「はたらいているんだ うれしいよ」「この街で暮らしたい」。川越市の障害者支援施設「川越いもの子作業所」の施設長大畠宗宏さん(60)は、作業所で働いたり、グループホームで共同生活したりする障害者たちの気持ちを表現した歌三十曲以上を作詞・作曲。毎年春の「春一番コンサート」や夏のチャリティーコンサートで、入所者とつくるバンド「IMO(アイエムオー)楽団」で披露して喝采を浴びている。
いもの子作業所を運営する社会福祉法人「皆の郷」は、七つのグループホームや六カ所の作業所・福祉の店などを持ち、約二百人の障害者が働いている。もとは重度障害児を持つ母親たち数人の運動からスタートした。
三十年以上前、重度障害児を受け入れてくれる作業所はなかった。現理事長の町田初枝さんら母親たちは、特別支援学校の高等部を卒業すると行き場がなくなる子どもたちの作業所を、自分たちでつくろうと奔走。当時、東京国際大の学生だった大畠さんも、ボランティア活動を通じて仲間に加わっていた。大畠さんはこのころからギターで曲を作り、子どもたちと歌っていた。
大畠さんの歌には、三十年以上にわたる「いもの子」の歩みが、そのまま重なる。町田さんたちは一九八七年四月、無認可の小規模作業所の開設にこぎ着けた。職員は大畠さんら三人で、利用者は六人。「誰も作業所の経験がなく、手探りで木工やアルミ缶・新聞回収を始めた」と大畠さん。利用者の一人に「民(たみ)さん」がいた。行き場のなかった民さんが張り切ってリヤカーを引く姿を見て「はたらいているんだ うれしいよ」の曲が生まれた。
作業所はできたが、親たちは高齢化していく。通って働くだけでなく、住む場所がほしい。こうした願いから生まれたのが「この街で暮らしたい」だった。
<このまちでくらしたい ははのいるこのまちで>
やがて念願のグループホームや入所施設ができ「この街で暮らしたい」のアンサーソングとして「川越 ここが私の街」が生まれた。グループホームで仲間と共同生活をしながら、作業所で働く利用者たち。作業所で作ったパンやクッキーを元気のよい声で売り、固定ファンのできた利用者。大畠さんの歌には、それぞれモデルになった利用者がいる。
「彼らを見ていると、私の中でストーリーが生まれるんです。利用者から『今度は私の歌をつくって』とよく言われます」と笑顔を見せた。
<おおはた・むねひろ> 1958年、長崎県厳原町(現対馬市)生まれ。川越市障害者福祉施設連絡協議会の会長も務める。施設長の仕事をこなしながら、新しい作業所の開設準備に飛び回る毎日。30日、歌手のMay J.さん、村上佳佑さんを招いてウェスタ川越で開く第31回チャリティーコンサートに向けて、新曲を作曲中。
「彼らの生き方が私の中でストーリーになって歌になる」と話す大畠さん
2018年6月4日 東京新聞
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます