
「渡る世間は鬼ばかり」の岡倉大吉役を体調不良ということで降板して宇津井健にゆずった。役者が役をゆずるということはよほどのことですから、相当悪かったのではないかと察してはいました。
宇津井健ではだめだということではないけれども、やはり岡倉大吉は藤岡琢也がつとめてこそ全体がしまる。
76歳という年令が、まだまだなのか、もうそろそろなのか、とても微妙に感じます。がしかし、もう少しやれたのではないかという気持ちは否めません。
このところ、思い出深い人が次々に亡くなっていきます。だれかの葬式に立ち会う度に友人と交わす言葉に、めでたい儀式が少なくなって、葬式が増えたね、というのがあります。
たしかに、年々紅白幕よりも鯨幕を見る機会が増えているのは事実で、それはそのまま自分がそういった年令になってきているんだ、という事実をいやが応にも突き付けられるわけです。
一時は結婚式の司会を年間5組も引き受けたことがありましたが、今では参列する機会さえめっきり少なくなりました。
しかし、ものは考えようで、他人の葬式に参列しているということは、そいつより自分は長生きしているということです。人生をマラソンにたとえるなら、次々に前をいく人間たちを追いこしていっていることになる。これは決して悪いことじゃない。ゴールに行き着く前に脱落する者や、疲れて走る速度が遅くなったものを追い抜かしていくということは当然あるわけなのです。
「なんだおまえ、もうギブアップか。だらしねえなあ」
こんどは、だれかの葬式でそう言ってやろうかと思う。
ま、人生のゴールがはたしてどこなのか、それはよくわかりませんが、「俺はまだ頑張ってる、走り続けてる」そう思うと元気がわいてくるものです。
だからすなわち、葬式が多いということは、自分の生き方が間違っていない証拠だ、…ともいえるかも。
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