岩井俊二監督の「ヴァンパイア」を観た。10年ぶりの長編映画だそうだ。一昨年公開された長編映画、「ニューヨーク、アイラブユー」では一部監督をしているが、単独作品は久しぶりだ。
「LoveLetter」「リリイ・シュシュのすべて」「花とアリス」「四月物語」を観て、いずれもよかったのと、彼の脱原発や最近の尖閣問題に関わる発言に共感できたこともあり、この最新作はできるだけ早いうちにぜひ観ておきたいと思ったのだ。(「スワロウテイル」だけまだ観ていない。近々レンタルで観ることにする)
観た感想を一言でいうと、これまでの祝い作品と比べて「難解」である。ただの吸血鬼ものの娯楽映画として観れば、これほどつまらない映画はない。しかし、それにしてもこの映像の美しさはなんだろう、とつい目が釘付けになってしまう。そして、「血」「死」「生」「人間」といったキーワードに、それぞれ込められた意味はなんなのかと考えざるを得ない。
ここに登場するヴァンパイアは、美女の首に噛み付き血を吸うコウモリを人格化したあの卑俗的な存在とはまったく異なる。岩井俊二のヴァンパイアは、妖怪ではなく人間なのだ。そこにある種のメタファがあるのだろうが、いや、なければならないはずなのだが、それが見つからず、一晩悩んだ。
この映画はカナダで撮影され、全編英語で台詞が語られる。出演者も留学生役の蒼井優以外全員が英語圏の俳優・女優である。(蒼井優の髪が、最近の似合わないショートカットではなかったのでよかった)
ヴァンパイアのサイモンは高校教師で、アルツハイマー病の母親と二人暮らしで、ごく当たり前の生活を送っている。すでにこのあたりが、これまでの吸血鬼のイメージとは異なる。
彼はネットの自殺サイトに集まる「死にたい少女たち」から血を採取しているうちに、やがて、純粋な愛に目覚め、生きることの意味を見いだしていく。
この作品の製作中に、3.11が起きた。この映画がなにがしかのメタファであるならば、「血」とは命そのものであり、ヴァンパイアとは我々人間なのだと考えられる。基地問題も原発も、誰かの犠牲のもとに成り立っているのだから、そこで作られる「安全」とか電気を享受して「生きる」我々はヴァンパイアに他ならない。
ただこの作品の原作は、3.11が起きる前に完成していた。だから、東電や財界をヴァンパイアに見立てたと考えるのはこの作品の本質を見誤る。
この映画は「純愛映画」である。吸血鬼サイモンは、死と対面し続けることで生きることと愛の意味を具現化していたのだろう。
サイモンの母親は、体重による足腰の負担を軽減するために、多数の風船を身体につけている。しかしその風船を持たないサイモンが、最後の場面で短時間だが身軽に跳躍する。そして、新たな一歩を踏み出したかのように見えたサイモンだが、ヴァンパイアをやめることはできなかったようだ。
それにしても、難しい。難しく考えるから難しいのか、ほんとうに難しい映画なのか、それもよくわからない。これはやはり、DVDを購入して繰り返し観なければと感じた。
ともかく、ややこしい理屈は抜きにしても、感性を激しく揺すぶられる映画であることは間違いない。
もう一度言う。
「あの映像の美しさはなんだろう」
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