風子ばあさんのフーフーエッセイ集

ばあさんは先がないから忙しいのである。

「流星ひとつ」沢木耕太郎

2014-12-17 21:52:59 | 読書

2013年8月、藤圭子が衝撃的な死を遂げたあとの10月に、

この本は出版されている。

 

実は、今から30年ほども前、まだ藤圭子が20代の人気歌手であった頃にこの本は書かれていた。

しかし、著者、沢木耕太郎は、藤圭子の状況から、

当時は、これを出版しないという選択をして

一冊だけ製本して藤圭子に渡したそうである。

 

健気な少女が歌手として登りつめながら、

人間として真摯な生き方を思いあぐね、傷つきながら、

純な心を持て余していたのが読んでいて分かり、切ない。

喉の手術をして声が変わってからの悩みは、切実であり、

歌っても歌っても満足できず、

舞台に上がりたくなくて泣いて柱にしがみつく。

その絶望のあと、宝石なんかいらない、贅沢な服なんか少しもほしくないと、

引退の道を選ぶ。

潔く、人間としてまっとう過ぎて胸を打つ。

 

前川清との結婚から離婚のいきさつも丁寧に彼女の心の軌跡を追っている。

「前川清は日本一歌がうまい、ウソをついたり、裏切ったり絶対にしないひと、あんないい人はいない」

と藤圭子は断言する。

前川清の方も、困ったことがあったら一番におれに相談しろよと言っていたそうである。

 

前川清ってカッコいい男だなと思わせ、彼の歌も、聞いてみたくなる一冊である。

 

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「微睡みの海」熊谷達也 くまがいたつや

2014-12-10 15:00:20 | 読書

まずは、著者の紹介。

熊谷達也

宮城県出身、「ウエンカムイの爪」で小説すばる新人賞を受賞でデビュー。

2000年には「漂白の牙」で新田次郎文学賞を受賞。

04年「邂逅の森」で山本周五郎賞と直木賞のダブル受賞。

近年、「仙河海市」を舞台とした作品群をライフワークとし、

ありし日の「被災地」から現在、そして未来へと繋がる人々のリアルな人生と生活を描き続けている。

 

「微睡みの海」も、その仙河海市を舞台にした一作である。

主人公、笑子は、中学の教員時代に問題のある生徒とのいきさつから退職し

美術館の学芸員をしている。

その美術館副館長である菅原貴之との不倫関係にあるが

個人的に絵の指導をするうちに、もと教え子の吉田祐樹とも、

関係をもつようになる。

ほかに、バー経営のともだちの希、もと教え子の中村航平らが登場。

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直筆

2014-12-07 14:37:22 | 読書

先日の新聞に、

夏目漱石の直筆のハガキが新宿区に寄託された記事が出ていた。

今日また、竹久夢二の原稿と手紙などが記念館に寄贈されたとの記事があった。

おそらく、それぞれの思いや人柄が表れていて、

後世に伝える価値あるものなのだろうと読んだ。

 

パソコン全盛の今はどうか。

パソコン機能を駆使している作家の原稿は、

完成稿のファイルだけが残り、

推敲の経緯はあとかたもなくなる。

今は直筆原稿や、万年筆などが展示されている文学館や記念館というようなものは、

そう遠くない先で、いずれ消えていくしかないだろう。

だから、どうした? と言われても困る。

私だって、パソコン愛用派で、

手紙ひとつ手書きが出来なくなっている。

人間、これでいいのか、? と思いながら。

 

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  「優雅なのかどうか、わからない」 松家仁之 まついえまさし

2014-11-30 12:04:47 | 読書

 

主人公 岡田匡、出版社の編集人

 

「離婚をした」が

小説の書きだしである。

 

妻と住んでいたマンションを出た匡は、

公園の傍らの古家を借りた。

大家は園田さん。

園田さんは、息子のいるアメリカへ移るので、猫のふみを大切にすること

ときどき家の様子を知らせることなどを条件にする。

匡は、この家の近くに住む元恋人の佳奈と偶然再会する。

佳奈とのいきさつは、

妻との離婚に少なからずの影響があったと思われる。

再会した佳奈には、介護が必要になった老いた父親がいる。

三人で暮らすことを提案した匡に、佳奈は隣どうしですむことを提案して

火事で更地になった土地に、家を建てる計画のところで物語は終わる。

 

みんな、みんな、優しい。

猫のふみへも、火事を出した佳奈の家の隣人の老女にも。

認知症になった佳奈の父親へも。

むろん、匡と佳奈の双方も。

 

 駅を通過するプラットホームに偶然見かけた

元妻には、寄り添う体格のいい男性がいて。

作者は、元妻をも不幸にしない配慮を示して

あくまでも優しい作者の心を感じる小説である。

 

「火山のふもとで」「沈むフランシス」に続く三作目の小説である。

前二冊についてはただいま閉鎖中ブログ「ばあばの読書記録」にメモあり。

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闇のなかの祝祭

2014-11-20 09:53:34 | 読書

 

 吉行淳之介の作品は、

こちらが思うよりも恋愛ものが少ない。

「闇のなかの祝祭」は実生活を材にした恋愛もので

「私の文学放浪」中に、

「この作品を書くために、……中略……わたしの実生活から持ってきたことは

失策だったかもしれない。

しかし、自分の掌で掴んでたしかめた体温の残っている材料に対する未練が、

作家として捨てきれなかった」

と書いている。

女優と家庭のはざまで「死んだらラクになるとしばしば思う」

切羽つまった状況が描かれている。

 

体温の残っている材料だからこそ、胸に響く作品なのだと納得。

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丸元淑生 「羽ばたき」

2014-11-18 14:27:18 | 読書

 

  丸元淑生といえば、著名な料理研究家として記憶されている方が多いだろう。

    2008年に74歳で亡くなっている。

 

    「丸元淑生のシステム料理学」など著書も多数あり、

      たびたびテレビ出演もしている。

 

    しかし、彼の小説を読んだ人はそう多くはないだろう。

  1978年「秋月へ」と1980年「羽ばたき」で、二度芥川賞候補になっている。

  「羽ばたき」のときは、最終候補として村上春樹の名もあるが、

 結果は該当作なしの佳作として「羽ばたき」が文芸春秋に掲載された。

 選評を見ると、受賞に一番近かったのがこの作品であることを窺わせ、

 もし、このとき受賞していたら、彼のその後の人生も違うものになっていたかもしれない。

 

     昨日、その昭和55年の文芸春秋を押し入れに見つけた。

  彼が作家として残した数少ない作品を惜しんで、古雑誌を大事にしまっていたのだろう。

 

    二人の息子のいる家庭がありながら、別の女性にも娘を産ませ、

    行ったり来たりの果てまでを書いている。

     

  相撲取りになった息子のことはさわやかだが、情人のことは余計という選評が多かったが、

   私はこの男のおかしさも哀しみもよく描けていると読んだ。

   最近の芥川賞作品なんかより、ずっと面白く、引き込まれたのは

     私が古い人間だからかもしれない。

   どうも、このごろの小説には切実さがないような気がしてならない。

 

      耄碌ばあさんは、読むハシから忘れるので、

           備考録のつもりで

     「ばあばの読書録」というブログをべつに設けていたのだが、

       ものぐさばあさんは、それも続かなかった。

          

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死語辞典

2013-05-23 22:58:04 | 読書

 

宝島社の死語辞典という本が売れてるらしい。

「社会の窓」とか「アッシー君」が死語で、

「コール天のズボン」となると絶滅用語だそうである。

これは大変と、本屋へ行った。

カウンターで尋ねると、こちらです、と案内された。

見上げた棚の分類は、スピリュチュアズム、霊界,死後の世界などとある。

あのう~、死語違いのようですが~。

あら、と店員さんは了解してくれた。

店にないので、パソコンで調べたら、出版社でも品切れだった。

目下再版準備中の人気本らしい。

死後の方が近いと思われたようだが、どうしてどっこい、まだもう少し。 

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キャンセルされた街の案内

2012-10-07 10:42:01 | 読書

                      明日、気の合う仲間と、
                長崎の港の沖合にある軍艦島へ行く。

                  長崎生まれの作家、吉田修一の短編に
                 「キャンセルされた街の案内」というのがある。

               無職の兄貴が、ワンルームのぼくの部屋に転がり込んできたところからはじまり、
                 子供のころ、軍艦島生まれと騙ってガイドをしたときのことが語られる。    

                以下、その「キャンセルされた街の案内」の中からの引用である。あしからず。

「軍艦島は、ぼくたちが住む港の沖合十キロに浮かぶ元炭鉱の島で、最盛期には五千人以上の坑夫やその家族たちが暮らし、世界一の人口密度を誇っていた。地下には直下数百メートルにも達する鉱区、地上には五千人を収容する高層アパートが立体的に組み込まれた、世界でも稀に見る人口の島だった。しかし、昭和四十九年の閉山後は、まったくの無人、廃墟の島と化した。その容貌が軍艦「土佐」に似ているから軍艦島なのだが、端島というのが正式な名称だ。名前からして、石炭が見つかる前は、それほど重要な島ではなかったのだと思う。」

                      この小説の主人公がガイドをしていたころは、
                   島への立ち入りは一切立ち入りが禁止されていた。
                        つまり、彼はヤミガイドをしていたのだ。

                 今は、一部分らしいが、ツアーのガイドつきで堂々と上陸できるらしい。

                             明日は、天気晴朗のようである。

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時ならぬ風子の読書週間

2012-03-03 11:44:33 | 読書
     一週間ほど外出を控えたのを機に「テイエンイの物語」を読み終えた。
       作者フランソワ・チェンは中国生まれのフランス国籍である。
   日中戦争から文化大革命までの時代を、黄河、長江、あるいはパリへ移動してセーヌ、
       大運河の流れにも似た奔流を生き抜いた三人の男女の物語は重い。
     それほど昔ではなく、それほど遠いところではない場所での物語である。
     人は生まれる場所を選べずに生まれてくる。ユーメイが私だったかもしれないし、
       テイエンイがあなただったかもしれない。

         休みが長かったので、もう一篇。
         日経小説大賞受賞作品「野いばら」
    アムステルダムの空港に降り立った主人公は遺伝子情報に携わる企業の社員……
       書きだしからは思いもかけない時代へと展開する歴史ロマン。

         最後に鳥影社発行の「季刊文科」
       地味な雑誌だが、創刊以来愛読している。
    奇妙キテレツな純文学受賞作を読み飽きたときなどに、
   季刊文科を手にすると、ほっとする。心にとどく文学作品に巡り合える。

      しかし、雑誌だから、読み落としてしまう稿もある。
    今ごろになって、昨年夏号の松本道介氏の「視点」(転機への予感)を読んだ。
    世間で呼ぶ少子高齢化は、人間生態系の崩壊ではないかと悲痛な思いを口にする。
      原子力は終わりもなければゼロもなく解決もない、この世のものでない。
   江戸時代、衣食住のすべては土に返して後世に害を残さなかったことを考えると、
      我々の世代は何たるザマか、と悲憤慷慨される。
           深い共感を覚える。
       慌ただしく過ごしていれば、読みそこなうところだった。
         風邪気味だった雨の一週間に感謝。
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緑の手紙

2011-11-16 11:07:32 | 読書
     「アンコールワットとトンレサップ湖遊覧」
     優雅な響きに誘われてカンボジアに旅をしたのは
     七、八年前のことになる。

     ベトナム経由でシェムリアップ空港に下りたとたん、
    これは優雅には程遠いところへ来たなと実感した。

     空港を出て市内に向かう幹線道路沿いに、
    いまだ地雷がここにあることを示す赤い旗が散見されていたのである。

     手足をもがれた物乞い、うつろな目をした幼児が、
    こちらの腰のバックに手をのばしてきた。

     「緑の手紙」はそれよりさらにさかのぼる1999年が初版である。
     作者は五十嵐勉、インターネット文芸新人賞、最優秀賞作品である。

      難民として日本に逃れてきたポ・シティと、
     日本語教師をしている主人公との関わりを綴りながら、
     重層的に旧日本軍の飢餓と死の敗退を語り、戦争と平和を考える。

      国家とは民族とはそこにある個人の生きることとは……。
     深く重い問いかけがここにある。

      カンボジアでは、危機に際して、緑色の用紙、封筒を使うのだと
     ポ・シティは病院から手紙を発信しつづける。

      緑の手紙は狂気の世界からの便りではない。
     人間の世界から戦争がなくならないかぎり続く祈りなのだ。
              アジア文化社の出版である。
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