ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

龍大生2年・堀井聡太さん、日本代表に 俊足が武器 きょう国際大会開幕

2018年04月24日 10時20分05秒 | 障害者の自立

 23日に韓国・昌原(チャンウォン)市で開幕する聴覚障害者のサッカー競技大会「第4回アジア太平洋ろう者サッカー選手権大会」で、龍谷大理工学部2年の堀井聡太さん(19)=城陽市=が日本代表として初出場する。守備がメインのサイドバックで50メートル6秒の俊足と持久力が武器だ。同大会は2年後に控えたデフサッカー(ろう者サッカー)ワールドカップのアジア予選にあたり、堀井さんは「焦ることなくチームに貢献し、優勝を目指したい」と意気込む。【国本ようこ】

 

 堀井さんは2歳の時に「感音性難聴」と診断された。「1時(いちじ)」と「7時(しちじ)」が同じに聞こえたり、「かぼちゃ」が「彼女」に聞こえたりする。補聴器を外すと、ほとんど言葉が聞きとれない。普段は相手の口の形を読み取る「口話法」で会話する。

 6、7歳の頃、テレビでサッカーのイングランド・プレミアリーグを見て、自分もやってみたいと思った。だが、「聞こえないことで仲間外れにされたらどうしよう」との不安もあり、まずは小さなコートでプレーするフットサルを小学2年で始めた。

 順調に練習に参加していたが、サッカーへの憧れは消えず、小学5年の時に父の浩さん(55)に相談。「障害があるからできないということはない。後悔しないよう、今やりなさい」と背中を押され、地元のクラブチームに入った。

補聴器付けても風切り音が邪魔

 しかし、進学した東山高のサッカー部で試練が待っていた。同校はサッカーの強豪校で練習は厳しく、少しのミスも許されない。堀井さんは補聴器をつけても走っていると風の音しか聞こえず、パスを求める味方の声に気付かずチャンスを逃すこともあった。「毎日文句を言われた。聞こえないことを説明しても、『補聴器をつけているんだから絶対うそだ』『聞こうとしていないからだ』と信じてもらえなかった」という。

 だが、コミュニケーションがうまくいかなかった原因は自分の側にもあった。中学までは周囲が聴覚障害を知っていてくれたため自分から詳しく説明する必要はなかったが、高校でも同じように済ませていたのだ。「最初に障害のことを自分からしっかり説明し、理解してもらうべきだった」と堀井さんは振り返る。

 龍谷大では入部当初から積極的に周りに話しかけた。実際の会話を通じて、どういった時に聞こえづらいかを知ってもらった。今のチームメートは堀井さんの動きを見て空いたスペースをカバーし、セットプレーなどで近付いた時に直接会話で意思を伝える。

意思疎通のため1年で手話習得

 東山高でも一緒にプレーした主将の宮本瑠威さん(21)は「彼は全力で練習に取り組み、サッカーに対する姿勢は部内一。運動量が豊富でスピードもずばぬけており、サイドから1人で仕掛けていけるのが持ち味」と評する。

 デフサッカーは昨年4月に始めた。試合では補聴器を外す規則があり、意思疎通は主にアイコンタクトと手話で行う。大学の手話サークルで1年かけて手話を習得した。当初は目を合わさないとパスが来ないことにいらだったこともあったが、今は「同じ障害の仲間。一緒に頑張りたい」との気持ちが強い。

 将来の夢はプロサッカー選手。まずはデフサッカーのワールドカップ本戦出場、さらに21年のデフリンピックへの出場を目指す。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿