ゴエモンのつぶやき

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制度が知られていない現状をどう読むか

2009年09月24日 00時55分08秒 | 障害者の自立
――法律・制度が本当に利用者のためにあるのか――

 この文章は「国際障害者年を機に「障害」社会の自立と完全参加をめざす豊中市民会議」の機関誌「夢のひきだし」(第12号、2009年02月発行)に「制度情報の不足と言う前に」として書いたものである。私が書いたものであるから、他の文章とも重なるが、ここに掲載する。機関誌には「ふりがな」をつけている(私はふりがなをつける意味が分からないが)が、ここに掲載するにあたって省略する。

■ 制度が準備されているから、自分で申請できるかというと・・・
 行政(中央政府や府県や市町村)には、いろいろな制度が準備されている。それらを利用すれば、便利で快適な生活が営まれるという。ただ問題は多くの制度は住民に十分に使われていないという。

 行政が準備していた制度などが、使われていないというときの、いくつかの要因を取りあげてみたい。行政からは、広報が不足しているとみがちだ。住民である利用者の視点からいうと、一般に行政の広報量が足りないのではない。その情報を必要としている人に、的確に理解できるように届いていないことが問題である。

 届いてはいるが、本人や家族が理解できない場合もある。情報を必要としている人に届くためには、そこにある情報を本人に理解してもらう必要がある。行政用語で、しかも、漢字が多く使われている書類などは、そのままで理解可能だろうか。本人が友人・知人や関係団体の誰か詳しい人が、読み取りやすいように制度の説明をするなど援助を必要とする場合もある。

 行政に申請をするときに、本人が圧倒されて、きちんと自分の事情や希望などを伝えることができない場合もある。行政のハードルが高すぎる場合もあるだろう。自分の窮状をいろいろな立場の人になんども説明しなおす過程で、説明もあやふやになる場合もある。難しいものだ。その時にも、友人・知人や関係団体の人が支えてくれると、申請に勇気をもつころができるともいえる。

 あるいは、住民が行政に申請するときに、自分の都合がつく時間帯は、行政では常の勤務時間外の夜間や土日などの場合もありうる。その場合は制度を利用しようとしても申請ができないことになってしまう。

■ 制度自体に限界がある場合もある
 だれでも制度を利用できると思っていたが、制度の趣旨が狭く限定されていることもありうる。さらには制度に付けられた所得制限などの受給資格が厳しくて、基準をわかずでも超えているために、該当しないという場合もあるだろう。そうした受給のための資格や制限がある場合には、制度自体が有効に機能していないともいえる。資格や条件には合理的な制限である場合であるが、なんのために設けられたか理解できない場合もあるだろう。

 あまりにも制度利用に厳しい条件がついている場合も、あるいは多くの利用者があふれている場合などでも、制度を利用すること自体を諦めてしまう人も多いだろう。諦めた場合は、統計には出てこない場合も多い。行政が翌年度の予算を確保しようとしても、制度利用を諦めてしまった人の数は埋もれてしまう。その結果、いつまでたっても、行政が準備するサービス量は増えないことになってしまう。

 あるいは、制度そのものが、本当に生活に困っている人の役に立たないことも考えてみる必要がある。制度はたしかに準備されているし、予算もついている。その施策は実際には生活を改善する効果がない場合もある。広報不足と片付けてしまう以前に、そうした根本的な見直しをする必要もある。

大谷強のコメントより


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