きまぐれストロール

植物、風景などを主として

伊勢街道(伊勢鉄道・鈴鹿駅~白子駅)

2013年08月03日 05時55分24秒 | Weblog

7月27日曇り、歴史街道を歩く会の7月の例会で伊勢街道(鈴鹿駅から白子駅)まで歩いてまいりました。

道中、四日市市へ向かう中、渋滞に巻き込まれ、予定より30分ほどの遅れとなりました。 これも織り込み

済みでしたので、それほどの影響はなく予定通りの行程をこなすことができました。  また、行程の1部で

彌都加伎神社~菅原社間は大きな工場などで何もなく省略しました。 蒸し暑い時期でしたが、曇空の

おかげで、全行程を難なく消化することができました。

                         旧伊勢街道に沿って歩く

 

     伊勢鉄道・鈴鹿駅からスタート                           宇気比神社

                      

                                山ノ神

                       この付近だけで3ヶ所ほどありましたが

                       どの山ノ神の前にも鳥居がありました。

                          伊勢街道に沿って歩く

 

             表忠碑                                正信寺

                                                真宗 高田派

                          

                                             弥都加伎神社

          主な祭神 大土御祖神・土之御祖神・植安比賣神  

                      旧伊勢街道に沿って歩く

               

           菅原社                                                             老農彰功碑

        祭神  菅原道真公                                  水原政次翁は近郷や県下の農業者に米作技法

                                                                     など啓発指導した。 

                      旧伊勢街道に沿って歩く

  

                北の端の地蔵                                         役行者神変大菩薩                        

 この地蔵は、今より800年前の鎌倉時代に作られたもので 17歳の時に元興寺で孔雀明王の呪法を学んだ。

 石造本体周囲に六体の菩薩が刻まれている。六体とは    その後、葛城山で山岳修行を行い熊野や大峰の

 六体とは五体の優世(うれいよ)に六道(地獄・餓鬼・畜生   の山々で修行を重ね吉野で金剛蔵王大権現を  

修羅・人間・天上)に迷う衆生を救う六分身をあらわす。     会得し、修験道の基礎を築いた。                        

  

          絵島若宮八幡神社                                               絵島陣屋跡

この神社には、江戸時代承応元年(1652)ごろからの        ここ絵島は、江戸時代初期までは天領であったが

絵馬が120余面があり、三重県民俗資料指定文化財         その後、紀州藩旗本の領地となり享保年中には小笠原

となっている。 これらの絵馬は白子廻船業者が渡航安全     肥前守の知行地となり、この地に陣屋が建てられた。

商売繁盛を祈願して奉納したもので図柄には七福神・武者    又明治2年3月には明治天皇が伊勢参拝の帰路この

馬などのほか町絵図廻船図などあり、当時の白子の町や港   陣屋で小休止された。

の様子が偲ばれる。

                                                                                                                                                                                        

   安濃津治安裁判所・登記所・法務局跡               體用山青龍寺・真宗高田派 

明治時代になって、私有財産権が認められ、住民の

土地田畑等の所有権を公に登記する必要な行政機関

として国内各地にその役所がおかれた。これが治安裁

判所であり、白子地区にも明治21年(1888)10月に

設置された。現在この役所は神戸1丁目24に、津地方

法務局鈴鹿出張所となっている。 

 

             高札場跡                           旧河芸郡役所跡

 高札は幕府や諸藩で行われ幕府の正札は正高札   明治時代、県政がしかれた後、この地に明治26年

といい、キリシタン札、徒党札、人馬賃銭札、浦高札  (1893)4月18日白子住民の力で河芸郡役所が新築

など内容によって、それぞれ呼び名があった。      設置された。この郡役所はそれから30年後の大正12年

                                   (1962)4月には軍制廃止により役所の機能を失くした。

                     

                                近鉄中川線白子駅