七〇年代に著名人物へと出世した。一九七四年に政策研
  究センターが、一九七六年にアダム・スミス研究所が設立されたこと、一九七〇年代にマスコミ
  が新自由主義化にしだいに傾倒していったことは、世論の形勢に重大な影響を与えた。それ以前
  から、政治的に斜に構えた大規模な若者運動が台頭し、一九六〇年代には「スインギング・ロン
  ド6」の自由奔放なボッブカルチャーが流行したが、この両者とも、網の目状に広がった階級関
  係の伝統的構造を嘲笑し、それに挑戦した。個人主義と表現の自由が重大な争点になり、左翼的
  傾向を持った学生運動は、イギリスの固定化した階級システムや植民地的遺産といった諸要素に
  さまざまに影響されそれらと複雑に妥協しながらも、六八年の運動がどこでもそうであったよう
  にイギリス政治における能動的要素となった。階級的特権(貴族のそれだろうが政治家のそれだ
  ろうが組合官僚のそれだろうが)に対する侮蔑的態度は、のちのポストモダン時代の急進主義の
  土台になった。政治への懐疑主義は、あらゆる「大きな物語」に対する懐疑の下地となった。

                      -中 略-          

  アメリカの事例とイギリスの事例の最も明確な共通点は、労使関係とインフレ克服闘争の分野に
  見ることができる。後者に関してサッチャーは、マネタリズムと厳格な緊縮予算を時代の風潮に
  した。高金利は高失業率を意味した。一九七九~八四年の平均失業率は10%以上にのぼり、イギ
    リス労働組合会議(TUC)はこの五年間で組合員の一七%を失った。労働者の交渉力は弱体化し
  た。サッチャーの経済顧問アラン・バッドは後にこう指摘している。「経済と公共支出を引き締
  めることによる一九八〇年代のインフレ抑制策は労働者を打ちのめす口実だった」。彼は続いて
   こう述べている、イギリスではマルクスが「産業予備軍」と呼んだものが大量に生み出され、そ
  の結果、労働者の力が掘りくずされ、資本家はその後容易に利益を上げることができた、と。そ
  して一九八四年にサッチャーは、レーガンが一九八一年に敢行した全米航空管制官組合への挑発
  に匹敵する行動に出た。炭鉱の大合理化と閉鎖を官百することによって(輸入石炭の方が安価だ
  った)、炭鉱労働者のストライキを挑発したのだ。ストライキはほぼ一年続き、かなりの世論の
  同情と支援があったにもかかわらず、炭鉱労働者は敗北した。イギリス労働運動の背骨が打ち砕
  かれM。サッチャーは、イギリスを国際競争と外国からの投資にさらすことで組合の力をさらに
  弱体化させた。国際競争は一九八〇年代に多くの伝統的なイギリス産業を破壊した-シェフィー
  ルドの鉄鋼業、グラスゴーの造船、これらは数年以内にほぼ消え去り、それにともない組合勢力
  の大部分も消えさった。サッチャーは自国のイギリス国有自動車産業を強力な組合や強力な労働
  者主義的伝統とともに効果的に破壊した。その代わりに、ヨーロッパヘの進出を望む日本の自動
  車企業にイギリスを海外拠点として差し出した。日本の自動車工場は郊外に建設され、日本型の
  労使慣行に従いそうな非組合員の労働者が雇われた。これらすべての要素があいまって、イギリ
  スは、わずか10年で相対的に低賃金で、他のヨーロッパ諸国に比べて労働者がおおむね従順な
  国に変わった。サッチャーが退陣する時点で、ストライキ件数は以前の10分の1のレベルにま
  で落ち込んだ。サッチャーはインフレを根絶し、労働組合の力を押さえつけ、労働者たちを飼い
  慣らした。その過程でサッチャーは自分の政策への中産階級の同意を調達した。

                  デヴィッド・ハーヴェイ 渡辺 治 監訳「第二章 同意形成」 
                     (『新自由主義-その歴史的展開と現在 』より)


とここまではしおって要約してきたが、デヴィッド・ハーヴェイのレーガンとサッチャーの成功の評価を
「すなわち、彼らが、これまでは少数派だった政治的・イデオロギー的・知的立場を採用し、それを一気
に主流の地位に押し上げたことである。彼らがその形成に助力した諸勢力の同盟関係と彼らが率いた多数
派勢力とは、次世代の政治的リーダーたちが取り除きたくても取り除けない遺産となった。レーガンとサ
ッチャーの成功を最もよく証明するのは、おそらく、クリントンやブレアにとって政治的に立ち回る余地
が非常にかぎられていて、たとえ自分のよりましな本意に反しても階級権力の回復プロセスを維持する範
囲内にとどまらざるをえない状況下に置かれたことであろう。そして、ひとたび新自由主義が英語圏の世
界に深く根づくと、資本主義が全体として国際的に機能しているその仕方が新自由主義にとってかなり適
合的だという事実が否定し難しくなっていた。このことは、われわれが後で見るように、英米両国の影響
力と権力が新自由主義をいたるところで押しつけたにすぎないと言っているわけではない」と、言うなれ
ば、もっと歴史的にも、地理学的に特徴をもって影響を与えたと-与えている。

                                       この項つづく

気がつけば、深夜だ。すこしのめり込みすぎてしまったか。
 

 

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チョコレートとチーズのバレンタイン

2013年02月15日 | 世界歴史回廊

 


【変貌するバレンタインディ】 

いつしか、バレンタインディは商業主義に流されながら土着し変貌してきた。三世紀当時のローマ皇帝
クラウディウス二世は、兵士達の戦意に支障をきたすとして若者の結婚を禁じていた。バレンタインは
若者たちを哀れに思い、密かに結婚させていたが皇帝がそれを知り、バレンタインにローマ国教への改
宗を迫り、不服従ゆえバレンタインは投獄され処刑される。その後、殉教したバレンタインは、後に勢
力を増したキリスト教により、聖人として認定され、ローマでは毎年2月14日に未婚の女性たちの名前
が書かれた紙を集め、翌日に未婚の男性がその紙を引き紙に書かれた名前の女性と付き合うといった伝
統的な祭りに姿を変え、いつしか、英国のチョコレート会社カドバリー社が、ギフト用チョコレートボ
ックスを製造し広まり、日本で1936年に神戸モロゾフ洋菓子店が英字雑誌に「バレンタインチョコ」の
広告を出し1958年には新宿の伊勢丹で「バレンタイン・セール」と称したキャンペーンが行われ土着す
る。いまでは、男性側がアンサーディの3月14日のホワイトディにはショーツとキャンディが送られる
という風にゲーム感覚でいて前宗教的な遊技感覚をもった演出技法に変貌している。

さて、パソコン作業用遠視・乱視用メガネがシックリ行かなくて13日(水)に再調整にメガネの三城へ
立ち寄り、その足で彼女とキャナリィロウでランチを取ることになるのだが、翌日のバレンタインディ
には仕事に出ていくときに朝食と昼食をこしらえたものが上の写真(下)-左から昼食のチャーハン、
真ん中は、朝食のお握りと玉子のだし巻き、そして右がチョコレートパン。因みに、写真(上)は前日
の朝食で、スクランブルエッグ、味噌汁、昆布の甘佃煮、写真(中)は夕食で、葱の鶏煮込み、高野豆
腐とホウレン草和え煮込み、そして朝どれ蕗の薹の味噌煮(右上)-蛇足だが、わたしはお箸を使わず
フォーク&ナイフで通している。それは兎も角、チョクレートパンは彼女が朝咄嗟に思いつきこしらえ
たというのいだが、これはひとつの変化ではないかと思える。つまりチョコレートに凝縮された<性的
自然宗教>の儀礼がこれから拡散加速し変貌していくと。ひょっとしたら、‘バレンタインデイ朝食’
が彼女がこしらえ、それを彼氏が美味しく頂くというようなことに ^^;。



【チーズの王国と考古学】

もうひとつ、キャナリィロウでの話。ランチメニューが増えているのだが、そこでオーダーしたのがタ
ラバガニのリゾットと総菜と飲み物のサラダバー。リゾットは文句なしに美味しいので、その場で思わ
ず唸る「これは美味い」と。ご飯とチーズこれは?!と閃くところあり。粥とチャーハンとチーズこれ
を和風の品質あるいは感性展開すればいいのではと。そうすると、後は美味国産チーズをつくれば良い
のだと思わずガッツポーズ(ただしこれは心の中で)。そうしていると彼女がサラダバーのコーナでイ
タリアチーズの王様とも呼ばれる超硬質チーズの大きなパルミジャーノ・レッジャーノを割り削り出し
たものを取りながら、これはなんというチーズかとたずねている。通常、ハードタイプは製造過程でセ
ミハードタイプのチーズより水分を少なくした(水分が38%以下)、大きく重量のあるチーズをさすと
いう。だいたい1個で20kgから、重いもので130kgもあり、セミハードタイプよりも熟成期間が長く、
6~10ヵ月ぐらいじっりと寝かせるため(本場イタリアでが5年間熟成させたものがある)、非常に
硬質で濃厚な旨みのあるチーズに仕上がるというが、国産ではそれに匹敵したものはないと思うが?こ
れを持ち前の器用さで熟成期間を短縮する技術を開発しコストダウンし商品化出来ないものかと考えて
みた。これは面白いテーマだと。

 


ところで、 チーズは古くからある加工食品。最古の歴史を持ち、その起源は先史時代まで遡る。チー
ズづくりの発祥の地がどこであるかを示す決定的な証拠はなく、ヨーロッパや中央アジアあるいは中東
かは定まっていないが、紀元前3100年ごろ、サハラの牧草地帯では紀元前4千年紀のエジプト人とシュ
メール人によって酪農が営まれていたという有力な証拠が存在する。またチーズづくりがヨーロッパで
広まったことはヘレニズム初期の神話からも読み取ることができるという。大プリニウスによれば、ロ
ーマ帝国が成立する時代には経済活動としてすでに洗練されていて、高価なチーズは上流階級のローマ
人の舌を満足させるために長い距離をものともせずに取引されていたという。つまり、チーズの起源と
して想像しうる最古の年代は羊や山羊が家畜化される紀元前6000年前後で、正確な年代は確定できない。
チーズをつくっておくことは高温気候でも乳が保存できる唯一の方法で、動物の皮と空気を吹き込んだ
内臓は古代からさまざまな食料を貯蔵しておく容器の役割を果たしていた。おそらくチーズづくりは、
反芻動物の胃でできた入れ物に保存していた乳が変性したのを偶然に発見しできたのではと考えられて
いる。もっとも、現在のところポーランドで、7500年前の「世界最古のチーズ」製造の痕跡がポーラン
ドで発見されている(「およそ7000年前に既に先史時代の人類が土器を使ってチーズを作っていたこと
を示す証拠を発見」英ブリストル大学などの国際研究チーム、2012.12.13)。


※ ポーランドは、クアルクチーズ(温めたのちにほんの少しだけ発酵させた牛乳でつくるフレッシュチーズのトゥ
  ファルクチーズ)が有名だ。

Un meteorite scuote la Russia

ロシア・ウラル地方チェリャビンスク州付近で15日午前9時23分(日本時間午後0時23分)ごろ、隕石が
落下大気圏内で爆発。非常事態省によると、衝撃波で割れた窓ガラスの破片などで500人以上が負傷し
病院で手当てを受けた。うち3人は重傷という。地元メディアが伝えた。
被害の全容は依然不明だが隕
石落下によって負傷者が出るケースは、世界的にも極めて珍しい。警察当局によると、隕石の破片が3
カ所に落下しうち二つが発見された。近くにはロシア最大の原子力発電所があり、万が一このに落下し
たと想像しただけで大きな衝撃と恐怖を与えた。明日は小惑星が最接近する、努々「NEO(地球近接
物体)」に対する研究と警戒は怠らないことを共有したい。

【確実な量子ドット時代】

時間がなくなったが、今日は、最新の中間型量子ドット太陽電池の製造技術の調査作業を進めた。確実
に‘オールソーラシステム’を引っさげ駆け込むヘラクレスの激しい吐息が聞こえそうだ。なぁ~~に、
聞こえないってか?!それは実におかしな話だ。この話題は後日にして、今夜はこの辺で。


 

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錬光術と自由について

2013年02月14日 | 時事書評

 






                           オレンジとジャスミンとの香り満つ小春日和をしばし楽しむ 




小春日和で、レースのカーテンから暖かい陽射しか差し込んみ、ブラッドオレンジもジャスミ
ンも白くて
小さな花を咲かせてりる。粗末な庵でそれを楽しむために、数分間、手をとめ大き
く息をする。とても、贅沢な一瞬を久しぶりに詠んでみた。





  

 

【ランダムレーザーという錬光術】 

レーザーは優れた光源だ。励起エネルギーのかなりの割合を特定波長に落とし込んで発振するので
非常に輝度が高く、発振波長を非常に狭くでき測定精度が高い。空間的・時間的な干渉性が高くこ
れを利用した超精密測定に使っている。このため
倍率の高い光学顕微鏡は、非常に狭い領域の反射
光の拡大で視野が暗く明るい照明が必要とする。
光学顕微鏡の照明としてレーザーを使うには、ス
ペックルと呼ばれる散乱波の干渉効果が問題となる。
このため光学顕微鏡の光源としてレーザーを
使うと、観察者の方向に強めあう干渉が起こる部分だけが点状に明るくなり、表面の凹凸などの対
象物の明暗とは別にスペックル(斑点)の輝点ノイズが乗ってしまう。このため明るいレーザーを
照明を使う場合はスペックル抑制のフィルターを入れるが、入射光の位相をバラバラにずらし、干
渉性を落し輝度等が劣化する。

こうした光学顕微鏡の照明として使う際のレーザーの欠点を、ランダムレーザー用いて回避し、明
るいまま照明として使う技術がある。ここで、
ランダムレーザーとは、例えば特定波長を発する色
素の溶液中に、透明なビーズなどを多数混ぜ込んだランダム構造の発振-内部で発生した光は,ビ
ーズなどにより乱反射されながら媒質中を進んで誘導放出を引き起こす。通常のレーザーと異なり
レーザーが強まっていく経路は雑多に多数存在し,ぐねぐねと複雑かつ多数の経路を通って増幅さ
れた光は端面から多数の光線として放出されるというわけだ。辿る経路により経路長が違うので、
端面から出るときの位相はバラバラな様々な光の足しあわせのため干渉性が低い-ものすごく多数
のレーザーがバラバラに配置され、全部がてんでバラバラに光を出しているようなもの-特徴をも
つ。ランダムレーザーは電球のように広い方向に光を出す。



産業技術総合研究所で、酸化亜鉛粒子を用いた発振特性に優れたランダムレーザー素子を開発され

たという。液相中に分散させた原料粒子に比較的弱いパルスレーザー光を照射し、従来の化学的手
法ではできなかった結晶性金属や酸化物のサブマイクロメートル球状粒子を得る液中レーザー溶融
法を開発、この手法で酸化チタンのサブマイクロメートル球状粒子を作製し、湿式太陽電池の光の
有効利用-光散乱体の可能性を実証してきた経験を基に、
レーザー溶融法で得られた酸化亜鉛)粒
子の薄膜に光学的な欠陥粒子を導入し、発振特性に優れたランダムレーザーの動作機能を実証する。

このことにより、ランダムレーザーが、高度な材料合成・加工技術が求められる明確なキャビティ
ー(空洞)構造(対語:コア構造)を必要とせず、安価で容易に作製できるレーザー素子としてそ
の実用化競争が行われているが。今回開発したサブマイクロメートルサイズの酸化亜鉛球状粒子を
用いた小型ランダムレーザー素子では、(1)低価格で(2)単色性が要求される(3)小型光源
として、家庭用ヘルスモニター用分光装置、照明用素材、発光素子を要する電子デバイスなどへの
幅広い技術応用が期待されるという。まさに、これは現代の錬金術ならぬ、錬光術時代の到来-グ
ローカルな“ネオコンバーテック”の微塵サイズの精密加工時代の本格化を意味している。


※ 照度は、通常レーザー<ランダムレーザ<発光ダイオードの順となる。
※ 技術分類一例

 

 

 

「自由とは失うものが何もないということ」

Freedom's Just Another word for nathing left to lose
from “Me and Bobby Mcgee”

 

 

【自由とはこういうこと】


さて、 デヴィッド・ハーヴェイの『新自由主義』の第1章「自由とはこういうこと」を読み、例に
よって、要点だけをはしおって羅列掲載してみる。

   何らかの思考様式が支配的になるためには、われわれの住んでいるこの社会の中で実現可
  能性があると思わせるだけでなく、われわれの直感や本能、価値観や欲求に強く訴えるよ
  うな概念装置が提示されなければならない。それに成功すれば、この概念装置は常識の中
  に深く埋め込まれ、自明で疑いのないものになる。新自由主義思想の創始者たちは、人間
  の尊厳や個人的自由という政治理念を根本的なもの、「文明の中核的価値」であるとした。
  これは賢明な選択だった。というのも、それらは実際に抗いがたい魅力をもった理念だか
  らである。これらの価値を脅かしているのは、ファシズムや独裁や共産主義だけではない。
  個人の選択の自由を集団的意思に置きかえるあらゆる形態の国家介入もそうだ、と彼らは
  考えた。

                    -中 略-

  ブッシュ大統領は、イラクに対する先制的予防戦争を遂行する上で他のいっさいの理由に
  根拠がないことがわかった時、イラクに自由を与えることだけで戦争は十分に正当化され
  るという考えに訴えた。イラク人は自由になった、それだけが真に重要なのだと。だが、
  ここで想定されているような類の「自由」については、ずっと以前に文化批評家のマシュ
  ー・アーノルドが思慮深い言葉を残している-「自由はとても乗り心地のいい馬だが、そ
  れに乗ってどこに向かうのかが問題だ」。ならば、イラクの民衆は、武力によって与えら
  れた自由の馬に乗ってどこに向かうことを期待されているのだろうか? この問いに対す
  るブッシュ政権の回答は、二〇〇三年九月一九日にイラクの連合国暫定当局(CPA)の
  ポール・ブレマー代表が発表した四つの命令の中にはっきりと示されている。そこには以
  下の諸措置が含まれていた-「公共企業体の全面的民営化、イラク産業を外国企業が全面
  的に所有する権利、外国企業の利潤の本国送金を全面的に保護すること、イラクの銀行を
  外国の管理下に置くこと、内国民待遇を外国企業に開放すること、ほとんどすべての貿易
  障壁の撤廃」である。これらの命令は、公共サービス、メディア、製造業、サービス業、
  交通運輸、金融、建設など経済のすべての領域に適用された。石油だけが除外された(お
  そらく戦費を支払うための格好の歳入源として特別扱いを受けたこととその地政学的重要
  性が理由だろう)。他方で労働市場は厳格に統制された。重要産業部門でのストライキは
  事実上禁止され、団結権は制限された。きわめて逆進的な「均等税」(それはアメリカの
  保守派が長年実施を望んでいた大がかりな税制改革でもある)も課された。

                    -中 略-

  ブレマーが輪郭を与えた一連の諸措置は、新自由主義の理論によれば、富を創出する上で
  必要かつ十分なものであり、したがってまた大部分の人々の生活水準を向上させる上で必
  要かつ十分なものだった。新自由主義的思考の主な特徴は、個人の自由は市場と商取引の
  自由により保証されるという前提に立っていることである。この前提は他のすべての国に
  対するアメリカの姿勢を長年特徴づけるものだった。明らかにアメリカは、国内外の資本
  に有利な蓄積条件を促進することを基本任務とする国家機構を、イラクに対して力ずくで
  押しつけようとしたのである。私はこのような国家機構を新自由主義国家と呼ぶ。それが
  体現する自由は、私的所有者、ビジネス界、多国籍企業、金融資本の利益を反映している。
  要するにブレマーは、イラク人に、新自由主義の囲いの中に突進する自由の馬に乗るよう
  促したのである。

                    -中 略-

    第二次世界大戦後における国家体制や国際関係の再編で意図されていたのは、一九三〇
  の大恐慌下で資本主義的秩序を脅かした破滅的な状況が再び起きるのを防ぐことだった
  それはまた、戦争の原因となった国家間の地政学的対立が再び出現するのを防ぐことをも
  企図してい
。国内の平和と平穏を確保するために、労使間で何がしかの階級妥協が構築

  されなければならなかった。当時の考えは、ロバート・ダールとチャールズ・リンドブロ
  ムという二人の著名な社会科学者が一九五三年に出版し強い影響を与えた著作におそらく
  最もよく示されているだろう。粗野な資本主義と粗野な共産主義はともに失敗したと彼ら
  は論じた。進むべき唯一の道は、平和、寛容、福祉、安定性を確保するために、国家、市
  場、民主主義制度の連切な混合体を構築することである。国際的には、新しい世界秩序は、
  ブレトンウッズ協定を通じて構築され、国際連合、世界銀行、IMF、スイスのバーゼルに
  ある国際決済銀行(BIS)といったさまざまな機関が、国際関係の安定に寄与するために
  樹立された。商品の自由貿易は、固定価格で米ドルと金とを兌換することによって維持さ
  れた固定相場制のもとで推進された。固定相場制は自由な資本移動とは両立しない。それ
  は本来、統制を必要とする。だがドルが国際準備通貨として機能するかぎり、アメリカは
  ドルが国境を越えて自由に移動することを容認した。このシステムは、アメリカの軍事力
  の傘のもとにあった。ソヴィエト連邦と冷戦だけがこのシステムのグローバルな展開に限
  定を課した

                    -中 略-

  新自由主義者たちは、マルクス主義的伝統の近辺で研究をするオスカーニフングが提起し
  たような、中央集権的な国家計画制にはなおさら激しく反対した。彼らは、国家の決定が、
  労働組合や環境派や業者のロビー団体といった種々の利益集団の力によって政治的に歪め
  られる運命にあると論じた。投資や資本蓄積に関する国家の判断は必ず間違う運命にある。
  国家が人手可能な情報は、市場のシグナルに含まれている情報にとうてい太刀打ちできな
  いからである。この理論的枠組みは、すでに何人かの論者が指摘しているように、論理的
  に完全に整合しているわけではない。それが信奉する新古典派経済学の「科学的」厳密さ
  は、個人的自由という理念への政治的忠実さと容易に両立しないし、またそれは、あらゆ
  る国家権力に対して不信を抱いていると称しているが、私的所有、個人の自由、企業活動
  の自由を守るためには、必要とあらば強権を発動する強力な国家を必要としていることと
  もあいいれない。法のもとでは企業を個人と定義するという法的トリックは、個人という
  概念に歪みを持ち込むものであり、ニューヨーク市のロックフェラーセンターの石碑に刻
  み込まれたジョン・D・ロックフェラーの個人的信条-彼はそこに何よりも「個人の至上
  価値」と刻んだ-を皮肉なものにしている。そしてこれから見ていくように、新自由主義
  の立場には多くの矛盾があり、これらの矛盾は、一見純粋な新自由主義の教義と関係して
  いることがわからなくなるほど新自由主義の諸実践(独占権力や「市場の失敗」などの問
  題で)を変えてしまうほどである。だからわれわれは、新自由主義の理論と新自由主義化
  の現実との間にある緊張関係に細心の注意を払わなければならないのである。

                    -中 略-

  以上見たような新自由主義化と階級編成の歴史、そしてモンペルラン協会の思想を現代の
  支配的
思想として受容する動きの急速な広がりは、カール・ポランニーがモンペルラン協
  会の創設される
少し前の一九四四年に提示した対抗的な主張と照らし合わせると興味深い
  解釈が可能になる。ポ
ランニーはこう指摘している。複合社会では、自由の意味は、行動
  への動機がやむにやまれぬもの
であればあるほど、それだけ矛盾と緊張をはらんだものに
  なる。自由には二種類あり、一つは良いものでもう一つは悪いものだと彼は言う。後者に
  ついて彼は「仲間を食い物にする自由、コミュニティにふさわしい貢献をしないで法外な
  利益を得る自由、技術的発明を公共の利益に供しない自由、私益のために密かに画策され
  た公的な惨事から利益を得る自由」を挙げる。だが、ポランニーはこうも続ける。「こう
  した自由を繁栄させた市場経済は、われわれが大いに重んじる自由をもつくりだした。良
  心の自由、言論の自由、集会の自由、結社の自由、職業選択の自由がそうだ」。われわれ
  は「自由をそれ自体として大切にしている」―確かにわれわれの多くもいまだにそうして
  いる-、他方でそれはかなりの程度「悪い自由に責任があるのと同じ経済組織の副産物」
  なのである。この二重性に対するポランニーの回答は、新自由主義思想がヘゲモニーを有
  している現在の状況のもとではかなり異質である。

                    -中 略-

  ポランニーであればこう言うだろうが、新自由主義は「所得・余暇・安全を高める必要が
  ない」人々に権利と自由を与え、残りの者たちにはほんのわずかなものしか与えないのだ。
  では、この「残りの者たち」はどうしてこんな状況にかくもやすやすと黙従してきたのだ
  ろうか?


          
                             デヴィッド・ハーヴェイ 「第1章 自由とはこういうこと」
              (
『新自由主義-その歴史的展開と現在』 渡辺 治 監訳より)

 

ここでは、彼は第二次世界大戦後の政治社会構造の特徴を平易に分析してみせる。それはこうだ。
「一九七〇年代初頭に
膨大な数の規制改革を制定し(これらの法律に署名したのは共和党の大統領
リチャード・ニクソンであり、そ
の過程で彼は「われわれはみな今やケインズ主義者である」とさ
え言った」「結局は一九九〇年代に「ワシントン・コンセンサス」として知られるようになる新し
い正統性へと収斂していった。その時までには、クリントンもブレアも先のニクソン発言をあっさ
り引っ繰り返して簡潔にこう述べることができるような状況になっていたのである-「われわれは
みな今や新自由主義者である」。新自由主義が地理的に不均等な形で発展したこと、国家や社会構
成体の違いによってたいてい部分的ないし特定の側面に偏って適用されたことは、新自由主義的解
決策が確固たるものではなかったことを示している」と。それは冒頭の「何らかの思考様式が支配
的になるためには、われわれの住んでいるこの社会の中で実現可能性があると思わせるだけでなく、
われわれの直感や本能、価値観や欲求に強く訴えるよ
うな概念装置が提示されなければならない。
それに成功すれば、この概念装置は常識の中
に深く埋め込まれ、自明で疑いのないものになる」と
いう書き出しの反質がグローカルに現在進行する「新自由主義」へ投げかけ、この著書の目的であ
るイメージングさるわけだが、いましばらく歴史的展開を地理学的に考察してみる。
 

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エコな漁船の防水グッズ

2013年02月12日 | 環境工学システム論

 

 

【水中ウォークマン】

ソニーのウォークマンが水中使用できるという。家電製品は水に弱いという考え方があり驚きだ。
水泳の際に音楽が聞ける?ソニーは、ランニング時の使用感の向上に加え、様々なスポーツシー
ンでの用途拡大を目指し、防水性能、装着性能などを向上、水泳にも楽しめると唱っている。早速、
購入・試用してみよう(ウォークマン Wシリーズ『NWD-W273』)。ただし、発売は、
2月16日に発
売。値段は1万2千円程度と高いようで安いようで、要は試用してみて判断で待ち遠しい限りだ。

因みに、水深2mで30分間沈めることができ(JIS 防水保護等級 IPX8(浸水に対する保護等級))、
水深2メートルで30分沈めた状態で故障なしを確認。30
分間以上、泳ぎ続けるとだめになるかもし
れないが、普段は連続30分以上のトレーニングをやったことがないので大丈夫だろう?
それ以外に
液体(石鹸、シャンプー、海水など)がかかった場合は速やかに真水などで洗い流し、乾いたやわ
らかい布などで拭き取り乾燥、サウナ、お風呂での使用禁止ということだ。

  特開2010-283539 携帯型無線通信装置





めざましいデジタル家電・音響機器の進歩を眼にしているわけだがこのように身近に着用して、音
楽を機器ながらスポーツ・トレーニングを楽しめることをまさかこんな形体験できようとは考えて
いなかったから世の中面白いガラクタ?!が商品化されたものだ(手入れをまめにしないと行けな
いが)。プールサイドには人だかりができ女性たちの注目の的になるぞ ^^;。
下の図は、防水コンセント型延長コードも発売さているが、こちらは漏電遮断機内包応用機器で原
理的には簡単だけれど、シール性、堅牢性、信頼性の品質技術が伴わないと実現できない。やはり
日本でなければ設計出来ないのかも。


 

実登3142756 延長コード

 

 

 

【持続可能なイカ釣り船】

 
イカにとってこんな嫌みな天敵はいない。水中に明かりを灯し、プランクトンなどの食餌を集めて
は、魚類の蝟集・滞留を向上させ、疑似餌や網を使い一網打尽にされてしまうわけだ。ここで取り
上げる新規考案の1つは、集魚灯の光に工夫をこらし濃淡をパルス信号で発成照射し効率よく集魚
させるもの。もう1つは、白熱灯から発光ダイオード(LED)灯に換えて、魚種の視感度特性に
適したスペクトルで、発生した光エネルギーのうち、魚を誘引するために有効なエネルギーの比率
を高め、水中灯を点灯させ、従来型の4kWの白熱灯に比べ170kWと、同程度の魚群コントロール性
を実現(20分の1以下の省エネ)。漁業ライト点灯に必要な燃料が大幅に削減でき、数時間の漁業
であればバッテリーのみの点灯も可能となるというもの。それでも発光ダイオードは熱ロスが70%
で、ダイオードが集中すると発熱上昇が避けられないという問題を解決できるというもの。

 特開2012-016318 集魚装装置



でも、集魚灯の省エネ効率や捕獲効率が挙がるが、トータルで考えれば、漁業資源枯渇という課題
や、二酸化炭酸ガス排出量の増大への寄与はまだまだ。そこで手前味噌だが、そこでオール・ソー
ラ・システム(ASS事業計画)の出動ということになり、漁船動力は、バイオディーゼルか水素
及びHDM(メタンハイドレート)、バイオアルコール、バイオナフサを燃油とした、レシプロ、
タービン、燃料電池仕様の登場だ。静かな漁撈作業に、あの“舟歌”を行進曲風にアレンジしたB
GMが流れる
というわけだが、その漁場も魚群探知機が不要な大規模畜養プラットフォームがその
未来予想
だ。なにぃ~~~?生け簀の保護漁網ってか?そりゃ、アドホックでテレメトリーな保護
漁網でという
わけ ^^;。
 

akina nakamori "funauta"

 

 
【デジタル・ケイジアン宣言】

  未来の歴史家は、一九七八~ハ〇年を、世界の社会経済史における革命的な転換点とみな
  すかもしれない。一九七八年、郎小平は、世界人口の五分の一を占める国の共産党支配下
  の経済を自由化する最初の重大な一歩を踏み出した。郎小平が定めた路線のもと、中国は
  二〇年後には、閉鎖的な後背地から人類史上比類なき成長率を維持する資本主義的ダイナ
  ミズムの開放的中心地へと変貌を遂げた。太平洋の反対側では、まったく異なった状況の
  もとで、ポール・ボルカーという比較的無名の(しかし今では有名な)人物が一九七九年
  七月にアメリカの連邦準備制度理事会(FRB)の議長に就任し、ほんの数ヵ月の間に金
  融政策の劇的な変革を実行した。それ以来、同理事会は、たとえどんな結果が生じようと
  も(とくに失業に関して)、インフレとの闘いを率先して行なうことになった。大西洋の
  向こう側では、それより少し前の一九七九年五月に、労働組合の力の押さえ込みとこの10
  年開国を覆っていた悲惨なスタグフレーションの克服という使命を帯びたマーガレット・
  サッチャーが、イギリスの首相に就任した。そして一九八〇年には、愛想のよさとカリス
  マ性を兼ね備えたロナルド・レーガンがアメリカ大統領に選出された。彼は連邦準備制度
  理事会におけるボルカーの提案を支持するとともに、労働者の力の押さえ込み、工業・農
  業・鉱業の規制緩和、国内および世界全体における金融の力の自由化という独特の政策セ
  ットを実行して、アメリカ経済を再生の軌道に乗せた。


  こうしたいくつかの震源地から、われわれを取り巻く世界の姿を一変させるような革命的
  な衝撃が広がり、その轟音を鳴り響かせたのである。これだけの規模と深さをもった変革
  は偶然には生じない。それゆえ、いかなる方法と道筋によってこの新しい経済編成-それ
  はしばしば「グローバリゼーション」という用語で概括されている-が古い経済編成から
  引き出されてきたのかを問うのは適切であろう。ボルカー、レーガン、サッチャー、小
  平。彼らはみな、かなり以前から流布されていた少数意見をあえて採用し、それを(延々
  と続く闘争を避けることはできなかったとはいえ)多数派へと押し上げた。レーガンは、
  一九六〇年代初頭のバリー・ゴールドウォーターに由来する共和党少数派の伝統をよみが
  えらせた。小平は、日本、台湾、香港、シンガポール、韓国の富と権力の上昇の流れを
  目のあたりにして、中国国家の利益を守り増進させるために中央計画制度に代えて市場社
  会主義を動員しようとした。ボルカーとサッチャーはともに、それまでは相対的に目立た
  ない存在であった「新自由主義」という名で呼ばれる特殊な教義を引っ張り出してきて、
  経済思想や経済運営の中核的指導原理にした。そして、ここで私がまずもって関心を寄せ
  るものこそ、この教義-その起源、原因、含意-に他ならない。

  新自由主義とは何よりも、強力な私的所有権、自由市場、自由貿易を特徴とする制度的枠
  組みの範囲内で個々人の企業活動の自由とその能力とが無制約に発揮されることによって
  人類の富と福利が最も増大する、と主張する政治経済的実践の理論である。国家の役割は、
  こうした実践にふさわしい制度的枠組みを創出し維持することである。たとえば国家は、
  通貨の品質と信頼性を守らなければならない。
また国家は、私的所有権を保護し、市場の
  適正な働きを、必要とあらば実力を用いてでも保障するために、軍事的、防衛的、警察的、
  法的な仕組みや機能をつくりあげなければならない。さらに市場が存在しない場合には(
  たとえば、土地、水、教育、医療、社会保障、環境汚染といった領域)、市場そのものを
  創出しなければならない-必要とあらば国家の行為によってでも。だが国家はこうした任
  務以上のことをしてはならない。

  市場への国家の介入は、いったん市場が創り出されれば、最低限に保たれなければならな
  い。なぜなら、この理論によれば、国家は市場の送るシグナル(価格)を事前に予測しう
  るほどの情報を得ることはできないからであり、また強力な利益集団が、とりわけ民主主
  義のもとでは、自分たちの利益のために国家介入を歪め偏向させるのは避けられないから
  である。
1970年代以降、政治および経済の実践と思想の両方において新自由主義へのはっ
  きりとした転換がいたるところで生じた。社会福祉の多くの領域からの国家の撤退、規制
  緩和、民営化といった現象があまりにも一般的なものになった。ソ連崩壊後に新たに生ま
  れた国々から、ニュージーランドやスウェーデンのような古いタイプの社会民主主義的福
  祉国家にいたるまで、ほぼすべての国家が、時に自発的に、時に強制的な圧力に応える形
  で、何らかの新自由主義理論を受け入れるか、少なくとも政策や実践の上でそれに適応し
  ている。アパルトヘイト体制崩壊後の南アフリカ共和国はまたたくまに新自由主義を受け
  入れ、今日の中国でさえも、後で見るように、この方向に向かって突き進んでいる。

  そのうえ、今や新自由主義路線の唱道者たちが、教育の場で(大学や多くの「シンクタン
  ク」)、メディアで、企業の役員室や金融機関で、国家の重要諸機関(財務省や中央銀行)
  の中で、世界の金融や貿易を規制する国際通貨基金(IMF)や世界銀行[賢覧頴」や世
  界貿易機構(WTO)といった国際機関の中で、かなりの影響力をもつ立場を占めるにい
  たっている。要するに新自由主義は言説様式として支配的なものとなったのである。それ
  は、われわれの多くが世界を解釈し生活し理解する常識に一体化してしまうほど、思考様
  式に深く浸透している。

  しかしながら、新自由主義化のプロセスは多くの「創造的破壊」を引き起こす。旧来の制
  度的枠組みや諸権力に対してだけでなく(それは国家主権の伝統的形式にさえ挑戦してい
  る)、分業や社会関係、福祉制度、技術構成、ライフスタイルや思考様式、性と生殖に関
  する諸行為、土地への帰属意識、心的習慣に対してもである。新自由主義は、市場での交
  換を「それ自体が倫理であり、人々のすべての行動を導く能力をもち、これまで抱かれて
  いたすべての倫理的信念に置きかわる」ものと評価し、市場における契約関係の重要性を
  強調する。それは、市場取引の範囲と頻度を最大化することで社会財は最大化されるとい
  う考え方であり、人々のすべての行動を市場の領域に導こうとする。

  これは情報創造のための技術を必要とするし、グローバル市場の中で決定の指針になる膨
  大なデータベースを蓄積、保存、移動、分析、処理するための能力を必要とする。それゆ
  え新自由主義は情報技術に強い関心を寄せ、その動向を熱心に追おうとする(ここから新
  種の「情報社会」の到来を宣言する者も出てくる)。
こうした技術は、ますます頻繁で濃
  厚になる市場取引を時間と空間の両方において圧縮した。これらは、私が別の機会に「時
  間と空間の圧縮」と命名したものをとりわけ加速させた。地理的範囲が広がれば広がるほ
  どよいし(だから「グローバリゼーション」が注目される)、市場の契約期間は短くなれ
  ばなるほどよい。この後者の追求は、フランスの哲学者リオタールがポストモダンの条件
  の一つとして提示した有名な叙述とパラレルな関係にある。すなわち、「一時的な契約関
  係」が「政治諸関係はもとより、仕事、感情、性、文化、家族、国際領域における恒久的
  な諸制度」に取って代わることがそれである。

 
             デヴィット・ ハーヴェイ著 『新自由主義』(「序文」より)



そして、ハーヴェイは序文をこうむすぶ。「今日、グローバルな転換やその影響について概説した
多くの文献を入手することができる。その一方で総じて欠落しているのは-そしてこの隙間を埋め
るのが本書の目的である-新自由主義化がどこから生じたのか、それがどのようにしてかくも徹底
的に世界中に広がり増殖したのか、このことに関する政治経済史である。この歴史に対して批判的
に取り組むことが、ひいては政治的・経済的なオルタナティブを明らかにしそれを構築する上での
枠組みを提示することにもなるだろう」と。そして、奇しくも、ここから新種の「情報社会」の到
来を宣言する者も出てくる
という指摘の箇所を、ここで「新自由主義」ではなく、変わりに、わた
し(たち)中間経済(混合経済・福祉経済・幸福の方程式解析)
主義者が「デジタル革命」として宣
言し、「デジタル・ケイジアン」を宣言する過程にあるのだと、修正加筆しているのだがこの先う
まく問題提起できるか不安もあるもののめくら蛇に怖じずを知りつつ、胃を痛めてものなお、吉本
隆明のいうところの『すべてを引き受ける思想』を実践するという不可抗な「初代運」の宿命を背
負いなすと ^^;。


 

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デジタル・ケイジアン宣言

2013年02月10日 | 時事書評

 

 


【視力低下 まさか気象病?】

視力低下は気象変化でも起こりうるのか(『乱視下の非攻』)。そんなことがやはり自身にも起こり
えるんじゃないかと思い直し調べる。ネットでは気象の変化によって発病したり、病状が悪化したり
する病気、すなわち病状の変化が天候と密接に結びついているような病気をさして「気象病」と定義
されている。人の体は、気象の変化に対して調整機能を自然に発揮しているが、その調整能力が不充
分な場合には、いろいろな心身変化が起こり、これが病気にまで進行してしまうことがあるという。
気温の上昇や気圧の変化、湿度の急変などがあり、これが気象病を引き起こす要因となると考えられ
ている。しかし、視力低下事例はないようだ。糖尿病でも視力低下が起こりうるということだし、そ
れ以上に目の酷使が原因しているということで、新しい情報がない限るこの悩みは上がりにした。

 

  



 

【デジタル・ケイジアン宣言】

いまさら新自由主義のお復習いというわけではないが“アベノミクス”という表現で保守政権下でイ
ンフレターゲットが導入されたため、さらに一歩踏み込んで脱新自由主義政策の構築(=デジタル・
ケインズ主義的経済政策)を開始するために発注しておいたデヴィッド・ハーヴェイデビットの『新
自由主義』が届く。諄いけれど、新自由主義は、経済の主導権を公的セクターから民間セクターに委
譲することを模索しそれによって更に効率的な政府運営を成し遂げ、かつ国家経済が健全となると提
唱していてその政策提言は、ジョン・ウィリアムソンによるワシントン・コンセンサスとされ、これ
はワシントンに本部を持つ経済組織(IMFや世界銀行など)らのコンセンサスとされる下記の政策提
言からなる。

・金融政策 - 政府は巨額の国債債務を将来の国民に払わせるべきではない。そういった債券発行は
 経済において短期間の雇用レベルを改善するだけに過ぎない。定常的な債券発行はインフレを上昇
 させ生産性を押し下げるため、禁じなければならない。債券発行は一時的な安定化手法として飲み
 用いるべきである。
・政府歳出の補助金(とくに新自由主義者が『無差別補助金』と呼ぶもの)の削減。その他の歳出で
 も、新自由主義者が広範的視点に基づいて浪費だとする、反成長・反貧困なサービスの削減(初等
 教育・プライマリヘルスケア・インフラ投資など)
・税制改革 - 課税ベースの拡大、およびイノベーションと効率性を達成する限界税率の採用リアルタ
 イムなマーケットによって決定される実質的(かつ適正な)金利
・為替の変動相場制
・貿易自由化
・国際収支における資本勘定の自由化。人々が自由に海外に投資し、かつ自国に外国資本が自由に投
 資できるように。
・国営企業の民営化
・規制緩和
・財産権に対しての法的保障

しかし、「社会などというものは無い(There is no such thing as society)」と説き、「市場の代替物は
無い(There is no alternative to market)」としたサッチャーの市場原理主義下、自助の精神が取り戻さ
れたと評価されたものの、日本におけるバブル後不況の克服も新自由主義的改革の成果と評価される。

これは、小泉政権期下の小渕政権期に高止まりしていた実質実効為替レートを押し下げ、輸出の好調
により、失業率・有効求人倍率や中小企業倒産件数は大幅に改善したものの、失業率・有効求人倍率
が改善したとはいえ、1998年(2月)から2007年(1-3月)までの10年間で、非正規雇用が1173万人か
ら1726万人へと増加する一方、正規雇用は同時期に3794万人から3393万人と大幅に減少。デフレ傾向
が続いたため企業が労働者に支払った給与の総額は、1998年から2007年の10年間に222兆8375億円から
201兆2722億円と、約22兆円も減少しており、労働者の平均給与は465万円から437万円に低下するなど、
減少していたのだが、こんなことはもうどうでもいいか。要するに、新自由主義は冷戦に勝利をもた
らした思想として世界中に広まり、1992年頃に思想的に全盛期を迎えたが、労働者に対する「自己責
任」という責任転嫁は、格差社会を拡大したとの批判もあり、また、チリにおけるシカゴ学派の功績
は事実と大きく異なると主張しているジョセフ・E・スティグリッツは新自由主義的な政策で国民経済
が回復した国は存在しないと批判し、元京都大学准教授の中野剛志が新自由主義はインフレ対策であ
り、
バブル崩壊後の新自由主義的な構造改革はデフレの克服に貢献しなかったどころか、デフレの原
因です
らあったと批判し、水岡不二雄は、絶え間ない競争状態におかれ、市場原理主義思想を受け入
れなければ「負け組」になるかも知れないという強迫観念と高度な金融技術で組織された金融業が資
本保障する一方で、資本主義体制を批判を封じ込められてきたが、偽装やインサイダー取引などが数
限りなく起こり、そのたびに監視のための組織やインフラが必要とされて、政府は肥大化し、金融が
不安定化し、公的資金を大々的に注入することを強いられ、高額の財政負担が発生し新自由主義の下
で、かえって「大きな政府」が台頭し、国家財政の危機・国債の信認低下が深刻する「新自由主義の
パラドクス」を生み出したと批判されている。 

以上のことをハーヴェイの中国の現状分析ではどうなるのか?

 
 間違いなく言えるのは、中国が、後の一九九〇年代に国際通貨基金(IMF)と世界銀行、「ワ
 シントン・コ
ンセンサス」によって、ロシアと中欧に押しつけられたような性急な民営化という
 「ショック療法」の道をとら
なかったおかげで、これらの諸国を襲った経済的崩壊をかろうじて
 避けることができたということである。中国は、「中国的特色のある社会主義」―今日ではむし
 ろ「中国的特色のある民営化」だと呼ぶ人もいるだろうが-に向けた独白の道を歩むことによっ
 て、国家によって操作された市場経済を構築し、二〇年以上にわたってめざましい経済成長(毎
 年平均一〇%近い成長率)を達成するとともに、人口のかなりの部分の生活水準を向上させた。
 しかし改革はまた、環境の悪化と社会的不平等をもたらし、ついには、居心地の悪いことに資本
 家階級の権力の再構築にも似た事態をも招くにいたったのである。

                       デヴィット・ ハーヴェイ著 『新自由主義』


 最新の推計によると、中国では「一万五千以上のハイウェイ事業が進行中であり、国の道路を一
 六万二千キロメートル延長する予定である。これは地球の赤道四周分に等しい」。この事業の総
 規模は、アメリカが一九五〇~六〇年代に企てた州際高速道路網の建設よりもはるかに大きなも
 のであり、今後何年にもわたって過剰資本と過剰労働力とを吸収する可能性をもっている。しか
 しながら、それは借金財政にもとづいている(古典的なケインズ主義スタイルである)。また、
 それは大きなリスクをもはらんでいる。もし投資に費やされた価値が順調に還流してこないなら
 ば、たちまち国家の財政危機が起こるだろう。



                      デヴィット・ ハーヴェイ著  『新自由主義』

 現在の中国政府がそのような道徳的主張にもとづいて行動し、それによって自己の正統性を維持
 することができるのか、あるいはそうする気があるのか、これはまったくもって不確かである。
 暴力的な工場ストライキを指導したとして裁判にかけられた一人の労働者の弁護に立ったある著
 名な弁護士は、次のように述べた。革命以前は「共産党は労働者の味方であり、資本家の搾取と
 闘っていた。ところが今日では共産党は、冷血な資本家といっしょに肩を並べて労働者と闘って
 いる」。たしかに、一方では共産党の諸政策のいくつかの側面は資本家階級の形成を阻止するこ
 とを意図したものであったが、他方では共産党は中国労働者の大規模なプロレタリア化を受け入
 れてもきたのである。つまり、「鉄飯碗」を割り、社会的保護を骨抜きにし、受益者負担を押し
 つけ、フレキシブルな労働市場体制をつくり出し、かつて共同で保有されていた資産の私有化を
 推進してきたのである。共産党は、資本主義企業が形成され自由に活動できる社会体制を生み出
 した。そうすることによって急速な成長を達成し、多くの貧困を多少なりとも解消してきた。し
 かし同時に、共産党は、社会の上層に巨大な富が集中するのを受け入れた。さらに、企業家内部
 で党員の割合が増加している(一九九三年の一三・一%から二〇〇〇年には一九・八%に上昇)。
 しかし、これが党への資本主義的企業家の流入を反映しているのか、それとも、多くの党員が、
 その特権を利用して怪しげな手段によって資本家になったということなのか、断言するのは難し
 い。いずれにしてもこれは、アメリカでごく一般的に見られる政党とビジネス・エリートとの統
 合が進展していることの表われである。他方で、労働者と党組織との結びつきは緊張をはらむよ
 うになってきている。こうした党内部の構造転換が、メキシコの制度的革命党(PRI)を完全
 な新自由主義へと向かわせたのと同じ種類のテクノクラートの台頭を強化することになるのかど
 うかは、まだ未知数である。しかし、「大衆」自らが〔共産党を通じてではなく〕独自の形態で
 自分自身の階級権力の回復を目指すということを、考慮から外してしまうわけにもいかない。


                       デヴィット・ ハーヴェイ著 『新自由主義』




以上、要点だけはしおってまとめてみた。そして、「共産党は今では一致して彼ら大衆に対立し、そ
の独占された暴力を用いて反対行動を鎮圧し、農民を土地から追い出し、民主化要求だけでなく分配
の公正というささやかな要求の高まりをも抑圧する姿勢をはっきりと固めているからである。こう結
論することができるだろう。中国は明らかに新自由主義化と階級権力の再構築の方向に向かって進ん
できた。たしかに、そこには「はっきりとした中国的特色」が見られる。しかしながら、中国で権威
主義体制が強化され、ナショナリズムヘの訴えが頻繁になされ、帝国主義的傾向が一定復活してきて
いることから、中国が、まったく違った方向からではあるが、今日アメリカで強力に席巻している新
保守主義的潮流との合流に向かいつつあるのではないか、と。これは未来にとってあまり良い兆しで
はない」と評価を下しているが、これはほぼ、わたし(たち)が考えていることと一致してることを
書いておき、いずれ彼とわたし(たち)の考え方の違いを明らかにしてみたいが、今夜はこの辺で。
 

 

 

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ビバ・イタリア!ローマの休日

2013年02月09日 | 世界歴史回廊

 

 

 

 

【アン王女は、キアンティがお好き】

わたしがショート・カットヘーアの女性が好きなのは映画『ローマの休日』のオードリーへップ
バーン扮する
髪をバッサリ切ったアン王女のせいかもしれない。いまふうでいうと剛力彩芽とい
う感じだね。1953年の作品だったのだ。もう戻ってこないという哀愁を帯び、このほかの『自転
車泥棒』『道』『ニュー・シネマ・パラダイス』など盛り沢山、記憶に残る映画が多い。タブレ
ット時代の若者にはどのように映るのだろうか・・・

 

 シャワールームから出てきたアン王女ぱ彼のガウンを羽織っている。ブラッドレーは藁づと
 に包まれた
キアンティを彼女に差し出しながら、

  「服は?」
  「すぐに乾きます」
  「君は僕の服が似合うようだね」
  「そのようです」
  「飲むといいよ」

 ブラッドレーの簡素なアパートにはキッチンなどなく、ましてや洒落たワイングラスもない。
 どこにでもあ
るような普通のタンブラーにワインの組み合わせである。


               
                  青木冨美子 著 『おいしい映画でワイン・レッスン』

 

キアンティは、花の都フィレンツェを中心とするトスカーナ州で生産されているワイン。通常の
赤ワイン製
法で造るキアンティのほか、ゴベルノ法という独自の製法で造られるタイプもある。
一般的なキアンティはさ
わやかさが売りの若飲みタイプなので、世間の″ワインのしきたり″な
どに縛られずに気楽な気分で飲み
たい。キアンティには、キアンティ地区でも限定されたエリア
から造られるワンランク上の「キアンティ・クラッシコ」がある。さらに熟成させたタイプは「
キアンティ・クラッシコ・リゼルヴア」と呼ばれる。これら上級クラスはキアンティよりちょっ
ぴり気取ったムードいやモード(どんなモードで?)で飲む。映画『硝子の塔』には、ルフィー
ノ社の「キアンティ・クラッシコ・リゼルヴア・ドウカーレ」が登場する。「カリフオルニアワ
インが好き」と言っていた男が、ターゲットとして狙った女性を誘ってレストランで飲むワイン
なのだが、リゼルヴア・ドウカーレはプ公爵のためのとっておきという意味をもつ、熟成タイプ
の赤ワイン。

  

   

ワインの歴史は紀元前二百年頃、ギリシャ人たちが南イタリアにブドウをもたらしたことが始ま
りと伝えられている。1968年、トスカーナの名門貴族アンティノリ家から「サッシカイア」と呼
ばれる赤ワインが出荷された。ボルドー系高貴品種の「カベルネ・ソーヴィニョン」と「カベル
ネ・フラン」から造られた赤ワイン。ワインの生産量で、たえずフランスと首位の座を争ってい
るイタリアが、自国のブドウ品種ではなく、フランス原産のブドウを使って造った画期的ワイン。
それも従来からの大樽による熟成は行わず、バリックと呼ばれる小樽で熟成させたもの。

 

    

※ ルフィーノ・キアンティ(Ruffino Chiantiイタリアワインの代名詞として有名なディリー
  ワィン。特有の渋みと果実の風味をもつルビー色のワイン。ピザやナチュラルなトマトソー
  スのパスタ、油っこい料理に最適。キアンティの瓶型は映画の中でも変化している。1950年
    代に作られた『ローマの休日』や『旅愁』、イタリアの古き良き時代を描いた『ニュー・シ
    ネマ・パラダイス』、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『家族の肖像』などはこの藁づと派。
  一方、1990年代になってからの映画『迷子の大人たち』や『快楽晩餐会』などはボルドー型
    だとこの本で紹介されている。

 

【伊太利亜版食いしん坊万歳 ジャガイモのガット】 

   Gateau di patate

材 料: ジャガイモ900g、卵3個、バター120g、ペコリーノおろしチーズ120g、生ハムあるいは
     ソーセージ80g、
パセリ、塩、コショウ、牛乳、パン粉、モッツァレッラチーズあるい
     はプロボーラチ
ーズ200g、パルメザンかパダノのおろしチーズ)

作り方:ジャガイモは洗って皮をむき、ジャガイモおろし器ですりおろし、バター80g、卵、細か
    く刻んだチーズ、ハムまたはソーセージ、パセリひとつかみ、塩、コショウとともにか
    き混ぜる。そして、牛乳を適当に加えて、柔らかくて粘りのあるペースト状にする。オー
    ブン皿にバターを塗り、そこにパン粉をふりかけ、ペースト
の半分をその上に置く。さ
    らにモッツァレッラチーズあるいはプロ
ボーラチーズの薄切りをのせ、バター少々をおい
    て、もう一度、パ
ン粉,残りのペースト,チーズをのせ,最後にバターとパン粉をふりか
    けて、オーブンに入れて、たっぷり30分ほどかけて焼く。


                                       

いろいろあるが、今日は、イタリアとワインと映画のコラボを企画してみた。
こんなこともあってもいいのじゃないかと。

                                       


                          

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