日々是チナヲチ。
素人による中国観察。web上で集めたニュースに出鱈目な解釈を加えます。「中国は、ちょっとオシャレな北朝鮮 」(・∀・)





 かつて香港に『九十年代』という月刊政論誌があったことを御存知の方はいるでしょうか。

 同誌は大学時代(図書館に入っていました)以来、廃刊になるまでずっと私の愛読誌でした。編集長は香港の有名な政治評論系コラムニストであり、著名なチャイナウォッチャーでもある李怡氏。私が現地に住んでいたころは地元紙『明報』でもコラムを書いており、『九十年代』とともにその独特な観察と分析を堪能したものです。

 当時、政論誌では他にいまなお健在な『争鳴』や『開放』(いずれも月刊)も買っていました。あと通勤ルートが『香港文匯報』社屋前を通っていたので、毎日のように立ち寄っては『人民日報海外版』を買ったりしていたものです。加えて新聞スタンドでいくつかの新聞を購入。これらがチナヲチの資料となり、香港時代の私の余暇を充実させてくれました。

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 さて李怡氏ですが、その後『九十年代』に幕を引いたのと相前後して、香港における最大手紙の『蘋果日報』(Apple Daily)へと活躍の場を移し、同紙の名物コラムとして中国・香港・台湾に関する政治評論を連載、現在に至っています。私は『蘋果日報』(電子版)を購読しているのですが、「香港でいちばん売れている新聞」「反中的なスタンス」という理由もさることながら、李怡氏のコラム「李怡專欄」(※1)があるというのも大きな魅力です。

 その「李怡專欄」に最近(2月15日)、「道徳淪葬」(モラルハザード)という標題の一文が出ました。その文章の内容を紹介しつつ、香港の若い世代がこれにどういう反応を示したか、というのが今回の主題です。長くなりそうなのでどうやら前後半の2本立てになりそうです……と最初に言っておきます。

 では以下にその文章を。かなり端折っています。

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 ●李怡專欄:モラルハザード(『蘋果日報』2005/02/15)

 旧正月期間中、香港人にとって最も忌むべきニュースは、桂林と北京でそれぞれ発生した交通事故に、いずれも香港人が巻き込まれたことだろう。

 近年、内地(大陸=中共)の自動車販売は凄まじい急成長を遂げており、各省、各市は道路網の整備に力を入れている。しかし汚職の横行により多くの道路で手抜き工事が行われるため、路上の至る所にドライバーにとっての陥穽が存在している。加えて運転免許の濫発(湖南省の長沙では3000元払えば講習を受けなくても免許がもらえるという)、そして車のメンテナンス軽視、これらの全てが交通事故が頻発する原因となっている。

 もちろん、より重要なのは内地のドライバーの運転態度だ。内地で車に乗ったことのある人には常識だが、ドライバーが最も長じているのは、クラクションを鳴らすことと前の車を追い抜くこと。一方で歩行者や同乗者の安全に留意する意識は欠けているのが一般的だ。歩行者が道を渡るのを見れば車を停める、という外国でよく見られる光景なぞ、内地においてはおとぎ話に等しい。

 昨年のことだが、内地のある道路で1台の車が人を轢き殺し、死体はさらに後続車からも次々に轢かれてプレスされたようになり、「人間煎餅」になってしまった、という恐るべき事件があった。最初に人を轢いた車が被害者を顧みることなく走り去り、続いて現場に通りかかった1台1台の車も、みな何事もなかったかのように死者あるいは負傷者の体を轢き潰していったのである。何という世界だろう?これが人間の生活する場所なのか?西側の多くの国では、犬一匹、リス一匹をはねただけでも車を停めるというのに。

 内地のドライバーが際立って人でなしなのだとは思わない。私が懸念するのは、中華民族全体が、本来あるべき道徳と良心の崩壊の淵に立っているのではないかということだ。

 最近、北京の『経済観察報』主筆である許知辺氏の文章を読んだ。「未来の中国に対して最も心配なことは?」と彼は文中で問いかける。答は金融危機ではなく、三農(農村・農民・農業)問題でも、環境汚染でもない。「道徳と良心が徹底的に崩壊した結果を、中国は如何にして受け止めるべきか」なのである。

 1979年以来の中国の経済的発展は誰もが認めるところだ。だがこの発展は実質上、「少しも利己的でなく、ひたすら他人に尽くす」という不正常な超人的価値観を否定した代わりに、極端な利己主義の台頭を招くこととなった。競争原理によって経済発展を促進させる一方で、市場における弱肉強食という残酷な一面を全く規制することなくはびこらせてしまった。

 こうした金銭至上主義の残酷な力、そして政治面での全体主義という残酷な力、この両者が中国人の精神世界を挟み撃ちにしたのである。政治面での全体主義は権力崇拝を招き、虚言と欺瞞を作り出した。市場における金銭至上主義は、中国の伝統文化における優秀な一面など、いかなる無形の、しかし価値あるものをも否定した。上記2種類の力が結合することで、政財界の癒着、公私混同、汚職などが深刻化の一途をたどっている。

 元来、中国人の伝統的な精神文化は、世界でも稀な包容力に富んだものだった。歴史上、モンゴル人や満州人による侵略、あるいはイスラム教文化やユダヤ人の移入などに見舞われても、最後にはそれらを中華民族に同化させた。

 抗日戦争の時期、中国は現在に比べ遥かに貧しく後れていた。戦乱の中で人民は住む場所を失って流浪したが、どの地域へ流れても、そこに住む人々からは温かく迎えられたものだ。一切が権力と利益によって左右される現在、もし再び戦乱が発生するとすれば、人々の道徳や良心が失われたこの状態で、抗日戦争時のような「温かさ」を期待できるだろうか?

 いま香港では民政事務局によって、特定のニュース番組が始まる前の時間帯に中国国歌を流すことが強制されている。「中華民族到了最危險的時候」(中華民族は最も危険なときを迎えた)という部分を聞くたびに、私はその歌詞に深い共鳴を覚えるのだ。道徳と精神文化についてみれば、中華民族はまさに最も危険なときを迎えている。ひとりひとりが利己的に、ただ私欲を満たそうと獣のような叫び声を発しているからだ。誰もがみな他人の血と肉を以て自らの宮殿を建てようとしている。上に掲げた歌詞がそういう状況を映し出していると考えてみれば、これほど現実に適したものはないだろう。(完)

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 イスラム教?ユダヤ人?それに「戦乱」は全て日本との戦いによって起きたものか?などツッコミたい部分もあるでしょうが、枝葉末節は流してやって下さい。とりあえず、同じチャイニーズ、しかも陸続きでありながら、香港人は大陸の中国人に対し外国人ないしは別人種に等しい違和感、異質さを感じていることがわかるかと思います。

 李怡氏は文化大革命の中核を担った紅衛兵世代ですが、これを読んだ若い世代(たぶん中学生から20代後半)はどういう反応を示したか、これを後半で某BBSの某スレを引用しつつ、眺めていきたいと思います。

 という訳で、とりあえずハーフタイムです。
(「下」に続く)


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 【※1】ちなみに日本でもそうですが、「李怡專欄」のようにコラム名に筆者の名をそのまま掲げるというのは「有名ブランド」であり、掲載誌の売りのひとつであることの証です。コラム自体に別の名前がついていても、読者が筆者の名前で「××專欄」と呼びならわすことがあります。これも名物コラムであることの証明であり、コラムニストの勲章といえるでしょう。


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