極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

発酵食品立国の道

2012年08月31日 | 医療健康術

 

 

 

 

「さらば、口臭よ!」(『口臭のない春パスタ』)と格好いいこと言いながらデスクワーク中心で胃酸過
多、あるいは胃下垂と歯周病あっとこれは直接関係ないか、問題は解決していない。また、ヨーグルトの
百日間の試食でも効果はなかった。といえど、メーカの過剰広告には当たらない、DNAがひとを選ぶの
と同じく乳酸菌がひとを選んだに過ぎないのだが、口内の殺菌消毒の励行に切り替え要観察中。ところで、
最近、彼女が塩麹に凝っていて、塩麹ハンバーグとか、豚ロースの塩麹焼きや鳥胸肉の塩麹焼きなどが食
卓に上がるようになった。味の方はというとなかなかのもので、さっぱりとした薄い酸味が爽やかさを残
すようで、ワインビネガーなどの食酢を微量加えた風味がする。悪くない。ところで「こうじ」に二つの
漢字があり、こうじは、米、麦、大豆などの穀類でつくるが、それらのこうじ全般を表す漢字として、現
在では主に『麹』という字が使われてこれは中国から伝わった漢字で、もうひとつの『糀』という字は、
明治時代にできた国字(和製漢字)で、米糀のみを表しているとか。米糀は、蒸し米に麹菌をつけて発酵
させたもので、米糀をみると、ふわふわした白い菌糸が蒸し米の表面を花のように覆っているので『糀』
という文字を使ったんだという。

この塩麹の人気の秘訣は4つに集約され、1つは家庭で仕込んだとしても熟成期間の1週間~10日間、1
日1回かき混ぜるだけで仕上がり、熟成後は冷蔵庫に入れて手入れなしに保存でき手軽に扱い易い。2つ
めは、酒粕と違い、味わいにくせがなく年齢層を問わずに受け入れやすいこと。3つめに、味にくせがな
く、塩麹を使うことで食材の味の良さを引き立て、棘々しさをなくしまろやかに仕上げる。そして、4つ
めは、基本的に塩を使う料理なら、何でも使うことが出来るというマルチプレーヤにあるという。


栄養や医療的側面からは、乳酸菌と同じように、塩麹のベースとなるこうじ自体が、麹菌という生物が繁
殖す。麹菌は伸ばした菌糸から様々な酵素を生成し分泌し、その酵素を使い米や麦などのでんぷんやたん
ぱく質を分解して自分の栄養分とする。麹菌の繁殖活動で分泌される酵素は実に百種類以上あると言われ、
たんぱく質を分解するプロテアーゼ、脂肪を分解するリパーゼなど生成し分泌する酵素は人間の体をつく
る上で非常に有益なものだ。また、米麹からつくられる甘酒を「飲む点滴」と呼ばれるように、分解によ
り貴重なビタミンB1、B2、B6、葉酸、必須アミノ酸、ブドウ糖、GABA、α-エチルグルコシドペ
プチドなどの栄養成分がつくりだされ、血圧降下や体重(皮下脂肪)増加抑制などの効果がある。実際に普
通の白米と米麹を比べてみると、白米にはない成分が、およそ四百種類もつくり出され米麹に含まれるこ
とが分かっていという。

さらに、歴史的には塩麹は、麹と塩、水を混ぜて発酵・熟成させた日本の伝統的な調味料。日本では古く
から野菜や魚の漬物床として利用されてきたが、2011年後半頃から様々な利用法で人気を博すようになり
塩麹を利用した様々なレシピが書籍や料理教室で公開され、福井県ではゆるキャラも考案されるなど、PR
の動きも広がっている。麹は、奈良時代から酒造りに使われて、江戸時代でもいろいろな塩麹を使ったレ
シピがあったという記録もある(『本朝食鑑』)。麹屋さんと言って麹を販売している店が、昔は町のあ
ちこちにあり、味噌などと同じように家庭で作って利用してきた。麹発酵食品や甘酒、塩麹で漬けた漬物
など、現在ではたくさん商品化され、いつでも手軽に食べることができるが、調味料としての塩麹自体は
商品化されていなかった。栄養価も高く、おいしく、手軽に利用できることから、塩麹の良さを見直そう
という動きが日本の各地で起こり、1831年創業の福井県の老舗味噌店「米五」社長が2010年頃、万能調味
料である塩麹を、家庭で作ることもいらないように試作品を作り売り出した。現在、福井県では「塩野コ
―ジ君」というゆるキャラも作られ、積極的に塩麹をアピールしているという。また、大分県の創業320年
以上の老舗麹店「麹屋本店」の女将浅利妙峰が、5年前から塩麹を普及させるため、麹で作った調味料を
使った料理教室を開催し、口コミなどで広がっていき、最近の健康志向ブームとの相乗効果で、2011年こ
ろから全国的に知名度が上がりブームの火付け役となった。現在では様々な食品メーカーから、塩麹が商
品化されるようになった。


滋賀県では、各家庭で自家製のふな寿司をつくる習慣があり、すたれてきたとはいえ、町内の寄り合いや
行事には話題にのぼることが恒例である。それでも麹屋を営む店は確かに減ってきている。ところで、日
本国には、味噌・酒・豆腐・しょうゆ・かまぼこ・豆腐・漬物など様々な伝統食品があり、その多くは発酵
食品が多く含まれている。これらは土地の産物や気候、風土を生かして作られていて、それぞれにその土
地の人々の知恵や技や工夫が隠されている。歴史的には、醗酵食品は、有史以前から存在していた長い歴
史があり、現時点で確認されている考古学的に最古の醗酵食品は、8000年前のコーカサス地方のワインで
ある。また、イランでも7000年前のワインを作成した証拠が確認されている。また、発酵食品は、そのま
までは食用が難しかったり風味の面で素材そのままでしかなかったものを、微生物に分解させることで食
用に適するようにしたり、新たな風味を創出するという意味があるが、最近は食生活が豊かになり、変わ
った食品や珍しいものを求める消費者に迎合して伝統食品という名前だけの製品も増えている。このよう
に発酵食品は、美味しい、栄養価が高い、保存出来るといった3つの力をもち他の食品にない特徴をもつ。
いる





実際、彼女の料理を口にして、これは美味で世界的な調味料の1つに加えられても不思議でないと思えるものだし
そのことは、現在のブームモーメントの証なんだと思わせた。レシピも沢山考え出されているし、麹の種類と食材や
ハーブなどの副食材、あるいは、昆虫食のような動物を含めた新しい組み合わせのなかからも、新しい麹パワーを
もった食品が開発される可能性もある。日本の高品質・高付加価値な醤油・ウスターソース・醸造酢・味醂・甘酒・味
噌などの調味料にまた1つのニューカマーが世界を席巻し、体力・知力・美容・健康・福祉増進に貢献する日は近い
かも知れない。そう確信した今夜のブログを書いている。

コメント

すでに革命は起きている。

2012年08月30日 | 時事書評

 


【すでに革命は起きている】

米大統領選挙で共和党の体制が決まった。いままでの「行政機構縮小・強兵覇権」路線は変わらず
だ。相変わらず日本では「自(公) vs.民主」の総選挙に向けてチキンレースだ。戦後初めてのマ
ニフェスト選挙で大躍進した民主党は自滅的にその支持基盤を弱体化させた。不慣れもあるが、外
交、経済の非力さを露呈した。後は、大震災・原発事故と異常気象のダメージなど同情すべき点も
ありそれなりに良くやったと思っているが、消費税増税は晴天の霹靂だった。時代は大転換の渦中
にあり、諸々の既存政策や手法は、柔軟に見直さなければならない(例えば、財政上の禁じ手→タ
ブー)は官僚らの頭にしか存在しない
。とはいえ、新政策の遂行→雇用拡大→
円高是正は順
逆不二だ。維新の会が次期選挙に打ってでるということだが、非レセフェール・行革推進
・反覇権
(反武力支配)・環境配慮優先)という立
場で、わたし(たち)は世界の動きをみている。そして
「世の中がひっくり返るような出来事がこれから起こらないと
は限らない」(吉本隆明『13歳は
二度あるか』大和書房)と指摘していたが、世の中がひっく
り返る事態(=革命)はもうすでに起
きていると思っている。

 13歳は二度あるか

ナノ素材として期待がかかるカーボンナノチューブである種のチューブを吸引した場合、アスベス
ト(石綿)と同様に作用し、悪性中皮腫を引き起こす可能性がある→長繊維状のカーボンナノチュ
ーブは、構造がアスベストファイバーの構造と似ているだけでなく、その作用も酷似していると発
表ていた名古屋大の豊国伸哉教授らのグループが、今度は商業的に使用されたすべてのアスベスト
繊維(石綿)による中皮腫発がん過程において、鉄過剰が主要な病態になっていることを発見。こ
れにより、すでにアスベストに曝露されたひとへの予防法の開発が期待できるという。これはラッ
トの腹に特殊な鉄分を過剰に投与し、腎臓がんを発症させたラットのがん細胞から染色体を抽出し
人の腎臓がんの染色体と比較することで、似た位置に欠損や増加などの変化を確認したためだ。

 

この「静かな時限爆弾」は、鉄必須栄養素であり成人1人あたり4g含まれ、その60%は赤血球中の
酸素運搬タンパク質ヘモグロビンの構成成分として存在する鉄が2、3価と価数を変える遷移重金
属であるため、鉄分が過剰になれば化学反応の触媒として活性酸素を発生させることで引き起こさ
れるという。アスベスト問題は第二次世界大戦下で黙殺されたが、1964年に入り有害であることが
明るみにされ、日本では1975年に吹きつけアスベストの使用禁止された(それまでも、それ以降も
わたしも多少は被爆していたかも知れないが)。この様に、デジタル技術の深化で被検細胞遺伝子
解析の迅速化が貢献している。

ソニーは、業界最大クラス※184V型の4K(3840画素×2160画素)液晶パネルと、超解像高画質回路
「4K X-Reality PRO」が実現する高精細の大画面映像、高音質で迫力あるサウンドにより、これま
でのテレビでは味わえなかった臨場感を体験できる4K対応液晶テレビ〈ブラビア〉を世界全地域で
年内より順次発売するという。我が家にソニーの42V型に4年前買い換えたばかりだというのこれは
どういことだ、という早さだ。もっとも基本技術は確立できているので、単なる高品位機種という
ことになるのか、キラーアプリケーションになるかはもう少し見てみないと分からない。


東海、東南海、南海地震などが同時発生するマグニチュード(M)9級の「南海トラフ巨大地震」
について、国の有識者会議は29日、被害想定などを公表。死者数は最大で32万3000人。そのうち津
波による死者は全体の7割の23万人に達する。有識者会議では、迅速な避難により津波の死者は8
割減らせるとして、国や自治体に対し避難施設や避難路の確保を図るよう求めている。有識者会議
は3月に震度分布や津波の高さを公表したが、今回はより精度良く計算し、浸水域も求めた。津波
や地震の揺れのパターンを組み合わせ、季節・時間別の被害を想定した。死者32万3000人となるの
は、在宅者の多い冬の深夜に発生し、東海地方の被害が大きいケース。死者数は東日本大震災の死
者・行方不明者(約1万8800人)の17倍で、国の中央防災会議による2003年の三連動地震想定の死
者2万5000人の13倍。負傷者は62万3000人、救助が必要になる人は31万1000人と推定した。

この成果の反響や議論はこれから深化されていくだろうが、地震の影響を数値化、図像化した意義
は大変大きい。ここまでオープンにされたケースは世界ではじめてではないだろうか。関係者の努
力に感謝したい。これをたたき台に、行政関係機関・民間組織・地域住民の防災施策の始動と訓練
に役立つものと考える。また、スパーコンピュータのデジタル技術などの科学技術がこれほどまで
貢献した例もないだろうと考えている。




そなことがわかるものか?と思ってしまった。いままで、宇宙でグリコールアルデヒドが見つかっ
た場所は2つしかなかった。1つは天の川銀河の中央にある巨大なガスと塵の雲の中心部近く、も
う1つは、地球から2万6000光年離れた巨大な星形成領域の中だというのだ。この2つとも、今回よ
りはるかに遠い領域で解像度もはるかに低いため、分子が存在する位置を正確に特定できなかった
が、今回発見された糖類は、若い恒星IRAS 16293-2422を取り巻く温かいガスの中で見つかったもの
で、チリにある大型の電波望遠鏡、アルマ望遠鏡(ALMA:Atacama Large Millimeter/submillimet-
er Array、アタカマ大型ミリ波サブミリ波干渉計)により観測されたというのだ。これで単純な糖
分子が地球から約400光年の距離にある恒星を取り巻くガスの中を漂っていて、地球以外の惑星にも
生命が存在する可能性を示唆しているのだという(デンマーク、コペンハーゲン大学の主任天文
者イェス・ヨルゲンセン(Jes Jorgensen)談、National Geographic News August 30, 2012)。

 

それどうしたかって?このレベルはわたしの寿命の外延に想定される事変の範囲を超えているから、
今夜のブログテーマから外れてしまうが、そこまで議論できるレベルに到達していることは理解で
きる。そうかと思えば、近江鉄道が鉄軌道上に7月下旬に散布した除草剤が周辺の水田に広がり、
稲穂が枯れる被害が出ていることが30日、分かったという。同社の調査で一部の稲穂から基準値を
上回る農薬を検出した(いずれも収穫前のため市場には流通していない)。ここでは使用農薬が異
なることでどうのように作柄に作用するのか不明なままにある。そんなコントラ(陰影)を感じて
いる。


 

コメント

オ!ピン!デザイン!

2012年08月29日 | WE商品開発

 

 

【オ!ピン!デザイン!】





米国の若きデザイナー、スコット・ヤングは、安全画鋲(O-Pin)やフライパンと料理皿を兼ね
た取り外し自在取手、モトローラ製分散形電源の運転状態検出装置(最下図の電中研システム
技研の写真も併せ参照)、つまり、受電家庭の受電状態を遠隔操作で自動的最適化し、省エネ
を図るつつ、送電側の運転をコントロールするものなどのデザインを制作。すべてはデザイン
により決まることを実証して見せてくれている。




 

【浮体式洋上風力発電試験スタート】

環境省は、長崎県五島市の椛島沖に設置した洋上風力発電の試験機を稼働させた。発電施設は
「浮体式」と呼ばれる海上に風車を浮かべるタイプで、今後、九州電力を通じて一般家庭など
に電
力を供給する予定。同省によると、浮体式の発電施設からの電力供給は、国内初となる。
洋上浮力発電方
式の種類はさまだまだが、海洋国家日本の本格的な海洋風力発電時代の扉がい
ま開かれようとしている。
 

 
浮体式洋上風力発電施設技術基準
特開2012-097713

【符号の説明】

10、40、50、60 浮体式洋上風力発電施設 11 ローター 12 回転軸 13 ナセル
14 回動座軸受(回動手段) 15 タワー(構造体) 16 揺動抑制手段 160 油圧ダ
ンパー 165 摩擦ダンパー 20、30 回動揺動抑制装置 31 浮体 32 係留索
41 構造体 42 回動手段 44、64 流体力学的ダンパー 51A 構造体上部 51B
構造体下部



【こんな夜はバラードで:マホガニーのテーマ/ダイアナ・ロス】

 

 

映画『マホガニー物語』(原題: Mahogany)』1975年に制作されたこの年は、自動車事故を起
こしたものの奇蹟的に助かるという経験をしている。映画のストーリーでは、ダイアナ・ロス
扮するトレーシーを車に乗せ、彼女の才能を発掘した恋人ショーン・マカボイが無理心中を図
るが、奇跡的に一命を取り留める。そして、ヨーロッパ社交界、芸能界で成功したものの次第
元彼のブライアンへの忘れられない想いにつまされていくという映画ストーリー。そんな、

ホガニーのテーマ曲を聴くといまでも鳥肌が立つのだが、そういう曲はどれほどあるのか暫く
回帰してブログに掲載しようとも思っている。

コメント

ファストフィッシュと蓄電網

2012年08月28日 | ネオコンバーテック

 

魚をもっと気軽に食べてもらおうと、水産庁が提唱した「ファストフィッシュ」の商品が、店頭に並
び始めたという。手軽に食べられるハンバーガーなどがファストフードと呼ばれるのにならって同庁
が作った造語で、あらかじめ骨を取り除いたり、電子レンジだけで調理できるように加工したりする
など、生魚より簡単に食べられるのが特長。魚の消費拡大の起爆剤になるか注目されるとか。イオン
は24日、「骨取りさんまスパイシー風味」(4匹、298円)など、4品目を約5百店で発売。サンマの
骨を取り除き、ニンニクやバジルなどで下味をつけているので、フライパンで焼くだけですぐ食べら
れる。4品目合計で、1か月15万パックの販売を目指しており、担当者は「若い世代が魚を食べるき
っかけになれば」と期待する。厚生労働省によると、日本人1人あたりの魚介類の摂取量は、2001年
は1日94グラムだったものが、10年には725グラムまで減少(▲23.8%)。スーパーの鮮魚売り場では、
「調理の仕方がわからない」と敬遠する若い消費者も多いとか。水産庁は大手スーパーや食品メーカ
ーが開発した53品を「ファストフィッシュ」商品として認定した。今後も随時選定を行い、商品数を
増やしていく。イトーヨーカ堂も23日から、全国約160店舗で「ファストフィッシュ」商品の販売を
始めた。「銀鮭のバジルオイル焼用」(398円)など20品目で、若い世代に人気のある洋風の味付けが
中心。トレーごと、電子レンジで1分半~3分半加熱するだけで食べられる。東急ストアも、骨を取
り除いたサバなどの干物を販売しているという。手間がかかる分、割高になるが、家庭内労働価値の
外部化(外化)として考えれば数量化されるのでそれはそれで評価に値する。魚離れ→国内水産業の
衰退を防止、特に東日本大震災への水産業復興という側面から期待されている。リサイクル、家庭生
ゴミ(一般廃棄物)の逓減→静脈産業への集中の脈絡からも評価できだろうし、なによりも、このブ
ログの節電・省エネテーマ→マイクロ波による内部加熱の威力→電子オーブンレンジの普及にも貢献
するからここは歓迎というところだ。



ブリジストンの2つの環境商品開発】

そうかと思えば、ブリヂストンは空気の要らないタイヤを開発(2011.11.29)。タイヤ側面に張り巡
らせた特殊形状スポークにより荷重支持することで、空気を充填する必要が無い為、省メンテナンス
性に優れるとともに、パンクの心配も無くした上、タイヤ側面に張り巡らせた特殊形状スポーク部の
材質に再生利用(マテリアルリサイクル)可能な熱可塑性樹脂でで、タイヤトレッド部のゴムを含め、
100%再生利用可能な材料を採用したという。これで、環境、安全、快適性を高次元で達成が可能と発
表したが、今年5月31日には、味の素株式会社と共同でバイオマスから生成したイソプレンの提供を
受け、合成ゴム〔高シスポリイソプレンの重合に成功している。世界の自動車保有台数の増加に伴い、
タイヤ需要の拡大が見込まれる中、「持続可能な」社会を構築するために、資源の循環利用や再生可
能資源の利用拡大に寄与する技術やビジネスモデルの開発を推進し社会的責務を果たすとのことだ。



確かに、モータリゼーションの利便性や快適性の急速な波及にともない、大気汚染や地球温暖化ガス
の排出など負荷量は膨大で、新興国の発達や人口増を考えるとさらに負荷量は増大する。気候変動防
止からも環境配慮活動はいまや大前提だ。そう考えてみると、水産庁のファストフィッシュ普及運動
も、ブリジストンのエアーレスタイヤ、バイオマス由来タイヤなどの環境配慮商品開発の有り様は世
界的な先駆体をやってる、やっているではないか!と、感心する。

特開2012-102742

【蓄電ネットワークとヒートポンプ】 

   

電力量逼迫と騒がれていたわりには、粛々とした節電対策が功を奏したのか大停電はどの事故、事件
は起こらず一安堵といった感じだ。これは、濡れ雑巾と同じで、絞り具合で如何様にもなるという事
例かもしれないとの思いと同時に、ピークカットを減らすことの重要性を広く国民に知らしめること
にもなった。蓋し、事務所ビルのエネルギー消費は約1/3が熱源として使用され、その熱源需要の
大半が冷房需要。冷房需要対応の空調機器としては、省CO2効果や環境保全、電力負荷平準化の観点
から蓄熱システムが採用されることが多いし、経済性から見ても、安価な深夜の電力を利用して蓄熱
材に熱を蓄え、昼間に屋内空気と熱交換することにより空調を行う蓄熱システムは好適であることの
証でもあると、あらためて、製氷ヒートポンプ式蓄電システムによる「蓄電ネットワーク構築」の重
要性を再確認する。ところで、ヒートポンプは、熱を温度の低いところから高いところに汲み上げる
装置のこと。一般的な地中熱ヒートポンプは、少ない電気エネルギーで、地中に豊富にある熱エネル
ギーを汲み上げて暖房等に利用するため、高いエネルギー効率を得るシステムを意味し、その種類は
下図のようなものがあるが、ヒートポンプは基本的に、オープン型とクローズド型があり、クローズ
ドループシステムは、ヒートポンプ利用の中でも最も一般的に利用され、 地中に熱交換器を埋設し、
不凍液を循環させて熱交換をするシステム。 また、地中熱交換器の埋設方法により、垂直埋設型と
水平埋設型に分類され、さらに、垂直埋設型では、ボアホール方式と基礎杭方式の2種類の採熱方法
がある。



上の図は、ビルの冷房・暖房・融雪に対する従来の方とボアーホール型クローズドシステムの例で、
二酸化炭素排出量は50%削減、エネルギー消費量は48%の削減、稼働秘は48%できるという実証実験
値が報告されている。また、下図(左・右)は、「特開2011-038764|地中熱・空気熱利用の融雪若し
くは冷房システム」で北日本地方の融雪型地中熱利用システムとして実績がある。ところで、ヒート
ポンプシステムのなかで重要なコンプレッサ(圧縮機)であり、上図の単機スクリュー式多段圧縮機
(前川製作所)は高効率と長寿命の両立を達成するため新規考案されたものであり、日本高い技術力
で実現されている。そうすると後は、熱電変換素子の技術水準ということになるが、熱交換方式とし
てはプレート型、チューブ型などの選択や、高成績係数(=変換効率)、廉価などの問題が残件して
いる状態にある。また、システムとしては、設置場所の条件で、組み合わせ変更し設計することにな
る。また、製氷貯槽は埋設が望ましいが、コストが嵩む。また冷媒は、二酸化炭素が望ましいがアン
モニアなどの低温暖化係数で代替も有りうる。

 


熱電変換素子は素子の開発速度依存が大きいため途中で、置き換える構造が望ましいだろう。下図は
産業
総合技術研究所が開発した、グラフェンなどの高分子とカーボンナノチューブを溶液化し印刷し
て素子形成す
るもので、低コストで自由設計でき折り曲げ可能な素子が可能となる事例だ。こう考え
ていくと、わたしの頭に
あるスケジュールはかなり前倒し可能なプランとなる。ネットワークを考慮
すると全体的スケジュールから追い
込んでいく必要があるが、太陽光と地中熱を利用した本システム
は世界市場規模で、初期投資数兆円開始?と
なり、超々概算見積もりではあるが、最終的には数百兆
円規模?になるものと-この場合、スマートグリッド側と
のオーバーラップ分もあると、こう考えて
いる。
このテーマについては一旦了とする。

コメント

ヤンキースに学ぶ清盛

2012年08月27日 | 時事書評



 
【ヤンキースに学ぶ清盛】




大河ドラマ『平清盛』の視聴率が低迷していると彼女が言うので、そうなんだ。でもねぇ~、脚本が悪い
とは思えないなぁ、面白いよ、とテレビを見ながら返事する。今回は、日宋貿易拡大を目論み厳島神社の
大規模営造の実権争いにも勝ち抜き、頂点に立った清盛の心模様が描かれており、宮廷政治の時代考証へ
の腐心
が垣間見えるようで大変面白い。なかでも、ムロツヨシ扮する、歌人として名高く「よみ人知らず」
とし
て入集した『千載和歌集』の1首を含め勅撰和歌集に11首入集しているほどの平忠度の登場シーンの
シャープさが面白い。面白いがこれが視聴率と相関(費用対効果が悪い?)しないからなおのこと面白い。

                        



   行き暮れて木の下かげを宿とせば花や今宵のあるじならまし/『千載和歌集』

   さざなみや志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな/『千載和歌集』

   われのみやいふべかりける別れ路は行くもとまるもおなじ思ひを/『玉葉和歌集』

   たのめつゝこぬ夜つもりのうらみてもまつより外のなぐさめぞなき/『新勅撰和歌集』

   住吉の松としらずや子規岸うつ浪のよるもなかなん/『続後拾遺和歌集』

    あれにける宿とて月はかはらねどむかしの影は猶ぞ床しき/『風雅和歌集』

   恋死なん後の世までの思ひ出はしのぶこゝろのかよふばかりか/『新拾遺和歌集』



次回は「白河院の伝言」-清盛よ、みるがいい。のぼり切ったその果てを-ということだ。そこがどのよ
うに描かれる楽しみにしている。そんなことを考えていると、「イチローを覚醒させる妥協なきヤンキー
」で、球界には「ヤンキースは、金で勝ち星を買っている」という見方が根強い。確かに、年俸総額は

他球団と比べて飛び抜けて高い。しかし、そんなチームの選手らが、自主的な打撃練習で球拾いまでして
いる。イチローも移籍以来、折に触れてチーム体質の違いを口にしてきたと書いている。そして、「(ヤ
ンキースでは)プレーの中に、捨てられるものがない。常に集中して動かないと1個のフォアボールでも
のすごく大きくゲームを左右したり、塁に出るだけでそういう可能性が生まれたりするので、野球がちょ
っと違うなぁというふうに思います」「ひとつの成功がものすごく満足っていうか、喜びを生むし、ひと
つの失敗がものすごく精神的にこたえる」何がそう感じさせるのか。そんな問いにイチローはこう答えて
いる。「それはこのチームがずっと背負ってきた宿命がそうさせている」と。

  

勝ちを義務づけられたチーム。そのプレッシャーに、ホームでも遠征でもさらされる。4万~5万人の目
が常にそこにあるのだと。つまり、登りつめたその先に見える全景が、ヤンキースと平家というコントラ
から見えてくるものを想像する楽しみがシンクロナイズというわけだ。さらに、その先をいえばいかにし
て崩壊・滅亡していくのかが興味あるところだが、市場や産業界には、
このようなドラマが日常茶飯事に
繰り返されるわけで、シャープ液晶大家の凋落しかり、テレビ受像器大国の家電メーカもしかりと。そこ
で大事なことは、春秋時代の孫子ではなく、ビジネス場面での新しい孫子の出現が求められているのだろ
う。下記の、太陽電池メーカや半導体メーカの現状がその好例だ。 

   
 

 日本国内の利権を狙いに、外国勢も虎視眈々と参入を狙っている。米国のサンエジソン、カナダのカ

 ナディアンソーラー、ドイツのソーラーワールドなども国内数カ所にメガソーラーを新設する計画を
 持っているようだ。さらに、情報筋によれば、中国上海に拠点を持つスカイソーラーが日本国内で数
 カ所メガソーラーの用地物色を行っている。同社はヨーロッパで実績があるが、原発がほとんど止ま
 っている日本にチャンスありと見て進出を計画する。あろうことか、インドに拠点を持つモーザーベ
 アもまた日本国内でメガソーラーの用地物色を行っているのだ(中略)こうしたメガソーラーフィー
 バーの一方で、セルそのものを製造する太陽電池メーカーはここにきて苦悩の色が強い。なにしろ、
 かつての太陽電池世界一企業であったドイツのQセルズが破産してしまったのだ。同社は99年に設立
 され、ドイツをはじめ太陽光発電に熱心であった欧州市場を主戦場にシェアを伸ばし、07年にはそれ
 まで長年太陽電池市場で首位を守っていたシャープを抜き、生産量世界一に輝いた。しかし、その後
 はサンテックパワーなどの中国勢や、コストの安い米国ファーストソーラーなどの猛追を受け、シェ
 アを一気に落とした。同じドイツの太陽電池モジュールメーカー、ソロン社も破産を申請、薄膜太陽
 電池で勝負する米国のユナイテッドソーラーオボニックも今年に入って会社更生法の手続きを申請し
 ている(中略)何しろ、世界の太陽電池の55%はドイツとイタリアが買っている状態であり、とても
 世界すべてで均一に普及しつつあるという情勢ではないのだ。風力発電、さらには地熱発電といった
 強力な新エネルギーのライバルも存在する(中略)サンテックパワーも、インリーも、JAソーラーも
 みな軒並み赤字が続いている。ニッポンの御三家といわれるシャープ、京セラ、三洋電機もまた収益
 面では苦しく、のたうち回っている。太陽電池はいまや、メモリー半導体や液晶パネルのようにコモ
 ディティー化が進み、誰も儲からないビジネスに突入しつつあるのだ。この苦境を脱出するためには、
 やはり低コストで製造できる技術の確立、新材料を採用したパフォーマンスの上昇などが待たれると
 ころだろう。

                 泉谷渉「わかってきたぞ、太陽電池の光と影」、半導体産業新聞

  

 日本メーカーは携帯電話、パソコンのいずれの分野においても世界的なスタンダード製品を出せなか
 った。もちろん現在、大フィーバーのスマートフォン、タブレット端末においても世界の後塵を拝し
 ている。垂直統合構造で戦ってきた日本勢は、電子機器のセットメーカーがまずヒット製品を出し、
 これに使われる半導体を同じ社内で量産というカルチャーの中にいた。しかしながら、最終セット機
 器で大ヒットを出せない限り、これに追随する半導体メーカーはどうしても勝てないという構造にな
 る。つまりは、日本のシステムLSIは弱くなった日本のエレクトロニクスの土壌の中にあり、世界の
 流れから取り残されたのだ。日本でしか通用しないシステムLSI技術では、どうやってもグローバル
 展開はできなかったのだ。

               泉谷渉「世界で最も多い半導体はシステムLSIだ」、半導体産業新聞


この2つの商品は、デジタル革命渦中のコア商品なのだが、そこからの撤退は、世界のリーダを放棄する
のに等しいが、そのことを(下線箇所)を踏まえ戦略・戦術を練り直しリベンジし、ベスト・マッチさせ
る方策はそう簡単にでそうもないこともわかっている。ヤンキースの例でいえば球場に足を運ぶ観客を満
足させる何かであり、その何かのゴールに向かって他を圧倒するパワーが必要なことは誰しもわかってい
ることだ。ここで、確認しておこう。いつしか、ターブをつくり、逆立ちしてはいないか? あるいは、
事なかれ主義に陥っていないか? さらには、ゴールの設定に間違いはなかったか? と
 

 

コメント

カジキマグロとマフィン

2012年08月25日 | 時事書評

 




プロヴァンスには


「枝切る者には富をやろう」
「裸にすれば服をやろう」
「足元掻けば口にあふれる油をやろう」


こんなオリーヴの言葉の諺がある。
オリーブの贈与(ギフト)へのなんと大らかな賛歌だ。わけがありプロヴァンス旅行計
画は頓挫したが再度チャレンジしてみたい。


  Sicilian Swordnsh in FoiI Packets 1

 

シチリア風カジキマグロのホイル包み焼き(2人分)


“ The New Mediterranean ”  Nancy Harmon Jenkins


『地中海健康料理』の著者ナンシー・ハーモン・ジェンキンズによれば、最後にあたふ
たする必要がなく、来客用にうってつけなのがこの料理であるという。

材 料:カジキマグロまたはマグロの切り身(ステーキ用)(厚さ4センチ弱のもの)
    230グラム、小麦粉 少々、エクストラヴァージン・オリ-ヴ油 大さじ1~
    2、タマネギ(薄切り) 小1個、ニンニク(みじん切り)1/2片、グリーン
    オリーヴ(種ぬきを刻む)1/4カップ、レモンの皮 5センチ(細切りにする) 
    トマトピューレ小さじ1~2(辛口の白ワイン1カップで薄める)、塩、ひき
    たての黒胡椒     
 
作り方

マグロの両面に小麦粉をふり、余分な粉を払いおとす。フライパンを強めの中火にかけ、
オリーヴ油大さじ1を熱してマグロの両面にこんがりと焼き色をつけ、取り出す。残っ
たフライパンに必要なら油を足して、火を弱めタママネギとニンニクをしんなりするま
で炒める。オリーヴの実とレモンの皮を加え、さらに2、3分炒める。 トマトピュー
レを加え、やや火を強めて煮つめ、ソースをつくる。四角く切ったアルミホイルの中央
にマグロを置いてソ-スをかけ、余裕をもたせて包み、端をきっちりと閉じる。オーブ
ンはあらかじめ220℃に熱しておく。マグロのホイル包みをオーブンシートまたは、浅
い耐熱皿にのせ、15分焼く。

  Sicilian Swordnsh in FoiI Packets 2


 Tunisian Fish with Harissa and Black Olives


ハリッサと黒オリーヴを使ったチュニジア風魚の煮込み(4~6人分)



チュニジア人は辛い料理を好む。料理研究家ポーラ・ウルファートお気に入りのこの一
品は、ハリッサというひりひりするような赤唐辛子ペーストを使った、魚とオリーヴの
料理でという。

材 料:身の締まった白身魚の切り身 約700グラム、塩、ひきたての胡椒、ハリッサ 
    小さじ1/2、ローリエ 1枚、小麦粉、大粒の黒オリーヴ(種ぬき、チュニジア
    かギリシア産)1カップ、オリーヴ油 1/4カップ、タマネギ(みじん切り)
    1/2カップ、(好みで)レモン汁 1/2個分、ニンニク(みじん切り)2片、パ
    セリ(みじん切り)      


作り方
魚の切り身に塩、胡檄をし、小麦粉をまぶす。大きめのフライパンでオリーヴ
    油を熱し
魚の両面にこんがりと焼き色をつける。魚をいったん温かい皿に移し、
    大さじ2ぐらい
の油を残して余分な泊をあける。タマネギとニンニクをフライ
    パンに入れ、蓋をして、大
さじ2ぐらいの油を残して余分な油をあける。玉葱
    とニンニクをフライパンに入れ、蓋を
して2~3分火を通す。トマトソース、
    水1/2カップ、ハリッサ、ローリエを加え、10分煮る。黒オリーヴと魚を加え、
    蓋
をせずにさらに煮込む。魚がやわらかくなり、ソースがとろりとしたらで
    あがり。好みでレモン汁を加え、仕上げにパセリを散らす。

 

 Ropa vieja 

ローパ・ビエッハ 

スペインはアンダルシア地方の料理だとか。「ローパ・ビエッハ」は「古着」という意
味だが、味のことをいっているのではない。スペイン風ホムス(ヒョ
コ豆のペースト)
ともいうべきこの料理の味の決め手は、シャープでフルー
ティなスペイン南部高地産の
オリーヴ油である。



材 料:ヒヨコ豆(乾燥)450グラム、タマネギ(薄切り)2個、(好みで)鶏もも肉
    (皮なし) 小1本、好みで)仔牛肉または仔羊肉の薄切り 1枚、(好みで)
    骨付きハムの残りの骨 1本、エクストラヴァージン・オリ一ヴ油 1カップ
    完熟トマト(湯むきして刻む)4個、塩   

作り方:ヒヨコ豆は一晩水につける。もどしたヒヨコ豆を鶏もも肉、仔牛または仔羊肉、
ハムの骨とともに、圧力鍋なら20~30分、ふつうの煮込み鍋なら1時間から1時間半か
けて煮込む(肉を入れると豆の味がよくなるが、省いてもよい)。豆がやわらかくなっ
たらつぶす。オリーヴ油でタマネギを炒め、しんなりしたらトマトを加えて火を弱め、
よく混ぜる。さらにつぶしたビヨコ豆を加えて混ぜ合わせる。必要ならオリーヴ油を足
し、塩で味をととのえる。


 Lemon Blueberry Muffins

レモン・プルーベリー・マフィン12個分

国際オリーヴオイル協会のアーリーン・ワンダーマンは、オリーヴ油でパンやケーキを
焼くのが大好きだ。これは、彼女が『オリーヴ油-料理のプロ
のために』をまとめる際
に集めたレシピのひとつであるという。

材 料:風味のまろやかなオリーヴ油 1/2カップ、グラニュー糖 3/4カップ、レモン
    皮(すりおろす) 1個分、卵(軽く泡立てる) 大1個、バターミルク(低
    脂乳) 1カップ、無漂白の万能小麦粉 1~11/2カップ、コーンミール1/3
    カップ、重曹 小さじ1、海塩 小さじ1/4、ブルーベリー 1カップ。
作り方:オープンを190℃に熱しておく。マフィン型12個の内側にオリーヴ油を塗る(あ
    るいは紙ケースを敷く)。中くらいのボウルにオリーヴ油、グラニュー糖、レモ
    ン皮、卵を入れて混ぜ、バターミルクを加える。粉類も合わせ、さっくりと混
    ぜて、さらにブルーベリーを加える。生地をスプーンで型に入れ、オーブンの
    中段で20分焼く。串を刺して何もつかなければ焼き上がり。天板ご
と網にのせ、
    5分間冷ます。つやがけしたい場合は、レモン汁大さじ3とグ
ラニュー糖大さ
    じ山盛り1を混ぜたものに、温かいマフィンの上部を浸す。

また、「ひとりぽっちのロンリー・ナイト」が似合うかな。とりあえず寝る準備をしよう。

 

コメント

オリーブの木の下で Ⅸ

2012年08月24日 | 開発企画

 

 




オリーヴ讃歌

さて、今夜で終わりとしよう。
第十三章「大いなるカラマタ・オリーブ」から。

カラマタの位置の位置図

ギリシアのオリーヴ畑を探訪するだけでも、優に一生の仕事になりうる。コルフ島のオリー
ヴの林は
美しい。クレタ島のオリ‐ヴ畑、特にハニア周辺のそれは歴史が古くドラマティッ
クで、地中海農学研究所のオリーヴ研究施設もハニアに置かれている。ハニアは私の好きな
キドニアというまろやかな黄金色のエクストラヴァージンの産地でもある。ラベルには真面
目くさった顔に黒い口髭を伸ばし、ゆったりしたズボンをはいたクレタ人の給が描かれてい
る。だが私は旅のしめくくりに、ペロポネソス半島の南東端、ビザンティンの要塞都市モネ
ンヴァシアに寄って楽しむことにした。と、ローゼンブラムは述懐する。

Kalamata, Peloponnese, Greece.jpg

そして、こうとも形容する。多くの歴史的遺跡と異なり、モネンヴァシアは活気にあふれて
いる。美しく修復された別荘が、一年中人の住みついている崩れかけたアパートと交互に並
んでいる。アテネの人はピレウスから高速艇に乗って来るが、私は車で一時間ほどかけて、
マニ地方から半島の南端を横切っていった。モネンヴァシアは本土と橋で結ばれた小島にあ
り、小さいながらも峨々たる山の、海に面した側に築かれている。旅行者は、石造りのアー
チの門をくぐるまで町の中が見えない。堅固な城壁は核攻撃にも耐えられそうなほどだ。だ
が実は、水の供給源も作物を栽培する畑もないため、敵の軍隊が辛抱強く包囲すれば、いつ
でも落とすことできたと。

エキストラバージンオリーブオイル「キドニア」ギフトボックス

狭い急な路地は観光客だらけだったが、こういうところには旅行者向けのすばらしいレスト
ランがあるものだ。私はゼラニウムとブドウの花があでやかに咲きはこる野外の店を見つけ、
新鮮なスズキを食べながら、急傾斜した石造りの屋根や黄土色のタイルが連なり、花々が咲
き乱れる、眼下の広大なパノラマを楽しんだ。はるか下の方では、地中海が緑と青のありと
あらゆる色合いに輝いている。古びた木製鎧戸の中から心に残る美しい音楽が流れてきた。
モネンヴァシアは六世紀に「上の町」と「下の町」に分かれて築かれた。庶民が住んでいた
「下の町」には、かつて約八百戸の家と四十の教会があり、どの建物も唯一のメインストリ
ートから枝分かれした石畳の狭いジグザグ造に沿って、ごちやごちやと積み重なるように立
っていた。もうひとつの門は小さな砂浜に通じており、今や海水浴客と、水着や裸で日光浴
する人々でにぎわう行楽地となっている。社会的地位の高い人々は、狭間つきの城壁を備え
た山頂の「上の町」に住んだと紹介する。




ローゼンブラムは午後も遅くなってから下の町を探索しそれから上に向かう。ちょっとした
ハイキングになり、連い昔から数知れぬ世代が食品や雑貨を運んだ道を、三十分ばかり息を
切らしながら登っていった。上の町はあらかた廃墟で、崩れた切石が雑然と散らばり、年々
少しずつ風化している。ただひとつ残った聖ソフィア教会は、彫刻を施した石材と木材を組
み合わせた美しい建物で、信者の寄進による豪華な内装で飾られているという。教会の前に
一本のオリーヴの大木を見つける。荒れ放題で埃にまみれていたため、近寄って確かめなく
てはならなかった。カラマタ種だ。教会は七百年前に建てられたから、この木もそのとき植
えられたものかもしれない。これほどひどい姿の木を見るのは初めてだった。幹にはとうに
忘れられた人々の名前が刻みこまれ、特に古いものは1インチの深さに達している。込みあ
った枝は、節でも何でもないところで切断されたせいで切り目が癒えず、病虫の被害に遭い
やすくなっている。大小の枯れ枝がびっしり繁っているさまは、まるでほうきが生えている
ようだ。乱暴に祈り取られた枝もあり、ぎざぎざの醜い先端が樹冠から突き出ている。



古い巨大な幹を切り落としたあとのテーブル状の切断面で、焚き火をした人間がいるらしく、
そこはいまだに黒焦げである。斧をあてた者もいるようだ。さらに頭のいかれた別のだれか
が本に針金を巻きつけ、樹皮を環状に剥いで枯れる寸前にまで追いこんでいる。長年にわた
り、こぶだらけの根からおびただしい枝が生え、幹の養分を吸い取っている。中には樹齢二
十年の木並みに太いものもある。モネンヴァシアの山頂ではめったに雨が降らない。こびり
ついた汚れや露出した根元の岩は、一世代やそこらでこの状態になったものではない。土壌
の栄養分はずっと前に染み出してしまったに違いない。露出しすぎた根は、無数の足に踏ま
れ、樹皮がはがれている。彼は突然、剪定用の鋸と鍬を持ってここで二、三日過ごしたい衝
動に駆られる。窒素入りの肥料とバケツの水を持って、あの急な坂道を登ってもいい。だが
夏も終わりに近い今、そんな必要はないのが見てとれたという。こうした惨めな状態にもか
かわらず、巨大なカラマタ種の木は、また新たな実をつけていたとこの章を結ぶ。
 



さて、オリーブの代表的なご当地料理も調べてみたかっが、これはこれでまた『イタリア版
食いしん坊
万歳』で取り上げていこう。話を締めるのには何がいいか?そこで思いついたの
は今年のアメリカの
異常気象(山火事・大干魃)のこと。そう、オリーブの木を全土に植林
しようという提案だ。1つは牛肉
食偏重を是正し医療費の逓減(それと牛のゲップの二酸化
炭素排出量の逓減もある)。2つめは、ロ
ーゼンブラムも書いているように、オリーブは環
境変動にもしぶとく繁殖するので、この際、世界一の
バイオマス立国をめざす。なにせ、オ
リーブは、食糧にも、燃料にも、日用雑貨品にもなり百パ
ーセント有効利用できる優れもの。
だし、その上3つめのカーボンニュートラルで大規模気候変動防止に役立つ
。自動車や飛行
機は電動機とバイオディーゼルとし、エネルギー源は太陽光、風力、バイオ
で供給できる。
さらに、宇宙や深海開発などの特殊エネルギーとして次世代超小型原子炉や小型核融合炉を
発しておけば万全だ。そんなことを提案しこの項を終えよう。




【続・蓄電ネットワーク構築】




大規模な太陽光などの再生可能エネルギーネットワークの余剰電力を、高効率(空冷式)ヒ
ートポン
プ氷蓄熱ユニットを使い蓄電システムを考案していたが、「高効率空冷式ヒートポ
ンプ氷蓄熱ユニット
」は、すでに三菱電機株式会社と東京電力株式会社とで共同開発済みだ
った。後は、熱電変換素子の
の実用化研究開発の成果をまつばかりだということが遅ればせ
ながら本日確信するに至った(大仰
な物言いだけれどね)。

特開2011-257090

それに、今月20日には、理化学研究所で「低消費電力デバイスに向けた新材料の開発-新し
い原理「量子異常ホール効果」の可能性-磁性トポロジカル絶縁体」が報告されているよう
に、高性能な環境発電素子、モジュールが続々と提案されつつあるデジタル革命渦の進行下
にあり、近い将来にはこのネットワークシステムが世界展開している可能性が大きい。わた
し(たち)はそんな時代に遭遇しているわけだ。従って、このブログテーマを継続しその時
々で提案していこうと思う。 

 

 



       夕暮れの街角のそいた喫茶店

      
あのこが急になぜかきれいになったのは

       あなたとこんなふうに会ってるからなのね

       好きだったのよあなた胸の奥でずっと

       もうすくわたしきっとあなたをふりむかせる

       気のないそぶりして仲間に加わった

            テーフルをはさんであなたを熱く見た

 
                                                      松任谷由実『まちぶせ』



午前中の作業を終え、外出で車のスイッチをいれるとしばらくするとカーステから徳永英明
の『VOCALIST 3』の収録曲が流れてていたが、そのまま車を走らせていた。ジムを終えて、
母親の見舞いを済ませ帰り道、ふと聴き慣れた曲に新鮮な感動が心を包む。音量を上げてい
た。三木聖子のカバ
ァー曲であり、石川ひとみもカバァーしたが、見る見るうちに湖岸沿い
の風景が学生時
代の御堂筋沿いの思い出色に変わっていく。

そういえば、中之島図書館の黄昏時、いつもの時間に、いつもの席に座っていた彼女はいま
はどう
しているのだろう。卒業式の日、偶然、旭屋の二階のレジで出会い、何も言えず僕の
顔をみ
つめ残惜しそうな顔で追っかけていた瞬間が蘇える、時間の長さがさらに、せつなさ
を増長する。



 

コメント

オリーブの木の下で Ⅷ

2012年08月23日 | 省エネ実践記

 

 


【オリーブの木の下で】 



朝から忙しく、昼前にはジムをキャンセルし作業継続することを決めたが、小腹が空き珍しくカップ
ラーメン、洋風しお味の「カップヌードルしお」を見つけ、開封し、ジャーのお湯を注ぎ、適当な蓋
を見つけ電子レンジで2分追い加熱(五百キロワット)しできあがり。美味い!というか僕好み的に
は乾麺の評価をのぞき、もう、これは完璧に近い。ただ、家でつくりおいたブロコリーなどトッピン
グ用
の肉・野菜とかを豪快に載せて頂ければ豪華になるのではと言う思いに駆られ、専用の上蓋がな
いか
(下図参照)ネット検索してみたものはなかった。こちらの要求仕様としては、カップと具材の
空間
容積を10mm程度広げ、の高さを30mmとした蒸気穴抜き付き半透明のポリエチレン(シリコンまで
の耐熱はいらないと思うが)製のクリアーというものだが、メーカの日清食品から無償提供されたら
なおのこと便利だ(もっとも、これで販促ができれば申し分ない)。
尚、今日は、オリーブ油とガーリックチップとパルメザンチーズを少々追加した。
 



それでは、今夜は第十四章「万病の薬、味の悦楽」から。

オリーヴはしばらく前から「地中海式ダイエット」と呼ばれる宗教において、小麦、ブドウとともに
聖三位一体をなす食材として崇拝されてきた。地中海式ダイエットの教えは単純明快、クレタ島の農
民のような食生活をすれば、健康で長生きできるというものだ。アルメニアの農民がヨーグルトで健
康に暮らしていようと、そんなことは関係ない。改宗を迫る者たちは「抗酸化物質」や「フリーラジ
カル(遊離基)」といった専門用語を山上か雷のごとく浴びせかける。信仰がからむ問題はえてして
そうだが、原理主義者は時に極端に走ることがある。異端者の側もまた学問的な反論をして、行きす
ぎた熱狂に水を差す。たとえば、クレタ島人に心臓病が少ないのは主としてa‐リノレン酸のせいで、
これはオリーヴ油にはほとんど合まれないとか、醤油を使う日本の小浜島の漁師も同じくらい健康で
長生きしている、とかいった具合である。と、諫め調子に書きはじめ、オリーヴ油が体にいいのは間
違いない。われわれ多くの改宗者にとって、どれほどいいかは大きな問題ではない。オリーヴ油には、
クレタ島人より長生きできること以上に、すばらしい魅力がある。ほとんどの宗教では、信者は死な
なければ天国のイメージが正しいかどうか確かめることはできないが、地中海式ダイエットはこの世
に天上の至福をもたらしてくれる。近年、ヒポクラテスの昔から医者が経験的に知っていた事実、す
なわち、オリーヴ油は消化しやすいという特性に、医学がお墨付きを与えた。乳ガンやその他のガン
を予防する効果もある。オリーヴ油は子供の成長を助け、老化を遅らせる。骨や関節、皮膚、肝臓、
腸にも良い。糖尿病と消化性潰瘍にも効く。だが、オリーヴ油がキッチンに欠かせないいちばんの理
由は、何といっても心臓と血流に及ぼす効果にある。と、その効能を結論付ける。

 Andrew Weil

わたし(たち)はこの手の議論は遅効性がありにわかに信じはしないのだが、テレビで話題にされる
と途端に街の店にバーゲンセールのごとくひとが列をなすという光景を観てきた。買いに走る、この
場合は圧倒的に女性達だが、それでも縋るように買いに走る習性を持っている。さて。オリーヴ油は
善玉コレステロールの高比重リポタンパク(HDL)を守り、悪玉コレステローールの低比重リポタ
ンパク(LDL)を減らす。オリーヴの擁護者は今や至るところから現れつつある。アリゾナ州トゥ
ーソンでは、ローゼンブラムの友人たちがアンドルー・ワイルという髭の大男に心酔するようになっ
て久しい。ワイルはハーヴァード医科大学院を卒業し、まずメキシコなどで幻覚剤の研究をして有名
になった。その後アリゾナ大学で統合医学を教えるようになり、彼の診察を望む患者が殺到した。ワ
イルの著書「癒す心、治る力-自発的治癒とはなにか』[邦訳、角川書店」は、1995年に突如ベスト
セラー・リストに躍り出て、その後も相変わらず売れつづけている。ワイルが提案する「最高の治癒
力」を引き出すための8週間プログラムは、こんな指示から始まる。「食品貯蔵庫と冷蔵庫に行き、
オリーヴ油以外の油をすべて捨てること」ワイルは書いている。「食用油の中では、オリーヴ油がい
ちぱん安全だと思われる。体は他のどんな脂肪酸よりも、オリーヴ油の主成分であるオレイン酸の処
理に適しているようだ。食生活から飽和脂肪を追放してオリーヴ油に替えると、悪玉コレステロール
が減少する(多価不飽和脂肪酸の多い植物油だと、善玉コレステロールも減らしてしまう)」ワイル
の結論は明快である。「バターとマーガリンをやめてオリーヴ油に替えるだけで、健康と治癒への大
きな一歩を踏みだしたことになる」と主張する。



さらに、1995年年末、疫学者のセルジュ・ルノー教授の『ル・レジーム・サンテ』は、英国の医学専
門誌『ランセット』に発表した論文「冠状動脈性心臓病を間接的に予防するα-リノレン酸に富んだ
地中海型食生活をもとにした本である。ルビーの研究班は、一度心臓発作を経験し、再発の危険のあ
る七十歳以下のボランティア六百五人を対象に調査をした。半数は、ほぼ菜食でヒマワリ油やマーガ
リンなどの多価不飽和脂肪酸に富んだ通常の治療食をとり、あとの半数はクレタ島人のような食生活
を送ることになった。牛肉などの赤肉ではなく魚と鶏肉を食べ、パン、縁野菜と根葉、果物、オリー
ヴ油の食事をした。五年の研究は四年で中止された。通常の治療食のグループが、他方の六倍近い率
で死にかけていたのである。



驚いたことに、二つのグループの善玉および悪玉コレステロールの値には大きな差がなく、高血圧や
肥満といった他の危険要因はほぼ同じだったが、クレタ型のグループは、血液中のa‐リノレン酸の
量が68パーセントも多かった。この必須脂肪酸は、クルミやスベリヒユに含まれる。スベリヒユとは
肉厚の葉をもつ雑草のような草で、クレタ島の人はこれを大量に食べる。だが、オリーヴ油にはa‐
リノレン酸はたいして含まれない。ボランティアの多くはオリーヴ油を唯一の脂肪源とするのをいや
がった。研究班は菜種油を主成分とするマーガリンの使用を認めた。セイヨウアブラナはカラシナの
近縁種で、キャノ‐ラ油の原料となる。キャノーラ油はa‐リノレン酸を豊富に含んでいる。小浜島
の住民の必需品である大豆油も同様で、島の冠動脈疾患の発生率が世界でも指折りの低さなのはその
せいだろうとルノーは記し、a‐リノレン酸には、血栓のもととなる血小板に作用し、心臓麻疹を減
らす効果があるというものだ。だが、オリーヴ油に含まれる豊富なオレイン酸や、地中海式ダイエッ
トの他の要素も、同じ働きをすると結論付けた。



そうなんだ。ギリシア人は肉よりむしろ大量の野菜を、生食もしく作は調理して食べる。オリーヴ油
さえあれば実においしく食べられるからである。近頃は地中海沿岸全域で、種子油が市場を蚕食しつ
つある。だが、信頼できる品質の、風味豊かなオリーヴ油もまだ手頃な値段で手に入る。アテネであ
れアトランタであれ、スーパーマーケットの買い物客は、いちばんおいしいものに手を伸ばす。だか
らこそ栄養学なんかなくても健康にいられてのだ。斯くして、1996年現在、オリーヴ油を試したこと
があるアメリカの家庭は五軒に一軒にすぎない南部および中西部では、オリーヴ油を使う家庭の数が
十年間で4パーセントから8パーセントヘと倍増する。

オリーヴ讃歌

原発を存続させるか否かの議論が進められ、国家戦略室がまとめた「エネルギー・環境の選択肢」を
示したうえでなされる討論型世論調査の結果を受けて、今月末をメドに将来のエネルギー戦略の大見
出し「革新的エネルギー・環境戦略」が決定される予定。全国を行脚し意見を吸い上げ続けてきた討
論型世論調査は、22日、報告書の形で結果を公表するまでに至った。戦略室が示した選択肢は、原発
依存0%、15%、20~25%の3つだ。これらパーセンテージをもとに2030年の日本の様子をシミュレ
ートし、その結果を市民に提示、討論をさせた上でどのシナリオを支持するかを調査したものだ。結
果は、原発ゼロシナリオ支持が46.7%、15%シナリオ支持が15.4%、20~25%シナリオ支持が13.0%
となった。国民の半数近くが、原発をゼロにした場合の負担増を知ってなお、原発ゼロを支持したこ
とになると報じている(2012年8月23日 16:23 
NET-IB NEWS)。



縮原発論のわたし(たち)はこの数字を冷静に受け止めている。商業段階からモラトリアムし量産開
発段階に戻す案なのだが、ゴールのイメージを鮮明にし縮小(飛躍的な技術革新が認められた段階ま
で) した上、既存原発設備簿価とうの関連会計を切り離し別会計枠扱いとして、新電力供給体制での
リストラを断行しつつ、関連就労者(公務員・民間を含め)の労働シフトを新職場の創成と併行して
進め、有効需要の拡大と就労率の死守向上を図るというものだ。そのために新しい公共事業(要B/Cの
厳正化)を含め雇用確保を第一優先課題とするというイメージをもって事の成り行きを看ている。そ
のためには柔軟かつ斬新ないかなるタブーをも恐れない考え方を必要としている。

                                         

コメント

オリーブの木の下で Ⅶ

2012年08月22日 | 新自給自足時代

 

 

 

オリーヴ讃歌

 

【オリーブの木の下で】



戦争を取材する 子どもたちは何を体験したのか【入荷予約】  ぼくの村は戦場だった。


「『お母さんが庭に出たとき、爆弾が落ちたんだ。お母さんは意識がないのに何か言っていた。ぼくた
ちは泣いていた。お母さんのことは大丈夫よって、そばにいた人が言ったけど。でも、死んじゃった・
・・。お母さんの頭には穴が開いていた』 戦火の下で暮らす人々の真実の暮らし、想い、声がはじめ
て語られる。」「政治家の汚職、天然資源を巡る利権、麻薬、武器の密輸・・・。世界中に溢れるタブ
ーの地雷。 その地雷に触れたとき、ジャーナリストであっても命の保証はない。これは報道人としての
職業上のリスクと言える。しかし、泣き寝入りはできない。後に残された者たちが追求と告発の手を緩
めずに立ち向かっていくのだ」「少年達の未来を信じたい!地雷で脚を失ったアデム、ゲリラに誘拐さ
れ兵士にされたターティ、目の前で友達を殺されたアブドゥヌール……。明日をも知れぬ毎日ですが、
それでもみな、一日一日を懸命に生きています。」(山本美香の作品から) 


                                       

偶然なのかもれないかもしれないが、こういった経験は他の人より多いのもしれない。アレッポの市街戦
に巻き込まれ戦場ジャーナリス山本美香が取材中殺害される。生前の彼女の取材するビデオが流された。
映像ではアレッポの子連れの主婦が戦地を逃れ、オリーブの木の下で待避生活する模様がインタビュー形
式で撮られていた。そのこととは別にこのブログシリーズのタイトルと同じだ。かのウィリアム・シェイ
クスピアは『アントニーとクレオパトラ』で「世界に平和の訪れる時が近づいた。今日を幸ある日となし
えれば、世界は至るところにオリーヴを掲げることができるだろう」と詠ったようにオリーブは平和とは
裏腹の「繁栄と戦争」の象徴であることを四方や忘れてはじめたわけでではなかったのだが、極楽とんぼ
よろしく軽々に打ち込んできたことを悔やみもした。
                                            合掌

きょうは第十三章「戦場のオリーブ」から。  

ローゼンブラムは、ユーゴ紛争の取材でボスニアに入ったあと、車でクロアチアの海岸をまわり、避難民
を捜す。浜辺の町マカルスカで何千という難民を見つけた。かつてマカルスカは白い建物が並ぶ緑豊かな
リゾート地だった。ムスリム人が〈リヴィエラ・ホテル〉に住みついていたところへ、ヘルツェゴヴィナ
西部から追われたクロアチア人がどっと押しよせ、ムスリムを追い出して自分たちが入りこんだ。海辺の
ホテルは荒れ果てていたが、それでも国境の向こうで家を焼かれた家族には夢のような避難所だった。広
い庭の至るところで年ふりたオリーヴの美しい大樹が木陰をつくっていたものの、評判と違って平和をも
たらすことはなかった。それにどれもひどい状態で、高いひこばえが根元を囲み、伸びすぎた枝が込み合
っていた。だれが世話をしているのかと訊いたら、管理人の女性は大きな溜め息をついた。

「ここの木は……。単に世話をするのをやめてしまっただけ。そうするしかなかった。難民の子供たちは
みんな木に登って枝を析るし。いちばん困るのは、オリーヴの実をもいでしまうことね。オリーヴを弾薬
にして、戦争ごっこをするのよ。弾の代わりに投げるの」1999年に戦闘が始まるまで、旧ユーゴスラヴィ
アの大部分は、美しく穏やかなオリーヴ産地だった。イタリアに近いイストラ半島から、アドリア海に沿
ってザダル、スプリット、ドゥブロヴニクを経て隣のモンテネグロに至るまで、古いオリーヴ園が広がっ
ていた。しかしクロアチア南部、アドリア海沿岸のダルマツィア地方では、オリーヴもまた戦争の犠牲と
なった。堂々たる古木が見るも無惨な姿になり、大急ぎで避難する人々は車やバスの窓越しにちらりと目
をやるしかできなかった。多くの場合、人々はいずれかの軍隊によって土地を追われた。頻繁な路上封鎖
で、家を離れてふらりとどこかへ行くのも難しくなった。破壊を免れた採油所も、部品や人員が足りずに
閉鎖された。しばらく平穏な時期が続いても、退屈した狙撃者に狙われるおそれのあるところでは、だれ
もオリーヴを収穫したがらなかった。それでもまだ、遠い昔に植えられた、たわわに実の生る立派な木が、
無傷のままたくさん残っていた。とりわけすばらしいオリーヴ畑は、プーラに近いクルク島、スプリット
沖のフヴァル島といった島々にある。なかでも、黄金色のオイルを生み出すコルチュラ島のオリーヴ畑は
トップクラスであるとローゼンブラムは褒め称える。



コルチュラ島は地中海の名勝のひとつである。その美しさは控えめで、最初から圧倒的な力で追ってくる
ものではないが、車がカーブを曲がり、紺青の海のはるか上で白波のくだけるドラマティックな風景が見
えてくるにつれ、徐々にその魅力がわかってくる。色あせた赤い瓦屋根を敵く古い石造りの家が丘の斜面
に立ち並び、色鮮やかな花々が白い壁にこぼれ落ちている。〈ポド・ボーレ〉、すなわち「松の下」とい
う名の小さなレストランは、屋外に客席を設けた素朴な造りのだだっ広い店で、付属のかなり大きなバー
には、経済がすっかり駄目になった国ですることもない町の住民がやってくる。

 

オーナーの妻がアドリア海の太った新鮮なイセエビを持ってきた。オリーヴ油があふれるほどかかってい
たので、ジュージューいう火皿の底に残ったオイルにパンを浸してデザートにした。パンで皿を磨き終え
ると、二人ともお代わりを注文した。マルコ・ポーロが故郷ヴェネツィア領コルチュラ島の家を出て、中
国からパスタ(麺)を持ち帰るずっと前から、このすばらしいオイルは豊富に生産されていた。1928年、
ポーロは島を守るため、ヴェネツィアの艦隊に加わってジェノヴァと戦った。捕虜となって獄につながれ
たポーロとの長い会話を、ピサ
出身の同房者が書きとめ、あの不朽の旅行記「東方見聞録』ができあがっ
た。コルチュラ島にオリーヴを植えたのは、おそらくヴェネツィア人だろう。ヴェネツィアの経済力はオ
イル貿易によって支えられていた。しかし大プリニウスが詳細に語っているところによれば、最初に島に
植民したのはギリシア人だったという。

 

それ以降、ローゼンブラムは最後にクロアチアのオリーヴを味わったのは、クニン市を見おろす山中の村、
プラヴノの黒ずんだ廃墟の中でのことだったという。ユーゴ紛争で最大の犯罪者はセルビア人である。
1991年、砲撃によるヴコヴァルの徹底的な破壊から、1995年7月、スレブレニツァにおけるムスリム人の
大量虐殺まで、その罪は数えきれない。しかし、クロアチア人もまた似たようなことをしていた。ボスニ
ア国境と接するクロアチア領内につくられたセルビア人自治区、自称「クライナ・セルビア人共和国」を
クロアチア軍が制圧した際、兵士たちは放火、略奪、殺人と、暴虐の限りを尽くした。クロアチア軍の攻
撃は1995年8月初旬で、彼が現地に入ったのはその四か月後だった。プラヴノ村の住民千五百人をはじめ、
この地域のセルビア人は、ほぼ全員恐慌状態でボスニアヘ逃げ出していた。動けない高齢者や病人、もし
くはどうしても動きたくない者だけが残っていた。略奪者はほとんどの家に火を放った。セルビア正教の
教会だけが無傷で残された。クロアチア人はクライナ全域で「民族的寛容」の証として教会だけはそのま
まにしておいたというのだ。

 Skampi na Buzaru 

【スカンピ・ナ・ブザル】

このレシピは、アドリア海沿岸、スプリットのすぐ南に住むクロアチア人女性であれば生まれたときから

知っているらしい。クロアチアのスカンピは、イタリアのスカンピのような単なる小エビではなく、アド
リア海でとれる昧の良いヨーロッパアカザエビである。Fブザル」はソースの意味。以下の分量はおおまか
である。この地方では料理の際にめったに分量をはからないという。

材 料:スカンピ(大きなクルマエビでもよい)450グラム、オリーヴ油 適量、ニンニク(薄切り)2片
    パセリ(みじん切り) 大さじ2、塩、胡椒、辛口の白ワイン 1/4カップ

作り方:スカンピを洗い、オリーヴ油をまぶす。深めのフライパンに薄く油をひいてスカンピを入れ、色
    が変わるまで炒める。ニンニクとパセリを加え、塩、胡椒して、さらにゆっくりと炒める。大型
    のスカンピだと10分ほどかかることもあるが、それより小さなエビの場合はピンク色になればよ
    い。だいたい火が通ったら、ワインと少量の水を加え、煮立ったら火からおろす。この料理とい
    っしょに出てくるのはふつうパンのみである。手づかみで食べ、残ったソースをパンでぬぐう。
    ブリトヴァという野菜がつくこともある。ダルマツィアにしかない野菜だが、フダンソウに近い。





【地熱中採熱システムから学ぶ

 特開2011-080644
【符号の説明】

1 地中熱採熱システム 10 第1採熱ユニット 11 第1揚水井戸 12 第1採熱管 13、14
第1搬出管 15 第1水槽 20 第2採熱ユニット 21 第2揚水井戸 22 第2採熱管 23、24
第2搬出管 25 第2水槽 33 共通搬出管 Hm 熱媒体 S0 原地下水面 S1 第1低下水面
S2 第2低下水面 T1 第1枯渇領域 T2 第2枯渇領域

なんだかんだといっているうちに、夏休みも終わりに。いよいよ尻に火がついた。正直忙殺だ。忙しいと
は、心を亡くすことだよとは故人の大先輩に教わった言葉だが「環境発電」の構想(『蓄電ネットワーク
構築』)の下調べを開始? まずは「トンチンカン」な地中熱採熱システムから考察に入る。実システム
では富士通の長野工場で実証段階に入っている。このシステムはその他の省エネシステムから比べて、遙
かに減価償却期間が長いのが特徴だが、地下水量の変動がありそのリスク回避が企業技術となる?

基礎杭方式地中熱利用システムの 計画と設計方法について

 

 

と、いうことでなんだがプロ野球の予告先発の告知みたいになってしまったが、もしかして「素敵なタイ
ミング」を逃しているのかもしれないがここは“Going my way!”ということに。

                                            
 

コメント

オリーブの木の下でⅥ

2012年08月21日 | デジタル革命渦論

 

   lmam Bayaldi

http://www.anadoluevyemekleri.com/ev/YEMEKLER-37-imam-bayildi.aspx


【イマーム・バユルドゥ】

ギリシア一この料理名はトルコ語で「イマームが気絶した」という意味ある。あるイスラムの聖職者が、
砂糖を使ったこのナス料理を食べ、おい
さのあまり失神したと伝えられる。今ではギリシアでも自分た
ちの料理とで
愛されており、夫婦で「エレオン」のオリーヴ油を輪出しているサニー・A・アングレス
は、以下のような古いレシピの一例を紹介している。

材 料:ナス 中6個、パセリ(みじん切り) 大さじ3、エクストラヴァージン・オリーヴ油 2カ
    ップ、ニンニク(薄切り)3~4片、タマネギ(輪切り)4~5個、砂糖 小さじ2、完熟ト
    マト(湯むきして刻む)2~3個、トマト(薄切り)2個、
塩、胡椒

作り方:ナスを縦半分に切り、1時間ほど塩水につけてアクを抜く。水気をふきとり、中火でさっと揚
    げてから、天板に並べる。スプーンで中身を半分くり抜き、ボウルにとっておく。鍋にタマネ
    ギとニンニクを入れ、炒める。刻んだドト、ナスの果肉、パセリ、砂糖、塩、胡檄を加え、20
    分ほど中火で煮る。これをナスに詰め、トマトの薄切りをのせて、オリーヴ油をたっぷりかけ
    る
中ぐらいの温度のオーブンで、ナスがやわらかくなるまで焼く。

http://vegetarianchefs.blogspot.jp/2011/07/imam-bayaldi.html

 オリーヴ讃歌          

【オリーブの木の下で】

それでは、第十一章「シスボス島のオリーブ」より。

オリーヴの木は一般に、育つ風土を反映する。フランスの品種は、余分なものを削ぎ落とし、手厚い世話を施さ
れて、端正な姿に仕立てられている。トスカーナの木は剪定によって伝統的な樹形を保っているが、ナポリに近
づくにつれ、大きくふくらんだ鷹揚な姿になる。ガザでは抜が四方八方に荒々しく伸び、見捨てられたまま埃まみ
れになっている。サハラ砂漠のほとりでは、根を深く張り、ヤシのように高くそびえる堂々たる大樹に育つ。夏の
季節風メルテーミが吹き抜けるギリシアの小さな島々では、曲がった小ぶりな木が岩だらけの荒れ地にへばりつ
いている。ところがレスボス島では、うら寂しい宵闇のなか、神話上の巨大な怪物を思わせる木々の姿がぼうっ
と浮かびあがる。これらの不死の木々は、地中海文明の黎明期につながる生きた記念碑である。

古代、レスボス島は、高尚な思想、科学的探究、文学的想像力、そして官能の歓びの中心地だった。オリーヴは
こうした活動すべてにおいて、重要な役割を演じた。島を覆う豊かなオリーヴ畑は、時とともに昿友・縮小してきた
が、今日では千百本の木のギリシア最大のオリーヴ栽培地を形成している。冬の初めから夏にかて大量のオリ
ーヴ油を積んだタンカーが通る。だが、それ以上にドラマチックなのは、島の中心ミティリニからスカラ・シカミニア
スまで、東海岸の道路沿いに並ぶ怪物たちである。スカラ・シカミニアスは小さな漁村で、作家ストラティス・ミリ
ヴィリスの小説『人魚のマドンナ』の舞台にもなった。と、ローゼンブラムはいう。

File:2011 Dimos Lesvou.png

彼は、そこで八月の午後遅く、ミティリニから北へ向かった。右手には陽光きらめく紺碧の海が広がり、
黒い浜辺
に波が打ち寄せている。白壁の家々が鮮やかなブーゲンビリアに彩られ、下の浜辺まで段をな
して連なっている。
左手には、これまで見たこともないようなオリーヴ畑が、狭い道路のすぐそばまで
追っている。薄れゆく光のなか
で、高い梢が銀色に輝く。何百年も自然のままに育ててきたため、みな
亭々たる大木となり、いちばん上の実は、
オリーヴ摘み人のしなやかな長い竿でどうにか届く高さであ
る。樽のような短い幹から太い主柱がそそり立ち、
実のついた柱が大きく張り出している。太い幹がま
っすぐ空に伸び、上に豊かな樹冠を戴く木もあれば、地面の
上からこんもりした大きな樹冠が広がって
いる木もある。ミステグナ村の近くで車を停め、一角獣のようにねじれ
た角をもつすばらしい古木を写
真に撮っていると、ヴァゲリス・ミリオレリスというホメロスの作品から抜け出たような一本腕の巨人

のような男に話しかけられる。彼は六十四歳、ミリヴィリスの小説の登場人物と同じく、小アジアから
の避難民の孫にあたる。1912年から13年の苛酷なバルカン戦争の後、ギリシア人はトルコを捨てて避難
した。多くは先肖祖代々の故郷アナトリアの見える、レスボス島の北岸地方に住みつく。この島の名は
「レスビアン」につながる「レスボス島」の名は避けられ、中心都市の名を借りて「ミティリニ島」と
呼び替えることが地元では一般的になっている。

ファイル:Ouzo - plomari.jpg

ストラティス・ミリヴィリスは『人魚のマドンナ』に書いているという-やがて彼らも、島の人々にと
って信仰の対象であると同時に生活の糧でもある神聖なオリーヴの木を愛するようになった。心を蝕む
苦痛がやわらぐにつれ、土を入れた履を背負い、急斜面の砂利道を苦労して登っていく農民を尊敬のま
なざしで見つめるようになった。すでに島にある千三百万本の本に、新たな苗木を加えるため、土を山
に運び上げているのである。
いまや彼らにも、避難民が冬の薪にしようと、尊いオリーヴの本を切り倒
したとき、村人が怖れおののいた理由がわかった。彼らは島の人々と親しくなるにつれ、島の端から端
まで、荘厳な銀の海となって広がるオリーヴの森が、忍耐と労苦の感動的な記念碑にはかならないこと
を知った。代々、人々はこの土地を耕し、土には涙と汗がしみこんでいる。彼らはオリーヴの本の前に
脆いた。あたかも神に語りかけるために教会で脆くように、あるいは男が子宮に子種をまくために、女
の前に膝をつくように、と。

 

彼は、レスボス産エクストラヴァージンを懸命に探すのだがなかなか見つからなかった。そして、この
章を次のように書き終える。

ギリシア人のオリーヴ油消費量は、他国の人間の四倍に上る。老婆や幼児まで含め、国民一人あたり年
平均二十リットルである。アメリカ人は小瓶を好むようだが、ギリシアでもっとも一般的な容器は十七
キロ入りの缶である。レスボス島の人々は好きな採油所に行き、一年分のオイルを樽買いする。だれも
瓶詰めして観光客に売ろうとは思わないらしい。
あきらめずに探しつづけて、スティプシにたどり着い
た。スティプシはレスボス島北部の山中にある要塞のような小さな村で、ここの協同組合は、エクスト
ラヴァージンを元詰めし、自分のブランド名で販売している。レスボスの誇る極上品だという話だ。私
が行ったときには、協同組合は閉まっていた。地元の食料雑貨店にもなかったが、容器があれば少しは
手に入るあてがあると店主は言う。店主が狭い裏通りに姿を消したあと、私は1リットルのミネラルウ
ォーターを買い、中身を道に捨てた。

店主は得意満面の笑顔で戻ってきた。広口瓶に入ったオイルは、何やら病院の検査に使うものを思わせ
た。私たちはパンをちぎり、地元の人の意見も求めた。確かに質のいいレスボス・オイルだと認定され
た。色は透明な黄金色、かすかにバターのようにとろりとして、オリーヴの昧がほのかに漂う。なかな
か快いオイルだが、感激するほどのものではない。
探しつづけた「聖杯」についにめぐりあえたのは、
空港でのことだった。品質もサイズもさまざまな、あらゆる種類の「レセル」のオイルがずらりと並び、
魅力はないが色鮮やかなラベルがひとつひとつに貼ってある。だが、どれも壁のガラス戸棚にしまいこ
まれた展示用の品にすぎなかった。

 


【今夜も話題がてんこ盛り 2012.08.21】

  failry fly wasp

昨年8月、気象庁気象研究所(つくば市)の研究チームが羽田空港のレーダーで、東京湾岸の上昇気流
に巻き上げられた虫の大群を捉え動きを追跡したところ、群れは海風に流されて内陸部に徐々に移動し
東京都杉並区周辺の上空約500メートルで滞留した。約2時間半後、近くで積乱雲が発生し、10分
間に約11ミリの局地的な強い雨を降らせた。海から流入した比較的冷たい風とぶつかった暖かい空気
が上昇気流となって、積乱雲が発生。さらに大気の状態が不安定だったため、積乱雲が急速に発達した
という。過去の研究から、レーダーに映った虫の群れは全長1ミリ程度の「ホソハネコバチ」や小型の
クモ(上図)などとみられ、これが目に見えない空気の流れを把握する手がかりとなる。民間気象会社
では高機能な携帯電話を活用し、利用者からの目撃情報を集める“人海戦術”で雲の動きを把握、早期
の警告に生かしているが、研究所では虫の大群の動きで積乱雲の発生を予測する手法研究して「ゲリラ
豪雨」の察知に役立てるという。そういえば、熊谷市近辺の複雑な気流の流れから、猛暑の解明の手が
かり(仮構)を得たことがテレビで流れていた。 

 

そういうこともありうることをブログ掲載したことがあったが、東京電力は今日、福島第1原発から20
キロ圏内の海域(福島県南相馬市沖)で採取したアイナメから、過去最大値となる1キログラム当たり
2万5800ベクレルの放射性セシウムを検出したと発表。国が定める一般食品の基準値(1キログラム当
たり百ベクレル)の258倍で、1キログラムを食べた場合の内部被ばく線量は約0.4ミリシーベルトと推
定される。福島県沖ではミズダコなどの試験操業を除いて漁を自粛中だと(ロイター2012年 08月 21日
21:37)。ところで。過剰に反応せず冷静に判断を!という態度はなかなか取りにくい。それもそうだ。
海洋・海底自然の挙動は複雑な上に、生物自然も複雑だし、放射性物質の減衰時間は長い。いまはそれ
ぐらしか言葉が浮かばない。

ところで、今日の作業で省エネタイプのランプ型紫外線硬化装置(「高出力・省エネのUVシステム」
株式会社 昇寿堂)の記事を処理していて、LED型で対応できそうだとネット検索して、BNE(隘路技術)
は、被照射部材の硬化光吸収特性依存性だということで、ユーヴィックス株式会社の紫外線LED照射器
の保有技術を調べ、異なった波長のLEDの組み合わせ配置で解決できることがわかった。あっと、これ
は福島第一原発事故の影響で、LED使用商品の量産普及によるコスト逓減の後押しになるので、紫外線
照射器への波及効果は大きいだろう。

特開2008-178821
特開2010-093094

これは、LED商品の波及は照明にとどまらないことが話題になっている。可視光通信の光源の中核にLED
が座るというのだ。信号機はLEDに変わりつつありもう少しする日本国中の信号機はLEDになるだろう。
これに対し可視光通信は一方向性の位置情報などを載せることもできるが、双方向性機能を搭載するこ
とで通信手段に使えることが可能だ。つまり、人の目に見えるLED照明の光を使う通信方法。LEDの光を
高速で点滅させ、光の波動性(明るさの強弱)を「0」「1」のデジタル信号に置き換えてデータを送
るのだ






【我が家の環境経済論争】

短時間だが水泳とサウナは毎日続くようになったが、残留殺菌剤の加減かかぶれ炎症のようなもの頭にでき困
っていて、消炎剤や保護ソープを使うようになった。彼女は僕のことを「金喰い虫」と呼ぶようになった。朝早く起
き散歩やジョキングだけでも充分なのだと言いたげだ。でも、ジム通いのチョットしたドライブは爽快なのだ。ひと
は本来的に移動を楽しむ動物なのだし、それに、水泳は理想的な全身運動だ。会費、燃料代、薬代、そしてア
ルコール代、もっとも、お酒はジョキングコースでも同じなのだが、これが一寸した環境経済論争の火種になって
いる。でもね~~~。

 

コメント

オリーブの木の下でⅤ

2012年08月20日 | 時事書評

 

 

    Pollo al Mattone (or al Diavolo)

【鶏肉のれんが焼き(悪魔風)6~8人分】

れんが(マットーネ)で重しをし、悪魔(ディアヴオロ)のように熱々に焼き上げたこのトスカーナ
風鶏肉のグリル。なにもれんが(煉瓦)でなければいけないということでもなくて、鉄鍋蓋(南部鉄
なら岩手特産になる?)や漬け物石でもいいわけだけ。



材 料:エクストラヴァージン・オリ-ヴ油 11/2カップ、塩 小さじ1、ひきたての黒胡椒 大
    さじ1、赤唐辛子(刻む) 大さじ1、ローズマリー(生・刻む) 大さじ1、イタリアン
    パセリ(刻む) 大さじ1、タイム(生) 大さじ1(乾燥させたものなら、つぷして小さ
    じ1)、若鶏3羽(小さいものは半分に、大きいものは6つから8つに切り分ける)、レモ
    ン汁 1個分、模形に切ったレモンの皮(飾り用) 

作り方:オリーヴ油に塩、胡椒、唐辛子、ローズマリー、パセリ、タイムを混ぜ、ふたをして最低2
    時間置いておく。鶏肉の余分な脂肪を取り除き、皮を下にしてまな板にのせ、包丁のみねで
    トントンと叩く。これを大きなバットに入れ、風昧づけしたオリーヴ油をまわしかけて、時
    々上下をかえしながら最低]時間マリネする。熱したグリルに皮目を下にして鶏肉をのせ、火
    から20センチほど離して、残ったオリーヴ油にレモン汁を加えたものをかけながら焼く。途
    中で1度ひっくりかえし、15分ほど焼いて透明な黄色い肉汁が出るようになればできあがり。

 

【オリーブの木の下でⅤ】

オリーヴ讃歌

さて、昨夜の続き、第七章「マフィアとオリーブ」から。

ローゼンブラムがマドリードで出会ったあるオリーヴ生産者は、アメリカ市場を独占支配しているイ
タリア人の
悪口を並べ立てたあげく、肩をすくめて言った。「『ゴッドファーザー』を見ただろう?
」 映画マニアならだれでも
憶えているだろうが、ドン・ヴィート・コルレオーネが撃たれたのは、
自らの帝国の中心部、マンハッタンで営ん
でいた家業のオリーヴ油ビジネスのせいではない。しかし
オリーヴ油とマフィアの関係については長年さんざ
ん聞かされてきたので、マリオ・プーヅォ本人に、
『ゴッドファーザー』のためにどういう調査をしたのか訊いて
いる。

Mario Puzo

「私はオリーヴについては何も知らないし、本物のマフィアのことなんてなおさら知らないね」とプ
ーヅォは答え
ている。「マフィアなんて本当にいるのかね? あれはすべて私の創作だ」むろん、マ
フィアはプーヅォの想像
の産物ではない。「『ゴッドファーザー』は非常に重要な作品だ」その後、
ニック・ビレッジは彼に言った。ビレッ
ジはAP通信にいた頃から徹底的な調査をおこなうジャーナ
リストで、ニューヨークのマフィアの世界でうまく生
き抜こうとする男たちを描いた『ワイズガイ(
グッドフェローズ)』(徳間書店)の著者だというが、ニックがくれた
連絡先をもとに調査する。、

その結果、ほぼ百年にわたり、オリーヴ油はマフィアにとって、コンクリートを履かせて海に沈める
手口同様なくて
はならないものだとわかる。シチリア・マフィアが初めてアメリカに根づいたのは、
南北戦争直後、黒
人奴隷が解放されて南部の農園を離れたあと、ルイジアナ州にイタリア人農業労働
者がやってきた頃にさかのぼる。二十世紀初頭には、マフィアにとって守らねばならない利益
も増大
しており、ニューヨーク市警のジョー・ペトロジーノ刑事が、パレルモで犯罪者の調査中、マフィ

の殺し屋に殺される事件も起きたという。マフィアの犯罪活動の中には、大都市で急増してい
たイタ
リア移民のために、本国から主要食料品を輸入する仕事もあった。アーティチョーク販売を取
り仕切
る大物やチーズ王のほか、言うまでもなくオリーヴ油取引の大御所もいた。至極当然のことで
ある。
これはイタリア人社会の需要を満たすものだった。まともなイタリア人の母親なら、ミネスト
ローネ
に入れる黄色く濃厚な南部のオリーヴ油なしには、一週間ともたないだろう。こうした食品ビ
ジネス
は、合法的かつ手頃な隠れ蓑にもなった。シチリアから来たマフィアは、どこに行けば安定し
た供給
が確保できるか知っていた。儲かるとはいえ、本格的なライバルが現れるほど莫大な利益を生
む商売
ではなかったという。

 

1933年に禁酒法が廃止されると、こうした食品業は急成長した。「大勢が密造酒を運ぶトラックを持
っていたが、急に運ぶものがなくなってしまった。合法的なアルコール販売業に乗り出した者もあれ
ば、オリーヴ油販売を始めた者もいた。いくつものファミリーが関わっていた。プロファーチ家がオ
リーヴ泊販売を始めたとき、彼らにとっては初めての合法的なビジネスだった」ビレッジは説明する。
しかし、「名誉ある男」たちは無謀な競争者が現れると少々手荒に脅迫して、さまざまな領域でむり
やり市場を独占しようとしたのでは?「まあ、そうだね」ビレッジは笑った。「彼らと張りあおうと
思ったら、相当荒っぽい輩を相手にしなきゃならないからね。でもまあ、石油でロックフェラーと張
りあったり、鉄鋼でカーネギーと張りあったりするのとはわけが違う。あくまで自由企業体制なんだ」
第二次大戦後、イタリア食材への需要は高まった。イタリアン・レストランはますます多くのオリー
ヴ油を必要とするようになった。のちに至るところにピザの店が出現しだすと、オイルだけでなく、
チーズとトマトペーストの市場も拡大した。レストラン経営はマフィアの活動にとって恰好の隠れ蓑
となる。仲間も部外者も、口実をつくる必要もなく、好きなだけ立ち寄ることができた。奥の部屋で
何が話し合われ、何か売買されようと、警察が監視するのは難しかった。と、書いている。

 

1940年代にはすでに、マフィアのボス、ジョゼフ・プロファーチは「オリーヴ油王」として頭角をし
ていた。ニューヨークおよびニュージャージーの港を支配下におき、全米各地でオリーヴ油を販売す
る他の「支部長」とも取引していた。ジョン・カミンズとアーネストフォルクマンは『ゴンバータ』
の中で、のちの「コロンボ・ファミリー」を牛耳っていたジゼフ・プロファーチは「とてつもないけ
ち」だったと書いている。彼は大富豪だった。さまざまな闇商売による莫大な収入があるにもかかわ
らず、自らの合法的な事業、すなわちオリーヴ油販売でも、ニューヨークの市場をほぼ独占支配し、
家庭的で、敬虔なカトリック教徒であるにもかかわらず、残忍だという噂がつきまとい、地元の麻薬
常用者が、プロファーチの通う教会から聖母像の冠の宝石を盗んだ。マフィアの世界で「オリーヴ油
王」として知られるこの男は、泥棒を何時間も拷問させ、最後にロザリオで絞め殺したという。

そんな、プロファーチは、細長く鋭角的な顔に尖った鼻をした、身なりのいい小柄な男だった。家庭
を大事にするプロファーチは、愛人を持ったことのない数少ないマフィアの大物のひとりであり、披
がナイトクラブに行く姿を見た者はひとりもいなく、カトリックの友愛組織、コロンブス騎士会の一
員であることを誇りにし、ほとんど家から離れず、自分の商品より上等なオリーヴ油をかけた食事を
楽しんだという。



ローゼンブラムはシチリア島に向かう。彼は以前り向かうのに忙しく、オリーヴ油などを調べている
暇はなく、マフィアの町として有名なコルレオーネは、ロバと黒いストッキングの老婆のいる、丘の
上の魅力的な石造りの町で、周囲にはオリーヴの古木やレモンの木が生い繁り、穀物畑が広がってい
る。「ゴッドファーザー」ツアーの神経質なアメリカ人観光客を満載したバスが次々に訪れるように
なったせいで、町の経済状況は改善している。大物マフィアは結婚式と葬式ぐらいしか姿を見せず、
口も堅いというはローマに向かう。イタリアの当局者とローマを拠点に活動する捜査官に訊くと、彼
らの多くは匿名を条件に話してくれ状況は大きく変わる。彼らによると、イタリアのマフィアは麻薬
取引をめぐる内部抗争で弱体化したが、ロシア・マフィアとの新たな競争を乗り切るため、組織の立
て直しを図っている。アメリカにオリーヴ油を輸出しているマフィアは、もはやシチリア人ばかりで
はなく、マフィアの関係する輸入量は今では市場の一部を占めるにすぎない。今の犯罪組織は、組織
に属さない詐欺師と同じ方法で金を稼ぐ。良質のオリーヴ油に、ラベルの表示より安い油を、時には
より危険なものを混ぜるのもひとつの手口である。テッサロニキにあるギリシア科学技術教育研究所
のパウル・キリツァキスは、1990年の著書『オリーヴ油』の中で、オリーヴ泊輸出業者ならだれでも
知っていることを裏書きしているという。

前表紙

オリーヴ油は国際市場において、他の植物油よりはるかに高値で売れる。そのため、オリーヴ油に安
い油を混ぜるという誘惑に駆られる者も出てくる。中には人々の健康に有害なものもある。混ぜもの
用の油として広く知られているのは……オリーヴ残滓油、トウモロコシ油、ピーナッツ油、綿実油、
ヒマワリ油、大豆油、芥子油などである。そのほか、ひまし油、豚脂(ラード)や他の動物性脂肪も、
時に少量ながら使われている。再エステル化処理した油や工業用の菜種油を使ったれいもあるという
のだ。
 

【シャープの失敗から学ぶもの】

テレビは、各家庭に最低1台以上は普及し、家族がその前で多くの時間を共有するという他には例の
ない電気製品。家電メーカーにとってテレビはこれからもキーとなる製品であり続ける。パソコンや
ゲームに置き換わるようなものではないだろう。ただ、国内メーカーが中核のそのテレビ事業を放棄
させられるまで追い込まれているのも事実。では、なぜ国内メーカーの薄型テレビがほんの数年でこ
れほどの苦境に陥ったのか。その失敗の本質を探るには、液晶ディスプレイと液晶テレビ、それぞれ
の敗因について分析しなければまらない。

まず第1の液晶ディスプレイでの最大の敗因は「投資戦略の失敗」に行き着きつく。その原因の1つが
液晶パネルについて、1998年から2003年までのこの事業の「営業利益と設備投資額」の関係は「利益
が出た翌年には設備投資を行うが、赤字になったら絞る」という単純な行動様式あったとされ、それ
は、「リスクを嫌うサラリーマン社長的(→番頭はん・丁稚型経営)」な日本に対し、韓国、台湾メ
ーカーは「営業損益の状況にかかわらず長期的な設備投資拡大のトップダウン型型」にあり、特にサ
ムスン・グループの李健熙会長が長期的なビジョンに基づき液晶事業に集中投資してきたことにある
とされている。 

もう1つの原因は、過剰生産による価格の急速な下落への対応の遅れ。ここには
薄型テレビでの「自
国至上主義、自前主義」へのこだわりがあだとなる。急激な価格低下に対してシャープの市場予測は
脆くも崩れます。堺工場が得意とする大型ディスプレイは、十分な収益が上がるほどの規模に市場が
育っていなかったため、
世界的な液晶パネルの価格下落もあり、堺工場の稼働率は50%ほどという惨
憺たるものになる。部材から最終製品まで全て国内工場で生産するという垂直統合モデルは、「自国
至上主義、自前主義」に固執しグローバル時代に適合できないガリバー病となりように、市場の環境
変化に適応出来なくなったためだとされる。

そのことを踏まえ戦略を練り直すことは現実的には困難かもしれないが、答えはすでにでているよう
にわたし(たち)には思える。

コメント

オリーブの木の下でⅣ

2012年08月19日 | 時事書評

 

 Fresh Tuna Escabeche

 新鮮なマグロのマリネ(前菜として6人分)

スペインではオリーヴ油を使わない料理なんてひとつもないわよ」そう言い
ながらも挙げてくれたのが、小ぶりのビンナガマグロを使ったこのマリネ。

材料:○新鮮なマグロ(約700グラムの   ○エクストラヴァージン・オリ
    もの)        1尾    -ヴ油      2カップ
     ○塩               ○ローリエ       2枚
   ○タマネギ(刻む)約300グラム   ○タイムの小枝     2本
     ○ニンニク(小片に分け、皮を   ○シェリー・ヴィネガーまたは
      むいて薄切り)    1個    白ワイン・ヴィネガー210cc
   ○辛口の白ワイン    3/4本

作り方:

マグロに塩をし、2時間おいておく。オリーヴ油でタマネギとニンニクを炒
め、ローリエとタイムを加える。焦がさないように炒め、タマネギが透きと
おったら、マグロとともに耐熱性の深鍋に入れ、分量のヴィネガーとワイン
さらに水をひたひたになるまで注ぐ。塩で昧をととのえて火にかけ、沸騰し
たら弱火にし、マグロがやわらかくなるまで約45分煮込む。火から下ろし、
荒熱がとれたら冷蔵庫で冷やす。少なくとも一昼夜、煮汁につけたマグロベ
取り出し、アメ色に炒めたピーマン、サラダ菜、野菜のローストとともに盛
って、煮汁少々をかける 

オリーヴ讃歌

【オリーブの木の下でⅣ】

第十章「マラケシュのオリーヴ市場」から。

はるか紀元前から、モロッコのヴォルビリスの周辺にはオリーヴの木が豊か
に繁っ
ていた。ヴォルビリスは、サハラ砂漠の北東の端という辺境におかれ
たヘレニズム
文化の前哨だった。のちにローマの征服者によって大都市が築
かれ、現在のメクネ
スの近郊には当時の遺跡が残っている。ローマ入はチュ
ニジア同様、ここでも地中
海沿岸から内陸部まで至るところにオリーヴを植
えた。現在のモロッコでは、オリー
ヴの栽培本数はチュニジアより少なく、
オリーヴ油はほとんど輸出していない。だが、
食用オリーヴではモロッコが
世界のトップであるという。



モロッコのどこの市場に行っても、深皿に山盛りになったオリーヴが見られ
る。黒オ
リーヴは、塩漬けもあれば、塩水漬けもあり、グリーンオリーヴは、
赤唐辛子で辛く
したものもあれば、レモンコンフィで甘くしたものもある。
ニンニク、パセリ、ターメリック
、オレガノ、ローズマリーやタイムで風味
をつけ、丸々として果肉の締まった紫色
のオリーヴもある。どの村にも秘伝
の製法があり、どの町にも特産品がある。フェズ
ではコリアンダーを加える。
大西洋岸の町アガディールでは、山でとれる秘密の
香草をまぶす。鶏肉のタ
ンジンから新鮮なサラダまで、オリーヴはありとあらゆる料理に忍びこんで
いるとか。



オリーヴ好きにとって、マラケシュの市場の一角は、世にまたとない特別な
場所である,蛇使いやスリとすれ違いながらジャマ・エル・フナ広場を抜け
れば、そこはもうスークである。オリーヴはモロッコの大部分で栽培されて
おり、海岸地帯からアトラス山脈、リフ山脈を越えて、サハラ砂漠の方まで
広がっている。オリーヴがもっとも鬱蒼と繁っているのは、千年の歴史を誇
るイスラム王朝の魅惑的な都、高い城壁と複雑な迷路の町フェズの周辺であ
る。しかしオリーヴ世界の聖地といえば、何といってもマラケシュである。
多くの旅行者に愛される世界的な一流ホテル〈ラ・マムーニア〉は、1920

代に古都マラケシュのオリーヴ畑の中に建てられたアール・デコ様式の豪華
ホテルである。緑したたる庭園には、オレンジの木や多肉植物、可憐な花々
に交じって、オリーヴの大木が立っている。花をつけた蔓植物が古い幹をそ
っと這い上がり、まるで銀緑色に輝く樹冠から深紅の花が咲きでているかの
ように見える。マラケシュのオリーヴは、狭い裏通りの地下室で加工され、
アトラス山脈に住むベルベル人も各自特製のオリーヴ漬けを売場に来る。



観光客や物乞い、預言者ムハンマドの直系を自称する種々雑多なガイドの間
をすり抜けて進むうち、オリーヴ市場にたどりついた。1912年にモロッコが
フランスの支配下に入るまで、この近くでは奴隷の競売がおこなわれていた。
数軒の店が、樽や箱にあふれるばかりのオリーヴを並べて売っている。優美
なにアラビア文字で書かれた店の所有者名以外は、どこも同じようだ。どの
店も高く積み上げたガラス瓶で三方を囲まれ、瓶は精緻なタイルのモザイク
のように実に美しく並べられている。さまざまな色合いのグリーンオリーヴ
を背景に、鮮やかな黄色のレモンのマリネと赤唐辛子が交互に並んでいる。
先の尖った小さな唐辛子の間に、オリーヴを幾何学的に配した瓶もある。白
いアーモンドを詰めたオリーヴ。ニンジン、セロリと漬けこんだミックス・
オリーヴ。グリーンオリーヴの輪切りを模様のようにきれいに詰めたものも
あるという 

Agadir.jpg アガディール(Agadir)                    

広い台の上には巨大な班寫の深皿がいくつも並び、見事な円錐形をしたオリ
ヴの山は高さ2フィートに達する。どの店でも、見るからにオリーヴ売り
とい
う感じの男が、大きな杓子とプラスチックの小袋を手に待ちかまえてい
る。エ
ルバッシリ・アブデッサマド、オリーヴ卸売・小売商」と書かれた看
板の下に、愛想のいいオリーヴ
売りがいた。大きな口髭をたくわえ、汚れた
長衣と白い縁なし帽を身につけた彼の名はアリといった。四
年前まで通路の
向こう側の店で女性用の肌着を売っていたが、オリーヴの方がいいと言う。



アリは懇切丁寧に店の主要商品の説明をしてくれた。この国のオリーヴはほ
とんどがモロッコ産ピショ
リーヌ種(もしくはベルディ種)で、フランス原
産のピショリーヌより丈夫で野性的な品種である。アリ
の店も例外ではない。
グリーンオリーヴは九月中旬から十月末にかけて収穫する。砕いて塩水に漬
け、多
くの場合、苛性ソーダも加える。種を抜くこともある。その次は紫色
に色づいたオリーヴを収穫する。こ
れには塩水がよく染みこむよう、剃刀で
一度切れ目を入れる。黒オリーヴは十一月下旬から十二月まで木
につけてお
く。よく然しているので、皮を切ったり砕いたりせずに処理できるという。
彼は、酸っぱいオレンジとレモンの皮を漬けこんで甘みを出した、柑橘類風
味の大粒グリーンオリーヴを強く薦めた。が、ローゼンブラムの目は、死ぬ
ほど辛そうな大量の唐辛子と刻んだパセリに覆われた、黒、紫、緑のミック
ス・オリーヴに釘づけだった。これはどれくらい長く漬けたものかと訊くと、
アリはきょとんとしている。ローゼンブラムは近所のフランス人たちがオリ
ーヴに風味をつける方法を説明した。香草、唐辛子、香辛料をミックス・オ
リーヴに加えて数か月漬けると、すべての風味が溶け合うと。そして、必要
な材料は、自然に処理したオリーヴのみ。ちょっとした想像力さえあれば、
サラダをつくるように簡単に、自分なりのオリーヴ漬けをつくることができ
というのだ。

808年、イドリスニ世はフェズをモロッコ最初の大王国の首都と定めた。旧
市街フェズ・エル・バリは涸れ川の両岸に築かれた。片岸にはスペインを追
われたムーア人が住みついて、アンダルシアの香りをもたらし、もう一方の

岸にはチュニジアのカイラワンからの移住者が、イスラム聖地の息吹を伝え
た。アフリカの富がラクダで
北へと運ばれ、イタリア凰の壮麗さが海を渡っ
てきた。それらが渾然一体となり、胸躍るモザイク都市が
できあがった。タ
イル装飾、アーチの入口、繊細な木彫、そびえ立つ泥土のミナレット、夜の
闇に沈ん
でゆくつややかな石畳。 

                    ‘

そして、ローゼンブラムは-だが、何よりフェズで印象的なのは、町という
より、むしろ人の顔-エキゾティックな頭巾に半ば隠
れた顔の方だ。色とり
どりの上着の尖ったフードの下に見える、野性的な黒い髭。かぎ針編みの白
い縁な
し帽に、つやつやした赤銅色の肌が映える。黒いいヴェールからのぞ
く、なまめかしい黒い瞳。文化が変わ
ればオリーヴの木もがらりと変わるが、
オリーヴをつくる人もまた変わる-と表現する。

世界で1,125品種はあると言われるオリーブ。開花期間は4~5日と短く、
開花後、米粒ほどの小さい実をつけるが、他品種の樹を側に複数本植えるこ
とが好ましい。多くの品種は自家受粉ができないうえDNAが同一の花粉には
反応をしない上、花が咲いたとしても結実することは難しいとも言われ、自
家受粉する。青いオリーブの実は10月頃には2cm弱の大きさに育ち、紅葉の
ころ青い実は褐色に熟成し、グリーンオリーブとブラックオリーブと収穫期
で摘みわける。実は、傷つけやすく、傷口から果肉や実に含まれ酸化劣化も
始まる。昔は、実に切り傷をつけ何日も流水にさらし、渋抜きをしたが、現
在では新鮮な実をアルカリ処理で渋を抜きし、塩水に浸漬し加工するとか。
テーブルオリーブをみると緑・黄・茶・黒と色とりどり良く、形や大きさも様
々、香りや味も千差万別。まさに百花繚乱、いや、百種繚乱というわけだ。
 

。       

コメント

オリーブの木の下でⅢ

2012年08月18日 | 時事書評

 

 

 
【オリーブの木の下でⅢ】

フランスーアイヨリはプロヴァンスの生命の糧。茄でたタラやエスカルゴ、卵、ビーツ、カリフ
ラワー、ジャガイモ、ニンジン、アーティチョーク、ヒヨコ豆などに添えて出されるオリーヴ油
のマヨネーズである。

材 料:卵黄1個分、酢 大さじ2、溶きがらし 大さじ1/2、塩 大さじ1/2、胡椒 少々、オ
    リヴ油 カップ1 1/2、マヨネーズ カップ1/2、にんにく 1/2~1片、パセリ 少々、
    レモン汁 少々
作り方:鮮度のよい卵黄1コ分、酢大さじ2 、溶きがらし・塩各大さじ1/2、胡椒少々をボウルに
    合わせ、サラダ油カップ1+1/2を少しずつ加えながら泡立て器で混ぜる。このマヨネーズ
    をカップ1/2、すりおろしたにんにく1/2~1かけ分、パセリのみじん切り・レモン汁各少
    々を合わせる。

 

実際にエクストラヴァージン・オリーヴ泊を買う際には、次の二冊が参考になる。

・アン・ドラモア著『おいしいオリーブオイル101』(日本ヴォーグ社、1999年)
・ジュディ・リッジウェイ著『世界のオリーブオイル百科』(寺沢恵美子訳、小学館、1999年)



オリーヴ泊の健康への効用については、

・ベルナール・ジャコト著『オリーヴの本』(小林淳夫訳、河出書房新社、1994年)

オリーヴ油関係の料理本は多数出ており、以下に主なものを挙げる。

・北村光世著『オリーブオイルのごちそう』(文化出版局、1996年)

・服部津貴子著『オリーブオイルとイタリア料理』(グラフ社、1997年)
・小暮剛著『オリーブオイルCOOKING』(雄鶏社、1997年)
・演崎龍一著『オリーブオイル』(世界文化社、1997年)
・川路妙著『オリーブ』(フレーベル館、1998年)
・ナヴィインターナショナル編著『パスタ&オリーブオイル』(ナツメ社、1999年)
・ダニエラ・オージック著『オリーヴオイルを使う本』(柴田書店、2000年) 




何故、オリーブの木はねじれるのか】

オリーヴの古木の樹齢は三千年というのがあるらしいことはこの本を読んでいて知る。そういえ
ば、オリーブの木は歳を経るほどに、幹が螺旋状にねじれるように育って行くが、何故、オリー
ヴだけ?極端にねじれるのか不思議に思う。高齢になれば多くの樹木の場合、木は節くれだった、
ねじれれる。要するに成長環境に木が反応し、成長条件によって生成された傷を癒すことで、環
境に適応しタフになっていくが、時には歪み異常な成長するのは、それこそ、吉本隆明流<生物
自然>ということ-火災、暴風、洪水に遭遇し遺伝子設計変更したのだと。それが、オリーヴの
螺旋状パターン- 遺伝子のような螺旋は、オリーヴを安定させ耐環境性を獲得するのだろう。
新芽が厳しい風で吹き飛ぶのを防ぐために幹に沿ってねじる。樹皮は風によって破損し、かさぶ
たを形成修復する。強風方向の樹皮や葉が反作用でより大きく成長しようとするのだと説明する。
時には、古い木の心材が出て腐っているものがあるが、これは、真菌の攻撃であい、若い木の力
よりも大きい損傷を受けることもある。しかし、損傷以上にかさぶた形成する場合もあるという。
極寒や灼熱環境で、オリーヴの樹木は屈曲、ねじれ対応し、水や栄養分の補給距離を縮小させる。
このようにして岩山のような堅牢や斑状の樹皮を形成するというのだ。待てよ?それじゃオリー
ヴの北進化も可能じゃないかと。これは新しい提案であり、これはオリーヴの遺伝子の利用技術
の提案でもある。

 

さて、第十五章「カリフォルニアのオリーヴ・ブーム」。

カリフォルニアのオリーヴ油ルネサンスが始まったのは1990年代初頭と遅い。

ブルース・コーンが毎年絨
毯を横切る際につける黒い油の染みに、妻の堪忍袋の緒が切れてから
間もなくのことだった。あの忌々しい林を何とかするか、切り倒すか、どっちかにしてちょうだ
い。コーンはカリフォルニア州ソノマ、グレンエレンの近くできわめて上質なワインを生産して
いた。「あの忌々しい林」とは、彼のブドウ園の名称「オリーヴ・ヒル」の由来となった林にほ
かならない。堂々たるピショリーヌ種オリーヴの古木は、とうに忘れられたソノマの植民者の手
で、十九世紀にフランスから持ちこまれたものだった。そこでコーンはきわめて上質なオリーヴ
油をつくってみようと決意した。決して突拍子もない計画ではなかった。フニペロ・セラ神父を
はじめとするフランシスコ会の宣教師たちが、メキシコからサンディエゴ・デ・アルカラ伝道所
にオリーヴの木を持ちこんだのは、1767年のことである。彼らはカトリシズムとともにオリーヴ
文化を、サンフランシスコのさらに先まで、西海岸一帯に移植した。今もサンタバーバラの伝道
所は美しいオリーヴの老樹に囲まれている。1803年、宣教師のラウセン神父は、カリフォルニア
のオリーヴ泊のすばらしさを報告している。1885年にはすでに、オリーヴ油はヴェントゥラの町
で商業的に生産されており、世界でも一流の水準にあった。スペインとイタリアから新たな品種
が導入され、質も昧も上がった。ところが二十世紀初頭、イタリア人が本国の安いオイルをアメ
リカ市場にあふれさせた。アメリカのオリーヴ生産者は、昧も何もない黒オリーヴの缶詰づくり
に活路を見出した。缶詰用オリーヴの大農園が、カリフォルニア州中部に広がるセントラルヴァ
レーに続々と出現した。しかしソノマとナパでは、カリフォルニアの入植時代にさかのぼる大木
がワイン用のブドウに植え替えられ、あるいはロサンジェルス近郊の駐車場を飾るために南へ送
られた。そして1980年代末、オリーヴ油の効用に目覚めるアメリカ人が増えると、カリフォルニ
アの人々は残っていた木に気づいた。ブルース・コーンの家系は地中海やオリーヴ油とは何の関
係もなかったが、彼は生まれながらにして魅力的な山師だった。生まれはシカゴで、靴のセール

スマンをしていたユダヤ系の父サム・コーンは、ロベルト・コナーティという名でオペラに出て、
イタリア語のアリアを歌ったこともある。ブルースは金がたまると、カリフォルニアのワイン貴
族の仲間入りをした。多くの人と同様、頭金とローン契約による出発だった。1992年のハロウィ
ーンの頃、ブルースと弟のマーティは収穫したオリーヴをトラックに積みこみ、南へ三時間の都
市モデストの採油所まで運んだ。B・R・コーンのエクストラヴァージン自体も悪くはなかった
が、それ以上に手彫りでエッチングを施した豪華なフレンチ・ボトルが何ともしゃれていた。一
年目にできた十二パック二百ケースは次の収穫までに完売した。ろくに手入れをしていない木の
オイル
それも敷地から離れた採油所で搾った素人のオリーヴ油でありながら、値段は半リットル
五十ドルで、ラ
ウデミオの倍もした。ナパに近い丘の上でラザフォード・ヒル・ワイナリーを営
むライラ・イェーガーは、
すでに1989年ブームからオリーヴを搾っていた。他のソノマとナパの
ワイン醸造所の一部も、販売用オリーヴ油の生
産に乗り出そうとしているか、検討しているところだっ
た。ブルースの成功を見て、残っていた懸念がぬぐい去られたとモート・ローゼンブラムと紹介する。

オリーヴ讃歌

私(モート・ローゼンブラム)はある朝、ハイウェイ19号線でソノマに住む姉ジェーンのとこ
ろに行く途中、偶然「オリーヴ・ヒル」を発見した。食文学作家M・F・K・フィッシヤーが愛
した小さな家を過ぎたあたりで、私はとっさにブレーキを踏んだ。オリーヴの大木が誉蒼と繁る
林が、道路から上品な邸宅の方へ広がっていた。どうやら招かれざる客を嫌う人々が住んでいる
ようだ。なに、かまうものか、記者は鼻をつっこむのが仕事だ。私道の突き当たりで、一般客用
の裏口にまわるよう指示された。裏口はテイスティング・ルームに通じていた。たまたまこの年
はコーンがオリーヴ泊生産を始めた年にあたっていた。エクストラヴァージンはきわめて上等で、
ぴりりとした昧が際立ち、口当たりも良く、色は透明なグリー・ンイエローだった。早い時期に
摘んだため、フランスのピショリーヌより刺激が強い。気に入った。それにしても1リットル百
ドルは高
すぎないか? コーンはそのほかにも、近隣の農場から買ったオリーヴで低価格のオイ
ルをつくって売っていたが、そちらはハーブでも潰けこんだ方がよさそうな、何の特徴もないブ
レンドオイルだった。同じように14.5インチの漁色の瓶に入っているが、ラベルは手彫りではな
く機械によるエッチングで瓶に彫り刻まれていた。来意を告げると、インターコムが作動し、ブ
ルースが裏の建物からのっそりと出てきた。ハンサムな顔立ちにがっしりした体格、全身に限り
ない自信をみなぎらせたブルースは、見るからに高利貸しから貸し倒れ金の取り立てが来そうな
タイプである。重たげに垂れたまぶたも、わんぱくデニスのような目の輝きは隠せず、あとであ
っと驚くような何かを企んでいるのではないかと思わせる。彼はオイルドという新たな役割をの
んきにおもしろがり、これまでの成果に満足しているように見えた。一年後に立ち寄ってみると、
コーンは納屋で1フィートもあるコヒバの葉巻をくゆらせながら、次の目標に思いをめぐらせて
いた。四輪駆動のホットロッドである。すでにパワーアップしたトヨタのエンジンを、改造した
ウィリスのジープのシャシーに押しこんだこともあった。オリーヴ油ベンチャーは、共同経営者
のグレッグ・ライシンガーの手でさらに発展していた。薄茶がかった金髪をうしろで編んだ、至
極感じのいいライシンガーは、経営の専門家で、オリーヴ業もたちまち独習した。ライシンガー
はカリフォルニア・オリーヴオイル協会の会長にも選ばれており、同協会の会員は1995年末まで
に175人に上る。実際に活動しているのは25人ほどで、多少なりともオリーヴ油を販売している
生産者は一握りである。この団体は、ラザフォード・ヒルのライラ・イェーガーの旗振りで、友
愛的なサークルとして誕生した。駆け出しのオリーヴ油生産者たちが、成功へ向けて情報を交換
し、品
質基準を定め、失敗を慰めあえる場所である。彼らは北イタリアや南フランスにも旅をし、
力を合わせてカリフォルニア産オイルの向上に取り組んでいる。「オリーヴ・ヒル」は、毎年6
月、全生産者が集うカリフォルニア・オリーヴ油祭りを主催するようになった。それ以外でも、
テイスティング目当ての熱心な愛好家が何千と集まってくる。コーン家のテイスティング・ルー
ムはじきに母屋全体を乗っ取ってしまうだろう。



「カリフォルニアは世界に通用する独自のオリーヴ油をつくるべきだとわれわれは考えている」
1995年の終わりに三度目の訪問をしたとき、ライシンガー
は言った。「イタリアそっくりのオイ
ルをつくるのが目標ではないはずだ」彼ほど人好きのしな
い人間の口から出たら、挑発ととられ
そうな台詞である。カリフォルニアのオリーヴ・ルネサン
スは、主としてぴりっとしたフラント
イオ種とレッチーノ種を輸入し、トスカーナの丘陵地帯の
ような辛口タイプのオイルをつくるこ
とで推し進められてきたからだ。「アメリカ人はオイルの
違いを見分けられるように、もっとオ
リーヴ納について学ぶ必要がある。この国の料理は、簡単
でエレガントで、体にいいものにした
方がいい。オリーヴ納はまさにうってつけだ
」ただ問題は、
ライシンガーも認めるように、どの
品種を使ってカリフォルニア・オイルをつくるべきか、まだ
答えが見つかっていないことだ。彼
はヨーロッパをまわって、フランス産の方が自分の好みに合
うことを知った。「もっと繊細で、
一口目のぴりっとくる刺激がない」そう言うと、ドラギニャ
ンの古い石造りの採納所でつくられ
たファブリス・ゴデのサン‥カシヤンの瓶を掲げた。ゴデはヌニェス・
デ・プラド兄弟を崇拝し、
同種のオイルをつくっている私の隣人である。ライシンガーはマダム・アリオーヌ
のオイルも好
きだというが、私と同じ印象をもったようだ。「見事な商売人だね。ラヴェンダー・オイルが儲
かるとなったら、きっと乗り換えるよ」狭い世界だ。コーンも同意見で、フランスから新たな苗
木を購入するつもりである。現在、「オリーヴ・ヒル」はフランスのピショリーヌー種に依存し
ている。ライラ・イェーガーは「野生オリーヴ園」のすぐそばの苗木園に、ブテイヤン種とアグ
ランドー種の苗木三百本を注文したところだ。近々、もとからある樹齢二百年のスペインの木々
の仲間入りをすることだろう。他の数か所のブドウ園もフランスの品種を導入しようとしている。

 

しかし業界の大物二人は、ゼロから出発し、それぞれイタリアの苗本数千本を輸入することから
始めた。彼らは今、オリーヴ油ブームの波に乗りたがっている小規模生産者に苗木を売る計画を
ひてている。大物のひとり、リジリー・エヴァーズは、サンフランシスコのノースピーチにある
インターネット・ソフトウェア会社を経営する起業家で、自転車のロックの発明者でもあり、つ
い最近ダヴェロという銘柄で最初のオリーヴ泊を生産した。イタリア産の若木三千本からとれた、
きわめてシャープで苦みのあるオイルである。「カリフォルニアがしなければならないことは、
最初に戻って品種の組み合わせを工夫することだ」ライシンガーは指摘する。「向こうには大市
場がある。しかし最大の問題は、つねに高品質のオイルを安定供給できるかどうかだ。東部の人
がカリフォルニアのオイルは良くないという噂を問いたら、こちらは長い間ダメージを被ること
になる。われわれは世界でも一流のオイルをつくらなければならない。非常に高い目標だが、当
然のことだ。一流になれないなら、わざわざやる価値はない」 カリフォルニアの生産者にとっ
て、これは容易なことではない。数世代にわたる過剰な潅漑と剪定不足のため、ほとんどの本は
水っぽい実をつける。コーンの三百本のピショリーヌから五パーセント以上の油がとれることは
まずない。カリフォルニアの主要五品種は、油用というよりむしろテーブルオリーヴ用である。



フランシスコ会の宣教師が最初に植えたのはミッション種だった。頑丈なメキシコ産で、もとも
とは征服者とともにスペインから新人陸にやってきた。カリフォルニアでは最初ミッション種が
優勢だったが、1875年、アンダルシア人がマンザニロ種を持ちこんだ。その十年後、スペインか
らの移民がセビラノ種を植えた。今もセビーリャ周辺でよく見られる大粒の品種で、ゴルダルと
もいう・同じ頃、イタリア人がアスコラーノ種をもたらした。その後、1905年には農家がチュニ
ジアのバルニ種を導入した。このほか少なくとも六十品種がカリフォルニア中に散らばっており、
レディング・ピショリーヌ種から、ギザのピラミッドの近くに生えるアギザ・シャミ種まで幅広
い。(同上『オリーヴ賛歌』)

 

ナショナルな、ラッショナルな煽りには、注意深く警戒しなければならない。そういうようにテ
レビ映像は忠告しているようだ。「易きに着かず」これが近代戦争史から学んだことだ。そんな
ことを考え、冗談半分警告半分で今日の巻頭図、CPGS(Conventional Prompt Global Strike:
通常兵器型即時全地球攻撃)構想のシンボルFalcon HTV-2(Hypersonic Technology Vehicle-2)
を掲載した。

コメント

オリーブの木の下でⅡ

2012年08月17日 | 省エネ実践記

 

 

信州自然王国タプナード160gのせて食べるオリーブペースト

【タプナード】

フランスーシンプルで美味なるは、トーストしたパンに塗食べるプロヴァンスの「キャヴィア」
フランスのオリーヴ好きにとっては基本中の基本。ニンニクやローリエ、タイム、マスタード、
またはラム酒やコニャックで風味づけをしてもよい。

材料:黒オリーヴ(種ぬき、塩漬け)、アンチョビー(塩漬けを塩抜きしたものまたは油漬け)、
ケイパー、風味のまろやかなエクスト・ヴァージン・オリーヴ油、塩、胡椒

作り方:黒オリーヴ、アンチョビー、ケイパーを乳鉢と乳棒(材質は伝統的に大理石)ですり
つぶす。オリーヴをケイパーやアンチョビーよりやや多入れるのがコツだが、割合は好みでよ
い。控えめに塩、胡椒し、オリーヴ油をたらしてクリーム状に仕上げる。

   

【アスパラガスのタプナードグリルサーロインステーキ】

材料:グリーンアスパラガス、皮をむいてトリミング、クローブ、ニンニクは皮をむいて潰す。 
新鮮なバジルの葉、松の実、コーシャ塩、オリーブオイル、フレッシュタイムの葉、挽きたて
のコショウ、サーロインステーキ

作り方:軽く塩味の沸騰したお湯の鍋にアスパラガスを置き、柔らかくさっくりと3~4分煮て
水で冷やし水切り
。 半分にカットし、茎の上部を取り外す。 茎の底を切る。アスパラガス、
ニンニク、バジル、松の実、塩をフードプロセッサーでみじん切りしながら、オリーブ油を注
ぎペースト状にする。
小さなボウルに、タイム、コショウ、残りのオリーブ油と塩を入れてお
き、ステーキの上に混合せたものを載せ、アルミ箔で包みグリスする。ステーキを4等分に切
り分け、アスパラガスのタプナードをトッピングする(上図)。

 

 

 

【オリーブの木の下で】

オリーブの木は、寒さに弱く、ことしの冬に2本壊死してしまった。暖かい地方ででしか生育
できないフルーツの木などは、例え一瞬でも冬の寒さに晒してしまうと壊死する経験は、まだ
日本でマンゴの栽培がはじまっていなかった頃、彼女が部屋から苗木を屋外に出した瞬間、み
るみるうちに萎れてしまった。そういった経験から、ブラッドオレンジの苗木は注意深く室内
で越冬させている。さて、ローゼンブラム著の『オリーブ賛歌』の続きを。

さて、第三章「パレスチナとイスラエル」。

三千年前の驚くべき遺物を目にすることになった。古代パレスチナに住んでいたペリシテ人は、
一般に、およそ「ニューヨーカー」の美術批評を手がけるようなタイプではないと見られてい
る。だが実際は、洗練された文化をもつ海の民で、物づくりの技術も高く、最初の中東オイル・
ブームの際にオリーヴ油貿易で富を築いた。三千年前、彼らはガザに近い海岸沿いに広大なオ
リーヴ畑をつくり、石臼を何百と製造した。ペリシテ人は、紀元前十二世紀頃、エーゲ海方面
からパレスチナにやってきた。あるいはクレタ島から移ってきたのかもしれない。彼らは古代
ヘブライ人の諸部族と戦った。聖書に登場する巨人ゴリアテは、ペリシテ人の戦士である。サ
ムソンを欺いたデリラもペリシテ人で、サムソンが復讐のために破壊した建物はペリシテ人の
神殿だった。「パレスチナ」という地名は彼らの名に由来し、現在の住民は、「聖地」より「
パレスチナ」という呼び名を好んで使う。今ではペリシテ人についてはるかに多くのことがわ
かっているが、それは穏和なイスラエル人、ナタン・エイドリンのおかげである。レヴァディ
ム・キブツにある小博物館で、館長を務めるエイドリンに会う。博物館はイスラエル西部の港
町アシュドドから少し行った、テルミクネ遺跡の近くにある。1948年といえばわたしが生まれ
た年だが、第一次中東戦争に行っている間に、ヨルダン軍がキブツを襲い、住民を虜にした。
エイドリンはレヴァディム出身の女性と出会い、彼女の故郷に落ち着いたエイドリンは近くを
歩いていて、テルと呼ばれる丘状の遺跡を発見する。彼は、有能な助手を何人か手配し、掘り
はじめ、遺跡の一角から見慣れた機具の痕跡が見つける。「オリーヴの圧搾機だとわかりまし
た。三十年前にガリラヤで見たことがあったんです。ロバを使うねじ式の圧搾機でした。『う
まくいけば石臼も見つかるぞ』と言いました」間もなく大量の石の鉢と、手で転がしてオリー
ヴをすりつぶすのに使った百ポンド(約四十五キロ)もある花尚岩製の器具とが見つけたとい
う。



そして、ペリシテ人がヘブライ人から奪った「契約の箱」を牛の引く車で運ばせたという聖書
の記述についても調べる。丘を越え、涸れた河床に沿って牛が通っていったと思われるルート
を導き出した。「聖書が天から与えられたものだとは思っていません。だれかが書いたのです。
でもそのだれかは、この土地をよく知っていたに違いありません」そしてエイドリンは、つい
にペリシテ人の首都エクロンの場所を突きとめたと確信する。イスラエル人はエクロンを憎ん
でいた。ペリシテ人はイスラエルのサウル王を殺害し、十戒の石板を納めた「契約の箱」を奪
うと、首都エクロンに持ち帰った。ダヴィデ王は紀元前十世紀初頭にエクロンを略奪したが、
エクロンはオリーヴ油から得た富で復興を遂げた。エクロンはエジプトのファラオと同盟を結
んだが、前603年、新バビロニア王ネブカドネザルがエクロンを破壊し、ペリシテ人を奴隷とし
て連れ去ったとき、エジプトは何もしてくれなかったという。



「オリーヴ油は当時のもっとも重要な産物のひとつでした。オリーヴ油は文明を形づくり、人
々に仕事を与えました。日々の暮らしや宗教儀礼、王の儀式にも使われました。オリーヴ油を
保存するため、大きな陶器産業も生まれました。預言者がだれかを呪うときには、こう言いま
した。「神がおまえのオリーヴを滅ぼされるように』」エイドリンは長年オリーヴの起源を探
ってきた彼によると、エリコでは一万年前のオリーヴの種子が出土した。中東一帯のどこを掘
っても、人々の暮らしがオリーヴ油に大きく依存していたことを物語る遺跡が見つかる。エク
ロンがオリーヴ油を大量に輸出しだした頃には、オリーヴ油はすでに今日の石油以上に重要な
生活必需品になっていた。唯一の灯油であり、食糧であり化粧品や薬の原料であった。頻繁に
身体にオイルを塗る余裕があるかどうかが、社会的地位の指標となった。神殿の供犠にも欠か
ゼない。海の民であったペリシテ人は、自らつくったオイルを簡素な壷に入れ、エジプトや東
地中海一帯に運んだ。712年、アッシリアがエクロンを攻め落とした。アッシリアはオリーヴ
油の生産を拡大し、新たな市場を開拓した。エイドリンの「傑作」を芝生に覆われた近くの公
園で見せてもらった。出土した石の鉢と石材を使って再現したエクロンの搾油機である。フラ
ンスの古い搾油機にそっくりだった。まず、花崗岩でつくられた、巨大なめん棒のような摺り
石を20分ほど前後に転がし、オリーヴの実をすりつぶす。ペースト状になったら、丈夫な草を
編んだ円形マットに載せ、それを圧搾機の木枠の上にいくつも積み重ねる。今ある旧式の圧搾
機は巨大なねじを使うが、エクロンの搾油業者は、長いてこの端に重石を四個結びつけ、圧力
を加えていたという。

流れ出た油は大きな素焼きの壷に入れ、水と分離させた。壷の側面には穴がいくつもあり、木
の栓でふさいでいた。分離を速めるため、湯を加えることもあった。一日二日置くと、表面に
油が浮き上がる。栓を抜き、余分な水を排出する。青銅のひしやくで油をすくうと、壷の底に
は澱と水だけが残った。エイドリンの見積もりによると、エクロンの大規模な採油所は百十四
にのぼり、一日四時間、三か月間稼働したとして、それぞれ1シーズン7トンから10トンのオ
イルを生産していた。合計千トンである。人口がせいぜい七千人とすれば、売る分は大量にあ
ったが、今では一本のオリーヴも残っていない。エクロンが破壊されたとき、ほとんどが消滅
した。当時、農家はオリーヴの本の間に小麦を植えていた。侵略軍は千匹のキツネの尾に松明
を結びつけて畑に放し、あとには焼け焦げたおびただしい切り株だけが残った。残った木も寿
命が尽き、あるいは風雨に痛めつけられて枯れていった。出土した遺物や、搾油機の見事な実
物大模型を前にしても、南のネゲヴ砂漠へ向かって広がるこの埃っぽい乾燥した大草原と低木
地が、かつては見渡すかぎりみずみずしいオリーヴ畑に覆われていたとは信じがたいと著者の
ローゼンブラムは言う。そして、エイドリンは将来、オリーブの木を植えこの場所に古代の採
油所を再現する夢を語る。

オリーブ油による繁栄は貧富の陰影を否応なしに深くするゆえ争いごとも絶え間なく続く。太
陽エネルギーの恩恵はその恩恵に預かる人類がそれを歪める。そう思ったとき中東の石油はオ
リーブ由来ではないかと冗談半分ではあるが頭を過ぎった。



【未知の宝庫 日本深海】

海洋研究開発機構の小林英城主任研究員らの研究チームは、マリアナ海溝チャレンジャー海淵
の世界最深部(深度、10,900 m)に生息するヨコエビ(学名:Hirondellea gigas, 和名:カ
イコウオオソコエビ)の生態解明に取り組み、タンパク質、脂質、多糖類などに対する分解活
性を解析したところ、新規で有用性の高い消化酵素の検出及び精製に成功したという。
カイコ
ウオオソコエビは、植物性多糖を分解するセルラーゼ、アミラーゼ、マンナナーゼ、キシラナ
ーゼといった酵素を保持し、それら酵素の反応生産物であるグルコース、マルトース、セロビ
オースを大量に体内に含有し、超深海の植物を分解、栄養としていることを突き止める。
また、
これら酵素は高い反応性を有しセルラーゼは、オガクズやコピー用紙等を分解して直接ブドウ
糖(グルコース)に転換する、極めて生産効率の高い新規酵素であり、かつまた、優れた安定
性を有することを発見したという。このことで、トウモロコシなどの穀類ではなく、木材等の

天然バイオマスや廃紙等を常温でのグルコース生産の可能性をもつものとして世界的な成果と
になりうるだろう。  


特開2012-147754 生きた微生物の固定化方法および調製方法


 
カイコウオオソコエビが保持するセルラーゼが、木材や紙類を含めた多種多様なバイオマス全
般に対して、高いグルコース生産性を有していることを明らかにしたもので、木材等と反応さ
せることによって、エタノールの原料であるグルコースを容易に取得できることから、再生エ
ネルギーとして期待されているバイオエタノールの生産等に大きく寄与することが期待でき、
 
また、エネルギーを利用せず、枯れ木等から直接グルコース生産が可能であることから、生産
したグルコースを食品に加工することで、世界の飢餓地域の栄養改善にも利用できると考えら
れるという。さらに、本セルラーゼは天然由来のセルロースだけでなく、一般紙のような加工
されたセルロースでも、室温でグルコースを生産できることから、本酵素の利用範囲が非常に
広いことを示した。
カイコウオオソコエビからは、セルラーゼ以外の酵素も検出され、有意か
つ多様な特性が期待されるところですが、それら酵素は不安定であるため、研究の進展速度が
セルラーゼに比べ遅れいて解析方法等の多角的に検討を進めて行くとのこと。
 

コメント

オリーブの木の下でⅠ

2012年08月16日 | 時事書評


 

【オリーブの木の下で】

盆の施餓鬼供養ということで宗安寺に席順を取りに出かけ、供養が始まるまで時間があるので二人で図
書館に立ち寄る。借りていた本を返し、それじゃということで二冊かりることにしたが、一冊はモート・
ローゼンブラム著の『オリーブ賛歌』を借り、供養を終え予定の作業と夕食を終え読みはじめるが、と
てもじゃないということで途中で放り投げて残りは明日にでもということで、ブログに感想を打ち込む
ことにした。

「クリスマスに工芸家の友人が遊びに来たとき、切り取ってあった古い枝で銀器用の柄を彫ってくれた。
ある朝、わが家のオリーヴ園のささやかな初収穫を持って、トゥルトゥルにある十六世紀の採油所に行
き、マルセル・パ二ョルの小説から抜け出たような二人が、水力式の石臼やオーク材の柱で支えられた
搾機を操るさまを見守った。どろりと濁った黄金の液体が澪み出て、素焼きの壷に流れこむと、私は
パン
をつけて味見した。オリーヴ礼賛の詩が書けそうなうな気がした」と吐露しモート・ローゼンブラ
ムは
『オリーブ賛歌』を書き上げる。そして、
先史時代から今日に至るまで、オリーヴは地中海文化の
隅々にまで浸透してきた。アリストテレスはオ
リーヴについて思索し、レオナルド・ダ・ヴィンチは近
代的な圧搾法を考案した。古代エジプトのファラ
オはオリーヴをかたどった黄金色の彫刻とともにピラ
ミッドに葬られた。古代ギリシア人は闘技者の体に
大量のオリーヴ泊を塗ったため、オイルをこすり取
る「垢落(ストリギル)とし」という弓なりの道具までつく古代オリンピア競技会の聖火に使われたの
もオリーヴの技である。古代ローマにはオリーヴ油専用の取引市場と商船隊があった。勝利した剣闘士
には、ローマ皇帝と同じく、オリーヴの冠が授けられたと、筆を繋ぐ。それでは、オリ‐ヴの栽培が始
まったのはいつ頃うだろうという疑問が湧くが、聖書の草稿がパピルスに記された時には至る所にあっ
たのだという。


オリーヴ讃歌

そして、イスラエル初代の王サウルは、頭にオリーヴ油を注がれて王となった。「メシア」とはヘブラ
イ語で元
来「油を注がれた者」を意味する。救世主が現れるとしたら、それが男であれ女であれ、オリ
ーヴ油をた
っぷり塗られることになるはずだ。ソロモンの神殿の扉はオリーヴ材でつくられ、四つの顔
と翼をもつ巨大
な智天使の像が刻まれていたし、ユダヤ人は、シリアの支配からエルサレムを奪還し、
紀元前 164年に神殿を再奉献したとき、神殿の
常灯が油もなしに8日間燃えつづけたのを見て、ハヌカ
ー(神殿奉納)の奇跡を叫んだ。このとき彼らが
使っていた燃料はオリーヴ油である。ローマ軍に包囲
されたガリラヤ人が敵に浴びせた煮えたぎる油も、
オリーヴから搾ったものだ。東方の三博士は、きっ
とコールドプレスのヴァージン・オリーヴ油を携えて、
飼葉桶に寝かされた幼子イエスのもとを訪れた
に違いない。現在でもヘブライ語では善人を意味する慣用
句として「純粋なオリーヴ油」という言い方
をするという。また、
キリスト教徒にとっても、オリーヴは同じく神聖なものとして、フランク王国初
代の王クローヴィスⅠ
世が王位につくことができたのは、天から遣わされた鳩が、折よく神聖なる即位
の式に、聖油の壜をくわ
えて現れたためだという。 481年のことである。その洋梨形の壜は、サン・レ
ミのバシリカ聖堂に保管
され、以後34人のフランスの君主に聖油を塗る際に使われてきた。旧約・新約
聖書には、オリーヴ油
が計140回も登場し、オリーヴの木にふれたくだりは百か所近いという。



預言者ムハンマドは、アッラーの神聖な光を、灯明の燦然たる輝きにたとえた。灯明の油は、「東国の
産でもなく、西国の産でもない、祝福されたオリーヴの木」からとられたものだ。チュニジアにあるイ
ラム最古の高等教育施設は「ジトゥーナ」すなわちオリーヴの木という名をもつ。キリスト教徒やユ
ダヤ人ばかりでなく、イスラム教徒にとっても、オリーヴは知恵と豊饒と平和の象徴だが、オリーヴは
数千年にわたり、争いの象徴ともなってきた。今もなお、オリーヴは聖地パ
レスチナの政治状況と切っ
ても切れない関係にある。ヨルダン川西岸では、イスラエル側もパレスチナ側
も、土地の所有権を示す
ためにオリーヴを植える。パレスチナ人が立ち上がると、イスラエルは即座にすさまじい
報復をする。
オリーヴの木のうしろから石がひとつ飛んだだけで、ブルドーザーがやってくる。昔からのオリーヴ畑
が無惨につぶされ、所有者の家族には何代も後まで癒しがたい傷が残るというのだ。



また、オリーヴの本に囲まれて暮らしている人々は、空気がきれいで、生活も満ち足りていると口々に
言う。彼らは当たり前に奇跡を信じている。南仏アルルのジャンヌ・カルマンは、121歳の誕生日に、
世界一の長寿の秘訣を問われ「オリーヴ油ね」と答えたという。毎食のように使い、肌にも毎日すりこ
んでいる。古のプロヴァンス人は、「枝切る者には富をやろう」という諺をつくった オリーヴの実が
熟していくのを見るのは、どこか原始的な感情を揺さぶるすばらしい経験である。10月には色づきはじ
め、まず斑点のある薄紫色になり、次いで赤と紫のグラデーションがしだいに色濃くなり、12月に入る
頃にはもう黒くなっている。イタリア、トスカーナでは、その頃にはもう収穫を終えている。ぴりっと
苦みのある若いオイルを好むのだとその素晴らしさを語る。



また、ニューズウイーク」の中東・地中海沿岸地域の専門家として活躍している友人クリス・ディッキ
の主張するオリーヴ政治理論は、世界情勢の背景を見事に解き明かしてくれるという。彼は、オリー
ヴが地中海文明を育む一方、この地域の不安定化要因ともなってきたことを跡づけた。キリスト生誕よ
り一千年も昔、
まだキリスト生誕よりペリシテ人が輸出を支配していた時代のことだ。古代フェニキア
人からヴェネツィア人に至るまで、オリーヴ油貿易は覇権への鍵だった。ホーエンシユタウフェン朝最
後の13世紀の神聖ローマ帝国皇帝で偉大な王フリードリヒⅡ世は、ゲルマンの専制君主だが、生まれは
オリーヴの繁るイタリアだった。彼はシチリアを征服し、十字軍で聖地を奪回してエルサレム王国の王
位についた。

ディッキーによると、アラブ人同士が決してまとまらないのは、オリーヴの育つ土地と育たぬ土地を分
ける「オリーヴ油」があるからだ。ヨルダン川を越えると砂漠が広がり、遊牧民ベドウィンの心は砂丘
のように変わりやすい。パレスチナと地中海東岸地方の人々はそれとはずいぶん違う。「
オリーヴがな
いとうに変わりやすい。風に吹き飛ばされる紙くずのような気がする」ヨルダン川西岸の町ジエニンの
商人が以前ディッキーに言った。「オリーヴはこの土地そのものなんだ。ひとつところに20年、30年と
住んでいると、胸のうちで、体の奥で、それがわかる。私らはオリーヴの木から生まれたようなものさ
」。待てよ、これは「オリーブ油」を「石油」と置き換えれば現代でも通じる話なのだと。



さて、オリーヴは、学名オレア・エウロパエア(Olea europaea)といい、モクセイ目を構成する唯一の
科、モクセイ科に属する。ジャスミンやライラックは親類にあたる。頑丈な木材となるトネリコは、分
布領域も、性質もまるで違うが、やはりモクセイ科の仲間であるが起源については推測する以外にない
という。デイヴィッド・アッテンボローがテレビ・ドキュメンタリー『地中海』で語った説も、推測に
すぎないという点では同じである。それによると、数百万年前、地中海はいったん消滅した。
大陸の移
動でジブラルタル海峡はふさがれ、地中海は干上がった。しかし、なぜか突然、再び海峡が破れ、水が
どっと流れこんだ。地中海東部の島々や沿岸に鬱蒼と繁る木々の中に、野生のオリーヴが姿を現した。
いつのことかはわからない。紀元前3万7000年の葉の化石がエーゲ海のサントリーニ島で見つかっかり
この小ぶりな野生種は今も無数に見られる。
紀元前6000年頃かそれ以降に、小アジアの農民が、野生の
オリーヴを接ぎ木や挿し木で殖やし、栽
培できることを発見したのだと。ギリシアの島々でもオリーヴ
を栽培した。古代エジプト人もオリーヴを崇め
オリーヴの起源はナイル・デルタだという説もある。か
つてナイルの岸辺にはオリーヴが豊かに繁ってい
た。確かなことはだれにもわからない。オリーヴの木
はアダムの時代からあったとする古い伝説さえあるのだ。




それでは神話から起源を推測すると、ゼウスはアクロポリスのあるアッテ
ィカ地方の支配者を選ぶため、
技競べをおこなった。人間により有益な贈り物をした方が勝ちとなる。ポ
セイドンが岩に三叉の鉾を突
き立てると、馬が棒立ちになって現れた。馬があれば人間は遠くへ旅し、戦
に勝ち、重い荷物を運ぶこ
とができる。アテナが創ったのはオリーヴの木だった。別の説もある。ゼウスの息子で、地中海的なも
のすべての象徴であるヘラクレスが、何もない地面に梶棒を突き刺すと、オリーヴの葉が生えてきたと
いうものだ。紀元前五世紀、ギリシアの抒情詩人ピンダロスは書いた。「ギリシアの民の審査を務める、
アイトリア生まれの公正な審判は、ヘラクレスに端を発する古来の習わしに従い、灰色の栄えあるオリ
ーヴの冠を勇士の髪と額にかぶせる。はるかな昔ヘラクレスは、木暗いドナウの水源から銀色のオリー
ヴの木を持ち帰り、オリンピア競技会の輝かしい象徴とした」このピンダロスの作品を英訳したウィリ
ス・バーンストンは私の友人で、インディアナ大学で教鞭をとるためアメリカに落ち着く前は、ギリシ
ア、スペイン、北アフリカでオリーヴに囲まれた半生を送った。
彼もまた、オリーヴの起源について独
自の見解を述べている。「神は言葉によって宇宙を創造するため
まず文字を創った。その頃神はヘブラ
イ語を使っていた。ヘブライ文字の形がお気に召したので、神はそ
れらの文字をオリーヴの木に変えた
創造の神秘を解き明かしたいと願うなら、オリーヴの枝ぶりが描き
だす筆跡に目を凝らすのがいちばん
だ」時とともに、オリーヴは近東やクレタ島周辺から広まった諺文明になくてはならないものになった。
オリーヴは地中海の通貨であり、アッシリア、エジプト、ギリシア、ペルシア、ローマといった地中海
沿岸の大帝国では、数多の芸術のモチーフともなった。古代遺物の逸品の中には、オリーヴにまつわる
美術品もある。ギリシアの壹、ミノス文明のフレスコ画、エジプトの浅浮彫、彫刻を施したローマの銀
器、カルタゴのモザイク。細長い竿でオリーヴの実を収穫する人々の姿も描かれている。現在よく見ら
れる収穫法とまったく同じである。

Pelop krieg1.png

紀元前431年、アテネを中心とするデロス同盟とスパルタを中心とするペロポネソス同盟が衝突したペロ
ポネソス戦争の時代には、平和の象徴であるオリーヴの木が、戦闘の形を大きく変えることになった。
ギリシアの都市は堅固な城壁に守られて発展した。包囲する側が閉じこめられた市民の士気を挫く手段
は、兵糧攻め以外にない。しかし、歴史家ジョン・キーガンによれば、オリーヴがあると、そう簡単に
はいかなかった。オリーヴの本は焼かれても次の季節にはまた芽吹く。そのため、根こぎにするしかな
い。スパルタ側の侵略軍は農民ならぬ戦士であり、何か月もシャベル仕事に精を出す柄ではなかった。
一方、防戦するアテネ側は、士気が萎えるどころか、憤怒をもって立ち上がり、愛するオリーヴを守る
ために打って出た。アテネ側がついに敗れたのは、オリーヴが徹底的に破壊され尽くしたあとのことだ
った。
そして、ギリシアの植民者は、起源前8世紀紀から5世紀にかけてシチリア島にオリーヴを持ち
こみ、オイルとワインで得た富でシラクーザという見事な都市を築いた。さらに、危険なスキュラの巨
岩と大渦巻カリュプディスの間をすり抜けて、荒れ狂うメッシーナ海峡を越え、イタリア本土ヘオリー
ヴを伝えた。ギリシア人とフェニキア人は通商略を拡大し、西のフランスやスペインに、あるいは地中
海の対岸にあるチュニジアにオリーヴをもたらす。



オリーヅを意味するラテン語のoleaは、ギリシア語のelieaから来ている。ローマ人は北アフリカとフラン
スに大量のオリーヴを植えた。スペインではわざわざ植えるまでもなかった。セビーリャを襲撃した

エサルの軍団は、町を取り囲むオリーヴの林を馬で通り抜けるのがやっとだった。しかし、ムーア人の

侵略者はさらにおびただしい苗木を持ちこんだ。オリーヴを表すスペイン語「アセイトゥナ」と、油を
す「アセイテ」がアラビア語に由来するのはそのためで、十世紀には、オリーヴの林は南欧から北ア
フリカー帯の地中海沿岸に広がり、地中海の島々を覆ってい
た。1500年代には、スペイン人征服者に続
き、宣教師たちが新大陸にオリーヴをもたらした。その後
イタリア人移民が南米、オーストラリア、南
アフリカにオリーヴを広め、
現在、世界には約8億本のオリーヴの木がある。中国は2千万本で、フラ
ンスの四倍にあたる。アフリ
カの奥地、アンゴラにも小さなオリーヴの木立がある。オリーヴは六大陸
に見られるが、90パーセント
は地中海沿岸で栽培されている。オリーヴ油といえばイタリアを連想する
が、スペインの方が本の数は多いー
イタリア人が欧州連合(EU)の補助金をもらうためにでっちあげ
た分を差し引けば、はるかに多
い。しかもラベルにイタリア産としるされたオリーヴ油は、実際にはス
ペイン、ギリシア、トルコ、チュ
ニジア産であることが少なくないと述べている。

と、まぁ~。ここまで打ち込んだものの感想など書ける状態でないが、どでかいテーマにいささか疲れ
もあり、食
傷感が漂ってしまっている。これは5日連載程度にしないと気が済まないというのが今夜の
感想ということになっ
た。
 

 

コメント