きまぐれストロール

植物、風景などを主として

東海道・「蒲原~間宿岩淵~間宿本市場」を歩く

2014年03月04日 07時25分23秒 | Weblog

 2月22日(土)晴、「歴史街道を歩く」会の2月の例会で、東海道・「蒲原宿~間宿・岩淵及び本市場」間を

歩いてまいりました。(下図のA点「JR蒲原駅」からB点「富士市フィランセ」まで)

蒲原宿をあるいて、江戸時代当時のままの道幅や、鉤の手及び枡形のつくりも見られました。 そして

海鼠壁といった民家などがところどころ現存しており、江戸時代の街道の特徴が非常に良く残されていました。

歴史が薫る、古き良き建物を巡って楽しんでまいりました。 なお、富士川橋より眺める富士山はとっても

綺麗だと聞いていましたが、当日は雲がかかって何も見えませんでした。

 

概略工程図 :中央道小牧東IC→東名・清水東→JR蒲原駅から徒歩→蒲原宿西木戸→蒲原一里塚

バス移動(約3.3km)→富士川まちづくりセンター→富士川渡船場跡→雁(カリガネ)堤

→バス移動「(約2km)→金正禅寺→本市場一里塚→富士市フィランセ→新東名・新富士IC→中央道小牧東IC

         

          JR蒲原駅(スタート地点)                        蒲原宿・西木戸

                  

                             西木戸・茄子屋の辻 

    

              

                                  

                           美しい格子戸の家(増田家)

    

                            現地の説明板

 

      志田邸・東海道町民生活歴史館                    旧五十嵐歯科医院

志田家は屋号は「やまろく」と称し、江戸時代、米、塩   大正時代に町家を洋風に改築した建物です。外観は

を商い、後に醤油の醸造を行っていました。         洋風、内側は和風で擬洋風建築とよばれています。

現在の建物は安政の大地震(1854)後に立て直され  歯科医の五十嵐準氏は、大正3年(1914)に開業

たものです。 志田邸の南には東海道町民生活歴史館  名医と言われ、明治の元宮内大臣、田中光顕伯爵

があり、東海道宿場内でほぼ当時のまま現存する江戸  も患者の1人でした。

時代の醸造場を公開しています。

 

         旧五十嵐歯科医院の裏庭                     御殿道跡

   

                            現地の説明板

 

           高札場跡                          手造りガラスと総欅の家(磯部家)

                                    明治42年(1909)の建物です。柱や梁から1枚板の

                                    戸袋に至るまですべてが寺院建築に多く用いられた木目

                                    が見事な欅材です。 二階の窓ガラスは大正時代に手造

                                    りされた波打つような面が美しいガラスです。

 

            本陣跡・佐藤家                         旅籠和泉屋・お休み処

江戸中期まで蒲原には東本陣の多芸家と西本陣の   天保年間(1830~44)に立てられ、安政の2度目の

平岡家の本陣がありました。東本陣は宝暦年間に    大地震(1855)のときも倒壊を免れた旅籠です。現在

絶えてしまい、西本陣は江戸末期まで務め、明治11  はお休み処と鈴木家の2軒にわかれています。

(1878)年に京都へ移ってjきました。 建物は大正

時代のものです。

                  

                            蒲原宿・夜之雪

                            広重の『蒲原宿夜之雪』

  夜に雪が降り積もる情景は、しんとした静けさが伝わり、広重の唯一夜の風景の作品になっています。

昭和35年国際文通週間の記念切手に「夜の雪」が採用されたことを記念して碑が立てられています。

               

                         塗り家造り(佐藤家)

    

                           現地の説明板

 

                 

                       渡辺家土蔵(三階文書蔵)

               渡辺家に現在も残るこの土蔵は四隅の柱が上に行くに

               少しずつ狭まる「四方ころび」という耐震性の優れた技法

               で建築、天保十年(1839)に完成。 

               書類・公文書・芸術作品を災害から守り後世に 残すため

               に造られました。 渡辺家は江戸時代初期から蒲原宿の

               要職を努めてきました。江戸後期には韮山代官江川太郎

               左衛門から蒲原宿の問屋職を命ぜられます。

               その後、十八代渡辺利左衛門金璙は富士・富士宮を含む

               17ヶ村の郡中総代の取締役を務めあげました。 この間

               の録を 中心にした資料が、今もこの文書蔵に残されて

               います。

                

                         東木戸及び常夜燈

                       東木戸・常夜燈の由緒

 

       北条新三郎の墓・矢印の方向へ                       蒲原一里塚

山城であった蒲原城は室町時代に今川氏一族、戦国

時代には北条氏に治められていました。北条新三郎

は早雲の孫にあたり、駿河侵攻を目指す武田信玄、

勝頼らに対峙する中心武将として蒲原城主となりまし

たが、永禄12年(1569)に弟ともに武田軍の猛攻に

あい戦死しています。

   

                           現地の説明板(蒲原の一里塚)

  

           岩淵の一里塚                           光福山・新豊院

 江戸から数えて37里目にあたる1里塚です。西側の   鎌倉時代、正治元年(1199)真言宗のお寺として開創

塚の榎は初代、樹齢400年といわれ、東の榎は2代目   される。 室町時代、天文3年(1534)曹洞宗に改宗

です。                                  され、現在にいたる。

  

         光福山・新豊院の本堂                  間宿岩淵・「小休本陣跡・常盤邸」 

                                     間宿岩淵には、富士川を渡る準備をするため休憩する

                                     施設として小休本陣・脇本陣がありました。常盤邸は安政

                                     元年(1854)の地震後に再建された。

  

       常盤家のイヌマキ(天然記念物)                    富士川橋 

    樹高10m、根回り7m、胸高周囲4.7m

  

 

         富士川渡船場跡                            水神社

富士川を渡るときは船が使われ3ヶ所に船着場があり   治水、渡し舟の安全を祈願している神社です。

川の状況により使い分けていました。富士川の渡船は   境内には渡船場跡の碑や、富士道の道標、雁堤築造

慶長7年(1602)から大正13年まで続きました。      記念の碑など多く現存しています。

                   

                             雁堤(かりがねつつみ)

     

                           雁堤(かりがねつつみ)の由来

                  

                                護所神社

   

                           護所神社の由来

 

      不二山金正寺 宗派 曹洞宗                      間宿・本市場一里塚

 創建は宝暦13年(1763)です。              左側、樹木の横に石柱に「旧東海道一里塚」と刻まれて

                                     いる。

                      

                                鶴芝の碑 

                    

                                現地の説明板

                                              

                               富士市フィランセ

                          貸切バスにて新東名にて帰路へ


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