極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

アスターにもっと光を

2009年04月29日 | 農工サ融合


同じなら果てまで二人 蝦夷菊は 西から東 南から北へ


有機養液栽培の実践例 

養液栽培も 2006 年1月に、野菜茶業研究所が有機養液の生産
に成功したこと
を受け、無機養液から有機養液にドライブが
掛かって来ている。有機養液栽培は有機肥料を肥料として用
いる養液栽培
水の中に有機物が存在すると腐敗して作物の根
にダメージを与えてしまうため、有機肥料を養液栽培に利用
するこれまでの試みは、有機物を無機化してから無機肥料と
して利用していたが、この方法では残存する有機成分が根に
障害を与えること、成分バランスが崩れ化学肥料で成分調整
する必要があることなど、問題が多く実用にいたらなかった。



養液の中に有機物を無機化する微生物を棲息させ、養液の中
に有機肥料を直接添加する。この技術は有機肥料を養液内に
直接添加するため、有機肥料に含まれる成分が無駄なく作物
に利用される。通常、水の中に有機物を添加すると、容易に
アンモニアまで分解する。しかし、多くの作物が好硝酸性植
物のためアンモニアが大量に存在する養液で栽培すると、カ
リウム吸収阻害などのアンモニア過剰障害が生じ、生育が悪
化し、作物の健全な栽培のためにはアンモニアから硝酸を生
硝酸化成を促進する必要がある。

ファイル:Biofilm.jpg

しかし、硝酸化成を行う硝化細菌は有機成分存在下で死滅し
やすく有機物の分解と硝酸化成を両立することが難し。有機
物の水への添加を少量ずつ行う馴化培養し、硝化細菌の有機
成分による死滅を回避、有機態窒素を硝酸まで分解する。有
機成分からアンモニアまでの分解、アンモニアから硝酸を生
ずる硝化作用の二つの反応を同時に達成する方法は、並行複
式無機化法
という。並行複式無機化法により生じた硝酸は植
物に速やかに吸収され、分解産物が滞留せず、有機成分が分
解され植物に吸収され動的平衡状態が成立する。これに対し
バイオフィルム(菌膜)とは、基質に付着した細菌が細胞外
多糖またはEPS(Extra cellar PolysaccarideS)と呼ばれる分泌物
を分泌する。EPSはバリアーや運搬経路の役割を果たし、環
境変化や化学物質から内部の細菌を守る。そういった作用に
より、生息密度の高い閉鎖的なコロニーが形成され、恒常性
が保たれる。



つまり、根部病害抑止効果が見られる。有機養液栽培では根
に明瞭な特徴が現れ、有機養液栽培で育てると、根を微生物
が覆い、
バイオフィルムを形成することによる。湛液式の水
耕では根に根毛がないのが通常であるが、有機養液栽培では
根毛がよく発達する。化学肥料の養液栽培では見られないこ
れらの特徴が、根部病害の抑制効果に関係しているものと考
えられている。

Hydroponic Greenhouse Tomatoes growing in Dutch Bato Buckets

【注釈】ハイドロポニックス

養液栽培は植物
の生長に必要な養水分を、液肥として与える
栽培方法である培地に土を用いたものは、養液栽培には含め
養液土耕という。



○薄膜水耕(NFT; Nutrient Film Technique)は1%程度の緩やか
 な傾斜を持つ平面上に、培養液を薄く、少量ずつ流下させ
 る水耕栽培
の一種。また、米国では Nutrient Flow Technique
 
の略称とされている。
○チャンネル内の液深が浅いために、チャンネルが軽くなり、
 高設化できる。
○チャンネル内の液深が浅いために、根がルートマットを形
 成し、ルートマット上面が空気に直接触れるため、根への
 酸素供給が十分に行われる。
○容易に高設化できるため、小さい作物(いちご、葉菜類

 ど)での作業姿勢が改善され、労働効率が向上する。
高設栽培を行うことにより、作物と地面の距離をあけるこ
 とができ、地面からの病虫害
の進入を減らすことができる



湛液型水耕(DFT ; Deep Flow Technique)は、栽培ベッドに肥
料が溶けた養液を溜め、土を使わずに養液のみで栽培する水
耕栽培
の一手法。NFTに比べ養液の量が多いため肥料濃度や
液温の変化がゆるやかとなり、管理しやすいが、
酸素吸
収が養液の溶存酸素量に依存し、根圏酸素要求量が多い作物
では生育が劣ることがある。



硝化菌は基本的に通性好気化学合成
独立栄養であり、アンモ
ニア態窒素と炭酸を基質とする。これを利用し、廃水中のア
ンモニア態窒素を硝酸態窒素に酸化し、続く無酸素環境での
硝酸塩呼吸による脱窒工程へと引き継ぐ。反応方程式として
下記があげられている。

NH4+ + 0.103CO2 + 1.86O2 → 0.0182C2H5NO2(亜硝酸細菌)
+ 0.00245C2H7NO2(硝酸細菌) + 0.979NO3- + 1.98H+
0.938H2O

この式の要旨は、酸素とアルカリ度を大量に消費しするが、
硝化菌の比増殖速度が非常に小さい。水温の影響を強く受け
るが基質濃度はほとんど影響しない。比増殖速度は温度の関
数で示されている。








 “Mehr Licht !

今日のブログも試験養液栽培に集中したが、朝からソーラパ
ネル電源LED光源を夜間テストに入っている。構想中の方式
は固形培養地耕に絞ることにする。次は光合成の光源の選択
だが、太陽光とLED光の併用とし試験培養ハウスの側面(家
屋外壁隣接側に拡散板を使用し、養液及び用水供給方式は点
滴方式に絞る ^^;。作業をしながら「光を制する者は世界を
制す」と呟いた。詳しいことはまた別の機会に譲るとして、
農業の生物・生理学・園芸工学は実は光学と密接に関わり、
この後の進展もまたは、ゲーテならず『もっと、光を』とい
いつつここは一息。




彼女の誕生日ということでランチは、近くのキャナリーロウ
で。ジェノバ風ピザはアンチョビがよく効いていてペロリと
腹の中に飛び込んだ。食後は彼女の運転で琵琶湖岸で休憩。
丁度、ボランティアの方々が清掃されていて、もう少しゆと
りができれば二人で清掃しようかと話し合った。早いものだ
もう還暦。彼女は福岡で生まれ、わたしは奈良でうまれ、大
阪で出逢い、ここに移り住みはや30年。今日は『昭和の日』
でもある。二人の出逢ったあの頃は、カーペンターズの曲が
溢れていた。奇跡の☆で奇跡の出逢い。大切にしたいと『は
るかなる影』は歌っているかのように聞こえる。

Close To You 訳詞付 - Carpenters Close To You





キク科エゾギク属の一年草で、学名は Callistephus chinensis
中国東北部からシベリアが原産。わが国へは江戸時代の中頃
に渡来。冷涼な気候を好み、極端に連作を嫌う。高さは30
~80センチ、7月から8月ごろ、赤色やピンク色、紫色、
白色などの花を咲かせる。八重咲きや一重咲きの品種がある。
別名「えぞぎく(蝦夷菊)」とも呼ばれる。改良の進む「ア
スター」。花言葉は「恋の勝利」。



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万能ワクチンに金華連

2009年04月28日 | 新弥生時代


時として綺麗な花が怖くあり 無駄を咎めるは金蓮花かな


 swine influenza

‘豚イルザ‘の警戒レベルがフーズ4に引き上げられた。これで五月
の渡航計画が頓挫する可能性が出てきた。旅行を楽しみにしてい
るが判断は一週間後に持ち越された。ところで、今年1月にインエン
ザ用万能ワクチンの実用化に向け進展とのニュースが報じれた。従
来のワクチンが主に液性免疫(抗体産生)を誘導するのに対し、ワ
クチン抗原をリポソームの表面に結合することにより細胞性免疫
CTL)を誘導するワクチン即ち、粘膜ワクチンの創成が可能となった。

※人工脂質二重層の球状のものがリポソ-ム


図1. M細胞標的型粘膜ワクチンの概略


そう、『人獣共通感染症の克服』との情報が2015年には日本から
発信されると信じよう。おりしも、与謝野馨財務・金融・経済財政担
当相は28日朝の閣議後会見で、豚インフルエンザの対応について
「こういう時は人もお金も惜しみなくつぎ込んで、被害を発生させない
ことを心がけなければならない」と発言したことが新聞された【平地
修】(毎日新聞)。


国立感染症研究所ホームページ



本社:恵比寿ガーデンプレイスタワー  日油


【注釈】

(1)B細胞(⇒液性免疫)は、リンパ球の一種。
(2)T細胞(⇒細胞性免疫)は、リンパ球の一種で、骨髄で産生され
 た
前駆細胞胸腺での選択を経て分化成熟したもので、細胞の
  表面にT細胞に特徴的なT細胞受容体(T cell receptor;TCR)を発現
  している。

 左から赤血球、血小板、白血球

(3)リンパ球は、白血球のうち25%ほどを占める、比較的小さく(6~
 15μm)、細胞質の少ない白血球。その大きさから小リンパ球(6~
 9μm)と大リンパ球(9~15μm)とに分類されることがあるが、この
 分類が絶対的で
ない。抗体を使ってあらゆる異物に対して攻撃す
 るほか、
ウイルスなどの小さな異物に対しては、顆粒球ではなくリ
 ンパ球が中心となって対応する。
NK細胞、B細胞(Bリンパ球)、T
 細胞(Tリンパ球)などの種類がある。
体液免疫、抗体産生に携
 わるのはB細胞で、細胞性免疫に携わるのはT細胞である。
(4)サイトカインは、細胞から分泌されるタンパク質で、特定の細胞
 に情報伝達をするものをいう。




今日もブログは水耕栽培の準備。試験品種は(1)稲、(2)いちご、
(3)ともうろこし、(4)トマト、(5)胡瓜、(5)大根、(6)なすびの六種
類とする。培養液循環機構の調査と設計に終始する。本日の発注
品は循環ポンプのみ(その他は近場の量販店で購入)。名付けて『
昴(六連星)革命事業計画Ⅰ』 ^^;。経過は適宜、適時報告。

【水耕栽培の現状】

○ラウドマチス

ハイブリッド式栽培システム

○植物工場・天使のカフェ

チャンネル アイコン


 
ハイテク農業・屋外環境モニタ無線ネットワーク eKo

ハイテク農業改革:無線で土壌や温度をネット監視



Flower and foliage

キンレンカ(金蓮花)は南米原産のノウゼンハレン科の一年草。
別名をノウゼンハレン(凌霄葉蓮)ともいう。美しい花を観賞
するためや茎葉や花をハーブ
として食用にするために栽培され
る。
学名Tropaeolum majus。2つの和名は黄色や橙色の花がノウ
ゼンカズラ
に似て、葉が蓮に似ることからつけられた。ナスタ
チウム(英語 Nasturtium)とも呼ばれるが、この名は正式には
オランダガラシ
(クレソン)属を指す学名であって、似た味を
もつために転用された通称である。
花期は5月から11月頃と長
く、花色はオレンジ
、黄、赤、ピンク色など暖色系が中心。子
房は3心皮からなり、果実
は分果で3個に分かれ各1個の種子
を含む。花や若葉はサラダ
などに入れて食用にでき、わずかに
クレソンを思わせる辛味がある。また未熟の種子を塩漬け
にし
ケッパーの代りに使うこともある。

 Flower cut through to show structure

四月は何かと出費が重なりった上、クレジットカードの支払い
額の大きさに彼女が激怒。「沈黙は金なり」と右から左へとか
わせど互いに勝利亡き消耗戦 ^^;。盾と兜を思わせる「キン
レンカ」。花言葉は「勝利」。


 Underside of leaf showing petiole attachment

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ライラックと芹の花

2009年04月27日 | 新弥生時代


ライラック 遠き高鳴り手をのばし 芹の顔とり  そっと胸におく




持病の腰が痛み気分転換に小雨降る中、JR彦根駅東口に車
を走しらせる。駅から佐和山口方面のアングルは圧巻、絵に
なる。そして、なにより再開発で彦根の玄関口が明るくなっ
た。そして、彦根警察署の前を抜け彦根城内へと走しらせ、
雨に煙る「三成⇒直政⇒直弼」のショート・ヒストリア・ロ
ードを楽しんだ。

 清酒 石田三成 武家ようかんいしだみつにゃん単品



市長選挙が終わった。予想を上回る僅差で現職が当選したこ
とになる。芹川ダム建設を促進するというが、その根拠は希
薄でよくわからん^^;。ピーク流量490トン/秒を放流するという
が百年に1度程度の洪水なのか千年に1度程度なのか、ダム
建設が治水の絶対条件なのかというと滋賀県のような短い河
川ではそうでもなさそうだ。それより河川底浚渫や三面張り
設計の是正や里山荒廃防止の方が治水・利水・景観保護の一
石三鳥で、浚渫で得た土石は建設資材として有効利用できる。 


流量配分図

芹川流量配分図(単位:m3/s)

106.04.jpg

済んだことは仕方がない。「月、盈(み)つれば則ち食(か)く
」(易経)は政治経営の基本的な戒め。五年後を見据えたとき
「生涯保障制度」の瑕疵が明白になったいま、住民税の10
%は生涯保障特別対策費として投入するぐらいの計画を立案
し、全国一の福祉の田園都市を目指すべきだと思うが。とぼ
けた破れかけのような「厚労大臣の選挙ポスター」みる度、
口をあんぐりさせられるのはわたしだけだろうか。


 swine influenza

厚労省がらみでいうと、世界は『ブタ・インフルエンザ』で
大騒ぎの序章の様相だ。すわ、パンデミックか(「母子草と
オーバーカムⅡ
」)、「忍びよる破局?」かと。とはいえ、
ここは暗黒主義(心理的暗黒症?)にのめり込む前に冷静な
自発的で国際的な
チーム‘抗豚イルザ’の活躍に期待したい。




ファイル:Lilac Flower&Leaves, SC, Vic, 13.10.2007.jpg Lilac

ライラック( Lilac、学名:Syringa vulgaris )はモクセイ科ハシ
ドイ属の落葉樹。ライラックの呼称は英語の仮名転写に由来
し、他にフランス語由来のリラでも呼ばれる。和名はムラサ
キハシドイ(紫丁香花)。春(日本では4~5月)に花を咲か
せ香水の原料にもされる。ハシドイの名は、木曽方言に由来
する。Syringa は笛の意で、この木の材で笛を作ったことによ
るという。開花は6~7月の芹の花より少し早い。疲れると何
かを求めて縋る。そんな日常の一齣を歌う。「男はエロスだ
」とは、DJ福山雅治の雄叫びだったと記憶するがそんな心情
と夜のシーンとを重ねる。南欧の産地で自生する「リラ」。
花言葉は「無邪気」。

セリ 芹/花言葉「清廉潔白」




テレビを見ていて偶然に「クイズdeなっとく! 家庭菜園
裏技大特集」と出会う。ふぅ~んこんなに進んでいるものか
と。ある意味安堵もしたが、だからこそ、いまは劣勢に立た
されている農業だが工業産業技術文化を農林魚業にもっと還
元すべきだとの意を堅くした。その反面もっといまの計画を
早める必要があると追い詰められた気もした。



○『いつでもレタス!』
○『富山昌克OFFICAL WEB SITE
○『オールアバウト

 

実際、産業化の進歩はすごく例えば日本オペレーター株式会
社の「通信対応複合環境制御盤」「しずく培養システム」な
どはその典型として挙げることができる。そんなことを思い
試験菜園モデルハウスの設計の構想をやりながら一日をすご
した。取り敢えず、ソーラ・セルパネルとLED照明システム
を発注し、データロガーや太陽熱利用型温冷システム、非駆
動型換気システムやオゾン殺菌・酸素供給装置の調査を開始
したのであった ^^;。

                    
■                  
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ひなげしと脱・土壌栽培

2009年04月24日 | 農工サ融合

朝の雨 寝起の昼も雨降りて ブログも湿る ひなげしときみ





土壌層は、土壌への物質の供給と消失の様式によって形成さ
れる平行な境界を持つ層のことである。例えば、土壌の表層
部に植物遺体などの粗大有機物が集積する場合には、この表
層部はO層(Organic 層)と呼ばれる。O層の下部には、粗大
有機物が分解あるいは溶脱されて生じた黒色の層( A層)が
観察されることが多い。また、有機物に由来する黒色化が不
十分で、風化が進行した鉱物質の層はB層と呼ばれ、風化が
十分に進行していない岩石層(母岩)はC層などと呼ばれる。


 

【必須元素】そして、土壌から得る植物の生育に必要な無機
養分は、窒素(N)、リン(P)、カリ(K)の三主要元素をはじめ、
カルシウム(Ca)、マグネシウム(Mg)、硫黄(S)などの中量元
素、さらには鉄(Fe)、マンガン(Mn)、銅(Cu)、亜鉛(Zn)、ニ
ッケル(Ni)、モリブデン(Mo)、ホウ素(B)、塩素(Cl)などの
微量元素、それに有機物を構成する炭素(C)、酸素(O)、水素
(H)をも含めると、全部で17の元素すべてが必須元素となる。


 つくば万博

『土とは何だろうか?』によれば、一年生の作物だけでなく、
多年生の木本作物である茶や果樹はもちろんのこと、林本に
まで水耕法の適用が広がり、「土はなくとも木は育つ」とまで
実証できている。しかし、培養液の組成の監視や調節、その
更新などに大変な手間がかかり、多くの作物では培養液の酸
素濃度の調節も必須であり、頻繁な培養液の更新かあるいは
ポンプを使っての通気が必要となる。したがって、作物の生
産手段としてある程度大規模に水耕栽培をしようと思えば、
自動的に培養液の管理ができるような装置が開発される必要
があるが、水耕による栽培の利点は、(1)病原菌などに対
する消毒が簡単にできること、(2)連作障害の恐れがない
こと、(3)温度や湿度などが完全にコントロールされてい
るため葉栗・果菜類では生育速度が早く、温室など施設の利
用効率が高まることが挙げられる。




その意味において、つくば万博のジャイアント・トマトは、
これまでに蓄積されたハード、ソフト両面での水耕栽培技術
の一つの到達点を示したもので、またそれは、このような技
術を遺伝子工学や細胞育種など、やがて来るべきバイオテク
ノロジーの成果と結びつければ、食料の工場生産も可能とな
り、もはや人間が飢えに悩むこともなく々るであろう、との
バラ色の夢を多くの人に抱かしめたに違いないと述べている。


ナスの果実

しかし、トウモロコシや米のような、人間の胃袋を満たす基
幹食料としての穀類を,大きいエネルギー消費を必要とする
水耕栽培、あるいはより広く土なし栽培や植物工場によって
生産することは、現在不可能であるだけでなく、将来とも不
可能であると考えておいたほうがよさそうであるとして退け
る。逆説的にはそこが突破口でノーベル賞に値するハードル
といえるし、それを検証試験しようというのがわたし(たち)
の課題である。



養液栽培は植物の生長に必要な養水分を、液肥として与える
栽培方法である。培地を用いない
水耕栽培噴霧耕と、培地
を用いた
固形培地耕とがある。現在、トマトや茄子などのナ
ス科の野菜、ホウレンソウやレタスなどの野菜、メロンやイ
チゴなどの果物的果菜類、バラなどの花卉に多く用いられて
いる方法である。培地に土を用いたものは、養液栽培には含
めず、養液土耕という。 

01211

養液栽培用語解説 



水稲栽培で行う湛水と落水の反復にあると思われる。微生物
で見たように、生物には好気性、嫌気性があり、その両方に
適応しうるものはない。条件的嫌気性菌は媒質中の酸素濃度
が相当低くなるまで活動できるが、完全に嫌気的な条件では、
絶対的嫌気性菌に置き換わる。病原的な微生物や害虫の場合
も同じことで、湛水下の嫌気的な条件に適応したものは、落
水下の好気的条件には適応し得ず死に絶え、翌年水稲を栽培
する時まで病原菌や害虫は持越されない。この洪水と落水の
反復は、現在連作障害対策として広採用され、畑条件で連作
をして障害が出始めるとしばらく止水し休めるか、田畑輪換
といって交互に使ったりする慣行もある。水稲が連作障害の
ない体系であることが重要で、今後の世界の食料生産システ
ムを考える上で十分な考慮に値するとされる。



連作障害】(1)原因:土壌中の微量元素のアンバランス、
            塩害、土壌病害、虫害、いや地物
            質の蓄積( 団粒構造の崩壊に伴う
            酸欠や湿害等土壌の物理性の低下、
            特定養分の選択的吸収に伴う要素
            欠や塩類集積等の化学性の悪化、
            特定微生物相の形成に伴う病害虫
            の増殖、まん延等の生物性の変異、
            作物が排出する生育抑制物質)
      (2)回避:適切な施肥管理、有機物の投入、
            湛水、客土・深耕、輪作、接ぎ木
            土壌消毒、




これ以外に参考にした図書は以下の通り。

土壌生化学肥料の事典   [本] 


植物・微生物バイテク入門 『植物・微生物バイテク入門』


上の記載書物は高等の化学知識があれば誰でもつくれる入門
書。来年までには機器をそろえて試作品をつくろと思う。取
り敢えず、顕微鏡だけはネット注文した(×2百倍)。



ここまで書き綴るも時間の経過の速さに疲れと空なるものを
感じる。充実しているのだが、裏腹にそれを感じるのは何故
だろう。さて、本筋に戻る。「土壌」⇒「連作障害」の考察
からイネ、トウモロコシなどの基幹作物の『脱・土壌栽培』
の意図はわかってもらえたと思う。






ヒナゲシ(学名:Papaver rhoeas)は、ヨーロッパ原産のケシ
科の一年草。グビジンソウ(虞美人草)、シャーレイポピー
(Shirley poppy) とも呼ばれる。耐寒性の一年草で、葉は根生
葉で、羽状の切れ込みがあり無毛である。初夏に花茎を出し、
上の方でよく分枝し、茎の先に直径5~10cmの赤・白・ピンク
などの4弁花を開く。明日の境内の杉の伐採の手配を済まし、
天候を愁い歌う。ケシより可憐な「ヒナゲシ」。花言葉は「
忘却」。



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クローバーと未来植物

2009年04月23日 | 時事書評


ひたむきに働らく先のクローバー きっと五つ葉ときみは微笑み


 T. pratense L.

市長選挙が始まっている。この4年間の抜本的な「少子高齢
田園都市ビジョン」(医療福祉・介護制度)を提示する候補
者に投票しようと考えているが、季節は五月に向けて政治の
季節到来だ。


 五月の日輪はゆたかにかがやき
 五月の雨はみどりに降りそそいで
 野に
 まんまんたる気槐はこもる

 肉体のような土壌は
 あたたかに、ふくよかに
 まろく、うづたかく、ひろびろと
 無限の重量を泡だたせて
 盛り上り、もり上り
 遠く地平に波をうねらす

 あらゆる種子をつつみはぐくみ
 虫けらを呼びさまし
 悪きもの善きものの差別をたち
 天然の律にしたがって
 地中の本能にいきづき

 生くるものの為には滋味と塒とを与へ
 朽ち去るものの為には再生の隠忍を教へ
 永劫に
 無窮の沈黙を守って
 がっしりと横はり
 且つ堅実の微笑を見する土壌よ
 ああ五月の土壌よ

 土壌は汚れたものを恐れず
 土壌はあらゆるものを浄め
 土壌は刹那の力をつくして進展する
 見よ
 八反の麦は白緑にそよぎ

 三反の大根はすでに分列式の儀容をなし
 其処此処に萌え出る無数の微物は
 青空を見はる嬰児の眼をしている
 ああ、そして
 一面に沸き立つ生物の匂よ
 入り乱れて響く呼吸の音よ
 無邪気な生育の争闘よ

 わが足に通って来る土壌の熱に
 我は烈しく人間の力を思う

               高村光太郎『五月の土壌』

 ※下線は筆者強調

                         




「武器は保持するものではなく、使って見たいものだ」。ソ
マリア海賊問題の対処方法は、筋からいえば日本共産党の主
張が正しい。正しいが現実の対処方法としては適切でない。
で一番良い方法、国際機関による当該領海の統一的警察行動
が世界の軍拡主義の抑制や対費用効果から最良選択だが、そ
ういった意味では中国共産党の行動は不可解だ。それもでき
ないなら、『国会による個別承認』が大前提で「人命は地球
より重し」(故福田赳夫首相)もある。またぞろ「統帥権」
の鵺(ぬえ)でもあるまいし「けじめよ!」と。



米NBC放送「Meet the Press」に出演したガイトナー米財務長官。2009年3月29日(ロイター)。 ガイトナー米財務長官

もう1つ。ガイトナー米財務長官が24日にワシントンで開
かれる7カ国財務相・ 中央銀行総裁会議(G7)で、世界
経済の成長促進を米消費者の支出に依存することはもはや不
可能とし、米金融システム安定化に向け継続中の「大胆な」
取り組みについて「米消費者に依存しない持続可能な成長に
各国政府が焦点を当てる形での、一段とバランスのとれた回
復と拡大の必要性について話す予定」との新聞が報じられた。
また、IMFは世界の金融損失4百兆円(3年間累積推定額
)と今年度のGDP成長率を-1.3%(日本は-6.2%)と報じ
た。金融瑕疵率では米国は10%、欧州5%、日本2%。これらの
数字は意味深いもので、日本の経済行動を、『文質彬彬型』
(故宮沢喜一首相)に展開せよと指示しつつ、現在的な『剰
余価値』とは何かを問うている。




バイオテクノロジーは21世紀の物理学の試金石でもある。
手前味噌だが、わたしが所属するJBAには『みんなのバイ
オ学園
』というHPもあるが、試験菜園をはじめたわたしに
は『超デジタル革命』を考えるに当たり、植物の未来を先ず
はじめに挙げるのは自然なことだろう。そして、それは「遺
伝子組換え作物」に行き着く。その技法は3つあり、(1)
従来の交配法、(2)パーティクルガン法、(3)アグロバ
クテリウム法があり、(3)はバイナリーベクター(2進数
的媒体生物)を利用し「形質転換植物」を創成する。平たく
言えば、『デジタル革命』における「媒体」(メディア)、
或いは、触媒ということなる。詳しくは『植物で未来をつく
る』/化学同人社などの著書に表されている。また、ネット
では「遺伝子組換え科学的情報を提供する バイテク情報普
及会
」なども参考になる。


(2)パーティクルガン法

 particle gun

(3)アグロバクテリウム法




 Agrobacterium tumefaciens


  『植物で未来をつくる』

岡田清孝

 
松岡信

写真 林隆久

西澤 直子 西澤直子

 高岩文雄

とりわけ、「ABCモデル」は被子植物の花の発生を遺伝子
の発現調節から説明するモデルで、1991年にE. CoenとE. Meye-
rowitz 
によって提唱された。シロイヌナズナやキンギョソウ
などの花の各器官(葉が変化したものと考えられるので花葉
と呼ばれる)に異常を起こす突然変異の研究成果に基づいて
おり、その後他の多くの植物に適用できることが示されつつ
あり重要な鍵語である。


 インカのめざめ

 Cytokinins    


また、実際に野菜からDNAを抽出してみようと考えるなら
ネット上では「バイオ基礎教室」にそのやり方が紹介されて
いるので自分でやってみるのも面白だろう。ともあれ、この
1冊の本から、(1)ゲノム研究で植物科学が飛躍し(2)
それは、岡田清孝のシロイヌナズナの実験からはじまり(3)
松岡信のスーパーイネ、(4)林隆久の森林蘇生、(5)柴
田太輔のバイオマスの研究、(6)西澤直子の土壌耐性種の
開発、(7)高岩文雄の抗スギ花粉症コメの開発、(8)そ
して、佐藤文彦による遺伝子組換え作物とそのプロセスのリ
スク評価と網羅されているのでわかりやすいので「未来植物」
の題目の触りは果たしたと思える。次回は『超デジタル革命』
の考察の第二弾として「土壌学」をひろい読みしたい。


 T. incarnatum L.

クローバー(英:Clover)は、マメ科シャジクソウ属(トリフ
ォリウム属、Trifolium)の多年草の総称。一般的にはシロナッ
メグサを指すことが多い。約300種が全世界に分布する。シャ
ジクソウ属の多様性は北半球において最も高いが、南米国や
アフリカにも多くの種が分布している。ハローワークにはい
まより増して失業者が訪れる。我々責任ある大人達が大変な
ことをしでかしたんだと自省する光景でもある。時間給にし
七百円そこそこで生計を立てなければならない人達が大勢い
る。五つ葉のクローバーは金銭に困らぬ象徴。「クローバー
」と「微笑み」を「メダルの裏表」の暗喩とし、そんな歌を
託し世情を詠む。牧場に咲く花「クローバー」。花言葉は「
勤勉」。

コメント

矢車草と超デジタル革命考

2009年04月22日 | デジタル革命渦論


春祭 鯉に鳳凰 心意気 御輿もきみも矢車草よ    


 ペンション伊吹

あぁしんどという7日間でしたねという話。まず、歓送会は『
ペンション伊吹』で。協力会社の都司江さんのお別れ会は、
同じく先月の壮行会の濠恵繁芳(『木蓮と太陽神Ⅲ』)の弟さ
んの経営するペンションだが、オープ時に小さいころの息子達
をつれ宿泊して以来ではあったが楽しいひとときを過ごした。
30年前の伊吹は雪が沢山積もっていて泊まり込んでスキーを
したが、車と温暖化で寂れていった。現在では、奥伊吹(北斜
面側)スキー場に舞台は移っている。そんな中、伊吹の自然を
生かし順調にペンション経営をこなしている。ところで、伊吹
の薬草風呂のことはこのブログでも紹介したが(『サンセベリ
アと弥生文化』)、なぜかこの薬草が気に入り家風呂で時折こ
れを楽しんでいる
。話の核心はそんなところにないが、疲れて
プログするには手に余る。無理を重ねた米国産の世界成長戦略
の破綻の微分の一片の事象とでもいうしかない。そして、オー
ナにJRの駅まで送って頂き主賓の彼女らとともに近江長岡駅
から彦根に戻ることなった。


翌日は、朝から宮世話の仕事の後、午後は大阪からの同窓生時
代の仲間が2人(その中、青樹英生は母親と同伴)を駅まで向
かえに出かけ、昼食を取り彦根のお濠を屋形船で遊覧したりし
観光案内を行い、『かんぽん宿・
彦根』で宿泊することになっ
た。翌日も、家に案内、母親と面会し暫く歓談した後、『夢京
橋・キャッスルロード』を散策し近江八幡の水ヵ浜のレストラ
ン「シャーレ」で昼食をとりその足で車でJR近江八幡駅で送
り別れた。


Susan Boyle Youtube Susan Boyle

極西極楽の英国で48歳のスーザン・ボイル小母さんの歌声が
どえらい反響を呼んだということで早速、ユー・チューブして
鑑賞した。なるほど、鳥肌が立ちましたね。そこで、彼女が歌
う『レ・ミゼラブル』の“The dream I dreamed”(邦訳「夢破れ
て」)の歌詞を訳してみた。岩谷時子が訳詞しているのでそれ
とも比較してみたが、虎が狼になっていたりして、はっはぁ~
んと、大御所の実力の程に感心した(傍線の箇所の翻訳には要
注意だ)。それにしても、上地雄輔のブログアクセス数のギネ
ス入りと同様に『デジタル革命』の威力は凄いもので、このネ
タで『レ・ミゼラブル』まで繋がれることとなった ^^;。


I dreamed a dream in time gone by
When hope was high,
And life worth living
I dreamed that love would never die
I dreamed that God would be forgiving.

Then I was young and unafraid
When dreams were made and used,
And wasted
There was no ransom to be paid
No song unsung,
No wine untasted.

But the tigers come at night
With their voices soft as thunder
As they tear your hopes apart
As they turn your dreams to shame.

And still I dream he'll come to me
And we will live our lives together
But there are dreams that cannot be
And there are storms
We cannot weather...

I had a dream my life would be
So different from this hell I'm living
So different now from what it seems
Now life has killed
The dream I dreamed.

        music: Schonberg Claude Michel
                        words:  Boublil Alain Albert et, al.
        



Dear Friends IV 岩崎宏美「夢破れて」
  レ・ミゼラブル
 原作本のコゼットのイラスト;ミュージカル『レ・ミゼラブル』 

やっと春の大祭が終わった。小さな手違いや思い違いはあった
が天気に恵まれ関係者一同ほっとしている。氏子制度は古神道
の誕生以来、わが国最大の伝統。おろそかにできないがプロジ
ェクトとして考えれば、長年営利企業に染まってきた者は戸惑
うこともしばしば。犬上川河口に位置する宇尾の、白山神社
こじんまりと品の漂った纏まりのある氏神の宮だと思っている。



お陰でブログできなかったが良い経験だ。毎年担ぎ手の募集に
手間取り、そこのところの歯止めの仕掛けを必要としている少
子高齢時代。途中台車を入れ担ぎ手の負担を軽減しようといっ
ていたが、御神輿の鳳凰も抜け掛けているし是非を問うと若者
達はそれを退けた。結果オーライ、鳳凰も大人・子供の両御輿
の若者達も神饌物の鯉も元気だった。これ程の愉快なことはな
いかと歌う。山中の日陰に多い「ヤグルマソウ」。花言葉は「
愉快」。





図2 ストリゴラクトンの構造と生理作用

昨年夏に理化学研究所で植物の枝分かれをコントロールホルモ
ンの発見が報告された。ストリゴラクトン(ストリゴール)群
の植物ホルモンの作物の実りを確定し、根寄生雑草の防除への
応用が期待される。即ち、根の環境領域の情報物質=ストリゴ
ラクトンは、(1)根寄生植物の種子発芽刺激、(2)共生根
菌(AM菌)の分岐誘導、(3)枝分かれ(分けつ)の抑制の
生理作用を持つ。

茎頂の模式図


【注釈】役割とかたちが大きく違う茎と葉を、植物形態学では
「シュート」という一つの単位として扱う。根と茎は自分自身
の頂端分裂組織を持つが、葉は必ず茎についており、葉の原基
は茎の茎頂分裂組織によってつくられる。だから、葉は、根や
茎と同格の単位と考えるよりも、茎の付属物として考える方が
わかりやすい。

Keyword頂芽優勢アーバスキュラー菌根菌植物ホルモンPESIGS
      の法則)















九州大学大学院森林資源科学部の生物機能材料グループではセ
ルロースの植物細胞壁の骨格をなす構造性多糖分子である多糖
類のユニークな分子特性を膜状で材料機能化する研究開発がな
されている。これまでのバルク材料から特殊なセンサ材料や生
体内の自己組織化、自己集合化機能の応用や紙形構造体触媒に
よる燃料電池用水素製造への実用が期待されている。

Keyword】セルロース/構造性多糖/ナノ薄膜/自己組織化/インタ
      ーフェース機能




これまでの『デジタル革命』、そして『超デジタル革命』の考
察はハード(=生体生理サイド)面での記述が少なかった。ナ
ノサイズのハード系を対象とした微塵加工技術の応用時代への
突入はまた一歩、人類を未体験ゾーンへと踏み入れることにな
り、政治社会倫理への問題誘発に繋がると共に、より生命や社
会生態環境にとって極めて有用な技術や成果物生み出していく
であろうことを確信させるものである。

特に『デジタル革命』が全てが身の丈へ収斂していくためのキ
ーテクノロジーとして、(1)情報通信技術、(2)ナノテク
ノロジー、(3)バイオテクノロジーがありそれが融合し、ま
たそれらは政治社会的システム及びソフト技術とも絡み合い、
いわば『超デジタル革命時代』(=社会主義社会段階)へと突
入するものと想定している。このブログはそのイメージの考察
描写を断片的ではあるが記載していこうと考えている。


「ルッコラのサラダ」の料理レシピ/完成イメージ

庭先の試験菜園にルッコラ(ロケット)が大きくなった。早速
葉を引き抜きそのまま口にする。「うまい」。♪〽「僕はきみ
を口にでき幸せだなぁ~」と。まぁ、とれたてはどんなもので
も最高に違いないと言い聞かせたが、これからどんどん大きく
なるので乞うご期待と。


 ノーベル賞めざし(誇大妄想)頑張るにゃん 
■ 

 

コメント

山吹に赤壁とカプリの風

2009年04月12日 | 近江歴史回廊


夕暮れの霞の山吹恋をする 乙女の髪にガルフ・ナポリは海の風




御輿の担ぎ手捜しで一日忙殺。どの町でもそうだろうが、時
代とともに屈強な若者が少なくなり平均年齢が上昇加速する。
上限年齢の50歳を取っ払い、定員数に1.5~2倍に増や
し短い距離で頻繁に交代するか、巡行距離を短くするしかな
いが、御輿ひとつも上がらぬでは末が心配とは「この俺も歳
を食ったかなぁ」。男性平均年齢約76(女性は83)歳。


山振の立ちよそひたる山清水 くみに行かめど道の知らなく  高市皇子


sakura_0000.jpg コブクロ(桜)

そんな中、元の職場の仲間とひととき花見を楽しむ。話の内
容それは、ひ・み・つ。少し気になることがある。それは自
分が去った職場に‘面白しろさ’がなくなったのではという
思いを伝えた。要するに‘梁山泊’のような人物がいなくな
ったという老婆心に尽きるが、そのことと企業の衰退とイコ
ールに必ずしも繋がるわけではないが大いにありうることだ
としみじみと満開の桜に重ね合わせていた。‘♪〽 人生は
短い’(ビートルズ“恋を抱きしめて”)。なんとかせんと
いかん(東国原英夫)か。

 ‘洪太尉、妖魔を走らす’/『水滸伝』


レッドクリフ Part II ―未来への最終決戦― Red Clif Ⅱ 

映画『レッド・クリフ パート2』は最高傑作だ。それ以上
書くことも、屋上屋を重ねる様で、出来ればジョン・ウー監
督には『五丈原の戦い』までも撮ってもらいたいものだと付
け加えておこう。

 五丈原の戦い

映画では登場のなかった龐統。連環の計で火攻めの成功を契
すため拝風台で東南の風を起こそうとする諸葛孔明もなかっ
た。こういった常道をはずし、主体的に舟を連結する慢心曹
操。風向きの反転を待つ諸葛孔明。周瑜の策謀による蔡瑁、
張允の処刑。総攻撃を引き留める小喬。スリルとサスペンス
溢れる展開。『借東風。風見鶏とは日和見主義と蔑まれる
が、人智の限りを尽くした研ぎ澄まされた機動力でもある。


  Ke
rria japonica

山吹の名は、山で風に揺れている姿を表現した「山振(やまぶ
り)」に由来するといわれるバラ科ヤマブキ属の落葉低木。黄
色の花をつけ、春の季語。低山の明るい林の木陰などに群生
し樹木ではあるが、茎は細く柔らかい。背丈は1~2m。先
端はやや傾き、往々にして山腹では麓側に垂れる。地下に茎
を横に伸ばし、群生する。葉は鋸歯がはっきりしていて薄い。
晩春に明るい黄色の花を多数つけ、多数の雄蕊と5~8個の離
生心皮がある。心皮は熟して分果になる。北海道から九州ま
で分布し、国外では中国に産する。古くから親しまれた花で、
庭に栽培される。花は一重のものと八重のものがあり、特に
八重咲きが好まれよく栽培される。一重のものは花弁は5枚。
金貨の代名詞「ヤマブキ」。花言葉は「待ちかねる」。


かくしあらば何か植ゑけむ山吹のやむ時もなく恋ふらく思へば 読人不知





『借東風』とは臨機応変でもある。南仏プロバンス旅行は空
中分解。保険で掛けていたオプショナルの南伊カプリ島旅行。
介護者を抱えて長期旅行は難しい。まして、先延ばしても良
い条件はこない。ならば思い立ったら吉日と定める。行き先
も見えぬ息詰まるかのような日常から愛する者とともに離れ
たい。朝鮮半島の真西に位置するナポリ湾。東風に髪をなび
かせる少女時代の魂。そんな幻想的で難解な歌を詠った。


カプリ島
 Isola di Capri

ポンペイ
ポンペイの屋敷 Pompei

ソレント
ソレントの風景 Sorrento 

ナポリ
 Galerii

ローマ
 Piazza esedra

パレルモ
パレルモの風景 Palermo



 Hermann Emil Fischer

食糧問題は解決している。それが出来るのは人的資源に恵ま
れた日本だと、ここだけの話だけれどそう思っている。その
鍵語は『酵素』或いは『微生物生理機能学』。酵素とは、生
体でおこる化学反応を自身は反応の前後で変化せず、特定の
化学反応の反応速度を速める分子のこと。その役割は、生命
を構成する有機、無機化合物を取り込み、必要な化学反応を
引き起こすことにある。

 基質に結合する酵素

食糧用植物の安定生産は、先ず、その種の固有安定生育条件
⇒①大気条件、②地下(土壌)条件、③日照条件、④養分供
給条件を循環時系列制御で確定。ここで②の条件で、共生育
成する酵素(及び微生物)の制御技術が重要となる。例えば
、大腸菌は人間と同じく70%が水分で、残りの16.5%がタンパ
ク質6%がRNA(リボ核酸)、0.9%がDNA(デオキシリボ核酸)、
3%の脂質、0.3%の金属イオンで構成されているが、これらの
育成条件(温度、水素イオン濃度)、酸素、栄養源、糖、ア
ンモンアなどの二次最適化技術が重要となる。

アデノシン三リン酸/ATP


ところで微生物は、真核生物原核細胞(真正細胞+古細胞)
からなり、その種類は百万から千万種に及ぶといわれている
が、これらの機能を解析・抽出できれば解決するが、例えば
酪酸の生成には酸素供給を止め、乳酸を生成するには、酸素
を供給するといった具合に。また非水耕栽培植物で土壌栽培
に、水循環と同様に土壌粉体を連続乃至は間欠循環できれば、
根菜類のコンパクトで省力で、高生産性の栽培が可能となり、
もう米国、豪州、中国に頼らなくても学園都市ならぬ田園都
市で、他の田園都市と地産地消の高度分業連携システムの構
築が可能となる。そういった意味では彦根-長浜は絶好の条
件を備えていると思う。

 相馬暁教授『2020年農業時代が来る』




第21回宮城県産直交流会記念講演


そういうわけで、今年も諦めず、稲作のミニマム試験栽培を
行うことにした。




鴬の来鳴く山吹 うたがたも君が手触れず 花散らめやも   大伴池主


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黄菖蒲と赤字国債

2009年04月10日 | 政策論


お花見と祭り太鼓にいそがしく黄菖蒲ふたつ春風に揺れ




09年度当初予算の一般会計の総額が過去最大の88兆54
80億円。新規国債発行額は約33兆円で、今回の補正に伴
う上積みによって43兆~44兆円程度になる。一方、税収
見通しは約46兆円。景気の落ち込みによる企業業績の悪化
などで、数兆円規模の税収の下ぶれは避けられず、国債発行
額を下回る見通しとなり、4割強を借金で賄う異常事態と報
じられた。




チャンネル アイコン Most beautiful Quran recitation

正直、また赤字国債かと能のない政府にうんざりもする。わ
たしは‘リフレ派’(『花水木とリフレ派宣言』だが、そん
なとき「米国産金融危機」で壊滅的な打撃を受けた中東産油
国にあっても堅調なイスラム銀行(金融)の存在をテレビ放
送で知った。

イスラム金融とは、「イスラムの法解釈にかなった金融」を
指し、イスラム法のことをシャリーアといい、シャリーアで
は宗教的なことだけでなく、世俗的なことも定めているとい
う。例えばアルコール、賭博・武器などの事業に資金を融通
することは禁じられている。なら、判断基準の議論はさしお
き、今回の金融工学を駆使したサムプライムローンの融資制
度は御法度の対象となるはず(今回の米国の連邦制度準備会
や財務省の弛緩は、そうすると咎めの対象になったはず、た
らねば)。このイスラム金融の特徴は、イスラムの経典(コ
ーラン)で、利息(リバー、「増加」を意味するアラビア語)
が禁じられていることに由来するという。


 شريعة‎ Shari'a

イスラム金融が注目を集めるのは、イスラム金融の規模が、
2005年時点で約7000億~1兆ドルで増加を続けていることだ。
中東、マレーシア、タイといったイスラム教徒の多い地域で
イスラム金融は拡大している。このような規模拡大の背景と
しては、いわゆる原油高によるオイルマネーの影響力拡大や、
それに伴うドバイを中心とした中東地域経済の急速な発展と
イスラム回帰とムスリム人口自体が増加していることなどが
指摘される。


FRSのあるエクルズ・ビル(Eccles Building)

“西側”の銀行の金融商品ではシャリーアに沿ず、ムスリム
を対象とする利子なしの銀行として、イスラム金融が登場し、
商品取引から生じる利益や、事業・投資を行った結果の配当
といった形態が採られることが多く、例えば、「ムラーバハ」
という取引仲介方法、即ち、銀行が商品の買い手の代理とし
て、先に売り手から商品を購入し、買い手に対し再販売する
形態で、売り手から銀行への販売価格や、銀行から売り手へ
の販売価格はあらかじめ定められているため、銀行はその差
額が金利相当の収入となる。


50ディナール紙幣 ディナール

また「イスティスナ」というプロジェクトファイナンスの方
法があり、工業製品の調達や建設などのプロジェクトにおい
て、銀行が発注者に代わって業者に先払いする金融取引行為。
業者はその資金をもとに事業を実施し、銀行を通して顧客に
納入し、銀行は顧客より資金の支払いを受け、その差額を利
益とする。ムラーバハとの違いは、金融取引の時点では、商
品が実体として存在せず、イスティスナの詳細な指図に従い、
対象資産を特定し、実体ある取引とみなされ適格と認められ
というが、日本でいう‘商社機能’に近いといわれるが利子
がない(つまり、暴利を貪ることができない)。そんな良き
国々に欧米列強の軍隊が駐留し続けてきた。‘人間の業’と
はげに怖ろしいと思わずにいられない。



赤字国債の基本性質は、税収を上回わる支出であり、①政策
の先行性、②政策の迅速性、③政策達成の追加処置、④政策
の誤算・失敗、⑥需要喚起、⑦最後に政権維持等で発行され
るされる。国防、災害、貿易、年金未払い、経済対策、政権
独占等としてそれは現れる。

イスラム金融でない、といってもそんな単純な比較はできぬ
が、日銀はストレスを日常的にため込む部門で、景気が悪く
なれば金利を下げ、その逆の局面では金利を上げる。つい最
近では、低金利政策をとれば「円キャリ」が生じバブルが生
じたと批判される程まるで主体がない、いや、的外れな批判
にさらされるとは。

 Lev Davidovich Trotsky

政権を合理的かつ実用的、或いは経験主義的に交代すれば無
理して赤字国債を発行しなくても済む。‘進行性政権死守病’
というか強迫観念に取り憑かれているのではないかと思われ
る程だが、その話は置いておいて、政策の効果は別に麻生政
権の緊急経済対策は支持したい。もう少しいうと、池田信夫
のブログの『一国ケインズ主義』との批判とは与しない。世
界との協調は大切だが、世界を「ノッペラボウ」に見るトロ
ツキスト的な考えには与しない。冗長になった^^;。つまり、
麻生政権の打ち出した緊急補正予算は単年度限りにておいて
大筋支持したい(内容の吟味は国会を要観察)。前述のブロ
グに掲載したように、単年度毎に所謂、「政策実施誤差分」
の‘赤字国債’金額を算定して、大晦日に国債を引き受け処
するというなんとも大それたことを提案した。そう、財政規
律はいかなる政策の要であるが、「子孫のために先食いのつ
けを残さない」との美名の元、所得格差拡大に目をつむり、
低所得層の切り捨てに与しない踏み込んだ提案を行った。誰
しも最初の一歩は・・・滑稽な程、子供じみた勇気からはじ
まるというものだ。

チャンネル アイコン Playing For Change: Song Around the World "One Love"



電気自動車のことをもう少し掘り下げようと考え図書館から
5冊ばかり本を借りてきて読み出したが、春祭りの準備で気
が向かず14日に返すことにした。

電気自動車が加速する! 自動車用モータ技術  電気通信概論 通信システム・ネットワーク・マルチメディア通信


電気モータの技術的な話は興味がわくので、駆動系の調査だ
けし、要するに、交流型のSM(永久磁石形同期モータ)、
IM(誘導モータ)の二種類のせめぎ合いか。はぁはぁ~ん
こんなものかとなりそれから先はお預けとなった。


yellow iris yellow iris

けふはまた菖蒲の根さへかけそへて 乱れぞまさる袖の白玉  藤原俊成


元職場の屯倉貴史からメールが届き小数で、恒例の城内のお
花見会を急遽決定。朝から春祭りの‘子供用触れ太鼓’の修
理で手分けことに当たることになる。季節は葉桜に移行する
が外は心地よい。ヨーロッパ原産の耐寒性多年草で、強健な
根茎を持ちビアード(ヒゲ)の無いアイリス。草丈 2m までの
3
分枝した茎に幅が広くヒダの有る灰緑色の葉を持ち、初夏
から盛夏にかけて鮮黄色で直径5~12cmの花を4~12個咲かす。
半日陰を好み池畔やその周辺、水路の岸辺など湿性地に適す
るが、直射日光やかなりの乾燥にも耐えるほど繁殖力が強い。
「キショウブ」。花言葉は「消息」。
 
                       

 

「義の旗のもとに『第三章 義から愛へ!』」

日時:4月12日(日) 午前11時 
場所:滋賀県彦根市 佐和山城址「龍譚寺前」広場



10:00~(受付開始)
第一部「戦国歴史講座」受付開始 清凉寺 坐禅堂 

(先着200名、資料代込 お一人様500円)

11:00~12:30
『「義と「愛」に生きた兼続と三成』 講師:小和田哲男氏

『天地人』の時代考証も監修された日本歴史学第一人者「小
和田哲男氏」の講演  

         主催:有限責任事業組合 ひこね街の駅


 当日は一期一会々恒例の花見で参加できないのにゃん。

コメント

桜草とオーバーカムⅣ

2009年04月09日 | 時事書評


いつまでも若いねといい 染め抜けの白髪を見つけ 笑う桜草


 Primula sieboldii

彼女に染めてもらった黒染だが後ろに染め抜けを見つけ笑う。
冗談じゃないお前が染めたんじゃないかとは言わず、桜草を
直喩に使い反歌を詠う。「いいじゃない二人とも若くて」と。

サクラソウ(桜草、学名
Primula sieboldii)はサクラソウ科サ
クラソウ属
の多年草。日本のサクラソウ類の代表で、日本で
は北海道
南部、本州、九州の高原や原野に分布し、朝鮮半島
から中国東北部へかけても分布するが、野生の群落をみるこ
とはない。また埼玉県
と大阪府の県・府花に指定されている。
江戸時代
に育種が進み、数百に及ぶ品種が作られた古典園芸
植物でもある。ニホンサクラソウ(日本桜草)ともいう。五
弁花が美しい「サクラソウ」。花言葉は「青春」。


サクラソウ700-thumb.jpg

辺見庸の『しのびよる破局』のコメントは今回で終わる。「
同時代性のパンデミック」にはじまり、解釈すら難しい今日
的な「破局」をどのように見るのか辺見流のまとめは如何に。



 格差と内面の変化

 (前略)ひとつは、かれがある意味で典型的な派遣労働
 者だったということ。多くの派遣労働者たちがそうであ
 ったように、かれもまた翌月いっぱいで寮をでていかな
 ければならなかったし、給料から、寮費、冷蔵庫代、テ
 レビ使用料まで差っ引かれて、ろくに貯金ができるよう
 な状態ではなかった。そういうことに、じつは社会がか
 なり鈍感だったというか、ある意味でそれが当たり前で
 あるという状況がしばらくつづいていたとおもいます。
 ただ、あの事件から四、五ヵ月で、事態が一気に変わっ
 ていくわけです。職場を追いだされて、住居も同時にな
 くしてしまう人間が、万単位であちこちにでてくる。だ
 れしも想像できないような事態が起きていたということ
 を、やはり何度もふりかえりたいとおもうのです。株を
 やる人は「底が見えない」といういい方をしますが、闇
 の底が見えない、そういう状態に入ってきている。いま
 ここにきて、われわれは蒼ざめている。どうしたらいい
 のだろう、と。
 
  そのばあいに、ぼくたちはなにを回復しようとしてい
 るのか。経済あるいは繁栄の回復ということが通り相場
 だけれども、ぼくは秋葉原の事件を起点にして、そうだ
 ろうか、と考えてきた。やはり、そうではないのではな
 いか。秋葉原の事件というのは、意識の深層で予感され
 ていたような、ひとつの痙撃的な事態だったとおもうの
 です。人間を使いすてる、人間を機械の部品に置きかえ
 ていくというのが、2004年の労働者派遣法改正の実
 質的な中身だったわけですが、働くというのはそういう
 ことなのか、あるいは、人間を部品化するということが
 人の内面になにを及ぼしているのかということに、その
 時点でしっかりと想いをいたすということがなかった。

 (中略)高度資本主義とは、人間生体にとって、外在す
 るシステムであると同時に、内在的な、心的メカニズム
 にまでなってしまっていることにぼくは心づくのです。
 われわれは動脈だけでなく、毛細血管までこのメカニズ
 ムに組みこまれている可能性がある。一見華やかな、軽
 佻浮薄な時間、時代があまりにも長かったとおもうので
 す。人の生活には、私的なつましい「褒」の日々とごく
 まれな「晴」の公的な日や祝祭の区別があってごく自然
 なのですが消費資本主義とその潤滑油であるマスメディ
 アとりわけテレビが、褒の時間をのべつ幕なしの狂繰的
 晴の時間に変えていったのです。人は市民であるよりも
 ただただ市場活性化のために狂燥的に消費する、消費さ
 せられる奇怪な生合体に変えられていきました。モノに
 せよ金融にせよ人の生活のためにあるべきなのに、逆立
 ちして、人はただ市場のため資本のためにのみ生かされ
 る存在にされた。所得が不当に不平等なのは問題にもさ
 れない。正社員と契約社員や派遣社員の不平等も当たり
 前だと考える。人間を機械の部品化し、消費マシーンと
 する発想によって世界全体がこれまで動いてきた。“繁
 栄”は、じつはそういう倒錯的基礎の上になりたってい
 た。
  それは、たんに経済的な問題ではない。われわれの精
 神生活もじつは意識の倒錯を土台にしてきたのです。株
 主の利益というものがどこでも重視される。会社という
 利益共同体のなかで、もっとも重視されるのが、職員や
 労働者よりも、株主の利益にいつの間にか移りかわって
 しまった。それにともなって、これもある種の幻想だけ
 れども、人間や社会というものが本来もっていた共同性
 というか、「こうあるべきだ」という共同体の紐帯やつ
 ながりがバラバラにされてしまった。そういう寒々しい
 足下を、これでよかったのだろうかと、見つめてみる必
 要があるとおもうのです。

 シーシュポス(Σίσυφος, Sisyphus)


  
この数年の派手な経済成長のなかで新しいことばがど
 んどんでてきました。いってみれば全部アメリカの経済
 からきたのですが、たとえば、「スーパースター現象」。
 一握りの「勝ち組」がすべての富を手にしていく。少数
 者による富と権利の占有。あるいは「コスモクラット」。
 自分の国内における不平等とか失業とか深刻な状況にま
 ったく関係なく、グローバル化する経済のなかで世界を
 股にかけて金儲けをする、ほんの数秒のパソコン操作で、
 何十万ドルも何百万ドルも一気に稼ぎだす人間たち。ハ
 リウッド映画の登場人物みたいな勝ち組の物語に多くの
 人があこがれました。少数の勝者がすべてを手にする。
 すなわち、少数者による富と権利の占有が社会の基礎的
 価値意識を劣化させ、不平等の拡大を当たり前とする内
 面を生成したし、抗うことを無力化してきたといえるで
 しょう。こうして人間的価値の貨幣的価値への変質は今
 日、極限まできたのです。


そして、その起源が『日米経済構造協議』であったこと、も
う少し踏み込むと『プラダ合意』に遡り涌水点をみつけるこ
とができるとここでブログしたが、彼はそれを意識している
かどうか分からぬが、ここで「新しい階層の誕生」を発見す
る。


   こうしたなかで、いま、新しい階層が生まれつつある。
 「プレカリアート」ということばがあります。「不安定
 な」という形容詞と「プロレタリアート」を引っかけた
 造語で、もうすでに世界に通用することばになっている。
 たとえば、パートタイマーとかアルバイトとかフリータ
 ーとか派遣労働者とか、委託労働者とか、期間労働者と
 か、あるいは移住労働者。欧州はものすごく移民が多い
 わけですが、労働者もふくめてそれが不法移民だったり
 する。そういう不安定な状態を余儀なくされた労働者を
 総称して、プレカリアートという。このかわいた響きの
 ことば、これが現代の新しい階層を象徴する注目すべき
 ことばです(中略)でも、いまはそれがあるでしょうか。
 たくさんがんばっている人たちがいるわけですが、それ
 が不合理とか不条理とたたかうひとつの階級として、プ
 ロレタリアートとして、階級意識をもちながらたたかっ
 ていこうということとは、ちょっとちがうとおもうので
 す。それがプレカリアートという非常にかわいた、新た
 な貧困の時代を象徴することばにあらわれている。ある
 べき関係性を絶たれたものとしてのプレカリアート、な
 いしはアンダークラス。この非常に悲惨な存在こそ、思
 考の核、イメージの出発点だとぼくはおもっています。
 ぼくらのころは、たとえば、臨時職員、アルバイトたち
 の利害についても、いわゆる正規雇用の労働組合が考え
 ようじやないか、かれらにもボーナスを支払うべきじや
 ないかとか、そういう流れが活発だったときがある。そ
 れが、だんだん変質していく。


そして、彼はその流れを加速させた大企業の企業内労働組合
の役割と責任を指摘する。
 

 Albert Camus


 他の痛みへ

 ある日突然、「あなたを解雇する」といわれる。退職金
 もない。次の就職先も紹介されない。「寮もでろ」とい
 われている。田舎にも頼る当てがない。それでも生きざ
 るをえないのです。最初にいいましたが、公園のベンチ
 に紙袋をかかえて座っている青年、なりたての野宿人た
 ちは、不安と寂しさのあまり、目が泳ぐようになってい
 る。ポケットのなかにはもうお金なんか全然ない。その
 日、泊まる当てもない。まだ野宿の仕方も知らない。野
 宿というのは、すごく体力がいる。すぐ肺を悪くするの
 です。山谷近くへ行くと、「アオカン」といって、三日
 やったら身体を壊すといわれている。あの目の泳ぎ方、
 あの孤独。それを見て見ないふりをして通るときはつら
 かった。いまはもっとおもう。つらさをおもう。なんと
 かしなければいけないと。誤解を恐れずにいえば、これ
 はまったく誤解を恐れずにいわなければならないのです
 が、はっきりいって興味もあるのです。どうなるのか見
 たい。どうなるのか見たいというのは、社会がというこ
 とではない。人がどうなるのか、なによりぼく自身がど
 うふるまうか、なにをどう書くかを見たいのです。
  燎原の火のごとくなにかが変わっていくのか。どんど
 ん燃えひろがって、ついにたくさんの人が起ちあがって
 動きだすのか。泌れだすのか。デジタル世界への、21
 世紀の
ラッダイト運動のような出来事はありうるのか。
 あってほしい。「虚」にたいする「実」の復讐はあるの
 か。証券取引所、大銀行、マスメディア、国会への人間
 的報復はありうるのか。反乱は? あれかし、とぼくは
 じつは心のどこかでねがっている(中略)自分にはとう
 ていやることはできないだろうけれども、ある種の本能
 として、いまの世界をなんらかのかたちで、必死になっ
 て表現しなければいけないとおもっています。いま、ぼ
 くはまだ「
コヘレトの言葉」が気になります。「かつて
 あったことは、これからもあり、/かつて起こったこと
 は、これからも起こる。太陽の下、新しいものは何ひと
 つない」……そうかな。ちがうようでもある。でも、そ
 うかもしれない。たしかに、すべては虚しい。が、どこ
 までも、どこまでも虚しいからこそ、〈他の痛み〉を考
 えつづけるのです。


 Abraham and Isaac


「焦って口を開き、心せいて神の前に言葉を出そうとするな。
」(『
コレストの言葉』5章1節)ということもこの著書に
引用されているが彼の言葉は重い。そして重すぎる。ここま
でに至った責任がリージョナルな国家の政府、当該企業の経
営者、労働組合等にあるがその責任に対する明確な言葉はな
く浮遊した言葉だけが揮散した。しかし、彼が期待する「ラ
ッダイト運動」は起こりそうもないし、『デジタル革命』を
積極的に援用する者はそうはとらず、情報公開という直接行
動の連帯で問題解決を計ればと思うし、そのための運動義援
金は「ワンクリック・カンパ」で対応すると思う。具体的に
どうなるかわからぬが、わたしならそのように行動するだろ
う。また、中谷巌の『資本主義はなぜ自壊したのか』の指摘
通り中間層に重心を置き直す政策に転換することで解決可能
な部分は解消されると思うが。

 La Prise de la Bastille”, Jean-Pierre Louis Laurent Houel


                           


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花海棠とオーバーカムⅢ

2009年04月08日 | 時事書評


満開のさくら仰ぎて走る先 沈む夕日にきみは花かいどう




今日は試験菜園の第三次の種蒔きと苗購入。種薪は京壬生菜、
ホウレンソウ、マロウ、スイートバジル、クミンの5つ、苗
は完熟トマト、スイートトマト、小つぶ茄子、サンチュ、ア
スパラガスの5つ。それにしてもお金が掛かりすぎる。培養
土、肥料となるが、中小規模の植物工場を構想するには最適
トータル循環システムが前提になるとだけブログしておく。



夕食はルッコラをあしらったガーリックオイルのミートスパ
ゲティに例の「さゆり」(日本盛)といっしょに食べたが日
本酒が合うのはトマトの酸味が効いたのか美味しく頂けた。
ところで、「さゆり」はさくら色だと書いたが彼女の悪い冗
談に乗せられてしまったことに気付いた ^^;。ついでに謝っ
ておこう。家ミニラーメンのレシピだが、用意するお湯の温
度により加熱時間を変えない、例えば90℃を上回る場合、
二回目の加熱時間を短縮しないと沸騰するので要注意。





辺見庸の『しのびよる破局』の第二章の「生体反応としての
秋葉原事件」をかなり詳細に読んでみた。ひとくちで言うと、
科学技術の‘高下駄’を履いた人類がその発明により“疎外”
される。いいかえれば文明の進化により本来持ち合わせてい
た能力を極めて急速に退化させていくことに危機意識を募ら
せる。

 「リア充」の喪失

  ぼくはあの青年たちが使っていた日本語に非常に興味
 をもちました。そのなかでぼくがとくに衝撃を受けたこ
 とばがあります。秋葉原事件の青年が、携帯サイトの書
 きこみのなかで、「リア充」ということばを使っている。
 若い人たちに使われているらしいのですが、リアルの「
 リア」に、充実の「充」。かれはリア充ということばを、
 リアルな日常生活が充実している人間たちにたいして、
 羨望をもって、あるいは嫉妬し、憎み恋いこがれながら
 使っている。かれはリア充というものを、まったくリア
 充ではない「虚」のところからいっている。
  つまり、かれは十分に自覚しているのです。自分が両
 足をおいている世界というのはリアルではないと。携帯
 電話のモニター画面、ゲーム機のモニター画面、パソコ
 ンのモニター画面、あるいはテレビのモニター画面。そ
 れはリア充ではない。アンリアル-自分はまったく虚な
 る世界に住んでいて、リア充ではないのだと。この想い
 を、かれは十分に対象化しえていないけれども、ぼくは
 このことばによって、事態の本質、その切り口みたいな
 ものが見えた気がしました(中略)。

  
 被害者と加害者の究極的な等価性

  じつは、あの事件を知ったときに、ぼくはあまり驚か
 なかったのです。そういう自分に不思議だった。それと、
 捕まった青年が印象に残らないぐらい普通だった。逆に
 その手ごたえのなさにすごく驚いたわけです。かれ白身
 にあまりマチエールがない。絶叫して「これが正しい」
 とか、「だからおれは人を殺したんだ」ということがな
 い。ぼくにはかれがこのメディア社会の所産のようにも
 見えたのです。つるつるのモニター画面から生まれてき
 たみたいな。そのことと切りはなしてこの問題は語れな
 いだろうという想いがぼくにはある。
  秋葉原事件の青年が派遣労働者として勤めていた静岡
 県の工場の宿舎を、わざわざまるで観光みたいにして見
 にいった者年たちがいたといいます。そして携帯で写真
 を撮って、「なんか笑える」といったとか。ネット用語
 で「テラワロス」という。「テラ」というのは一兆倍を
 あらわす単位。「ワロス」というのは、「笑える」。「
 テラワロス」だから、「いっぱい笑える」、「超笑える
  」。じつはそれをいい放つ人間も世界から孤絶している
 。その人間たちも、関係性の大事なところはモニター画
 面に依存せざるをえない。
  いわば、足下をすくわれるような寂しさというのをも
 っているのだとおもう。たがいにたがいをおとしめあう
 しかなくなっている。極論すれば、そういう世の中にな
 っているのではないかとおもうのです。あの事件の背景
 には、容疑者の青年にかぎらず、たくさんの青年たちが、
 あるいはぼくなんかでも内面にもっているような荒涼た
 る風景というものを見ざるをえないのです(中略)いま
 の世に生きることの、なにか名状しがたい哀しみを禁じ
 えない。「病むべく導きながら、健やかにと命ぜられる」
 そんな背理の世界に生きざるをえない哀しみと、狂いの
 感覚です。
  あの事件はその後に打ちつづく、雪崩を打つような恐
 慌の心的な前触れといってまちがいないだろうとおもう
 のです。それは後知恵としてではなく、あそこに〈なに
 かくるな〉というものを感じたのです。あの青年が特殊
 な人間だったわけではない。あの青年は、あの青年でな
 かったかもしれない。つまり、他の青年と置きかえ可能
 な存在なのではないかという怖さ。哲学的にいえば、「
 被害者と加害者の究極的な等価性」。たとえば、ぼくが
 刺された通行人でもありえたし、あるいは、かれではな
 く、あなたがないしはぼくがあの青年でもありえたので
 はないでしょうか。犯人は捕まったけれども“真犯人”
 がわからないという状態が、引きつづいているとおもう
 のです。あの青年たちに、たとえば「自己愛性人格障害」
 だとか、いろいろな精神障害の名前をつけるのは容易で
 す。というか、あまりにも安直です。病名はつけられる
 けれども、次から次へと発作や痙撃に襲われる人たちが
 でてくるでしょう。誤解を恐れずにいえば、ぼくのよう
 な老人でも、ああいう衝動がまるっきりわからないわけ
 ではないのです。発作や疫学的衝迫が皆無とはいえませ 
 
ん。
  つまり、いまの社会は、人間の生体に合っていないの
 ではないか。合っていないからこそ、断層ができ、ひず
 みができ、それが痙攣のように、発作のように、ある種
 の生体反応として、こらえきれなくなって起きる瞬間が
 あるのではないかというのが、ぼくの仮説なのです。


ここで「進歩」とは「疎外」の原因だが、その「疎外」に「
格差」も「アンリア充」も現象しているわけだ。「生体なき
リアル」からの抑圧が臨界点超えし暴発する。その対策を打
とうにも『自己責任』という呪縛が掛かり、金縛りにあって
いるのだが、それはさしおき彼の主張を詳しくみてみよう。


 時・空間の変容

  かつてマクルーハンーは、『メディア論』のなかで、
 エレクトロニクス時代のテレビ、ラジオ、広告、自動車
 などの多様なメディアの驚くべき展開と文化・社会の

 容との相関を予測しました。そして世界は「グローバル・
 ヴィレッジ」、つまり、ひとつの村になるだろうと。そ
 こでは人間の中枢神経が、身体をこえて拡張していくと
 想定されたのです。そのとき人びとはみんないいました。
 だれもまだインターネットなんかやっていないときに、
 インターネットというのは瞬時に地球の端と端をつなぐ
 のだと。それは人と人をつなげるのだと。
  ところがふたを開けてみると、人と人の関係を結ぶど
 ころか切断してしまったのです。世界は切断された。内
 面が切断されたわけです。人は手間暇かけて会いにいっ
 たりしなくなっていった。ことばもモニター画面にみあ
 ったかたちで空洞化した。そして、世界の切り口という
 か、自分が触りうる世界というのは、モニター画面とい
 う、荒涼たる孤絶状況にある。個々人の内面というもの
 がこまかに切断されて、親、きょうだい、恋人、他者だ
 ちとの関係の質も変わっていった。フェイクでヴアーチ
 ャルなものが原質をおびた実在を、つまりリア充という
 ものを排除した世界になった。これは不思議なことに資
 本の運動法則によくなじんだのです。
  迂遠な苦労とか苦心とか、そういうものがなくなって、
 情報の伝達と情報の受容が、資本の移動同様に、パソコ
 ンで即座にできるということが当たり前になってしまっ
 た。ぼくはむしろそこに恐ろしさを感じます。
  たとえば、本来アルジェリアのオランと東京の距離と
 いうのは気が遠くなるぐらい遠いわけです。ぼくは近く
 まで行ったことがありますが、本当に遠い。ところが、
 メールをしようとおもえばすぐにできる。ぼくが横浜に
 メールするのと同じようにできてしまう。そこに不思議
 さを感じなくなった。もう本当にぼくも遠さを感じない
 のですが、感じないことがおかしいのです。
  つまり、時間と空間を感じる力をぼくらは失ってきて
 いる。ぼくらの時間は、時計化された時間です(中略)
 身体と内面を無視した時計化された時間です。あるいは
 テレビ化された時間で商業資 本によって画然と「こう
 でなければならない」と強制された時間です。その時間
 から転げおちる者は「負け組」になってしまう。ぼくら
 はそういう疎外のされ方をしているのではないでしょう
 か
(中略)。 

                      Bonsai - Manzano chino                          
 端末化する生体

  ぼくはネット、テレビもふくむ情報のデジタル化は世
 界像の扁平なデジタル化だとおもうのですが、即時的な
 情報の伝達と受容が可能になったということを、逆に危
 険なこと、マイナスのこととして考える発想が、いま、
 非常に大切だとおもいます。つまり、即時的にメッセー
 ジが発信され、それを受けることができる世界は、便利
 なようでいて、じつは長期的にはヤバイよと。人間の生
 体として、なにか窮屈な、生体として受けいれることが
 できない無理がきているとおもうのです。これにより人
 間は思考的な生きものではなく、反射的な有機体である
 ことを求められている。末期資本主義はわれわれに思索
 ではなく、反射と即時的かつ即自的な反応のみを要求し
 ている。
  秋葉原事件の青年は、たぶんメディア世界の激変を対
 象化するところまで余裕をもたされていなかった。いま、
 「デジタル・ネイティブ」ということばがあるけれども、
 かれらのばあいも、ほとんどデジタル・ネイティブに近
 いとおもうのです。生まれたときからサイバースペース
 とモニター画面がある。若い人たちは内面の空間という
 ものが、自己身体を意識しないで、自覚もなしに、サイ
 バースペースと一体化させられてしまっている。それは
 抽象的なようで、大問題だとおもうのです。秋葉原事件
 に代表される青年たちの内面世界を覗くということは、
 自分の内面の変調を知るためにも非常に大事なことなの
 ではないかと、ぼくは感じています。

 Jean Baudrillard

  「われわれはみな携帯電話を内蔵した存在になった」
 とジャン・ボードリヤールが書いたのは早くも1990
 年代でしたが、事態はいま、文化論の象徴表現的次元を
 こえて、はっきりと現実化しています。人間が携帯電話
 を身体に内蔵したような生きものになってしまったこと
 は、秋葉原事件の青年だけでなく多くの人が認めざるを
 えない事実なのです。ボードリヤールは「生活とイメー
 ジの過剰接近」や「時間的・空間的隔たりの無力化」に
  より人間社会に「重大な混信状態」が生じるだろうと予
 言していますが、いまがまさにそれです。秋葉原事件は
 ボードリヤールの予感の現実化ともいえます。
  ぼくらのばあいは、青年期になっても、各種モニター
 画面はもとより、携帯もなかったわけです。携帯をもっ
 ているのは、「あんた、サラ金の取りたて業者じゃない
 の?」というぐらいの偏見をもっていたりした。第一う
 るさかったし、人間の所作として異様だとおもっていた。
 電車のなかで携帯をいじって、携帯でしゃべっている。
 ぼくはそれをエツセイにもしたことがあるけれど、異様
 さしか感じなかった(中略)なかなか携帯がつながらな
 かったり、メールをうまく受信できなかったり、あるい
 は自分のパソコンの調子が悪くて起ちあがらなかったり
 したときに、非常に不機嫌になってしまう。逆に、携帯
 もパソコンも非常に快調に受信し発信できているとき、
 検索もスムーズにいくとき、なにか妙に朗らかになった
 りする。つまり、自分の生体というものがデジタル機器
 の端末と化している。その好不調で自分の内面の色あい
 が決められている。それはおかしい。ただ、おかしいと
 つかのま感じてもわれわれはすぐにデジタル世界の蜃気
 楼に存在証明を消されてしまうのです(中略)マチエー
 ルをうばわれると、人間の生体はとんでもないゆがみ方
 をしていくのではないかというのがぼくの直感としては
 あるのです。

        辺見庸『しのびよる破局』/26~37頁


「マチエールをうばわれると、人間の生体はとんでもないゆ
がみ方をしていくのではないか」との仮説をめぐって考察が
なされていくが今日のところはここまで。


太陽黒点なし、百年ぶりの活動極小期か

太陽活動が衰退に向かう。太陽に黒点がないのだという。怖
い話が流れる。百年ぶりの活動極小期だというが(1913年以
来でその年に記録された無黒点日は311日を記録)。その影響
がどれほどかの予想はついていない。 1645~1715年のマウン
ダー極小期と呼ばれる太陽活動の低下した時期はグリーンラ
ンドにわたる海路の大半は氷に閉ざされ、オランダの運河は
日常的に厚い氷で覆われたという。1695年にはアルプスの氷
河が拡大し、海氷も増加しアイスランド周辺の海域が氷で埋
った。このような以前の記録からしても、最近の太陽はそれ
でも活発な方だという。

太陽 生命の源 太陽



夕食が終わり一盃機嫌でブログを再開させたら、USBハブ
が必要になり彼女に運転をたのみ、近くのスーパーマーケッ
トまで買いに出かけた帰り、川岸の道路には桜がほぼ満開。
美しいなといいながら駆け抜けるとその先に大きな夕日が西
近江の山々に沈もうとしている。本当は僕が運転しきみが横
で景色を堪能し眠気に誘われるシーンを歌にしたかった。ハ
ナカイドウ(花海棠、学名:Malus halliana)は、バラ科リンゴ
の耐寒性落葉高木。別名をカイドウ(海棠)、スイシカイ
ドウ(垂絲海棠)、ナンキンカイドウ(南京海棠)という。
中国原産の落葉小高木。花期は4~5月頃で淡紅色の花を咲か
せる。結実はしないことが多い。
人家の庭に多い「カイドウ」。
花言葉は「美人の眠り」。

                          

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母子草とオーバーカムⅡ

2009年04月07日 | 時事書評

道端の小さき御形 母子草 咲き綻びし諸人ときみの



人里の道端などに普通に見られ、冬の水田にもよく出現する。
冬は根出葉がややロゼットの状態で育ち、春になると茎を伸
ばして花をつけ、成長した際の高さは10~30cm。葉と茎には
白い綿毛を生やす。花期は4~6月で、茎の先端に頭状花序
黄色の花を多数つけ、日本全国に見られるが、古い時代に朝
鮮から伝わったものとも言われる。国外では中国からインド
シナ、マレーシア、インドにまで分布するといわれる。これ
までもたくさんのひとたちの心遣いでここまでもれた。ふと
見ると小さく咲き乱れる御形、母子草の群生。社務所には桜
が萬を侍して咲き綻ぶ。春の七草の一つ「ハハコグサ」。花
言葉は「優しい人」。

seven herbs

母子草なづなの花に犬のふぐり小さきはなに蜆蝶舞ふ  






 ぼくはいまのような事態になるまえに、非常に注目した
 ことがあります。2008年に相次いで起きた20代の
 青年による無差別殺傷事件です。それは直接にいまの状
 況に関係がないといえばないのかもしれない。けれども、
 ぼくはあれを、ぼくがいう現在のパンデミック状況の前
 兆のような、兆しのような事件として考えています。
  このことを語るに際して、非常に注意しなければいけ
 ないのですが、ぼくはもちろんあの事件を肯定している
 わけではない。ぼくは crime(犯罪)について語りたい
 わけではないのです。ひとつの犯罪というものはいろい
 ろなものが遠因になって立ちあがっていく。そういう発
 作をしからしめていくプロセスを考えれば、crime に対応
  するか sin(原罪)という面についてこそ深く掘りさげて
 いく必要があるとおもうのです。

       辺見庸『しのびよる破局』/24~26頁


辺見庸は、感染爆発や汎発流行にあたる、感染症や伝染病
世界的に流行することを表すパンデミック(pandemic)も多
用する。
感染症がコミュニティ内で流行することを
エピデミ
ック
epidemic)と呼ぶが、それが規模が大きくなり世界各地
で散発的に起こるようになった状態をいう。


  ぼくがこれから話したいのは、無差別殺傷事件の青年
 たちの心象、心のなかのことなのです。たとえば、三月
 に茨城県土浦市のJR荒川仲駅で起きた事件。あの容疑
 者が日常的になにをやっていたかというと、携帯電話を
 もっていて、ゲームをやっていた。かれにとっては、世
 界の切り口がつねに携帯電話やゲーム機のモニター画面
 なのです。つるつるのモニター画面が世界の切り口にな
 っている。つまり、そこには原質というかマチエール
 いうものはなにもない。スイッチを押せば世界は瞬時に
 消えてしまう。
  いまぼくは、マチエールということばを使いましたが、
 それは人でいえば、においとか温もりとか、冷淡さとか、
 あるいは抱きあったときの感触とか、つまり質感や手触
 りや痛覚のことです。そういう交感可能だったものがい
 ま、交感不可能になっているのではないかとおもうので
 す。ぼくはつよいショックを受けたのですが、かれは携
 帯電話を二台もっていて、一台の携帯電話に別の携帯電
 話からメールを送信していた。つまり、自分で自分にメ
 ールするわけです。それは、おそらくこの青年だけでは
 ないでしょう。  
  ぼくはこの衝動かわからないようでよくわかる気がし
 ます。じつはぼくも携帯電話を予備用に二台もっている。
 ぼくは五年まえに脳出血で倒れてから、右手が自由に動
 かせないので、携帯に依存せざるをえないことがいっぱ
 いある。たとえば、原稿を害くのにも、後発の障害者な
 ものだから、訓練しても左手ではパソコンの操作がひど
 く遅いのです。それで、携帯で文章を打って、それを自
 分のパソコンに送りこむというような作業をしたりする。
 だから気持ちはわかる。
  ふと机の上にある自分の携帯を見て、だれからもメー
 ルがこないときに、自分でメールを入れたい衝動、無意
 識の衝動みたいなものが、ぼくのなかにもあるような気
 がするのです。「がんばれよ」とか「おい、元気だせよ」
 とか慰めのことばとか、あるいは「きみを心配している
 人間がいるんだ」とか。本当はそういうメッセージをじ
 かに欲しいのだけれども、ないときに自分で自分にそれ
 をやってしまう。ぼくはそれをかならずしも奇矯な行動
 だとはおもわない。切ないのです。いまの時代というの
 は、主として若い人たちの多くが、そういう孤絶状況に
 追いやられているような気がします。
  くりかえしますが、ぼくは Crirneの話をしているので
 はなく、犯罪の底にある人間の原罪のようなものについ
 て話したいのです。いまの資本主義のシステムが日々に
 たきつけ、生成しているsinを見きわめたいのです。もう
 一台の携帯から自分の携帯にメールを送信する行為が狂
 気じみているというのであれば、われわれはすでにみん
 な狂気じみていると、ぼくはおもうのです。

      辺見庸『しのびよる破局』/24~26頁


孤独な自分に対し激励したい行動が‘ひとりごと’なのか‘
うちこみ’なのかの違いがあるだけで‘衝動’にあることに
変わりない。それが高度資本主義社会では携帯であったりパ
ソコンが‘手段’いや、‘メディア’違いであるだけでここ
だけではその背景の‘遠天’の違いがわからない。


 Linear motor car 

パソコンとの付き合い相当長く25年になるが、いまでも欠
陥商品ではないかと思っている。1週間近くエクセル2007の
ソフトだけが調子悪く、いよいよ起動しなくなりマイクロソ
フト社のサポートセンタとコンタクトし指示を仰ぐ。ウイン
ドウズ・ビスタの立ち上げを早くするソフトを削除すること
でエクセルが使えるようになったので腰痛対策と気晴らしに
久しぶりにジムに行くとマイクロソフト社からセルラーフォ
ーンに連絡が入る。「いかがでしたか?」「いまはジムに来
ている」「ジムですか」、少々安堵の声。「直りました。有
り難う御座いました。」と短い遣り取りをした。しかし、高
速化ソフトを削除したのでこのブログもサクサク感がない。
気の重いことだが解決の道筋が見えたので明日対応しよう。


ところで、サウナに入っていたら森田健作知事の報道がされ
ていたが、彼は公約として「海蛍」の通行料金を千円から八
百円へ割り引くことと、成田-羽田間のリニアモータカーの
導入を掲げていたことを知る(公明党も支持している)。財
務派の橋下徹大阪府知事や営業派の東国原英夫宮崎県知事、
元青島幸男東京都知事とは違うタレント知事で、悪くいえば
旧来の土建派自民党の風貌を感じた(ミニ角栄)。しかし、
公約の通行料金で言えば、民主党の高速料金無料化で対応(
「楽市・楽座政策」)可能だし、リニアモータカー導入は反
対ではないが、乗客の移動から物流(貨物用地下新幹線)の
全国物流専用にシフトさせ地下10~50メートルの地下ト
ンネルを高速運行させることを考えていたから、単に高架線
を時速五百キロメートルで乗客を乗せ走らせるだけでは、上
海の後追いでは
面白くないし能がない。


ザ・コア 映画『ザ・コア』

それだけではない。小子高齢社会と高度情報化社会で、ビジ
ネス分野の出張はウェブ会議や電子メールで充分だ。まして
『デジタル革命』である。もはや、土建製品は反「独活
の大
木」的製品の時代だしエコな時代でもある。やるからには、
地下なら景色も関係なく空気抵抗の問題解決すれば時速五百
超キロメートルで東京-大阪、1時間の物流が実現する。た
だ、リニアモータは同規模の出力の回転型電動機と比較した
場合、損失が多いため、消費電力が増えるが、ディーゼルエ
ンジン主体のトラック輸送を考えれば環境
問題はクリアだが
初期投資が膨大だなぁ。ところでネタ話をするとこの発想は、
映画『ザ・コア』からきている。地中をうねうねと走り回る
イメージ。陸地面積の狭い日本、宇宙空間は、米国に任して
おいて、日本は海洋・海底・地中のプロジェクトに集中して
みてはどうか。


 Perfume リニアモーターガール

リニアモーターカー (Linear motor car) とは、リニアーモータ
により駆動する鉄道車両
。JRマグレブの最初の開発者であ
った
京谷好泰が名付けた。単にリニア略すこともあるが、時
速五百キロメータと高速で静かでシンプルな機構で保全が簡
単という特徴をもつ。動作原理により、リニア誘導モータ(
LIM, Linear Induction Motor)、リニア
同期モータ(LSM, Linear Sy-
nchronous Motor
)、リニア
直流モータ(LDM, Linear Direct Motor)、
リニア
ステッピングモータがある。ローレンツ力を用いた電
磁式リニアモータだけでなく、
超音波モータと同じ作動原理
である
ピエゾ効果を応用した圧電素子で駆動するリニアモー
タも存在する。
実は、退職前(証券コード:7735)は液晶パ
ネルの機能性塗膜のコータの開発をやっていて、三菱電機の
リニアモータを使い大面積のコータの製造技術はトップ・ク
ラスだ。『列島オール電化構想』、ネタはそろっている。


時々の花は咲けども 何すれぞ母とふ花の咲き出で来ずけむ 

                    『万葉集』/防人の歌






 

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蓮華草とオーバーカムⅠ

2009年04月06日 | 時事書評


歳くえば 疑い訝り吾知らず 素直に童に 蓮華草に聴く




昨日も小宮祭、献湯祭、自治会への春祭りへの協力依頼など
ででづっぱり。おまけに篝火用の薪割は大人8人がかりと汗
を流したのはいいが、持病の腰痛が悪化。フェイタスを貼る。
一昨日は、ブログ『 紫花菜と寒もろこ』の棚花豊和の手術を
前に仲間と見舞いに行く。進行性小脳萎縮症という難病で、
気道と食道を制御する筋肉が機能しない。口蓋垂と喉頭蓋が
離れ、気道と食道が平面交叉をしていて、食べものを呑み込
むときは喉頭を引き上げて気道をふさぎ、一時的に呼吸を停
止できない。咽頭の気道と食道の交差点を「魔の十字路」と
呼ぶらしいが、高齢者の嚥下性肺炎も大変なのだが、食べた
ものが気道に入るというのであれば致命的だ。一生懸命話し
かけてくれた。「もう話せなくなるから」と。

 脊髄小脳変性症

身寄りの家族が大阪に離れているため、入院、手術手続きの
世話をしたという仲人である杜茂雄が手術後は美味しいもの
が沢山食えるというと、同席する年下の司悟らとともに、
大部屋の患者には迷惑なことだが大笑いとなった。その杜茂
雄は見舞いの中で年金のことを話しだした。「年金を当てに
するようになったからこの国がおかしくなった。元気な内は
働き続けなきゃ」と冗談とも本気も取れないことをいったが
このことは韻を残した。

それにしても、淋しい話だ。見舞いもろくに来てもらえない
時代なのか。三十年前、手弁当で彼を担ぎ出し、候補者の名
前を連呼せず、「琵琶湖周湖の歌」を流しながら選挙を戦っ
た‘同志’だというのに笹木寛と今回の見舞いの四名だけだ。
‘同志’といえど内実のベクトルはそれぞれ異なるのは承知
の上とはいえ、一報が入れば駆け付ける‘気概’は失いたく
ないと自分に言い聞かせる。




 

気が滅入る話をも1つ。個人情報保護の過剰性からか、住宅
の表札が掛かっていないところとか、あってもほんの小さな
表札しかない家が増えた。自治会やPTAの活動で当該住宅
を探すのが大変という話。資本主義社会が‘過剰生産’とい
う呪縛からいまだ解放されないように、‘過保護’も過ぎる
と生き辛くなる。思うに、表札を掛けろと強制したくないが
表札を掛けることで人権を堂々と主張できるというもの。そ
れをしないのは、どこかで、人権を抑圧する側と密通してい
るのではと訝るのは極々当たり前のことと思えるが。


  人びとを病むように育て導きながら、健やかにあれと
 命じる資本主義はいいかえれば、人間生体を狂うべく導
 いておいて“狂者”を(正気を装った狂者が)排除する
 システムです。しかし、生体はそれに慣れ、最後的に耐
 えることができるのか……ぼくはそのことがとても気に
 なります。
  ケインズは1930年ごろ、20世紀末には過に15
 時間程度働けば暮らせるようになる、生活のクオリティ
 も上がると予言していました。でもそれは滑稽なほどち
 がっていました。むしろ逆でした。実際にふたを問けて
 みると、とくに1980年代以降、経済発達国ではたい
 ていどの国でも労働時問が増加していく。労働がどんど
 んどんどん過酷なものになる。それから、競争主義、業
 績主義が主流になっていく。鬱が蔓延する。自殺が増え
 る。さらに不平等が拡大していく。そういう経過をたど
 り、あげくに現在の大失業時代がきたのです。資本主義
 の歴史はじつは精神病の生成史に重大な関連があります。
 資本主義はとりもなおさず、人間生体を強制的に変えて
 いるともいえます。
  そして、これがいちばん恐ろしいことなのですが、経
 済的、生活的不平等が、あるいはいろいろな権利の格差
 が人間社会にあるのは当たり前だという考えがいつの間
 にか常識化した。四、五年まえから日本でもそうなって
 きました。これはなんとしてもくりかえし考えなければ
 いけないのですが、諸権利、生活の快適さ、教育、災害
 が起きたときに安全なところに住めるかどうかというこ
  とをもふくめた不平等、あるいは雲泥の差ほどの収入格
 差が当たり前で、これも能力と自己責任なのだという考
 えが常識化するなかで、実際は、人間の内面が次第に変
 わってきたのではないかとおもいます。
  
         辺見庸『しのびよる破局』/18頁


辺見庸の近著をもとに『破局の乗り越え』を考えようと思い
立ったが、今日の事始めはこの件から入ってみよう。なる程、
ケインズの‘静態的な’預言は外れたが、人間の欲望はダイ
ナミック(動態的)に拡大し続けているから生産性向上分を
差し引いたとしても、その差異の増加は労働時間に比例増加
し続けるだろうし、その物差しを一人当たりのGDPに求め
たとしても逓増しているのは明白だろう。辺見庸が多様する
「資本主義」に「欲望が先か搾取が先か」との問いかけを
いれたとすればどうか。そして、その回答が「巧妙な搾取シ
ステム=‘資本主義’」という図式を脈絡から読み取れる気
がする。

できるが、「巧妙な搾取システム=‘資本主義’」ではなく
「搾取」を「欲望」と置き換えて、「野放図な欲望喚起シス
テム=‘資本主義’」と置き換えたらどうなるか。従って、
この先進諸国社会の陰の部分は「抑圧」ではなく「自家中毒
」ではないかと思うが、この差異が‘彼’と‘私’の距離と
なってあらわれて来るだろうと思う。


ヨシフ・スターリン 

北朝鮮のミサイルの先端が「人工衛星」でなく「仮想核弾頭
」であったことが明らかになった。これで、舞台は、国連と
六カ国協議と二国間協議(これは北朝鮮が拒絶)となるが中
国、ロシアは、ロシアマルクス・スターリン主義の、あるい
は、‘朝鮮動乱の地政学的構図’の‘負の遺産’を引き摺る。
本当のことをいえば、こんなものとさっさと棄て去りたいと
思っているだろうが、過去の経緯を暴露されて困る度合いが
消極的な姿勢として反映されるという意味で、北朝鮮は旧冷
戦大国を‘恫喝’している。そして、さっさと捨て去られて
困るのは、韓国と北朝鮮ということになり、良心的な国民に
とっては北朝鮮が文字通り‘自爆テロ国家’に走ることを一
番怖れている。その意味でいえば‘米国産経済危機’への「
油断」(堺屋太一)が、回りまわって暴発の危険性の切除を
遅らしたと言って良い。



もう一つの気がかりというか、『
カルミアとリチウム』でブ
ログした電気自動車への過剰な期待である。電気自動車社会
のメリットは、①カーボンリスクの逓減と②排気ガスによる
アレルギーや呼吸器疾患の逓減、そして、③騒音という環境
側面への多大な貢献予測だ。尤も、貢献度の見積金額が大規
模で地下化石燃料との総合的な比較で経済効果が計れれば超
資本主義社会(=‘文質淋淋’社会=前社会主義社会)にま
た近づくことになると思っているが、部品点数が少なく内燃
機関方式より仕事量が少なくなる。両方式の並行する移行期
間(5~6年間)の直接的な経済効果が高いので不況対策に
は有効だが、それ以降の労働シフトを計算に入れておく必要
がある。



チャンネル アイコン Joan Baez

辺見庸の『しのびよる破局』をとことん突き詰めこれを突破
する光明を考えていて、“We shall overecome”を思い出し
‘オーバーカム’が気に入りこれをシリーズにしようと決め
た。

チャンネル アイコン Johne Edwards

 Peter Seeger

Seeger at the Clearwater Festival 2007. Pete Seeger


 Astragalus sinicus

今日は正直いって強烈なスケジュールだった。道路使用願い
に警察回り、社務所の燻煙、長芋、生姜、里芋の植え込みと
あっという間に夕食。歳を取ることは頑固で、‘自己中’と
ろくなことない。童に戻り素直に感化されるような感性が欲
しい。そんな歌を書く。

ゲンゲ(紫雲英、学名 Astragalus sinicus)はマメ科ゲンゲ属に
分類される越年草。中国原産。レンゲソウ(蓮華草)、レン
ゲ、とも呼ぶ。春の季語。かつて水田に緑肥として栽培され
現在でもその周辺に散見される。岐阜県の県花に指定されて
いる。童謡でおなじみの「レンゲソウ」。花言葉は「感化」。

 ひらいた ひらいた

ひらいた ひらいた なんのはなが ひらいた
れんげのはなが ひらいた
ひらいたとおもったら いつのまにかつぼんだ

つぼんだつぼんだ なんのはなが つぼんだ
れんげのはなが つぼんだ
つぼんだとおもったら いつのまにかひらいた

          わらべうた/編曲:立川 智也・風琳

 UA

コメント

翁草に月と太陽

2009年04月04日 | 時事書評


貧風に 白きマントに包まれし翁草にも きみとシェルは似て




卯月になればかなり忙しくなるということは分かっていたが、
昨夜もブログできなかった。一昨日も宮世話の仲間と酒菜『さ
くら』で‘呑みニケーション’。鯨の刺身やわさび菜の醤油漬
や新酒を肴に情を深めたわけだ。高度情報社会になっていまだ
にこんなことをやっているのかと訝しがられるが、フェース・
ツゥー・フェースのこの時空間はそのひととなりの追体験には
絶好であり、良き日本的慣習だと改めて思う。




昨年のいまごろは街にはぴかぴかの車が走っていたが、いまは
故障や事故傷の車を多く目にすることが多い。ハンドルを握り
ながら不況の深まりを実感し腑に落とす。そういえば、身近で
も金策に血相を変え走る話を耳にするようになったし、また、
親しい人達も次々と転職退社するとのメールが届いてもいる。


しのびよる破局

予約していた辺見庸の『しのびよる破局』が佐川宅急便で届く。
早速、読み飛ばしこれは熟っくりと読む値打ちのある本だと思
い定めた。ここで触りの結びから考えてみよう。


 すなわち、資本主義とは、世界の“いうにいえな本質であ
 り、無意識であり、現象である。夜なのに夜ではなく、正
 気なのに正気ではなく、じつのところ、統一的な価値系か
 どうかもうたがわしい。さらに問題なのは、資本主義とい
 う自己像を醒めて対象化することに世界は長らくあまり熱
 心ではなかったことだ。が、あたかも復旧不可能なシステ
 ムダウンのように破局に瀕しているいまだからこそ、私は
 一縷の望みをもつ。資本主義のアポリアを粛然として解こ
 うとする人びと、システムダウンの暗がりで沈思する人び
 とが、これからはかえって増えるであろうと。

 アポリアとはたとえば、こういうことであった。「先進産
 業文明には、快適で、摩擦がなくて、道理にかなった、民
 主的な不自由が、ゆきわたっている」(H・マルクーゼ『
 一次元的人間』生松敬三・三沢謙一訳)。マルクーゼがこ
 のように縒れた離接原理的な表現をあえてし、「産業社会
 の端緒と初期段階における核心的な構成要素であった権利
 や自由は、この社会のより高度な段階の前に屈服し、その
 結果、それらの権利や自由は伝統的な合理的根拠と内実を
 失いつつある」と書いたのは、1960年代だった。しか
 し、資本主義が離接原理や排中律を自己身体にふくみをも
 ったまま、なぜかそれらを止揚も統一もせずに、ある意味
 で言語化されるのをこばむかのようにして、しかし、生き
 生きと命脈をたもってきたわけは、これまでだれによって
 も得心のいくかたちで明らかにされてはいない。換言すれ
 ば、〈資本主義はすばらしいのに、同時になぜこうも益体
 もないのか〉の謎は、はしなくも資本主義が予想だにしな
 かった劈関節をさらしているいまこそ、徹して思考され、
 表現されるべきだし、その可能性もあるだろう。それこそ
 が光明である。

               『断章 最後の中の“光明”について』


 Jacques Derrida

アポリア(Aporia, ギリシャ語
: ἀπορία, 「行き詰まり」「問題
解決能力の欠如」「困惑」「当惑」の意味)とは、
哲学的難題
または困惑の状態を指す。もっともらしいが実は矛盾している
前提の結果として生じることが多い。さらにアポリアは、そう
した難題・行き詰まりに困惑させられた、つまり途方に暮れた
状態のこともいう。アポリアの概念はギリシア哲学の中に見ら
れるだけでなく、
ジャック・デリダ哲学の中でも重要な役割
を果たしているというが、辺見庸のこの問いかけを絶対に外す
ことが出来ないと心の奥に置いた。



political regime

それにしても、我が国の政治は救いようがない。といっても間
単に解決出来ないことは辺見庸の本でなくともわかるというも
のだ。責任を取らずぐずぐずと権力にしがみつく政治家やその
応援団の様は、「国家とは最高道徳だ」とアリストテレスの言
葉で‘ノブレスオブリージ’であり、『恥の文化』とは無縁の
世界をテレビで見ている。そのために『二大政党制』はわれわ
れの北斗七星だったはずだ。欧米流のこの政治制度をユダヤの
陰謀という軽薄な情報の流布が絶えない。

 


 たとえば我が国の民主党にあって、自民党の公認をとりつ
 けられないので民主党から立候補したという政治家が少な
 くないのだが、それを正当化するのに、「アメリカではリ
 ベラルデモクラシー(自由民主主義)が唯一の政治理念と
 なっている」という事実が取り上げられる。実際、民主党
 前代表の前原誠司氏がそのような発言を行っていた。政治
 理念が唯一ならば、諸政党の政策体系に大差が生じること
 はないという判断だ。政策にして(いわゆるクロスヴォー
 ティングつまり“相手党の政策に賛成し合う”ことも起こ
 りうるほどに)大同小異ならば、所属政党の問題は二の次
 とされて当然である(中略)民主党が「寄合世帯」である
 というのは一つの可能性でもある。(小沢氏らの)自己責
 任論も(前原氏らの)自由競争論も、(菅直人氏らの)市
 民主義論も(旧社会党系の)社会保障論も、それぞれに一
 理か二理かはある主張である。必要なのはそれらを、歴史
 感覚ゆたかな国家論として、ということは保守的な構えに
 おいて、総合してみせることであろう。自民党が権力闘争
 のなかで革新党に変じ、そこでかなぐり捨てた保守の姿勢
 を民主党はきちんと拾えるであろうか。この唯一の論理的
 可能性は、しかし、どうやら実現不可能であるようだ。

                      西部 邁
      『【保守再考】(4)死滅に向かう保守政治 』                                                     
                    
 北斗七星

最も、‘三大政党制’が成立するのであればそれもよいだろ。
しかし、この狭い国に政治政策の‘選択と集中’を中国のよう
な大国ならいざ知らず、狭い国で中選挙区制が上手く機能する
とは思えない。まして、前原誠司のいう政策理念的なものが最
優先とは認めがたく、『権力は必ず腐敗する』ことへの防止命
題としての仕掛け、しくみを第1優先だと置く。そして、「太
陽と月」の陰陽二元論としての二大政党制が、西部邁のいうよ
うに‘クロスヴォーティング’が常套なら共産主義国家体制と
なんら変わらないが、無謬性を核に置く宗教活動を認めない共
産主義国家もまた宗教だという歴史的な学習からは肯定出来な
い。





西部邁のようなニヒルな倒錯感を持たない。寧ろ、そんなこと
を詮索したところで状況は動かないと直感している。見方を変
えると多少は野蛮(バーバル)な感じをもたれようと、リアル
な世界とはそんなものだと思っている。試行錯誤に怯む間はな
いと。はじめて民主的な選挙制度を導入した時、回収集票の途
上選挙箱を互いの陣営が奪い合うという無法行為を経験してき
た。それこそ西部邁的に語れば、そうやって真剣で滑稽な歴史
的限界の乗り越えを行ってきたのだと言える。成熟した国家体
制では、絶対無謬を信条とする政治権力思考を経験主義的に排
除し選挙民の選択結果を是とし判定が決まれば、三、四年乃至
は五年毎に政権担当党派と下野党派を選択し交代を繰り返す選
挙制度の常態は、極めて合理的だと思える。そういった意味合
いで、じれったい程の賭場口に佇んでいるのである。





ここだけの話、多部美華子のファンだった。『鹿男あおによし』
以来ずっとだ。これもセカンドライフのお陰だ。NHK朝の連
続テレビ小説『つばさ』を観られるとは思っていなかった。こ
こだけの話だが、これは「ひ・み・つ」だ。


 Pulsatilla cernua

オキナグサ(翁草、学名: Pulsatilla cernua )は、
キンポウゲ科
オキナグサ属の多年草。高さは、花期の頃10cmくらい、花後の
タネが付いた白い綿毛が
つく頃は30cmくらい。葉は複雑に切れ
込み白い毛におおわれる。花期は4~5月で、赤黒色の花をつけ
開花の頃はうつむいて咲くが、後に上向きに変化する。本州、
四国、九州に分布し、山地の日当たりのよい草原や河川の堤防
などに自生する。かつて自生していた草地は農業に関わる手入
れにより維持されていたが、これが荒廃したこと、開発が進み
それに山野草としての栽培を目的とした採取により、各地で激
減している。


幻の野草となりし翁草 うぶ毛に赤き鐘花の咲く    尾辻文弘


リアル不況の陰翳の深みが増のはこれから。淑やかに華麗に畦
や堤に咲く曼珠沙華の様に暖かな白いマントに包まれた翁草は、
まるできみとシェル(愛犬)のようだと歌う。歌うが毎日のよ
うに書き綴るが、俗に「てにはを」(弖爾波乎)と呼ばれ、こ
れは漢文の読み下しの補助として漢字の四隅につけられたヲコ
ト点
を左下から右回りに読んだ時に「てものにはを」となるこ
とに因るとされる助詞の使い方に苦闘している自分がなんとも
おかしい。
 助詞の起源                              
   



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