極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

バベルへの巡礼の明日(あさ)

2013年04月25日 | 時事書評

 

 

 





 「僕の父親は秋田の公立大学で、哲学科の教師をしています」と沢田は言った。「僕と同じよ
 うに、抽象的な命題を頭の中で展開させるのが好きな人です。いつもクラシック音楽を聴き、
 誰も読まないような本を熱心に読み耽っています。金を稼ぐことに関してはまるで能力のない
 人で、入ってくるお金の多くは本代やレコード代に消えてしまいます。家庭のこととか、貯金
 のこととか、ほとんど考えてもいません。頭はいつも現実とはどこか別のところにあります。
 授業料の高くない大学に入ることができて、生活費のかからない学生寮暮らしをしていますか
 ら、僕もなんとかこうして東京に出てこられましたが」
 「物理学科の方が哲学科よりは、経済的にいくぶん恵まれるんだろうか?」とつくるは尋ねた。
 「もうからないことにかけてはどっこいどっこいでしょう。もちろんノーベル賞でもとれば話
 は別ですが」と沃田は言って、いつもの魅力的な笑顔を浮かべた。
 

  阪田には兄弟がいなかった。小さい頃から友だちは少なく、大とクラシック音楽が好きだっ

 た。彼の住んでいる学生寮はまともに音楽を聴けるような環境ではなかったので(もちろん犬
 も飼えない)、いつも何枚かのCDを持ってつくるのところにやってきて、それを聴いた。そ
 の多くは大学の図書館で借りだしてきたものだった。自分の所有する古いLPを抱えてくるこ
 ともあった。つくるの部屋にはまずまずのステレオの装置があったが、それと一緒に姉が残し
 
ていったレコードといえば、バリー・マニロウとペットショップ・ボーイズくらいだったから、
 つくるはそのレコード・フレーヤーを自分ではほとんど使ったことがなかった。

  灰田が好んで聴くのは主に器楽曲と室内楽と声楽曲たった。オーケストラが派手に鳴り響く
 ような音楽は、彼の好むところではなかった。つくるはクラシック音楽に(あるいは他のどん
 な音楽にも)とりたてて興味を持たなかったが、阪田と一緒にそんな音楽を聴いているのは好
 きだった。
 
  あるピアノのレコードを聴いているとき、それが以前に何度か耳にした曲であることに、つ

 くるは気づいた。題名は知らない。作曲者も知らない。でも静かな哀切に満ちた音楽だ。冒頭
 に単音で弾かれるゆっくりとした印象的なテーマ。その穏やかな変奏。つくるは読んでいた本
 のページから目を上げ、これは何という曲なのかと阪田に尋ねた。


 「フランツ・リストの『ル・マル・デュ・ペイ』です。『巡礼の年一という曲集の第一年、ス
 イスの巻に入っています」
 「『ル・マル・デュ……』 ?」
 「Le Mal du Paye フランス語です。一般的にはホームシックとかメランコリーといった意味で
 使われますが、もっと詳しく言えば、『田園風景が人の心に呼び起こす、理由のない哀しみ』。
 正確に翻訳するのはむずかしい言葉です」
 「僕の知っている女の子がよくその曲を弾いていたな。高校生のときクラスメートだった」
 「僕もこの曲は昔から好きです。あまり一般的に知られている曲じゃありませんが一と阪田は
 言った。「そのお友だちはピアノがうまかったんですか?」
 「僕は音楽に詳しくないから、上手下手は判断できない。でも耳にするたび美しい曲だと思っ
 た。なんて言えばいいんだろう? 穏やかな哀しみに満ちていて、それでいてセンチメンタル
 じゃない」
 「そう感じるからには、きっと上手な演奏だったんでしょうね」と灰田は言った。「技巧的に
 はシンプルに見えるけど、なかなか表現のむずかしい曲です。楽譜通りにあっさり弾いてしま
 うと、面白くも何ともない音楽になります。逆に思い入れが過ぎると安っぽくなります。ペダ
 ルの使い方ひとつで、音楽の性格ががらりと変わってしまいます」
 「これはなんていうピアニスト?」
 「ラザール・ベルマン。ロシアのピアニストで、繊細な心象風景を描くみたいにリストを弾き
 ます。リストのピアノ曲は一般的に技巧的な、表層的なものだと考えられています。もちろん
 中にはそういうトリッキーな作品もあるけど、全体を注意深く聴けば、その内側には独特の深 
 みがこめられていることがわかります。しかしそれらは多くの場合、装飾の奥に巧妙に隠され
 ている。とくにこの『巡礼の年』という曲集はそうです。現存のピアニストでリストを正しく
 美しく弾ける人はそれほど多くいません。僕の個人的な意見では、比較的新しいところではこ
 のベルマン、古いところではクラウディオ・アラウくらいかな」


  灰田は音楽の話になるといつも饒舌になった。彼はベルマンのリスト演奏の特質について語
 り続けたが、つくるはほとんど聞いていなかった。その曲を演奏しているシロの姿が彼の脳裏
 に、びっくりするほど鮮やかに、立体的に浮かび上がってきた。まるでそこにあったいくつか
 の美しい瞬間が、時間の正当な圧力に逆らって、水路をひたひたと着実に遡ってくるみたいに。
  彼女の家の居間に置かれたヤマハのグランド・ピアノ。シロの几帳面な性格を反映して、常
 に正しく調音されている。艶やかな表面には曇りひとつなく、指紋ひとつついていない。窓か
 ら差し込む午後の光。庭の糸杉が落とす影。風に揺れるレースのカーテン。テーブルの上のテ
 イーカップ。後ろに端正に束ねられた彼女の黒い髪と、譜面を見つめる真剣な眼差し。鍵盤の
 上に置かれた十本の長く美しい指。ペダルを踏む一本の足は、普段のシロからは想像もできな
 いような力強さを秘め、的確だった。そしてふくらはぎは袖薬が塗られた陶器のように白くつ
 るりとしていた。何か演奏してくれと頼まれると、彼女はよくその曲を弾いた。『ル・マル・
 デュ・ペイ』。田園が人の心に呼び起こす理由のない哀しみ。ホームシック、あるいはメラン
 コリー。

  軽く目を閉じて音楽に耳を澄ましているうちに、胸の奥にやるせない息苦しさを覚えた。小

 さな堅い雲の塊を知らないうちに吸い込んでしまったようだった。レコードのその曲が終わり、
 次の曲が始まっても、つくるはそのまま口を閉ざし、浮かび上がる風景にただ心を浸していた。
 沢田はそんなつくるの顔にときどき目をやった。
 「もしよければ、このレコードをここに置かせてください。どうせ寮の僕の部屋では聴けない
 ものですから」と阪田はレコードをジャケットにしまいながら言った。

  その箱入り三枚組のレコードは、今でもまだつくるの部屋に置かれている。バリー・マニロ
 
ウとペットショップ・ボーイズの隣に。


                                     PP.61-65

              
  村上春樹 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』



 

ギュスターヴ・ドレの『言語の混乱』の挿絵で思い出したが、世界各国のメガソーラマッピング作
業の中、英
語以外の言語でネット検索していて、当初、煩雑だなぁ~と、イライラすることも屡々。
少しペースダウンさせ
たことで気づいたことがあった。それは、慣れてくると、ほんの上面だけだ
が、設備導入運営のその向こう側にあるその国々の特徴のある息吹を感じることが、あるいは看る
ことが出来るようで面白く感じられ、そのかわりイライラ感が完全解消とはいかないものの多少な
りとも緩和される。

 全地は一の言語一の音のみなりき、茲に人衆東に移りてシナルの地に平野を得て其處に居住り。 
 彼等互に言けるは去來甎石を作り之を善く爇んと遂に石の代に甎石を獲灰沙の代に石漆を獲た
 り、ま
た曰けるは去來邑と塔とを建て其塔の頂を天にいたらしめん斯して我等名を揚て全地の
 表面に散ることを免れんと、ヱホバ降臨りて彼人衆の建る邑と塔とを觀たまへり、ヱホバ言た

 まひけるは視よ民は一にして皆一の言語を用ふ今旣に此を爲し始めたり然ば凡て其爲んと圖維
 る事は禁止め得られざるべし。去來我等降り彼處にて彼等の言語を淆し互に言語を通ずること
 を得ざらしめんと、ヱホバ遂に彼等を彼處より全地の表面に散したまひければ彼等邑を建るこ
 とを罷たり。是故に其名はバベル(淆亂)と呼ばる是はヱホバ彼處に全地の言語を淆したまひし
 に由てなり彼處よりヱホバ彼等を全地の表に散したまへり。


                             旧約聖書『創世記 第11章』



このように現代のデジタル技術を使えば、寧ろ翻訳を通し、実存的に罹患できるような錯覚という
か、よりリアルに感じとることができるようで不思議な体験をすることとなる。統一言語でない故
に瞬時に固有言語を通し比較し、デッサンでなどっている感じだが、これは苦労で煩雑な作業とは
ゆえ、再びその地方を検索する機会には、プラスに転じ深みと味わいを伴って学習できことを確信
させるものだ。


「オース!バタヤン」が逝く。母親も叔母も存命で、バタヤンの歌声は若き時代の姉妹の空間にし
っかりと織り込まれていた記憶が蘇る。


                                        合掌




 

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