【パラリンピック卓球代表・別所キミヱさん68歳(5完)】
リオデジャネイロ・パラリンピックの日本選手団の中で最年長だった卓球代表の別所キミヱさん(68)にファッションへのこだわりや、4年後の「東京」への思いを聞いた。(聞き手・丸山和郎)
--4年後には東京パラリンピックが開催されます。1964年の東京五輪って覚えてますか
別所 バレーボールを見たのをすごく覚えています。東洋の魔女。あのときは高校1年で、学校に白黒テレビがあって見せてもらいました。
--まだリオデジャネイロ・パラリンピックが終わったばかりですが、自身の4年後への意欲ってどうですか
別所 今は“なぞなぞ”です。
--まだ決めていない?
別所 コーチとかお金とかいろんな問題があるでしょ。移動にも時間がかかるので、家族も交通事故を心配するんですよ。
--2人の息子さんはどんな反応ですか
別所 次男は「おかん、好きなときにやったらいいやん」と言うんですけど、長男は「そこまでやったらええやろう。若いと思っとるやろうけど、年いっとるねんから」って(笑)。だから、川の流れに沿っていこうかなと思ってます。
--今後の大会出場も未定ですか
別所 再来年の世界選手権に出るには、(ポイントを獲得するために)海外に3大会ぐらい行かないといけないんです。行く限りは勝たないといけないから、練習もしないといけないし。年内は(選手発掘事業の)イベントもたくさんあって、やるべきことをクリアしてからですね。
--卓球には携わっていきますよね
別所 もちろん、もちろん。卓球は好きなので体ができる限りは、永遠に続けたいと思ってます。自分が経験してきたことも伝えていって、若い選手には卓球だけじゃなく、人間とのかかわりを大事にしてほしいなあと思いますね。
--世界ともどんどん交流を深めてほしいということですね
別所 関西弁って外国でも通じますよ。私は関西弁大好きやから、1時間でも関西弁で会話してます。それが特技でね。表情見たら分かるんだと思います。だから、楽しいです。
--東京パラリンピックが決まってから、障害者スポーツのイメージが明るくなってきています
別所 私は国民の皆さんの理解だと思うんですよね。いくら選手が頑張っても、応援に来てもらわないと寂しいですもん。テレビで見てもらうより、会場に足を運んでほしい。障害者って暗いイメージがあると思うんですけど、そうじゃないよっていうのをアピールしていかないといけないですね。
--実際に国内大会で応援が増えてきている実感はありますか
別所 国内はまだ少ないですね。選手一人ひとりがPRして、伝えていくしかないです。本当はパラリンピックが先で、五輪が後の方が注目されると思うんですけど、(東京大会の)開催日は決まっちゃってるんで、ゆくゆくはそうなってほしいなと。
--メディアの注目は高まってきています
別所 障害者スポーツも(健常者と)同じ目線で見てほしいなと思います。同じ人間ですもん。だから私も、もっともっと派手に生きて、もっともっと羽ばたいていきたいと思ってます。
べっしょ・きみえ 1947年12月8日生まれ、広島県出身。現在は兵庫県明石市在住。42歳のときに「仙骨巨細胞腫」を発症した影響で、両足が不自由となり、車いす生活となる。45歳で障害者卓球に出合い、パラリンピックには2004年アテネ大会から4大会連続で出場。兵庫県立障害者スポーツ交流館所属。家族は息子2人、孫3人。
天井サーブを披露する別所キミヱさん
2016.11.11 産経ニュース