そのとき、デモの終着点である代々木公園の野外音楽堂にいた私は、夢を見ているような錯覚にとらわれていました。
すでにたくさんの人で埋まっている会場に、それでも行進を終えた集団が続々と入ってきます。
間断なく湧き上がる「FREE TIBET」というシュプレヒコール。
いかにも東京の5月にふさわしい、清々しい青空を背景に、高々と掲げられた無数の雪山獅子旗が、風にはためいているのです。
参加者は約4200名。この種のデモとしては大規模といっていいでしょう。
そして、その圧倒的多数を占めたのは、自分たちの生活とは直接関係ない、外国における人権弾圧であるチベット問題に義憤し、あるいは諸問題に関する日中両国政府の姿勢に我慢ならずに、ネット上などの告知に応じて駆けつけた一般市民。
プラカードや団扇などの小道具も、2ちゃんねるなどネット上の有志が制作したデザインが多く用いられていました。
そうなのです。考えてみれば、今回のデモはネット上を除いた媒体での事前告知はごく一部でしか行われませんでした。
それなのに、この人数。現場を包むこの熱気は、この昂揚感は、どうしたことでしょう。
近くにいた人が、しゃぼん玉を吹き始めました。まんまるい泡が揺れながら風に乗って次々に高く舞い上がり、雪山獅子旗の波の中へと消えていきます。
東京でこのような光景が現出するとは、思ってもみませんでした。
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つい先年まで、私はデモというものについて、重大な勘違いをしていました。
私にとって、デモといえば。
数百~数千人規模の整然とした隊列が湧くようにして街中にいくつも出現し、各々が目抜き通りを行進したり、ときに広場に一大集結したり、あるいは順番に政府庁舎前で座り込みを行ったりします。シュプレヒコールという形で理念を掲げ、野次馬であふれる沿道からは声援と拍手喝采。むろんデモ隊には悲壮感などカケラもありません。
むしろ、その正反対というべきでしょう。自分たちがみんなの声を代表しているのだという昂揚感と、それに伴う晴れやかで高々とした気分。非日常的な行為という意味でのお祭りムードもあります。
「官」に向き合うという緊張感がない訳ではありませんが、それよりも「おれたちは周囲から支持されている、民意の代弁者なのだ」という意識が強く前面に出ていて、そこから醸し出される明色の空気がデモ隊を支配している、といったところです。
デモとはそういうものだと、思っていました。……1989年、留学先の上海で際会した民主化運動での体験によるものです。私のいた大学でも学科ごとにデモ隊が組織され、仲のいい中国人学生から、
「お前、××科になんて行くな。おれのとこで一緒にデモしようぜ」
と引っ張り込まれたり、自分から友人のいるデモ隊に加わって歓迎されたり、留学生でまとまってグループとなってどこかの組に紛れ込んだり。……2カ月にも満たない短い期間ながら、最低でも30回以上、私はデモ隊の一員となりました。
北京における情勢の推移,特に6月4日の天安門事件以降は、武力弾圧に対する抗議行動色が強まって怒りと悲壮感も加わりましたけど、
「自分たちはみんなの代弁者として政府に向き合い、異議申し立てを行っているのだ」
という意識が常にデモ隊にはありました。実際、路傍の市民もみな応援してくれていましたし。……私にとって初めてのデモ体験が、これでした。
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この「自分たちは民意を代表して政府に反発しデモをしている」という、昂揚感を伴う晴れやかな意識を表現する適当な言葉が、ちょっと思い浮かびません。
とりあえず腑分けしてみましょう。……まずは、それを意識しているかどうかに関わらず、「自分たちが民意の代弁者だ」「おれたちは多数派なのだ」(主流派というべきかも)という気分が漠然と、あるいは明確に当時のデモ隊をいつも包んでいました。
ただし、単純に「多数派=マジョリティ」ということではありません。デモ隊の人数が多い、ということでもありません。
「政府のスタンスが民意と大きくかけ離れている」という状況下での、民意の代弁者。
……というべきもので、要するに「官」(政府)の姿勢に対する反発や怒りが「民」の側に満ちあふれている、といった限定的なシチュエーションで、民意の代表者たちがデモを行うと、参加者の間には上述したような独特な昂揚感が生まれるようです。
野次馬たちもデモ隊と思いは同じですから、当然ながら沿道からの声援や拍手も湧き起こります。
かなり強引に例えを引くとすれば、初の甲子園にいざ出発せんとする地元高校野球部のために近隣町内会なり市役所なりが開催した壮行会、といった情景に似ていなくもありません。デモ隊(ナイン)と野次馬(地元民)のそれぞれの気分としては、それに近いものがあったように思います。
少なくとも私が上海で体験したデモには、そういう雰囲気が漂っていました。……仕方がないので、ここでは仮に、
「多数派意識」(「自分たちは民意を背負っている」という気分。……自覚しているかどうかはともかく)
と呼ぶことにします。
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香港や台湾を転々として日本に戻った後、2003年に人口700万ばかりの香港で、伝説の50万人デモが生起しました。
民意を表現する場を封じられた香港市民が圧倒的多数派の意思表示として行ったこのデモについて、私は副業で現地誌にコラムを連載している都合上、半ば当事者意識を持って臨みました。このデモがサブカルチャーとは一見無縁なようで、実はコンテンツ産業にとっては重大な関わりがあることを、一回を割いて若い読者に訴えました。このときも私には明確な「多数派意識」がありました。
ところがその後、都内で台湾独立や反中国をテーマにしたデモに参加したときに愕然としました。
参加者はわずか数百名。みなぎる悲壮感。そして、沿道から注がれる「何この人たち?」的な違和感満点な視線。一緒に参加した配偶者はドン引きです。
むろん、昂揚感など少しもありません。正直に白状すると、逆に自分が浮いているような、晒しものになっているような気恥ずかしさがありました。同時に、「ライトユーザー」の取り込みといった感覚が全く欠落している主催者に呆れ、そのマーケティング意識の低さに辟易しました。
そして、それまでに私が関わってきたデモこそが、限定された状況下でのみ成立する異質なものであることを知ることになったのです。それ以来、3月にチベット問題が持ち上がるまで、私はデモというものを可能な限り忌避し続けてきました。
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しかし、今回ばかりは違ったのです。チベット問題について「にわか」「流行」のライトユーザーといっていい私に、今回のデモは敷居の高さを感じさせない一種の気楽さを与えました。
ネット上での告知や2ちゃんねるの「大規模OFF」板における盛り上がり、また小道具の画像データupやネットプリントなど様々な下準備やアイデア提供などには、かつて辟易したような政治団体めいた気配は少しもなく、逆に「どうやらみんなが動き始めたらしい」という戦慄ともいえるような感覚を覚えました。「多数派意識」のニオイを感じた、ということなのかも知れません。
私自身は、長野における聖火リレーをめぐって群がり起こった事象に強く背中を押されたということもあります。ただネット上の盛り上がりも、私同様に背中を押された人たちによるものなのだと思います。
その意味では、時間・金銭・体力というコストを惜しむことなく、また危険に巻き込まれるかも知れないというリスク覚悟で長野に乗り込んだ有志のみなさんの行動こそが、差し当たっては全てのはじまりということになるでしょう。改めて、心から感謝と敬意を表したいと思います。有志であり勇士たる皆さんの行為が、日本人の背中を押したといっても過言ではないでしょう。
この長野での聖火リレーが行われた4月26日に呼応したものなのかどうかはともかく、同日に東京では「毒ギョーザに抗議するエプロンデモ」が実施されました。さほどの規模にもならないだろうと思ったこのデモに私も加わったのは、その趣旨が日本人の民意を代弁している(=「多数派意識」)と感じたからです。
さらに重要なことが、もう一点。
●注意事項とお願い●
中国の国民を侮辱する文言は使用しないでください。
チャンコロ、劣等国民、兇悪シナ人、死ね、うざい等、相手を侮辱したり露骨に差別したりする文言は禁止です。
平服+エプロンでお願いします。
日の丸鉢巻等、街宣ウヨク団体を思わせるような服や装身具はやめてください。
日章旗は小旗であれば可とします。
エプロンと共に、プラカードをご持参いただくのは大歓迎です。
こちらでも用意しますが、全ての方に行きわたる数は用意できません。
A3位からA1サイズのプラカードを作って、持参して頂ければ幸いです。
参加を決めたのは、また当ブログにてこのデモを推奨したのは、この文言からにじみ出ている感覚に、ライトユーザーとして、一人の小市民として安心感を覚えたからに他なりません。
そして、昨日行われたデモにも同じ気配を私は感じました。「長野」が日本人の背中を押してくれたことで、「FREE TIBET」の旗の下に様々な想いを込めた民意がまとまろうとしている。ねらーが常になく盛り上がっている。ネット上での主催者の告知も丁寧で念入りなものでした。それもまた有志によって、ビラの形で配布されたりしました。
安心感を与えてくれる敷居の低さに加え、「政府の姿勢に対する反発や怒りが国民の側に満ちあふれている」ことで「多数派意識」が醸成されつつあるという感覚。日本人が動き始めた、という気配のようなものを感じて、私もまた傍観者でなく、このデモに勇躍参加する気持ちになったのです。
……その結果は、冒頭に書いた通りです。日本にとって、まことに異質なデモが現出しました。
出発時間ギリギリに列の最後尾に並んだ私からは、すでに進発しているというグループの姿は見えません。それどころか、「遅刻組」が続々と私の後ろに列をなしていくのです。
その勢いともいえる人の流れを目の当たりにしつつ、デモの前に日本青年館で行われた集会に1000人以上が参加しているとの話から、私のような集会不参加組が合流することでデモの規模は3000人に達するかも知れないと感じました。
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ところが、それどころではなかったのです。デモ行進中に後方を振り返ると、隊列が延々と続いているだけで最後尾が確認できません。先頭グループも終始視認することができませんでした。
これは大変なことになった、と思いつつ、いつしか私はかつて味わったあの昂揚感に包まれていました。表参道に入って通行人の密度が濃くなると、沿道から拍手してくれたり、「いいぞっ」「頑張れよっ」と声をかけてくれたりしました。
「FREE TIBET!」
とデモ隊に唱和してくれる人までいます。ああ、同じだ、これは上海のときと同じだ。……と、しみじみと思いました。
「自分たちは民意を背負って政府に異議申し立てをしている」
という、「多数派意識」です。
途中で、意味不明な騒音をまき散らすばかりな右翼団体の街宣車の列とすれ違いました。私は右手を高く掲げて親指を下に向けて振り、この迷惑としかいいようがない連中に対し何度もブーイングを送りました。周囲にいた人も私に応じて同じ動作をしてくれました。うれしかったです。
終着点である代々木公園の野外音楽堂に着くと、すでに先発組が群衆をなし、たくさんの雪山獅子旗が揺れていました。東トルキスタンなど他の民族の旗も混じっています。
その列に加わり、解散式が始まりました。個人的にはちょっと冗漫なイベントになってしまったように感じましたが、その間にも続々と後発組が入ってくるのです。
「デモ参加者が4000人を超えた模様」
との報道陣からの情報に、会場は湧き立ちました。19年ぶりの昂揚感、そしてこれほどの人数での一体感というものに全身を包まれながら、私は様々なことに思いを馳せました。
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……とりとめもなく、ただ感じたことだけを記してしまいました。ちなみに今回のデモをはじめ当日に行われた趣旨をほぼ同じくする様々なイベントに対しては、中国外交部が報道官定例記者会見において、早くも不快感を表明しています。
● 秦剛就胡錦濤訪日、與達方面接觸、伊核等答問(新華網 2008/05/06/20:49)
http://news.xinhuanet.com/world/2008-05/06/content_8116964.htm
その不快感を引き出した記者の質問は、
「胡錦涛・国家主席が日本を訪問するにあたり、日本の少数の右翼分子が示威活動を行ったが、中国側の見解は?」
となっています。記者が実際にそう尋ねたのか、中国外交部が手を入れたのかはわかりませんが、「少数の右翼分子」と抗議活動の規模と主体を局限しつつも即時といっていい素早いタイミングでの不快感表明に、日本人の意思表示に対して中国当局が意外さ、あるいは些かの脅威を感じていることを読みとることができるのではないかと思います。
むろん、一連のデモを後押ししているサイレント・マジョリティを意識してのことでしょう。
だとすれば、これは外交部の失態ともいえる迂闊さといわざるを得ません。日本における民意の多数派がいかなるものであるかを、……特に「長野」が日本人の対中感情に無視できない変化をもたらしたことを、十分に読み切れなかったことになるからです。
一方ではわれらがフフン♪こと福田首相が中国毒餃子事件やチベット問題に対して示した姿勢に、日本国民がどういう感情を抱いたかという点についても研究が甘かったのでは?支持率の推移に留意していなかった訳でもないでしょうに、ねえ。
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ちなみに、この日の午前中は私にとって初体験の「小規模OFF」に参加してきました。
どういう人が来るのだろう、数人だけだったら困るな、オサーンで浮いちゃったら嫌だな、変な集まりに発展しちゃったらどうしよう。……などと事前にあれこれ考えて緊張していたのですが、記念に撮影させてもらったのが下の1枚。御覧の通り人数もほどよく集まり、終始和やかムードでとても楽しい思い出となりました。
主催者の方、行き届いた御手配ありがとうございました。午後のデモに関するビラは非常に重宝しました。改めて御礼申し上げます。
本当は昼食も皆さんと御一緒して色々なお話を聴きたかったのですが、そこはそれ、私は恒例の「御照覧あれ&零戦&海軍カレー独りだけOFF」がありましたので残念ながら離脱せざるを得ませんでした。m(__)m
午後のデモでは合流できませんでしたが、この「小規模OFF」では聖火リレーの際に長野へ行ったという若い方と歩きつつ雑談することができました。あなた方の行動があったからこそ、今回の異質なデモが成立したのです。現地で五星紅旗の波に圧倒された無念さと引き換えに、日本人の背中を押すという大きな役割を果たしたということを、どうか誇りに思って下さい。
【追記】頂いたコメントなどから、「多数派意識」なるものについての説明不足によって文意が伝わりにくくなっていることを思い、一部の表現を改めるとともに多少加筆しました。(2008/05/09/09:25)