家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

自分の行動基準を知る 「家づくりの出発点」よりさらに前

2008年12月16日 | 家について思ったことなど
某氏曰く
人間の行動における判断基準は以下のものに振り分けられる。
 善悪 勝ち負け 損得 好き嫌い 苦楽

この説にはうなずける。
善悪で動く人というのは、
「善いことだからやる。悪いことだからやらない」
勝ち負けで動く人というのは、
「勝ちたい(または勝てる)からやる。負けるからやらない」
損得で動く人とは、
「得だからやる。損だからやらない」
好き嫌いで動く人とは、
「好きだからやる。嫌いだからやらない」
苦楽で動く人とは、
「楽だからやる。苦しいからやらない」

むろん、善悪、勝ち負け、損得、好き嫌い、苦楽のうちの複数あるいはトータルに吟味して行動することは多いが、何を真っ先に考えるのかは人それぞれだ。
自分の価値観を公言していなくとも、その人の行動を観察していると、その人がどの行動基準に属するか見えてきたりする。
周囲からせこいと思われている人物の行動基準はおそらく「損得」だろう(逆は「真」ではない。損得で動きつつ、せこく思わせないすぐれた人もいる)。
物事に積極性が足りない人の行動基準は「苦楽」もしくは「好き嫌い」と推測できる。面倒なことはやりたくないというのが「苦楽」基準の人の特徴。「好き嫌い」が行動基準で、積極性がないように見える場合は世の中に嫌いなもの(事、人)が多い人物ということになる。好きなもの(事、人)が多い人だったら逆に積極的な人間に見えることだろう。

この説は、主にプラス面からのアプローチである。
「善いことだから」「勝ちたいから」「好きだから」・・・という部分を重視して、どうする(どうなる)と楽しい(うれしい)から行動するというわけだ。
私は逆に、人間を知るためにはマイナス面から考えることも重要であると気がついた。人間は「そうなるために行動する」こともあれば、「そうならないために行動する」こともあるからだ。

「悪い」「負ける」「損をする」「嫌い」「苦しい(大変)」というのはどれもいいことではないが、このうち何が自分にとって一番不快でイヤかについても考えてみよう。

プラス面とマイナス面の両方を思考して分かるのは
「一番実現したいことと、一番回避したいことは、反対語のペアになるとは限らない」
ということ。
例えば、
「一番楽しいのは『勝つ』 ことだけれども、一番不快なことは『負ける』ことではない。『嫌い』なモノ(事、人)に接することのほうが『負ける』ことよりもっとイヤだ」
というような人はいるわけである。

さらに、
「プラス事項の実現とマイナス事項の回避のどちらのウエートが高いのか」
も考えたい。
前述したタイプの例で言えば、「勝つ」と「嫌いなことを避ける」を天秤にかけてみる。
勝つためには嫌いなことに接することも我慢できるのであれば、プラス事項の実現のほうがその人にとって重要であるわけだが、「嫌いなことに接するくらいなら勝たなくてもいい」というような場合は、その人はマイナス項目を回避することのほうが重要というわけである。

行動基準の種類は多くないが、プラス・マイナスの組み合わせとそのウエート付けによってけっこういろいろなタイプに分かれることが見えてくる。

ネット上では、同じ目的を実現することについて語る場であっても、互いにリアルな人物像を知らず、それぞれの行動基準もわからないままに情報交換や議論が始まることが多々あるため、噛み合わない話になったり、反目したりすることがある。

家づくりでも同じこと。
「好きな家」を実現するためには手間や面倒、苦労はさほど問題にならない人と、そうでない人ではきっと違う選択や行動をするだろう。

気をつけたいのは、家づくりは多額のお金がかかるため、通常より「損得」基準が発動しやすいこと。もともと損得で動く人は損得基準の情報収集で満足できる家が建てられるかもしれないが、もともとは「好きな家を建てる」のが主目的の人が「家づくりで損をしたくない」のが主目的の人の情報に流されたりすると、よい結果にならないかもしれない。「損はしなかったけど特に気に入った家にはならなかった」というように。損得で動く人は極端な話、まったく同じ家を建てた他人と比べて安く仕上げた、というようなことに満足できる人である。

また、「勝ち負け」基準で行動している人も多いことに気づく。「自分が選択したやり方が他よりいいやり方だ」と主張したがる。「自分にとっては」というような立場から離れて、一般論的に他の家より優秀(機能・性能、デザイン、価格など優秀さの対象はそれぞれだが)であることを表現したがるのでそれが分かる。その行為は自分が「勝ち」に属することを確認する作業なのだ。「勝ち負け」基準で動く人と意見交換したりするときはへたをすると論争になりやすいことに注意したい。

さて、
「行動基準が違う人どうしは互いの意見を参考にするな」とは言いたくない。行動基準が違う人から気づかされることだって多々あるからだ。
そもそも何人か集まればたいてい違う行動基準の人が入り込んでいることだろう。
せめて行動基準が違う人がいるということを理解できればいい。そうすれば意見を整理して「気づき」も得られやすくなるし、冷静に有用な部分を拾い出す作業もしやすくなる。

自分の行動基準を自覚することは、家づくりの出発点よりさらに前であるべきかもしれないと思った。

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2 コメント

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Unknown (m-louis)
2008-12-17 02:49:20
職業柄というべきか「好き嫌い」を相対化して見てしまう傾向が強くなっていたので
家づくりは自分自身の「好き嫌い」を見つめ直す良い機会になりました。
というのはちょっとした綺麗事の話で
現実的には時折「好き嫌い」の落としどころを無理矢理にでも
考えておかなければならない場面もあって結構たいへんでした。

あと、garaika邸オープンハウスでお尋ねしたときには
物凄い「負けた」感にしばらく打ちのめされましたね(笑)
別に勝負に興味があるつもりでもないんですが、
あのときは本当に garaika邸を見てから
家づくりの最後の詰めの段階を迎えたかったと思ったものです。

そこには設計段階で見透せなかった自分自身の「好き」が散りばめられてました。
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ええ (garaika)
2008-12-18 01:19:33
そうなんですか、m-louisさん。
私は人と比べた勝ち負けはあまりこだわらないタイプなんで、勝ったとか負けたという感情が湧くことはあってもそれを引きずるようなことはほとんどありません。

それは奇麗事で、実は損得は少々気にするかも(笑)。
といっても好きが実現できたことは得だと思っているのであんまり問題じゃないのですけれど。

視点を変えて、家づくりの行動後の話ですが、自分は一般的に負けていないことを証明しようという気は起きてきますよね。
誰でも自分の採用した方法がけなされているとつい弁護したくなるんじゃないでしょうか。
「勝ち」にはこだわらないけど「負ける」のは嫌い、という性質のあらわれかな、なんて思います。

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