コメディアンにしてジャーナリストであるステラ・ヤング。先天的な障害を持ち、車椅子で生活する彼女がTEDでスピーチした内容が、話題を集めている。
彼女が障害を考える上で、大切なことは3つあるという。それは「障害があるからと言って特別ではないこと」「他の人と同じように、身体を使いこなしていること」「障害を『感動ストーリー』として消費しないこと」。
1.障害があるからと言って、特別ではない ただ生きているだけで、何かを達成しているかのように扱うことは、逆に障害がある人のできることを低く見積もりすぎている。 2.身体の限界と付き合うことは、他の人も同じ もちろん障害があることは大変だけれど、努力して何かをできるようにしたり、身体の限界と付き合うという意味では他の人となんら変わらない。 3.障害は、あなたに感動を提供するモノではない 障害がある人は、何か感動的な話をする存在だと思われている。障害がない人を安心させるために、感動を提供する見せ物として利用されている。
私はビクトリア州の小さな町で生まれた、ごくごく普通の子供でした。学校に行って、友達と遊んで、妹と喧嘩して。そんな感じで15歳になったある日、町の人が私を表彰したい、と両親に言ってきたのです。両親は言いました。
それは確かに素晴らしいですね。でもひとつ問題があります・・・うちの娘は、全く何もしていないのですが。
実際その通りでした。普通に過ごしていただけなのですから。
私はただ座って人気のドラマを見ているだけで、「何かを達成した」と思われないような世界を作りたいと思っています。
身体を使いこなさなくてはいけないのは、他の人も同じ
確かに障害があることは大変です。でも私はずっとこの身体で生きてきました。
よく、手がない女の子が筆を口に咥えて絵を描いているのを見て、感動する人がいます。
片足がない人が泳いで、 「悪い習慣こそが、人生の障害だ」。
足のない男の子がバスケットボールを車椅子で行って、 「言い訳は無用だ」。
というようなコマーシャルや、写真が良く出ています。
彼ら彼女たちは、特別なことをしているのではありません。ただ自分の身体をうまく使いこなそうとしているだけです。それは障害がない人だって同じはずです。
障害はあなたに感動を提供する見せ物ではない
以前大学で法律の授業を担当していたときに、こんなことを言う生徒がいました。
先生、感動する話はいつはじまるんですか?
彼は車椅子の人が出てくると、何か感動する話をするものだと思い込んでいたのです。これは彼が悪いのではありません。社会全体の問題です。
障害がある人を見て感動するのは、見せ物と同じです。ある人の快楽のために、他の人をモノとして扱うからです。
障害がある人を感動を提供して消費しない世界を、私は望みます。
障害がある人、ない人、そして社会をどのように作るかについて、深く考えさせられるスピーチだ。他人を「見せ物」として消費してはいないか。もう一度胸に手を当てて考えてみよう。