『 ヘボのアルバム 』

“ヘボ”ちゃんをこよなく愛する蜂狂さんとのコミュウニケーションの場です・・・

     『 秋の味覚・・・ 』

2012-10-11 21:35:15 | Weblog
             


天候不純で秋山の収穫は、皆目、駄目かと思っていた・・・
カラ梅雨と夏~秋に掛けての日照りで山の茸は壊滅的状態!!! 普段だとフンズケる程出ている毒キノコ:ベニタケすら見当たらない!
時々、思い付いたように「ジコウボウ」がパラパラとある程度だ!

一方、「栗の実」は、ソコソコにある。
精出して拾えばいいのだが、山栗は小粒で皮剥き等後処理が大変なので昨今では拾う気もならない!!!
「山栗」と言えば子供の頃を思い出す。
「山栗」のあの黄金色したのを「金っ栗」と呼んでいた!!!
「金っ栗」は貴重な食べモノで、時期になると手拭で造った袋を用意し、拾いに行ったものだ。
取り分け、狙いは、台風後の早朝が一番の狙い目だった。 風揺さぶられて笑んだ栗皮からポトリと落ちるのを拾うのが狙いだった。 手には鎌を用意し、イガを割る事もシバシバだった。
老い耄れ爺の少年時代、よく「スガレ追ひ」等で山歩きをし、栗の木の大木を覚えて置くのが何よりの財産だった。 生息地さえ覚えて置くと唸る程拾えた・・・
「金っ栗」は、秋のお祭りには欠かせられない食べモノで、お祭りの一番のお御馳走:「栗コワ」の主客だった。
お袋は、この「栗コワ」を噴かすのが得意で、噴かした後、カメに移し、フ~フ~息を吹きかけながら「オコワ」と栗を均等に混ぜている姿を今でも忘れられない!
今でいう栗は、当時は、「大栗」といい、大きくてイイのだが、味はイマイチで「山栗」の「金っ栗」には敵わなかった。

「金っ栗」は、昔、何処にもあったが、特に、前山の「クロトギ」には唸る程あった。
当然、此処には熊が出没して、「山栗」を食べにくる。 依って、「クロトギ」の栗拾いは。クマとの戦いだった。
親父はこういう所へは行かなかったが、「熊に出会ったら、死んだ振りをして横になって居ろ!」とサジェスチョンしてくれた。。。 今考えるとこのサゼスチョン、甚だ怪しいもんだった!
或る時、友達の親父さんが一緒に連れて行ってくれる!という話になり、4時半置きの出立だった。
yの家から8里(32km)の道程をテクテクと歩き、標高1700m地点の「クロトギ」まで上る。 子供にして見れば大変な重労働だった。
「クロトギ」には、「金っ栗」が、ボロボロ落ちて居て、1斗位拾ったのを覚えている・・・
そして、拾うのはイイが、これを背負い降ろし、蔦木坂を背負い上げるのに苦戦した!!!
「金っ栗」は超上等品とそうでないモノ・蟲っ食い等に分け、上等品は土に埋め、初冬に「栗コワ」等にして食べるのが常識だった。

「スガレ追ひ」をしながら栗を拾う時、悪餓鬼の頃の栗拾いを思い出してしようがない!!! それ程、子供の頃は、栗は貴重品で、お祭りには欠かせられない食べ物だった。

こんな事もあった。
晩秋、親父さんと「スガレ追ひ」をし、広原の栗林で、ベタベタとある「金っ栗」を発見した。 もう夕方で、拾い集める時間も無く、明朝という事にした。
朝、早く起き、出掛けて見ると、一粒も無かった!!!
多分、夜間、鼠か栗鼠が曳いたのだろう?
今では、栗は何時までも残っているが、鼠や栗鼠が減少したのだろうか?
昨今、不思議の一つに数えている・・・

「山栗(金っ栗)」は小粒で皮を剥くのが大変だが、今流、大栗とは比較できない程の美味しさがある!!! 所謂、ホクホク栗だ!!!
内の婆さん、御機嫌がイイ時はこの「金っ栗」で栗ご飯を作ってくれるが、見て居ても大変な作業で、嫌がるのが判る気がする・・・
依って、「金っ栗」が、沢山落ちて居ても拾って来ない事にしている・・・ モッタない話である!!!
同様、茸は、yが、全く、食べないので、余り積極的には取らない!!! 世間様は、モッタない事だ!と、言うが、キノコ嫌いな老い耄れ爺にして見れば「そうかな?」位にしか思わない。。。
これから「クロシメジ」の季節になるが、これだけは、食べもしない癖に本気で見付けたくなるから不思議だ!!!  

今日は、趣味の「イワチドリ」ボトル苗の注文も終わり、ホッとしている・・・
ボトル苗の注文に際しては、何時も何時も、鬼面児師匠さんが貴重な意見を提供して下さる!!! 最近、師匠の意見に従って発注を掛ける事が多い!!! 有難い話だ!!! 
交配知識を持たない老い耄れ爺、成程!!!と、頷ける点が、実に、多い!!!
それにしても大々的に「イワチドリ」を遣るには年を採り過ぎ、後始末を考えねばならない歳恰好になってしまった!!! こういう趣味は年単位の栽培になるからである・・・