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ひまわり博士のウンチク

読書・映画・沖縄・脱原発・その他世の中のこと

今日は高校の同窓会

2007年06月17日 | 受験・学校
 高等学校の同窓会は、毎年母校の体育館で行われていて、住まいの近所なのでほとんど毎年参加しています。
 子どもの頃から地元ですから、中学から一緒の仲間や、ずっと杉並に住んでいる同期生が何人もいて、事前に誘いあって参加します。

 昨今学校の廃統合が盛んに行われていますが、母校もその波にのみ込まれ、全日制を廃止、3部編制の定時制高校になり、70年の伝統に幕が閉じられます。

 学校名はそのまま、校章もそのまま、しかし校歌は変わるそうです。

 同窓会員は今年の卒業生が最後の新卒、これからは少なくなる一方。
 だというのに、今年の参加者は例年に比べてとても少人数でした。
 統廃合のごたごたなのか、同窓会の連絡が来るのが遅く、案内が発送されたのは今月に入ってから。連絡が来ないので、学校がなくなるからもう同窓会はないのだろう、と思った人もいたのでしょう。

Shikishidai

 でも、ちゃんとありました。
 式次第は例年通り。会計報告も誰からも文句は出ず、シャンシャン総会です。

80sai

 宴会になると、例年通り、通過儀礼を迎えた卒業生に、お祝の言葉が送られます。以前は記念品が送られたのですが、予算の削減か最近はなくなりました。

 ことしは、還暦の参加者がなく(イヤ、いたはずですが逃げたのか)、傘寿(80歳)と古稀(70歳)だけ。
 写真のおばちゃんたちは、80歳です。大正15年の生まれで、戦時中勤労奉仕を体験しています。
 「一昨年ぐらいまでは、十何人も集まっていたの。でも身体のぐあいが悪くなったり亡くなったりしてね、こんなに少なくなっちゃったわ」
 昔を知る人がどんどん少なくなっていきます。

Bingo

 今日の僕は大当たりでした。
 ビンゴはトップで、そのあとじゃんけん大会でも景品をもらいました。

Poro

 ビンゴの景品のポロシャツは、けっこうよさそうです。

Bag

 じゃんけん大会の景品のバッグは、かみさんのお土産にと思ったのですが、使ってもらえそうもありません。(この柄じゃあね。フリマかな?)

Kohka

 完全消滅する校歌を、最後にみんなで歌いました。指揮をするU先生は僕が在校当時からいる音楽の先生で、もうかれこれ90歳になるのでは。頭も足腰もしっかりして元気です。

 同期がたくさん集まれば2次回もあるのですが、今回はしょっちゅう顔を合わせているM君とH君だけ。喫茶店で少しおしゃべりした後、僕の自宅の場所を確認するからと、家までついて来てその場で解散。

 M君は来年幹事だそうで、まあがんばってもらいましょう。

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杉五祭

2007年06月09日 | 受験・学校
 8日の金曜日、下の子が通っている杉並第五小学校で「杉五祭」が行われました。
 杉五祭というのはまあ文化祭みたいなもので、子どもたちが様々なアトラクションを考えて、ほぼ学校全体を使って行います。
 つみつみゲーム、いといとゲーム、アシのYが見たら気絶しそうなウジャウジャゴキブリ・ゲームとか。訳の分からないゲームがいっぱいです。
 学校統合で来年から一緒になる若杉小学校の子どもたちも、招待されてきていました。

 午前中、仕事を抜け出して、かみさんと上履き持参でのぞきに行くことに。
 かみさんは学校のことには慣れたもので、ちゃんと土足を入れる袋を用意していました。自分のも僕のもさっさっといつも持ち歩いてるトートバックの中に。
 僕が一人で行くときには、来賓用の下駄箱に突っ込んじゃうんですけどね。

Danbouru

 これは、うちの子が担当している「おばけダンボールめいろ」の全貌です。けっして引っ越し準備ではありません。写真を撮っていたら、「入らないでくださ~い」ってしかられました。
 首だけ見えてるのがうちの子。

IriguchiDeguchi
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 入り口と出口。ひらひらが下がってて、なんとなくラブホの入り口みたいな……。
 一応ストップウォッチでタイムを計って競い合っているようです。
 しかし、なにが「おばけ」なんだろか。大人は入れないのでわかりません。

19can  「つみつみゲーム」というのはこれです。空き缶を積み上げるだけなのですが、けっこう夢中になります。このお母さんは19こ積んで、トップに躍り出ました。
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Bouring_1 このボウリングはピンがペットボトルで、ボールはバスケットボールです。けっこう難しいようで、なかなか高得点にはなりません。
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Obake

 「のろわれた理科室」。お化け屋敷は毎年大人気で、今回も行列。見るのはあきらめました。

 「仕事に戻るから先に帰るね」
 「わかった、ちょっと他も回って、お化け屋敷見てから帰るから」
 ということで、かみさんと分かれて玄関へ…。
 アレッ? 靴どうしたっけな。
 そこで気づきました。 かみさんに預けたままだ。
 あわててかみさんを探しましたが、もうどこにも姿は見えず。のんびりしているくせに、こんなときに限って素早い。
 携帯を持って出なかったので、連絡の取りようがありません。
 仕方なく、スリッパのままで家に戻りました。家まで数十メートルのところでよかったです。まさか電車には乗れない。
 しばらくして、かみさんからメール。
 「スリッパのまま帰ったの?」
 「……」

 帰ってから、人気のお化け屋敷についてかみさんに聞きました。
 「浴衣着てワッておどかすだけ」
 「な~んだ」
 「でも、泣いてる子がいたよ」
 「そりゃ、怖くて泣いてんじゃなくて、おどかされてびっくりしただけだろう」

 来年は若杉と統合。もっと怖いの作ろうね。

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今日は体育祭

2007年06月02日 | 受験・学校
 今日、6月2日は井荻中学の体育祭でした。

1taremaku

 うちの子はクラブ活動でアートクラフト部に入っているので、校門の上に出す垂れ幕を毎日7時頃まで学校に残って作っていました。
 「1年生がヘビ描いてるから、なんでヘビ? って聞いたら龍だって。でもヘビにしか見えない」

2ryu2

 どうやらその“ヘビ”が、これのようです。先生が見かねて直してくれたので、多少“龍”らしくなった、というのですが、なんか足りない。
 あ、角が…あるにはあるけど、小さくて見えない。目が可愛い。それに、玉(ぎょく)を持った手がない。

3ryu_1

 ま、玉を持たない龍もあるようですが、よく屏風等に描かれている龍とくらべると、技術のことではなくて、やっぱり可愛すぎる。
 ヘビです、これは。

4veranda

 クラス対抗なので、クラスの旗も作って、まるで洗濯物のようにベランダに掲げてあります。
 これは人気投票で順位が決まります。

5flag

 うちの子のクラスの旗はこれ。アートクラフト部より上手です。

6relay

 全員リレーというのがあって、学年ごとに全員がクラス対抗でリレーをしました。
 赤いちゃんちゃんこみたいなのを着ているのがうちの子。
 選手だから着ているのではありません。20番目のマークだそうです。
 まるで先頭を走ってきたようですが、実はラストから2番目。ドンケツだったのをひとり抜いてきたのですが、この後また抜きかえされて、結果はビリ。

7nawatobi

 大縄跳びでジャンプ。制限時間内に連続で何回続けられるかが勝負。時間切れすれすれで28回飛び、この種目は1位でした。
 デジカメでタイミングよく撮るのが難しいので、何回もシャッターを切ってしまいましたが、みんなの顔がおもしろいのです。髪の毛が逆立ったり、なきそうな顔をしていたり…残念ながらブログにアップするには枚数が多過ぎますので勘弁を。

 さて、「総合結果はビリではなかった」そうです。しかし、洗濯物じゃなかった、クラスの旗は準優勝だそうで。しかしうちの子は制作に加わってません。遅くまでかかって作ったのは、“ヘビ”のほうです。


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学校公開・道徳教育

2007年05月27日 | 受験・学校
 金曜と土曜、下の子の小学校の「学校公開」でした。昔で言う「父兄参観日」。
 クラスの雰囲気や先生の授業の進め方を目の当たりに出来る唯一の機会です。

●新任の先生
 下の子は、今年から担任が変わりました。前任の先生は、「私これでもけっこう年いってるんです」という童顔の美人先生で、子どもたちから親しまれていました。
 転任当初は戸惑いもありましたが、担任の2年間でかなり指導力がついて、さあこれからというときに転出になり、いささか残念。

 で、新任の先生は、2年間産休後の復帰だということです。
 子どもに「新しい先生はどう?」と聞くと「おんなじような先生」と答えます。
 今回の学校公開で、その「おんなじような先生」に初めてお目にかかりました。
 「どこが『おんなじ』だっ!」
 一瞬下の子の美意識を疑いました。ルックスは前任の先生とは似ても似つかぬ…。まあ「おんなじよう」なところといえば、ボーっとしていて頼りなげなところでしょうか。

 授業は「道徳」。一生懸命なのか、見るからに余裕がありません。まるで教育実習生。まいったなこりゃ、と思いつつ、ま、そのうち慣れるだろうと。

 授業が終わって教室内に展示してあるあれやこれやを見ていると、かみさんが先生を紹介してくれました。
 かみさんは上の子が在校中、ずっとPTAの役員をやっていて、その後もいろいろ世話を焼いているので、学校での態度がでかいです。
 公立ですから別に寄付などしている訳ではないので、テレビに出てくるPTAの会長みたいな口出しはしませんけど。

 「今日みたいなの、緊張しちゃって。未熟で申し訳ありません」と、いきなり頭を下げられました。昔から「父兄の授業参観」というのは試験を受けているようで、先生は緊張するそうです。
 「しばらくお休みなさっていたそうで、すぐにブランクは埋まるでしょう」とお世辞を言いましたが、“未熟”なのはどうもそのせいばかりではないようです。
 かみさんが、僕の『モンテッソーリ教育で、子どもの才能が見つかった』を進呈して、「こんなところに行ってましたから、ちょっと他のこと違うかもしれません」。
 実際、ときどき大暴れして迷惑をかけています。下の子は誉めてればご機嫌ですから簡単なのですが、先生にはなかなかそれが難しいようです。

●道徳教育
 授業の後、教育委員会の指導担当委員による公開授業が、5、6年生を対象に体育館で行われました。教材に『先生のとっておきの話』(ポプラ社)というシリーズの中から『きよみちゃん』という、小学生で難病のために亡くなった子どもの話。
 小学生版「セカチュー」。
 PTAには教材のコピーが配られなかったので内容はわかりませんが、その病気が原因でいじめられていたのが、他の子どもたちにもやがてその重大さがわかり、いじめていた子どもにも変化が起きた、というような話だったと思います。(正しくないかもしれません)

 2時間続けて道徳なので、あの「美しい国」的なひっかかりが、どっかにあるのではないかと、期待(?)していたのですが、なんともまあ当たり障りのない内容でがっかり(?)しました。
 「いじめたとき、いじめられた人間はどんな気持ちになるか」
 「子の作品を読んで、自分ならどうするか」

 「いじめたりは絶対してほしくないことです」
 「親切にしてあげたいです」

 教材の作品を読んだ感想と意見を、子どもたち一人一人に述べさせていました。
 しかし、子どもたちが先生やPTAが見ているこんな状況で、悪いことを言う訳がありません。子どもたちは、いじめがいけないことだと、理屈ではわかっているのです。
 いじめが起きるのは「理屈」ではなく「感情」ですから、いくら理屈で説明してもいじめはなくなりません。
 「わかっちゃいるけどやめられない」のがいじめ。

 「理屈」の世界とは別に、パラレルワールドのようにいじめの世界がある。ところが、理屈の世界でしか生きていない先生には、その「パラレルワールド」が理解できません。ものすごくまじめな子どもが、まったく別なもう一つの顔を持っていることなど考えられない訳です。
 「勉強もよくできて、リーダーシップをとれる優等生だったのに、信じられません」
 よくニュースにありますね、こんな先生の言葉。

 したがって、道徳教育というのは、表の顔ではなく裏の顔に対してもしなければいけないのです。
 僕はその効果的な方法を知っていますが、理屈優先の学校では採用されないどころか反発されるかも。

●安倍晋三に道徳教育を
 話は変わりますが、道徳の授業では「他人を思いやれ」「喧嘩になるようなことはするな」と教えています。自分がけんか腰になれば相手もそうなると。

 道を歩いていて人とぶつかった。
 「気をつけろこの間抜け!」
 「なんだよ、おまえがぼんやりしてるからだろう、ウスノロ」
 これでは喧嘩になります。

 「ごめん、ぼんやりしてたから」とまずあやまろう。すると、
 「僕も慌てていて、ぶつかってごめんね」と言ってくれる、と指導しています。

 しかし、世の中には「ごめんなさい」を言えばいいと思っている人が案外多いものです。
 若い女性、特にOLに多い。ドスンとぶつかっておいて、顔も見ず頭も下げず、「あ、ごめんなさい」と言ってさっさと去る。道徳教育を芝居の台詞だと思っています。
 「ちょっと待て、ちゃんと謝れ」
 「急いでいるんで、ごめんなさい」
 これで謝ったつもりなのか、と言いたくなります。
 従軍慰安婦問題をアメリカの議会で追求されて、かたちだけ「ごめんなさい」を言った安倍晋三もこれと同じです。おまえは欧米か、いやOLか。

 政府の要人は、自分たちが推進する文科省の指導で教えている道徳教育と、まったく逆のことをやっています。自分たちは絶対に正しい、「北朝鮮が悪い、韓国が悪い、中国が悪い」と敵を作るのが大好きなようです。
 仮に相手が強く出てきたとしても、「ちょっと待て、確かにこっちにも間違いはあった、その点を含めて話し合おう」ということがなぜ出来ないのでしょうか。
 「だって、向こうの態度が悪いからこっちだって強く出たくなるじゃないか」というのは、小学生以下です。相手がどうあろうと、きちんと礼を尽くすのが当然のことでしょう。
 「相手の言いなりになってたらやられ放題じゃないか」ともいいます。それを力ずくでなく、外交で解決するのが政治家の手腕です。

 子どもの頃ばあちゃんがこんなことを言っていました。
 「強盗に入られた家があってね、その家はその強盗をもてなして食事を与え、悩みを聞いてあげたんだって。そしたら、その強盗はお礼を言って何もとらずに帰っていったそうだ。それからしばらくすると、家のポストに封筒が投げ込まれていてね、『あのときはありがとうございました、おかげで犯罪者にならずに済みました。これはあのときの食事代です、少なくて済みません』と書かれた便せんと、なにがしかのお金が入っていたそうだよ。ホントにあった話だよ」
 ホントにあった話かどうかはわかりませんが、日本の庶民は敵を作らない知恵をたくさん持っていました。敵を作るのは武士の考え方なのです。

 今、道徳教育が必要なのは、安倍晋三以下、為政者たちではないでしょうか。

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熱気球

2007年03月29日 | 受験・学校
Kikyu
 桜の花の向こうに熱気球がふわり。
 春休みです。杉並区立沓掛小学校の校庭で、児童館が主宰する熱気球の体験会がありました。
 熱気球は風が強い日は飛ばせません。今日は無風とはいかず、ときおり枝を揺らす風が通り過ぎます。そのたびにカゴに人を乗せたまま待機。
 校庭の四隅に車をとめて、その車とロープでつないで風に流されないようにしているのですが、それでもそうとう右に左にもっていかれます。
 風がおさまると子どもたちを3、4人乗せて、20メートるほど上昇しました。
 ヴォヴォヴォッ、というバーナーの音は思いのほか大きく、のんびりとした姿に似合わない野性味があります。

 沓掛小学校は、このあたりでは校庭がいちばん広いので選ばれたのでしょう。うちの子が通っている杉並第五小学校は、校庭の広さが沓掛の半分くらいしかありませんから、熱気球はおろか観測用の気球でも難しいかもしれません。

 下の子が通っている体操教室の友だちが、「体験」を予約していて、わざわざ永福町からやってきました。うちの子は予約していなかったので乗せてもらえないものと諦めていたところ、欠席者が出たからと、乗せてもらえることになって大喜びでした。

 撮ってきた写真を見て、「のりた~い~」と言ったのは、アシのY。

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遊びを知らない子どもたち

2007年03月01日 | 受験・学校
●やることがない
 この前の日曜日、かみさんが友だちに頼まれて、知的障害者の施設にダンスを教えに行っていたときのことでした。僕はその日、家にいて2階で読書をしていたのですが、1階で遊んでいるはずの小学校3年子が、泣いてかみさんの携帯に電話をかけたそうなのです。直後にかみさんから電話があって、
 「やることがないって、泣いてるんだけど、ちょっと見てやってくれる」
 子どもがやることがなくて泣くなんて、ちょっと異常。階下におりてみると、スイッチを切ったテレビの前でべそをかいています。
 「どうした?」
 「なんにもすることがない…」
 見る番組が何もないからといって、なにもスイッチを切ったテレビの真っ黒な画面を前にして泣いていることはないと思うのですが、これは、彼独特のレジズタンスなのです。
 実は、あんまりゲームばかりするものだから、ゲームの機械をねえちゃんに取り上げられていたのです。自分からねえちゃんに「ゲームを返せ」とは言えなくて、いかに自分が今みじめな状態であるのかを、こうして表現するわけです。
 しかし、ゲーム以外に遊びを知らない、ということは大変な問題ではあります。
 「テレビ見ないの?」
 「見たいのがない」
 「児童館に行けば友だちがいるかも知れないよ。学校の校庭に行けば野球ができるよ」
 どれも気乗りせず、結局、マンガの本を持って自分の部屋にこもりました。

●遊ぶ環境がととのっていない
 遊びができない理由はいくつかあります。
 一つ目は、外で遊ぶ場所がない。大型マンションや住宅街、農地の開発で、子どもの遊び場はどんどん失われています。子どもたちが走り回って遊べる広い安全な場所が、近所にはありません。したがって、外遊びを知らないのです。
 次に、ゲームに熱中し過ぎて、ほかの遊びは何をやってもおもしろくない。ゲーム以上に刺激的な遊びが身近にない、ということなんです。
 たまに学校で、近所のお父さんたちでつくる「おやじの会」なるものが、ベイゴマだの割り箸鉄砲だのを教えていますが、そういう遊びが子どもたちのあいだに根付くことはありません。昔の遊びはニンテンドーDSにはかなわないのです。
 そしてさらに、塾や習い事で、子どもたちはみんな忙しくて、遊んでくれる友だちがいない。
 学校から帰れば、ランドセルを放り出して遊びに行って、夕方まで帰ってこないのが子どもというもののはずなのですが、いま、そんな子どもはいません。朝日新聞の4コママンガに出てくる「ののちゃん」のような子どもは存在しないのです。学校が終わったあとは、晩ごはんの時間までずっと、習い事と塾でびっちり予定が入っています。
 ここに引越して間もないころ、たまたま揃って時間があいたのでしょう、友だちが遊びに来たときに驚きました。部屋の壁にズラッと並んで寄り掛かって、ゲームをやっているんです。それぞれが、自分のやっているゲームに夢中で、コミュニケーションらしきものはほとんどありません。いったい何しに来たのでしょうかね。

●見果てぬ夢
 今朝の朝日新聞に、中学受験のコラムが載っていました。寝る時間を切り詰めて塾に通い、家では問題集を解き、学校では眠いのを我慢して、必死で授業をうけます。
 塾では成績ごとにクラス分けがあって、成績が悪ければ下のクラスに落とされますから、まったく手を抜けません。
 「中学に入ればきっと楽しいことがあるだろうから、それまでがんばります」
 きっと、親からそういわれているのでしょうが、これは“騙し”ですね。
 中学に入れば高校受験に向かって勉強、高校に入れば大学受験に向かってさらに勉強、大学に入れば就職活動や資格を取るためにもっと勉強。社会人になってからも、勉強を怠ればたちまち負け組の烙印を押されます。まさに“見果てぬ夢”です。
 そんな事実を知らないで、小学生のときから受験勉強に頑張っているのですね。こんな状態が、これから先少なくとも10年以上、へたをすれば一生続くことなど考えも及ばないのです。かわいそうに。
 そうやって必死に勉強したことを、いつどのように役立てるのでしょうか。受験のための勉強で終わってしまわなければいいのですが。

●自分の人生は自分でつくる
 まっすぐにレールが敷かれた道を、筋書き通りにまったく寄り道せず終着駅に向かうのも人生かも知れません。
 躓いたり、遠回りしたり、傷だらけになりながら、それでも自分のやりたいことを試行錯誤しつつ自由にやるのも人生です。
 どちらを選ぶかは個人の選択であって、たとえ親であってもそこに立ち入ることはできないはずです。なぜなら、子どもと生涯をともにすることは不可能なのですから。(あたりまえです)

 やがて人生の終わりが来たときに「ああ、なんて素晴らしい人生だったんだ」と言える一生を、僕は子どもたちに与えてやりたいと思います。
 そのために僕が子どもたちのためにできることは、少なくともレールを敷いてあげることではなく、子どもがやりたいと思うことに手を差し伸べてやることだと考えています。
 たとえそれが、親から見て首をかしげるようなことであったとしても、子どもの人生は、子ども自身の手でつくらせてやりたいと思うのです。
 遊びたかったら遊べばいい。塾にいきたかったら行けばいい。学校の勉強ができないことと、頭の善し悪しは関係ありません。優秀な大学をトップで卒業しながら、殺人者になることだってあるのです。
 高校を卒業してホテルのドアマンになったひとが、やがて流行作家になることもあるし、中学卒業で総理大臣になった人もいます。
 大事なのは、どんな人生であれ、自分のつくった人生を生きることなのだと、僕は信じています。


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同期会

2006年11月11日 | 受験・学校
 今日は、中学校の同期会でした。
 前回から9年ぶり。
 同期250余名のうち58名の参加です。
 僕が地元から出ていないせいもあって、中学高校と連続して同じ学校の友だちもいますから、何人かは珍しくもなんともない連中ですが、卒業以来はじめて会ったり、前回の同期会に参加しなかった人たちは、顔を見ただけではだれだかわかりません。

 当時の担任5人の先生方のうち、4人が参加してくださいました(1人は物故)。
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 最高齢は92歳、僕の担任は78歳です。皆さんお元気で何より。

Photo_81 僕の中学時代のマドンナ、加代子さんは今でもやっぱり可愛いです!

 中学時代は、手も握ったことがありませんでした(ほんとうです)。
 でも今日は握手してもらいました。
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Photo_82 最高齢の高橋先生は美術が専攻です。
 一時流行語となった「いい線が出てる」の発信元。
 それが転じて「いいせんいってる」という流行語になりました。

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Photo_83 担任の久保田先生は、「平和憲法は日本だけのものではありません、世界に発信しましょう」と、力強く語ってくれました。

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 二次会は近くの音楽スタジオでカラオケでもりあがり。ふだん会社の仲間と歌えばバカにされる、昭和の歌を熱唱しました。


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 この二人は小学校からいっしょ。左の良和君は悪ガキだったけど、年をとっていい男になった。右の政子さんは両親が奄美大島の出身で、小学校のときはアイヌと間違われていました。二人のお嬢さんが、すごい美人です(だんなはフツー)。


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 左の順子さんも中学時代はモテモテでした(今のことは知らないけど)。中学当時マスクをして廊下に佇む順子さんがすごい美人に見えたことがありました。
 「すごい美人なんでだれかと思ったら○○順子だよ。マスクするとすっげーきれい」
 何気なくそんな話をしたら、クラス中につたわって、「○○順子ってマスク美人だってさ」という評判になりました。本人はきっと複雑だったでしょう。
 右の久くんは野球が上手でした。とくにワンバンドしそうな低いボールをすくいあげて大飛球をかっ飛ばすのが得意でした。したがって、ウィークポイントは高め。相手チームはそんなこと知りませんから、セオリーどうり低めを攻めては、ポカスカ打たれてました。
 
 先生も同級生も、この日ばかりは××年前にタイムスリップしました。社長もか会長も関係ないですからね。みんな、ふけた中学生です。


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運動会

2006年09月30日 | 受験・学校
Photo_55 秋の運動会シーズンですね。
 今日は下の子の運動会で、生意気にもリレー選手だったのですが、チームはびりっけつでした。
 小さな小学校で、校庭も狭いものですから、トラックが校庭いっぱいにひかれて、父兄は隅っこの方で見ることになります。

 ところで、おなじみの赤組白組というのは、源平合戦から来ていることは皆さんご存じですよね。
 この学校では点数をつけていましたが、最近は、学校によって勝負の点数を付けないところもあるとか。
 それについては賛否両論あるようですが、ぼくはできるなら小学校の運動会で勝った負けたなんていうのはない方がいいと思っています。
 勝ち負けを競わせないのは共産主義だなんて極端なことをいう人もいるようですが、心が成熟しないうちから他人よりも上に行くなんてことを植えつけてしまうのはいかがなものかと思うわけです。

 へたに競争心をつけてしまうと、なんでもかんでも勝たなければ満足できなくなってしまって、自分の才能以外のところでも競争してしまいます。
 それで、本来自分が生まれ持った天賦の才能を見失ってしまうことにもなりかねません。
 子どものうちは、競争することよりも、自分の持っているものをしっかり見極めることが大切なのではないかと思いますね。

 ちなみに、この小学校では開会式で君が代斉唱とともに日の丸をあげる、などというセレモニーは行いません。センターポールには学校の旗と共にあらかじめ日の丸が上がってましたが、いろいろうるさいので「いちおう、揚げとく」という感じです。国旗が揚がっていることに気づいている人は少ないようです。目立ちませんから。
 最初から最後まで君が代が歌われることはなくて、授業でも教えていないそうです。
 そんなわけで、うちの子どもたちは君が代を歌えません。
 この小学校、そのへんはスジが通ってます。


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