極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

欲望の連立方程とケインズ

2013年04月07日 | 時事書評

 




【気候変動対策という公共事業】

自治会のグランドゴルフ大会当日の態度決定が、この乱調で気を揉まし、日曜の早朝から落ち着かない。
ようやく七時半に「中止」のメールが入り急いで参加予定者へ彼女と二人で連絡に回る。それでも六時
起きで、ホームページ作成とネットニュースをまとめ、あれこれしているとたちまち昼を過ぎてしまっ
ていた。“嵐の時代”である。テレビで解説する若い学者はあいもかわらず、神学論争ならぬ、なんら
の対案をも提示せず自説のみを語っている。いろいろ書き上げてサイトアップする課題があるものの、
国際先端技術総合研究所の「ナノ二酸化ケイ素の人工水晶を用いた太陽電池」について調べサイトアッ
プを行う。

 

この技術は、千ルクス以下の低照度で起動する高機能型光発電素子で、赤外線によるデータを送信シス
テムに採用し、一定の光さえあれば太陽光がなくても発電できることを実証。多目的センサーとして
用可能だという。この企業は早稲田大学の逢坂研究室と共同で、ナノ二酸化ケイ素の人工水晶を用いた
太陽電池
の開発に世界で初めて成功している。この人工水晶を用いて低照度でも太陽電池を起動できる
ように改良した。光発電素子部は主に人工水晶と無機色素の積層構造。気温・気圧の測定センサ、デー
タ送信・受信部を組み合わせたシステムを製作した。

 
特開2012-234693 ソーラーセル
【符号の説明】

11,17 基板 12,16 透明導電膜 13 多孔質二酸化チタン焼結体 14 電解液 15 対向
電極 18 封止材 19 負荷 20,21 二酸化ケイ素粒子 22 ルテニウム錯体色素

この構造は、色素増感型太陽電池(光電変換層は、酸化チタン+ルテニウム錯体色素)対向電極に人工
水晶(二酸化ケイ素粒子)層を形成させるか、光電変換層を除いて沃素系電解液は使用する(下表の図
5が人工水晶のみ、図6は光電変換層と人工水晶)。図6はガラス粒子の図4の約20数倍、人工水晶粒
子の図3の約5倍変換効率が良くなっている。これに対し、図5より色素増感型の図6の方が約50%良
くなっていることが分かる。
 

これで(1)人工水晶粒子がナノレベルにダウンサイジングすることで変換効率が向上し(2)このこ
とで製造コストは、真空処理工程で製造されるシリコン系太陽電池(=光電変換素子)の百分の1以下
のコストダウンで作れ(3)太陽光などの自然光だけでなく人工光(照明など)を吸収し発電するとい
う特徴をもつ。 

※色素増感型太陽電池の事業開発の少ない経験から言えば特殊な分野には充分に有効だと考えている。
その反面、量子ドット系薄膜型太陽電池の事業開発は当面、真空処理工程は外せない都考えている。
従って、先ずは、30%以上の変換効率をもつレジリエンスのあるコア電源(『資本再蓄積下のケインズ』)
としての確立がファーストプライオリティで、その製造システムの脱真空処理系ロールコータ方式の確
立がセカンドプライオリティとなると現在では考えている(真空処理技術には他社との合弁化を構想し
ていたこともあった)。
 

   



【新たな飛躍に向けて-新自由主義からデジタル・ケイジアンへの道】

1.タブーと経路依存性
2.複雑系と経路依存性
3.複雑系と計量経済学
4.ケインズ経済学の現在化
5.新自由主義からデジタル・ケイジアン


【ケインズ経済学の現在化】

 

 

 

 【国際通貨の改革

【ブレトン・ウッズの解決策

ここで、ポール・デヴィッドソンの主張-これまでの古典派理論の影響を通商貿易のもとでは、米国を

はじめとする先進国内の労働の外部委託によるリストラ、研究開発へのサボタージュや産業の空洞化(
東洋への工場移転)や貧富格差の拡大を招き続けたとの批判-には、単に東洋の労働賃金(=労働条件・
生活水準)だけではなく、情報通信とした科学技術革新により多くの格差、あるいは資本による収奪を
進行させたことを過小評価させてはならないと強調し、国際貿易のケインズ・ソリューションの考察を
する。


 

 第2次世界大戦が終わりに近づきつつあったとき、戦勝連合国は、ニューハンプシャー州のブレト
 ン・ウッズに会議を招集した。このブレトン・ウッズ会議の目的は、戦後の国際決済制度を立案す
 ることであった。ケインズは英国側の首席代表であった.1944年のブレトン・ウッズ会議における
 ケインズの見解は、自由変動為替相場制の望ましさについての古典派の考えとは対照的に、国際貿
 易と国際金融に対する古典派の取り組みには、お互いに両立しがたい命題が含まれているというも
 のであった。ケインズは、自由貿易、変動為替相場制および国境をまたぐ自由な資本移動を認める
 ことが、完全雇用や急速な経済成長とは両立し得ないことがあると主張した。ケインズは、問題に
 対する古典派のアプローチに代わるもうひとつ別の案を提示した。この代案は「ケインズ案」と呼
 ばれる解決策であり、国境をまたぐ資本移動の規制を導入することを国に認める一方で、国際貿易
 や資金の流れの仕組みをグローバルな完全雇用や力強い経済成長と両立せしめるような取り決めで
 あった。

 ブレトン・ウッズ会議の席上、ケインズは、どのような伝統的な国際決済制度-それが固定為替相
 場
に基づいていようと変動為替相場に基づいていようとの「失敗の主な原因」も、それが、交易国
 間で永続的な貿易収支の不均衡が生じているときはいつでも、持続的な経済発展を積極的に促進す
 ることができない
ということにあると主張した。ケインズが記しているように、この失敗の主な原
 因は、ただ
ひとつの特徴に求めることができる.このことには深い注意を払っていただきたい。と
 いうのは、金本位
制に代わって成功するいかなる制度の性格も解く手がかりはここにあるとわたく
 しは言いたいからである。
自由兌換の可能な国際金本位制度の特徴は、調整の主な負担を国際収支
 上の負債ポジションにある国-
換言すれば(国際収支という点で)それとは反対のポジションにあ
 るその他の世界諸国と比較して、(ここで
の文脈では)より弱く、かつより小さいとみられる国-
 に負わせるというところにある。

 ケインズの結論は、調整の主たる責務を債務国から債権国に移管することが、どのような国際決済
 制度の立案に際しても絶対に必要な改良点であるということであった
。このように永続的な貿易の
 不均衡を解消する責任を、自らの輸入額を超える輸出額を永続的に経験している国に転嫁するのは、

 ケインズの説明によれば、世界貿易を圧迫する縮小主義から拡大主義に変えることになるであろう
 とのことである。経済発展の黄金時代を達成するために、ケインズは、固定的だが調整可能な為替
 相場制度と以下に述べるあるメカニズムとの併用を勧めた。そのメカニズムとは、
輸出超過の貿易
 収支を「享受している」国に対しその貿易不均衡を解消するのに必要な力のほとんどを引き受ける
 よう要求する一方で、「貿易赤字国に対し自らに許された新たなゆとりを無駄にしないような十分
 な自己
規律を保たせる」メカニズム
のことである。

 第2次世界大戦後,戦争で破壊されたヨーロッパの資本主義諸国は、自国民に食糧を与え自国経済
 を再建するための十分な生産を行なうのに利用可能な戦争被害を免れた生産資源を十分には持って
 いなかった。経済の再建には、ヨーロッパ諸国が復興のための経済的必要を満たすべく米国との間
 で巨額の輸入超過を出す必要があった。ヨーロッパ諸国は、ほとんど外貨準備を持っていなかった。
 (外貨準備とは,戦争で荒廃したヨーロッパ諸国が、当時輸出品を生産するのに十分な生産能力を
 持っていた唯一の外国-米国-から輸入品を購入するのに使用できるドルを得るために売却するこ
 
とのできた流動資産のことである)。

  米国からの必要な輸入品を得るのに分な外貨準備を持たない場合、唯一考えられる代替策は、ヨー
 
ロッパ人に食糧を供給しその経済を再建するのに必要な米国の輸出品を購入する代金を調達するために
   米国から巨額の借入をすることであった。しかしながら、米国の民間部門の貸し手は、一次世界大
 戦後の戦勝同盟諸国へのドイツの賠償金支払いが、主としてアメリカの民間投資家のドイツヘの貸
 付によって賄われたこと(いわゆるドーズ案)を忘れてはいなかった。ドイツはこれらのドーズ案
 に基づく借入金を一切返済しなかったのである。このような過去のいきさつや目下の情況を前提と

 すれば、民間の貸出機関が第2次世界大戦後のヨーロッパの復興に必要な資金を提供してくれそう
 にない
ことは明らかであった。

 1944年のブレトン・ウッズ会議に提出されたケインズ案は、最大の債権国になることが明らかな米
 国に対し、戦後のヨーロッパ諸国の米国よりの輸入品への需要から生じた貿易不均衡を解決する責
 任を負うよう、求めるものであった。ケインズは、米国がヨーロッパ諸国に100億ドルの資金提供を
 しなければならないだろうと見積もっていた。ケインズ案は、ヨーロッパ人に対するこれらの資金
 を、米国に提供してもらうための、いつでも動き出せる仕組みを用意していた。しかしながら、ブ
 レトン・ウッズ会議の米国側の代表、ハリー・デクスター・ホワイト(Harry Dexter White)は、米
 議会がけっしてケインズの必要と見積もった百億ドルを拠出することはないだろうと主張した。ホ
 ワイトの主張したのは、その代わりに議会は、この戦後の国際金融問題を解決することへの米国の
 負担金として、30億ドルを限度として拠出する用意があるということであった。

 ブレトン・ウッズ会議の米国代表団は、最も重要な関係者であった.会議で展開されるどのような
 案も、もし米国代表団がそれに同意しなければ、何事も進まないことは明らかであった.米国代表
 団はケインズ案を拒否した。その代わりに、米国案は、国際通貨基金といわゆる世界銀行の設立を
 提案した。米国案では、IMFは、輸入超過の貿易収支に陥っている国々に対し、短期融資を行なう
 ことが構想されていた。これらの融資は、債務国に、経済状態を正常に復し輸出より輸入の多い状
 態を止めるための時間的ゆとりを与えるものと想定された。米国は、IMFの融資制度への分担金と
 して最大30億ドルを拠出することとされた。世界銀行は市場から資金を調達する予定であった。そ
 してこれらの資金は、当初は戦争で破壊された国々に対し、のちには後進諸国に対し、資本設備の
 再建や改良のための長期貸付金を提供するために用いられることとされた。この案は基本的に、ブ
 レトン・ウッズ会議で採択された制度的枠組みであった。

 米国案のもとでは、IMFや世界銀行からの国際的融資は、戦争で破壊された国が、第2次世界大戦
 後直ちに必要とするような、米国からの莫大な量の輸入品の資金手当てのために唯一利用できる資
 金源であったが、IMFも世界銀行もともに、ヨーロッパ諸国が必要とする額の貸付をするのに十分
 な資金を持っていなかった。かりにこれらの機関が十分な貸付を行ない得たとしても、ヨーロッパ
 諸国は、巨額の国際的債務を負わなければならなかったであろう。ヨーロッパの選挙民は,再建の
 ために必要な巨額の国際的借入債務に直面するくらいなら、共産主義体制を選ぶかもしれなかった
 のである。

 共産主義がソヴィエト連邦から西側に広がらないことを確実にするために、1947年に米国は、海外
 援助として18ヵ月にわたって50億ドル、4年間にわたって総額130億ドルの資金を提供するマーシャ
 ル・プランを策定した(この額は、インフレを勘案すれば、2008年時点のドル価額で約1,500億ドル
 に相当する.)被援助国は、マーシャル・プランの資金を返済するなんらの義務も負わなかった。マ
 ーシャル・プランは本質的に、戦争で破壊された国々に対する130億ドル相当のアメリカの輸出品の
 4年間にわたる贈与であった。マーシャル・プランにより、被援助国は、米国の年間総生産額の2
 %に相当する米国の輸出品を、1947年から1951年までの4年間にわたり購入することができたので
 ある。しかし米国の住民のだれ1人も貧しくなったと感じたことはなかったし、マーシャル・プラ
 ンが、アメリカの家計に対しなんらの実質的な犠牲を強いたわけでもなかった。アメリカの家計の
 所得は、マーシャル・プランの期間中も伸び続けたのである。

 戦争が終結するやいなや、政府の軍事支出は大幅に減少し、このことだけでも戦後の重大な失業問
 題を生み出していたかもしれない。この軍事支出の削減を相殺したのがマーシャル・プランの資金
 であり、被援助国はその資金をアメリカの輸出品の購入に使用し、それによって、
ちょうど数百万
 人の成年男女が兵役から解放され就労可能人口に加わったまさにそのときに、米国輸出産業におけ
 る雇用の増加を促進したのである。(さらに、アメリカの労働者が戦時中に稼いだ高所得から支出
 せずに閉じ込めていた消費者需要は、消費支出の大幅な増加をもたらした。)米国はその歴史上初
 めて、大きな戦争の終結直後の支出不足による厳しい景気後退を披らずに済んだのである。

 むしろ、米国もその他の世界のほとんどの国も経済的な「無償の恩典」に浴したといえる。将来債
 務国になりそうな国も債権国になりそうな国もともに、巨額の実質的経済利得を得たのである。こ
 のマーシャル・プランの経験から汲み取るべき教訓は、債権国が貿易および国際収支の永続的不均
 衡を解消する責務を引き受けるならば、その結果として赤字国と黒字国の双方が勝ち組になるとい
 うことである。このことの含意は、米国がここ数十年の間貿易赤字を出しており、日本、インドお
 よび中国が自らの経済を成長させるために輸出超過を出すことに頼っている昨今の国際貿易状況に
 とって、明白である。

 しかしながら、1958年の時点では、米国はなお年間50億ドルを超える財・サービスの輸出余剰を上
 げていたが、米国政府の海外および軍事援助は60億ドルを超え、他方16億ドルのネットの民間資本
 流出があった。すなわち、米国の輸出品への外国人の支出による流入額よりも総額で26億ドルも多
 い資金が米国から流出しており、戦後の米国国際収支の潜在的な黒字状態は終わっていたのである。
 他の国々は、国際収支の黒字を経験し始めていた。これらの黒字収支国は、その黒字を米国からの
 輸入品の追加的購入に費やさなかった。むしろそれらの国々は、その余剰ドルを米国連邦準備制度
 から金準備の形での国際的流動資産を購入するのに用いた。同時に、復興なった欧州と日本は輸出
 品の重要な生産者となり、その他の国々は米国の輸出産業にさほど依存しなくなった。

 1958年だけでも、米国は20億ドル以上の金準備を外国の中央銀行に売却したが、他方欧州へのアメ
 リカの輸出は大幅に落ち込んだ。その結果、米国経済は景気後退に陥り,他の国の経済も直ちに景
 気の後退を示した。1960年代に、貿易黒字国はその輸出超過額を、国際市場で流動性タイム・マシ
 ンとして使用できる米国の金準備への需要に転換し続け、黒字諸国が米国の金準備を枯渇させるに
 つれて,ブレトン・ウッズ体制と経済発展の黄金時代を崩壊させる種はまかれつつあったのである。

 1971年に、リチャード・ニクソン大統領は,ドルを稼いでアメリカ製の財を購入せずに金を購入し
 たいと思っている外国に対し、米国政府がもはや金を売却しないと宣言した。要するに、米国は一
 方的に、ブレトン・ウッズ協定から離脱したのである。1971年には、債権国が永続的な貿易不均衡
 を是正する大きな責任を負うべきであるとする。国際金融へのケインズの開明的なアプローチの最
 後
の痕跡すら忘れ去られてしまうに至った。

 それ以来、他の国々が世界最大の消費財市場である米国に対する輸出品販売の継続的拡大に基づく
 経済成長政策を追求するにつれて、米国は貿易収支の悪化を示しがちとなった。輸出産業は多くの
 国の経済、とくにアジアの経済を支える背骨であった。アメリカ人が、外国人向けに輸出するより
 多額の輸入品を外国人から進んで購入するかぎりでは、米国はこれらの輸出国の成長を剌激した。

 しかしながら、米国が2008年に大不況以来最大の経済危機に陥ったため、アメリカ人は輸入品に対
 する支出を大幅に削減した。の結果、経済成長を輸出に頼っている国々は、ただちに景気後退に陥
 った。例えば、2008年の第4四半期についていえば、日本の国内総生産は輸出の急激な落ち込みに
 より12%以上も減少したのである。

                     ポール・デヴィッドソン著 小山庄三・渡辺良夫訳
                   『ケインズ・ソリューション-グローバル経済繁栄の途』


このように歴史的経緯をふまえながら、デヴィッドソンは、現在の国際貿易と国際決済制度は、このよ
うな不景気の波のグローバルに広がるのを可能にし、また実際に助長しているため、1944年のケインズ
案は、ある国で起こるかもしれないどのような景気後退や金融市場の失敗も他の国々には波及すること
のないように慎重に設計されていた。
今こそ、将来このような伝染が起こらないように、国際決済制度
をどのように改革することができるのかを考えるべき時であると説く。

                                       この項つづく





地球温暖化、大規模気候変動対策は、人類の欲望拡張史が横たわっている。従って、経済成長という言
葉は、21世紀には変容せざるをえない。いわいる“欲望の連立方程式”の解を人類は否が応でも求め
られているというわけだ。これは困った!?

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