ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

思い共有これからも 湖国いのちの風景(2)

2012年01月04日 02時04分30秒 | 障害者の自立
◆聴覚障害の夫婦 天国の妻に手紙

 「美恵へ 元気にしてるかい。天国ってどんな所だろうね。天国にもコスモス咲いているのかい。娘たちは大学で頑張っているよ。どちらも美恵に似ていると最近、周りからよく言われるんだ」

 コスモスが好きだった藤谷美恵さん(湖南市)は2009年3月7日、乳がんの転移で、47歳で亡くなった。夫の一夫さん(59)は最近落ち着きを取り戻し、久しぶりに手紙をしたためた。あて先は天国-。

 夫婦はともに生まれつき耳が聞こえない。恋人時代は手紙を書き合った。電話と違い反応がすぐ返ってこなかったが、「互いが、今どんな思いかと常に考えていた」。

 美恵さんは、聴覚障害者協会では知られた水泳選手。「水の中では健常者とほぼ同条件」と打ち込んだ。

 05年春、左胸にしこりがあることに気づく。念願だった全国障害者スポーツ大会の選考会が近づいていた。受診を勧められても「もう少し待って」。10月の大会後に受診し、一夫さんは医師から告げられた。「がんの転移が見られます」


生前の美恵さんを手話で語る藤谷一夫さん=草津市の県立聴覚障害者センターで


 家族会議の末、「お母さんのままでいてほしい」と、本人に伝えなかった。「もっと早く受診させていれば」との思いもよぎったが、「美恵の生きたいように生きてほしい」との思いが勝った。

 1年半は何ごともなく、美恵さんは湖南市会計課の業務に励み、水泳も続けた。「不死鳥のように復活して、多くの人を勇気づけたいの」。全国大会では、100メートルメドレーなどで大会新で優勝。二つのメダルを抱えて「忘れられないスマイル」で帰ってきた。

 しかし、抗がん剤で髪は抜け、「ペコちゃん」と呼ばれていた面影は見る影もなくやせていく。

 ある夜、台所のテーブルに突っ伏し、肩を振るわせた。電灯をつけない台所で、一夫さんと向き合った。震えながらの手話が闇に動く。「私、治るよね」。一夫さんは指先に力を込めた手話で返した。「信じよう」。手話と手話の間、指の関節の動きから思いが痛いほど届いた。

 「おいしい」「楽しい」。手話は単語だけとなり、途絶えがちになる。小さな口の動きが、命の証し。一夫さんは片時も離れず、口の動きを追い続けたが、最後は昏睡(こんすい)状態の末、静かに息を引き取る。

 新婚時代に「あなたの死に顔は絶対に見たくないわ」とおどけた美恵さん。「その通りになったな」。一夫さんは妻の穏やかな死に顔になぜか、ふっと笑みがこぼれた。

 葬儀の日。棺おけを閉じる時、一夫さんは思わず歩み寄った。「待って、待ってくれ。あと少しだけ」。声になったのかは、分からない。最後に伝えたかった。「美恵、苦しかったな。よう頑張ってくれたな」

 亡くなる6日前、美恵さんは朦朧(もうろう)とした意識の中で、長女の高校の卒業式に出たいとせがむ。「かなえてやりたい」と頼みこみ、外出許可を得る。その帰り、家族写真を撮った。

 美恵さんが前を向き、ほほ笑む。本人はその写真を見ることなく旅立ったが、一夫さんが天国の美恵さんに語りかける「窓」となった。「今日は寒い日だった」「美恵の手作りパンが久しぶりに食べたい」。言葉が途切れることはない。

 命は目に見えない。つかめない。だけど体がこの世から消えた瞬間、「美恵の命は僕の中に宿った。“心の命”になってまた生き続けている」

 天国の美恵さんにあてたラブレターはこう結ばれる。「天国で会ったら心ゆくまで話そうな。ぼくと美恵は、今もしっかりと、ちゃんとつながっているよ」 


最後の家族写真。藤谷一夫さんが美恵さんと話す天国への「窓」になっている

2012年1月3日   中日新聞


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3 コメント

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一緒に戦った仲間 (原 寛一)
2015-08-05 18:38:35
藤谷一夫、美恵夫妻の友達です。読んで泣きました。フェィスブックにシェアしたいのでよろしくお願いいたします。
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ご無沙汰してます。 (みゆきです。)
2018-04-13 10:05:48
何となく一夫さんの名前を打ち込みさたら、見つけました。元気にしてますか。私達も、置かれた場所で、ほそぼそ、咲いてます。兄ともなんとか連絡取れてます。
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ご無沙汰してます。 (みゆきです。)
2018-04-13 10:06:26
何となく一夫さんの名前を打ち込みさたら、見つけました。元気にしてますか。私達も、置かれた場所で、ほそぼそ、咲いてます。兄ともなんとか連絡取れてます。
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