きまぐれストロール

植物、風景などを主として

采女~四日市宿~朝日

2011年12月08日 07時15分05秒 | Weblog

11月26日快晴、11月の例会で貸切バスを利用して、『采女~四日市宿~朝日』の宿を散策してきました。

往路、高速道路で事故の為、運悪く2時間ほどの渋滞に巻き込まれ、時間をロスしてしまいました。その影響

もあって、行程の一部はバスを利用し、はしょったところはありましたが、歩いた順に従ってUPさせて戴き

ました。

 

采女一里塚跡                           四日市方面・遠望

 

采女村町並み                           血塚社:杖衝坂を登りきったところ。鳥居の奥にある

                                    血塚の祠は、日本武尊の血に染まった石を集めて葬

                                    ったと伝えられている。

 

杖衝坂:東海道では、箱根、鈴鹿峠に次ぐ難所の1つ。  金刀比羅宮

また、中央部にある『芭蕉の句碑』には「笈の小文」の

旅で芭蕉が残した「歩行(かち)ならば杖つき坂を落馬

かな」の句が刻まれている。これは馬で登ろうとしたが

坂が急なため馬の鞍とも落馬したことを詠んでいると

いわれている。

 

 

米田山成満寺:真宗高田派、本尊は大日如来。      日永の追分:東海道と伊勢街道の分岐点。茶屋や旅

度重なる火災により、本尊も焼失。               籠が並び、間の宿として栄えた界隈。京都へ往来する

昭和57年に再建、現在に至る。                             人はここで伊勢神宮を遥拝した。

                                     

                     

名残松:昔は300本余りも続く松並木だったと言われ   日永一里塚跡:江戸からちょうど百里に当たる1里塚

ているが、現在は1本のみ。                  跡石標。                                

 

雲祥山西唱寺:浄土真宗高田派の寺院。         稲垣末吉翁頌徳碑:明治時代、東京で鉄鋼業を営み

                                    財をなし、地元に戻り地域社会のために貢献された。

                                    また、現在、日永の追分で湧き出る水もこの方の尽力

                                    による。(四日市観光協会談)

 

長命山薬師堂                          日永神社:主祭神は天照大御神をまつる。日永神社と

                                   単称が許されたのは明治40年からである。  創建は

                                   不明である。

 

日永神社境内の道標:明暦2年(1656)の銘が入っ  林光山両聖寺;宗派は浄土宗である。

た、東海道に現存する最古の道標。

僧侶が伊勢参宮の人々のために建てたもで、もとは

日永の追分にあったようです。

           

日永山興正寺:浄土真宗高田派、創建は貞観6年(8    丹羽文雄生誕の地:作家、代表作「親鸞」「蓮如」

64)といわれる。                         昭和52年(1977)文化勲章受章。

 

四日市諏訪商店街:アーケードのある商店街ですが   諏訪商店街の中にこんなものをみかけました。

これも、れっきとした東海道とはこんな区間も珍しい。

宿場の面影こそないが、今も町の商店街として栄えて

いる。

       

諏訪神社:祭神は、建御名方神及び八重事代主命。     手差しの道標:「すぐ江戸道」「すぐ京いせ道」と

社伝では建仁2年(1202)に諏訪大社上下二社を    刻まれており、さらに丸の中に人差し指で方向を示

勧請して創建したと伝えられる。                す手が彫られているユニークな道標である。                                     

 

四日市宿陣屋跡(代官所):江戸時代享保9年(1724) 力石:お堂建設中、作業にあたった男たちが力比べ

~享和元年(1801)の大和群山藩領時代を除き天領  をしたと伝えられる石120kgもあり、肩まで持ち

であった。代官所は江戸時代を通じこの地を移動する  あげられる者はほとんどいなかったとか。

ことはなかった。

 

光明山常照寺:浄土真宗本願寺派、天文7年(1538) 薬師寺:第51代平城天皇の大同年間(806~10)

釈法導によって開山。                      の頃、このあたりで疫病が蔓延し、諸人は大変苦しん

                                    でいたのを知り、弘法大使は薬師如来を掘り、開眼し

                                    た。するとたちまち諸人の難病は平癒していった。                      

 

常夜燈                               十四川堤の桜並木:富田町を西から東に流れる堤の

                                    両岸1.2kmにわたってソメイヨシノが約800本植え

                                    られています。

 

善教寺:国指定重要文化財(S34.12)がある。     明治天皇輦石碑:維新の偉業もようやく成って、明治

阿弥陀如来立像は鎌倉中期の作で木造桧材寄木造  天皇は江戸を東京と改称された。明治元年(1868)

で像高79cm。また、胎内納入文書とともに胎内仏と  車駕にて京都を出発し東京へ向われた。その後も  

して約800体の摺仏が発見されている。          何度となく行き来され、富田茶屋町、広瀬五郎兵衛方

                                    で少憩をなされた。

 

長明寺:文治年間(1185~90)に蒔田相模守宗勝が

居城した蒔田城跡といわれ、境内は素堀りの環濠に

囲まれている。 山門は桑名城より移築、天文3年(17

38)刺違切腹の薩摩義士の墓など。

浄土真宗、本願寺派。