人民服、中国語では「中山装」でしたか。私の世代だと「人民服」と聞けばYMOなのですが……あ、今回は大した話ではないので(いつもそうですが)気楽にいきましょう。
いまは中国でも目にする機会が激減していると思いますけど、先代の江沢民もいまの胡錦涛も普段はスーツ姿なのに、軍のイベントに参加するときは決まって人民服みたいな格好で登場しますね。あれが正規の人民服なのかどうか……1989年の天安門事件のころでさえ大都市ではほとんど見かけなかったものですから、私には判別がつきかねます。
軍権を握る党中央軍事委員会主席だといっても、江沢民も胡錦涛も軍籍を有している訳ではないでしょうから、軍服ではないとは思います。まあ人民服ということにして話を進めます。
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いや標題の通りなんです。『人民日報』(2005/05/30)の一面トップに人民服姿の胡錦涛の写真がドーンと出ていたので驚きました。子供達に囲まれています。笑顔です。マイクを握っています。その手は小指だけ半ば立てています。なるほどこれが胡錦涛スタイルという訳ですか。おっとその背後には軍服姿の小父さんやお姉さん。ああ道理で人民服なんですね。
http://www.people.com.cn/pdf/200505/30/0530A1.pdf
六月一日は中国では子供の日(児童節)、ということで、そのころになると国家指導者が子供関係のイベントに顔を出すのです。正確には国家指導者の「児童節」向けネタとしてイベントが組まれる訳ですが、それで胡錦涛は「総政治部小紅星幼児芸術団」を訪問し、子供達の歌や踊りを観て御満悦、というところなのでしょう。
でも、人民服です。当然ながら制服組のお偉方を引き連れている訳ですが、訪問先も「総政治部」を冠していることからわかるように、人民解放軍の傘下にある子供歌舞団なのです。つまり胡錦涛のお供が軍人なら、胡錦涛を囲んでいる子供達も大袈裟に言えば「軍関係者」(笑)。軍部といえば最近キナ臭い話題が続いているので、小指を立てて御機嫌の写真も、何だか胡錦涛が軍に軟禁されてしまったかのように見えてしまいます。
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キナ臭いといえば、国営通信社・新華社のウェブサイトである「新華網」、ここの軍事ニュースに飛んでみると、異様です。最近になって「抗日戦争」ネタや「侵略国家・日本」ネタが急増しているのです。もちろんあの「呉儀事件」を巡る初動期の混乱が終息し、中国国内メディアが対日強硬路線で足並みを揃えてからのことです。胡錦涛の御用新聞である『中国青年報』が靖国神社に祭られているA級戦犯を断罪する連載を始めたのもそうですが、この「新華網」軍事ニュースもまた然りです。
http://www.xinhuanet.com/mil/xwzx_js.htm
まず基本として「抗日戦史における今日」という記事があります。靖国神社の遊就館、あそこの入口の受付の上にある電光掲示板「御祭神ゆかりの出来事(×月×日)……」みたいなものです。ちなみに昨日(30日)は「東郷平八郎元帥の命日」でしたがそれはともかくとして、「新華網」の軍事ニュース。
私はこのページが記事漁りのコースに入っているので毎日のぞいています。それで気付いたのですが、5月27日になって突然、「日本による初期の対中侵略」と銘打った記事がわらわらと涌いて出たが如くまとめて9本も登場しました。
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日清戦争とか日露戦争とか対華21カ条といった出来事をそれぞれ紹介しているのですが、たぶん中国の学校で教えられている内容と大差ないものでしょうから、私は貴重な資料として即保存しておきました。東郷元帥つながりで言いますと、この中共の掲げる「史実」によれば、何と「日露戦争」には日本海海戦が登場しないのです(笑)。
あとガタルカナル攻防戦の記事も2本この日に出ています。第二次大戦史のような写真中心の記事はときどきあるので唐突な印象は受けませんけど、あの日本海海戦を「なかったこと」にしてしまうのですから、第一次ソロモン海戦も南太平洋海戦もルンガ沖夜戦も出てくる訳がありません。その代わり、日本海軍にとっての負け戦だったサボ島沖夜戦にはちゃんと言及されています。あ、でもなぜか伊19潜による米空母ワスプ撃沈だけは出ています。謎です。……ともあれこれが27日。
翌28日と30日(29日は特別な記事はなし。日曜はいつもそうです)には趣向を変えたつもりか、今度はA級戦犯のオンパレード。一人ずつが独立した記事になっているのですからよほどの粘着です。これにいわゆる「抗日戦争」での英雄の記事も数本加わります。
こんな集中豪雨的な記事投入を毎日続けられるほどネタがあるのかこちらが心配してしまいます。それとも軍部にとって何か特別に嬉しいことがあってつい浮かれてしまったのでしょうか。
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軍部で思い出しましたが、人民解放軍の機関紙『解放軍報』(2005/05/30)に日本批判の署名論評が出ました。「呉儀事件」以降、新華社電などの使い回し記事は掲載されたりしていましたが、オリジナルはこれが初めてです。
●中日関係を発展させていく上で戦略眼は欠かせない
http://www.chinamil.com.cn/site1/xwpdxw/2005-05/30/content_216293.htm
内容は型通りで目新しいものは特にないのですが、これを読むと軍部にとってはやはり「靖国」など歴史問題よりも台湾問題の方がずっと大事で、そちらにより神経を尖らせているな、という印象を受けます。
台湾といえば、前回「クーデターも辞さない」若手将官たちの中心的存在として名前の出ていた劉亜洲・中将に関する記事が香港紙『成報』(2005/05/30)に出ていたので驚いたのですが、その内容にもびっくりです。
●連戦、宋楚瑜の訪中は劉亜洲の建言によるもの
http://www.singpao.com/20050530/international/718837.html
台湾の連戦・国民党主席と宋楚瑜・親民党主席の訪中はまだ記憶に新しいところですが、この二大イベントによって中台間に融和ムードが一気に広まった観がありましたね。実はその影の立役者が劉亜洲だというのです。二人を相次いで訪中させることで台湾独立派の出鼻を挫く一方、アジアでの影響力維持のために台湾を重要な手駒と考えている米国の戦略をも動揺させ得る、という発想によるもので、軍上層部にこの策を建言し、それが容れられて歴史的な訪中が実現したというのですから、私はもうあんぐりです。
その一方で、未確認ながら前回紹介したような動きをみせているのですから、得体が知れません。さすがは江沢民の「戦略参謀」(『産経新聞』2005/05/27)、一筋縄ではいかない軍師といったところでしょうか。「連・宋訪中」では胡錦涛自身も大いに得点を稼げましたし、「江沢民の政治力+若手将官麾下の武力」が劉亜洲の後ろ盾になっているのですから、胡錦涛もおいそれと手を出すことはできないのかも知れません。
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ひょっとすると「児童節」記念で胡錦涛に人民服を着せて軍傘下の子供歌舞団を訪問させた、というのも劉亜洲あたりの献策かも知れませんね。これで『人民日報』の一面トップですから、軍部の存在感を高める政治活動と言えなくもありません。
胡錦涛といえば温家宝なのですが、こちらは北京市のトップらを引き連れて障害を持つ子供たちの施設を慰問したようです。これも胡錦涛人民服バージョンがトップを飾った日の『人民日報』の一面にやはり記事が出ています。こちらはもちろん人民服ではなく、ラフな私服姿です。記事内容も「庶民派総理と子供達の心暖まる交流」風味でまとめられており、温家宝のイメージアップに貢献したことでしょう。
以下は下衆の勘繰りなんですが、両者の記事の長さを比較すると、実は胡錦涛より温家宝の方がかなり上回っています(温家宝の記事は1面から4面へと続いています。胡錦涛は1面だけです)。しかも温家宝は自分の好感度向上につながる報道をしてもらっている。一方の胡錦涛はといえば、確かに珍しく朴訥そうな笑顔を見せてはいるものの、その記事が軍部に貢献する部分はあっても、温家宝ほど自らのイメージアップには直結していないのではないでしょうか。
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いきなり胡錦涛の人民服姿を見せられて、余談から余談へと飛び歩くような散漫な内容になってしまいました。しかも話を落とさないまま強引に締めるという情けなさ。睡眠不足(というか寝ていない)のせいにしてもいいですか?いつもながらお粗末で申し訳ありません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_night.gif)
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ぼくもカーキ色の人民服を着せられた彼の写真、見ました。全然様になってないですね。いい悪いは別として、日本の宮中晩餐会に、(多少は特別仕様でしょうけど)人民服?で出席してしまった彼みたいに堂々としてませんね。明らかにあの笑顔は苦笑いでしょう。
劉亜州という最近憶えた人がちょっとずつ勢力を伸ばしてる感じですね。
そのうち胡錦濤、健康上の理由かなんかで引退したりしないだろうか…
はたして穏便に事が収まるかどうか。
共産主義の国や途上国では軍をいかに抑えるか
にかかってますからねえ。
この調子で日中交流が停止してくれるといいん
ですけど。
ビザ拡大が無くなるし。^^;;
カーキ色とのことですが、これは軍服だそうです。
一般ピープルは青だそうです。ちなみに知人さんは青い人民服を着て中国の人に見せたら、労働者の服装だらか止めなさいと言われたそうです('A`)…
あの国ではプロレタリアートは救われません_| ̄|○
私も滞在時に人民服を王府井の百貨大楼で買ったことがありますが(当時はそれしか売ってないのですけど)、きっと箪笥のどこかにあるかもしれません。思い出の品ですが、今の中国の調子を見ていると現役復帰するかもしれませんね。
つい昨日、乗っていたタクシーのFMラジオ(1003Mhz)でミッドウエー海戦のお話をしてましたが(講談風で)。。。これももしかしてそういう宣伝戦の一環?そんなに脚色はしていない風の内容でしたが。。。。
北京のタクシーは日々日貨排斥中(笑)、今年9月までに1.2元タクシー(天津シャレード)を廃止し、1.6元に統一するために北京に工場をつくってND生産している韓国現代のエラントラに続々を入れ替えられています。まあこれはこれで広くなって快適ではありますが。
江沢民が日本で天皇主催の晩餐会に黒の「中山装」を着て出席したことについて、日本では間違った見解をタレ流していたメディアがありましたが、あれは実は最も正式な礼装なので、アメリカでの大統領主催のディナーでも同じ服装で出席しています。ただしそれ以外では見たことが無いので、明確な規定があるのかどうかは分かりません。
胡錦涛が軍関係の会議や催事で着ているのは、解放軍将校の冬服(詰襟)と同じ生地で仕立てた「軍服もどき」で、彼は軍人ではありませんから、肩章や軍の徽章が付いていないわけです。これは江沢民が中央軍事委員会主席だったころに始めたスタイルのようですね。
それ以前は小平などは軍の会議でも、普段通り高級幹部のトレードマークだったグレーの中山装でしたから、軍人でない主席が何を着なければならないという決まりは無いはずで、だったら背広でも構わないわけなのですが、どうして胡錦涛が江沢民のマネをするのか合点が行きませんね。
個人的には「中山装」というのは、前が背広のように開かないので、冬は結構暖かくて良いと思います。20年ほど前に中国に滞在していた頃には、愛用していましたよ。
それとも軍だから林彪かな。いずれにしても長老支配の国で出過ぎた真似は、いずれ失脚に繋がるでしょうね。
つまらない話しですが、小平が64の後鎮圧軍を訪問したとき、人民服を着ていた写真があったと記憶しております。もっとも小平が背広を着たことは無かったと思いますけど。間違ってたらすみません。
何服かは私も良くわかりませんが、ただ軍関係を訪問するときにこの手の服を着用されると、軍に対しての態度表明(僕は軍を支持するみたいな)のような気がして。このイメージは江沢民が作ったものだと思いますが。小平はバリバリの元軍人でしたので違和感は無いのですけど。
公式の場では現在背広が普通の中国ですが、どうしちゃったんでしょう。
のはずが、なぜ上海のバブルビルや「13億の巨大市場」の宣伝を同時に行えるのでしょうか。
小泉でなくても誰か勇気ある人にやってもらいたいです。
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