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家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

山小屋の薪ストーブ

2006年01月10日 | 山小屋・ログハウス

この前の3連休のうち、土日は山小屋に泊まった。
温暖な地方とはいえ、山の方はやっぱり寒い。
到着と同時に薪ストーブに火を入れる。
スギの枯葉と小枝を焚き付けにするとマッチ1本で簡単に火がつくのだが、暖まってくるまでに結構時間がかかる。
ましてやこの部屋は吹き抜け。そして建物自体、素人が建てたものなので気密性に劣る。真冬では相当薪を使わないと薄着ですごせるほどには暖まらない。この日も震えない程度の暖かさにとどめておいた。
それでも薪ストーブはお気に入り。暖かさの質が気持ちいいし、時折薪をくべながらぼーっと火を見ているのは気分転換になる。
まったく電気を使わないというのもイイ。燃料が石油やガスだとしても、いまどき電気を使わない暖房器具はなかなかない。「暖房道具」とでも呼びたくなる。

今回、ちょっと失敗した。
ストーブの上でヤキイモがうまくできなかったのだ。
以前やったときは「ヤキイモ屋も真っ青」なくらいにうまいヤキイモができたのに…。
あれは「たまたま」うまくいったのだろう。薪ストーブの火加減という技術を会得しなければと思った。
ノコギリや金槌と同様、道具を使いこなすにはやっぱり訓練が必要なのである。
そして使いこなせるようになるとまた愛着が増してくると思う。


ビオトープと人間の位置関係について思う

2006年01月05日 | 山小屋・ログハウス
ウチの山小屋の隣に、こぢんまりとした湧水がある。
湧水といっても、川の横であるから、伏流水が湧き出しているものと思われる。ただ、乾季に横の川が干上がってしまった場合でも、この湧水は途絶えず、小さな池の源となっている。
水があるところには生物が寄ってくる。そしてビオトープを形成する。

昆虫だと、例の蛍のほか、トンボが5、6種類くらい存在する。私はそれまでオニヤンマを自然界でまじまじと見た覚えがなかったが、ここでは当たり前のように見かける。スズムシ、コオロギのほか、クツワムシもいる。ハンミョウ、タマムシといったきれいな虫もいて楽しくなってくる。当然、テントウムシやカメムシ、バッタなどありきたりな虫だっている。
鳥もいろいろ来る。サギは池の魚をがめつく獲りにくるのでしゃくにさわる存在だが、ウグイス、メジロ、セキレイ、シジュウカラなどはかわいらしい。時には美しいカワセミが現れる。

ビオトープとはそもそもは「本来の生態系が保たれた空間」だそうである。しかし、「人間が生活する地域の中で」というまくらことばがつくのが一般的になっているようだ。
学校など教育現場では「人工ビオトープ」なんていうのも増えている。というか、今普通にビオトープといった場合、人工のソレをいうのかもしれない。
ここでは「天然」ビオトープを考えてみたい。

我が家が山小屋を建てるために山林を購入したとき、この小さな湿地は荒れ放題だった。
湧水の出る部分こそなんとか見えていたものの、小さな池はアシだのヨシだのが密生して全貌は見えていなかった。何が飛び出してくるかわからないようなコワサもあった。
それを母がコツコツと手入れして、今ではすっきり池が姿をあらわして落ち着いた風情となっている。
水面が見えることでトンボは増えたし、鳥もよく訪れるようになった。荒れ放題だったころより、たぶん寄ってくる生物の種類は増えているだろう。

母はクレソンやわさびを持ち込んで育てている。きくらげが生えそうな木をわざわざころがしていたりもする。したがって植物の種類も増えている。

育てているというほどの手入れはしておらず、植物を置いているというイメージではあるが、葦などは今でも適宜刈り込んでいるわけで、この生態系に人間が介在しているのは間違いない。
となると、これをビオトープと呼んでいいものか、などと思い至る(「人工」をつければビオトープと言っていいのだろうが…)。
私としては、生態系を完全に支配せずに、自然と共生する形での人間の介在であればそれはビオトープといっていいのではないかと思っている。生態系の一部として人間という動物がかかわりあっているからだ。
ビオトープという呼び方がまずいのであれば、里山(さとやま)ならぬ里池(さといけ)とでも呼ぼうかと思う。
荒れ放題だった自然の状態より美しく、かつ、動植物がたくさん寄ってきている。こちらの姿の方が私は好きだ。



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こころが洗われるようなブログを一つ発見。
小学校4年生のバスケ小僧君による「ぼくのビオトープ」。
http://biotop.cocolog-nifty.com/biotop/
旺盛な好奇心と行動力。イマドキこんな子供もいるんだと少し感動した。全然登場してこないが親御さんはかなりの人物ではないだろうか。ほぼ同年代のわが息子と友達になってほしい。
介在するのが、すれた大人でなく子供なら、ビオトープと言って全然おかしくないような気がしてきた。

ハンモックの極楽

2005年10月10日 | 山小屋・ログハウス
 
テレビや映画、雑誌などで人がハンモックに寝ている場面を見ることは案外多い。しかし実際にハンモックに寝た経験のある人は少ないのではないか。
私もかつては、ハンモックに触れたことはあっても寝たことはないという人間だった。
いや瞬間的に横になったことはある。レジャー施設のハンモックで、子供同士、場所をとりあう状況の中で身体を横たえたという、睡眠ともリラックスとも程遠い、ブランコに乗るような感じの利用体験だけだった。
「だった」という過去形を使ったということはもちろん、現在はハンモックを保有までしている真のハンモッカーであるということだ。

山小屋の丸太柱に頑丈なフックを据え付け、ハンモックを引っ掛けて使っている。かなり大型なサイズで、大人が余裕をもって乗ることができる。
このハンモック、実は山小屋が出来る前から手に入れていた。
ご近所さんが南米にいる親戚に会いに行ったときに同様のハンモックに乗せられて大層よかったという話を聞き、そのご近所さんと共同購入したのだった。

ここで昼寝をするのは本当に気持ちいい。
そして、やっぱり前と同じように子供と取り合いになるのだった。
子供があきて外に遊びに行ったとき、ハンモックを満喫している。


山小屋の階段

2005年10月07日 | 山小屋・ログハウス
山小屋のエントリでのコメント欄に「やまぼうし」さんのリクエストがあったこともあって、山小屋の内装をすこしずつ紹介しておこうと思う。

写真は見て分かるとおり、階段である。
踏み板の厚さと、手すりの曲がり木がポイントとなろうか。

いずれの部材も自分たちで伐採したモノ。
踏み板はヒノキで、近くの製材所で加工してもらった。これだけ厚い材を使えるのも自分の山林から調達したからこそなのである。
また、手すりに使ったこんな曲がり木は普通の材木の流通には乗らない。これも山林の間伐がてら、出てきた材である。
山林購入を勧めたくなるのは、こういうことができるからでもある。

骨董品の戸――山の物置づくり

2005年09月19日 | 山小屋・ログハウス
山小屋の脇に父がセルフビルドしている物置に戸が入った。
前のエントリで紹介したように、骨董品のオークションで手に入れたものである。
蔵の戸として使われていたものらしい。

購入時は全般にすすけており、鉄格子は錆で覆われていたが、建具屋に補修を頼んで、こざっぱりして帰ってきた。
鉄の部分には錆止め処置をほどこした。また、重い戸なので戸車はボールベアリングの高級品にリニューアルした。
こんなことをしたら、本格的な骨董趣味の人からは大目玉をくらいそうだが、装飾に使うのではなく、立派に実用として使うのだからしょうがない。骨董を買ったのではなく、生活の道具を買ったのだ。
もしこの建具がずっと現役で使い続けられていたのなら、やはり少しずつ手直しされていたことだろう。道具としては正当な使い方をしていると自分で勝手に解釈している。
この戸はまた使われることで経年美に磨きがかかるはず。再び骨董的価値を生むまで使うのは間違いないので、それでよしとする。

循環する古建具――山の物置にて

2005年08月28日 | 山小屋・ログハウス
 「スーパー親爺の普請道楽」というエントリで紹介した物置作りの進捗。

私が山小屋に来たのはかれこれ2ヶ月ぶりだが、この間、私の父は山小屋に足繁く通い、こつこつと物置作りにいそしんでいた(この点、父は「家づくり、行ったり来たり」の現役なのである)。
写真で見ていただければわかるが、現在は壁に取りかかっている。

 この建物、いわずもがなのローコストなのだが、最近流行のローコスト手法とは全然違う次元でローコストを実現中なのである。

前のエントリでちらりと紹介したが、ひとつはタダで手に入れた材を柱、梁などの構造に使っていること、もう一つのキモは建具である。
旧住宅で使っていた建具を解体する前に取り外してとっておき、再利用しているのだった。
(この木製建具を見れば、我が家がついこの前までいかに気密と縁遠い生活をしていたかということがよくわかる。超低気密のおかげで結露の心配はまったくなかったが、冬は寒かった。温暖な地方でなかったらとてもたえられなかったろう)

実は写真に見えてない部分に、さらに古い建具をはめこんである。その建具は2代前の住宅、すなわち旧住宅の前に住んでいた住宅から取り外して保存しておいたものである。
手が込んだ建具というわけではない。愚直に作られていて「まだまだ十分に使える」ため、とっておいたらしい。
こうなると、単なるものずきではかたづけられない。貧乏性道楽とでもいったらいいのか。

 さらにさらに、この物置につける戸も実は「骨董品」なのである。古物商の免許を持つ親戚につきあってもらって、古民具のオークションのようなところで安く仕入れてきた。
それは蔵の戸だったらしく、もはやいつごろのものかさえよくわからないシロモノだ(いずれお披露目するつもり)。

何世代にも渡って使い続けるわけで、建具達からみれば、「建具冥利につきる」といったところではないだろうか。

山小屋にて

2005年06月19日 | 山小屋・ログハウス
 前のエントリで紹介した、父が山小屋の脇に建てている物置の進捗。
 屋根の瓦葺が終わり、コンクリの土間を作り終わったところ。
 もう、東屋としては機能しそうである。
 父の好きなようにやらせているので、最終的にどうなるかはよくわからない。

 山小屋に行ったのは、例の「蛍風呂」を決行するためである。
 幸いにして天気に恵まれ、おぼろ月夜のなか、露天風呂で蛍を鑑賞できた。「かじかがえる」の鳴き声がBGM。
「極楽、極楽」とつい口に出た。

娘が一句
「ほたる舞う 夜はたのしい カーニバル」

大贅沢な風呂

2005年06月01日 | 山小屋・ログハウス
 金平糖さんのblogで「贅沢な家づくり」って持ち上げられて戸惑い気味ではあるが、いっそのこと、ここでひらきなおって我が家の大贅沢なイベントを紹介してしまう。
 
 その名も「蛍風呂」。
 我が家の山小屋の脇には伏流水が湧いており、ここに毎年6月中旬ごろ、蛍が乱舞するのである。乱舞というのは大げさかもしれないが、かるく100匹ほどはいると思う。
 これを見ながら露天の風呂に入るのである。
日本中でいったい何人が露天風呂と蛍鑑賞を同時にやれるだろうか。これを贅沢と言わずして何と言おう、って表現したいくらい。

 風呂といっても、石組みした本格的露天風呂ではなく、マグロ解体用の樹脂製の大桶を改造して作ったもの。つめれば大人6人くらい入れる大きさがあるが、驚くほど安く仕上げてある。
 だけど、贅沢とはお金だけではない(by金平糖さん)のだ。お金はかけずとも時間、空間的な贅沢は可能なのだ。
 プライスレスな贅沢はプライシングできる贅沢より上なこともある。

タイムリーに朝妻さんも蛍(?)の話題

スーパー親爺の普請道楽

2005年05月14日 | 山小屋・ログハウス
父に助っ人を頼まれ、山に行く。
山小屋の脇に物置小屋をつくるためだ。

今回は柱と梁を組む、ようするに上棟をするのだ。

山小屋はポストアンドビーム(P&B)のログハウスだったが、今回もP&BといえばP&B。
ただ、なんと丸太は曲がった木。山の知人からタダでゆずってもらったものだ。樹種もいまひとつよくわからない。
父は大胆にもそれを使って小屋を建てようと考えた。

今、父のやっていることはまさに「普請道楽」だ。
自然石を基礎に使った立柱方式。「どの時代の人間だ」と問いかけたくなる建物。
取り壊した前の家の建具と、どこからか調達してきた旧家の蔵の扉も使う。
物置のクセして大きさは素人が庭先に建てるキットのログハウスより2回りほどでかい。
今年70歳になる人間のやることか。

無事に上棟したが、私は多分、あす筋肉痛だろう。

山小屋と住宅

2004年11月29日 | 山小屋・ログハウス
 家の建て替えに動く前、我が家は家に絡んだ大きなイベントをこなしている。
 自力(セルフビルド)でログハウスを建てたのだ。

マシンカットでキット化してあるログハウスをセルフビルドする人は最近増えてきたが、我が家の場合は丸太そのもの、しかも自分達で山の木を伐採して調達した。木の伐採からやる人はそうそういないはずだ。
丸太の皮むきも人力でやり、ハンドカット(手刻み)で、電気、ガス、水道も引き込んだ居住可能なポストアンドビームのログハウスを自前で作り上げた。我が家では「山小屋」と呼んでいるが、延べ床面積は23坪くらいある。
なんといってもすごいのは、これを建てたのが父であるということだ。還暦をとうに過ぎた人間である。仕事をリタイヤして時間があったとはいえ、パワーはすごい。自分の親ながら尊敬していることを公言したい。
さすがに伐採は一人ではできないので、週末に駆けつける私と2人でやった。皮むきと手元は母も手伝った。
大半を自力でやったので、相当なローコスト住宅であることはまちがいない。「金をかけずに汗をかく」というのが、この家づくりの思想でもあった。

 規模がそこそこあることもあって、さすがに基礎と瓦葺、ガス・給排水工事は業者の力を借りた。ここでちょっとした工務店気分を味わった。ちなみに基礎工事は私の中学時代の同級生、瓦葺は母方の親戚、ガス工事は私の高校時代の同級生の家、水道工事は父方の親戚とその土地の知り合いに頼んでいる。

 山小屋作りの過程を書いたら、本ができてしまうくらいいろいろなことがあった。また、この経験で、家づくりの工程についていろいろなことを学ぶことが出来た。

 実は、自宅の建て替え計画はこのログハウスの竣工を待ってはじめた。
 前の家が築55年の部分と築38年の部分からなり、築38年の方を取り壊すことにしたことをblogの初めのころに書いたが、その取り壊す部分は父が建てた部分だったためだ。旧家屋を取り壊せば、父が建てた家がなくなってしまう。
 しかし、まさに父が自力で建てたログハウスという家が完成したため、心置きなく家の建て替えに臨むことが出来た。
 
 山小屋は去年に竣工したが、まだ「完成」に向け、手を入れている。竣工時よりもじんわりと「いい家」になってきていると思う。