3人の命が奪われた神奈川県綾瀬市の知的障害者施設「ハイムひまわり」の放火事件から4カ月余。建物の所有者で元施設世話人の志村桂子容疑者(64)が現住建造物等放火罪で起訴された。事件の背後に「奉仕の心」を全うできなかった志村被告の挫折が浮かぶ。
亡くなった入居者の一人、磯崎昭さん(当時57歳)の兄政洋さん宅に1枚のちぎり絵が残る。色鉛筆で塗ったカラフルな絵を見ながら、政洋さんは「昭が、こんな絵を描けたなんて驚いた」と話した。
昭さんは幼少時、発達に障害があるダウン症と診断された。ハイムには94年8月の開設当初から入居、平日は社会福祉法人「聖音会」(鎌倉市、小原勉理事長)が運営する知的障害者施設「綾瀬ホーム」でプラスチック製の持ち手を紙袋につける作業に従事した。
遺作の絵は、昭さんの告別式式次第の表紙にも使われた。司式を務めた鈴木伸治牧師(69)は「明るく、誰からも愛された昭さんの人生は、神から示された愛に生きたと思う」と語り、聖書のことばを贈った。
「神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます」
■
「ハイムひまわり」は、志村被告が自らの資金で、自宅の隣に建設した。動機は、クリスチャンだったことが大きい。
10代に相次いで両親を亡くし、自宅が建つ土地約1000平方メートルを相続した志村被告は、資金として自宅建物と土地を担保に4000万円を借りた。キリスト教系の「聖音会」に知的障害者グループホームとケアホームとして賃貸した。自ら「人の役に立ちたい」と申し出たという。
年齢40歳ぐらいより上を対象に定員は7人。綾瀬ホームの佐竹敬園長が施設長を兼任していたが、障害者のみで生活する施設のため、当初は志村被告は世話人として食事の支度をしていた。
友人の女性(60)は3年前の夏、ハイムの食堂で料理をごちそうになった。「志村さん、志村さん」。入居者の女性が志村被告について歩き、離れなかった。しかし一昨年春再訪すると、同じ入居者が「志村さんはいない」と玄関を閉め、ちょうどハイム前の庭に来た志村被告に「お前の来るところじゃない」と大声を出していたのを覚えている。志村被告が世話人をやめたのはこのころだ。
志村被告は90年ごろから精神的に波があり、入居者用の夕食を作らない日もあったという。綾瀬ホーム側は00年から報酬や家賃を減額し、ぎくしゃくしていたのは事実のようだ。
「園長や入居者と折り合いが悪くなった。火をつけてなくしてしまいたかった」と供述しているという志村被告。「思い当たることはない」とする施設側。言い分は食い違う。
■
終戦後、連合国軍総司令部のマッカーサー最高司令官が降り立ち、米軍厚木基地が市面積の2割を占める綾瀬市は、大都市のベッドタウンとして発展、ハイムも、住宅密集地にあった。
ハイムの入所者は朝夕、近くの公園を散歩し、近所の人たちとあいさつを交わした。町内会の盆踊りでは、志村被告らと一緒に、子供たちに交じって踊った。
だが、周辺を歩くと、入居者と普段の付き合いがあったという人は少ない。ハイムに出入りしていた女性(64)でも「3人が亡くなりかわいそうだと思うが、ハイムがなくなっても地域に影響はない」と話し、微妙な距離感をにじませた。
■
3人の子供を育て上げ、国際交流にも熱心だった志村被告は、自宅前で服や筆記用具の寄付を募り、訪問先のカンボジアでは孤児らに布からスカートやズボンを縫ってあげたりしていた。事件5日後の6月7日には、数カ月の予定でブラジルへ出発することになっており、知人には「老人施設でボランティアをする」と話していたという。
かつては、亡くなった磯崎昭さんら入所者と一緒に鈴木牧師の訪問を受けてハイムでの礼拝もしていた。
昭さんの告別式で鈴木牧師が読んだのは、「ヨハネの手紙」の4章「神は愛」(7~21節)の一部だが、読まれなかった部分にこんな一節がある。
「『神を愛している』と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です」
現在、神奈川県警の留置場で過ごす志村被告の元には、家族から聖書が届けられているという。
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■ことば
◇ハイムひまわり放火事件
起訴状によると、志村被告は6月2日午前2時すぎ、ハイムひまわりの1階物置に火を放ち木造2階建て施設約320平方メートルを全焼させた。入居者7人のうち男女計3人が亡くなり男性1人が重傷。県警は殺人と現住建造物等放火容疑で逮捕。横浜地検は、鑑定留置の結果「刑事責任は問える」と判断し10月3日に起訴したが、殺人罪については「殺意があったか疑問」と不起訴とした。
亡くなった入居者の一人、磯崎昭さん(当時57歳)の兄政洋さん宅に1枚のちぎり絵が残る。色鉛筆で塗ったカラフルな絵を見ながら、政洋さんは「昭が、こんな絵を描けたなんて驚いた」と話した。
昭さんは幼少時、発達に障害があるダウン症と診断された。ハイムには94年8月の開設当初から入居、平日は社会福祉法人「聖音会」(鎌倉市、小原勉理事長)が運営する知的障害者施設「綾瀬ホーム」でプラスチック製の持ち手を紙袋につける作業に従事した。
遺作の絵は、昭さんの告別式式次第の表紙にも使われた。司式を務めた鈴木伸治牧師(69)は「明るく、誰からも愛された昭さんの人生は、神から示された愛に生きたと思う」と語り、聖書のことばを贈った。
「神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます」
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「ハイムひまわり」は、志村被告が自らの資金で、自宅の隣に建設した。動機は、クリスチャンだったことが大きい。
10代に相次いで両親を亡くし、自宅が建つ土地約1000平方メートルを相続した志村被告は、資金として自宅建物と土地を担保に4000万円を借りた。キリスト教系の「聖音会」に知的障害者グループホームとケアホームとして賃貸した。自ら「人の役に立ちたい」と申し出たという。
年齢40歳ぐらいより上を対象に定員は7人。綾瀬ホームの佐竹敬園長が施設長を兼任していたが、障害者のみで生活する施設のため、当初は志村被告は世話人として食事の支度をしていた。
友人の女性(60)は3年前の夏、ハイムの食堂で料理をごちそうになった。「志村さん、志村さん」。入居者の女性が志村被告について歩き、離れなかった。しかし一昨年春再訪すると、同じ入居者が「志村さんはいない」と玄関を閉め、ちょうどハイム前の庭に来た志村被告に「お前の来るところじゃない」と大声を出していたのを覚えている。志村被告が世話人をやめたのはこのころだ。
志村被告は90年ごろから精神的に波があり、入居者用の夕食を作らない日もあったという。綾瀬ホーム側は00年から報酬や家賃を減額し、ぎくしゃくしていたのは事実のようだ。
「園長や入居者と折り合いが悪くなった。火をつけてなくしてしまいたかった」と供述しているという志村被告。「思い当たることはない」とする施設側。言い分は食い違う。
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終戦後、連合国軍総司令部のマッカーサー最高司令官が降り立ち、米軍厚木基地が市面積の2割を占める綾瀬市は、大都市のベッドタウンとして発展、ハイムも、住宅密集地にあった。
ハイムの入所者は朝夕、近くの公園を散歩し、近所の人たちとあいさつを交わした。町内会の盆踊りでは、志村被告らと一緒に、子供たちに交じって踊った。
だが、周辺を歩くと、入居者と普段の付き合いがあったという人は少ない。ハイムに出入りしていた女性(64)でも「3人が亡くなりかわいそうだと思うが、ハイムがなくなっても地域に影響はない」と話し、微妙な距離感をにじませた。
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3人の子供を育て上げ、国際交流にも熱心だった志村被告は、自宅前で服や筆記用具の寄付を募り、訪問先のカンボジアでは孤児らに布からスカートやズボンを縫ってあげたりしていた。事件5日後の6月7日には、数カ月の予定でブラジルへ出発することになっており、知人には「老人施設でボランティアをする」と話していたという。
かつては、亡くなった磯崎昭さんら入所者と一緒に鈴木牧師の訪問を受けてハイムでの礼拝もしていた。
昭さんの告別式で鈴木牧師が読んだのは、「ヨハネの手紙」の4章「神は愛」(7~21節)の一部だが、読まれなかった部分にこんな一節がある。
「『神を愛している』と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です」
現在、神奈川県警の留置場で過ごす志村被告の元には、家族から聖書が届けられているという。
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■ことば
◇ハイムひまわり放火事件
起訴状によると、志村被告は6月2日午前2時すぎ、ハイムひまわりの1階物置に火を放ち木造2階建て施設約320平方メートルを全焼させた。入居者7人のうち男女計3人が亡くなり男性1人が重傷。県警は殺人と現住建造物等放火容疑で逮捕。横浜地検は、鑑定留置の結果「刑事責任は問える」と判断し10月3日に起訴したが、殺人罪については「殺意があったか疑問」と不起訴とした。
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