ひまわり博士のウンチク

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百田尚樹『永遠の0』

2013年08月01日 | 本と雑誌
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 この本が発売されて間もなく、何人かから「感動した」「涙が出た」と感想を聞かされていた。しかし、零戦の話と聞いてどうせ戦争を美化したろくでもない作品だろうとまったく読む気はなかった。ところがある時、信頼する友人の一人が最新作の『海賊と呼ばれた男」が大変よいという。
「それ、『永遠の0』と同じ作者だよね」
「そう、あれもなかなかいいだろ」
「いや読んでない。何となく特攻とか零戦とか抵抗があってね」
「読んでないのか、だったら読んだ方がいい。文句なしの傑作だから」
 彼は、他のいささか軽薄な友人たちとは異なり、正当な評価を下すことのできる読者だ。
 自分は百田尚樹という作家についてはあまりよく知らず興味もなかったのだが、彼の評価を聞いて読む気になった。
 読み終わり、すごい作品だと感じた。作者の百田氏に大変申し訳ないことをした。
 
 読み始めたものの、大変な繁忙期と重なってしまい、文庫本で600ページ近い大冊がなかなか進まない。緊急に読んでおかなければならない資料や原稿が山積しているものだから、朝の数十分、外出したときの電車の中、あれこれ時間をやりくりして読んでも一日数十ページしか進まない。結局読み終わるのに半月ほどが経ってしまった。

 海軍の本質と兵たちの本音については実によく書かれている。
「お国のためとか天皇のために戦っているやつなんて誰もいやしない。そんなのは戦後誰かが勝手に言ったことだ」
「特攻が志願だなんてウソだ。あれは命令以外の何ものでもない」
こんな台詞を抜き出すと右翼が目くじらを立てそうだが、百田は真実をフィクションの中に上手に潜り込ませ、右寄りの読者も感動させてしまうだろう。
 自分は仕事が昭和史ということもあって、この作品で紹介されているような兵たちの本音のたぐいは、いやというほど読んだり聞かされているので、「涙が出る」ことはなかったが、「その通り」と頷ける個所に何度も出くわした。
 
 戦後60年が経って、姉弟は特攻で戦死した祖父についての調査を始める。戦争体験者は誰もが高齢で、今やっておかなければの証人はいなくなると思ってのことだ。様々な伝手をたどって祖父の戦友たちを訪ね、当時の話を聞き集める。
 「宮部(姉弟の祖父)は臆病者だ」「少尉は腕のいいパイロットだった」「俺はやつをもっとも憎んだ」
 戦友たちの祖父に対する評価は様々だった。それは祖父が軍人らしからぬ優しさで、家族のために生きることに執着し、階級に係わりなく部下とも同等に接していたことにあった。しかし、生に執着していたはずの宮部は、終戦の一週間前に旧式の零戦で特攻に飛び立ち未帰還となる。それは運命だったのか、それとも……
 よく書けた戦争ものというイメージで読み進んでいた。ところが、最後の章(エピローグの前)で「そう来たか、やられた」と思った。姉弟の二人目の祖父が重い口を開いた時、とんでもない真実が明かされたのだ。あれほど生きたがっていた宮部が、想像を絶する出来事から、自ら生きる可能性を放棄したのである。それは彼が、優秀なパイロットであったからこそ可能なことだった。
 最後の最後で不覚にも、フィクションと知りつつ感動してしまった。

 海軍のどうしようもない上層部、人命軽視、特攻兵たちの無駄死に、それらをこれでもかとばかり並べ立てながら、既存の反戦小説とは一線を画す。いや、これは反戦小説ではない。百田は太平洋戦争の無意味さばかばかしさを訴えてはいるが、かといって平和至上主義でもないようである。ただ、この作品だけで百田の思想のすべては読み取れないので、もう二、三作読んでみたい。
 とりあえず『海賊と呼ばれた男』を読もうと思う。しかしこちらは単行本で上下二分冊の大作で、クソ忙しいのでいつ読み終わるかどうか。明日には、某所から膨大な資料が届く予定だ。それに眼を通しながら、さてどう時間をやりくりするか。