中沢啓治さんの名作『はだしのゲン』を、島根県の松江市教育委員会が小・中学校の図書館で自由に閲覧できなくするよう指示した事件が波紋を広げている。
『はだしのゲン』は中沢さんが自らの体験をもとに漫画にした、世界的に評価の高い作品だが、市の教育委員会は表現が過激であるとの理由からが項の許可なく見ることはできず、貸し出しも認められないという。
ことのきっかけは昨年8月市議会にあてたある男性からの陳情書だった。
「ありもしない日本軍の蛮行が掲載され、子どもたちに悪影響をおよぼす」と学校図書館からの撤去を求めたものであったという。
この陳情そのものは採択されなかったが、市議の中には「不良図書」とする意見もあり、今回の閲覧制限につながった。
問題は二つある。一つは「表現が過激だから子どもに見せない」という点。これは先日報じられた、広島の平和資料祈念館が原爆投下直後の被災者の模型を撤去するという考え方に似ている。惨状を目にした子どもの中から、気分を悪くしたりショックを受けたという訴えがあったからだそうだ。
松江市教育委員会の撤去理由も広島平和資料祈念館も、こうした戦争資料を開示することの重要な目的を失うことになる。
戦争は悲惨なものである。それを知らせることはひじょうに重要だ。だから中沢さんは、子ども用に表現を抑えたとしながらも原爆の悲惨さはしっかり伝えたいと考えた。平和資料祈念館の模型も同様に、それを次世代に伝えるために作られたものだ。これが戦争なのだ、と。
現在の家庭は一人っ子が多い。そのために過保護になりがちなことを以前から危惧していた。木登り禁止、川や池での水遊び禁止、そして中学生高校生になっても一人で外出させなかったりする。小学校の体育の時間に子どもが擦り傷を作ってきたからと学校に怒鳴り込む。こうした親のエゴが、他人の痛みのわからない子どもを作っていることには気付いていない。
すべてをきちんと見せた上で、家庭で戦争の恐ろしさを語り合う環境を作ることが大切なのではないか。
中沢さんも、ある親から「子どもが夜一人でトイレに行かれなくなった」と訴えがあったことを、さるインタビューで述べている。そのときの中沢さんの答えはこうであった。
「お子様はとてもすばらしい感受性をもっている。ぜひ褒めてあげてください」
子どもへの親の心配は理解できるが、大きく成長させるためにはもっと子どもを信じることが大事ではなかろうか。
もう一つは「ありもしない蛮行」だという陳情である。中沢さんは自らの体験をもとにこの作品を作っているのであり、「ありもしない」ことは書いていない。
松江市議会に陳情した男性は、自らの信条から日本軍の否定的な部分は認めたくないのだろう。都合の悪いことは隠すのがこの国の右派の特徴である。南京事件も従軍慰安婦も「なかった」と言う。つい先頃も、安倍政権が従軍慰安婦調査資料のなかに、「証拠となる資料は見当たらなかった」と、「オランダ軍バタビア臨時軍法会議の記録」の存在を報告していなかったことが発覚した。宮沢内閣のときに行われたこの調査では、「証拠となる公文書は見当たらなかった」とするもので、当時、公文書ではない「軍法会議の記録」は他の一般証言などと同様に扱われたために公的な証拠書類とはされなかった。しかしその後の研究で重大な証拠が含まれていることが解明され、安倍総理の「証拠は見当たらなかった」という表現に誤りがあったことが指摘されたのである。「当時調査した公文書の中には…」と付け加えるべきであったが、安倍総理はただ「証拠は見当たらなかった」と語った。そのことが、橋下徹大阪市長の暴言につながったのだ。
「南京事件」も「従軍慰安婦」も「沖縄の集団自決」も戦後間もなく70年を経ようとしている現在、証人の数はますます少なくなっている。それに比例して、偏狭なナショナリズムが台頭し、彼等にとって都合の悪い事実はなかったことにする歴史改竄派が勢いを増している。
だが彼等は、そうした考え方が、社会的に国際的にどんな結果をもたらすのかほとんどわかっていないか無頓着である。
しかし、右派の中にも良識ある人は、現実を直視した上で物事を判断すべきだと語る。そうした冷静さをもった人もいることも記しておきたい。
日本軍による蛮行は、中国人や朝鮮人に対するものばかりではなく、沖縄などでは一般住民を虐殺した例もある。
そしてそれはまぎれもない事実である。そうした出来事に目をつぶったり隠したりするのではなく、それらを認めた上で二度とそのような悲惨な出来事が起こらないようにすることが重要ではなかろうか。
『はだしのゲン』は中沢さんが自らの体験をもとに漫画にした、世界的に評価の高い作品だが、市の教育委員会は表現が過激であるとの理由からが項の許可なく見ることはできず、貸し出しも認められないという。
ことのきっかけは昨年8月市議会にあてたある男性からの陳情書だった。
「ありもしない日本軍の蛮行が掲載され、子どもたちに悪影響をおよぼす」と学校図書館からの撤去を求めたものであったという。
この陳情そのものは採択されなかったが、市議の中には「不良図書」とする意見もあり、今回の閲覧制限につながった。
問題は二つある。一つは「表現が過激だから子どもに見せない」という点。これは先日報じられた、広島の平和資料祈念館が原爆投下直後の被災者の模型を撤去するという考え方に似ている。惨状を目にした子どもの中から、気分を悪くしたりショックを受けたという訴えがあったからだそうだ。
松江市教育委員会の撤去理由も広島平和資料祈念館も、こうした戦争資料を開示することの重要な目的を失うことになる。
戦争は悲惨なものである。それを知らせることはひじょうに重要だ。だから中沢さんは、子ども用に表現を抑えたとしながらも原爆の悲惨さはしっかり伝えたいと考えた。平和資料祈念館の模型も同様に、それを次世代に伝えるために作られたものだ。これが戦争なのだ、と。
現在の家庭は一人っ子が多い。そのために過保護になりがちなことを以前から危惧していた。木登り禁止、川や池での水遊び禁止、そして中学生高校生になっても一人で外出させなかったりする。小学校の体育の時間に子どもが擦り傷を作ってきたからと学校に怒鳴り込む。こうした親のエゴが、他人の痛みのわからない子どもを作っていることには気付いていない。
すべてをきちんと見せた上で、家庭で戦争の恐ろしさを語り合う環境を作ることが大切なのではないか。
中沢さんも、ある親から「子どもが夜一人でトイレに行かれなくなった」と訴えがあったことを、さるインタビューで述べている。そのときの中沢さんの答えはこうであった。
「お子様はとてもすばらしい感受性をもっている。ぜひ褒めてあげてください」
子どもへの親の心配は理解できるが、大きく成長させるためにはもっと子どもを信じることが大事ではなかろうか。
もう一つは「ありもしない蛮行」だという陳情である。中沢さんは自らの体験をもとにこの作品を作っているのであり、「ありもしない」ことは書いていない。
松江市議会に陳情した男性は、自らの信条から日本軍の否定的な部分は認めたくないのだろう。都合の悪いことは隠すのがこの国の右派の特徴である。南京事件も従軍慰安婦も「なかった」と言う。つい先頃も、安倍政権が従軍慰安婦調査資料のなかに、「証拠となる資料は見当たらなかった」と、「オランダ軍バタビア臨時軍法会議の記録」の存在を報告していなかったことが発覚した。宮沢内閣のときに行われたこの調査では、「証拠となる公文書は見当たらなかった」とするもので、当時、公文書ではない「軍法会議の記録」は他の一般証言などと同様に扱われたために公的な証拠書類とはされなかった。しかしその後の研究で重大な証拠が含まれていることが解明され、安倍総理の「証拠は見当たらなかった」という表現に誤りがあったことが指摘されたのである。「当時調査した公文書の中には…」と付け加えるべきであったが、安倍総理はただ「証拠は見当たらなかった」と語った。そのことが、橋下徹大阪市長の暴言につながったのだ。
「南京事件」も「従軍慰安婦」も「沖縄の集団自決」も戦後間もなく70年を経ようとしている現在、証人の数はますます少なくなっている。それに比例して、偏狭なナショナリズムが台頭し、彼等にとって都合の悪い事実はなかったことにする歴史改竄派が勢いを増している。
だが彼等は、そうした考え方が、社会的に国際的にどんな結果をもたらすのかほとんどわかっていないか無頓着である。
しかし、右派の中にも良識ある人は、現実を直視した上で物事を判断すべきだと語る。そうした冷静さをもった人もいることも記しておきたい。
日本軍による蛮行は、中国人や朝鮮人に対するものばかりではなく、沖縄などでは一般住民を虐殺した例もある。
そしてそれはまぎれもない事実である。そうした出来事に目をつぶったり隠したりするのではなく、それらを認めた上で二度とそのような悲惨な出来事が起こらないようにすることが重要ではなかろうか。
子ども時代の私、戦争とはなんだろう?真実を知ろうとする度に、深い衝撃を受けました。でもショックで終わらなかったのは、人類が学びとってきた平和や人権、個人の尊重といったもう一つの真実を知ることができたから。闇のなか希望の光を見るようで、子ども心に嬉しかった記憶があります。戦争の事実を知ることは、平和を想像することとつながってこそ。でもまぁ、そういう教育がされていた時代ということなんでしょうかね。
松江市の教育委員会は、禁書扱いを撤回する見込みです。批判が殺到したそうで、当然ですよね。