番町小学校、麹町中学、日比谷高校、東大というのが、昭和の戦後しばらくのエリートコースであった。
全部公立だが、当時は公立のほうが幅をきかせていた。
公立だから、本来その地区に居住していないと通えない。
それでもこの地区で通学させたい親は、寄留といって、知り合いとか親戚の家に住民票を移して越境入学をさせた。
もう70年近く昔の話で、時効だから書くが、
よその地区の実家から電車で通う生徒や
他県に住んでいながら子どものために東京に別邸を構える親もいた。
昭和20年代当時から教育パパママはいたのである。
さすがに女子で越境通学者はいなくて、生徒数は女子より男子のほうが多かったはずである。
そういう子どもの親の仕事は、医師、弁護士、外交官、自営業などが多かった。
特別な地域だったな、と思うのは後年になってからで、
その渦中にいればそれが当たり前のようで、子ども同士がそれでどうということはなかった。
わたしの父は貧乏公務員で校区内の官舎に住んでいた。
今と違って公務員は貧乏の代名詞みたいな言われ方をした時代である。