ひまわり博士のウンチク

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たった一人の叛乱

2017年12月21日 | 昭和史
エスペランティスト、由比忠之進さん抗議の焼身自殺から50年

 1967年11月11日の夕刻、テレビは衝撃的なニュースを伝えた。
 「(佐藤栄作)首相訪米の11日夕、エスペランティストの老人が沖縄返還、ベトナム和平問題に対し佐藤首相に抗議、焼身自殺を計った。午後5時50分ごろ、東京都千代田区永田町1の6、首相官邸正面と道路をへだてた反対側の歩道で男が立ったまま胸にガソリンをかけマッチで火をつけ、あおむけに倒れた。炎は高くあがり、1分近く燃え続けた……」
 このエスペランティストの老人が由比忠之進さん73歳である。このニュースを知った全国のエスペランティストたちは大きな衝撃を受けた。この前日、エスペラントの定例会に参加していて、「来週は来られないから……」ともらしていたのを、仲間たちは聞き逃してしまっていたという。
 やさしい、エスペラントに熱心なおじいさんであった由比さんの強い決意と行動は、だれも予想できなかった。

由比忠之進さん。


事件を知らせる翌日の読売新聞。
 
 エスペラントとは、ポーランド人の眼科医で言語学者ラザロ・ルドヴィコ・ザメンホフによって1880年代に創案された国際共通言語である。日本ではプロレタリア運動の一環としてエスペラントが広められたところから、「エスペラント運動」と呼ばれた。言語の壁をなくし、世界のプロレタリアートが連帯することを目的としたのである。
 外国語、特にヨーロッパ諸国の言語は実に多様で、ほぼ1国1言語であった。ごく最近まで、日本にはチェコ語、ポーランド語、フィンランド語などなど、それらの諸言語の翻訳者が存在せず、出版社や報道機関ではいったんエスペラントに訳した原稿を日本語に重訳するという手法がとられた。したがって、1960年代ごろまでは、エスペラントに堪能な人々が大変重宝された時代であった。



 そんな時代の一つの成果として生まれたのが、世界中の子どもたちのつづり方と絵を集め1953年から刊行された平凡社の『世界の子ども』(15巻)である。世界中のエスペランティストと連携し、日本の優秀なエスペランティストが集結して、非情な苦労のもとに完成させたと聞く。各巻A5変形判平均210頁で420円という、小説の単行本が200円前後で買えた当時としてはかなり高価な本である。小学生であった筆者は父親が翻訳メンバーとして携わっていた関係で無償で読むことができたが、友だちに勧めると高すぎて買ってもらえないといわれ、子どもでも買える値段で出版してもらいたいと平凡社にはがきを書いた覚えがある。



 ベトナム戦争さなかの1960年代には、南ベトナム人民支援の一環として4冊のベトナム文学がエスペラントからの重訳で出版された。アイ・ドゥク・アイ著 岡一太・星田淳共訳『トーハウ』(1965年 新日本出版社)、井出於菟ほか訳『ベトナム小説集 炎のなかで』(1966年東邦出版社)、グエン・コンホワン著 井出於菟・栗田公明共訳『袋小路』(1967年 柏書房)、フーマイ著 栗田公明訳『最後の高地──小説ディエンベンフー』(1968年 東邦出版社)である。ちなみに、訳者の一人井出於菟(いで・おと)は筆者の父のペンネームで、エスペラントで思想・理念を表すideoからつけたそうである。
 これを機に、エスペラントの翻訳者集団「エスペラント・セルボ」が組織され、世界人民と多くの情報が共有されるようになった。

 あまり知られていないが、多数の著名人がエスペラントに携わった経験を持つ。山田耕筰はロシア皇帝にエスペラントで手紙を書き、大杉栄は日本で最初のエスペラント学校を作った。大本教の出口王仁三郎はエスペラントで宗教を広めることを試みた。新渡戸稲造や柳田国男もエスペラントに深く興味を持ち、名著『沖縄の歴史』を書いた比嘉春潮は、由比忠之進さんの追悼集会の発起人となった。そして、ローマ字を広め、多くの学校の校歌を作詞した歌人の土岐善麿もエスペランティストの一人である。
 ヤクルトがヨーグルトを意味するエスペラントjahurto(ヤフルト)からつけられたことは知られているが、宮沢賢治の童話には、東北地方の地名がエスペラント風にアレンジされて登場するのも面白い。「イーハトーヴォ」(岩手)、「シオーモ」(塩竈)、「センダード」(仙台)、「ハームキア」(花巻)、「モリーオ」(盛岡)、などなど。
 


 近年、グローバリズムの影響かどうかわからないが、改めてエスペラントが注目されつつあると聞く。今年9月、エスペラント運動の歴史を簡潔にまとめた『日本エスペラント運動の裏街道を漫歩する』(エスペラント国際情報センター)が出版された。詳細な運動史は1987年に三省堂から『反体制エスペラント運動史』として出版されたが現在は絶版。入手可能な出版物としては日本エスペラント学会の私家版『日本エスペラント運動史』がある。エスペラントの先駆者ザメンホフについては岩波新書の『エスペラントの父 ザメンホフ』がよい。
 エスペラントで戦後の家計を助けた父だったが、なぜか子どもたちにエスペラントを教えることも勧めることもしなかった。多分子どもの自主性に任せた、ということなのだろう。したがって。残念なことに筆者自身はエスペラントができない。

 佐藤訪ベト阻止の羽田闘争に参加した京大生の山﨑博昭さんが機動隊に虐殺された10月、由比忠之進さんが抗議の焼身自殺を遂げた11月、その1967年から50年目の2017年が、まもなく終わる。


 エスペラント運動と出版物についての問い合わせは、(財)日本エスペラント協会(〒162-0042 東京都新宿区早稲田町12−3 エスペラント会館 電話: 03-3203-4581)まで。