日々是チナヲチ。
素人による中国観察。web上で集めたニュースに出鱈目な解釈を加えます。「中国は、ちょっとオシャレな北朝鮮 」(・∀・)





 えーと、迷っていたのですが封切りを待ちかねてつい凸してしまいました。

メイキング・俺は、君のためにこそ死ににいく

東映

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 「メイキング」とある通り、映画版の副読本といった体裁です。出演者・制作者インタビューや自衛隊における軍人らしい動作の訓練、元特攻隊員や特攻隊員と交流した地元女学生の証言などです。それからちょっとだけ長めの予告編。米軍による特攻機対策マニュアルなども紹介されていました。

 ひとつだけ、以下は統率の外道であることは疑いようのない特攻という戦術の是非は別として、銘記しておきたい数字があります。ごく最近機密扱いが解けて公開された米軍資料の中に、特攻隊の「命中率」に関するデータがありました。

 それによると、直撃(敵艦突入)率は何と39%にも達し、これに至近弾扱い(敵艦近くに墜落し搭載爆弾が爆発して艦体や乗員に被害を与えた)を含めると、直撃・至近率は56%にものぼっていたということです。

 緒戦時に比べると飛躍的な進歩を遂げていた米艦隊の防空能力を考えると、これは驚くべき数字です。

 ――――

 それを知って改めて思い出すことがありました。以前にも当ブログにて紹介したことがありますが、海軍報道斑員だった作家の故・山岡荘八氏が、特攻隊の基地になっていた鹿児島県・鹿屋基地で行った有名なインタビューです。師範学校を卒業して出征するまでは教員をしていた特攻隊員の西田高光・中尉(戦死後少佐に特進)に対し山岡氏が、

「この戦を果して勝抜けると思っているのかどうか?もし負けても悔いはないのか?今回の心境になるまでどのような心理の波があったか?」

 と尋ねたところ、教え子たちからの手紙に返事を書いていた西田中尉はその手を休めて、

「学鷲は一応インテリです。 そう簡単に勝てるなどとは思っていません。しかし、負けたとしても、そのあとはどうなるのです………おわかりでしょう。われわれの生命は講和の条件にも、その後の日本人の運命にもつながっていますよ。そう、民族の誇りに………」

 と返答するのです。

 http://www.yasukuni.or.jp/siryou/1404.html

 その2日後、西田中尉が爆装した零戦で出撃していくのを見送りながら、山岡氏は涙が止まらなかったそうです。

 ――――

 特攻で散華した当時の若者たちの多くが自爆テロのような信仰とか洗脳とかではなく、理性を以て任務を受け止め、思い悩み、懐かしい人たちや故郷の風景に想いを残しながら、それでも出撃し散華していったことは、特攻隊の嚆矢とされている有名な敷島隊の隊長で海軍兵学校出身、つまり学徒出陣ではなくプロの軍人としての経歴を有する関行男大尉(戦死後中佐に特進)の報道班員に対する述懐でも明らかです。

「僕は天皇陛下のためとか、日本帝国のためとかで行くんじゃない。KA(夫人のこと。海軍の隠語)を護るために行くんだ。最愛の者のために死ぬ。どうだ、すばらしいだろう」

 統率の外道であり戦術ともいえぬ戦術ながら、直撃率39%、至近弾率を含めると56%という数字は、特攻隊員が決して犬死にではなかったこと、つまり西田中尉の談話にあるように、その生命を燃焼させることで確かに講和の条件にも、その後の日本人の運命にもつながっていたことを再確認できたような気がしました。

 いや、つながっているのです。60年以上を経た現在を生きる私たちにもしっかりとつながっているのではないでしょうか。いかに愚劣な作戦であろうと、後事を私たちに託して散っていった人々がいることに、緑のまぶしい季節の中で思いをはせてみるのもいいのではないかと思います。


特攻作戦―大空に散った青春 若者たちの熱き思い

新人物往来社

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コメント ( 9 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
この数字を見ると (蝦夷王)
2007-05-03 02:04:04
終戦まで米海軍が「カミカゼ・アタック」を恐れ続けたのも分かりますね。
本土上陸作戦で100万人の犠牲を見込んでいたってのも洋上で沈められる人員や上陸させられない機材を勘案すると強ち大袈裟ではなかったのかも。

硫黄島や沖縄で行われたような持久・ゲリラ戦術を取られたら、と考えたら作戦参謀なんかは背筋が寒かったでしょうね。
 
 
 
39%という驚き (近江源氏)
2007-05-03 10:04:04
 御家人殿、特攻隊の直撃が39%もあったというのに驚くというか感動するというか・・・。多くの朝日・岩波的論調に毒されて、命中率、数パーセントの戦果を期待するよりただ戦意高揚のためだけの象徴的作戦とこれまで漠然と感じていましたが、単なる犬死に作戦ではなかったのですね。この数字から改めて特攻というものを見直す必要を感じます。蝦夷王氏の言うように、本土決戦のゲリラ戦を行っていたら、どうなっていたでしょう。その結末はベトナム戦争が証明しているような気がしてしてなりません。もっとも本土決戦していたら小生なんかは生まれていないと思いますが。
 
 
 
プレビューへのお誘い (西 法太郎)
2007-05-03 11:20:15
チナヲチさま



日々日夜倦まず弛まずのご活動大儀に存じます。  敬服しつつ毎号拝読しております。初めてコメント欄に書き込んでいます。西法太郎と申します。WiLL、正論にチナ関連のことを書いたりネット界で“しなの六文銭”のHNで気ままにやっております。

さてこの映画のプレビューが七日の夜七時から有楽町の日本外国特派員協会でございます。委細はHPに出ています。会員の紹介があれば一般の方でも御覧になれます。お世話になっているチナヲチさまをご招待致したいと思いますが如何でしょうか?奥様を同伴されても結構です。ご正体は明かしたくなかろうと思います。仮名を(ご同伴の分も)協会の受付に伝えて頂ければ私が手続きをして入場者リストにそれで入れておきます。受付けでその名前を名乗って頂ければ私と会うことなく入場できます。ただチナヲチさま以外が貴台に成り済ますことが考えられます。こうしてはどうでしょう。入場をご希望の場合、協会に仮名(ご同伴分も)と何がしらかエビデンスを入れ込んだファックス(最近香港で出版された趙紫陽本の表紙コピーなど宜しいかと)を入れてください。私が貴台からかどうかを判断します。いかがでしょう。協会のファックス番号は3211-3168です。結果は電話3211-3161でご確認ください。

今後のご活躍を祈念致しております。
 
 
 
特攻批判に対して (ぬばたま)
2007-05-03 12:11:17
 特攻は統率の外道にはちがないでしょう。じゃあ、通常の急降下爆撃や雷撃はいいのかという問題があります。米艦隊に対する航空攻撃が通用したのは、開戦後半年間くらいのものでしょう。南太平洋海戦でホーネットに爆弾を当てて以来、特攻まで一切の戦果は上がっていません。フィリピン戦前、海軍は航空攻撃の有効性(命中率ではない)は2%に過ぎないとのデータを得ています。

 特攻を批判する方は、航空攻撃そのものを否定すべきです。少なくとも特攻は犬死ではありませんでしたから。
 無意味と分かっていながら、機材と搭乗員が配備されるや、考えなしに出撃させ続けた基地指令関係者には怒りを覚えます。もっとも彼らにしても、職務上それ以外の選択はなかったのでしょうが。合掌。
 
 
 
Unknown (j.seagull)
2007-05-03 17:22:38
こんにちは。いぜんからROMしておりましたが、初コメントかと思います。

「その生命を燃焼させることで確かに講和の条件にも、その後の日本人の運命にもつながっていたことを再確認できたような気がしました。」

日本人の運命という意味では、特攻隊の戦果は、間違いなくアメリカの日本本土決戦計画に大きな影響を与えたようです。もし日本本土決戦が実行されたら、日本人戦死者は350万人どころか倍になっていたかも知れないそうです。また、日本本土もドイツや朝鮮半島などのように分割統治されていたかも知れません。少なくとも、今の日本より良い状態になるとは思えないし、本土決戦が実行されれば、私の父母の命もなかったかもしれず、私も生まれなかったかも知れない・・・

このあたりは、拙blogで詳しく書いていますので、ご興味がありましたらぜひ。

硫黄島、沖縄戦は米軍の「敗北」!?
http://jseagull.blog69.fc2.com/blog-entry-312.html

命惜しまぬ日本兵
http://jseagull.blog69.fc2.com/blog-entry-313.html

航空特攻の命中効果率
http://jseagull.blog69.fc2.com/blog-entry-322.html

 
 
 
Unknown (椿)
2007-05-03 18:29:49
いや、直撃が39%という数字には目が覚めました。
わたしは、今のいままで直撃は2から3%ぐらいしかないと思っていたのです。
その割にはカミカゼをくらったアメリカ人がノイローゼになる確立がたかすぎるなぁ。
終戦間際のアメリカ人は緩くなったのかしらとおもったぐらいでした。

しかし、人材しか資源のない日本でこれだけの高度な教育を受けた人間を弾頭として兵器の部品に組み込んだという事実は1000年語り継がれなければならないと思うのです。
戦争なんかしたくはないですが、戦争はなくならないでしょう。
次の戦いの時にはこの様な戦い方をしないために教育が必要だと強く感じます。
 
 
 
Re:プレビューへのお誘い (御家人)
2007-05-03 20:58:58
>>西 法太郎さん
 御親切に試写会の御招待を頂きまして本当にありがとうございます。m(__)m
 ただ残念ながら7日は(7日に限って!)まる一日仕事で身動きがとれません。せっかくの御好意にお応えできなくて本当に申し訳ありません。罪該萬死!o......rz
 そんな訳で私は出席することができません。色々お気遣い頂いたのにまことに残念です。メイキングDVDと『ホタル帰る』で渇を癒しつつ、あと1週間ちょっと我慢しようと思います。
 本職の方なんですね。お仕事を是非頑張って下さい。陰ながら応援しています。私は何事も勉強不足で、普段難しい雑誌は読んだりしないのですが、これからはなるべく目を通すようにして、健筆ぶりから色々吸収できることを楽しみにしたいと思います。
 取り急ぎ御連絡まで。
 
 
 
全国慰霊祭(長文すみません) (kolgo13)
2007-05-03 21:50:12
 毎年5月3日は知覧特攻平和観音堂前で特攻隊戦没者の全国慰霊祭が行われます。
 今年は石原都知事や岸恵子さんや徳重聡さん(?)等の映画関係者が参加なさっていたせいか、例年にもまして参列者やギャラリーが多く、警備もものものしかったです。
 観音堂の境内入口で、受付手続き済みを示すリボンをつけていないご老人達が入ろうとすると、ただでさえそこにいるだけで周りを威圧するSPの方々に持ち物をチェックされていました。先日の長崎市長銃撃の例もあるので仕方がないのでしょうが。

 それにしても、今日の知覧は良い天気でした。気温ももしかしたら25度は越えていたかもしれません。時折心地よい風の吹く中、すこし煙のかかったような青空がどこまでも広がっていました。

 62年前の英霊達もこんな青空の中、飛び立っていかれたのでしょう。

 現在、空路、鹿児島から沖縄に向かう便は、薩摩半島を縦断して、左に大隈半島を眺めながら、やがて薩摩富士と呼ばれる開聞岳を横目に南西に飛んでいきます。
 いつもここを飛ぶたびに、あの当時の特攻隊員もこの風景を目にしながら、祖国の土に別れを告げたのかと思うと、その胸中を推し量らずにはいられません。
実に、胸ふさがれる思いです。
 (といいながら、こちらは沖縄に遊びにいくので、内心忸怩たるものがあるわけですが・・・W)

 知り合いの老婦人は高等女学校であったその当時、お母上の故郷に疎開中で、知覧のこの土地で隊員たちを見送られたそうです。
 ある特攻隊員は、道端の花(もしかすると草だったかもしれません)を一本手折ると帽子に挿し、敬礼をして「行きます!」と言われたそうです。「行って来ます、ではなかったのよね」と彼女は今でもその思い出をしみじみとお話になります。

 特攻隊をはじめとして、すべての英霊に感謝と、彼等の魂にやすらぎあらんことを心から祈ります。
 
 
 
みなさんコメントありがとうございます。 (御家人)
2007-05-03 23:20:39

 39%という数字には私も驚きました。ただ考えてみると、公開されている米軍の映像は選別されたものでしょうし、一方で特攻隊も大型艦を狙わず(鱗形陣の対空火網を突破できない)、前衛の駆逐艦や輸送艦、戦車揚陸艦などを目指して突入した特攻機もかなりあると考えられます。それが予想外の高率となった一因かも知れません。赤トンボの特攻機がピケット駆逐艦を撃沈した例もあるようですね。

 メイキングDVDによると、特攻機もただ突っ込むだけでなく、一定の高度を囮機が飛行して対空砲火を引きつけている間に、別方向から特攻機が突入するといった戦術も行われたそうです。また、海軍の場合は直掩機がそれなりに奮戦してもいます。しかし直掩機の操縦桿を握る搭乗員も,同じパイロットが敵艦めがけて突入していく様には平然としていられなかったでしょう。直掩機が自発的に突入したケースも少なくないようです。

 それにしても皆さん御指摘のように、かくも高率で突入が成功しているのですから、米軍兵士に戦争神経症が多数出るのも頷けますし、日本本土決戦をやったら米軍も並の損害では済まないという判断も生まれたことでしょう。日本の復興が遅れただけでなく分断国家にされていた可能性もありますし、近江源氏さんの仰る通り、そもそも自分が生まれて来なかったかも知れません。

 米軍の侵攻作戦に影響を与えたという意味で、特攻隊で散華された方々の死は価値あるものであり、いまを生きる私たちは彼らから後事を託され、「あとを頼む」というバトンを渡されているのです。戦争を生き抜いた方々が日本を復興させ、世界第二の経済大国にまで発展した社会に生きている自分に何ができるのか、私はいつもそれを考えてしまいます。


>>ぬばたまさん
 特攻は決死隊ではなく、生還を期さない必死隊という意味においてすでに戦術とはいえず、常軌を逸しています。特攻をやらざるを得ないところまでズルズルと戦争を続けてしまった国家指導者や軍上層部はこの点において断罪されるべきだと思います。いかに戦果を挙げたとはいえ、生命を引き換えにすることを前提とした特攻という戦術は批判されるべきです。しかし、特攻に殉じた方々のことは、誤解を恐れずにいえば、民族の誇りとしていつまでも語り継いでいくべきだと思います。そして上述したように、「後を頼む」というバトンを渡された私たちそれぞれが、この繁栄の中で自問自答していくべきではないかと思います。

 私が思うに、通常の急降下爆撃や雷撃はいいのです。否定すべきは航空攻撃ではなく、搭乗員の大量育成へのシフトが後手に回ったこと、搭乗員の人命が軽視されたこと(救助活動の不備や帰還不能=自爆という価値観)、日本機の大半が防弾装備に無頓着だったために被弾するとすぐ炎上してしまったこと、レーダーなど技術面での立ち後れ、そして航空戦という日本にとって最も苦手な物量作戦に入り込んでしまったことにあるのではないかと愚考する次第です。

 ちなみに重箱の隅をつつくようで申し訳ないのですが、南太平洋海戦以降も航空攻撃による戦果が全くなかった訳ではありません。レンドバ沖海戦?で重巡シカゴを大破だか撃沈だかしていますし、トラック島を急襲した米機動部隊に対し夜間雷撃で米空母を大破?させたケースがありますし、マリアナ沖海戦でもほんの少しだけ米艦隊に損害を与えています(本当に微々たるものですけど)。それからレイテ沖海戦でたった1機の彗星艦爆が「悪魔の熟練度」(モリソン戦史?)を以て、米空母プリンストンを急降下爆撃で撃沈(米軍により処分)しています。

 しかし翻って考えると非常に効率が悪く、戦果の割に消耗率が高すぎます。第二航艦の航空総攻撃にも関わらず、結局米艦隊の防空システムをくぐり抜けて攻撃に成功したのは彗星1機だけということになりますし、この彗星も投弾後に対空砲火により撃墜されています。御指摘の通り、通常の航空攻撃による成功率は皆無に近いといっていいでしょう。最前線の殺伐とした空気のなか、その現実に直面している搭乗員たちが特攻攻撃に続々と志願したというのも理解できます。

 ただ一方で、「我々も諸君の後に続く。最後の特攻機で突入するのだ」などと言って特攻隊員を送り出した現地司令官がいざとなったらあれこれ口実をつけて敵前逃亡してしまったり、陸軍特攻隊の振武寮のような理不尽がまかり通ったことは私も断じて許せません。

 ちなみに終戦の日に特攻出撃した第五航艦司令長官の宇垣中将は水上機母艦に突入したという調査結果があるようですね。


>>j.seagullさん
 はじめまして。駄文にお付き合い頂き本当にありがとうございます。エントリーもさることなから、動画は素晴らしい映像資料ですね。お祖父さんが特攻機の整備員だったというものは以前観たことがありますけど、特攻隊員の記録映像はそのほとんどが初めて観るものでした。


>>kolgo13さん
 いいお話をありがとうございました。「行って来ます、ではなかったのよね」という言葉に胸を打たれます。

 これまたメイキングDVDで観たのですが、鳥濱トメさんを演じる岸恵子さんは、方言の台詞に非常に苦労したそうです。薩摩言葉といっても色々あるのでしょうが、映画では知覧弁を話すことになります。方言指導の方に付きっきりで必死で覚えたそうです。「でもこの役をやって知覧弁を間違えたら、大体の人はわからないかも知れないけど、知覧の人に申し訳ないと思って。トメさんにも」という話が印象的でした。
 
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