極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

倒伐ロボット・小型オスプレ・超撥水

2013年06月30日 | WE商品開発

 

 

【オールバイオマスシステムのコア技術?!】  

 

木こりロボット(『ハイテン巡礼の明日』)の続きの話。今回はエンドミルを使い改良したもの。早稲田大
学の白井裕子准教授らは、遠隔操作で木を切り倒すロボット「天竜」を開発。エンドミルで幹の3カ所を
残した状態で削るという方法で伐倒する。幹の直径が大きい木でも安定を保ったまま人手を介さず切
り倒せるため、安全性が高い。エンドミルで木を切り倒す装置は初めて。今後は伐倒時間の短縮や、
最適なエンドミルの使用など改良を進めて実用化を目指す。ロボットの土台の大きさは縦150
センチ×横120センチメートル。土台からエンドミルを搭載したアームの高さは約130センチメ
ートルで、最大で直径約45センチメートルの木を切り倒せる。
木を倒したい方向に合わせてロボ
ットを幹にセットし、プログラムに木の直径を入力すると、削る場所を自動で計算する。計算
結果を元に遠隔操作で木を切り倒す。動力にエンジンを使い、ロボットを小型化した。道が狭
く斜面が急な日本の山林にも適用できる。

 

【オスプレイ再設計への刺激?!】

上図は「まるで小型オスプレイのようだ」。世界各地で話題となっている空飛ぶクルマ「TF-X」。米ベン
チャー
のTerrafugia社の、次世代開発商品として「X」を名乗る。「The Transition」を一般公開し、予
受付を開始したことで一躍有名になる。それは、安全に高速道路上で駆動し、一般的な航空空港と繋ぐ
ことで、一般住宅のガレージに収まるように設計。
個人が自由、柔軟に運転操作できる。この
トランジシ
ョン®は、自家用輸送手段の長期的で具体的に、ハイブリッド電気飛行車(TF-X™)のプレゼンテーション
を行っている。 推進力、飛行距離や搭乗員数((相当量のガソリンあるいはバイオマス燃料が必要)と
いう点を除けば『ハブボルテックスフリー』などで掲載したオスプレーの再設計に刺激的な情報提示を行
っているようでもある。ただ、今日のところオスプレイにかわるイメージ・デザインがまだ描けていない
の継続テーマとしておきたい。
 

【ソーラパネル汚れ防止のコア技術?!】

 

太陽電池パネルの汚れ防止にうってつけな表面コート剤。発端は上図のRoss Nanotechnology
社(US)のものだが、日本では
ポニー工業が代理店。ベースコートとトップコート があり、
500mL から購入できる。主剤は
、アルコキシドから調製した“シリカ粒子 SiO2”の表面をフ
ッ素化して撥水性を高めたもの。撥水原理は、
細い無数の凹凸が撥水処理されることで大きな
水滴を支え弾く
。国内ではフッ素系のサーフロン(下図)があり、水での接触角度は最高レベ
ルのFS-7010は160°(油では90°)。
 

※水の固体表面に対するぬれ性を制御して疎水化、撥水化する技術は、水滴の除去、指紋付着
防止、防錆、氷着防止、積雪防止といった用途で、建材や電子機器部材、繊維加工や自動車の
コーティングなどに利用されている。水滴が固体面と接触した場合に半球状になり付着するの
は、接触面において水分子と固体表面が分子間力により引き合うためである。例えばガラス表
面では、水と固体表面水酸基との水素結合により分子間力が大きくなるので水にぬれ易くなり
水滴の接触角は20~30°になる。逆に、撥水性の最も大きい素材として知られているフッ素樹
脂(PTFEなど)表面では、分極率の小さいフッ素原子により界面の分子間力が小さくなるので
水にぬれ難くなり、水滴の接触角は110°程度まで大きくなる。超疎水性膜には一般的に材料面
と構造面の並立が必要であることが知られている。固体表面が平坦である限り、水滴の接触角
は最大でも約110°であり、接触角150°以上である超疎水性を発現させることはできない。ハ
スの葉、アメンボや蜘蛛の足といった自然界における超疎水表面は、微細凹凸構造を有してい
るが、水滴との接触面に空気を保持できるエアーポケットとなり、水滴と固体とが直接接触す

る面積を小さくするため、超疎水性が現れることが知られている。人工的な超疎水性表面もこ
れらと同様にして、固体表面に微細な凹凸構造をつくり擬似的な固体-空気混合界面とするこ
とで、水滴の接触角を150°とする

 

※このため、超疎水性表面の製造方法として、有機基材の表面を微細な凹凸形状に作製する方
法が
あり、フッ素樹脂に微細な網目状パターンを熱転写することで、超疎水性の膜を製造する
もの。無機基
材の表面を削ることで作製する方法には、アルミニウムを水酸化ナトリウム水溶
液に浸漬し、エッチン
グした後にアルキルシランまたはフッ素樹脂をスピンコーティングする
方法がある。これらの製造技術
膜自体を新たに作るものではなく表面構造を作るものである
ため、基材が著しく限定
される。


※微粒子を基材に吹き付け表面凹凸を製造する方法には、酸化亜鉛ナノ粒子とフッ素樹脂微粒
子を含む分散液を基材にスプレーコートし、12時間乾燥させる方法がある。この製造方法は、
基材を選ばずマイルドな条件で大面積にも対応できるという利点はあるが、乾燥のために時間
がかかりすぎることと、塗膜の硬化処理を行なわないため、耐薬品性や機械的強度等が低い点
が問題である。より簡単な製造方法として、シリカ微粒子とワックスと溶剤とからなるコーテ
ィング
組成物を自動車のボンネット等にスプレー塗装する方法があるが、定期的な再塗装を想
定した技術で
あるため、耐溶剤性と塗膜密着性が低く、用途が限定される。

湿式塗工法による超撥水膜の製造法としては、200℃で高分子有機材料と低分子有機材料を混
合溶融状態にして、これを200℃のガラスプレート上にバーコートして冷却した後に、キシレ
ンで低分子成分を溶解除去し、乾燥させてミクロ多孔体を作る方法がある
。また大きさの異な
る2種以上のフィラーと熱硬化型樹脂とフッ素化合物との混合物からなる超撥水塗料に基材を
浸漬塗布して200℃で15分間加熱硬化させる超撥水膜の製造法もあるが、塗布製膜工程を200℃
で行うため使用できる基材に制限がある。


従来の超疎水膜製造法は、成型物と水滴との接触角が大きいものでも170°以下、薄い撥水膜
はエアーポケットに空気を保持する力が弱く、水中への浸漬条件下では簡単に空気膜が剥離し
大気中や水中に、塵芥や浮遊物が固体面へ沈着するのを防げず、経時的に撥水性(疎水性)が
低下し長期的に使用できない。
水滴の静的接触角が175°以上の高度な超疎水膜ではヒステリ
シス(前進角と後退角の差)がほぼゼロになり、水と固体との直接接触を遮断できるため、長
期的な超撥水性能の維持が可能になると期待される。このような高度な超撥水表面を構築する
方法が研究されているのが現状である。

既に任意形状のソーダライムガラス基材をポリエチレンイミン(PEI)水溶液に浸漬した後、空気
中に取り出してPEIの微細結晶を析出させ、それを鋳型としてゾル-ゲル法によりシリカまたはチタ
ニア被覆を行い、この構造体をアルキルシラン等で疎水化処理する製造法があるが、任意形状の
基材に、水滴との接触角175°以上の相当高度な撥水膜を作製できる利点がある反面、製造ス
テップ数が多い。
また、シリカナノ構造体、例えばナノファイバー、ナノシートなどの表面を
直接疎水性物質で修飾することにより超疎水性粉体を合成し、これをバインダポリマーにより
固体表面に固定化し超撥水塗膜が得られるが、支えの弱い超疎水性粉体自体が大きく塗膜から
張り出していることが必須とし著しく強度が弱い。
また、平面状基材に超疎水性膜を作製して
も、例えば、管状構造物の内部表面、容器の内部表面、複雑の形状物などの表面に超疎水性膜
を加工できな。超疎水性示す一液型塗液を基材の構造・形状に合わせて塗布することができれ
ば、どのような複雑構造体であっても、その表面を完全に超疎水性にすることができる。これ
は産業上極めて実用的な技術である。


 
特開2012-201799

上の写真のごとく、その対策が新規考案されている(DIC社)。その方法とは、直鎖状ポリエ
チレンイミン骨格のポリマーのフィラメントが、シリカで被覆した複合体会合体の粉末、ま
は、
この複合体から直鎖状ポリエチレンイミン骨格のポリマーが除去されたシリカを主成分の
ナノ構造体粉末と、重合性不飽和基の硬化性含フッ素化合物を含有する塗料組成物を基材に塗
布し、後硬化で基材表面を容易に超疎水性にできるという方法だ(下表参照)。

水よりも表面張力の小さい液体に対する撥液性の評価



ナノレベルにおける表面エネルギーをコントロールは重要な技術であることは肌身に叩き込まれてい
て、テリビジョン技術がそれであるように。
 

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ローイング旅は藪原宿

2013年06月29日 | 日々草々

 

  

 

【再開 ローイング旅】  

長い間、ローイングトレーニングをやめていたが、バイオリズム・ボトムを脱するために続けはじめ一週間が経つ。そこで、
木曽川源流の地。木祖村
-木曽の「祖(おや)」という意味で名付けられ、北に鳥居峠、西には野麦峠が控え、飛騨から野
麦峠を越えてやってくる女工たちが休息する場でも
あったとされる中山道35番目の宿場は薮原宿を仮想ローイングの旅先に
おいた。薮原宿は、火災のためその面影を見ることはできないが、中山道の難所であった鳥居峠越えのために栄えた宿場で
ある。当時は「お六櫛(おろくぐし)」(長野県伝統工芸品)の産地として栄えたが、現在では需要の減少とともに職人も
少なくなった。近年その伝統技術を受け継いでいくための「お六櫛研究会」が結成され、櫛材の育成にも力が注がれている。
昭和49年に建てられた「木祖村郷土館」では、製造工程やお六櫛の由来、当時の宿場の様子などを観ることができる。ここ
はまた上高地に入る南ルートの基点でもある。

 

 

実際の長野・岐阜への観光はドライブ旅行となり、木曽十一宿近くへ行くことはあっても宿そのもを目的として訪れたこと
は記憶の限り
ない。漆器店でもある宮川家は宿場町の面影を残す建物があり、店内奥の土蔵が史料館になっている。天明年
間(1781~89)から1927年(昭
和2)まで、6代にわたり医師を務めてきた宮川家。4代目の玄純(げんじゅん)は尾州藩より
帯刀を許可されるほどで、多くの役人の治療に当たってきた。館内には当時の医療器具はもちろん、松尾芭蕉・与謝蕪村の
色紙や山岡鉄舟の書画・巻物など、貴重な品々が展示されているという。また、薮原神社があり、中央西線の線路脇に建つ
社で、天武天皇9年に、三野王が勅使として巡視を行った際に熊野から
勧請したのが最初と言われる。そのため、熊野社、
熊野大権現、熊野大神宮とも呼ばれ、明治4年に藪原神社と改称され、木曽村薮原に
建つ。ところで、特産品には、長野県
の伝統工芸品にも指定されているお六櫛があり、ミネバリなどの木で丁寧に挽いて作った櫛は優し
い梳き心地とか。で、
富な森林資源に恵まれた木祖村では全国有数のキャンバスの産地でもあり、木曽五木のひとつ、ネズコ(クロベ)
を材料にし
た工芸品(下駄・桶・俎板・盛台(すしげた)、漆器、玩具)が有名。食べ物では、カブ、野沢菜、大根漬けをし、絶品の
御嶽白菜を用いたキムチ、手打ちそば、木曽和牛、木曽名物五平餅、そば饅頭・朴葉巻き、とうもろこし。胃腸薬の百草・
百草丸(腹痛の妙薬)、木曽路の酒は全国に名だたる辛口として有名な木祖村でつくられる地酒「木曽路」などがあるが、
創作ラーメンとしては御岳白菜・木曽牛・そばなどを巧くアレンジして考えれば特産になることは間違いないだろう。^^;


  

【スターウォーズ・デザイン】

すべてはデザインで決まる。

 

 

【ぱらぱらと寺山修治】

 


                          売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき

                 新しき仏壇買ひに行きしまま行方不明のおとうとと鳥

                 間引かれしゆゑに一生欠席する学校地獄のおとうとの椅子

                 亡き母の真赤な櫛で梳きやれば山鳩の羽毛抜けやまぬなり

 

※ 暗くて怖い歌首である。寺山修司の歌を紹介するとおびえ、反応を示す少女がいるそうだ。その、彼女たちがなぜおびえるのかは
  わからない。暗いものにひかれて引き返せなくなる、そういう気持ちならばわたし(評者・河路由佳)にも覚えがあると解説していた。

【アボガドと野菜添えサーモン焼き】

 

今朝は、母親を見舞い、故田中豊一の年命日に金剛寺へお参り(田中家の家紋とわが家の家紋は同じ鷹の羽紋)。これから
暑い季節の仏花には高野槇ねと彼女がという。それから恒例の日本料理「橘菖」でランチをとり、世間話をし帰る。維新の
会の内紛をたずねるので、ポツダム宣言を破棄する沈み逝く「太陽の党」といつしょになったのが運の尽き、橋元市長が可
哀想だねとの感想を伝え、義姉が顔面神経痛を患い治癒した話を聞かせもらったしていた。さて、猛暑が予想されているの
で朝一番のスクワットとローイングを欠かすことなく頑張ろうとこころに誓ったのであります。

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骨太事業巡礼の明日

2013年06月28日 | ネオコンバーテック

 

 

 

テニスのグランドスラムであるウィンブルドン(イギリス/ロンドン、芝)は27日、男子シング
ルス2回戦が行われ、第12シードの錦織圭(日本)が世界ランク84位のL・マイェール(アルゼ
ンチン)を下し、2年連続の3回戦進出を決めた。世界ランク11位の錦織は、1995年にベスト8
進出を果たした松岡修造以来18年ぶりの日本人男子8強入りを狙う。また、女子シングルスで世
界ランキング84位のクルム伊達公子が自身17年ぶり、大会最年長となる3回戦進出を決めている。
硬式テニスは40歳半ばまでやっていたが(はっきりした記憶が残っていない)、いまはまったく
やめている。経験はあるが下手の横好きというか、身体を動かすのが好きで、勝敗には興味なく
熱心でなかったが、硬式テニスの運動は負荷はあまたあるスポーツ競技の中でトップレベルだと
いうことぐらいは頭に叩き込んでいる。錦織圭がベスト8入りすれば松岡と並び、勝ち残れば、
日本人が欧米国のトップ選手と並ぶ快挙となるが、その可能性は十分にある!?

【骨太事業開発の旅】

 

話は「ロスト・スコア 失われし二十年」を回顧する。不動産バブルのころは所帯をもち二人の
息子達が小学生の中高のころで、職場はバブルも含め活況で、大きな利益貢献を達成していた頃

だが、それでも先行きを考え、転職しようと迷っていた時期、協力企業の元轟産業彦根所長の、
確か土肥内という
姓だったか?記憶もあやふやだが、一緒に起業しないかとの誘いに、夏の暑い
さなか何回か自宅を訪ねて
こられたが、インターネットでの事業やデジタル通貨の発展など不透
明なこともあり一応は考えておくということであったが、結果的にはその話に加わらなかった。
将来を考えれば、問題の先送りにするだけだという思いが強く、自分が担当する工場プロセスに
起因する問題対処のためそちらに向かわざるをえなくなる。ところで、いわゆるこのバブルは、
金余りによる不動産投機に起因し、富の源である「実需」ではなく「虚需」によるものでバブル
破裂は必至と冷静だったし、政府の対処方法も自分なりに解答を用意していた(故吉本隆明の楽
観的な認識とは真逆だったが、原理としては容認)。問題は職場を席捲するデジタル革命の影響
のリスクだった。断っておくが、一企業の細々とした経営方針はさることながら、それを飲み込
む世界的な事態の進展を問題にしていたが(詳細は『個人史としてのデジタル革命』に記載)、
それをどのように伝えるかに腐心した。その意味では1995年は大きな分岐点で、その後1997年の
アジア通貨危機→米国住宅資本主義・英米流金融資本主義の崩壊などとして連鎖していくことは
周知の通り。そこで2000年前後から骨太の事業の模索を開始する。幸運なことに、半導体製造と
カラー液晶表示装置製造業界は空前の好況にみまわれ(2006年には後者はピーク・アウト)、そ
の間、製版印刷・半導体・カラー液晶製造の共通プロセス技術である「コンバーテック(表面加
工技術)
」をナノレベル領域に微細化した石彫(サブトラック)・積載(アデティブ)を包括す
る表面加工業界という概念を考えつき「ネオコンバーテック」とはじめて呼称した。それを縦軸
として、横軸に、有機エレクトロニクス産業をクロスし、ポスト液晶である有機エレクトロルミ
ッセンス・有機半導体・色素増感型太陽電池・汎用型透明電極などのプロセス技術・装置製造
技術を横
軸に想定した骨太事業開発をテーマにおいた。 



それでは、その事業の具体的なキラー・アプリケーションを例示してみよう。ドラえもんシリー
ズのトヨタCMでお馴染みのドラえもんの秘密道具である「どこでもドア」は日本人であれば、
誰でも知っているが、その拡張で「どこで窓」を想定してみよう。もっとも、この「どこでも窓」
は「どこでもドア」にも拡張できる。そこでその機能を(1)通常は透明の窓でそこに、(2)
遮光(3)断熱(4)保温(5)発電(6)防犯(7)防災(8)ディスプレイ(9)通信機能
を、(1)液晶・有機ELで(1)(2)(8)。(2)透明電極・有機・色素増感型太陽電池
や有機半導体や機能フィルムで(5)(6)(7)(9)を持たせるというわけだ。携帯情報端
末機器を翳(かだ)せば、窓表面に操作パネル表示され、タッチパネル方式で施錠・解錠でき、
長期不在の場合は管理会社に連絡しておけば、不審者の侵入を自動報知する機能が働くとうにし
ておき、近くにいる場合自分のもつ情報端末装置に報知される仕組みにしておくというものだ。
ドアも模様も自由に選択でき、あるいテレビ機能の代用可能となり、これが究極の「万能窓」と
いう商品が誕生するというわけだ。また、公共施設や企業施設に先行して導入されていくだろう。

電子機器生産は機能半分で価格5分の1に!




話はそれるが、産業タイムズ社代表取締役社長の泉谷渉は「2020年には新興国の中間所得層は30
億人に拡大する。この人たちを取り込むためには、今後の電子機器の開発において機能半分、価
格5分の1を追求しなければならない」と語るのは著名アナリストの南川明氏を紹介している。
南川は電子機器の生産はひたすら右肩で伸び続けるとの予想が必要な立場とし、IT機器はある種
の成熟化を迎えたとの判断に変わりはなく、世界の電子機器生産額は約150兆円であり、2020年
にはこれが270兆円に増大するするのは、データを見ても2000年に120兆円程度であった電子機器
生産は、この10年間でたったの30兆円しか伸びていない。それほどの右肩上がりの成長が今後起
きてくるとは少しく考えにくいとするあ(
ただし、爆発的な人口増大は認める。先進国の富裕層
プラス中間層は5億人程度で2020年にいたっても増えない-要するに買い替え需要中心だが、BR
ICsを中心とする新興国は現状で16億人、10年後には30億人になり、14億人の新規需要が生まれ
テレビ、冷蔵庫、掃除機、エアコン、電池、電球、選択的消費製品としてのパソコン、一般携帯
電話、DVD、カメラなど伸びるが-
新興国の中間所得層は、高額電子機器をバンバン買えるわけ
でなく、中国都市部の平均年収が60万~70万円であることを考えれば、機能半分、価格5分の1
の電子機器が必要であることに同意し、
電子機器の1台あたりの半導体搭載金額がここにきて減
り始め。2000年当時は1台当たり45ドルも半導体を使っていたのに、今や25ドルとなり、実に20
ドルも減り、量が増えて半導体の単価が急下落し、汎用(コモディティ)マーケットの拡大がこ
うした現象(→「デジタル革命渦論」)を生み出しているとし、
スマホの爆発的増大が15億台程
度まで行けば、新興国の中間所得層の人口急増があっても、やはり電子機器全体としては厳しい
状況になり、それゆえに、医療産業、次世代自動車、航空産業、ロボット、環境エネルギー機器
などへの半導体搭載を何としても増やさなければならないと書いている。


まぁ~そんなとことだろうが、話を続けると、その受け皿として「オールソーラシステム」があ
るというわけで、技術的側面からも量子ドットの適応技術という新規技術時代を迎え担い、常圧・
減圧プロセスの違いがあるもののプリンタブルプロセス技術・ロールツゥロール技術などの写真・
製販・印刷応用技術が使えることもあり、骨太事業開発のコアとしてわたしは『オールソーラシ
ステム』と定めたが、これに辿り着くまで1990年から22年経過したことになる。


【スターウォーズ・デザイン】 

すべては、デザインにより決まる。

  
スターファイターの活躍

ところで、減圧プロセス及び製造装置技術が手薄だということで、前述した後任所長と一緒に大
阪のラミネート装置メーカに行きメインの事業部門ではない、連続式真空蒸着装置の見学に出か
け帰りに梅田のお初天神に二人で詣りし食事をしたことを思い出した。面白いものだ、元所長は
節水ゴマの販売会社を起業したというがその後どうなったのか?!

 

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スターウォーズのMOX燃料

2013年06月27日 | 時事書評

 

 

【スターウォーズデザイン】 

すべてはデザインで決まる。

 

「スターウォーズ エピソードⅠ」を考察することで、骨太のものづくり戦略を考えてみようと思い
ついて、
ブログ掲載を断片的にやってきたが、続編の「エピソード7」のニュースが入ってきて驚く。
俳優のマーク・ハミルとキャリー・フィッシャーが、最新作「スター・ウォーズ エピソード7」の
撮影に向けてダイエットするように言われてしまったというのだ。それによると、36年前に 「スタ
ー・ウォーズ」シリーズ初期3部作でそれぞれルーク・スカイウォーカーとレイア姫を3演じた2人だ
が、現在61歳のマークと56歳のキャリーは、オリジナルのイメージになるべく近づくため体型を絞
るようにとプロデューサー陣から忠告されたという。ある関係者は英ザ・サン紙に「マークとキャリ
ーはあの初期作品の頃の姿にできる限り近づく必要があるんです。プロデューサー達は2人をサポー
トして何かと援助していますよ」「何せ製作予算が莫大ですから浪費はできませんがね」という

ピソード7の撮影が始まる前までに若かりし頃の体型に戻さなければいけないという2人には、確実
なダイエットができるようにと、専属の栄養士やフィットネストレーナーがつくようだと伝えている。
また、オリジナルでハン・ソロを演じたハリソン・フォードも本作に復帰してマーク、キャリー、ハ
リソンのオリジナル・トリオが再集結する予定だが、ハリソンに至っては71歳にも関わらずスリムな
体型を維持しているためにプロデューサー陣は現状で満足だと考えているというの聞いてほっとして
いる。
 

 

 

【いまさら聞けないMOX燃料】 

いつもながどうして、このような重大な問題が鵺のような扱いにされるのかと戸惑ってしまう。高浜原
発から約2キロ離れた対岸の岸壁では、約150人がプルサーマル発電に反対し「MOX燃料を認めないぞ」
とシュプレヒコールを上げた。
午前6時半ごろ、輸送船が警備艇を伴い、海上に姿を現した。対岸に集まった
たちは「STOP MOX!」と書かれた横断幕などを掲げ「船は直ちに帰れ」と抗議の声を張り上げ
たという。
原発作業員の防護服姿で抗議した京都市の鍼灸師の寺野哲也さんは「プルサーマルという危険
な発電を何としても止めないといけない。命に関わる問題だ」。滋賀県栗東市の主婦、高瀬應臣さんは「
MOX燃料は放射線量が高く危険。次の世代につけを残してはいけない」と訴えたと毎日新聞は掲載して
いる。それによると、
福井市の主婦、小野寺恭子さんは「原発を無くしていこうとする流れに逆行してい
る。微々たる力だが、抗議の態度は示したいと思った」と語り、抗議集会も開かれ、原子力資料情報室の
西尾漠共同代表が「プルサーマル発電で原発はより一層、危険になる」と訴えた。その後、参加者は高浜
原発のゲート前に移動し、関電の担当者に抗議文を手渡したという。これに対し、
福井県の桜本宏・安全
環境部長は「今回の輸送は日本とフランスの外交上の問題であり、関西電力と(燃料を製造した)アレバ
社の契約上の問題。それぞれの立場で責任を持って判断している。実際の発電とは別の話だ」と語った。
今後の対応については「関電から何も聞いていない。改めてプルサーマル発電の意義や安全性を厳正に確
認したいが、まずは国が明確なメッセージを示すことが大事だ」と話す。


【核燃料の話】

ここで、お復習いで核燃料の定義を再確認していこう。使用する場で二酸化炭素を直接排出することのな
い電気エネルギーの利用は今後も拡大傾向にあり、なかでも原子力発電は化石燃料による発電と異なって、
発電プロセスに二酸化炭素の発生がない点で注目されてきた。しかし、これも核燃料を発電プロセスに役
立るまで加工するのに大量の子不ルギーを使う点を含め、結果的には二酸化炭素を排出している。 原子
力発電の中核技術は、原子爆弾と双生した原子炉のそれである。この発電の仕組みは自然界にある最も重
い物質であるウラニウム等を核分裂させ、発生するその子不ルギーを利用する。ただし、爆弾のように一
気に核分裂エネルギーを放出するのではなく、発生する中性子数を制御しながらジワジワと核分裂エネル
ギーを放出させ、それを熱エネルギーに変え、水蒸気をつくり発電機を回し、電気を生む。
  
日本は世界で唯一の核被爆国ということで、核への抵抗感は国民の間に根強いものがある。一方、原子力
エネルギーは小資源国として、石油や石炭などの化石燃料を必要としないので、政府は願ってもないエネ
ルギー源と考え、その育成へ大変な力を入れてきた。  日本は1966年に商業用の原子力発電を始めた。
その一年前、1965年のエネルギー源別発電割合をみると、水力は四割強、残りが石油・石炭による火力で
あった。原子力発電は排煙から汚染物質を出さないクリーンな手不ルギー源として、むしろ社会的に認知
される風潮があった。その後、原子力発電は二度のオイルショックを経て、石治代替手不ルギーのエース
としてますますその比重を高めてきた。総発電量に占める原子力発電量が多い国は、世界で第一位が米国、
第二位がフランス、日本は第三位に位置する。

1992年の日本の総発電量は、電気事業の再編が行われた1951年当時の約20倍、原子力発電所の着エラッシ
ュが始まった65年当時の約5倍になっている。そして、現在、原子力発電は総発電量の約35%を占め、51
基が稼働中で、あと20基が計画されている。地域別では関西が50%、関東が30%を原子力発電に依存をし
ている。原子力で問題なのは、その利用技術が恒常的エネルギ ー源としてまだ十分完成していない点に
ある。最近の事故としては、燃料加工のプロセスで発生した㈱JCO東海事業所での中性子の臨界事故が
ある。これは「レベル4」ということで、最も高い「レベル7」の旧ソ連のチェルノブイリ原発事故、「
レベル5」の米国スリーマイル島事故に次ぐ、世界で3番目の大事故であった。そして、今回の福島第一
原発
の事故だ。原子力発電のまだ十分に完成されていない大きな課題は、運転の安全性と燃え滓の高レベ
ル放射能の処理問題にある。とくに、燃え滓として常に生み出される放射性廃棄物の処理・処分方法では、
ガラス固化、アスファルト固化、あるいは地層処分などの方法が試みられてきているが、いずれも問題が
ないわけではない。

例えば、放射性廃棄物用ステンレス容器は「千年の保管に耐える」と報告されていたが、それはあくまで
も計算上の話である。原発について政府の担当者は、当初「東海村で貯蔵し、将来は海洋投棄する」と楽
観的な見通しを語っていた。しかし、東海村の貯蔵所は1970年代の半ばで早くも満杯状態になった。また
海洋投棄も事実上不可能になった。米国が過去に放射性廃棄物をコンクリートで固め、ドラム缶に入れて
海洋投棄をしたが、その後の調査によれば、内容物がドラム缶の腐食で溶けだし、汚染を引き起こしたこ
とがあったからである。海洋投棄規制条約締結国会議では1983年にロンドン条約によって、放射性廃棄物
の海洋投棄は「安全性が確認されるまで禁止する」という決議を承認している。さらにこの内容は85年に
も再確認され、海洋への投棄処分が簡単にはいかなくなっている。現在、ドラム缶の数で数10万本が各原
子力発電所の廃棄物貯蔵施設に保管されている。毎年6万本以上が追加されており、新しい原子力発電所
を除けば、貯蔵施設はどこもが増設を強いられていた。原子力発電所は、廃棄物1㌔㌘当たり一銭という
お金を積み立てている。計画では、将来燃え滓の処理技術が完成した時点で、このお金を使って処理する
予定でいる。しかし、この金額で計算が合うかどうかは未知数であり、原子力発電もこれですむのであれ
ば割安と評価できよう。世界の先進国の動向は、原子力発電の抑制あるいは廃止へ向う傾向にある。


 
進まぬ核融合発電

核分裂と異なる核融合発電は、※1次世代の核エネルギーとして期待されている。この技術開発は、水素
の原子核を融合させることから生ずる桁違いなエネルギーを利用するもので、この発生原理は太陽エネル
ギーと同じものである。核融合発電は、1960年代から開発が始まり、エネルギー問題はこれが完成すれば
永遠に解決といわれたものである。理由は、燃料源としては海洋に存在する大量の重水素を利用するので
資源の制約はなく、さらに原子力発電は放射性廃棄物を大量に生み出すが、核融合発電は廃棄物に大きな
問題もないといった点である。

核融合エネルギーの利用は、すでに水素爆弾で実現している。しかし、発電に応用する技術開発は原子力
発電より格段に困難であった。当面の原理的工学的技術開発に絞れば、重要な障害が2つある。1つは、
核融合によって発生する強力な中性子とその熱負荷に耐えられる炉壁材料の開発である。発電エネルギー
は炉壁のなかで発生し、それを炉壁を通して取り出すので、炉壁は常に強力な中性子や誘導放射を受け続
ける。それでも壊れない強靭な材料を開発する必要がある。

2つは、生体へのトリチウム(三重水素)の安全性の問題である。トリチウムは核融合発電に必要なエネ
ルギー源で、半減期が12.366年という水素の放射性同位体である。成人体重の60%が水によるものといわ
れているが、例えばその水分子の水素ヘトリチウムが置換されることで、水が重水になる危険性である。
いずれにしろ、これらの技術開発には桁違いの研究開発費をかけてきたが、いまだ先がよくみえない。開
発に期待をかけていた人々のなかにも「アメリカもフランスも手を焼いてやめてしまった。日本もやめた
らどうか」という意見が出ている。これ以上の研究開発は経済的にも一国の力に余る。国際協力で開発し
ていく部分が増えていくことになるだろう。核融合発電はまだ研究段階にあり、その課題は21世紀に残さ
れている。

動燃解体事件 

動力炉・核燃料開発事業団(動燃)は、1967年に設立以来、政府の原子力関連施策の最重要課題を背負い、
永遠に電力を発電し続ける「夢の核燃料サイクル」の開発へかかわってきた。しかし、その動燃も相次ぐ
事故と不手際な後始末が問題にされ、解体・改編された。高速増殖炉と高レベル放射性廃棄物処理の研究
は、国が監督する新しい機関(核燃料サイクル開発機構)へ、その他は民間へ移管された。
原子力発電か
ら未来の核融合発電
へ直接移行することは、先に述べたように、飛躍が大きすぎて現実的でない。そこで、動燃を
中心にこの中間ステップとして核燃料サイクルの確立が目指されてきたのだが、動燃解体事件がそのことへ大きな
影響を与えたことはいうまでもない。「夢の原子炉」(高速増殖炉)の技術開発は大幅に遅れ、長期計画
として2030年頃に確立するとしていた核燃料サイクルの技術体系についても目標年次は不透明になった


原子力発電の燃え滓から燃料が生み出される、しかも燃やした以上に燃料が生み出されるという核燃料サ
イクルは、
独自のエネルギー資源をもたない日本にとって実に魅力的である。しかし、核燃料廃棄物であ
り、燃料でもあるプル
トニウムは危険性の非常に高い物質で、その取り扱いについてはいまだに研究段階
にある点が多い。核燃料のウ
ランを通常の軽水炉などの原子力発電所で燃やし、発生した燃え滓から燃え
残りのウランと放射性同位元素のプル
トニウム(これも燃料)を分離して取り出す。動燃東海の事故は、
核燃料廃棄物を処理する工程で、燃料を分離した
残りを廃棄物処理する施設で発生した。

また、福井敦賀発電所で事故を起こした高速増殖炉「もんじゅ」は、核燃料廃棄物を再処理して取り出し
たプルトニウムを燃やす特別な原子炉である。実用化に向けた試験運転を行っているところで冷却材のナ
トリウ
ムが爆発した。高速増殖炉の反応温度は今日の主力である軽水炉などに比べ高いので、冷却材に水で
はなく金属ナトリウムが使用されている。この材料は空気に触れると酸素と激しい発熱反応をし、水に触
れると水素爆発を起こす。「もんじゅ」の事故はこの可能性を示したといえる。原子爆弾の材料ともなる
プルトニウムは、現行の原子力発電を続けていくかぎり溜まっていく。その蓄積は国際社会からあらぬ疑
いを招きかねない。そこで、燃料として消費する道筋をつけておくことが必要なのである。

しかし、日本は核燃料サイクルを実現するために不可欠な二つの施設、高速増殖炉と核燃料再処理工場で
失敗をした。当面の焦点は、核燃料廃棄物から抽出したプルトニウムとウランの混合燃料(MOX)を軽水
炉で燃やす「プルサーマル計画」になる。そしてまた、同計画の実施を控えた99年9月30日、東海村にお
いて核燃料の製造工程を請け負っている㈱JCO東海事業所で核分裂反応が制御できなくなる臨界事故が
発生し、高い中性子線東とそれによる高レベル放射能が周辺へ照射された。そのために施設近隣住民の緊
急避難や事故
発生施設を中心に半径10キロメートルに及ぶ地域での移動規制等が発せられた。このような
事故はかつて日本で
はなかったものである。この事故を含め、二酸化炭素の抑制のために原発の大増設を
あてにする策には逆風が吹き
続けてますますむずかしくなっている。原子力については当面、もう一度初
心に返って早急に取
り組み直すとともに、
エネルギー開発の多様化およびエネルギーの効率的使用につい
てもっと真剣に考えて
いく必要がある
 

蛇足を。未だに福島原発には広島級原子爆弾9千発(百万キロワット発電の1年間に生産される死の灰1
トン
として換算)に相当する核燃料物質が放置されたままだが、スターウォーズの時代にはMOX燃料問題は
確実
にクリアーされているだろうと思いたい。^^;

出典:『人類は80年で滅亡する 「CO2」地獄からの脱出』(東洋経済新報社)

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学習能力と意訳

2013年06月26日 | 時事書評

 

 

 

 

【いまさら言えない、世界最高効率114 lm/Wの実現】

 



        

 


【学習能力と意訳】 

昨日、オバマ米大統領がジョージタウン大学で第二次大規模気候変動対策行動計画を発表したが、
(“Barack Obama puts solar at forefront of ‘assault’ on climate change” 25 June 2013, 19:48 PVTECH

それによると、全二酸化炭素排出量の40%は発電所から排出されており一刻も早く削減する必要が
ある。その対策として2020年までに20ギガワット相当を再生可能エネルギーで補うことを内務省に
指示。問題は見出しの太陽光発電をその中核に据えるというものだが、この“assault”の翻訳に手
間取る。“assault”とは、一般には、アサルト、つまり突撃、猛攻撃、襲撃を意味するものらしい。
それではシックリこない。まして、意訳するにも、米国文化との接触は稀薄はおろか、国内の専門
家との繋がりもなく、自分の感覚で意訳するしかない。そのため敢えて“deploy" とし「配置」と
した。最近は、情報量の多さもあって、ヘッドラインの意訳だけで本文はそのままコピーし記載す
ることが殆どとなっているが、これが非営利的な公的な、あるいは営利的な組織的の判断となると
事情は異なるだろうが、個人的な運用ではこれが限界で致し方がないと諦める。

ところで、話は変わる。意訳にまつわることから学ぶことはこれからいろいろ経験するだろうが、
問題解決するというか進化するするためには言い訳できない自己の学習能力の有無が待っているが
例の「アベノミクス」について、なかでも「リフレーション」と「新自由主義」について考えてみ
た。前者は、ポール・デビットの「ポスト・ケイジアン」の考察(『デジタルケインズと共生・贈
』)や「双頭の狗鷲」(『雪を巻きあげ日本快走』)としてブログ掲載し、アベノミスクの一翼
を、先陣を切ってきたつもりでいるのから割愛するとして、後者の「新自由主義」(=ポスト・フ
ァオーディズム、恣意的自由の拡大、あるいは「大道無門」、組み込まれた自由主義)に対する学
習能力について書く。なお、これについても、デヴィッド・ハーヴェイ「新自由主義-その歴史的
展開と現在」(『デジタルなケインズ』)の考察で掲載しているが、これは前政権の民主党や財務
系国家官僚に深く影響していることもあり重要な課題であることを指摘しておきたい。つまり、ア
ベノミクスの第一本目の矢である金融政策(=リフレ政策)は英米流金融資本主義の修正・規制の
準備なくして、あるいは、泥縄的対策のない政策運用は考えられないという前提認識である。
これ
はマルクスの資本論第一巻にも引用記載されている「わが亡き後に洪水よ来たれ(Apres moi,le del-
uge
) 」という「市場の失敗の必至」に、あるいは「ロスト・スコア(失われた二十年)」に対す
る歴史的見識の公党としての有無である。これについては、日本共産党からもそのような批判がな
されていたことがネットを見れば分かる。

こんなことを考えていると、学習能力というのは大切な教科であることを再認識する。賃労働でも
あるいは、非営利の仕事でも同様だ。だから「易きに就くな」という言葉は大事だと(そんな偉そ
うなことを口にすると、彼女から、毎日お酒を飲む理由があるのですか!?というキッ~~~イ、
言葉が聞こえてきそうだが)。
 さて、後は、薄ペらなエリート官僚に乗せられず、丁寧に第二・第三の政
策の矢を実行すれば安倍政権の問題は、防衛・改憲を除き、残り原子力発電のエネルギー政策の仕分け
と決断次第ということになり、その踏み絵が下の『知事抹殺』ということになるだろう考えた。

 

【スターウォーズ・デザイン】 

すべては、デザインで決まる。

 


 

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零戦巡礼の明日

2013年06月25日 | 時事書評

 

 

 

このごろ、零戦とその設計者の堀越二郎が話題となっている。周知の通り
零戦は太平洋戦争初期、2200kmに達する長大な航続距離・20mm機関砲2門
の重武装・優れた格闘性能を生かして米英の戦闘機に圧勝し、太平洋戦線
の占領地域拡大に寄与。零戦は米英パイロットから「ゼロファイター」の
名で恐れらた。しかし大戦中期以降には、アメリカ陸海軍の対零戦戦法の
確立やF4UやF6Fなど新鋭戦闘機の大量投入、日本側の多数の熟練搭乗員の
戦死、後継機の開発の遅れ、熟練工の徴兵による性能低下などにより、零
戦に頼る日本海軍航空隊は劣勢に追い込まれる。また、堀越二郎は、三菱
九六式艦上戦闘機の設計で革新的な設計を行い、さらに零式艦上戦闘機の
設計主任として名を馳せた。
 

話題の理由の1つは、百田尚樹著の小説『永遠の〇』とその映画化。もう1つは、
スタジオ・ジブリ映画監督宮崎駿の映画『風立ちぬ』の公演決定によるもの。前
者は太平洋戦争を題材にした長編戦争小説にも関わらず、現代の若者が祖父
の足跡をたどるミステリー仕立てという斬新な内容で人気を博したものだ。

 

『永遠の〇』は、百田尚樹による日本の小説。著者のデビュー作。売上は
2012年10月に発売から3年.3ヵ月で累積売上100万部を突破。2013年5
月6日付オリコン“本”ランキング文庫部門では前週の3位から順位を上げ
発売から3年9ヵ月で初の首位を獲得し、累積売上は179.9万部を記録。同
部門では13作目のミリオンヒットとなる。2013年に岡田准一主演で映画化
が決定。2010年から2012年にかけて須本壮一作画で漫画化された。ストー
リーは、情報誌
を扱う出版社に勤める24歳の佐伯慶子と4歳違いの大学生
の弟・健太郎は
祖母・松乃が亡くなって四十九日も済みしばらくすると、
祖父・賢一郎か
ら呼ばれて「お前たちの母・清子を連れて松乃は太平洋戦争
後に私と再婚
した。お前たちの実の祖父は、松乃の最初の夫で終戦間際に
特攻で戦死し
た海軍航空兵だ。」と告げられる。健太郎は、それまで本当
のおじいちゃ
んと思っていた賢一郎が実は血が繋がっていなかったと知り、
ショックを
受ける。

それから6年後、司法浪人が長く続き人生の目標を見失っていた健太郎が、
フリーライターとなった慶子から頼まれて、実の祖父・宮部久蔵の足取り
をわずかな手がかりの中から追い始めて、その壮絶な生涯を終戦60年目の
夏に明らかにしていく。戦闘機搭乗員としてラバウル航空隊で一緒だった
という元戦友に会いに行くと、久蔵のことを「海軍航空隊一の臆病者だっ
た」「何よりも命を惜しむ男だった」「戦場から逃げ回っていた」と蔑み
の言葉を、露骨に姉弟へぶつけてきた。健太郎は元戦友から最初に聞く久
蔵の話に不快になり、聞き取り調査を続ける気を無くしていたが、久蔵を
知る他の海軍従軍者たちを全国に訪ね歩いていく。調べるほど生前の久蔵
はそれぞれの証言者で違って評されていて、姉弟はそんな証言を聞いて回
るう
ちに「国のために命をささげるのが当然とされていた」戦時下の世相
や背
景など今まで全く知らなくても済んでいた、いろんな事に気づいてい
く。
凄腕のゼロ戦乗りで「卑怯者」と誹られても「生きて帰って娘の清子
に会
うまで死なない」という妻・松乃との約束にこだわり続けていたのに、
ぜ久蔵は特攻に志願してしまったのか?姉弟はついに60年の長きにわた
て封印されていた、久蔵と意外な人物との関係が明らかになる驚愕の事
にたどりつく。

※タイトルの「〇」には「十死零生」と特攻飛行機の「零戦」が埋め込ま
 れている。



※上の図はジブリの絵に零戦を即興で描き加えたもの。^^;

これに対し『風立ちぬ』は、宮崎駿による日本の漫画、およびそれを原作
としたアニメーション映画。『モデルグラフィックス』で、2009年4月号
から2010年1月号まで連載。映画は2013年7月20日公開予定。宮崎駿が『
モデルグラフィックス』誌に発表した連載漫画。スタジオジブリによりア
ニメーション映画化された。2008年の『崖の上のポニョ』以来となる。ま
た、宮崎が『モデルグラフィックス』に連載した漫画がアニメ化されるの
は、1992年の『紅の豚』以来の2作目。漫画版の各話冒頭に作者名が書か
れ、第1回や第8回などでは本名の「宮駿」名義となる。

実在の人物である堀越二郎をモデルに、その半生を描いた作品であるが、
堀辰雄の小説『風立ちぬ』からの着想も盛り込まれている。そのため映画
のポスターには両名の名を挙げており、2012年に公表された版では「堀越
二郎と堀辰雄に敬意を表して」、翌年公表された版では「堀越二郎と堀辰
雄に敬意を込めて」と記されている。オリジナル要素を盛り込んだストー
リーが展開されるため、堀越の遺族に対して事前に相談し了解を得ている。
宮崎が監督した作品で、実在の人物を主人公とするのは初めて。宮崎は『
宮崎駿の雑想ノート』など軍事を題材とした作品を多く描いているが、今
作品のテーマとして、兵器である戦闘機などが好きな自分と戦争反対を訴
える自分という矛盾を抱えた自らの姿が投影されている

スタジオジブリの鈴木敏夫に対して、アニメーション監督の庵野秀明が零
戦が飛ぶシーンがあるなら描かせてほしい」と申し入れ、庵野の参加が正
式決定。1984年公開の『風の谷のナウシカ』以来の宮崎作品への参加とな
る。宮崎から出演を依頼され、庵野も出演を受諾した。宮崎は主人公のイ
メージとして「早口である」「滑舌がよい」「凛としている」の3つを挙
げ、庵野を選んだ理由として「いい声だからでなく、存在感で選んだ」と
し話している。

 

 “Le vent se lève, il faut tenter de vivre"

宮崎いう『風立ちぬ』は、堀辰雄の中編小説だが、作者本人の体験をもと
に執筆された代表的作。美しい自然に囲まれた高原の風景の中で、重い病
(結核)に冒されている婚約者に付き添う「私」が、彼女の死の影におび
えながらも、2人で残された時間を支え合いながら共に生きる物語だ。時
間を超越し、生の意味と幸福感が確立されゆく過程が描かれ、風のように
去ってゆく時の流れの裡に、人間の実体を捉え、生きることよりは、死ぬ
ことの意味を問うと同時に、死を越えて生きることの意味をも問うている。
作中の「風立ちぬ、いざ生きめやも」という有名な詩句は、ポール・ヴァ
レリーの詩『海辺の墓地』の一節 “Le vent se lève, il faut tenter de vivre
を、堀辰雄が訳したものである。「風立ちぬ」の「ぬ」は過去・完了の助
動詞で、「風が立った」の意である。「いざ生きめやも」の「め・やも」
は、未来推量・意志の助動詞の「む」の已然形「め」と反語の「やも」を
繋げた「生きようか、いやそんなことはない」の意であるが「いざ」は、
「さあ」という意の強い語感で「め」に係り、「生きようじゃないか」と
いう意が同時に含まれる。ヴァレリーの詩の直訳である「生きることを試
みなければならない」という意志的なものと、その後に襲ってくる不安な
状況を予覚したものが一体となっている。また、過去から吹いてきた風が
今ここに到達し起きたという時間的・空間的広がりを表し、生きようとす
る覚悟と不安がうまれた瞬間をとらえている。作中の「私」の婚約者・節
子のモデルは、堀辰雄と1934年(昭和9年)9月に婚約。1935年(昭和10年
)12月に死去した矢野綾子であるという。
 

 

 ところで、アニメ映画『風立ちぬ』の主題歌の『ひこうき雲』は、荒井由実(
ユーミン) のファースト・アルバム。オリジナルは1973年11月20日に東
芝イーエムアイ株式会社(当時、現・ユニバーサルミュージック合同会社
EMIレコーズ・ジャパンレーベル)からリリースされた。一時期、音源の
原盤権の都合でアルファレコードから発売されたこともある。2000年4月
26日にLPのブックレットを復刻し、バーニー・グランドマンによるデジタ
ルリマスタリングで音質を大幅に向上したリマスタリングCDをリリース。
2005年3月10日よりPC配信。ジャケットデザインは、教会音楽を多く扱う
名門古楽レーベル『アルヒーフ』のジャケットを模したものと言われてい
る(松任谷正隆などによる)。ブックレットのイラストはユーミン自身が
手がけ、少女から大人への変化を綴った「誕生日」という詩が収められて
いる。
 

「ひこうき雲は」2枚目のシングル「きっと言える」のB面曲。高校三年生
の頃に近くの高層団地での高校生同士の飛び降り心中事件があり、TVで報
道されているのを見たことで、高校一年生の頃に小学校の同級生男子が筋
ジストロフィで亡くなったことを思い出して書かれた夭逝をモチーフとし
た曲。松任谷本人は自殺はしないとしながらも自殺・死に対しての一種の
理解
と羨望が歌われている。(松任谷由実『ルージュの伝言』 角川書店、
1984
年)夫である松任谷正隆は、この曲のコード使い、B♭7の意外性に驚き
結婚
を決めた、と冗談交じりに語っている。2013年7月20日公開予定のス
タジ
オジブリ最新劇場用アニメ『風立ちぬ』の主題歌にも採用されること
を決
定する。

※この曲は、1974年の夏、JR富山駅前の喫茶店ではじめて耳にし、いた
 く感激した同僚がその場でレコードを買い求めたというほどユーミンの
 才能の開花(魅力)に居合わせた仲間全員が感動したエピソードが残っ
 ている。

 

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海の静脈巡礼の明日

2013年06月24日 | 環境工学システム論

 

 

【アサリが獲れない】

今朝からの作業で面白いことに2つのニュースが交差した。 その1つがNHKテレビ放送の「ア
サリをカキが救う? 国産アサリ復活の秘策」で、もう1つが、理化学研究所の「“土に還る”バ
イオマスの分解・代謝評価法を構築」というものだった。全差の前者のキャッチは「ここ数年、
国的にこれまでにない不漁が続くアサリ。今年は多くの産地がさらなる不漁に見舞われ、潮干
狩り
の中止にまで追い込まれました。原因はさまざまですが、干潟の環境悪化もそのひとつです。
そん
ななか三重県鳥羽市では、研究者と漁業者が協力して、環境が悪化した干潟でもアサリが育つ
新た
な養殖法を開発し、全国から注目を集めています。特産のカキの殻を使ったその秘策とは?」
とい
うもの。さっそくネット検索でニュース源と関連新規考案を確認。前者は2010年11月16日独立
行政
法人「水産総合研究センター」主催の会合同部会で養殖研究所は日向野純也博士の「アサリの天然
採苗および養殖におけるカキ殻加工固形物(ケアシェル)の利用」による。

 

干潟に農業排水や都市排水による排水有機物系の汚染物質が流入蓄積するとそれが還元分解され、
硫黄菌による硫化水素が生成排出されそれによりアサリの浮遊幼生が死滅するため、この硫化水素
を無毒化(カルシウムで中和)すればよい、その中和剤を牡蛎の貝殻でるくるということなのだが
それでけでなく、アサリの天然採苗・垂下養殖すれば、干潟がなくとも養殖でき生産性が上げれば
いいではないかということになり、ほかの貝類にも応用展開できるということで、世界中の貝類の
生産が日本の知財
で解決できる、基本的には。そうすればムール貝が好きなだけたべられる。^^;

また後者は、樹木や草花が春になると若葉や芽を出し、秋から冬にかけて葉を落としたり枯れたり
し、土へと還っていくのだが、地面に落ちた葉は土壌中の生物群により分解され栄養となり、それ
を糧として次の春にはまた新たな芽をつけるというサイクルを繰り返している(バイオマス・サイ
クル)が、今回、この土壌生物群による分解・代謝のメカニズム(循環システム)を包括的評価で
きる環境評
価技術を構築したというのだ。

この研究の実験では、稲わらのリグノセルロースを粉砕して立体構造を変化させ、その立体構造や
組成、熱力学的性質などを評価し、立体構造の変化によって微生物による共代謝の場がどう変化す
るかを調べ、リグノセルロースの立体構造の違いで分解代謝物が異なり、産生量も大きく変化する
ことや、分解した構造の違いでそれを利用する微生物群が変化し、最終的にそれぞれ異なる微生物
群集を形成することが分かった
という。リグノセルロースの持つ高次構造が、分解・代謝の経路や
微生物種などの微生物生態系に大きな影響-土壌中で起きている共代謝反応の化学的な理解や、農
林業や地球化学に関する土壌評価などへ応用できるとしたされている。また、これは映画『奇蹟の
りんご』の科学的な説明として使えるニュースになった。

【もう一丁】

 

上の写真は、最近、欧州連合(EU)は、果物や野菜などの表皮にレーザーでラベルを刻むことを許
可。紙製ラベルより環境汚染を減らしながら、コストを削減してくれ、果物の表皮を傷つけないう
ちに、自由自在に文字や画像などを刻まれていてとっても使いやすいというのだ。Qコードなども
刻印できるからトレサビリティーは充実できる。農水林業の工業化のあるいは高度化の促進に役立
つ。魚介類にも刻印できる。そうすると事業規模が算定でき、産業の活性度も測定できる。これも
面白いニュースだ。
 

 

 


  I once had a girl or should I say she once had me?
 She showed me her room "Isn't it good, Norwegian wood?"

 She asked me to stay
 And she told me to sit anywhere
 So I looked around
 And I noticed there wasn't a chair

 I sat on a rug, biding my time
 Drinking her wine
 We talked until two
 And then she said, "It's time for bed"

 She told me she worked in the morning
 And started to laugh
 I told her I didn't
 And crawled off to sleep in the bath

 And when I awoke I was alone
 This bird had flown
 So I lit a fire
 Isn't it good, Norwegian wood ?

 

 

  

 

  遠くでヘリコプターの音が聞こえた。こちらに近づいてくるらしく、音はだんだん大きくな
 っていった。彼は空を見上げ、機影を求めた。それは何らかの大事なメッセージを持った使者
 の到来のように感じられた。しかしその姿はとうとう見えないまま、プロペラの音は遠ざかり、
 やがて西の方向に消えていった。あとには柔らかくとりとめのない、夜の都市のノイズだけが
 残った。

  シロがあのとき求めていたのは、五人のグループを解体してしまうことだったのかもしれな
 い。そういう可能性がつくるの頭にふと浮かんだ。彼はベランダの椅子に座り、その可能性に
 少しずつ具体的なかたちを与えていった。
 
  高校時代の五人はほとんど隙間なく、ぴたりと調和していた。彼らは互いをあるがままに受

 け入れ、理解し合った。一人ひとりがそこに深い幸福感を抱けた。しかしそんな至福が永遠に
 続くわけはない。楽園はいつしか失われるものだ。人はそれぞれに違った速度で成長していく
 し、進む方向も異なってくる。時が経つにつれ、そこには避けがたく違和が生じていっただろ
 う。微妙な亀裂も現れただろう。そしてそれはやがて微妙なというあたりでは収まらないもの
 になっていったはずだ。

  シロの精神はおそらく、そういう来るべきもの圧迫に耐えられなかったのだろう。今のう
 ちにそのグループとの精神的な連動を解いておかないことには、その崩壊の巻き添えになり、
 自分も致命的に損なわれてしまうと感じたのかもしれない。沈没する船の生む渦に呑まれ、海
 底に引きずり込まれる漂流者みたいに。

                     -中略-

  彼の心は沙羅を求めていた。そんな風に、心から誰かを求められるというのは、なんて素晴
 らしいことだろう。つくるはそのことを強く実感した。とても久しぶりに。あるいはそれは初
 めてのことかもしれない。もちろんすべてが素晴らしいわけではない。同時に胸の痛みがあり、
 息苦しさがある。恐れがあり、暗い揺れ戻しがある。しかしそのようなきつさでさえ、今は愛
 おしさの大事な一部となっている。彼は自分か今抱いているそのような気持ちを失いたくなか
 った。一度失ってしまえば、もう二度とその温かみには巡り合えないかもしれない。それをな
 くすくらいなら、まだ自分自身を失ってしまった方がいい。

 「ねえ、つくる、君は彼女を手に入れるべきだよ。どんな事情があろうと。もしここで彼女を
 離してしまったら、もう誰も手に入れられないかもしれないよ」

  エリはそう言った。彼女の言うとおりなのだろう。何があろうと沙羅を手に入れなくてはな
 らない。それは彼にもわかる。しかし言うまでもなく、彼一人で決められることではない。そ
 れは一人の心と、もう一人の心との間の問題なのだ。与えるべきものがあり、受け取るべきも
 のがある。いずれにせよすべては明日のことだ。もし沙羅がおれを選び、受け入れてくれるな
 ら、すぐにでも結婚を申し込もう。そして今の自分に差し出せるだけのものを、それが何であ
 れ、そっくり差し出そう。深い森に迷い込んで、悪いこびとたちにつかまらないうちに。

                     -後略- 

                                     PP.361-370                         
                村上春樹 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』


こうして、冷静でいつもクールに自分のペースを守る多崎つくるは-冷静でもなければ、常にクー
ルに自分のペースを守っているわけでもなく、自分の抱える重みを支点の左右に、習慣的にうまく
振り分け-沙羅を求め、そしてこの物語は結ばれる。現代の純愛物語風小説というべき作品を熟っ
くりと読んでみて、構成のスケール違いを除けば、初期の1979年の作品『風の歌を聴け』を骨太に
貫く春樹イズムの音律(しら)べに引き込まれていたことに気付いた。

                                       この項了

 

例の、入水自殺未遂のニュースをテレビで見ていると、いつごろ彼と仕事上クロスしたのかの記憶
が戻って
くる。中国プラントでご一緒して、帰国後、シャドウマスクのフォトファブの前工程(レ
ジスト塗布・露光)の生産
会議だった。彼は浸漬コータの専門家で、帯状の低介在マスクローラ材
燐青銅(リンセイドウ
切断工程時に発生するデブリ(飛沫破片)の持ち込みによる収率低下問
題の解決が具体的なコ
ンタクトがはじめであり、寡黙で腹の据わった好印象が残っている。その後、
骨太な事業開発を目指して
いたわたしと袂をわかち、彼は早期退職の道を選んだ。その意味におい
て彼と私の関係は十全だ
ったと思いたい。と、そう彼女に話し、問題解決に同伴できなことの残念
さを伝えた。

 

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デジタル復権巡礼の明日

2013年06月23日 | 時事書評

 


 

【2084年までの投企】



スタンフォード大学で、リチウムイオンバッテリーの性能向上につながる研究結果を発表したが、
そのアイデアが奇想天外?で面白いのだ。リチウムイオンバッテリーのナノサイズ電極の製造にカ
ニの甲羅を活用するというもので実験レベルで高い効果が確認されたという。通常、リチウムイオ
ンバッテリーの電極に硫黄またはシリコンを使うと蓄電容量を大幅に増やすことができるが、この
方法はバッテリーの寿命を短くするという欠点を抱えている。これを解決する方法としてカーボン
ナノチューブのような素材の中に電極を閉じ込めることで劣化を防ごうというアイディアを考案。
この研究によると、
製造方法としてカニの甲羅の活用に注目。カニの甲羅はナノチューブ状態のち
ょうどよいサイズの穴が規則正しく無数に空いていて、この中に硫黄やシリコンを詰めてナノチュ
ーブサイズの電極をつくったところ、硫黄電極で1230 mAh/g、シリコン電極で3060mAh/gを計測。
また、200回の充電と放電後の劣化は、硫黄電極で60%、シリコン電極では95%という改善が見られた
という。
カニの甲羅はこれまで一部を除いて廃棄処分されているが資源として量も価格もともに製
造適用するものだ。充放電回数が少ないので早合点になるかもしれないが、"ナノチューブサイズの
電極
"というデザイン要素は、ネオコンバーテックとして頂けそうだ。

 

そうかと思えば、氷の結晶構造が崩壊し、解けて水になるきっかけをコンピューターのシミュレ
ションで解明したと総合研究大学院大の院生望月建爾らが発表していが、このことで、化学物質の
構造や水を含むたんぱく質の構造が変わる仕組みを解明するのに役立つという。水分子は小さな水
素原子2個と大きな酸素原子1個から構成され、固体の氷では、分子が六角形の網を構成するよう
に整然と並んでいるが、温度が上昇すると分子が揺らぎ出し、分子同士の結合が切れて六角形の形
が崩れる所が現れる。この結合の切れ方に注目し、分子間に働く力の計算を繰り返し
たところ、分
子が揺らいで結合が切れ、六角形の形が崩れても、初めのうちはすぐつながって元
に戻るが、温度
上昇で揺れがひどくなると、つながる際に間違った分子の組み合わせが発生して
しまい、連鎖的に
組み替えが起きて結晶構造が崩壊することが分かったという。このことは物理学最前線での「ゆら
ぎ」領域に属するもので、「コンピューターのシミュレーション」で解明したというデジタル物理
学領域でもあるが、工学的な応用展開にはさまだまなコンテンツ仕様が必要だということに尽きる。
 

 


昨日の「オールソーラー事業」(『パワーデバイス巡礼の明日』)で考えたのは、半導体製造技術
のプラットホームとして「フォトファブリケーション」(写真製版適用技術)は、百年程度有効だ
という、つまりは2084年までの基本プラットフォームとして継続発展していくだろう思っていた。
この考えが正しいかどうかどうか精査しなければならないが、このデジタル革命の先導役である半
導体製造技術での復権を肝においておくべきだろう。なにせ、世界のオールソーラー事業の経済規
模は120兆円だと、たしかこのブログで掲載した記憶がある。^^;

 

 

 

  彼には親しい友だちと呼べる人間はいない。何人かのガールフレンドをつくり、やがて別れ
 た。穏やかなつきあいで、円満な別れだった。彼の心の内側にまで入ってくる相手は一人もい
 なかった。彼がそういう関係をあえて求めなかったということもあるし、たぶん相手がそれほ
 ど深く彼を求めなかったということもあるだろう。半分半分というところだ。
  おれの人生はまるで、二十歳の時点で実質的に歩みを停めてしまったみたいだ、と多崎つく
 るは新宿駅のベンチの上で考える。そのあとに巡ってきた日々は、重みと呼べるものをほとん
 ど持たなかった。年月は穏やかな風のように、彼のまわりを静かに通り過ぎ去っていった。傷
 も残さず、哀しみも残さず、強い感情をかき立てることもなく、これという喜びも思い出も残
 さず。そして彼はそろそろ中年の域にさしかかろうとしていた。いや、中年になるまでにはま
 だ少し聞かある。しかし少なくとももう若いとは言えない。

  考えてみれば、エリだってある意味では人生の亡命者だと言えるかもしれない。彼女もやは
 り心に傷を負い、その結果いろんなものを置き去りにし、故郷を捨てた。とはいえ彼女は自ら
 求めてフィンランドという新天地を選んだのだ。そして彼女には今では夫がいて、娘たちがい
 る。陶器作りという心を注ぎ込める仕事もある。湖畔のサマーハウスと、元気な犬。フィンラ
 ンド語も覚えた。彼女はそこに小宇宙を着々とこしらえてきた。おれの場合とは違う。

  つくるは左の手首につけられたタグ・ホイヤーに目をやった。時刻は八時五十分を指してい
 る。特急列車は既に乗車を開始していた。荷物を抱えた人々が次々に列車に乗り込み、指定さ
 れた席に腰を下ろしていた。荷物棚にバッグを上げ、冷房のきいた列車の中でほっと一息つい
 て、冷たい飲み物を飲んでいた。そういう姿を窓ガラス越しに目にすることができた。



 
  その腕時計は彼が父親から引き継いだ、数少ない形あるものだった。一九六〇年代初期に作
 られた美しいアンティーク。三日身体につけないとねじが緩み、針が止まってしまう。しかし
 その不便さを、つくるは逆に気に入っていた。見事に純粋な機械製品だ。いや、工芸品と言っ
 ていいかもしれない。クォーツやマイクロチップはひとかけらも入っていない。すべては精妙
 なばねと歯車によって律儀に作動している。そして半世紀近く休みなく動き続けた今も、それ
 が刻む時刻は驚くほど正確だった。
  
  つくるは生まれてから自分で時計を買ったことがない。いつも誰かからもらった安物の時計
 を、これという感興もなく使っていた。正確な時刻さえわかればそれでいい。それが時計とい
 うものに対する彼の考え方だった。カシオのいちばん簡単なディジタル・ウオッチで日常の用
 は足りる。だから父親が亡くなり、この高価そうな時計を形見として受け継いだときも、とく
 に感慨はなかった。ただねじを巻く必要があるので、一種の責務としてそれを日々身につける
 ようになった。しかし一度使い出すと、彼はすっかりその時計が気に入ってしまった。その感
 触や程良い重さや、それが立てる小さな機械音が好きだった。以前より頻繁に時刻を確かめる
 ようにもなった。そしてそのたびに父親の影が微かに彼の脳裏をよぎった。
  
  正直なところ、父親自身についてはあまりよく覚えていないし、とくに懐かしいという気持
 ちも起きない。幼い頃も大きくなってからも、父親と一緒にどこかに出かけたり、二人で親密
 に語り合ったりした記憶はない。父親はもともと口の重い人間だったし(少なくとも家庭では
 ろくに口をきかなかった)、それでなくても日々の仕事が忙しく、家にもあまり帰ってこなか
 った。今にして思えば、たぶんどこかに女を作っていたのだろう。
 
  つくるにとって彼は血を分けた父親というよりは、頻繁に訪ねてくる偉い親戚のような存在
 に近かった。つくるは実質的には母親と二人の姉に育てられたようなものだ。父親がどのよう
 な人生を送り、どんな考えや価値観を持ち、日々具体的にどんなことをしていたのか、ほとん
 ど何も知らない。彼がかろうじて知っているのは、父親は岐阜の生まれで、小さいうちに両親
 を亡くし、僧侶をしている父方の叔父に引き取られ、なんとか高校を卒業し、ゼロから会社を
 立ち上げ、目覚ましい成功を収め、今ある財産を築いたということくらいだ。苦労した人間に
 しては珍しく、苦労について語りたがらなかった。あまり思い出したくなかったのかもしれな
 い。いずれにせよ、父親に人並み外れた商才があったことに間違いはない。必要なものを素早
 く手に入れ、不必要なものを片端から捨てていく才能だ。上の姉が彼のそのようなビジネス面
 での才能を、部分的にではあるが引き継いでいた。下の姉は母親の軽やかな社交性を、やはり
 部分的に引き継いでいた。つくるはそのどちらの資質もまったく引き継がなかった。
 
  父親は一日に五十本以上の煙草を吸い続け、肺癌を患って死んだ。つくるが名古屋市内の大
 学病院に父親を見舞ったときには、まったく声を出すことができなくなっていた。そのとき父
 親はつくるに何かを伝えたがっているようにも見えたが、それはもうかなわぬことだった。そ
 の一か月後に彼は病院のベッドで息を引き取った。父我がつくるに残してくれたのは、自由が
 丘の一寝室のマンションと、彼名義のまとまった額の銀行預金と、このタグ・ホイヤーの自動
 巻腕時計たった。

  いや、他にも彼が残してくれたものはある。多崎つくるという名前だ。

  東京の工科大学に進んで専門的な勉強をしたいとつくるが言い出したとき、自分の築き上げ
 てきた不動産ビジネスを継ぐことに、一人息子がまったく興味を示さなかったことは、父親を
 少なからずがっかりさせたようだった。しかし一方で、つくるがエンジニアを志望することに
 ついては大いに賛同してくれた。そう思うなら東京の大学に行くといい、それくらいの金なら
 喜んで出してやる、と父親は言った。何はともあれ技術を身につけ、形のあるものをこしらえ
 るのは良いことだ。世の中の役に立つことだ。しっかり勉強して、おまえの好きなだけ駅を作
 ればいい。自分が選んだ「つくる」という名前が無駄にならなかったことを、父親は喜んでい
 るように見えた。彼が父親を喜ばせたのは、あるいは父親がそれほどはっきりと喜びを表に見
 せたのは、それが最初で最後だったかもしれない。
 
  時刻表どおり九時ちょうどに、松本行きの特急列車はプラットフオームを離れた。彼はベン
 チに座ったまま、その明かりが線路を遠ざかり、スピードを上げながら夏の夜の奥に消えてい
 くのを最後まで見届けた。最終列車の姿が見えなくなってしまうと、あたりは急にがらんとし
 た。街そのものが輝きを一段階落としたようにも見えた。芝居が終り、照明が落とされた後の
 舞台のようだ。彼はベンチから立ち上がり、ゆっくり階段を降りた。

 

                                       PP.358-361                         
                 村上春樹 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』



 


     
            センサーが 赤くなるほど このぼくの 放物線に ラベンダーが咲く

 

 

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パワーデバイス巡礼の明日

2013年06月22日 | 創作料理

 

 

  

   Sherry, Sherry baby
   Sherry, Sherry baby

   Why don't you come out to my twist party
   Come out Where the bright moon shines
   Come out We'll dance the night away
   I'm gonna make you mine

 

【酒の肴にオールソーラー】

これは昨夜の話。白い金麦がきれていたのでスクワットとローイングを済ませジムでクロ
ールとサウナをこなし、リカーマウンテン平田店に立ち寄り金麦ワンケースとシェリー酒
(『ショートコーナのシェリー酒』)と目についた白ワインの肴と「極 焼丸干いか」を
買って帰る。それにしても、この株式会社リカーマウンテンの急な店舗数の拡張には驚く。
話はそれでない。この間も掲載したが、電子レンジ加熱した「ガーリクのミルク煮」はす
っかり定着し今朝もこれにグラニュー糖を少し加え食べたが、この肴のいかがとても美味
いので、干し肉のように家庭でも作れないか興味がわいたというわけだ。しかし、作り方
がわからない。こぶりのするめいかを洗い目玉を刳り抜き、清酒といしり(3:1)に八
時間ほど漬け込みた後、引き上げ水分を拭き取る→残り汁は煮詰めタレに使う→いか本体
は一夜干しにして保存する。問題はどのタイミングでグリル(焼くあるいは炙り)するか
だ。食べる直前でというのが本来だろうが、保存前にグリルあるいは炙るかだ。あるいは
一夜干し工程を燻製処理するのもいいだろうが、そんなことを考えていたが、要するに、
ガーリックのミルク煮込みのように焼丸干いかは腸(わた)を丸々食べるわけで上質な蛋
白源となりこれに家庭菜園(「テーブルファーム」(『テーブルファーム巡礼の明日』)
でつくった野菜を調理し食せばもうこれ以上のものはいらないぐらいだろうと思っている。




そこで昨夜の色素増感型太陽電池開発のコアメンバーの内田聡教授の「逆に化合物半導体
太陽電池から見た場合は単にデキの悪い(効率の低い)太陽電池という位置付け
」の感想
にもどるの
だが(『ゴミ屋敷巡礼の明日(あさ)』)、色素増感型の調査研究を行ってい
た経験からいうと、可撓
性・意匠性・廉価性という側面より、原子力発電方式を決定的に
退けるためには一旦は「信頼性×高変換率」的側面を一義におくことに修正していくこと
になる。これは或る意味、事業開発方針の「網点のドット」から「量子のドット」への変
換と結果的に符合することになるのだが、タンデム型で安定的な20~30%の変換技術が実
用化された暁には、本来の意匠性とユビキタス性に戻るという戦略だが、そんなことを考
えながら、お酒を楽しんでていた。



色素増感型太陽電池の技術動向を考えていると同時並行して、独立行政法人情報通信研究
機構(理事長:坂内 正夫)は、株式会社タムラ製作所(代表取締役社長:田村 直樹)、
株式会社光波(代表取締役社長:中島 康裕)と共同で、新しいワイドギャップ半導体材料
である酸化ガリウム(Ga2O3)を用いた実用性に優れたMOSトランジスタの開発に世界に先駆
けて成功したことの情報も入っていたわけで、そのことも取り止めなく酒を肴に考えてい
た。

 

ところで、この酸化ガリウム(Ga2O3)は、そのワイドギャップに代表される材料物性から、
高耐圧・低損失なパワーデバイス用途の新しい半導体材料として有望視されている。酸化
ガリウムは、シリコンカーバイド(SiC)、窒化ガリウム(GaN)といった既存のワイドギャッ
プ半導体では不可能な融液成長法
による
単結晶基板の作製が可能であることから、基板サ
イズの拡大や、製造に必要なエネルギーやコストの大幅な削減が見込まれる。今回開発し
たGa2O3 MOSトランジスタは、そのまま実用可能といえる構造、特性を有します。そのた
め、現代の省エネルギー問題に直接貢献することができる新しい半導体デバイス研究開発
分野における大きなブレークスルーであると同時に、近い将来の半導体産業の更なる発展
につながる。具体的には、

(1)非常にシンプルなトランジスタ構造であるにもかかわらず
(2)高いオン電流(39 mA/mm)
(3)高いオフ状態耐圧(370 V以上)
(4)非常に小さいリーク電流(測定限界数pA/mm以下)
(5)高い電流オン/オフ比(10桁以上)

など、パワートランジスタとして実用上要求される性能を十分に満たす特性が得られ、こ
のため、今回新たに開発に成功したGa2O3 MOSトランジスタを、実際のパワーデバイス機器
に応用した場合、既存の半導体トランジスタと比較して、高い耐圧とスイッチング動作時
の大幅な損失低減する。ここで重要なのは、融液成長法が、(1) 基板の大型化が容易、(2)
作製時に高温、高圧といった条件が必要でないことから、低エネルギー、低コストでの作
製が可能、(3) 原料効率が高い等の特徴を持つことから、実際の生産に非常に適した方法
だということ
。単結晶Ga2O3基板が、他のワイドギャップ半導体材料(SiC、GaN)では不可能
な融液成長法で作製可能であることは、実用面・産業面での大きなアドバンテージとなり、
Ga2O3基板の価格面でのアドバンテージは大きく、少なく見積もっても将来的にはSiCやGa
N基板の1/10~1/100以下の価格
になると考えられている。

 

このなかで、パワー半導体デバイスはオールソーラーシステムのハワーコンデショナのキ
ーデバイ
スに位置し、スマートグリッド を含めその技術貢献は大きい。昨夜のパイブリッ
ド型薄膜化合物半
導体太陽電池を含めた『デジタル革命渦論』の蓋然性から「オールソー
ラー事業」はもはや実現の目途がたったと早合点とはいえそう確信できる瞬間でもあり、
なんとも充実した酒の肴ではないかと思った次第。
なお、再生可能エネルギーのもうひとつの雄である風力発電は、もっとダウンサイジング
しなければという持論も蛇足しておきたい。

さてこれは今朝の話。 元上司であった外川ご夫妻が入水自殺未遂というニュースを彼女が新聞を
読んで聞かせてくれたが、話し終わるのと同時に両手をあわせ祈っていた。リストラで早期退職し
先に職場を去ったのだが、その経緯を鮮明に記憶している(ご子息の事故とその後遺症が家庭に
重くのしかかった)。おもえば、民間企業の賃労者の立場は大変弱い。思い出せばいろいろ去来す
る。ヘビースモーカーな彼は詩吟の師範格でマイクをもてば美声はチョットしたもんで男前だったが、
人生とはかくも無情である。                                   

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ゴミ屋敷巡礼の明日(あさ)

2013年06月21日 | 時事書評

 

【新色素増感型太陽電池技術】



色素増感型太陽電池の概念が変わりそうだ。その話の前に、東京大学先端科学技術研究センタの瀬川浩
司教授、木下卓巳特任助教らの研究チームが、分子が光を吸収する際に電子の持つスピンの向きを反転
させることができる新色素(DX)を合成し、DXを用いた有機系太陽電池で可視光から目に見えない1000
nm(1ミクロン)以上の近赤外光まで非常に高い効率で発電させることに世界で初めて成功したニュー
スが入ってきた。通常の有機分子は光吸収によって逆向きのスピンが対になった励起一重項状態を生成
するが「光吸収と同時に電子スピンの向きを反転させて、電子スピンが同方向に揃った励起三重項状態
を直接生成させる」という通常では起こらない過程を効率よく起こ
すとができるという。その結果、色
素の光吸収を行う帯域を近赤外領域まで大幅に広げるが可能となる。また、DXを用いた太陽電池と別の
色素を用いた太陽電池を積層させた「タンデム太陽電池」とすることで(下図)、有機系タンデム太陽
電池におけるエネルギー変換効率を更新。このタンデム太陽電池では、30%を超える光エネルギー変換
効率を実現することも原理的には可能である。本研究を契機に高効率な有機系太陽電池の実用化が進め
ば、太陽光発電の低コスト化につながると期待される。さらに、今回の論文には記載されていないが、
発表者らは同系統の誘導体をさらに改良した色素で最大で12.8%のエネルギー変換効率を得ている。また、
太陽光の照射強度を通常の1/3程度まで減らした場合、エネルギー変換効率は13.5%程度まで上昇するこ
とを確認している。無機化合物半導体を用いたタンデム型太陽電池の場合、光量の減少に伴い変換効率
が低下してしまうのに対し、タンデム型DSSCは変換効率が向上する。このことから、タンデム型DSSCは
天候が優れない日や窓際など、光量が不足しがちな場面での運用につながる可能性がある
という。

スピン:電子が持つ、磁石のような性質(磁気モーメント)のこと。通常、分子が光吸収を行う過程
 でその向きは保存され変化しないことが一般的な光化学の常識であった

 

 

最近の技術開発傾向として、多孔体が酸化チタンだったりアルミナやジルコニアだったり、厚みも数百
ナノメートルとこれまでの DSC に比べて一桁薄いのが特徴(下表参照)。ペロブスカイト(灰チタン
石)と同じ結晶構造層を形成し、ナノ多孔体なしで変換効率を15.36%(有機金属鉛の共蒸着)を実現。
これは新たな有機と無機のハイブリッド化合物系半導体太陽電池と呼ばれても可笑しくない状態だと指
摘されている。つまりは、シリコン系太陽電池が色素増感型と漸近することで、可撓性・低毒性・意匠
性・低照度性という特性獲得・相互浸潤してきているというわけだ。

今夜はもう1つ、下記の情報を整理整頓し記載しておく。 

【植物の乾燥ストレス耐性とKイオンチャネル】 

近年の地球温暖化や異常気象は農業の生産性を不安定にしている1つの要囚ともなっており、乾燥
地域や塩が蓄積した土壌などの不良な環境における植物の生産性の向上が課題となっている。植物
は太陽光エネルギーを利用して光合成(炭酸同化)を行い、表皮組織に存在する気孔と呼ばれる穴
を通し二酸化炭素を吸収し、水の光分解によって発生した酸素を放出する。さらに、乾燥ストレス
に晒された植物は、気孔を閉鎖することで水蒸気の拡散を抑制して植物体内の水分量の減少を防い
で乾燥耐性を機能する。気孔は一対の孔辺細胞によ形成。孔辺細胞の膨張と収縮で気孔の開閉は制
御される

 

気孔の開閉とシグナル伝達

気孔や孔辺細胞の研究はシロイヌナズナやマメ科植物を用いて進められている。細胞膜帰住性のプ
ロトン
ホンブでプロトンを細胞外への放出加細胞膜の過分極(細胞内加よりマイナスの電位になる)
を引き起
こし、膜電位の過分極により細胞内にKイオンを取り込む機能をもつKイオンチヤネル(
KAT1)が活性化する。
そして細胞内へK(カリウム)イオンが流人することで細胞が膨張し気孔が
開口する。反対に、KAT1の不活化と外向きのKイオン
千ヤネルの活性化に伴う水の流出により孔辺
細胞内の
膨圧が減少して、細胞が収縮で気孔が閉鎖する。このように、孔辺細胞の膨張と収縮とい
う一連の動きの制御をKイオンチヤネルが担っている。また、近年の研究により孔辺細胞のKイオ
ンチャンネルが植物ホルモンであり、乾燥ストレスホルモンとも呼ばれるアブシシン酸(ABA)シグナ
ル伝達経路の制御下にあることが明らかとなっている。ストレスに応答して蓄積したABAが受容体(
PYR1)に認識すると、プロテインホスファターゼとCaイオン非依存的リン酸化酵素の複合体が解離
しPP2CとPYR1が会合する。PYR1はPP2Cの脱リン酸化の酵素活性部位を抑制することによりOST1の自
己リン酸化が促進されて、OST1は活性明になり、気孔の閉鎖に関わる転ぢ因子のリン酸化やその他
の関連囚子をリン酸化する(上図B)。

Kイオンチャネルのリン酸化制御機構

ソラマメの葉から単離した孔辺細胞プロトプラストをABA処理すると活性化するリン酸化酵素)見い
だされていた。このソラマメのAAPK/ABRは、シロイヌナズナのホモログタンパク質。AAPK/ABRは細
胞質に露出しているKAT1チャネルのC末端領域をリン酸化するOST1を発現したシロイヌナズナ培養
細胞
の粗抽出演とKAT1のC末端領域のペプチドを用いたゲル内リン酸化実験によって、KAT1のC末
端領域の標的リン酸化アミノ酸領域を17残基までに絞り込んだ、次に、17アミノ酸配列中のセリン、
スレオニンを1つずつアラニンに置換したC末端領域のペプチドと精製したOST1を用いてリン酸化
実験を行い、306番目のスレオニン(Thr3o6)が特異的にリン酸化されることを発見。質量分析ても
Thr3o6のリン酸化を検出。さらに、リン酸化によるKAT1チャネル活性の影響に、Thrのリン酸化を模

倣するアミノ酸のアスパラギン酸(D)に置換した変異チャネル(T306D)遺伝子と非リン酸化アミノ酸
のアラニン(A)に置換した変異チャネル(T306A)を作成、アフリカツメガエル卵母細胞発現系を利用
した電気生理学的手法で、これらのチャネル置換体のKイオン電流を測定。T306Aは野生型KAT1と
同様のKイオン輸送活性を示したが、T306Dは著しくKイオンチャネル活性が損なわれた。OST1によ
るC末端領域のT306のリン酸化によりKAT1が不活化することを示唆。 OST1によるKAT1の活性調節は、
乾燥ストレスで誘導されるABAの下流に存在する気孔の閉鎖機構の一端を示しているという。

これらより、C末端領域のThrのリン酸化は、乾燥環境にさらされた楠物の孔辺細胞で起こるKイオ
ンチャネルの活性調節と気孔開閉におけるシグナル伝達の収要な反応の1つである可能性がある。気
孔の開閉のKイオンチャネルの制御機構の解析から、乾燥地帯への適応性を高めた作物、二酸化炭素
吸収能力を高めたバイオマス資源作物の作出や人為的な気孔開閉の制御を目的としたKイオンチャネ
ルを標的する農薬開発が期待されているという。


 

 

 

 

  火曜日、多埼つくるが仕事を終えたとき、壁の時計の針は八時を回っていた。その時刻にオ
 フィスに残っているのは彼一人だけだった。そのとき彼が抱えていた仕事は、残業しなくては
 ならないほど緊急を要するものでもなかった。しかし水曜日の夜に沙羅と会う約束をしていた
 ので、その前に溜まっている用件をいちおうきれいに片付けておきたかった。
  彼は区切りをつけてからコンピュータのスイッチを切り、大事なディスクと書類を鍵のかか
 る柚斗にしまい、部屋の明かりを消した。そして顔見知りの守衛に挨拶をして、裏口から会社
 を出た。
 
 「遅くまでご苦労様です」と守衛は言った。
 
  どこかで食事をしようかと思ったが、食欲は湧いてこなかった。しかしそのまままっすぐ家
 に帰る気持ちにもなれない。だからJRの新宿駅に向かった。その日も彼は駅構内の売店でコ
 ーヒーを買った。夏の東京特有の蒸し暑い夜で、背中にじっとりと汗をかいていたが、それで
 も彼は冷たいものよりは、湯気の立つ温かいブラック・コーヒーを飲むことを好んだ。それは  
 習慣の問題なのだ。
 


  9番線ではいつものように、松本行きの最終の特急列車が出発の準備を整えていた。乗務員
 が何か不備はないか、車内を歩き抜けながら、手慣れた、しかし怠りのない目で点検を行って
 いた。列車は見慣れたE257系だ。新幹線の列車のように人目を惹く華麗さはないが、彼は
 その実直で飾りのないフオームに好感を持っていた。塩尻まで中央本線を進み、それから松本
 までは篠ノ井線を走る。列車が松本に到着するのは真夜中の五分前だ。ハ王子までは都市部を
 走るので、騒音を抑えなくてはならないし、そのあともおおむね山中を進み、カーブが多いこ 
 ともあって、派手なスピードは出せない。距離のわりに時間がかかる。
  
  乗車準備が整うまでにはまだ少し間があったが、その列車に乗り込むことになっている人々
 は忙しそうに、売店で弁当やスナックや缶ビールを買い込み、雑誌を河附加用意していた。i
 Podの白いイヤフォンを耳に突っ込んで、移動する自分一入だけの小さな匪県を既に確保し
 ている片もいた。人々はあちこちで、スマートフォンを指完で器用に操作し、あるいは構内ア
 ナウンスに負けないように携帯電話に向かって大きな市を上げ、淮加と連絡を取り俘っていた
 一緒に旅行に出かけるらしい若いカップルの姿もあった。彼らはベンチで肩を寄せ合い、幸福
 そうに小声で語り合っていた。眠そうな目をした五、六歳の双子の男の子が、両親に手を引っ
 張られるようにして、つくるの前を足早に通り過ぎていった。彼らはそれぞれの手に小さなゲ
 ーム機を握っていた。重そうなバックパックを背負った外国人の若者が二人いた。チェロ・ケ
 ースを抱えた若い女もいた。横顔のきれいな女性だった。夜の特急列車に乗って、どこか遠く
 の土地にに向かう人々--つくるは彼らのことをいくぶんうらやましく思った。彼らにはとり
 あず向かうべき揚所加ある。

  多崎つくるにはとくに向かうべき場所はない。

  考えてみれば彼はまだ、松本や甲府や塩尻に行ったことがない。そんなことをいえば八王子
 にさえ行ったことがない。新宿駅のこのプラットフォームで、数え切れないほど多くの松本行
 き特急列車を眺めてきたにもかかわらず、自分自身がその列車に乗り込むという可能性はこれ
 まで一度も彼の頭に浮かばなかった。そんなことは考えつきもしなかった。どうしてだろう?
  つくるは自分がこのまま列車に乗り込み、今から松本に向かうところを想像した。決して不
 可
能ことではない。そして、それは悪い考えではないように彼には思えた.なにしろふと思い
 立ってフィンランドまで出かけたのだ。松本に行こうと思って、行けないわけがない。そこは
 いったいどんな街なのだろう? 人々はそこでどんな生活を送っているのだろう? しかし彼
 は首を振って、その考えを放棄した。明日の出社時間までに松本から東京に戻ることは不可能
 だ。時刻表を調べなくてもそれくらいはわかる。そして明日の皮には沙羅と会う約束がある。
  彼にとっては大事な一日だ。今から松本に行くわけにはいかない。
  彼はぬるくなったコーヒーの残りを飲み、祇コップを近くのゴミ箱に捨てた。

  多岐つくるには向かうべき場所はない。それは彼の人生にとってのひとつのテーゼのような
 ものだった,彼には行くべき場所もないし、帰るべき場所もない。かつてそんなものがあった
 ことはないし、今だってない。彼にとっての唯一の場所は「今いる場所」だ。

  いや、そうじゃないな、と彼は思う。

  よく考えてみればこれまでの人生で、向かうべき場所をはっきり持っていたことがただ一度
 だけある。高校時代、つくるは東京のエ科大学に入って、鉄道駅の設計を専門的に学びたいと
 望んでいた,それが彼の向かうべき場所だった。そしてそのために必死に勉強をした。おまえ
 の成績ではその大学の入学試験に合格するのは八割方無理だろう、と担任の教師に冷ややかに
 通にされた。しかし彼はがんばって、なんとかその難関を乗り越えた。それほど身を入れて勉
 強したのは、そのときが初めてだった。他人と順位や成績を競い合うのは苦手だが、納得のい
 く具体的な目標さえ与えられれば、自分はそれに心血を注げるし、それなりに力を発揮するこ
 ともできる。彼にとっては新しい発見だった。

  そしてその結果つくるは、名古屋を出て東京で一人暮らしをすることになった。東京にいる
 あいだ彼は、一刻も早く故郷の街に戻り、またしはしのあいだ友人たちと顔を合わせていたい
 と渇望した。そこが彼の帰るべき場所だった。そのように二つの異なった場所を行き来する生
 活が、一年と少し続けられた。しかしある時点でサイクルは唐突に断ち切られた。
  そのあとの彼には、向かうべき場所も帰るべき場所もなくなってしまった。名古屋にはまだ
 彼の家があり、自分の部屋がそのまま残され、母親と上の姉がそこに住んでいた。下の姉も市
 内で暮らしていた。年に一度か二度儀礼的に帰郷したし、そのたびに温かく歓迎されたが、彼
 としては母や姉たちを相手にとくに語り合うべきこともなかったし、一緒にいて懐かしいとも
 思わなかった。彼女たちがつくるに求めているのは、つくるがもう不要なものとして置き去り
 にしてきた彼のかつてあった姿たった。それを再現し提供するために、彼は不自然な演技をし
 なくてはならなかった。名古屋の街も妙によそよそしく、味気なく感じられた。つくるが求め
 ているものは、あるいは懐かしいと思うものは、そこにはもう何ひとつ見いだせなかった。

  その一方、東京は彼にとってたまたま与えられた場所だった。かつては学校のある場所だっ
 たし、今では職場のある場所だった。彼は職能的にそこに属していた。それ以上の意味はない
 つくるは東京で規則正しく、もの静かに生活を送った。国を追われた亡命者が異郷で、周囲に
 波風を立てないように、面倒を起こさないように、滞在許可証を取り上げられないように、注
 意
深く暮らすみたいに。彼はいわば自らの人生からの亡命者としてそこに生きていた。そして
 東
京という大都市は、そのように匿名的に生きたいと望む人々にとっては理想的な居場所だっ
 た。

                                        PP.354-357                         
                 村上春樹 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』



 

 

【ゴミ屋敷強制撤去を巡る話】

住宅の敷地内にごみをため込む「ごみ屋敷」の解消を目指し、指導に従わない場合は強制撤去を可
能にする条例件案の骨子を大阪市がまとめたことが20日に分かった。同様の条例10+ 件は東京都荒
川区と足立区、富山県立山町で制定されているが、政令指定都市レベルの規模での制定の動きは初
めてで9月に開かれる次期市議会に提出する方針だとか。大阪市は昨年10月にプロジェクトチーム
を設置し、市内を調査。今年3月1日時点で、24区中15区で計77軒のごみ屋敷を確認した。ごみ屋
敷の定義は「悪臭や害虫が発生し、近隣住民の健康に影響を与えるなど生活環境を損なう状況にあ
ること」を指す。居住者が「これはごみではない」と主張すれば行政は介入できないのが現状で、

全国的な問題となっている((2013年6月21日06時02分「スポーツ報知」)。

条例案骨子によると、住民からの通報や職員の巡回でごみ屋敷を認知した後、各区役所で対策会議
を開
き、解決に向け支援を行う。居住者が説得に応じない場合は、弁護士など第三者による審査会
の答申を踏まえ改善を命令。それでも従わない場合は、行政代執行法に基づく強制撤去を可能にす
る。居住者に経済力がない場合、市が撤去費用を負担することも想定している。大阪市は21日から
条例 件案骨子について市民から意見を募る。これまで確認されていなかった“隠れごみ屋敷”が
出てくることにもなりそうだが、担当者は「制定されれば抑止力になる」と話しているという。公
権力行使はいつもその使いようが難しい。例えば、
『知事抹殺』(『風評とリスクと組織犯罪』)
のように、原子力発電の使用済み燃料の最終処分が決まらないまま、強引に建設稼働を進める政治

国家官僚機構の暗部をさらけ出したが、個人の性格あるいは家族の事情で、近隣の居住権が侵害さ
れるのであれば、行政(状況及び類似案件の調査)と近隣住民の調整で円滑に解決する仕組みを考
えることは同列で考えることはできないのは勿論だが、この「ゴミ屋敷」を日本の抱える問題のメ
タファとしてとらえなおすと「いじめ」「基地」「原発」「格差」「不況」「憲法」などなど7月
の参議員選挙に向けての争点が見えてくるというもので、このブログでもそのことに、適宜、適時
触れてみたいと思う。

 

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ヘキサグラム巡礼の明日

2013年06月20日 | 時事書評

 

 

【ぱらぱらと寺山修治】

 


          森駈けてきてほてりたるわが頬をうずめんとするに紫陽花くらし

     わが息もて花粉どこまでとばすとも青森県を越ゆる由なし

        生命線ひそかに変へむためにわが抽出しにある一本の釘

 

 

 

 

 

   つくるは受話器を取り、沙羅の電話番号を押した。時計の針は四時少し前を指していた。コ
 ール音が十二回あり、それから沙羅が出た。

 「こんな時間に本当に申し訳ないと思う」とつくるは言った。「でもどうしても話をしたかっ
 たんだ」
 「こんな時間って、いったいどんな時間?」
 「午前四時前だよ」
 「やれやれ、そんな時間が実際にあったことすら知らなかったな」と沙羅は言った。その声か
 らすると、彼女の意識はまだうまく戻っていないようだ。「それで、誰が死んだの?」
 「誰も死んでいない」とつくるは言った。「誰もまだ死んじやいない。でもどうしても今夜の
 うちに、君に言っておきたいことがあったんだ」
 「どんなことかしら?」
 
「君のことが本当に好きだし、心から君をほしいと思っている」

  電話の向こうで何かを探すごそごそという音がした。それから彼女は小さく咳払いをし、吐
 息のようなものを洩らした。





 「今、話してもかまわないかな?」とつくるは尋ねた。
 「もちろん」と沙羅は言った。「だって午前四時前でしょう。何でも好きなことを話せばいい
 わ。誰も聞き耳なんか立ててはいない。みんな夜明け前の深い眠りについている」
 「君のことが心から好きだし、君をほしいと思っている」とつくるは繰り返した。
 「それが午前四時前に電話をかけて、私に伝えたかったことなのね?」
 「そうだよ」
 「お酒は飲んでいる?」
 「いや、まったくの素面だよ」
 「そうか」と沙羅は言った。「理系の人のわりにはずいぶん情熱的になれるのね」
 「駅をつくるのと同じことだから」
 「どんな風に同じなの?」
 「単純なことだよ。もし駅がなければ、電車はそこに停まれない。僕がやらなくちゃならない
 のは、まずその駅を頭に思い浮かべ、具体的な色と形をそこに与えていくことだ。それが最初
 に来る。何か不備があったとしても、あとで直していけばいい。そして僕はそういう作業に慣
 れている」
 
「あなたは優れたエンジニアだから」
 「そうありたいと思っている」
 「そしてあなたは夜明け近くまで、私のためにせっせと休みなく特製の駅をつくってくれてい
 るわけね?」
 「そうだよ」とつくるは言った。「君のことが心から好きだし、君をほしいと思っているから」
 「私もあなたのことがとても好きよ。会うたびに少しずつ心を引かれていく」と沙羅は言った。


  そして文章に余白を設けるように、少しだけ間を置いた。「でも今は朝の四時前だし、鳥だっ
 てまだ目覚めていない。私の頭もまともに回転しているとは言えない。だからあと三日だけ待
 ってくれる?」
 「いいよ。でも三日しか待てない」とつくるは言った。「それがたぶん限度かもしれない。だ
 からこんな時間に君に電話をかけた」
 「三日で十分よ、つくるくん。工期はきちんと守るから。水曜日の夕方に会いましょう」
 「起こしちやって悪かった」
 「いいのよ。午前四時にもしっかり時間が流れていることがわかってよかった。もう外は明る
 いのかしら?」
 「まだだよ。でもあと少しで明るくなる。鳥たちも啼き始める」
 「早起きの鳥はたくさんの虫を捕まえることができる」
 「理論的には」
 「でもたぶんそこまで見届けられないと思う」
 「おやすみ」と彼は言った。
 「ねえ、つくるくん」と沙羅は言った。
 「うん」
 「おやすみ」と沙羅は言った。「安心してゆっくり眠りなさい」

  そして電話が切れた。

 

                                       PP.344-347                         
                村上春樹 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

 


 

「十王村五角堂から」(『ペンタグラム巡礼の明日』)で掲載したように、この物語のバックグラ
ンドに多角数
と暗示という形でシンボリックな意味が万華鏡のように埋め込まれている。あるいは
「楽譜をめくる黒衣の女性の手に指が六本あることを。その六本目の指は小指とほとんど同じ大き
さをしていた」というふうに素数と暗示として。つくるの青春期に登場する人間関係のペンタグラ
ム(五角形)に埋め込まれたは、六・七・・・とやがて変化し成長を遂げていくようにだ。
例えば、神聖幾何学図形に顕れる、五芒星-pentagon(ペンタゴン)・ 六芒星-hexagon(ヘキサゴ
ン) 七芒星-heptagon(ヘプタゴン)として展開するが、例えば、五芒星は六芒星は風水や陰陽道
でも五芒星、七芒星と同じく古来から魔除けなどに使用されてきたし、古代では、絵が文字になっ
ていたが、「火」という文字の頂点を結べば五芒星に、「水」という文字の頂点を結べば六芒星に
また、「光」という文字の頂点を結べば七芒星に変化し「光」は「虹」に変化し、「光」と「虹」
は古代文明やピラミッドの謎と関係するといわれいる。

 

ここで、六芒星(ヘキサグラム)は、元はヒンドゥー教の曼荼羅のシンボルで、神と人との間に創
造された完璧な瞑想状態を表す。この状態を保てると、輪廻からの解放、あるいは涅槃の状態に

でたどり着くことが出来る(ヒンドゥー説)。もう一つは、David(日本語のダビデ)のヘブライ語
の綴り
から「D-W-D」のシンボルが成り立ち、また、"D" はギリシャ語のデルタ「Δ」のように
書かれていたため、この「D-W-D」の組み合わせを今で言うロゴのようにしてダビデを表すシンボ

ルとなったという説がある。錬金術では二つの三角形はそれぞれ火と水を表す。他に、上の三角形
男性、下のが女性を表し神聖な男女のエネルギーの結合。上の三角形とその周りにできる小さい
三角形
三つで水、火、空気、地を表すとか。 宗教によってはカルトのシンボルにもなる。六芒星
の秘密、その偉大な力とは、気があたると、すぐに六芒星の九字が切れ、自動的に除霊作用が働き
疲れ知らず、邪気知らずで魔除けになると信じられてきた。
龍(エネルギーの象徴)と併せて、この六
芒星は、「籠目(かごめ)/籠目(かごめ)/籠の中の鳥はいついつ出やる/ 夜明けの晩に鶴と亀が
すべった/後ろの正面誰」と日本の歌のカゴメは、海鳥ではなく、六芒星の篭目を意味し、かごめ
は竹に龍、カゴメは、過去の目という解釈、そして、囲め、そして
、封印、そして身ごもる、は身篭る、
竹に龍で、カゴメは篭目。そして篭の目は、六芒星を籠目紋とし、伊勢神宮のシンボルとしても使われ、地
元の住人の子供の着物のえりに、このシンボルを縫い付ける風習が残っている。

 


さて、「7」という数字は、完了・調和の数字。古代から祝福・勝利、堅固さ、神秘、知識、学問
研究、分析、
瞑想を暗示。また、七芒星は、古来より邪気や魔を破る鉄壁な力があるものとして神
聖視されてきた。暗闇に集
う「悪」や「魔」を破壊する最強の魔法陣の1つ。サークルに描かれて
いる七芒星は「調和・バランス」を
司る三角形の魔法陣と、「安定・グランディング」を司る四角形
の魔法陣からなりたっているとか。このシンボルを持つ人に
勇気と希望の光を与え、思い描いた通
りの人生を作りあげることが出来るよう導き、本来、描くことの出来
ない『七芒星』を描くことは
「不可能を可能にする」ことを表し、五芒星が精霊や天使をはじめとする
使者を呼び出す働きがあ
り、2つが描かれることで、「不可能を可能にする使者を呼び出す」ことを意味す
ると信じられて
きた。

このように考えていくと、完全な関係性(法輪あるいはチャクラ)と不全な関係性としての多角形
ポリゴン)との葛藤という言葉や夏目漱石の『草枕』がおもいだされたが、物語はいよいよエピ
ローグに向かう。「チャクラ」というサンスクリット語の延長に、竹下雅敏なる人物とネット上で
遭遇し暫し時間を割き寄り道することとなったが、奇想天外ということと博学に少なからず衝撃を
受ける(下写真クリック)

 


 

 


 

 

 

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着実な半歩を踏み出す

2013年06月19日 | 現代歌謡

 

 

 

 

 

  その夜につくるは長い奇妙な夢を見た。彼はピアノの前に座って、ソナタを弾いている。巨
 大な新品のグランド・ピアノで、白鍵はどこまでも白く、黒鍵はどこまでも黒い。譜面台には
 大判の楽譜のページが広げられている。艶のないタイトな黒いドレスを着た女が彼の隣に立ち、
 真っ白な長い指で、楽譜のページを彼のために素早くめくってくれた。そのタイミングはきわ
 めて的確だった。彼女の髪は漆黒で、腰までの長さがあった。その場所では、あらゆるものが
 白と黒のグラデーションで構成されているようだった。それ以外の色彩は目につかない。

  誰が作曲したピアノ・ソナタなのか、それはわからない。いずれにせよ長大な曲だ。楽譜は
 電話帳のように分厚い。譜面は音符で埋め尽くされ、文字通り黒々としていた。複雑な構造を
 持ち、高度な演奏テクニックを要求する難曲だ。しかも彼にとってはまったく初見の曲だ。そ
 れでもつくるは譜面を一見するだけで、そこに表現されている世界のあり方を瞬時に理解し、
 それを音に変えることができた。入り組んだ設計図を立体的に読み取るのと同じだ。彼はそう
 いう特別な能力を与えられている。そして彼の訓練された十本の指は、鍵盤の隅から隅までを
 疾風のように駆け巡った。まさに目のくらむような素晴らしい体験だった。自分かそのもつれ
 あった莫大な量の暗号の海を、誰より素早く正確に解読し、そこに正しいかたちを同時的に与
 えていけるということが。

  その音楽を無心に演奏しながら、彼の身体は夏の午後の雷光のような霊感に、鋭く刺し貫か
 れた。大柄なヴィルテュオーゾ的構造を持ちながらも、見事に美しく内省的な音楽だった。そ
 れは人が生きるという行為の有り様をどこまでも率直に、繊細に立体的に表現していた。それ
 は音楽を通してしか表現することのできない種類の、世界の重要な様相だった。彼はそのよう
 な音楽を自らの手で演奏できることに誇りを感じた。激しい喜びが彼の背筋を震わせた。
  しかし残念ながら、彼の前にいる聴衆はそのようには考えていないらしかった。彼らはもじ
 もじと身体を動かし、退屈し苛立っているように見えた。彼らの動かす椅子の音や、咳払いの
 音が彼の耳に届いた。なんということだろう、人々はこの音楽の価値をまったく理解していな
 いのだ

  彼は宮廷の大広間のような場所で演奏していた。床は滑らかな大理石でできていて、天井は
 高かった。中央に美しい明かり取りの窓がついている。人々は優雅な椅子に座ってその音楽を
 聴いていた。人数は五十人ほどだろう。身なりの良い上品な人々だ。おそらく教養もあるのだ
 ろう。しかし彼らは残念ながら、この音楽の優れた本質を読み取る能力を持ち合わせていない。
 時間が経過するにつれ、人々の作り出す騒音はますます大きく、ますます耳障りなものにな
 っていった。やがてそれは歯止めがきかなくなり、音楽の響きそのものを圧倒するほどになっ
 た。そしてとうとう彼自身の耳にさえ、自分の演奏している音楽がほとんど聞き取れないよう
 になった。彼が耳にするのは、グロテスクなまでに増幅され誇張された騒音と咳払いと不満の
 呻きだけだ。それでも彼の目は楽譜を砥めるように読み取り、彼の指は鍵盤の上を憑かれたよ
 
うに激しく駆け巡り続けていた。

  そしてある瞬間彼ははっと気づいた。楽譜をめくる黒衣の女性の手に指が六本あることを。
 その六本目の指は小指とほとんど同じ大きさをしていた。技は息を呑み、胸は激しく震えた。
 技は自分の傍に立つ女の顔を見上げたかった。それはどんな女なのだろう? 技が知っている
 女なのだろうか? しかしその楽章が終わるまでは、一瞬たりとも楽譜から目を離すことはで
 きない。たとえその音楽を聴いている人間がもはや一人も存在しないとしてもだ。
 
  そこでつくるは目を覚ました。枕元の電気時計の緑色の文字は二時三十五分を指していた。
 全身に汗をかいており、心臓はまだ乾いた時を刻んでいた。ベッドから出て、パジャマを脱ぎ、
 タオルで身体を拭き、新しいTシャツとボクサーショーツに着替え、居間のソファに座った。
 そして暗闇の中で沙羅のことを思った。先刻の電話で自分が彼女に向かって口にしたすべての
 言葉を、彼は悔やんだ。あんなことは持ち出すべきではなかったのだ。
  彼はすぐに沙羅に電話をかけて、自分か言ったことを残らず撤回したかった。しかし夜中の
 三時前に誰かに電話をすることはできないし、既に口にされた言葉を相手にそっくり忘れても
 らうことなんて、なおさら不可能だ。おれはこのまま彼女を失ってしまうかもしれない、とつ
 くるは思った。

  それから彼はエリのことを思った。エリ・クロノ・ハアタイネン。二人の小さな娘の母親。
 白樺の木立の向こうに広がる青い湖のことを彼は思い、突堤にぶつかる小さなボートのかたか
 たという音のことを思った。美しい模様のついた陶器、小鳥たちのさえずり、犬の吠える声。
 そしてアルフレート・ブレンデルが端正に演奏する『巡礼の年』。彼の身体にそっと押しつけ
 られたエリの豊かな乳房の感触。温かい吐息と、涙で湿った頬。失われてしまったいくつもの
 可能性と、もう戻ってくることのない時間。

  あるとき二人はテーブルを間にはさんで、しばらく何も言わず、あえて言葉を探し求めるこ
 ともなく、窓の外の小鳥のさえずりにただ耳を澄ませていた。それは独特の不思議なメロディ
 ーを持つ啼き声だった。その同じメロディーが林の中で何度も繰り返された。
 「親鳥が子供たちにああやって啼き方を教えているんだよ」とエリは言った。そして微笑んだ。
 「ここに来るまで私は知らなかった。鳥たちがいちいち啼き方を教わらなくちゃならないなん
 て」
  人生は複雑な楽譜のようだ、とつくるは思う。十六分音符と三十二分音符と、たくさんの奇
 妙な記号と、意味不明な書き込みとで満ちている。それを正しく読み取ることは至難の業だし、
 たとえ正しく読み取れたとしても、またそれを正しい音に置き換えられたとしても、そこに込
 められた意味が人々に正しく理解され、評価されるとは限らない。それが人を幸福にするとは
 限らない。人の営みはなぜそこまで入り組んだものでなくてはならないのだろう?
 「沙羅さんをしっかりと手に入れなさい。君には彼女が必要なんだよ。どんなことがあっても
 手放しちゃいけない。私はそう思う」とエリは言った。「君に欠けているものは何もない。
 信と勇気を持ちなさい。君に必要なのはそれだけだよ」

  そして悪いこびとたちにつかまらないように
  彼は沙羅のことを思い、彼女が誰かの裸の腕に抱かれているかもしれないことを思った。い
 や、誰かじゃない。彼はその人物の姿を実際に目にしたのだ。そこで沙羅はとても幸福そうな
 顔をしていた。きれいな歯並びが笑顔の中からこぼれていた。彼は暗闇の中で目を閉じ、指先
 で両方のこめかみを押さえた。こんな気持ちを抱えたまま生きていくわけにはいかない、と彼
 は思った。たとえそれがあと三日のことであったとしても。

 

                                       PP.340-344                         
                村上春樹 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

 

 

 

今朝は、理髪店へ行くこともあり、太陽光発電と量子ドットに関するの棚卸し作業 の低負荷で終え
ることに。
その余力をB'zとコブクロの最新の歌を試聴に当てる。二組ともそれぞれの活動を着実
にこなしていることを確認し時間を過ごしていたが、例の霧のいけうち(『壺の中の霧』)の「アキ
ミスト」(加湿器)を使いクリーンルームで加湿効率が100%冷房効果が上がったとの記事が飛び込
む。



 

それによると、ミヨシ電子は2008年頃から噴霧式の加湿器をテスト的に導入。当初、クリーンルーム
内で霧を吹かすことへの抵抗感はあったが、噴霧による製品への異常はなく、加湿量も十分であったこ
とから組立工場全体への導入に踏み切った。採用した加湿器はノズルメーカーである「霧のいけうち」
のドライフォグ加湿器「アキミスト」。超微粒子の霧で、噴霧に手をかざしても濡れないのが特長。従
来型の蒸気式加湿器23台に対し、新しい噴霧式加湿器を60台設置。「台数を増やしたのは、加湿エリア
を重視し、効率を上げることが目的。メンテナンス性、万が一水が漏れた場合の安全性を考慮し、全
ての加湿器は通路上や生産設備のない位置へ配置し、レイアウトした結果、電気ヒーターを使用しな
いことによる加湿動力の大幅な削減と、水の蒸発熱による冷却効果での空調負荷低減を実現。半導体
工場のクリーンルームにおける噴霧式加湿器の採用は全国的にも事例がなく、他社にさきがけた先進
的な取り組みとして、高い評価を得たが、クリーンルームの温度湿度が安定すれば不良品の発生率も
減り、省エネ活動は、品質と価格双方において、製品自体の総合的な品質向上に繋がっているという
ことだ。などほど、ここにも着実な半歩が存在していたということかと感心する。

 

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土竜とシールド工法

2013年06月18日 | 環境工学システム論

 

 

【アンダーグラウンド・ドラゴン】

日曜は朝から溝掃除で珍しいことが起きた。いつものように角スコップでヘドロをすくっていると、 
アズマモ
グラ(Small Japanese Mole)がもぞもぞしているではないか。その場で殺すのもなんだ
と思い畑に戻してやったが、後からまずい処置だったかと悔やんだが、そのまま作業を続行。とこ
ろで、もぐらは、土の中に潜ることから「潜る(もぐる)」が変化したとする説があるが、動詞
「もぐる」は比較的新しい語で、現在の「モグラ」の語形から考えられた俗説である。 モグラの
古い語形は、平安時代には「ウゴロモチ」「ムグロモチ」「ウグルモチ」などで、他にも、第一音
節が「ウ」か「ム」、第二音節が「グ」か「ゴ」、第三音節が「ル」か「ロ」の組み合わせでいく
つかあり、平安時代の辞書には「うぐろもつ」「うごもつ」など、土を盛り上げる意味の動詞があ
り、もぐらが穴を掘って土を盛り上げることからの命名と考えられる。 中世には「ウグロモチ」
が一般的な語として使われていたが、文化の中心が江戸に移り、江戸の地方語であった「ムグロモ
チ」の語系が一般的となったと書かれている。『日葡辞書』には「モチ」が抜けた「ムグラ」の語
も見られ、江戸時代後期になって「モグラ」が見られるようになる。中国では「ミミズ」をさして
おり、日本に伝わった際に誤って「もぐら」に「土竜」があてられたといわれる。それで、自己流
にアレンジし、英名でアンダーグラウンド・ドラゴンとこれを契機に呼ぶことにした。なんとも可
愛いらしいドラゴンではないかと。

土竜のことを考えたついでに、「シールドマシン」について、テレビ番組(「探訪 東京地下迷路
」)の影響も
あり考えることとなる。上図はパドル・シールド工法/清水建設で、矩形掘削が可能
となり、従来の円筒型とはことなり、
断面方向に有効に掘削できことが特徴。掘削距離は岩盤によ
るが平均的に5~10メートル/日だから双方から向から掘削するとして年間7キロメートル程度。
10年で70キロメートルだから『ウエルカム・シベリア鉄道』を実現するには百年単位での計画にな
るがロマンがぷんぷんするね ^^;。

パドル・シールド工法

特開2007-327278 回転機構

 【符号の説明】

1 軸受   11 内周部 12 爪 2 環状軸 21 内周部 22 外周部 23 爪 3 回転軸 31 外周部 32 溝
4 保持部材 41 第一保持部 411 挿通孔 42 第二保持部 421 挿通孔 5 駆動部 6 羽根部材 61
基準線 62 外形線 7 取付台 100 基部 G 移動中心線 P 固定中心軸 T(T1,T2,T3) 延在端(頂
点)

 
特開2013-060625|水電解システム及びその運転停止方法

【符号の説明】

10、100…水電解システム 12…高圧水素製造装置 14…気液分離装置 16…戻しライン
18…供給ラ
イン 20…純水製造装置 22、102…制御部 38…電解電源 42…電解質膜・
電極構造体 44…アノード
セパレータ 46…カソードセパレータ 50…アノード給電体 52
…カソード給電体 56…水供給連通孔 58
…排出連通孔 60…水素連通孔 64、68…流路
70…タンク部 72…水補給ライン 74…ガス排気ライン 
76…比抵抗計 78…循環ポンプ
80…イオン除去装置 82…高圧水素ライン 86…脱圧ライン 88…
脱圧用バルブ 90…流
量調整バルブ 92…圧力センサ 94…電流計

最新の水素製造及び貯蔵システム技術

体調が崩れている中、積極的な調査活動はトーンダウンしてはいるもの、オールソーラシステムの
ネット情報の棚卸しは続けている(『オールソーラー水素システム』)。上図のごとく本田技研工
業のようにソーラ発電を水の電気分解で水素をつくる正統派の改良は続いているものの、製造され
た水素を炭化水素に貯蔵する「有機ハイドライドシステム」を採用する、再生可能エネルギー貯蔵
システムに関する新規考案も下図の日立製作から提案されている。この技術がどの段階にあるのか
調査する必要があるが、安定・安全・貯蔵能力・移動搬送性に優れたものであれば余剰電力を水素
として貯蔵できればこれは有力な蓄電システムになるに違いない、と。ペースをキープして深耕さ
せていくことに決める。


特開2013-049600|再生可能エネルギ貯蔵システム

【符号の説明】

1 再生可能エネルギ発電手段 2 水素製造手段 3 バッファタンク 4 水添装置 5 水素製
造ストリング 6 水素製造アレイ 7 切替手段 8 制御装置 9 逆流防止機構 10 飽和炭
化水素貯蔵槽 11 不飽和炭化水素貯蔵槽 12 蓄電装置 13 出力電圧計測器 14 充電電
圧計測器 15 電流計測器 16 温度計測器 17 信号処理装置 18 電力調整器 19 圧
力調整器

有機ハライドシステムのメリット及びデメリット

 

 【スターウォーズデザイン】

すべてはデザインで決まる! 

ドロイド軍とグンガン軍の戦い

【なまずの養殖】

油木(ゆき)高校が広島県神石高原町草木にある旧草木小学校プールでなまずの養殖をやっていこと
を朝のテレビをみて知る。へぇ~~~そうなんだ。3年前にブログ掲載したが(『鯰とサロゲート』)
20年前にその試みを行い事業を断念した経緯がある。その当時もありとあらゆるものの事業化を考え
ていた
っけ。プロバイザーやファウンダリーとかさぁ。いまでは、台湾半導体製造株式会社 TSMCは
馬鹿でかい企業なっているが、そんなことを考えていた人間は廻りにいなかったけれど。「なまずよ
!お前もか」ということに?! テレビでおばさんが鰻より美味しいとの感想をもらしていたが、鰻
より料理のレパートリーは広いしなにせ、三角貿易でアメリカに売られてきた南部黒人(ディープサ
ウス)のソール・フードだったし、強精食品だし河豚のてっさに劣らず美味いし、焼きもよし煮物も
よし、天ぷらや丼にもよしと抜群だ。これは面白いニュースだ。
 

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ポストメガソーラ巡礼の明日

2013年06月17日 | デジタル革命渦論

 

 

【ポストメガソーラ巡礼】

半導体レーザ等の光半導体素子を高温下で動作させるには、熱励起による発振準位からのキャリアの漏出を防
ぐために、離散的なエネルギー準位をもつ量子ドットを活性層に用いる方法が有効だとされる。また、長距離

光通信の波長1.55μm帯で用いる光半導体素子には、InP基板上方の自己形成型量子ドットの層を複数、活
性層とする方法が有望視されていて、InP基板上方にInAs量子ドットを形成する際に、光利得の増大と
光導波路形成に、InPよりも高屈折率であるInGaAsP中間層を用いられることがある。InGaAs
P中間層の厚さは、量
子ドット層間での波動関数の結合が発生しない10nm以上とされているが閾値電流の
関係で現実的ではなく、高い光
利得を得ながら閾値電流値を低減することができる光半導体素子とその製造方
法の研究開発
がなされてきた。
 この問題解決方法として、基板の上方に形成された複数の量子ドット層とその
量子ドット層に中間層からなる構造で、量子ドット層組成が、InxGa1-xAsySb1-y(0<x≦1、0<y
≦1)、また、中間層の組成がInaGa1-aAsb1-b(0<a<1、0<b<1)で、、厚さが10nm以上
40nm以下、中間層と、その底面から10nm以上40nm未満の高さに位置し、厚さが0.3nm以上2
nm以下のInP層14が含まれた特徴を備えた構造にすることで対応した新規考案が提案されている(「特
開2013-110208|光半導体素子及びその製造方法」)。

【符号の説明】

1:基板  3:活性層  11:光閉じ込め層  12:量子ドット層  12a:量子ドット 13:下側
InGaAsP層  14:挿入層  15:上側InGaAsP層  16:光閉じ込め層 21:光閉じ込め
層  23:InGaAsP層  24:挿入層 26:光閉じ込め層  31:光半導体素子

 


このような量子ドットに照準をあわせた技術の応用展開として、高性能太陽電池(=ポストメガソーラ)の実
用開発がメイド・イン・
ジャパンで加速しつつある。例えば、産総研とシャープ株式会社が、世界最高の集光
時セル変換効率144.4%の化合物三接合型太陽電池の報告がなされている(上図)。このプロジェクトでは新た
な電極形成プロセスを導入し、受光面と電極を繋ぐコンタクト層の幅を電極幅と同一にすることで、受光する
面積を広げ、世界最高変換効率を実現したという。集光型ではあるが光電素子が小さくなれば、トラッキング
(自動追尾)型でなくても固定型でも十分に高性能出力が可能だ。




 

 

 

  余った二日間、つくるはヘルシンキの街をただあてもなく歩いて過ごした。ときどき小雨が
 ぱらついたが、気にするほどの雨ではなかった。歩きながら様々なことを考えた。考えなくて
 はならないことはたくさんあった。東京に戻る前に、気持ちをできるだけ整理しておきたかっ
 た。歩き疲れると、あるいは考え疲れると、カフェに入ってコーヒーを飲み、サンドイッチを
 食べた。途中で道に迷い、自分が今どこにいるのかよくわからなくなったが、それも気になら
 なかった。それほど大きな都市ではないし、いたるところに市街電車が走っている。そして場
 所を見失うことは、今の彼にはある意味心地よくさえあった。最後の日の午後には、ヘルシン
 キ中央駅に行ってベンチに座り、発着する列車をただ眺めて時間を過ごした。

  駅から携帯電話でオルガに電話をかけ、礼を言った。ハアタイネンの家はみつけられたし、
  彼女は僕の顔を見てちゃんと驚いてくれた。そしてハメーンリンナはとても美しい街だった。
 それはよかった、素晴らしい、とオルガは言った。彼女は心から喜んでくれているようだった。
 よかったら、お礼にどこかで夕食でもごちそうしたいんだけど、とつくるは誘った。そう言っ
 てもらえるのは嬉しいけど、今日は母の誕生日で、うちで両親と一緒に食事をすることになっ
 ているの、とオルガは言った。沙羅にどうかよろしく伝えておいて。伝えておく、いろいろあ
 りがとう、とつくるは言った。
 
  夕方になると、オルガが勧めてくれた港の近くのレストランで魚料理を食べ、冷えたシャブ
 リをグラスに半分飲んだ。そしてハアタイネンー家のことを考えた。彼らも今頃きっと四人で
 テーブルを囲んでいるに違いない。風はまだ湖面に吹いているだろうか? エリはそこで今、
 いったいどんなことを考えているのだろう? 彼女の息づかいの温かな感触は、まだ彼の耳の
 内側に残っていた。


  東京に戻ったのが土曜日の朝だ。旅行バッグの中のものを片付け、ゆっくり風呂に入り、あ
 との一日何をするともなく過ごした。帰ってすぐ、沙羅に電話をかけることを考えた。実際に
 受話器を手にとって、番号を押しさえした。しかし結局受話器を元仁尻した。心の中にあるも
 のを整理するのに、今しばらく時間が必要だった。短い旅行だったが、そのあいだにいろんな
 ことが起こった。白分か今こうして東京の真ん中にいることが、まだうまく実感できない。ハ
 メーンリンナ郊外の湖の畔で、透明な風の音に耳を澄ましていたのがほんの少し前のことに思
 える。沙羅に何を告げるにせよ、彼はその言葉を選り分けなくてはならなかった。

  洗濯をし、たまっていた新聞に簡単に目を通し、夕方前に街に出て食料品の買い物をしたが、
 食欲はなかった。おそらく時差のせいだろう、まだ明るいうちからひどく眠くなり、八時半に
 ベッドに横になってそのまま眠ったが、真夜中前に目が覚めた。飛行機の中で読んでいた本の
 続きを読もうとしたが、頭がうまく働かなかった。だから部屋の掃除をした。夜明け近くにも
 う一度ベッドに入って眠りにつき、次に目が覚めたのは日曜日の昼前だった。暑い一日になり
 そうだった。エアコンのスイッチを入れ、コーヒーをつくって飲み、チーズ・トーストを一枚
 食べた。
 
  シャワーを浴びてから沙羅の住まいに電話をかけてみた。しかし電話は留守番モードになっ
 ていた。「信号音のあとに伝言を残してください」というメッセ九ンがあった。どうしようか
 少し迷ったが、何も言わずにそのまま受話器を置いた。壁の時計の針は午後一時を回っていた。
 携帯電話にかけてみようかとも思ったが、思い直してやめた。

  彼女は今頃、恋人と一緒に休日の昼食をとっているのかもしれない。ベッドに行って抱き合
 うにはまだ早い時刻だ。沙羅と手を繋いで表参道を歩いていた中年の男の姿をつくるは思い出
 した。そのイメージはどれだけ追い払おうとしても、脳裏を去らなかった。ソファに横になり、
 そんなことを考えるともなく考えていると、背中に鋭い針を刺されたような感触があった。目
 に見えないほど細い針だ。微かな痛みだし、出血もない。たぶん。しかしそれでも痛みは痛み
 だ。

  自転車に乗ってジムに行き、プールでいつもの距離を泳いだ。身体全体にまだ不思議な痺れ
 が残っていて、泳ぎながら時折ふと眠り込んでしまったような気がした。しかしもちろん実際
 には眠りながら泳ぐことなんてできない。ただそういう気がしただけだ。それでも泳いでいる
 あいだは、身体がいねば自動操縦に近い状態になって、沙羅のこともその男のことも思い出さ
 ずに済んだ。それは彼にとってはありかたいことだった。

  プールから帰って、半時間ほど昼寝をした。夢のない、意識をきっぱり遮断されたような濃
 密な眠りだった。そのあと何枚かのシャツとハンカチにアイロンをかけ、夕食を作った。鮭を
 香草とともにオーブンで焼いてレモンをかけ、ポテトサラダと一緒に食べた。豆腐と葱の味噌
 汁も作った。冷えた缶ビールを半分だけ飲み、テレビで夕方のニュースを見た。そのあとはソ
 ファに横になって本を読んだ。

  沙羅から電話がかかってきたのは、夜の九時前たった。

 「時差ぼけは大丈夫?」と彼女は言った。
 「睡眠はかなりでたらめだけど、体調は悪くない」とつくるは言った。
 「今は話して大丈夫? 眠くない?」
 「眠いことは眠いけど、あと一時間ほど我慢して、それから寝ようと思う。明日から仕事だし、
 会社で昼寝はできないからね」
 「その方がいいと思う」と沙羅は言った。「ねえ、今日の午後の一時くらいにうちに電話をく
 れたのは、あなたよね? 留守電をチェックするのをずっと忘れていて、さっき気がついたん
 だけど」

 「僕だよ」

 「そのときはちょうど近所に買い物に出ていたの」
 「うん」とつくるは言った。
 「でもメッセージは残さなかったのね」
 「留守電にメッセージを残すのが苦手なんだ。いつも緊張して、言葉がうまく出てこない」
 「そうかもしれないけど、自分の名前くらいは出てくるでしょう?」
 「そうだな。たしかに名前くらいは残すべきだった」
  彼女は少し間を置いた。「ねえ、私もけっこう心配していたのよ。旅行はうまくいったのか
 なって。何かひとことくらいメッセージを残してくれてもよかったんじやないかしら」
 「悪かったと思う。そうするべきだった」とつくるは謝った。「ところで君は今日いちにちど
 んなことをしていたの?」
 「洗濯と買い物。料理、台所と洗面所の掃除。私にもたまにはそういうとても地味な休日が必
 要なの」、彼女はそう言ってから少し黙った。「それで、フィンランドの用件はうまく片付い
 た?」
 「クロには会えたよ」とつくるは言った。「二人でゆっくり話をすることもできた。オルガが
 僕をずいぶん助けてくれた」
 「それはよかった。彼女は良い子でしょう?」

 「とても」。彼は自分がヘルシンキから車で一時間半ほどのところにある、美しい湖の畔まで
 エリ(クロ)に会いに行ったことを話した。彼女は夫と二人の小さな娘と、一匹の大と一緒に
 そのサマーハウスで夏を過ごしている。近くにある小さな工房で、夫と共に目々陶器を作って
 いる。
 「彼女は幸福そうに見えたよ。たぶんフィンランドでの生活が含っているんだろう」とつくる
 は言った。長く暗い冬の時折の夜を別にすれば-でもそのことは目にしなかった。
 「彼女に会うためにはるばるフィンランドまで行くだけの価値はあったと思う?」と沙羅が尋
 ねた。
 「うん、行くだけの価値はあったと思う。実際に顔を合わせてしか話せない種類のものごとも
 ある。おかげでいろんな事情がずいぶんはっきりしてきた。すべてがすんなり俯に落ちたとい
 うわけではないけど、それは僕にとって大きな意味を持つことだった。僕の心にとってという
 ことだけど」
 「よかった。それを間いて嬉しい」

  短い沈黙があった。風向きを測るような、含みのある沈黙だった。それから沙羅は言った。

 「ねえ、あなたの声の感じがいつもと少し違うような気がするんだけど、私の気のせいかし
 ら?」
 「わからないな。声がおかしいのは疲れているからかもしれない。こんなに長く飛行機に乗っ
 ていたのは生まれて初めてだから」
 とくに何か問題があったというわけではないのね?」
 「問題みたいなことは何もなかったよ。いろいろと君に話さなくちゃならないことはあるんだ
 けど、いったん話し出すと長くなってしまいそうだ。近いうちに会って、ゆっくり順序立てて
 話した方が良いと思う」
 「そうね。会いましょう。でも何はともあれ、フィンランド行きが無駄足にならなくてよかっ
 た」
 「いろいろとありがとう。君のおかげだ」
 「どういたしまして」

  再び短い沈黙があった。つくるは注意深く耳を澄ませた。そこにあった含みはまだ解消され
 ていなかった。

 「ひとつ君に聞きたいことがあるんだ」とつくるは決心して切り出した。「こんなことは言わ
 ないでいた方がいいのかもしれない。でもやはり、自分の気持ちに正直になった方がいいよう
 な気がする」
 「いいわよ」と沙羅は言った。「もちろん自分の気持ちに正直になった方がいいと思う。なん
 でも聞いて」
 「うまく言えないんだけど、君には僕のほかに誰か、つきあっている男の人がいるような気が
 するんだ。そのことが僕の心に前からひっかかっている」
  沙羅は少し黙った。「気がする?」と彼女は言った。「それは、ただなんとなくそういう感
 じがするということ?」
 「そうだよ。なんとなくそういう感触があるというだけだ」とつくるは言った。「でも前にも
 言ったように、僕はもともとそれほど勘が利く方じゃない。僕の頭は基本的にかたちのあるも
 のを作るためにできている。名前のとおりにね。かなり単純な構造なんだ。僕には人の心の複
 雑な動きはよく理解できない。というか、そんなことをいえば、自分の心の動きだってろくに
 わかってないみたいだ。そういう微妙な問題に関しては、しばしば間違いを犯す。だからいろ
 んなことを、頭の中でややこしく考えないように努めている。でもこのことは前から心にかか
 っていたんだ。そしてそれについて君に率直に、正面から尋ねた方がいいだろうと思った。自
 分の頭の中で下手にこねくりまわすよりね」
 「なるほど」と沙羅は言った。
 「それで、君には誰かほかに好きな人がいるのかな?」

  彼女は黙った。

  つくるは言った。「わかってはしいんだけど、もしたとえそうだとしても、それをとやかく
 言っているわけじゃないんだ。それは僕が口出しするべきじゃないことなのかもしれない。君
 には僕に対する義務なんて何もないし、僕には君に何かを要求する権利もない。でも、ただ僕
 としては知りたいだけなんだ。自分の感じていることが間違っているのかどうかを」
  沙羅はため息をついた。「義務とか権利とか、できればそういう言葉を出さないでほしい。
 なんだか憲法改正の論議をしているみたいだから」
 「わかった」とつくるは言った。「僕の言い方はあまり良くなかったと思う。でもね、さっき
 も言ったように、僕はかなり単純な人間なんだ。こんな気持ちを抱えたままでは、うまくやっ
 ていけないかもしれない」
  沙羅はまた少し黙った。彼女が電話口で唇を固く結んでいる姿がありありと想像できた。
  少ししてから彼女は静かな声で言った。「あなたは単純な人間なんかじゃない。自分でそう
 思おうとしているだけよ」
 「君がそう言うのなら、あるいはそうかもしれない。そのへんのことは僕にもよくわからない。
 でも単純な生き方のほうが僕の性格に合っているのも確かだよ。とくに人間関係に関しては、
 これまで何度か傷ついてきた。できればもうこれ以上そういう思いはしたくないんだ」
 「わかった」と沙羅は言った。「あなたが正直になったんだから、私もあなたに対して正直に
 なりたいと思う。でもその前に少し時間をもらえるかしら?」
 「どれくらい?」
 「そうね、三日くらい。今日が日曜日だから、水曜日にはきちんと話せると思う。あなたの質
 問にも答えられると思う。水曜日の夜は空いている?」
 「水曜日の夜は空いている」とつくるは言った。いちいち手帳を間いて確かめるまでもない。
 日が暮れたあと、彼にはどんな予定も入ってない。
 「その日に食事を一緒にしましょう。そしてそこでいろんなお話をしましょう。正直に。それ
 でいい?」
 「それでいい」とつくるは言った。
  そして二人は電話を切った。

  
その夜につくるは長い奇妙な夢を見た。

 

                                       PP.331-340                         
                村上春樹 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』
 

 

 

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微生物を巡る不思議の旅Ⅱ

2013年06月15日 | 環境工学システム論

 


 

【緊急避難対策としてのCCSⅡ】

昨日は、太古の昔から、生きるために電気を利用している微生物がいることを、この電気をたべる・つく
る微生物を利用した新しいエネルギー変換デバイスの研究が盛んに行われ、電気をたべる微生物を使い、
電気エネルギーから有機物(例えば燃料物質)を作る微生物電気合成、また電気をつくる微生物を使い、廃
棄物を分解しながら電気エネルギーを回収可能な微生物燃料電池などの可能性について掲載したが、今回
は、
産総研とINPEXが、枯渇油田二酸化炭素(CO2)地中貯留が微生物生態系へ及ぼす影響を調査した。
その結果、
枯渇油田の微生物生態系に見られるメタン生成活動は、二酸化炭素(CO2)地中貯留によって生
じる高濃度酸化炭素環境でも存続す
ることを発見するニュースを掲載する。枯渇油田は、発電所などで発
生する大量の二酸化炭素を回収し、地中に隔離・回収・貯留
(『緊急避難策としてのCCS』)の貯留サ
イトに適しているが、世界中の油田にはメタン生成
活動を行う微生物生態系が広く分布し、油田の内部で
生成するメタン(天然ガス)が新たな資源となる
可能性がある。今回、二酸化炭素濃度が増加した環境で
は枯渇油田の微生物群集は、その構成微生物種を劇的に変化さ
せながら二酸化炭素に対する頑健性を保ち、
メタン生成活動を維持することを実証したというのだ。この研究成果は、これ
までの地球科学を中心とし
た二酸化炭素地中貯留研究に、微生物学的な新しい視点を加える大きな発見だ

 

温室効果ガスとして知られる二酸化炭素の削減策の一つであるCCS技術は発電所などで発生した大量の二
酸化炭素を地中に隔離する技術。枯渇油田は、二酸化炭素の貯留サイトとして貯留能力や安全性、コスト
面など古くから検討されてきたが、枯渇油田には活発にメタンを生成する微生物生態系が広がり、枯渇油
田に残存する
難分解性の有機物をメタンにまで分解することで、油田内部で生成する微生物起源のメタン
(天然ガス)は資源として有望しされている。
二酸化炭素が圧入された地中では二酸化炭素濃度が上昇し、
それに伴い地中のさまざまな環境条件(pHなど)が変化することは知られていた。地下に生息する微生物
生態系にどのような影響があるのか不明であった。
酢酸からのメタン生成活動を観察している秋田県八橋
油田から地下水と原油を採取し、窒素ガス下で現場と同じ温度、圧力条件(55 ℃、50気圧)に設定した培
養実験と、窒素と二酸化炭素の混合ガス(10 % CO2)で現場と同じ温度、
圧力条件に設定した高濃度二酸
化炭素2条件(分圧は5気圧)での培養実験を行っていた。

 

この結果、二酸化炭素圧入系と非圧入系の双方で地下水に元々存在する酢酸の分解とメタンの生成が観察
され、二酸化炭素
地下貯留に伴う高濃度条件下でも、酢酸からのメタン生成を確認。これらのことから、
極めて高濃度の二酸化炭素を枯渇油田に圧入した場合でも、二酸化炭素圧入井から多
少離れたCO2が拡散し
た場所でメタン生成活動が存続。二酸化炭素の
圧入系と非圧入系の微生物群集の比較解析で、酢酸からの
メタン生成に関与する微生物群集が二酸化炭素の圧入により劇的に変化し、全く別のプロセスによってメ
タンを生成する微生物に置き換わることがわかった。また、この微生物種への変化は濃度が高い環境でだ
け起こる一過性の現象であり、濃度を非圧入系の濃度に戻すと、元の微生物群集に戻ることも分かった。
枯渇油田の微生物生態系は二酸化炭素濃度に対して高い頑健性を保ちつつ、油田環境の濃度に応じてエネ
ルギー的により有利なプロ
セスでメタン生成を行うことが明らかにしたということだ。このことは、持続
可能なバイオマスエネルギー技術開発の革命的前進を約束しつつ、実用化への期待に大きく貢献する発見
である。革新とは実に面白い!?いや、本当にワクワクさせる!?

 

 
【メタン濃縮装置及び方法】

そこで、メタンガスの濃縮と貯蔵の最新技術を俯瞰してみた。自然環境下で生成されたメタンには、生物
起源のも
のと非生物起源のものとの2種類が存在する。そして、生物起源の場合は、生成経路によりさら
に2種類(二酸化
炭素還元経路と酢酸分解経路)に分けられる。このような自然環境下で生成されたメタ
ンの起源及び生成経路は、
メタンを構成する炭素及び水素の同位体比を測定することによって識別するこ
とができると考えられている。

【特許文献1】特開昭62-153390号公報
【特許文献2】特開平7-55780号公報

これまで、自然環境下で採取されたメタンや実験的に生成されたメタンの同位体比のデータが報告されて
いるが、
正確な水素同位体比を測定できる十分な測定技術が確立されているとは言えない状況であった。
信頼
できる水素同位体比を測定するためには、ある程度の容積(標準状態で数mL)の高純度メタンが必
要でだが、自
然環境下や実験的に生成されたメタンは、メタン以外のガスが含まれている混合ガスであり、
メタンの濃度が低い
(数%)ために、必要な容積のガスを集めることは容易ではない。また、ガスクロマ
トグラフィーでメタンを測定する
場合、シリンジを用いてガスクロマトグラフ装置にガスを注入するが、
この注入方法ではガス注入量に限界(数mL
程度)があるので、微量のメタンを検出することは困難で、
さらに混合ガス中のメタンの濃度が低いので、クロマト
グラフにおいてメタンのピークに隣接して他種の
ガスのピークが存在すると、メタンの測定が困難となる。


そこで、下図の発明は、従来技術が有する問題点を解決し、混合ガス中に含まれるメタンを濃縮し、高濃
度のメ
タンガスを製造するメタン濃縮装置及びメタン濃縮方法であるが、(1)メタンを含む混合ガスを
キャリヤーガスに
より搬送し複数の処理を施してメタンを濃縮するため、キャリヤーガス供給部と、搬送
された混合ガスから水を除
去する脱水部と、二酸化炭素を除去する二酸化炭素除去部と、保持したメタン
を放出することが可能なメタン捕
捉部を備え、メタン捕捉部とが配管で直列に連結した特徴をもつ。(2)
また、このメタン濃縮装置は、脱水部に乾
燥剤を備え、混合ガスから水を除去するようになっている。
(3)さらに、二酸化炭素除去部は二酸化炭素吸収剤
を備え二酸化炭素を除去する。(4)さらに、メタ
ン捕捉部は活性炭を備えており、水及び二酸化炭素が除去され
混合ガスからメタンを捕捉し吸着するよう
になっていることを特徴とする。(5)メタン捕捉部は、-90℃以上-70
℃以下でメタンを捕捉し、
20℃以上200℃以下でメタンを放出するようになっている。(6)記混合ガスからメタン
を捕捉し保
持させメタンをメタン捕捉部から放出させることで問題解決を果たす新規考案。


特開2007-246414 メタン濃縮装置及びメタン濃縮方法

 【符号の説明】

1 混合ガス導入部   2 キャリヤーガス供給部  3 脱水部 4 二酸化炭素除去部 5 メタン捕捉部

 

【スターウォーズ・デザイン】

すべてはデザインで決まる!!

 

 

 

 

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