映画「硫黄島からの手紙」を観てきました。
ネタバレになるのでこれから観に行くつもりの方は、鑑賞されてからこのエントリーを読むことをお勧めします。
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「年末年始休暇をひねり出す」
という日本側の都合により組まれた強行スケジュール、いわゆる「年末進行」が終わって私はひと山越えた気分です。もっとも香港・台湾側は旧正月こそお正月。1月1日が祝日になるだけで日本のようにまとまった休みを取ることもないため、私が正月らしい正月をのんびりと送ることはできません。
それでも第一波を乗り切ったことで人並みの生活に戻ったような気がします。旧正月直前の香港・台湾側による「年末進行」が控えた嵐の前の静けさではありますが、久しぶりに外出できるようになりました。おかげで昨日今日は街ゆく女性がみな美人にみえてしまいました(笑)。
で、俗にいうクリスマスイブは配偶者と外食して、今日は靖国神社に今年最後の参拝。遊就館で配偶者と合流し、例によって零戦を眺めつつ海軍カレーと海軍コーヒーを喫しました。
映画は有楽町だったので、大手町から噂に聞く丸の内の電飾街を歩いてみたのですが、もっと華やかなものかと思っていたので期待はずれでした。ショボいです。神戸の電飾街を一度歩いてみたいものだと思いました。
でも丸の内のOLのお姉さんたち(私よりずっと年下ですけど)は皆さんきれいでした。うっかりそう口走って配偶者から平手打ちを喰いました。
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さて映画の話。米軍視点の方を観ていないのでまとめて俎上に乗せることはできませんが、単体の作品としてみれば頭の弱い私には訳がわかりませんでした。恩師との電話によるやり取りに次いで、この映画を観るということが「年末進行」中もモチベーションを維持できた要因だったのに……。
日本軍は硫黄島の各所に洞窟(連繋した坑道)を掘って神出鬼没のゲリラ戦を展開し、それゆえ米軍が日本側を上回る死傷者を出しました。現地指揮官である栗林中将(渡辺謙)が米軍から名将として称えられたゆえんです。確か米国の有名な従軍記者もジープで移動中に背後の洞窟から出て来た日本兵に奇襲されて即死しています。
ところが映画の戦闘シーンではそういう描写がすっぽりと欠落していました。米軍が難戦する様子が十分に描かれていないので、栗林中将も「米国通で万歳突撃などによる兵の無駄な損耗を嫌う指揮官」にしかみえません。5日間で陥落するはずの小島で1カ月以上米軍を食い止めた、という事実も予告編にしか出てきません(笑)。
栗林中将の最期の総攻撃における訓示と、硫黄島に残されていた守備隊の兵士たちの手紙が発見されたことで現在とのつながりを辛うじて示しているのですが、主題の一部である筈のその部分が見事なまでに不徹底です。
「パールハーバー」のようなお伽話にするか、あくまでもベタに徹するかのどちらかにしてほしいと思いました。ベタな分だけ「出口のない海」の方がずっとマシです。
ただ一点、自決を前にした指揮官が、
「靖国で会おう」
と言ったのは、いまどきの日本映画には真似できないところです(笑)。あと硫黄島に民家があったという余り知られていない部分が描かれていたのはGJ!でした。……という訳で、その分を考慮して百点満点で35点。
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レンタルになるのを待つのが賢明、というのが突撃してみた私のごく個人的な感想です。予告編で流れていたアンディ・ラウ(劉徳華)主演の「墨攻」の方が娯楽作品に徹底しているようなので楽しめそうでした。
やはり「予告編」が流れた「蒼き狼」は勘弁してくれという印象です(笑)。あれなら『成吉思汗の秘密』を原案に「義経=成吉思汗」伝説を撮った方が面白そうです。そういえば清王朝は確か初代皇帝から満州人とモンゴル人のハーフなんですよね(うろ覚え)。
とりあえず帰宅してグッタリしているところです。これから記事漁りをしなければならないのに……しかも土日を終えて「新華網」の記事量がぐっと増える月曜日なのに……。
誰か何とかして下さい。orz
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ノロにお気を付け下さい。
私はあの映画アリと思いました。
勿論、御家人さんの言うとおり書き足りない部分が多くて、ちょっと…の部分は多いのは確かだと思いましたが。
南京w映画が出来るかもしれないこのご時勢で、ハリウッドスター渡辺謙がいつもの神秘的且つ懐の深い日本人を演じてくれることは、
日本人にとって心強い限りと思うのです。
日本兵は狂気に駆られてもない、卑怯者でもない、いち人間として戦場に赴き、苦悩と望郷の念を持ち、ある者は死にある者は生きたという
至極当たり前の観点が、中共やとある半島さんの妄言・政治的誇張発言などに対して、「おかしくね?」という世界の人々の声を産み出すと思っています。
AOL副会長さんが南京映画wに肩入れするとかしないとか言われている今、こういう産業に肩入れしてイメージ回復を図るというのも非常に有益かと。
まあ、御家人さんにとって周知のことでしょうが、50点ぐらいあげても良いじゃんwと思ってコメントしました。
追伸:『靖国で会おう』の台詞、物を知らない30代の私にとって、非常に新鮮である意味ショックでした。
次の日、仕事にかこつけて、靖国でおまいりしてきました。
敵日本人も通常の人間だった、ということへの表現意欲は見えるとしても、
栗林一個人のみならず日本軍もまた、一個の合理性のなかの強靭な組織であったことが、軽視されている、
ということではないでしょうか?
よいお年を。
やはり御家人様のコメントの最後につきるのでは?
<靖国で会おう>と。。
「バンド・オブ・ブラザーズ」みたいに何話かに分けたシリーズだったらもっと面白い(?)かも。
半年くらい前に「散るぞ悲しき」と「名をこそ惜しめ」という本を読みましたがこちらの方が泣けました。
嫁の爺さんが42歳で硫黄島で戦死していまして、同居している義母(当時6歳)は何とも複雑な顔でTVの特集を見ていました。
自分は戦争で亡くなられた方々をつい「誇りに思う」とか「戦死された方々に恥ずかしくない生き方を」とか思ってしまうのですが、当事者として大変な人生を歩んできた人から見たら「そりゃちょっと違うんじゃない?」なんて思われているのかも知れませんね。
>確か米国の有名な従軍記者も
これって沖縄県伊江島で死亡したアーニー・パイルの事でしょうか?ちょっと気になった物で。
でもそれだけ真面目な映画だけに、日本軍の坑道戦術、つまり敵を水際で殲滅しようとせず、上陸させてからゲリラ戦を展開することで米軍に予想以上の期間にわたり消耗を強いる、という敵をして名将と言わしめた栗林戦術をしっかり描いてほしかったです。最初から玉砕覚悟、なれどそれによって郷土に敵を近付けることを一日でも遅らせることができる。本意であれ不本意であれ、自らの生命によってそれを購う。……という信念がより強調されてよかったのではないかと。「日本兵もまた米兵同様に普通の人間だった」というなら、別に硫黄島でなくてもいい訳で。
私個人は、戦争で最前線において散華されたり民間人であれ空襲などで亡くなったりした方々、また焼け野原から日本を復興させた方々と現在の自分がつながっていること、さらにそういった人々を育んだ郷土と先人がいて、そういう連綿としたつながりのおかげでいま自分が呑気に気楽に生活していられる、ということを個人的経験や些かの書物で実感している。……と自分では思っていますので、その「つながり」への描き込みが不足しているのを残念に思います。「手紙」にそれを託しているのでしょうが、その点だけならベタながらフジテレビでやっていた特番の方が徹底していたように思います。
>>「2006-12-26 23:54:14のUnknown」さん
>自分は戦争で亡くなられた方々をつい「誇りに思う」とか「戦死された方々に恥ずかしくない生き方を」とか思って
>しまうのですが、当事者として大変な人生を歩んできた人から見たら「そりゃちょっと違うんじゃない?」なんて思
>われているのかも知れませんね。
そうかも知れません。でも私たちが日常生活の中で出来ることは、先人の方々の艱難を忘れないこと、そして仰る通り先人の方々に恥ずかしくない生き方を、と常に自省することではないかと思います。私たちがそうして日々を過ごせば、散華された方々にも「甲斐があった」と思って頂けるのではないかと私は考えています。あとは、戦中を生き抜いてきた世代のお爺さんお婆さんたちに当時の話をしてもらい(もちろん話してくれる方限定で)、それを私たちが受け止めて、次の世代に受け継いでいくことでしょう。
>>サンダーさん
従軍記者の件、確かに沖縄戦だったかも知れません。小学生のときに伝記を読んだ記憶だけが頼りで、その記者の名前も覚えていないくらいですから私の記憶違いだと思います。すみません。
m(__)m
う~ん…俺の祖父母、戦時中十代だった人たちで。銃後の艱難辛苦を耳にたこができるくらい聞いたデス。それはいいのだが、彼らは例のWGIPにずっぷり洗脳されてるス。体験を淡々と語ってくれる限りは聞いてもいられるけど、そうはいかない。「侵略戦争だった」「アジアの人たちにひどいことをした」「原爆は当然」「中国には謝罪して当然」「靖国参拝トンデモナイ」こういうことを必ず言い出す…いや~洗脳って怖いですね。
俺はこういった花畑イデオロギーは抜きにして、ばーさんの魚雷作りの苦労話とか、じーさんが軍刀埋めて隠した話とか、そういうのだけ脳内抽出して聞いてる。そして戦争は情報戦、宣伝戦でもあるんだなあとつくづく思う次第。
幸いといいますか、私の両親は現在でいう小学校に通う年齢で終戦になりましたので、妙な教育に染まることもなく、脳天気なところもありますから、あっけらかんと戦中体験を話してくれます。B29の1トン爆弾が校庭に大穴を開けて雨が降ったら池になってしまったとか、負傷者を収容する体育館が内蔵が飛び散っていたりしてひどい様子だったとか、鑑砲射撃の断片が住んでいた社宅長屋を貫通していったとか。……でも原体験の恐ろしさといいますか、先年親の実家の近くで花火工場が爆発したとき、「ああまた戦争が始まったんだ」ととっさに思ったそうです。
魚雷作りの苦労話を聞けるなんて羨ましいですね。そうです。脳内抽出するのも私たちの世代の務めだと思います。
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